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雑記

近松秋江『黒髪/別れたる妻に送る手紙』講談社文芸文庫 1997年

近松秋江『黒髪/別れたる妻に送る手紙』講談社文芸文庫 1997年

 

 おそらく古本市で買った。講談社文芸文庫が安く買えたので、中身はあまり気にしなかった。近松秋江という名をずっと空見していて、近江秋江(おうみあきえ)という女性の作家だと思ってた。平成8年の中央公論の特集「二十世紀日本文学の誕生 中央公論文芸欄の100年」の中に挙げられた24名の作家の中に、近松の名前もあったらしいが、私はまるで聞いたことがなかった。

 これはいい意味でひどい。現代で言えば、ストーカーやキャバクラのクソ客が主人公の小説集。傍から見れば面白いが、絶対に関わりになりたくないタイプの主人公だ。大体タイトルからしてやばい。「別れたる妻」に手紙を送るなよ。

『黒髪』は身請けするつもりで金をつぎ込んだ京都の遊女に何やかやと面会を躱される話。いかにも京都らしい、ぐっとくる結末。『別れたる妻に送る手紙』では、タイトルからしてどんな殊勝なことが書いてあるかと思いきや、妻がいないことの虚しさから買いに行った私娼に惚れるが、その女が何度も嘘をつき、ままならないし金もないというどうしようもない話。『疑惑』では、間貸ししていた学生と逃げた妻が昔日光に二人で泊りの旅行に行ったらしいという情報を得て日光に行き、証拠をつかんでやはり二人は昔からできていたのだと確信し、学生が家にいた当時のことを回想する話だ。どの作品も読んでて何度も「…お兄さん、嫌がられてますよ…」と横から声をかけたくなる。女の気持ちが全く分かっていない。

 近松秋江(ちかまつしゅうこう)は明治9年(1876年)生まれ。昭和19年(1944年)没。近松という筆名は尊敬する近松門左衛門から取ったもの。秋が好きだから秋江。友人には正宗白鳥がいる。正宗は小説の中で出版社に勤めている嫌味な友人のモデルになっている。本書には近松の次女徳田道子氏による「著者に代わって読者へ 或る男の変身」という文章と、勝又浩氏による解説、柳沢孝子氏による作家案内が収録されているが、それらによると一応小説という形で書かれてはいるが、限りなく事実に近いらしい。近松の生涯や残された資料から推測される彼の行動と、小説の内容がほとんど同じなのだ。その経緯は『雪の日』→『別れたる妻に送る手紙』→『執着』→『疑惑』→『愛着の名残り』→『うつり香』、『黒髪』→『狂乱』→『霜凍る宵』という二つの連作群によって全貌が明らかにされる。

 この二つの連作群から一連の「事件」をざっと説明すると、京都の遊女に惚れて大金をつぎ込み、逃げられる。それを追う。内縁の妻と共に暮らすが貧しくて、学生に部屋の間貸しをしていたら、妻とその学生が関係を持つようになり、家を出ていってしまう。それを追う。二人は近所に住んでいたのでそこに足繁く通うようになったら、今度は二人が学生の実家へ身を隠してしまう。それも追う。見つけ出して問い詰める。妻は別の男の妾になっているというので、その男の家に行き、男の妻にそのことをばらし、大変な顰蹙を買うが、本人は満足している。…正直、やりすぎだ。追うな。しかも妻といっても内縁なのだ。主人公である亭主が籍を入れたがらないのだという。彼曰く「そんなことは何時だって半紙に字を書いて判を捺しさえすれば済む。そんなことで心を繋いだり切ったりする足にはなりゃしない」(『疑惑』)とのこと。

 このような内容ゆえに彼は「情痴作家」(!)と呼ばれ、彼の愛読者である平野謙氏には主人公の行動を「犬糞的」(!)と呼ばれ、『遊蕩文学の撲滅』論を書いた(いつの時代にもこういう人はいますね)同時代の批評家赤木桁平には「「足下の小説は生命に対する何ら根本的な反省も苦悶も持たない人間の低劣な本能生活と、この本能生活に纏絡するする安価な感傷と懊悩とを」「陳腐な、俗悪な、鵺的技巧と粉飾を持つてした」作品であって、「無価値で、無意義で、かつ有害至極である」」(解説より)とこれでもかと言わんばかりに断罪されている。

