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雑記

祖母から聞いた戦争の話

 昨日祖母から聞いた話を、忘れないうちに書き留めておく。自分の身近な人から戦争の話を聞くのは初めてだったからだ。

 私の祖母は1929年生まれで、今年92歳になる。母方の祖母だ。父方のほうはどちらもすでに他界している。祖父は私が中学三年生の時、60代で亡くなった。祖母は私が確か27、8歳の時亡くなった。祖父は鉄工所で働き、戦時中は海軍に所属していた、とだけ聞いたことがある。祖母については分からない。二人ともそういう話を全くしない人だった。母方のほうの祖父、私の母の父親にあたる人は、母が10歳の時に白血病で亡くなっているので、そういった話を聞きようがないのだが、営林署のようなところに勤めていたらしい。

 祖母は徐々に痴呆が進行しつつあり、幻聴を口にしたり、最近のことをすぐ忘れてしまったりするのだが、痴呆症の症状としてよく聞くように、大昔の記憶ははっきりしている。なぜ昨日突然祖母が戦時中の話をし始めたのかは分からない。ほんの少しだけのエピソードだが、聞いたままを残しておきたい。

 祖母は16歳の時に終戦を経験した。その終戦直前、神奈川で祖母の兄が働いており、学校に行きたいのならこちらへ来い、と言われた。行きたい気持ちはあったが、兄にいつ徴兵がかかるか分からない。それでも行こうと思った祖母は、青函連絡船と汽車を乗り継いで、何日もかけて神奈川までやってきたのだが、運の悪いことに予想があたり、辿り着いた時にはすでに兄は徴兵されてしまっていた。

 そこで空襲を経験する。爆撃機はサングラスをかけたパイロットが見えるほど低空飛行をしている。走って逃げる途中、祖母は驚きのあまりその爆撃機を、サングラスをかけたパイロットを立ち止って見てしまう。周りの人に危ないから早く逃げろと怒られ、神奈川の200人ほどが入れる防空壕に命からがら逃げ込んだ。

 戦争が終わり、他に身寄りもなく北海道へ帰ろうとした祖母は、いくつもの死体を踏んで東京の上野駅へ向かった。上野から北へ向かう汽車が動いていたことにまずびっくりした。汽車はとても入り口から入れないほどすし詰めだった。当時の車体は窓が大きかったので、周りの人に手伝ってもらって窓から汽車に乗り込んだ。負けた日本人は誰も暗い様子で立っているのだが、座っているのはみな中国人で、とても自信ありげにしていたと祖母は話す。そんな中でも親切な人がいて、唐辛子をくれるのだが、いくらお腹が空いていても、唐辛子などとてもそのままでは食べられない。でも中国人はみなおやつのように唐辛子を食べる。祖母はそれを見てとても驚いたと言う。

 何とか青森に着き、青函連絡船に乗るのだが、当時の青函連絡船は屋根などない、小型の舟のようなものだった。戦争が終わったのは事実だが、いつまた爆撃されるか分からない、その時のために手足に浮き袋のようなものをつけさせられたのが本当に怖かったと言う。浮き袋をつけていれば万一爆撃されて海に放り出されても、すぐに溺れることはないが、太平洋のほうに流されてしまったら終わりだ、と祖母は死を覚悟した。

 その後何日もかけて列車に乗り、祖母は何とか北海道の元の家に戻ることができた。そんな、間一髪で何とか生き残ることができたという経験を何度かしたと言う。

 これが昨日祖母から聞いた話だ。他にも、日本人が韓国人をいじめる、それを見て警察がやってくる。いじめていた日本人が逃げ、どこかの家の人に、追われているから匿ってくれ、と頼む。頼まれた人が追われている人を隠してやるのを見た、と話していた。これは戦時中のことなのか、戦後のことなのか分からない。ああいうふうに人をいじめるのはいけない、と祖母は言った。

 祖母は左手が少し上に曲がっている。勤労要員として縫製工場で働いていた時、裁断機で手首を深く切断してしまい、応急処置的にその場で縫われたのがそのままになっている。これは私が子供の頃、何も知らずに「なんでばあちゃんは手が曲がってるの?」と訊いた時に答えてくれたことだ。しかしこの事故もよく考えたら、もう少しでも深く切っていれば、すぐに縫って止血することができなければ、祖母は死んでいたかもしれない。幸い特に神経など後遺症は残らなかったのだろう。曲がってはいるが、指は正常に動くし、裁縫の得意な祖母はその後も趣味と実用を兼ねて服や巾着などの小物を作り続けた。今でも作りたい気持ちはあるけれど、目が悪くなったのでちょっと無理だな、戦争は絶対に、もう二度とやっちゃいけない、と祖母は言った。

そんなジョイスに騙されて~第10回ユリシーズ読書会・第1部まとめと感想

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 第3挿話精読の途中だが、12月6日に行われたユリシーズ読書会(第9挿話の回)の第1部の主催者発表を少しまとめて文章化し、適宜感想などをつけてみた。内容は以前にツイッター上で公開したもののほぼコピーだが、参加者の方々の中にはツイッターを使っておられない方もいるし、ツイートだと流れてしまうので、ブログに載せたほうがいいというご意見を頂いて。
(普段よりは短いです(笑)。第3挿話はもう少し時間をください… いつも見てくださっている方々、本当にありがとうございます。)
 例によって引用は柳瀬訳より。

 初めは小林さんの、ep.9における内容面についての発表。ジョイスの生きていた当時のシェイクスピアを巡る言説まで予習では追えなかったので、ありがたい。まず、図書館グループ達(ラッセル、エグリントン、ベスト氏)のシェイクスピア崇拝的な観点対スティーヴンの人間シェイクスピア的な観点という見方について説明される。ちなみに読書会では図書館グループの「3人」を図書館長リスター、エグリントン、ベスト氏とする見解で、スティーヴンと図書館の3人をプラトン派とアリストテレス派に分けると、プラトン派は図書館グループで、アリストテレス派はスティーヴン、という意見を私が出したわけだが(笑)、私は図書館グループ(プラトン派)がラッセル、エグリントン、ベスト氏の3人で、リスターはどちらかというと中庸の位置にいるのでは、と考えている。
 アイルランドにはまだ「サクソン人シェイクスピア」に並ぶ人物がいない(ep.9、p.317)、という登場人物の発言の背景には文化的ナショナリズムがあり、更にその背景にはアイルランド文芸復興運動がある=文化的な側面からナショナリズムを打ち立てようとしていたという二項対立的な状況があったこと、アイルランド的なものがある意味ロマン主義的(イデア論的)なものであったこと、それに対し、文化は様々な他国の影響を受けて造られていくものでありながら、アイルランドという辺境性に凝り固まっている文芸復興へのジョイスの懐疑・嫌悪があったという一連の流れが非常に分かりやすかった。当時の支配的な考え方は、エグリントンの言うようにハムレットシェイクスピアを反映したキャラクターであり、ロマン派的天才は実人生や現実を超越しているというものだったが、スティーヴンはそういったシェイクスピア崇拝や天才の概念を転覆しようとし、シェイクスピア作品にはシェイクスピアの実人生や過去が反映されているとする。このロマン派的天才という考え自体がある種プラトン的、イデア論的だな、と思った。シェイクスピアの作品創作はイデア界から得られたもの、普通の人間では到達できないところからその想を得ているという考えが感じ取られる。
 シェイクスピアの作品の根元を人間シェイクスピアに求めるスティーヴンの考えはアリストテレス的で、実人生が質料(可能態)、作品が形相(現実態)であり、シェイクスピアが「寝とられ亭主」であり、年上の女性と結婚したという説を持ち出すことで、シェイクスピアは性的劣等性を植え付けられており、ハムレット父王がシェイクスピアの反映であると考える。ハムレット父王の王位の剥奪や、妻を弟に取られたのは、シェイクスピア自身にその経験があるから(シェイクスピアの人生の反映)とスティーヴンは考えている。スティーヴンの、ハムレット父王=シェイクスピア、母=アン、ハムレット=ハムネット(シェイクスピアの亡き息子)という当てはめ方には、エディプス・コンプレックス(母と結ばれようとして父を殺す、対立する)の影響が見られる(フロイトなどの新ウィーン学派的考え)とエグリントンによって批判されているが、スティーヴンはそれを否定する。この辺がなぜだろう? と思った。単にそこから先の自説を展開したいからか、エグリントンによって既説に回収されたくなかったからか、自身のエディプス・コンプレックス的なものを感じていて、それに対する反感か…?
 そしてスティーヴンは「幽霊とは? ハムネット王とは?」と問う(ep.9、p.322)。発表では、亡霊とは、死して尚生者に対し影響力を持つものとして考えられるとする(cf. 『ダブリナーズ』の「死者たち」「姉妹たち」。「姉妹たち」、読み直さなければ…)。つまり、現在に憑りつく過去=トラウマの一つであるとし、楽しい過去も一種の亡霊として考えられるのではという指摘されている。ここで「亡霊」という言葉の持つ意味範疇が拡大されているのはとても面白い。当時の文学者たちも、私たち現代人も、シェイクスピア以降の文学者は何を天才シェイクスピアの後に描けばいいのかという問題に答えなければならない。
 第二の問題として、『ハムレット』の自己言及性の問題があげられている。ベスト氏が発言しているように、「(シェイクスピアは)己の書を」読んでいる(ep.9、p.320)。つまりシェイクスピアは自己言及している、自分自身について書いていることがテクストに明示されている。ここで自己言及性についての説明。自己言及性とは「テクストがテクストそのものを反映・言及すること。すなわちテクスト、語りの中でみずからの物語の起源と構成について語ること」(川口喬一、岡本靖正編『最新 文学批評用語辞典』研究社、1998より)。これはある種の入れ子構造(作品内の人物がその作品自体に言及したりすることで、作品を「作品」が覆い包んでいる、ということですね)で、ポストモダン小説を論じる時にこの言葉が使われがちとのこと。発表ではこれまで作品に出てきた「輪廻転生」(柳瀬訳では「輪廻転生」という言葉そのものは、あるかもしれないが見つけられなかった。「会者定離輪廻」ep.4、p.115他)、「視差」(ep.8、p.266)、「回顧整理」(eg. ep.6、p.161)に着目し、「ユリシーズ」はオデュッセウスラテン語名であることから、ブルームはユリシーズ(オデュッセウス)が輪廻転生した存在であるという考えを打ち出している。
 同時に、『ユリシーズ』にはそれ自体の構成・読み方、解釈の仕方、原理を自ら説明するメタ的な単語が散りばめられているとする。それはスティーヴンのシェイクスピア論 (『ハムレット』はシェイクスピア自身について書かれた作品)からも導き出され、ひいては『ユリシーズ』がジョイス自身について書かれた本、という考え方へと繋がる(テクスト自身についての二つ目の反映性が明らかにされる)。つまり、『ユリシーズ』にはジョイス自身の実人生や過去が反映されているのではとのこと。このように、ep.9ではスティーヴンの『ハムレット』におけるシェイクスピアの実人生の反映と、『ユリシーズ』のジョイス自身の人生の反映という二つの反映が見られる。またエグリントンは、シェイクスピアは過ちを犯した(アンと結婚したこと)とするが、スティーヴンは「天才は過ちを犯しません。天才の過ちは有意のもので、発見の入口です」(ep.9、p.325)と反論する(ここは「でも失うことが彼には利得なので」(ep.9、p.336)という記述にも繋がるかと考えられる)。この言葉にはコンテクストが重要で、直前にスティーヴンの母の臨床の床についての記述があり、スティーヴンは死んだ母のことを思い出している。天才がやることは全て作品に何らかの影響を及ぼしている、過ちであってもそれは作品に影響を及ぼす、作品を生み出す原動力とスティーヴン(ジョイス)は考えている、と指摘される。
 さて、ここでシェイクスピアの「過ち」とは、スティーヴン曰くアンによってもたらされた性的劣等感、弟に妻をとられたことだが、スティーヴン/ジョイスの「過ち」とは?という話になる。それは母の最期の願い、臨終の祈りを拒否したことであり、スティーヴンは過ちによって良心の呵責にとらわれているが、それによって自分もシェイクスピアのように作品を生み出すことができるという自己正当化、ある種の自己弁明とも読めるとする。
 最後に、人類に共通する過ちとは(キリスト教圏においては)原罪である。ここで、キリスト教的な原罪と、個々人の犯す「元々の罪」についての言及がなされる。人類の歴史はある意味楽園追放以降のものである一方、原罪以降の世界、シェイクスピアが『ハムレット』を書く以前、ハムレットが父王の亡霊と出会う前に犯された「罪」「過ち」があるのではという問いと同時に、ジョイスが『ユリシーズ』を書く以前に、スティーヴンが母の亡霊と出会う前に犯された「罪」「過ち」があるのではという問いが提示される。ここでもシェイクスピアジョイスハムレットとスティーヴンとのある種の対応関係があると見てとることができる。改めて考察し直すと、ep.9以前に『ハムレット』を「幽霊譚」として読む「議論」は既に始まっているとも言えるとのこと。つまり、ep.9は『ユリシーズ』全体の構成を自己反映的に明らかにしており、『ユリシーズ』は作者=ジョイス自身について書かれた本であると語られる。
 エグリントンは「真理は中庸にあり」(ep.9、p.360)、「彼は亡霊であり王子だ」(ep.9、p.360)、「彼は全てにおける全てだ」(ep.9、p.360)と論争をまとめ、スティーヴンもそれを認める。亡霊と王子という関係は、父と息子という関係と結びつき、三位一体の問題にも繋がると指摘される。先の「罪」の話に戻ると、ジョイスがスティーヴンでありブルームでもあるとすれば、「楽園」はep.8でのホウスの丘の記憶(ep.8、pp.298‐299)になぞらえられ、その意味で「原罪」は既にジョイスの実人生にも起きていたとする。「彼は現実態としての外界に、可能態としての己の内なる世界を見出した。メーテルリンクは言っています…あらゆる人生は数多の日々です、明けては暮れる日々です。ぼくらは己自身の中を通って歩いていき、追剥ぎ、亡霊、巨人、老人、若者、人妻、後家、色事仲間に出会う。しかしつねに己自身に出会う」(ep.9、p.361)。事実、スティーヴンはこの挿話の最後で二人(スティーヴンとマリガン)の間を通り抜けて行き、頭を下げて、会釈するブルームに出会い(ep.9、p.369)、その直後に鳥占いをしていたかつての自分に「出会」う(「ここで鳥たちを眺めて占ったっけ」(ep.9、p.369)(『肖像』第5章))。スティーヴンは図書館の外で鳥占いをしていたことを思い出しており、それによってかつての自分に出会っていると指摘されている。
 現在のスティーヴンが未来の自分(=ブルーム)と過去の自分(母が亡くなる前に鳥占いをしていた自分)の間、その「中途の地点」にいるという意味で、ep.9でのスティーヴンは二つの巨岩「スキュレーとカリュブディス」の間を通り抜けて行く存在であることを示唆している、というお話だった。この辺、ep.3で世界を認識しようとしながら自身の思索世界を逍遙するスティーヴンの試みがテキストとして明示されているのでは? さらにその間を通り抜けるブルームによって物語が進展しているのでは? と思いました。
 一人間としての作家、過ち、罪、といった点でシェイクスピアジョイスシェイクスピア作品と『ユリシーズ』、『オデュッセイア』と『ユリシーズ』が重ねられていることがテキストを軸にまとめられている。すごい。

