一つの求道記
こないだ下鴨の古本市で買った本を読んだ。ウィリアム・バロウズの『ジャンキー』。麻薬中毒者であることで有名な彼の、自伝的小説であり、処女作、らしい。面白くて一気に読めた。ジャンキーがどういう行動をするか、ジャンキーになるとどういう症状が出るか、というのも面白いが、彼を取り巻くジャンキー仲間や売人、モルヒネやコデインを手に入れるための処方箋を書いてくれる医者などの描写が、リアルというか、生々しい。ちなみに本の中でバロウズが「麻薬」と呼んでいるものはモルヒネだ。コカイン、ヘロイン、アヘン、マリファナも出てくるけど、アヘンはモルヒネ断ちの苦痛を和らげるもの、マリファナに至っては全く麻薬扱いされてないと言ってもいい(中毒性は煙草よりましだと言っているが、その話は諸説あるので置いといて)。使ったのは何の気なしに、なのが、いつの間にか麻薬を手に入れることそのものが人生になっている。「麻薬とは人生」―――それがジャンキー。麻薬を買うために駅や電車で酔っ払って寝ている客から金品を奪い、警察の目をごまかすのに悪戦苦闘し、麻薬が切れそうになったらモルヒネを溶液にするときに使ったガーゼまで吸い尽くす。使ったりやめたりして麻薬と付き合い続け、ジャンキーに囲まれて描かれている主人公ビルの人生は、確かに「麻薬」そのものだった。ちなみに、これ以降の作品『裸のランチ』等に比べてこの作品は普通の文体で書かれているので、一般的によく取り上げられるバロウズよりは読みやすいです。あと、当時(20世紀初頭)の人々も、今の合法ドラッグとかと同じように、法に触れない麻薬物質を求めて色々試してたんだなあ、というのも面白いですね。
身近なのがODな。薬飲むと体が楽になるから飲みすぎちゃって、また薬もらう前になくなっちゃって、薬を求めてさまようような。病院はしごして「いつも行ってる病院に行けなかったので…」って(やってはいけません)。それでも駄目だと体が悲鳴を上げだして、でもないものはなくて、手に入らなくてどうしようもなくなって。薬局に夜盗みに入ろうかと思ったこともある(やってません)。もうやめようと思う。もう飲みすぎて苦しくなるのは嫌と思う。それなのに薬もらったらたくさんあるのをいいことに自転車こぎながらペットボトルの水で飲んだりね。もうやめようと思ってハンカチの上に薬置いて、半分ずつにカッターで切って、少しずつ飲んで効果少なくしたこともあったけど、結局飲みすぎちゃって無くなって、病院行く前日とかもうしんどくて、薬切った粉が残ってるハンカチ舐めてた。アル中とかギャンブル症候群とかにはなったことないけど、すべからく依存症ってこんな感じなんだろうね。ちなみに私は肝臓が異常に強いのか単に異常なのか、酒には酔わないのでアル中にはなれません。次は北杜夫の『牧神の午後』読むつもり。