 正宗白鳥は彼の友人だったが彼を嫌っていた。「話をすれば面白いが、人間としては嫌いだった。無責任だし、あいつとは事を共にすべきじゃないと思っていた。けれども、書いたものはいいですよ」(解説より)。近松は仕事が全くできず、責任感もなく、しかもそれを悪く思うような素振りは全く見せなかったらしい。その巻き添えを食ったのが一時同じ職場で働いていた正宗で、近松のせいで人間が嫌いになったとまで言っているが、一方で彼をモデルにした小説『流浪の人(近松秋江)』を書いたり、人間のうちで近松の人となりだけは分かっているなどと語ったり、近松の葬儀の際、葬儀委員長を務めたりしていることから、まあ絶縁するほど嫌いではなかったのだろうと推測される。

 近松の、そして彼の作品の主人公の唯一のとりえがあると言えば、この人は他人を信じすぎる(とりえと言えるだろうか…)、そして偽善者ではない、というところか。他人を信じすぎる、というか、愛する人を疑うことにためらいがある。『疑惑』の中でも何度も学生と妻が微妙な雰囲気になっている場面を主人公は目にしているのだ。後になってなぜその時それを疑わなかったのかと逆に妻に問い詰められるのだが、主人公は「幾度か疑えば疑わねばならぬ場合があったのを、お前を信じ、お前を庇う心持が始終自分の心に纏綿としていたものだから、強いて疑うことをなし得なかったのだ。疑うのがお前を汚すような心持がしたから、疑うのが厭であったのだ」(『疑惑』)と言う。疑ったら汚れてしまうと思うほどに、彼は愛する人と、自分と相手との関係とをピュアなものだと信じ込んでしまっている。素晴らしい愛、と言えなくもないが(相手もそれに応えてくれるような、結婚生活のような安定した関係では本当に素晴らしいことだろう)、まだ恋愛関係の状態ならば思い込みが激しすぎるし、これって人間を描く作家としては致命的ではなかろうか… 偽善者ではない、というのは、彼が意外なことに田山花袋の書いたような自然主義文学に批判的であったことから窺い知れる。自然主義文学は人間のありのままの姿、人に見せたくないエゴイズムや自分で直視したくない本能などを余すところなく表現するものだが、作家と作品との間には看過しがたい溝がある。「自然主義文学者たちが自己の、人間の負性を描きながら、しかし書いている自身の正義と知的優越とは少しも疑わなかったのは、明治の知識人としてはごく自然なことであっただろう。しかしそのために「文学者」としては一つの矛盾を見せる事となった。世間からの脱落者、余計者を標榜する人が、同時に奇妙なエリート意識から自由でなかったのだ。そこには意識無意識のうちに、文学芸術は俗人の窺い得ぬ神聖な職務だという矜持が働いていたのであろう」(解説より)。しかし近松にはこのような矛盾はない。そもそも彼は『疑惑』の中でこう言っている。「勉強するのが何だ? 勉強ということは西洋人の書いた小説を読んだり、自分でも小説を書いたりすることだろうか。それが其様なに高尚な職業だろうか。私には、それよりもお前の行先を捜すことが、生きて行かねばならぬことの唯一の理由である」(『疑惑』)。彼は文学によって自分の生が救済されるなどとは微塵も考えておらず、自然主義文学者のように、駄目で、どうしようもない人間、気持ち悪ささえ感じさせる私小説を書いておきながら、他方で立派な「文学者」という自己認識を持っていたのでもなく、書いているものにも、書いている自分にも嘘をつけなかった。愛していると思ったらどこまでも追いかけることしかできず、恋愛も社会生活もどうにもならない自分を偽ることもできなかった。自分を偉い人間とは少しも思っていない。

 さらに近松自然主義文学を批判して、自分のプライベートを公にして飯を食うことなど耐えられないとも言っている。その「耐えられないこと」を敢えてして「小説家としての地位を確立した」(作者案内)のは非常に皮肉なことだが、なぜ自身の否定しているような作品を書くに至ったのだろう。ネタに尽きたのか、逃げた女たちへの恨みを、自分の不幸の耐え難い苦しみを吐き出さずにはいられなかったのか、それとも単に貧しさのためか。

 創価女子短大の板坂元教授は、ハーバードで日本の近代小説の授業をするときには近松の小説を使うのが便利だったという。海外の学生に日本文学の特色の一つである「嫉妬」とは何かを理解させるのにふさわしかったらしい。興味深い話だ。自分の持っていないもの、自分が喉から手が出るほど欲しているものを他人が易々と手に入れているのを見て覚える感情は、jealousyとは違うのだろうか。それとも日本文学で描かれる嫉妬と海外の文学で描かれる嫉妬とは違うのだろうか。

 ちなみに近松の次女である徳田氏によると、妻に去られた後の近松はマッサージ師の女性と結婚し、子供をもうけ、大変いい父親になったそうな。現代のストーカーもキャバ嬢を悩ませるクソ客も、いい女性と結婚して子供でも出来たら、もしかしたらいいお父さんになる、かもしれない。