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ハムレットといえばこれ。ミレーの『オフィーリア』(1851-1852)*2

 南谷さんの発表は、ep.9の語りについて。その読みにくさの説明と、それが何を意味し、何を読者に求めるか、私たちはどのように読めばいいのかについての、先行研究を元にした指摘とアドバイス。冒頭からの分かりにくさは、この挿話のCypherjugglers(「暗号曲芸師」、ep.9、p.333)のいたずらに惑わされず、それを読みとくことを要求し、Mocker(「嘲笑う者」ep.9、p.337)に代表されるような「アレンジャー」の存在を示唆しているとのこと。前へ、後ろへと繋がる「穴」が「発見の入口」(ep.9、p.325)となる。「外=前後の各挿話」を参照すること「裏=膨大な背景知識」に広がる世界と、「横」からの茶々=Mockerに着目することが大事というお話。
 アレンジャーについての概念だが、作品内で何か妙なことが起こったり、テクストの分断や意味を持っているのか持っていないのかわからない挿句が見つかった場合、そういった「変さ」を何でもかんでも「それはアレンジャーがいるせい」と考えて終わらせないことが重要だな、と思った。「この言葉、文章、何か変」→「アレンジャーがいる!」→「ここでアレンジャーが出てきた理由は? 作者はどのような効果をもたらすことを意図してここにアレンジャーを入れたのか?」というように、「アレンジャー発見!」の先へ進まないと、『ユリシーズ』はアレンジャーがいるというだけの作品になり、思考停止してしまう。発表内で言われていたように、前後の挿話や、そのテクストの裏にある膨大な知識を参照することは、「なぜここでアレンジャーが出てきたのか?」の問いに答える一端になるとも思う。また、読書会のディスカッションでは、「アレンジャー」を表すのに「アレンジャー」という言葉は弱い、もっと暴力的で、可能態が現実態に変わるときのようなダイナミズムを表す表現が適切なのでは、という非常に面白い指摘があった。これに関して主催者の方は、この先の挿話でもアレンジャーは出てくるので、その中でのアレンジャーの出現を見てから名称については検討したほうがいい、とのこと。
 発表の骨子そのものとは関係ないが、スライドで見た引用を改めて見直すと、"The mocker is never taken seriously when he is most serious. They talked seriously of mocker's seriousness."(「戯れ者は本気で真面目になると決して真面目に受取ってもらえないからね」(ep.9、p.339))、「美の感覚はぼくらを迷わせるからね」(ep.9、p.348)、語りの形式が語りの内容そのものになっていること(形式=内容)、といった文章や特徴がすごくワイルドっぽく感じた。
 最後の、主に第9挿話に出てくる著作家・文学者たちを中心にした3D年表のクオリティが、Eテレを超えるんじゃないかと思うほどすごい。他の方がコメントしていたが、途中でぽっかり穴があいている。ジョイス古今東西、あらゆる年代の哲学者・思想家や文学者を『ユリシーズ』の中に取り込んだわけではない、ということが分かる。それは誰なのか? いつの時代なのか? なぜジョイスは「そこを抜かしたのか」ということを考えるのも面白い。
 

 今回、平繁さんは論文書きが超多忙ということでお休み(残念…頑張ってください!)。

渚のジョイス~第4回ユリシーズ読書会メモ・パート2

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(この記事は2019年10月に開催されたユリシーズ読書会参加にあたって調べた内容を、2019年12月~2020年10月の間にまとめたものです。現在、読書会はオンラインで継続して開催されています)。

 「京都から深夜バスで東京までやってきて、未曽有の重量のカバンを持ち、ネットカフェを転々としながら読書会に参加した」者の、ユリシーズ読書会第4回(第三挿話・2019年10月20日開催)の予習&再調査のメモ・パート2です。この挿話ではスティーヴンの浜辺散策中の思索の変遷が描かれているため、一度にすべてを調べると半年以上かかると判断し、数パートに分けて掲載することにしました。

・この読書会に参加するにあたり、私のような予習や調査は必要ありません。柳瀬氏の訳による『ユリシーズ』を読み、何となく気になったところや分からなかったところなどを頭の隅に留めておくだけでOKです。どういう点に着目すればいいか、などのアドバイスは、事前に主催者の方がメールで送ってくれたりもします。とにかく気軽に読んで、気軽に参加し、気軽に発言してみてください。読書会の趣旨や雰囲気については、上記サイトまたは同サイト内で紹介されている他の参加者の方々のブログなどを是非ご覧ください。

 スティーヴンの思索の絶え間ない変遷に伴い、わたしの調査や考察も四方八方に広がってしまいました。ほぼすべての文章で「引っかかって」しまっているので、興味がおありのところを中心にご覧いただくことをおすすめします。

(読書会で作成される言葉の地図の略称に合わせ、柳瀬訳をU-Y、丸谷才一らによる鼎訳(集英社文庫版)をU-Δと表記し、その後にページ数を書いています(挿話番号はページ数の前に表記されています)。ガブラー版はまだ持っていないため、引用部分を表記できません(申し訳ございません)。グーテンベルクのものを参照しているため、ガブラー版との差異が生じている可能性があることをご了承ください。)

 

 念のため、パート1のリンクを。

cafedenowhere.hatenablog.com

  

 では早速。

 

<U-Y 75‐76 ~石部金吉、ゴンドラ漕ぎ、泣く神とイエス~> 

・U-Y 75「若き石部金吉といくんだ」

 U-Δ103「おりこうでとんまな若者らしく振舞おうぜ」

 “like a good young imbecile”

 →goodは「立派な、善良な、利口な、親切な、元気な、優秀な」等の意味で(この他にもあり、こういうシンプルな言葉は文脈によって様々な意味を持つので注意したい)、imbecileはばか者、愚か者の意。スティーヴンは金を使い過ぎないようにしている。舟(シップという名の酒場)でどうふるまうかを考え、金は無駄遣いせずとも、周りのばか者や友人のばか騒ぎにはのってやろう、という意味だろうか。「石部金吉」という言葉は厳密な意味を知らずとも何となく雰囲気が伝わると思うのだが、ちょっと言葉としては古い(昔の人にはなじみのある言葉かもしれない)。調べてみると、「(石と金の二つの硬いものを並べて人名のようにした語)非常にきまじめで物堅い人。特に、娘に惑わされない人、融通の利かない人」の意とのこと。U-Yにはimbecileの意味が入っていない。「石部金吉」で「くそ真面目、馬鹿みたいに真面目」という意味を出したかったのだろうか? ただ、金の使い過ぎには注意しよう、財布の紐は簡単にはゆるめまい、というニュアンスは伝わる。U-Δのほうが、説明的ではあるがニュアンスも含め原文に近い感じがする。

 

ここからスティーヴンとスティーヴンの父(サイモン)とスティーヴンの叔父(リッチー)のいつも発しているような言葉がスティーヴンの意識の中でまじり合う

 

・U-Y 75-76「歩みがのろくなる。ここだ。セアラ叔母さんのところへでも行くか? おれと同一実体の父の声。近頃、文士先生のスティーヴンを見かけたか? 見かけん? まさかストラスバーグ高台のサリー叔母の所にいるんじゃあるまい? あいつももうちと高台なる志を抱けぬものかいな。でででで、スティーヴン、サイ伯父は元気か? ああ、ありがたくてめそめそ泣けるね、ああいうのと縁続きになっちまって! 坊主どもは秣棚だ。飲んだくれのちんけな代言銭せびりに弟はコルネット吹き。たいそうご立派なゴンドラ漕ぎどもだよ! それにやぶにらみのウォルターがあの父親になんと様づけのお行儀だ! お父様。はい、そうです。いえ、違います。イエス泣き給えりか。そりゃそうだろう、耶蘇めそ泣けるって!」

 U-Δ103-104「彼の歩みが遅くなった。ここだ。セアラ叔母さんの家へ行くのか行かないのか? ぼくの同一実体の親父の声が聞こえる。このごろ、芸術家のスティーヴン兄さんの影かたちでも見かけるかい? 見かけない? まさかストラスバーグ台地のサリー叔母さんの家じゃああるまいな? あれも、もうちいっと高いところを飛べないものかねえ、ええ? そんで、そんで、そんで、そんで、どうだい、スティーヴン、サイ伯父さんは元気かね、ってんだろう? まったく神様も泣きますよ、結婚したおかげでとんだ連中と親戚になっちまったなあ! むすごらは納屋の二がいか。飲んだくれのけちな訴訟費用見積人にコルネット吹きの弟ときた。真っ当しごくなゴンドラ船頭さ。そのくせ、やぶにらみのウォルターはてめえの父親に、なんと、です、ます調だからねえ。お父さん。そうです、お父さん。違います、お父さん。イエス涙を流したもうってな。無理もないやね、キリストにかけて言うけどさ!」

 “His pace slackened. Here. Am I going to aunt Sara's or not? My consubstantial father's voice. Did you see anything of your artist brother Stephen lately?  No? Sure he’s not down in Strasburg terrace with his aunt Sally? Couldn’t he fly a bit higher than that, eh? And and and and tell us, Stephen, how is uncle Si? O, weeping God, the things I married into! De boys up in de hayloft. The drunken little costdrawer and his brother, the cornet player. Highly respectable gondoliers! And skewed Walter sirring his father, no loss! Sir. Yes, sir. No, sir. Jesus wept: and no wonder, by Christ!”

 →「文士先生…アイルランド英語で「詐欺師、ペテン師」の意味がある。/ストラスバーグ高台…当時の漁村アイリッシュタウンにあった。/セアラ叔母さん…サリーはセアラの愛称。/あいつももうちと高台なる志を抱けぬものかいな…もう少し上品な人たちとつきあえないものか。ディーダラス(ギリシア神話ダイダロス)の飛翔とストラスバーグ台地の高さをかけて。/でででで…スティーヴンの父親サイモン(通称サイ)が義弟リチャード(リチー)・グールディングの口癖をまねて嘲笑する。セアラ(サリー)はその妻。/たいそうご立派なゴンドラ漕ぎどもだよ…ギルバートとサリバン合作のコミックオペラ『ゴンドラ船頭』(1889)の台詞から」(U-Δ注)。

 slackenは「(速度など)弱める、のろくなる、ゆるまる、減じる」の意。“aunt Sara”(セアラ叔母さん)で思い出したのだが、いつも「叔父・叔母」と「伯父・伯母」の違いを忘れてしまう。「叔父・叔母」は父母の妹または弟。「伯父・伯母」は父母の兄または姉のこと。セアラ叔母さんがスティーヴンの両親のどちらの妹なのかははっきりしないが、サイモンがリッチーの悪口を言っていることから、スティーヴンの母親の妹なのではないだろうか?(つまりサイモンとリッチーの間に血のつながりはない)brotherは「兄弟分の仲間、同胞、同一教会員、聖職につかない修道僧、平修士、相棒、だんな」等の意味がある。“your artist brother”をU-Yでは「文士先生」、U-Δでは「芸術家」と訳しているが、U-Yのほうはからかい、嘲笑、皮肉のニュアンスが感じられる。一方で、U-Δではbrotherを「仲間」の意味でとっていたとしても、この部分には反映されていない感じがする。その後の「スティーヴン兄さん」のほうに反映させたのではないかと思うが、父が誰かに息子のことを訊いている文脈だと考えると、やはりあまり適切ではないのでは、という気がする。それともこの「兄さん」にも何かからかいめいた響きを持たせているのだろうか。“Sure he’s not down in Strasburg”のdownは「南へ、離れて」などの意味があるが、「(主にアイルランドで)Away from the city」という意味があり、これは南北に関係がないらしい。“Couldn’t he fly a bit higher than that”の部分だが、U-Yでは「あいつももうちと高台なる志を抱けぬものかいな」とし、U-Δでは「あれも、もうちいっと高いところを飛べないものかねえ」としている。もちろんU-Yのこの部分の「高台」は「高大(高く大きいこと、たいそう優れていること)」にかけている。U-Y.74-75で、「高台」は三回繰り返されている。U-Δ注ではサイモンがスティーヴンに「もう少し上品な人たちとつきあってほしい」と望んでいるというような解釈だが、U-Yではサイモンがスティーヴンに「もっと高い志を抱いてほしい」と思っているような訳になっている。「高大」を「高台」としたことで、もしかしたらダイダロスの飛翔の含みも入れているのかもしれないが、少なくともU-Δ注で述べられているような「もっと上品な人とのつきあい」を望むニュアンスは感じられない。サイモンは息子スティーヴンに詩人になる以上の志を求めているのだろうか? サイモン側からの父と息子との親子関係は今まで全くと言っていいほど触れられていないので、今後の描かれ方が楽しみでもある。また、ここまでのスティーヴンの想像する父は、一体誰に向かってスティーヴンのことを話していると想像されているのだろうか? 

