Ball'n'Chain

雑記

首筋の静寂

 黄色い日差しが肌に照りつける。爪先を見つめながらとぼとぼと歩いている。花弁を閉じた槿の花がいくつも落ちている中に、ひっくり返ったセミが白い腹を見せている。生命が生い茂っている。死者たちがぼんやりと陽炎のように立ち上る。

 三年前に、主治医が突然死した。私より少し年上くらいの若い人だった。お見舞いに行くことも、病院を通じて手紙を渡してもらうことも許されなかった。もちろん何の病気か、どういう容体なのかも教えてもらえなかった。体調不良という情報だけを与えられて、二〇一四年の年末に突然その人は去った。私はこの人に恋愛感情を抱いていた。好きだということは伝えていた。恋愛感情の好きであることはともかく、感情は大事なものだから、その気持ちは受け止めますので、と言ってもらえていた。好きになるな、とは言われなかった。その三か月後に他界した。

 最初に体調不良でお休みしますと聞いたとき、私は何とかこの先生とコンタクトを取らなければと思っていた。普通に考えれば体調が回復したら戻ってくるからそこまでする必要はないのだけれども、その時の私には何故か今を逃したらもう二度と会うことができないかもしれないという意識が働いていた。個人情報保護法の壁に阻まれて何も教えてもらえず、怒り、病院と戦った。お見舞いに行けないのであれば早く良くなってほしい、という手紙を渡してもらえるだけでも良かったのだが、それすら拒まれた。あらゆる手段を使って居場所を突き止めようとしたが、徒労に終わった。病院という社会的な組織、システムと個人が戦うことがいかに難しいかが分かった。

 やり場のない怒りと無力感は自分に向かった。ワインを飲んではボトルを割り、戸棚のガラス戸を殴って割り、割ったガラスの破片で何度も自傷行為をした。誰かに分かってもらいたい、傷を見せつけたいのではなく、心の苦しさがあまりにも辛くてそれを腕を切る痛みで紛らわせようとした。もっと目立たない場所でやればよかったと今ではすごく後悔している。飲み歩いて放蕩し、知らない男たちに抱かれ、終電の無くなった後に道なき道を歩いて帰って公園で寝た。落ちるにいいだけ落ち、金策尽きて京都に帰った。

 猛烈な悲しみは唐突に襲い掛かってきた。不意に後頭部をバットで殴られたみたいだった。完璧に押さえつけたはずの悲しみが今年の六月末に首をもたげた。先生にはもう会えないという事実が、津波のように私の心を襲った。もう一度話したい。声が聞きたい。もうどう頑張っても会えない。それだけは無理。そもそも突然死ぬかよ。運命が私から先生を遠ざけたとしても、何も殺すことはないじゃないか。苦しかっただろうか、寂しくはなかっただろうか。そんな考えが頭をループして離れなくなった。しばらく涙が止まらなかった。

 悲しみは潮のように満ちては引いてを繰り返す。気がついたらどっぷり海水に浸かっている。引いたときには普通に日常生活を送っている。原因のある悲しさだから、それは時とともに薄れていくはずだ。それすらも悲しい。悲しみが引いていくだろうことすら、先生から遠ざかっていくようで悲しい。でも私は生きているから、そうやって生きていかなければならない。

 なかなか止まない通り雨が耳を打つ。撥ね返った水しぶきが幾つも窓ガラスにあたって、流れ落ちていく。窓の外を見遣る私の、首筋の静寂。先生のことはきっと死ぬまで私の心の中に残る。