孤独の共鳴
少年がとつとつと傘の先で道路を突きながら帰っていく。いつ降りだしてもおかしくないような曇り空。蒸し暑い空気をぬっと押しのけてバスがやってくる。久しぶりにバスで四条まで行って買い物をしてきた。サンダルとTシャツ。今まで履いていたサンダルはカビだらけになっていたから、と母に捨てられていたので。Tシャツは寝る時やちょっとその辺に用足しに行くのが少ないなあと前から思っていたので。買い物得意じゃないけど今回はまあまあいいものが買えたと思っている。それにしても買い物中サ店に入りすぎだ。お茶飲みに行ったんじゃないんだから。タバコ吸えるところないからつい、ね… 今日たまたま入ったところの一つはジャズ喫茶だったんだけど、音楽もうるさすぎず、お客さん一人しかいなくて、何時間でもぼんやりできるようないいところだった。そういう出会い大事だしね。
ツイッターのご縁で知るに至った季刊誌Monkey、柴田元幸さん主宰だからかすごく面白い。私が今読んでるのは「ともだちがいない!」号。今年はちょっと六月末辺りから色々あって情緒がいつにもましてあれなので、まだ全部読んでないけど。今読んだ中で一番いいと思ったのがパジェット・パウエル『ジョプリンとディケンズ』。もちろん全く異なる時代に生まれた二人なんだけど、二人とも小学生で同じクラス、っていう設定で、片方は内気でおとなしいけどませた知識は豊富にある女の子、片方はいじめることも出来ないくらい頭のいい優等生として登場している。この二人を絡ませるんだけど、合うんだよな絶妙に。優等生の孤独と(どちらかというと)劣等生の孤独が、劣等生というかジャニスの生まれながらにして持った孤独みたいなものが共鳴する。ディケンズとは比ぶべくもないが、私も優等生だった。クラスで全然勉強できない子(スポーツもあまりぱっとしない)と仲良くなりたいなあと思ったことはある。それが孤独の共鳴とまでは考えていなかったけどね。今にして思うと、可もなく不可もなく、って子たちが一番学校楽しかったんじゃないかと思う。ディケンズはオリバー・ツイストとか大いなる遺産は読んだ。教科書みたいな小説で面白かったような記憶がある。ジャニスは中学生の時に流れてたCMで知った。確かホンダのCM。当時ネットとかないから、ホンダの会社にタウンページ開いて電話して聞いた記憶がある。すごく緊張した。ちなみに当時の私がはまったのはMove overだった。今でも大好き。あの、ここまで声振り絞って、いや振り絞るから頼むから、お願いだから届いてくれよっていうしゃがれたシャウトの何と切なく悲しいことか。そんな寂しさがディケンズの誰からも背中を背けて一人自分の道を行く小さな両肩に反映されて。ほんといい文章だった。つい影響されてツタヤでディケンズの二都物語買って、ジャニスのCD借りてきてしまった。
最近タバコ吸いすぎで自転車乗っててもゼイゼイ言ってる。ツタヤに行く時はなだらかな下り坂なんだけど、帰るのがしんどくて… しかもこの時期だし。京都市北部でゼイゼイいいながら自転車こいでる太ったおばちゃんは私です。でも何だか自分の中では高地トレーニングしてるみたいで面白いからおすすめでもある。