 “And and and and tell us, Stephen”の部分だが、Andの繰り返しとマナナーンとの繋がりはパート1の記事で少し触れた。この部分をU-Yでは「でででで」と訳し、U-Δでは「そんで、そんで、そんで、そんで」と訳している。andの繰り返しがマナナーンという言葉に見られる波の形を連想させるとすれば、ここは「でででで」のほうがその連想に対応する表現としてU-Δよりふさわしい。読書会ではこの「でででで」の「で」の字を右に90度回転させると波のような形になる、ということが指摘されていた(偶然なのか意図してなのかは分からないが、本を回転させてまで隠れた意味を読み取ろうとしたことにとても驚いたと同時に、凄いな…と思わざるを得なかった)。そして、“tell us”なのだが、ここはなぜtell meではないのだろうかと思い、調べてみたところ、usは口語で通例命令文の中で「私に、私を」という単数の意味をも持つらしい。用例を調べてみたところ、ジョイスの「遭遇」(“An Encounter”、『ダブリン市民』収録)のなかで、“tell us”を「ねえ」と訳しているものがみつかった*1のだが、ざっと目を通したところ実際に「ねえ」と発話しているのはマホニーと呼ばれる少年で、「ねえ」と呼びかけられた男に対し語り手である少年とマホニーとが言葉を交わしているようなので、この部分でusを単数ととらえていいのかは何とも言えない。ちなみに、柳瀬訳の『ダブリナーズ』でこの部分は「それじゃさ」と訳されており*2、安藤一郎訳の『ダブリン市民』では「そんなら」と訳されている*3。日本語の問題でもあるが、特に命令文で「誰に」というのは明示されないことが多いので、この部分については文脈でそれぞれ訳者の解釈により表現を考えるよりほかなく、とりあえずusが命令文の中で単数をも示しうる、ということだけ頭の片隅に入れておこうと思う。ちなみに、関係はないと思うが、Tellus(テルース)(またはTerra(tera))はローマ神話で大地の女神のことだ*4

 weeping Godは熟語か慣用句かと思ったのだが、そうではないらしい。神は泣くだろうか? 聖書でGod(父なる神)は、特に旧約で「怒る」「嘆く」などと描写されることはあるが、「怒って顔をしかめる」「嘆いて頭を抱える」といった人間的な動作はせず、その感情を人間の世界に対する災いや異変でもって示すことが多いのではと思う。この点について「ギリシャ哲学の理解に基づいた伝統的なキリスト教の考えでは、父なる神が他のすべての存在・実体から完全に無関係であることを要求し、それによって神が「感情を持たない」存在でなければならない、無感覚でなければならないということを前提条件とすべきと考える人々を生み出すこととなった……ゆえに、すべての被造物の行いや状況に対し、神が心に悲しむことは不可能である、ということになる……『オックスフォードキリスト教辞典』(The Oxford Dictionary of the Christian Church)では、「この理論は……ギリシア人の哲学的神学内での定義であり、キリスト教の源泉におけるその基礎は、恐らくギリシアの影響に直接的に起因するものである」としている。つまり、これ(神は被造物とは無関係であり、感情を持たないという考え)は、聖書固有の教えというわけではない――聖書と混交した人間の哲学とでもいうべきものである」*5という説がある。ちなみに、ジョセフ・スミス・ジュニア(Joseph Smith , Jr. 1805-1844、モルモン教の設立者)による『モーセ書』第7章.28には、“And it came to pass that the God of heaven looked upon the residue of the people, and he wept”(「すると、天の神が民の残りの者を見て泣かれた」)という記述がある*6。この部分は、「ああいうのと縁続きになってしまった」という状況に対し「神ですら泣く」という嘆きの強調で、それ以上の意味を持たない会話上の言葉なのか、あるいはジョイスがこのモルモン教の『モーセ書』を参考にしたものなのか、それともまた別の解釈があるのだろうか。

 thingsは「(軽蔑、非難、称賛などの意を込めて)(口語)人(主に女性、子供)」とある。“marry into”で「…と姻戚になる(姻戚は婚姻によってできた血のつながりのない親戚のこと)」の意。Deがtheの方言であるという記載は辞書にもなく、参考サイトにも説明はなかったが、黒人の話し言葉をそのまま(音で聞いたまま)文字に起こした作品(チェスナットの“The Goophered Grapevine”の中に、明らかにTheをDeと発音しているのをそのままDeと表記している記述が見られた*7)。hayloftは「干し草置場、(一般に馬小屋、納屋の屋根裏)、秣置場、upper storage of a barn used for storing hay」の意。この部分だが、なぜ息子たちは納屋の2階にいるのだろうかと思った。彼らは家畜を飼っているのだろうか? または他に藁を使う生活上の必要があるのだろうか? 

 costdrawerは“cost drawer”で、“(In later use chiefly in Ireland) a person who draws up a solicitor’s bill of (legal) cost”(法的費用の請求書の文書を作成する人)で、solicitorは「(事務)弁護士(法律顧問を務めたり、法廷弁護士(barrister)と訴訟依頼人の間に立って裁判事務を扱う弁護士で、上位裁判所の弁護は不可)」という意味らしい。このcostdrawerをU-Yでは「代言銭せびり」と訳しているが、代言人とは弁護士の旧称のこと。「代言銭」という用例は他に見当たらなかったのだが、代言人という言葉が分かれば代言銭が弁護士費用を指すであろうことは予測できる。U-Δではそのまま「訴訟費用見積人」としているが、その前に「飲んだくれのけちな」とついていて、明らかに口語体で悪口を言っている中でこういう硬い言葉が出てくるのが不自然に感じる。ただ、やはりU-Δのほうが正確性は高く、U-Yのほうがニュアンスは近い。この“The drunken little costdrawer and his brother, the cornet player”の部分だが、その前に「坊主どもは秣棚」と言っているので、最初リッチーの二人の息子たちのことを指しているのかと思ったが、違うようだ。代言人はリッチーのことなので、コルネット吹きはここに出てきていないが彼の弟のことを指しているのではないかと思う。グールディング家の家族構成がよく分からないので(息子は二人だけなのか?とか)、もう少し知りたい。「秣棚」という言葉は辞書にはないが(秣という言葉はある)、調べてみると他の文学作品等でもこの言葉は使われているようだ。

 “Highly respectable gondoliers”についてだが、U-Δ注を補足すると、ギルバートとサリヴァンの喜歌劇『ゴンドラの漕ぎ手、またはバラタリアの王』(1889年、ロンドンで初演)の中の、ドン・アルハンブラのアリアにこの台詞が出てくる*8。内容が面白いので、本筋には関係ないが(今に始まったことではないが)以下に紹介しておく。「ヴェニスの二人のゴンドラ漕ぎ、マルコ・パルミエーリとジュゼッペ・パルミエーリは、優しい気性と男性的な美しさから女性に大人気だった。二人は自分たちと結婚したいと思っているたくさんの女性たちの中から一人ずつ選んで結婚する。ある日、スペインからプラザ・トロの公爵が、公爵夫人、その美しい娘カシルダと、公爵の持つ楽団の鼓手ルイスを連れて、ヴェニスにやってくる。公爵夫妻は宗教裁判所長、ドン・アルハンブラ・デル・ボレロと話しに来たのだが、その事情を娘に話す。カシルダは六歳の時、バラタリアの王の息子と結婚させられていた。しかし宗教裁判所長は、当時のバラタリア王がメソジストに改宗したことを理由にバラタリア王の息子を誘拐し、ヴェニスへと連れ去った。先日、バラタリア王が殺害されてしまったので、ヴェニスにいるはずのその息子が今はバラタリア王で、公爵夫妻は娘をその王子と会わせるため、宗教裁判所長を訪ねてヴェニスまでやってきたのだった。カシルダはその事実を今まで秘密にされていたこと、自分の同意なしに結婚させられていたことに憤る。しかもカシルダは鼓手ルイスと愛し合っていたのだ。宗教裁判所長がやってきて、王子は身分の低いゴンドラ漕ぎのバプティスト・パルミエーリに育てさせた、と言う。バプティストには王子とほぼ同い年の息子がいた。しかしバプティストは大酒飲みで、いつしかどちらが自分の息子で、どちらが王子だったかが分からなくなってしまっていた。少年たちは成長し、二人ともゴンドラ漕ぎ(=マルコとジュゼッペ)になる。幸い乳母(鼓手ルイスの母親)がまだ生きていた。彼女の夫は「大変立派な山賊師」(“highly respectable brigand”)だった。宗教裁判所長は乳母なら二人のうちどちらが王子か分かるだろうから、乳母を見つけ出すと約束する。後日、マルコとジュゼッペの二組の夫婦のもとに宗教裁判所長がやってきて、二人のうちのどちらかが王子なのだが、どちらかは分からない、ということを告げる。二人のゴンドラ漕ぎたちは共和主義者だったが、バラタリアへすぐ行き、本当の王が分かるまで二人で一人のように行動し、国を治めることに同意する。このとき、宗教裁判所長は、二人のうちの一人が、つまり王となるほうが重婚していることには触れなかった。離婚するのが嫌だからその件には関わらないと、二人に拒否されるのを恐れたのだ。バラタリアへ行った二人は、共和主義をもって国を治め、「全員を平等にする」と宣言し、あらゆる人々を貴族階級に昇格した。マルコとジュゼッペが宮殿のすべての仕事をしながら三か月過ごしていると、宗教裁判所長がバラタリアにやってきて、ゴンドラ漕ぎたちが国民全員を貴族階級にしたと知り、貴族と平民の階級の差の必要性を説く。「誰もが何者かになってしまったら、誰もが何者でもなくなってしまうのだ」と。そして宗教裁判所長は一方のゴンドラ漕ぎが既にカシルダと結婚していて、意図せぬ重婚をしていることを明かす。そこへ公爵一家がやってきて、自分たちの出迎え方に驚き、正式な王室の作法をゴンドラ漕ぎたちに教える。公爵夫妻が退室すると、ゴンドラ漕ぎたち夫妻とカシルダが残され、カシルダは自分にはどうしようもなく愛している人がいることを打ち明ける。それを聞いたゴンドラ漕ぎたちは、自分たちの妻を紹介する。五人は自分たちの苦境を嘆いて歌う。そして宗教裁判所長が乳母を連れてやってくる。彼女は宗教裁判所長が王子を連れて行こうとしたとき、王への忠誠を誓ってその子を隠し、代わりに自分の息子を連れて行かせたことを話す。乳母は隠した王子を自分の子として育てたのだ。つまり、王はマルコでもジュゼッペでもなく、乳母の息子ルイスということになる。これですべての人々が満足し、カシルダは自分が愛していたルイスとすでに結婚していたことが分かった。ゴンドラ漕ぎたちはルイスに王権を渡し、ヴェニスへ戻って妻たちと幸せに暮らす」*9

 第三挿話に戻ると、ここではサイモンがグールディング家の社会的地位の低さを嘲笑している。サイモンの馬鹿にしている「ゴンドラ漕ぎたち」が複数形であることを考えると、この言葉はマルコとジュゼッペを指しているように思えるが、彼ら二人は非常に立派な青年たちだ。一方で、その親のバプティストは、二人の息子のどちらが自分の実の息子だか分からなくなるほどの大酒飲みだという点でリッチーと共通点があるので、ここで言う「ゴンドラ漕ぎ」はバプティストのことを指し、リッチーに兄弟がいることから複数形にしていると考えるのが妥当だろうか(戯曲原文も単数形である)。そう考えた上で、マルコとジュゼッペの父親に対する「たいそうご立派なゴンドラ漕ぎ」という呼称に込められた皮肉は、この表現がその後の乳母の夫に対する「たいそう立派な山賊師」と同列に扱われ、GondolierがBrigandまで貶められていることから分かり、それをリッチー(と兄弟らしき人物)に当てはめている。しかし「この戯曲は喜劇的な転覆(既存の社会階級や権力の価値体系の逆転のこと。演劇等で用いられると風刺や笑いをもたらす効果がある*10)を扱ってはいるが、やはり若きゴンドラ漕ぎたちは身分の高い人間ではなく、彼らがヴェニスに戻った後、召使いたちはスペインの宮殿での元の仕事に戻り、貴族たちは「何もしない」という元の生活に戻ることで、階級の違いが「そうあらなければならないもの」として確認されている。一方で、公爵たちとゴンドラ漕ぎを分断しているのは、本質的でなく、取るに足らない些細なことにすぎないという事実も示唆されている。サイモンの皮肉は幾分ずれたもののように思える」*11との指摘がある。つまりサイモンは「本質的ではないもの」を指摘することで、その嘲笑を的外れなものにしてしまっている、ということだろう。ところで、ここに言及されているディーダラス家とグールディング家の「社会階級」の差とは具体的に何を指しているのだろう? 代々続く家柄のことだろうか? それとも現在の自分たちの家族の職業のことを言っているのだろうか?

 sirは動詞で「(人を)Sirで呼ぶ」の意。この“sirring his father”をU-Yでは「様づけ」、U-Δでは「です、ます調」と訳している。この部分だけだとU-Yのほうが原文に即しているのだが、その後繰り返されるsirに「お父様」という言葉を対応させていないので、不完全な感じが残る。対してU-Δはsirringを「ですます調」と変え、その後のウォルターとリッチーとのやり取りも「そうです」「違います」と続けており、こちらの方が自然な感じがするのだが、sirringをより反映させるとすれば、「なんとお父様呼ばわりだ。お父様。はい、お父様。いいえ、お父様」などと訳すのはどうだろうか。「お父様」の繰り返しがくどいだろうか。“no less”は「なお、その上、さらに、…に加えて」等の意味がある。“Jesus wept”は辞書によると「(間投詞)Expresses annoyed incredulity(困惑を伴う不信感・懐疑の表現)、(強い怒り、驚き、失望、苦痛など)ちくしょう、あっ」の意。また、「イギリス・アイルランド(特にダブリン、ベルファスト)・オーストラリアを含む英語圏のいくつかの地域では、何かが失敗したときや、懐疑心を表すときの軽い間投詞、他人の感じた不運な状況や自己憐憫に対する冷淡な無関心を表すときの皮肉としても使われる」との説明もある*12

 U-Δ注に基づきさらに調べてみると、この言葉は新約聖書の「ヨハネによる福音書」内の、ラザロの死から復活に至る話の中に登場する。該当する内容を以下にまとめてみる。「イエスを信じるマリアとマルタの兄弟ラザロは病気だった。マリアたちがそのことをイエスに告げるが、イエスは「その病気は死で終わるものではなく、それによって彼は神の栄光を受ける」と答える。その二日後、イエスはラザロのもとへ行くことを決める。イエスには既にラザロが亡くなっていると分かっていた。その場に立ち合わなかったのは、弟子たちが自分を信じることが目的だったと言う。イエスがラザロたちの住む場所についたのは、ラザロが葬られてから四日後だった。マルタとマリアの家にはたくさんのユダヤ人が来て二人を慰めていた。イエスが近くへやって来たことを知ったマルタは、イエスのもとへ行き、あなたがいてくれたらラザロは死ななかった、と言う。それに対しイエスは、自分を信じる者は死んでも生きること、ラザロは復活することを説く。家に戻ったマルタは、イエスがマリアを呼んでいると伝え、マリアはイエスのもとへ行く。ユダヤ人たちはマリアが墓へ行って泣くのだろうと思って彼女についていく。マリアはイエスにマルタと同じことを言い、泣くと、一緒にいたユダヤ人たちも泣く。それを見たイエスは憤り、興奮する。そしてイエスは泣く。イエスはラザロの墓のもとへ来ると、墓穴の石を取り除かせ、父なる神に、いつもあなたが私の願いを聞き入ってくださることを感謝している、私がこのようなことを言うのは、周りの人のため、あなたが私をお遣わしになったことを信じさせるためだ、と言う。そしてラザロに出てくるよう呼びかけると、ラザロはよみがえり、包帯姿で出てくる。この出来事に危機感を覚えたパリサイ派は、イエスを逮捕し、殺す計画をたてる(皆がイエスを信じると、ローマ人が来て自分たちが滅ぼされてしまうことを危惧した)。しかしユダヤ人の大祭司は預言者であったので、いずれイエスが人々のために死ぬことを分かっていた」(ヨハネによる福音書11:1-53)。この節で何故イエスが泣いたのか、についての解釈は複数ある。その中のいくつかを紹介すると、これはイエスが真に人間であることの強調だという説、あるいは人類に対する悲しみ、哀れみを表しているという説、また、人間に対する死という暴君への怒りを表しているという説、最後に、自分を信じる者が自分の説いた復活を思い出せないでいる、誤解しているから「憤って」もいるのだ、という説などがある*13

 U-Yではこの部分を「イエス泣き給えりか」と訳し、U-Δでは「イエス涙を流したもうってな」と訳している。文脈ではウォルターが父親のリッチーをサー呼ばわりしていることに対する反応なのだが、この二つの表現から先に述べたような皮肉や懐疑を感じ取ることができるかどうか。ウォルターが父親をサー呼ばわりしていることに感心しているような皮肉なら、U-Δのほうがニュアンスが比較的伝わりやすいように感じる。また、聖書の内容にこだわらず、辞書等の意味を前面に出すなら、「ほんとのとこはどんなもんかね」「まったくたまげたもんだよ」というような訳になるだろうか。あるいは、このヨハネによる福音書の内容とは少し離れてしまうが、「イエス」の名を使いつつ、皮肉を持たせるとすれば、ウォルターの行いに「イエス様も感涙にむせぶだろうよ」というような訳になるだろうか? そしてその前に出てくる“weeping God”と、この“Jesus wept”、その後の“by Chirist”は、「父なる神」と「イエス」と「キリスト」がテキスト上で分割されている状態になっているのだが、これは意図的なものだろうか。更に、JesusとChristの間に挟まれた“and no wonder”にも何かしらの意図があるのだろうか? 皮肉や懐疑のニュアンスの問題も含め、この部分だけでは判断が難しいので、次の“and no wonder, by Christ!”と合わせて考えるべきだと思う。

 “no wonder”は「なるほど、道理で、それもそのはず、もっともだ、無理もない、当たり前、もちろん」等の意味。U-Yでは「そりゃそうだろう」、U-Δでは「無理もないやね」と訳されており、どちらも辞書通りの意味だ。“by Christ”は「神かけて、きっと」という意味で、辞書の説明では、「“By Jove”“By cracky”などと同じように、驚きや賛成、強意、称賛の意を示す。このような言葉(軽い罵り、悪口)は婉曲語法として“By Jesus”“By God”などの代わりに使われた。“by cracky”は“By Christ”のくだけた表現のバリエーション」とある。この説明と文脈を考えると、「まったくねえ!」くらいの軽い訳になるだろうか。前述したように“Jesus wept”からの一文で考えてみると、原文は“Jesus wept: and no wonder, by Christ!”となっており、U-Yは「イエス泣き給えりか。そりゃそうだろう、耶蘇めそ泣けるって!」という訳、U-Δは「イエス涙を流したもうってな。無理もないやね、キリストにかけて言うけどさ!」という訳になっている。U-Yでは恐らく「耶蘇めそ」にChristを反映させ、「イエス」と「耶蘇めそ」を繋げている(厳密には「耶蘇」はJesusの中国音訳語の音読みが由来で、Christのことではないが)。そしてU-Yでは「泣ける(泣く)」ことをここで強調している。U-Δでは辞書通り、“by Christ”がその前の「無理もないやね」の強調として使われている感じが強い。そしてU-Yと同様、最初の「イエス」と呼応させるように、原文に忠実に「キリスト」という言葉を出している。結局、この文章では「イエスが泣くのも無理はない」ということを言っているだけなのだが、具体的になぜ「イエスが泣く」のかの理由の選択肢としては、サイモンの考えるグールディング家の全体的なひどさ、その家と親戚になっていること、リッチーたちが大した職についていないこと、ウォルターが父親をサーで呼ぶことなどが挙げられるが、どの選択肢も完全に否定はできないのではないだろうか? 単純に考えれば、またこの文章が“Jesus wept”の一言であったなら、ここはウォルターの父親の呼び方に対するただの皮肉だということもできると思うのだが、“and no wonder, by Christ!”というふうに言葉を継ぐことで、ウォルターだけでなくその前に話された事柄についても皮肉の対象が広がっているように感じられる。「そりゃそうだろう」「無理もないやね」といった何かを限定しない漠然とした言葉が、リッチーたちのうだつの上がらなさや、親戚になってしまったことへの不満にまで皮肉や愚痴の対象を広げているように思えるのだ。ここでは文章が延びることで、その文章の言及範囲も延びているのではないだろうか? この節全体を通して見ると、 “s”という文字が多いのと、down-fly a bit higher-up-Highlyという言葉のつながりによって、上下の移動が強調されているように思われるのだが、これは何を言わんとしているのだろうか? 特に意味はないのだろうか?

 

ここからスティーヴンがグールディング家を訪ねるシーンの回想(または想像)が始まる。

 <U-Y 76-77 ~グールディング家への訪問の想像、マクベス、マシュー・アーノルド、イル・トロヴァトーレ、この風のほうが美声だ~>

・U-Y 76「おれは鎧戸を閉めきったちっぽけな家の喘息持ちみたいな呼鈴をひっぱる。そして待つ」

 U-Δ104「ぼくは鎧戸を閉め切った家の前に立ち、ぜいぜい喘ぐベルを鳴らして、待つ」

 “I pull the wheezy bell of their shuttered cottage: and wait”

 →pullという言葉をU-Yでは「ひっぱる」、U-Δでは「鳴らして」としており、U-Δのほうではpullそのままの意味は反映していない。wheezyは「ぜいぜいいう音を出す、呼吸困難な、陳腐な、having a tone of a reed instrument(リード楽器の音色を持つ)」という意で、wheezeを調べてみると、「ブーブーと(曲などを)鳴らす、ぜいぜい息を切らす、ひゅうひゅういう音で呼吸する、a piping or whistling sound caused by difficult respiration(呼吸困難によって生じるパイプ楽器や笛を吹くような音)、 (of a device) make an irregular rattling or spluttering sound(ガタガタ、パチパチといった不規則な音を出す(機械))」などの意味がある。この“wheezy bell”を「喘息持ちみたいな呼鈴」「ぜいぜい喘ぐベル」と訳しているが、呼鈴やベルは「ぜいぜい」というような音をたてるだろうか、と思い、bellを調べてみたところ、「押した際に音が鳴る、またはブザーがなって合図するドアの外側についた押しボタン(a push button at an outer door that gives a ringing or buzzing signal when pushed)」という意味があるので、これは鈴のようなタイプの呼鈴ではなく、ブザータイプの呼鈴なのではないだろうか?

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エジンバラの古いドアベル。滑車式のものなのか、電気式のものなのかは不明*15

 画像を探したところ見つかった写真は、エジンバラの古いドアにつけられた、引くタイプの呼鈴。ワイヤーと滑車を使ったものなのか、電気を使ったものなのかは不明。かと言ってここのbellがブザータイプのものであると断言はできないのだが、ブザータイプのものであれば、古かったり壊れかけていたりすると、それこそリード楽器のような音が出るのは想像しやすい。ここで敢えて「呼鈴」「ベル」という訳語をあてたのは、単にブザーの可能性を考えていなかったのか、それとも他挿話に出てくる鈴や鐘との関連性を意識したものなのか。また、U-Yの「喘息持ちみたいな」という訳は、家そのものも病んでいて、不健康であるという含みを持たせたかったのだろうか。「鎧戸」は「小幅の横板を傾斜をもたせて並べた鎧板を取りつけてある戸。錣戸(しころど)。がらり戸。日よけ、目隠しとなり、同時に通風、換気ができる」。shutteredは「雨戸・鎧戸を閉めた」の意。と言われても、私は鎧戸を見たことがなく、雨戸のある家にすら住んだことがないのでいまいち想像ができない。ここはドアの扉本体の外側にさらに鎧戸がつけられている(二重のドアになっている)のか、それとも窓に鎧戸があるのか、と考え、画像を調べてみたところ、玄関の戸の外側に鎧戸らしきものがついている家も見つかったが、多くは窓に鎧戸がつけられていた。さらに、「彼(スティーヴン)は親戚が鎧戸の閉まった窓の向こうから外を覗き見ているのを想像している」*16という解説があり、やはりここで鎧戸がつけられているのは窓のほうなのだろう、と思った(恐らく多くの方には分かりきったことなのでしょうが、鎧戸も雨戸も知らない私には分かりませんでした)。“cottage”は「ちっぽけな家」「家」と訳されている。辞書には「(田舎の農民、鉱員などの住む)小屋、いなか家、小さな家、コテージ、(英国の典型的なcottageは背の低い草ぶき屋根(thatched roof)で、石造りの小さな家である。一階建てのものが多い)」とある。間違える例としてよく挙げられる言葉だが、必ずしも日本人が想像するようないわゆる「コテージ」ではないことが多い。文脈によってかなり意味が異なる難しい言葉だ。この文章の中の“cottage”は「(一階建ての)小さな家」の意味がふさわしいのでは。

・U-Y 76「借金取りと勘違いして、向うは有利の一角から窺う」

 U-Δ104「みんなはぼくを借金取りと間違えて、見やすい場所から様子をうかがう」

 “They take me for a dun, peer out from a coign of vantage”

 →「見やすい場所(有利の一角)…『マクベス』1幕6場より」(U-Δ注)。dunは借金の返済をうるさく催促する人、の意。coignは「(壁、建物の)外角、(部屋の)隅(corner)、くさび台の支え、台木、くさび石、(古)quoin」の意。vantageは「有利な立場、優位」の意で、“coign of vantage”は熟語のようだが、coignだけで「観察・行動に有利な立場、見晴らしのきく地点、有利な立場」という意味が辞書に出てくる。U-Δ注にあるように、『マクベス』の該当部分を確かめてみた。

 “Duncun: This castle hath a pleasant seat; the air / Nimbly and sweetly recommends itself / Unto our gentle senses. / Banquo: This guest of summer, / The temple-haunting martlet, does approve / By his lov’d mansionry , that the heaven’s breath / Smells wooingly here: no jutty, frieze, / Battress, nor coign of vantage, but this bird / Hath made his pendant bed and procreant cradle: / Where they most breed and haunt, I have observ’d / The air is delicate”*17 

 シェイクスピアの英語で普通の辞書には載っていない意味を持つ単語と、今でも使われている意味の単語が混ざっているので、調べた部分を列挙しておく。seatは“The place occupied by anything, or where any person, thing or quality is situated or resides: a site”の意。「場所」くらいの意味でとらえていいと思う。Nimblyは「素早く」、sweetlyは「快い」、recommendsは“be acceptable, make itself agreeable(喜ばれるものとする、快いものにする)”の意。templeは「寺院」、martletは「岩燕」、approveは“demonstrate to be true(真実であることを示す)”、mansionryは「住居、住みか」juttyは“projecting part of a wall or building(壁や建物で突き出たところ)”、friezeは「部屋や壁にめぐらした水平の帯状の彫刻のある小壁」、battressは「控え壁」、pendantは「吊り」、procreantは「出産に係る」、cradleは「揺り籠」、breedは「繁殖する」、hauntは「住む、to inhabit, visit frequently」、observ’dはobservedで「気づく」、delicateは「柔かい」の意味。norとbutの用法は、よく出てくる“It never rains but it pours”の用法と同じで、前から訳せばいい。つまり、「鳥が巣をつくらないいかなる軒先などもない」ということで、「軒先などがあれば必ず鳥が巣をつくる」という意味になる。これを、福田恆存は以下のように訳している。「ダンカン:よいところにあるな、この城は。吹きすぎる風が、いかにも爽やかでに甘く、ものうい官能をなぶってゆく。/バンクォー:それ、あそこに夏の客、寺院にすまう岩燕が、せっせと巣づくりに精を出しております、それが何よりの証拠、このあたりは格別、大気の匂いに心がうずくらしゅうございます。この鳥は、軒先、なげし下、控え壁、その他どこでも、ところ構わず、都合のよい隅々を見つけては、吊床を造り、雛鳥の揺籠をしつらえるとか。この連中が好んで巣をつくる場所は、かならず空気がやわらかいような気がいたします」*18

 「なげし下」とは柱から柱へと水平に打ちつけた材のこと。意訳であることは分かっていても、どうしてもgentle sensesを「ものうい官能」と訳した意味が分からず、調べてみると、「ものうい」は「なんとなく気がふさいで、動くのも面倒だ、憂うつだ、けだるい、大儀だ、なんとなく苦しい、つらい」等の意味を持つ。「官能」は「感覚器官が機能すること。目、鼻、耳、舌、皮膚などの感覚器官が刺激を受けとることを指す語。とりわけ性的な刺激、性的快感を指すことが多い」とあった。ここでの「官能」が性的な意味を含んでいないことは分かっても、やはりgentleを「ものうい」と訳した根拠が辞書では見つからなかったのだが、これはこの後ダンカン王が殺されることを予見している発言として解釈しているのかもしれない。ちなみに坪内逍遥訳も参照してみたのだが、言葉は古くともこちらのほうが私にはしっくりくる。「ダンカ:こりゃ氣持の好い(ところ)ぢゃ。(さわや)かな、柔かな空氣の肌に(さわ)るのが、いかにも好い心持ぢゃ。/バンク:寺院を好みまする、あの、夏の客の岩燕が熱心に(こて)細工をやってをりますのを見ましても、 此邊(こゝら)では、天の息が懷しらしう薫ってをりますことが分ります。 檐先(のきさき)長押(なげし)下、控へ壁、其他便宜の隅々に、彼れめが吊床(つるしどこ)をこしらへて、 雛の搖籃を掛けてをらん處はございません。()の鳥が好んで巣をくひまする處は、經驗によりますと、 空氣がよろしうございます」*19。問題の“coign of vantage”だが、この言葉の含まれる上記引用部分では、「爽やかな風」「空気が柔らかい」ことと、「鳥は都合のよい隅々に巣をつくる」ということが語られている。この部分と『マクベス』との関係については以下のような指摘がある。「吊床の中から外を覗き見ている鳥たちの考えが、恐らく全く悪意なしにスティーヴンの意識の中に現れ、彼は借金の取り立て屋が戸口にいるのではと、鎧戸のすき間から覗き見る自分の叔母の家族を思う。バンクォーがこの言葉を発した文脈は無視しがたい。ダンカン王は、自分がじきに、自らの寝床で、そこの主人によって殺される城へと入っていく。その前にマクベス夫人は、王の到着を告げる、あまりめでたいとは言えない鳥を想起している。「私の城の下では、ダンカンの死を招く入城を告げる烏の声さえしゃがれている」(“The raven himself is hoarse / That croaks the fatal entrance of Duncan / Under my battlements”)(1幕5場)(「烏の声もしわがれる、運命に見入られたダンカンが私の城に乗り込んでくるのを告げようとして」(福田訳*20))(「鴉さへも嗄れ声をして、不運なダンカンが予の此城へ来るのを知らせる」(坪内訳*21))。そしてダンカンとバンクォーが話を交わした直後に、自分の城の下にいる王を歓迎してマクベス夫人が入ってくる。スティーヴンは自分の叔母の家で殺されるなどと恐れてはいないかもしれないが、この言及は鎧戸を閉めた家に入ることへのある種のためらいを確かに示している。彼は浜辺の風を味わっていたばかりだ(「風が周りを躍り跳ねる。身を切る寒風だっけな」)。その家の中で目にするだろう光景のようなものを長い間考えた後、彼はその「風」(=グールディング家のair)を試さないことに決める。ストラスバーグ高台で、天の息(風)はそのように喜びをかき立てるものではない」*22

 「有利の一角」から外を覗くグールディング家の人物は、『マクベス』で「有利の一角」から巣の外を覗く燕と結びつけられ、グールディングの家とマクベスの城とがスティーヴンの頭の中で重なることで、「中へ入ることへのためらい」へと繋がっている、という説だ。スティーヴンには、グールディング家の中のairが今サンディマウントの浜辺で感じているairよりも快いものではないことを既に知っている。このairという言葉が、マクベスの城の下の心地よい風(air)、リッチー叔父の登場のアリア(aria)、「ぐっとアリアを盛り上げ(“with rushes of the air”)」(U-Y 77)、「この風のほうが美声だ“This wind is sweeter”」(U-Y 77)というふうに繋がっていく。

・U-Y 76「入ってもらえ、スティーヴンに入ってもらえ」

 “Let him in. Let Stephen in”

 →リッチーはスティーヴンを家のなかへと呼び込む。

・U-Y 76「ほかの人かと思った」

 U-Δ104「ほかの男だと思ったんでね」

 “We thought you were someone else”

 →実際にドアを開けたのは息子のウォルターだが、この言葉を発したのはウォルターだろうか、リッチーだろうか? U-Yだとウォルターの台詞のように見えるが、U-Δではどちらとも言えない。そもそも誰が「有利の一角」から外を覗いていたのかも明らかではない。ただ、外にいるのがスティーヴンだと気づいたのはウォルターだ。借金取りと間違えてドアを開けなかった弁解をリッチーがしている可能性と、ウォルターがリッチーの代弁をしている可能性とがある。

・U-Y 76「リッチー叔父貴」

 U-Δ104「リチー叔父」

 “nuncle Richie”

 →nuncleはuncleの古語・方言。ソーントンによると、このnuncleは「シェイクスピアリア王』の中で17回使われており(シェイクスピアの他の作品でこの言葉は使われていない)」*23、道化がリア王のことを、本人の目の前でnuncle Learと呼んでいる。両者の関係性と挿話との関連については、「この二人―取るに足りないおどけ者が、乱暴で自己中心的な老人にお世辞抜きの言葉をかける―の登場人物の関係を考慮すると、スティーヴンの口には出されることのない呼び方(彼が実際に叔父に話しかけるときはuncle Richie)が皮肉を含みうると考えるのは理に敵っている」*24と指摘されている。シェイクスピアリア王は高齢で退位するにあたり、国を三人の娘たちに分け与えることにする。長女、次女は甘言を弄し父を喜ばせるが、末娘コーディリアは父を喜ばせようとするよりも、自らの真の思いを率直に伝える。それにリア王は腹を立て、コーディリアを勘当する*25。老齢のためか、傲慢で暴力的になり、城内の風紀を乱す原因となっていることを周囲の人々に目されるようになったリア王に、道化はおどけた調子で真実を辛辣に突きつける*26。確かに、リッチーはベッドに横たわったまま様々な要求をし、ウォルターはリッチーをサー呼ばわりしている。また、リッチーが老いていること(正確な年齢は分からないが、スティーヴンが20代前半で、その父サイモンと同年代と考えると、40~50歳くらいなのではないかと推測される。このくらいの年齢を「老いている」と言っていいのかどうかは分からないが…)、傲慢で自己中心的な点はリア王と少し共通している。しかし、傲慢で老いたリア王と道化との関係は、そのままリッチーとスティーヴンとの関係と全く同じとは言い難い。nuncleという言葉でしか『リア王』との関係は示唆されておらず、スティーヴンは直接リッチーのことをnuncleと呼ぶことはないが、この言葉がリッチーに対するスティーヴンの内心での皮肉を表しているのだろうとは思われる。

・U-Y 76「幅広のベッドの上でリッチー叔父貴が、枕を支い、毛布にくるまり、小山になった膝のところからごつい二の腕を差し伸べる。こぎれいな胸。上半分は洗ったばかり」

 U-Δ104「大きなベッドの上からリチー叔父が、枕を当て、毛布にくるまったまま、膝の小山越しにがっしりとした腕を差し伸べる。きれいな胸だ。上半身を洗ったところ」

 “In his broad bed nuncle Richie, pillowed and blanketed, extends over the hillock of his knees a sturdy forearm. Cleanchested. He has washed the upper moiety”

 →「リチー・グールディングはブライト病(現在の腎炎)のため背中を痛めている。(cf.第六挿話、第11挿話他)」(U-Δ注)。ブライト病とは腎臓に起こった炎症性病変のことで、腎臓炎とも言う。1827年ブライト(Richard Bright、1789-1858)が、タンパク質と浮腫を腎臓の組織異常と関連づけてブライト病を記載、泌尿器科的疾患とは異なる腎臓疾患があることを明らかにした*27。pillowは動詞の形で「枕で支える」の意。blanketも動詞の形で「毛布で覆う、くるむ」の意。hillockは「小さい丘、小山」の意。この後でリッチーは「膝盤を脇へ押しやる」ので、膝盤を置いている状態のリッチーは、膝を毛布の中で曲げて(体育座りのような脚の形で)膝盤を載せやすい体勢にしているのではないかと思われる。sturdyは「逞しい、がっしりとした」の意。forearmは「肘から手首までの部分、前腕」。これをU-Yでは「二の腕」と訳しているが、二の腕は肩から肘までの部分のことだ。そもそも前腕を突きださずに二の腕だけ差し伸べることはできない。これは何か版が違うのか、それとも単なる誤訳か。moietyは「半分」の意。寝たきりだと上半身しか洗えないのだろうか? それともこの後で下半身も洗う、ということだろうか。そして、なぜここでhalfではなくmoietyという言葉を使ったのだろう? moietyを詳しく調べてみると、「(財産などの)半分、(文化人類学)半族(一つの社会を相互補完的に組織する、二分された集団の片方)、(化学)分子の一部分、語源は古フランス語のmeitié(half)、中世フランス語のmoytié」とのこと。調べてみても、どうしてわざわざここでmoietyにしたのかは分からない。この部分全体を通して、forearmしか出さない、上半身しか洗わない、という「半分さ」が何か不完全さを連想させる。

・U-Y 76「座って散歩でもするか」

 U-Δ104「腰をおろして散歩でもしろや」

 “Sit down and take a walk”

 →「リチーのユーモアのつもりらしい」(U-Δ注)。とあるが、両訳で解釈が少し違う。Sitとtakeが命令形なら、U-Δの訳で原文通りの意味になるのだが、U-Yでは恐らく“Let’s”を省略した形として訳しているのではないかと思われる(一緒に散歩しようとしている)。U-Yでは、腰をおろして散歩をすること自体が無理なうえに、寝たきりのリッチー本人にとっては散歩そのものができないという、二重の「できないこと」が描かれている。

・U-Y 76「膝盤」

 U-Δ104「膝のボード」

 “lapboard”

 →lapboardは“a board used on the lap as a table or desk(テーブル代わりに)膝にのせる平たい板、ひざ板(テーブル、机のかわりに膝の上に載せる薄い平板)”の意。「膝盤」という言葉を辞書等で探してみたが見当たらなかったので(ネットで検索すると膝の半月板の記事が出てくる)、造語の可能性もある。その意味ではU-Δのほうが分かりやすいし正しいのだが、漢字の意味はほぼずれていないので「膝盤」でも言っていることは何となくわかる。

・U-Y 76「証拠携帯出廷(ドゥケス・テクム)」

 U-Δ104「証拠物件携帯出廷」

 “Duces Tecum”

 →法律用語。証拠書類などを持って出廷しなさいという令状で、英語にすると“Bring with you”となる*28。ここに限ったことではないが、なぜこの挿話ではここまで多くの他言語が用いられるのか? 覚えているだけでドイツ語、フランス語、イタリア語、ラテン語が他挿話よりも頻繁に使われているように思われる。

・U-Y 76「禿頭」

 “bald head”

 →リッチーは禿げていることが分かる。

・U-Y 76「埋れオーク」

 U-Δ104「泥炭オーク」

 “A bogoak”

 →「泥炭地帯に埋もれて炭化したオーク材。細工物に用いる」(U-Δ注)。bogoakはbogwoodのこと。bogは泥炭地の意。「埋れ木」という言葉は、日本語では世間から見捨てられた存在や、忘れられてしまった存在の喩えとして使われることもあるらしい*29。もしかしたらU-Yではリッチーのことを「埋れ木」的存在と解釈しているのだろうか?

・U-Y 76「ワイルドの鎮魂祈祷(レクイスカト)」

 U-Δ104「ワイルドの《安らかに眠れ》だ」

 “Wilde's Requiescat”

 →「ワイルドの抒情詩。妹アイソラの墓によせる歌。題名のラテン語は死者哀悼の言葉として用いる」(U-Δ注)。1874年に書かれたワイルド初期の作品。「英語で“May she rest (in peace)”(安らかに眠れ)の意味で、“Requiescat in pace”は教会で唱えられる祈りの言葉に由来する。この詩は1853年に出版されたマシュー・アーノルドの同名の詩から部分的にインスピレーションをうけた可能性がある」*30。マシュー・アーノルド(1822-1888)はイギリスの詩人・批評家。しばしばテニスンやブラウニングと共に、偉大なヴィクトリア朝詩人の第三世代とも呼ばれている*31。「著書『教養と無秩序』(1869)の中に収録された批評の中で、アーノルドはイギリス文化の自己満足的な、時代遅れの「偏狭さ」を攻撃している。この「偏狭さ」はお行儀のよい、貴族主義的「野蛮人」が、また道徳的でまじめな中産階級の「俗物たち」がより強く優勢を誇った風潮だった。第四の批評作品の中で、アーノルドは俗物たちのヘブライ主義(宗教において明るみにされた真実を、誰の行動にも導かない)への衝動と、ヘレニズム主義(神の導きではなく、人間の力で公平無私に真実を探求する)の理知的・審美的衝動を区別する。彼はイギリス文化が過度にヘブライ人的で、再びバランスを取り直すことが必要だと感じていたのだ。アーノルドは不可知論者だったが、敬虔な同時代人を称賛もしていた。しかし世紀末になる頃には、アーノルドの言説は抑圧的な中産階級の「俗物」と、自由を愛し、芸術的な「ボヘミアン」(この言葉はパリで19世紀初頭に現れ、芸術家を呼び示すのに用いられた)の間での、白黒をはっきり分けるような文化的論争の中に包摂されてしまった。ギフォードは、当時「ギリシャ人」がボヘミアン的自由、官能的な喜び、感覚的な美しさを暗示する一方で、「ユダヤ人」は社会的抑圧、「堅物なヴィクトリア朝の道徳観」、芸術に対する反感を含意していたと述べている。またギフォードは、『ユリシーズ』内でアーノルドに関連したいくつかの文章について以下のように指摘している。『抑圧、安定、品性、そして同時代人が文学の中の「倫理的要素」と呼んだものに対するアーノルドの強調は、世紀転換期の唯美主義者たちにより、俗物根性の具現化したものとしてみなされたが、しかしまたこれら唯美主義者たちの言葉の多くもアーノルドに由来し、アーノルドの影響は(学問的観点から)英国批評において未だ重要なテーマである』」*32

 この指摘にあるように作品内には何度かマシュー・アーノルドに関連する言葉が出てくる(e,g.「なあ、キンチ、きみとおれとで力を合せてなにかできれば、この島国のために役立てそうだがね。ギリシア化するんだ」(U-Y 1. 17-18))。ワイルドのRequiescatと、アーノルドのRequiescatを以下に引用しておく。

"Requiescat" written by Oscar Wilde

“Tread lightly, she is near / Under the snow, / Speak gently, she can hear / The daisies grow. / All her bright golden hair / Tarnished with rust, / She that was young and fair / Fallen to dust. / Lily-like, white as snow, / She hardly knew / She was a woman, so / Sweetly she grew. / Coffin-board, heavy stone, / Lie on her breast, / I vex my heart alone / She is at rest. / Peace, Peace, she cannot hear / Lyre or sonnet, / All my life’s buried here, / Heap earth upon it.”*33

 

"Requiescat" written by Matthew Arnold

“Strew on her roses, roses, / And never a spray of yew! / In quiet she reposes; / Ah, would that I did too! / Her mirth the world required; / She bathed it in smiles of glee. / But her heart was tired, tired, / And now they let her be. / Her life was turning, turning, / In mazes of heat and sound. / But for peace her soul was yearning. / And now peace laps her round. / Her cabin’d, ample spirit, / It flutter’d and fail’d for breath. / To-night it doth inherit / The vasty hall of death.”*34

 アーノルドのRequiescatからは抽象的・審美的な印象をうけるが、ワイルドのRequiescatからは、彼が実際に妹の墓前に立っていて、彼女の姿を回想すると同時に、今墓の下にいるであろう彼女をも想像しているような、直接的な表現と感情の吐露が表されているように思われる。表現の仕方はアーノルドのほうが力強く感じる。一方で、ワイルドの表現は意外にも静かだ。リッチーの家にこのワイルドの妹の死を悼む詩を飾るということは、忘却あるいは回想の重複を示すものだろうか?

・U-Y 76「取り違えるのもむりない口笛がウォルターを呼び戻す」

 U-Δ104「低くうなる口笛の意味を取り違えて、ウォルターが戻って来る」

 “The drone of his misleading whistle brings Walter back”

 →droneは「(ハチなどが)ブンブンいう音、持続低音、ブーンとうなる音」の意。misleadingは「人を誤らせる、惑わせる、紛らわしい」などの意。ウォルターはリッチーの口笛で自分が呼ばれたと勘違いして戻って来る、ということになっているが、実際この後でリッチーはウォルターに用を言いつけている。リッチーは無意味に口笛を吹いていたのか(それでたまたまウォルターが戻ってきたからついでに用を言いつけたのか)、それとも本当にウォルターを呼び戻すつもりでリッチーは口笛を吹いていたのか? いずれにせよ、リッチーの口笛がここでウォルターを呼び戻している。

・U-Y 76「リッチーとスティーヴンにモールトだ、母さんに言え」

 U-Δ105「リチーとスティーヴンにモルトを出せって、お母さんに言いな」

 “Malt for Richie and Stephen, tell mother”

 →モルト(ウィスキー)という言葉は既に日本でも馴染んでいるが、Maltの発音記号を見ると正確には「モールト」だ。この部分はどちらの訳ともリッチーが自分のことをリッチー(リチー)と呼んでいるのに違和感を覚える。なぜ“Malt for me and Stephen”ではないのだろう? 原文を見れば命令文で、“Tell mother (to bring) malt for Richie and Stephen”という意味なのは分かるが、やはり「俺」などと訳さずにそのままリッチー(リチー)を使っている。ここでリッチーが自分の名を自ら名指しているということに何か意味があるのだろうか。また、U-Δでは「お母さんに言いな」と命じているが、「言いな」というぞんざいな命令と「お母さん」という呼び方が合わない気がする。「お母さんに言いなさい」か「母さんに言いな」のほうがよかったのではないだろうか。

・U-Y 76「クリッシーを洗ってやってます」

 “Bathing Crissie, sir”

 →クリッシーはお母さんと風呂に入る(体を洗う)ほどの小さな子供であることが分かる、が、当時の子供は一体何歳くらいまで親に体を洗ってもらうということをしていたのだろうか? 性別や家の社会階層によっても違いがあるかもしれない。スティーヴンが水嫌いで月1回しか海の中に入らないことを考えると、上半身を洗ったばかりのリッチーと、風呂に入っているクリッシーのいるグールディング家は借金取りに怯えているような貧しい家ではあるが、かなりきれい好きな家庭なのだろうか? それとも「体を洗う」ということに何か意味があるのだろうか?

・U-Y 76「パパの幼いベッド仲良し。接吻愛子」

 U-Δ105「パパのちいちゃなベッド友だち。愛の塊」

 “Papa’s little bedpal. Lump of love”

 →bedpalは“bed pal”。palが「仲良し、友だち」の意味なので、両訳とも辞書の意味をそのまま使った感じか。lumpは「塊、a protuberance or swelling(傷や腫瘍などで晴れたものの意)、something that protrudes, sticks out(突出物、突き出たもの) or sticks together(くっついたもの)、a cluster or blob: a mound of mass of no particular shape」の意だが、the lump of loveで“a term of endearment for baby(赤ん坊への愛撫、愛情の表示)”という意味があるようだ*35。U-Yの「接吻愛子」は造語だと思うが、「突き出たもの、突出したもの」の意から突き出した唇につなげ、何度もキスをせずにはいられないほど愛している子供、というニュアンスを出したものか。またこの「キス」の意味での解釈は、後出するスティーヴンの空想上のキスへと連想を誘う効果を狙ったものかもしれない。U-Δは字義通りの訳。普通に、「可愛らしくてしょうがない」というような訳でもいいかもしれないと思った。両訳ともニュアンスは伝わると思うので、どちらがいいかは読者の好みによるかと思う。

・U-Y 76「リチア水なんて飲んでられるか。滅入っちまう。ワスキーだ!」

 U-Δ105「リチア水なんてくそくらえだ。力が抜けちまうぜ。ウィスキーを出せ!」

 “Damn your lithia water. It lowers. Whisky!”

 →「リチア水…痛風の薬。リチーは痛風持ちでもあるらしい」(U-Δ注)。痛風は尿酸が関節の中で固まって結晶化することで引き起こす関節炎を主な症状とする疾患。その症状は足の親指の付け根に最も多いが、足首や膝にも生じ、痛みは激しく、歩行困難になることも少なくない。また、腎機能障害も起こりやすくなる*36 。「リチア水は世紀転換期に人気のあった、鉱物(ミネラル)を含む水。アメリカ・ジョージア州のリチア・スプリングスで採取される。水に含まれるリチウム塩は様々な病に効くと考えられていて、医者によっても処方された。リチア・スプリングスは1888年に保養地が開かれ、そこで水がボトル詰めされ販売されるようになった。リッチーは、スティーヴンの好みのことを言っているのか(スティーヴンはリチア水が好き、という意味?)、一般的な意味で“your”という言葉を使っているのか、はっきりしない。リチア水は代謝を下げるのか? 元気がなくなるのか? モルトの味を損ねるのか? OEDでは“lower”という語が「水などで薄める」という意味を持つとある(cf.ディケンズ『マーティン・チャズルウィット』)。リッチーが「ワスキー」は水一滴、特に鉱物入りの水で薄めるべきという説を拒んでいる可能性は非常に高い。『ダブリン市民』の“A little clowd”の中で、イグナティウス・ギャラハーは古くからの親友に対して挨拶するときに、この話題に触れている。『よう、トミー、久しぶりだね! 何にするかね? 何を飲む? いま、ウィスキーをやっているところだがね、イギリスのよりうまいよ。ソーダか? リシア(酸化リチウム水)か? 炭酸水なし? 俺もそうだ。味をなくすからね… おうい、給仕、半ジル(一ジルは一パイントの四分の一、約八匁位)のモルト・ウィスキーをくれ』*37*38

 この解説によると、リチア水はウィスキーを薄めるためのものとして解釈している感じが強いが、U-Δ注にもあるように薬としても認識されているので、ここでリッチーが単体としてリチア水を飲むことを指しているのか、ウィスキーを割るための水のことを指しているのかがはっきりしない。また同解説で、lowerを「代謝を下げる」の意味として解釈する可能性を挙げているが、U-Yでは「気が滅入る」、U-Δでは「力が弱まる」というふうに解釈している。薬効のあるリチア水を拒否し、「ワスキー」を所望するリッチーが、代謝のこと、健康のことを気にするだろうか? ちなみに、リチア水について調べてみると、1859年、アルフレッド・バーリング・ギャロット医師が、痛風患者の治療にリチア水を使用し、その治療効果について発表した。彼は軟骨に沈着した尿酸が、炭酸リチウムによって分解されると報告。1880年代から1890年代にかけて、尿酸は多くの疾病の重要因子として考えられていた*39。「ワスキー」については、「ウィスキー」のゲール語とアルスター訛りと英語が入り混じった発音をそのまま表記したものであるようだ*40。とにかく、リッチーは病んでいる。

・U-Y 77「座るものがありません、お父様」

 U-Δ105「坐るものの持ち合わせがないんですよ、お父さん」

 “He has nothing to sit down on, sir”

 →「ウォルターの言い方では、スティーヴンには坐る部分、つまり尻がないともとれる」(U-Δ注)。スティーヴンに尻がなければどうなるというのだろう…? スティーヴンに関しても「持っていない」という要素をU-Δでは出したいのだろうか。

・U-Y 77「尻の置き場がないってのか、この阿呆め」

 U-Δ105「けつを置くものがないと言え、この間抜け」

 “He has nothing to put it, you mug”

 →mugは「間抜け、とんま」の意。原文を直訳すると「彼にはそれを置く場所がどこにもない(置くための何ものも持っていない)」というふうになろうか。リッチーがウォルターの発言を言い直している。とすれば、スティーヴンの「持っていない」という要素をリッチーがここで訂正している形になるのだろうか。それとも、スティーヴンに対し“He has nothing”と言うな、「(何も)持っていない」ということを言うな、と命じることで、貧しいスティーヴンに同情を示したのか、または「何も持っていない」自分の自意識に障ったのか。

・U-Y 77「チッペンデイル」

 “Chippendale”

 →「18世紀の高級家具師の名で、彼が考案した曲線の多い優雅な家具をも指す。リチー叔父の苦しまぎれの冗談か」(U-Δ注)。チッペンデイルについてもう少し詳しく調べてみると、「18世紀のイギリスの家具デザイナー、トーマス=チッペンデール(1718-1779)が作り出した家具様式。マホガニー材の使用、ロココ様式・ゴシック様式シノワズリなどを折衷した。チッペンデールはジョージアン朝のロンドンの市民生活にふさわしい品位と実用性を重視した家具を制作。背もたれにリボンを絡ませたような優雅な模様の透かし彫りを施した椅子が知られている。18世紀のヨーロッパで広く受け入れられた」*41とのこと。また、「グールディング家の唯一のチッペンデイル家具には、アイルランドカトリック信者と、ジョージアン王朝期、1790年代の数々の紛争と連合法がカトリック中流階級との無関係さを確固たるものにする前に、彼らがやっと享受できた中流階級としての社会的地位との弱い繋がりの一例を見ることができるかもしれない」*42との指摘がある。ということは、グールディング家にあったとされているチッペンデイルの椅子は、彼らが凋落する前に買ったもので、以前彼らは中流階級に属していたのだろうか。また、「アイルランドのチッペンデイル家具は、その彫りが英国の正規のものより幾分優雅さに欠ける、マホガニー家具の「派生物」だった」*43とも言われている。とはいえ、アイルランドで購入できるチッペンデイル(風)家具はやはり高価なものだったのだろうと思われる。チッペンデール制作による本物のチッペンデイルチェアと、アイルランドで19世紀末に作られた「チッペンデールチェア」を見比べてみてほしい。やはり、彫りや造形の違いが分かる。

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本物のチッペンデールチェア*45
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本物のチッペンデールチェア、脚部分*47
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アイルランドのチッペンデールチェア。19世紀末に制作*49
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アイルランドのチッペンデールチェアの脚部分。確かに本物と違う感じがする。よく言えば素朴*51


・U-Y 77「うちへ来て阿呆ん面こくんじゃないぞ」

 U-Δ105「この家じゃあ、おまえのくそったれなお上品ぶりなんて通用せんぞ」

 →Noneで始まる文章には「相手に対する命令の表現、~はよせ、やめなさい」という意味がある。lawdeedawは“la-di-dah”で、「気取った、もったいぶった、尊大な、見栄を張った、上流階級の」の意があるようだ*52。ここでのairsは「外見、様子、風采、態度、(特に女性の)気取った様子」の意味と思われる。

 U-Δ105「助かったよ」

・U-Y 77「ならよかろう」

 “So much the better”

 →この原文は、“That is or would be even better”で、「そのほうがよりいい、いいだろう」の意と思われる。U-Δは原文の意味にほぼ即している一方、U-Yではリッチーの傲慢さ、尊大さを強調して、「ほんとはそのほうがいい」と言いたいところを「それならいい、構わない」という風にスティーブンの遠慮を許可する形で本心を隠しているようなニュアンスを出しているのだろうか。

・U-Y 77「見張れ(アッレルタ)!」

 U-Δ105「《気をつけろ!》」

 “All’erta!”

 →「イタリア語。次の導入のアリアaria di sortitaの歌詞。前段の「そうとも、気をつけなくちゃあ(そう、そうしなくては(Yes, I must)(U-Y 75))」を受けて。ポケットの中の金のことも頭に置いている」(U-Δ注)。“All’erta!”は英語にすると“On guard!(見張れ!)”“Be on the alert!(警戒せよ、油断するな)”となる*53。U-Δ注での解釈では、「気をつけろ!」が、もらった給料を使い過ぎないようにと考えるスティーヴンによる、「そうとも、気をつけなくちゃあ」という言葉への繋がりを重視しているように思われるが、この部分を「見張れ!」と訳し、p.75では「そう、そうしなくては」と訳したU-YからはU-Δほどの強い連関を意識していないような印象を覚える。

・U-Y 77「フェランド」

 “Ferrando”

 →「ヴェルディのオペラ『トロヴァトーレ』(1853年初演)の脇役の傭兵隊長(バス)」(U-Δ注)。『イル・トロヴァトーレ』の題名は11~13世紀頃のフランス南部で活躍した吟遊詩人のことを指す。ローマで初演、ロンドン・パリでは1855年に初演された*54。“All’erta!”は夜中に自分の妃にしたいと思っているレオノーラの窓の下をずっと歩き回っているルーナ伯爵を警護する眠そうな警備員たちに対して、警備隊長が発した言葉。眠気覚ましに警備員たちが何か目の覚めるような話をしてくれと隊長に頼み、隊長が先代の伯爵にまつわる恐ろしい話をする、というところからオペラが始まる*55。プロットは非常に複雑だが、主なテーマとしては、火刑に処されるジプシーの魔女(または伯爵の弟)、処刑後もフクロウに姿を変え飛び回っていると言われるジプシー女の言い伝え、レオノーラを巡る伯爵とレオノーラの恋人マンリーコとの争い、人物の取り違えによる悲劇(火刑に処されたのがジプシーの魔女なのか伯爵の弟なのかはっきりしない、夜中にレオノーラがマンリーコと間違えて伯爵に抱きついてしまう、最後に処刑されたマンリーコは実は伯爵の弟だった)等が挙げられ*56、全体を通して考えると多層的な復讐劇の一種であるとも言える。

・U-Y 77「節回したっぷりの口笛がふたたびひびく。細かな陰影をつけ、ぐっとアリアを盛り上げ、両のこぶしで毛布の下の膝頭を大きく打つ」

 U-Δ106「甘美な口笛がまた鳴り響く、こまやかな陰影をつけて、懸命に息を継いで。詰物を当てた膝を大きな拳でとんとん叩きながら」

 “His tuneful whistle sounds again, finely shaded, with rushes of the air, his fists bigdrumming on his padded knees

 →tunefulは“having or producing a pleasant tune、美しい、調子のよい、melodious”の意。ここをU-Yでは「節回したっぷり」としているが、「節回し」は「歌謡や語り物などの調子、抑揚」の意味で、「調子よく」の意訳であろう。shadeは“to vary or approach something slightly, particularly in color”の意が当てはまるか。U-Yでは「陰影をつけ」と訳しているが、「陰影」は「物事の色、音、調子に感情や含みや趣があること、ニュアンス」の意味として使われていると思われる。rushは「突然の力強い流れ、突発、激発、めまぐるしさ、快感、恍惚感」の意。airはここでは「空気、旋律、調べ」の意が当てはまると思う。bigdrummingのdrumは「トントン打つ、ドンドン叩く」の意。ここは両訳で解釈や訳出が割と大きく異なっている。「ぐっとアリアを盛り上げ」「懸命に息を継いで」の部分で、U-YのほうはrushをU-Δよりも強めに「激発、恍惚感」のニュアンスのほうで解釈しているように思われる。airをU-Yでは「調子、旋律」の意味で「アリア」としていて、U-Δではリッチーの吸う息として解釈している。rushが「出すこと」としての意味を柱としているように思われるので、「息を吸う」「息継ぎをする(息継ぎは辞書では「歌唱中や水泳などで息を吸い込むこと」とされている)」という訳はどう位置付けたらいいのかと考えたが(単純に「懸命に息を吐き」でもいいのではないかと思った)、息継ぎをすれば息を吐く量も多くなると自然と連想されることを思えば、意訳の範囲内なのだろう。airがアリアの意味も指しうることを考えると、訳出の難しい部分かと思われる。

 paddedを「毛布の下の」と訳すのと、「詰物を当てた」という部分でも異なる。「毛布の下の」のほうが文脈上自然な感じはするが、厳密に言えば、padという語自体に「毛布を掛ける、くるまる」という意味はない(ただ、その前に下半身に毛布を掛けているという記述があるので、膝が毛布の下にあることは自然と分かることではある)。膝に詰物を当てるのはなぜか、と考えてみたところ、やはり痛風のせいで膝が痛いのではないか、と思いついた。前述のとおり痛風は膝関節の痛みも伴うことがあるので、関節が痛むとサポーターのようなものを当てるのはありうることだろうと思う。あと、膝のボードを置いて仕事をするのに、高さを調節するために詰物を入れていた、という可能性もあるかもしれない。bigdrummingの部分は、U-Yでは「大きく打つ」とし、U-Δでは「大きな拳でとんとん叩きながら」としている。bigdrummingで一語になっているのに、U-Δでなぜbigをfistsのほうにかけているのかが分からない(がっしりとした腕を持つリッチーの拳なら大きそうではあるが)。U-Yでは「トントン、ドンドン」等の修飾語は訳出していない。このグールディング家に関する記述全体を見ると、リッチー(リチー)とリッチーの患うブライト病について報告をしたリチャード・ブライトとリチア水で名前を重ねているのかもしれない。ただ、リチア水に関してはLithia waterで「チ」の部分がthの発音になるので、日本語の発音では重なっているように見えるが、厳密に言えば英語の発音では重なっていない。また、パトリック・マッケイブ未亡人はブライト通りに住んでいる(U-Y 74)が、名前が同じというだけで特に意味があるようには思えないので、考えすぎなのではという感じもする。スティーヴンの連想の繋がりとして考えるには、あまりにも出来すぎている。

 

ここでグールディング家についての記述が終わる

 

・U-Y 77「この風のほうが美声だ」

 U-Δ106「こっちの風のほうがさわやかだよ」

 “This wind is sweeter”

 →スティーヴンはサンディマウントの浜辺の風を改めて感じ直し、グールディング家を訪れることをやめる。U-Yではリッチーの歌うアリアと風の歌の美しさを比較しているような表現になっている。U-Δでは『マクベス』の中でダンカン王が城下で感じた風の快さを反映しているのかもしれない。読書会中では、風の音を聞いていることがリッチー叔父の吹く口笛の想像に繋がっているのではないか、という指摘があった。確かに、スティーヴンは浜辺を歩きながらグールディング家を訪れる想像をしていて、その間聞いていたであろう風の音と、想像の中でのリッチー叔父の口笛やアリアは、一瞬の「音楽」という点で繋がると思う。

・U-Y 77「凋落の家。おれの家にしろ叔父の家にしろ」

 U-Δ106「没落の家さ。ぼくの家も、叔父の家も、みんな」

 “House of decay, mine, his and all”

 →decayは「腐る、衰える、衰退する」等の意。「凋落」は「花や葉がしぼんで落ちること、おちぶれること、落魄(らくはく)、容色などが衰えること、人間が衰えて死ぬこと」等の意味。“and all”は“(Britain, informal)As well, in addition (Northern England) used to add emphasis、(口語)…だったりして(不満の口調)”等の意。「どちらも」ということだろう。「みんな」とまで言ってしまっていいのだろうか、と思ったが、もしかしたら何かすべてが「落ちぶれてしまった」ことを示唆しているのだろうか。後に出てくるマーシュ図書館のある自由区への連想を誘う訳語なのかもしれない。ここでデッダラス家もグールディング家も昔より貧しくなったこと、困窮していることがわかる。

・U-Y 77「クロンゴウズの連中に言ったっけな、判事の叔父がいるとか将軍の叔父がいるとか」

 U-Δ106「おまえはクロンゴーズの坊っちゃん連中に言ったっけ、ぼくには判事の叔父と将軍の叔父がいるんだって」

 “You told the Clongowes gentry you had an uncle a judge and an uncle a general in the army”

 →「クロンゴウズ…スティーヴンが六歳の時に入学したイエズス会経営の寄宿学校クロンゴーズ・ウッド・カレッジ(cf.『肖像』)」(U-Δ注)。「幼少年時代のスティーヴンは純真で敬虔なカトリック信者で、ミサの侍者を務めたこともある」(第一挿話のU-Δ注より)。gentryは「紳士階級の人たち、お歴々、人々、良家の人々、連中」の意。“an uncle a judge”は名詞を二つ並べて同格関係になっている(限定用法)。リッチーは元判事だったのだろうか。スティーヴンには将軍の叔父がいたのだろうか。U-Δで「おまえは」と「ぼくには」を重ねるのはしつこい感じがするので、「おまえは」は取ってもいいのではないかと思う。

・U-Y 77「あの輩とは手を切れっての、スティーヴン。ああいうつきあいに美はないじゃないか」

 U-Δ106「そんな家から抜け出せよ、スティーヴン。美はそこにないぜ」

 “Come out of them, Stephen. Beauty is not there”

 →前文まではスティーヴンが頭の中で自分に言っている言葉だと分かるが、これはスティーヴンの脳内の声と判断していいのだろうか? スティーヴンが誰かに言われた言葉を思い出しているという可能性はないだろうか? スティーヴンの声か、父の声か、今付きあっている友人たちの声か、クロンゴウズの学友たちの声か、他にも可能性があるかもしれない。そして、U-Yの「あの輩」、U-Δの「そんな家」とは何を指すのか。U-Yではthemを「人づきあい」として訳出しているが、U-Δでは「家(の人々)」と解釈している。themが複数形なので、「輩」としないほうがいいのではないかと思ったが、調べてみると「輩」は「仲間、ともがら、連中、同類」という意味だった(「輩」そのものが複数形をも指すことをちゃんと分かっていなかった)。U-Δの「そんな家」という言葉は、スティーヴンの家族の住む家か、マーテロー塔のことか、グールディング家など親戚の家のことかがはっきりしない。文脈からすると、「判事の叔父と将軍の叔父」のいる家から抜け出せ、ということになるかと思うが、それはつまり実家や親戚と縁を切れ、ということだろうか? ここに限らず第三挿話でのスティーヴンの思索はあちこちに飛躍しているので、誰の言葉なのかを断定することができない。また、「美はそこにない」という言葉が唐突な台詞のようにも思える。

 

ここから思索はマーシュ図書館へ移る

 <U-Y 77-78 ~マーシュ図書館、ヨアキム、ガリヴァー旅行記、テンプル・マリガン・キャンベル、禿頭、エリシア、降り来れ、バジリスク眼~>

・U-Y 77「あるいはあのマーシュ図書館の澱んだ柱間にも。あそこでおまえはヨアキム・アバスの色褪せかけた予言を読んだっけな」

 U-Δ106「それに、マーシュ図書館のどんよりよどんだ柱間にだって。おまえはあそこで大修道院長ヨアキムの色あせた預言を読んだけれど」

 “Nor in the stagnant bay of Marsh’s library where you read the fading prophecies of Joachim Abbas”

 →「マーシュ図書館…正式の名前は聖墓地図書館。聖パトリック大聖堂のそばにあり、神学書、医学書、歴史書などがおもな蔵書。1707年開設。マーシュは創設者のダブリン大司教の名前。普通名詞の「沼地」にもかけて。「柱間(はしらま)」(bay)は柱と柱の間の奥まった場所だが、「入江」の意味もある」。/ヨアキム・アバス(大修道院長ヨアキム)…称号Abbasはラテン語。イタリア南部のフィオーレに修道院を開設した神秘思想家(1145年頃-1202)。三位一体説に従って信仰の歴史を三段階に分けた」(U-Δ注)。

 stagnantは「よどんだ」の意。U-Δ注にあるマーシュ図書館の名前の由来となったダブリン大司教はナルシサス・マーシュ大司教のこと*57。「マーシュ図書館は聖パトリック大聖堂の境内にあり、周りを高い石壁に囲まれているが、図書館の敷地内には入り組んだ建物があり、大聖堂境内は人のごった返すスラムの中心だった。様々な分野の本を置いているが、特に神学関係のものが多い。ギフォードは“stagnant bay”(よどんだ柱間)を、利用者が特別貴重な本を読むときに入れられることのある、金網で囲まれた奥まった小室であると解釈している。この小室は三つあり、本の盗難を防ぐため1770年代に作られた」*58。第二挿話でのスティーヴンのパリ時代の図書館の回想とは雰囲気が大分違って面白い。パリ時代の図書館の周りの学生たちは明るい光の中で勉学に励んでいる中、スティーヴンの心の中には怠惰のモンスターがいた。一方で、このマーシュ図書館は貧民街の中心にある上に、稀覯本を読むには(上記の説によると)盗難を防ぐための檻の中に閉じこめられなければならない。

 「ヨアキム・アバス(大修道院長ヨアキム)はヨアキム・オブ・フィオーレ(Joachim of Fore)。12世紀のカラブリア出身の神秘主義者。聖書に隠された意味、特に黙示録の意味を研究した。彼の黙示録哲学は、歴史についての神の計画に革新的な理解を示したという点で大きな影響を与えた。ジョイスは“Abbas”という言葉をダンテの『神曲』の「天国篇」(第12歌、140)で見つけたのかもしれないが、作中でヨアキムとジョナサン・スウィフト(この後に出てきます)を結びつけたのは、この二人がイェイツの「掟の銘文」(The Tables of the Law、1897年)の中で関連づけられているという要因もあるようだ。ギフォードは『スティーヴン・ヒアロー』の中で主人公オーウェンがヨアキムの予言を信じ、その予言の熱情をスウィフトのものと結びつけていると指摘している。ヨアキムの“fading prophecies”(色あせた預言)は初期キリスト教教義において確立された、歴史の直線的・目的論的理解と、中世に発達した歴史編纂の、人間・動物像の形成における見地を刷新した。それまでの歴史編纂の中で、聖書中の記述は後の出来事を予言する「比喩・象徴」「類型」として考えられていた。例えば神学者たちは、出エジプト記中でのユダヤ人の四十年にわたる荒野の放浪を、マタイによる福音書ルカによる福音書におけるキリストの砂漠での四十日間を予言的に先読みしたものとみなしていて、彼らはそれを神という「考案者」によって書かれた大きな意義を持つ様式としてとらえていた。ヨアキムはこの類型論的な歴史編纂を三位一体のイメージで作り直した。ヨアキムによると、旧約聖書に表された時代(創造からキリストの誕生まで)は父なる神の治世を構成し、人類は十戒という神の律法に従っていた。新約聖書からヨアキム自身の生きていた時代(1260年)は御子であるキリストの治世を構成し、人類はキリスト信仰と、その新しい法(隣人愛)によって神的本質と結びつけられる。未来は聖霊の治世となり、人類は神と直接接触することができるようになり、新しい法に従うことになるであろう、と説いている。それぞれの時代は人類に対し、神の目的を前の時代よりもより完璧に示すものである。聖霊の時代が来れば教会のヒエラルキーはなくなり、キリスト教徒はイスラム教徒と共通の目的を見つけるであろう。聖書の神秘的意味は、テキストの文字通りの意味から分析されるのではなく、直感的に理解されるようになるだろう。人間は最終的に、福音書に予言されている根源的な自由と愛を実現することになるであろう、と述べている。スティーヴンのブレイクへの興味を考えると、この終末論的な考え方に興味を持っていたであろうことは容易に想像できる。しかしスティーヴンが人類の歴史の悲惨かつ改善していくことのない過程と折り合いをつけるようになっていくことから、ヨアキムの予言は、古門書の紙上だけではなく、スティーヴンの希望の中でも「色あせていく」ようだ」*59

 「掟の銘板」を調べてみると、確かにヨアキムについての記述が主で、スウィフトについての言及もある。「ジョナサン・スウィフトは、自己自身を憎むように隣人を憎むことによって、この都会の紳士方のために一つの魂を作ったのだ」*60。しかしなぜイェイツはここでヨアキムとスウィフトを結びつけたのか(それを理解するにはイェイツとスウィフトについて深く調べることが必要…)。それよりも、前掲の解説中にあるように、ヨアキムとダンテとのつながりを強く感じる。「僕はジョアキム・オヴ・フローラ(ヨアキムのこと)のことを殆ど知らないが……ダンテは後に博士たちと一緒に彼を天国に置いているね。彼(ヨアキム)がこんな特異な異端の説を唱えていたのなら、どうしてその噂がダンテの耳に入らなかったのか、ということも分からないな」*61。教会教義や信仰について疑念を抱いていたスティーヴンは、ヨアキムの示すような未来への希望のある思想に共感を抱きつつも、結局実現されなかった「第二の時代」やこれまでの悲惨な歴史を認識するという苦悩の狭間にあるのかもしれない。またヨアキムについては以下のような説明もある。「(ヨアキムの述べる)第三の時代は「聖霊の時代」であり、第一、第二は過渡的なもので、第三の時代によってそれは克服され、世界は完成する。地上において第三の時代は修道士の時代であり、現在(また、ヨアキムの生きていた当時)の教会秩序や国家などの支配関係に基づく地上的秩序はなくなり、兄弟的連帯において修道士が支配する時代が来るとされる。ミルキアエリアーデは『世界宗教史』において、ヨアキム主義がレッシングの『啓蒙の世紀』などに影響を与えているとしている」*62。ここでせっかくレッシング(「順列」と「並列態」の人)の名が挙げられているのだから、『啓蒙の世紀』について調べてみるべきだったのだが、関連する論文をざっと見たところレッシングではとても終わりそうにない予感しかしなかったので、今後もまた現れるかもしれない謎の一つとして残しておく。

・U-Y 77「誰に宛てた予言だ?」

 U-Δ106「誰に与える預言を?」

 “For whom?”

 →両訳では「予言が」誰のためか、と解釈しているようにとれるが、「誰のためにスティーヴンがそんな本を読んでいたのか?」との解釈もある*63。次に続く文章から、一見後者の説のほうが正しいのではとも思われるのだが、もしかしたらヨアキムの「予言」があたっていないこと(第三の時代は訪れず、修道士による治世もなく、自由区の中の貧民たちに代表されるように人々は苦しみつづけていること)に対する皮肉として解釈することもできるだろう。

・U-Y 77「大寺院境内の百頭の烏合の衆にだ」

 U-Δ106「大聖堂境内にうごめく百の頭の衆愚連中にさ」

 “The hundredheaded rabble of the cathedral close”

 →「百頭」は仏教説話にも登場する怪魚。外見は巨大魚だが、頭部は馬、猿、犬、豚、虎、狐、羊、蛇などそれぞれ異なる百の頭からなる*64  また、ギリシャ神話ほか諸国の伝説・神話に登場するラードーンという怪物(ロターン、イルヤンカ等様々な呼称を持つ)は、百の頭を持って描かれることもある(cf.アリストテレスの『蛙』(475行))*65。この言葉は「烏合の衆」の実際のたくさんの頭を意味してはいるが、第三挿話のテーマでもある事物の変幻自在性のニュアンスも含んでいるのだろうか?(さらに言えば、「烏合の衆」の「烏」という文字にもこのニュアンスは波及している)。rabbleは「下層階級、群衆、烏合の衆」の意。closeは「(カテドラルなどの)境内」の意。結局この文章で言っているのは大聖堂境内(図書館敷地内)にいる貧しい人々のことを指しているのだろう。

・U-Y 77「己の同類たちを嫌悪した男が同類たちを逃れて狂気の森へ走った」

 U-Δ106「一人の人間嫌いがやつらを避けて狂気の森へ逃れた」

 “A hater of this kind ran from them to the wood of madness”

 →「一人の人間嫌い(己の同類たちを嫌悪した男)…諷刺作家、聖パトリック大聖堂の首席司祭ジョナサン・スウィフト(1667-1745)。晩年、人間嫌いが高じて発狂した。墓碑銘の一節に「激シキ怒リモソノ心ヲ引キ裂クコトアタワヌトコロヘ」とある。後の「憤怒に狂う首席司祭」(狂乱の主席司祭)もスウィフト」(U-Δ注)。haterは「(人・物事を)ひどく嫌う(憎む)人」の意。

 ジョナサン・スウィフトはダブリンのトリニティ・カレッジで学士号を得た後、アイルランドでの政治的混乱(名誉革命の影響による)のためイングランドへ移住、そこでサー・ウィリアム・テンプル卿の秘書兼個人的助手の職を得て、大いに信頼されるようになる。テンプル卿は彼をイングランド王三世に紹介し、ロンドンへ派遣するなどして重用し、その後も彼の面倒を見た。テンプルの死後、スウィフトは人間の中で善良なものは全てテンプル卿とともに死んだ、と述べている*66。いかにテンプル卿以外の人間を嫌っていたかが分かるエピソードでもある。調べられる限りで調べた中で、彼が「人間嫌い」だったという言及は随所でなされているが、どういう経緯で「人間嫌い」になったのか、それは先天的な性質によるものなのか、それともいくつもの挫折、敵対関係から生じたものなのかまでは分からなかった(スウィフトの伝記などを読めばわかるかもしれない)。ただ、『ガリヴァー旅行記』を含む彼の多くの批判的な著作を読めば、その特質は容易に推し測ることができる。『ガリヴァー旅行記』について調べると(恥ずかしながら読んだことがありません… パブリックイメージしか知らなかった。そのうちちゃんと読むつもりです)人間に対する彼の辛辣な批判と同時に、いかに彼が人間性に対する懐疑を持ち、人間を嫌っていたかが分かる。というわけで長くなるが、『ガリヴァー旅行記』についての説明とあらすじをなるべくまとめて書きだしてみる。

 「『ガリヴァー旅行記』は1735年に完全版が出版されるまでに、大きな改変が加えられている。当時のイギリスの対アイルランド政策により、イギリスが富を享受する一方でアイルランドが極度の貧困にあえいでいたという状況が執筆の契機となった。法における判例上の対立、数理哲学、不死の追求、男性性、動物を含めた弱者の権利等、今日でも行われている様々な議論が予見されている。旅はリリパット国から始まる。ここは小人の国。隣国のブレフスキュ国との戦争は、ヘンリー8世による処刑、追放刑で始まったイングランド国教会カトリック教徒の諍いを反映している。二国間の諍いの原因(卵のむき方)を嘲笑することで、聖書解釈は多様であることを示しつつ、些細な出来事が大きな争いに展開する状況を風刺している。次はブロブディンナグ国という巨人の王国。ガリヴァーは王妃の歓待を受け、宮廷の女官たちが彼のもとを訪問するが、その女性たちがいかに不潔、不道徳であるかを繰り返し述べることで女性への嫌悪感を示している。国王はガリヴァーにイギリスについて細かく質問し、ガリヴァーはそれに答えることで大英帝国の諸問題を提示し、政策批判を加えている。火薬の製法を教えようとするガリヴァーに国王は戦慄し、国王は人類が地球上最も哀れな種族であると考えるようになる。そしてガリヴァーはラピュータ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリップ、日本を訪れる。ラピュータは「空飛ぶ島」で、バルニバービの首都。ラピュータの市民は全員科学者だが、表向きは啓蒙的である一方、実際には学問のための学問を行っているにすぎないという記述から、科学における啓蒙主義を批判している。ラピュータに搾取されているバルニバービの人々はしばしば反乱を起こすが、その度に国王はラピュータを反乱地の上空へ動かして、ラピュータによる空からの投石を行い、天候を荒らし飢餓と病をもたらす。このくだりはロンドンに搾取されるアイルランド、実際にアイルランドで起こった反乱を反映している。グラブダブドリップでガリヴァーは降霊術により歴史上の偉人と会い、彼らがいかに堕落した不快な人物であったかを知る。歴史の修正の問題と、幾世代にもわたる人間性の堕落がいかに根強いものであるかを示している。ラグナグ王国では不死の人間ストラルドプラグの噂を聞く。彼らは死なないけれども、老いは免れない。その結果、心身の不自由に愚痴をこぼし続け、高齢というだけで無駄に強大な自尊心をもつ低俗極まりない人間になる。彼らは80歳になると法的に死者とされ、老い続けるまま世間から厄介者扱いされる、という悲惨な境遇にあり、老いと死のテーマについての批判と考察がここで語られている。そして最後はフウイヌム国。フウイヌムの住民は馬の姿をした種族。平和で合理的な社会を営んでおり、戦争、疫病や大きな悲嘆といったものに苦しむことはないが、エリート主義的、官僚的であり、創造性に欠け、厳密なカースト制度を保っているという点で、イギリスの貴族制を風刺している。フウイヌムは、ヤフーと呼ばれる邪悪で汚らわしく、毛深い生物に悩まされている。ヤフーは人類を否定的に歪めた野蛮な猿のような種族であると同時に、退化した人間性をもつものとして描かれている。ガリヴァーと友人になったフウイヌムは、無益なことで絶え間なく争うヤフーと人間との類似性を見いだす。その友人は、ヤフーにはまだ文明を発展させる知恵がないから、知恵のある人間よりまだまし、と評している。ガリヴァーの国(イギリス)の馬が、飼い馬も野生の馬も荒々しいが誇り高い存在で、ヤフーのように粗野で、卑しくもないと話し、人間が馬(動物)以下であるというような記述によって人間の低俗さに対し痛烈な批判を加える。ヤフーとガリヴァーは肉体的な性質の点で言えば全く同じものではないが、雌のヤフーに性交を求められる。それによってガリヴァーは自分がヤフーであると信じるようになり、フウイヌムであることを切望するが、フウイヌムの議会によって二者は同一の存在との判決を受け、処刑または国外追放を言い渡される。故国に帰ったガリヴァーは、出来る限り人間性から遠ざかろうと考え(自分がヤフーと同一と判断されたという考えから)、妻よりも厩舎の臭気を好み、フウイヌムから習った言語で馬たちと会話をすることで心の平安を得た」*67

 これを読むと確かにスウィフトの人間批判は的確であり、大いに的を射ているのだが、一方でスウィフトは人間というものに期待をし過ぎていたのではないか、という感想も覚えた。“one’s (own) kind”は「(自分と)同類の人」の意味で、これは人間一般のことを指しているのか、アイルランド人のことを指しているのか、スウィフトと似たような人間のような人を指しているのか、聖職者のことか、それ以外の可能性をさしているのかと考えたが、上に記したあらすじを考えると、人間一般のことを指しているのだろうと思う。「己の同類たち」という訳語からはスウィフトと似たような人間のニュアンスが感じられる一方で、U-Δの訳のほうが人類一般を指している感じが強い。これまでの挿話にも「馬」に関する表現や言葉はしばしば出てきているが、ここで「馬」の存在が大きな意味を持っている『ガリヴァー旅行記』を出してくることにどういった意味を持たせているのだろうか。少なくともこの表現は、スティーヴンの第一挿話~第二挿話での態度と、特に批判精神という点で共通点があるように思われる。そしてヨアキムとスウィフトは「聖職者・異端者」という共通点で繋がる。“wood of madness”に関して言えば、スウィフトは1738年に病の兆候をきたし始め、1742年には脳卒中を患い、精神障害者になるのではないかと非常に恐れていた。Thomas. H. Bewleyは彼の衰えを「末期の認知症」としている*68

・U-Y 77「月明かりに揺髪が泡を吹き、目玉は星」

 U-Δ106「月光のなかで彼のたてがみが汗ばみ眼球は星となった」

 “his mane foaming in the moon, his eyeballs stars”

 →「揺髪」は馬のたてがみの肩の付け根部分の長い髪(毛)のこと。foamingは「泡、(馬などの)泡汗」の意。馬の汗は泡立つのだろうか、と思って調べたところ、馬の汗には界面活性剤のようなもの(ラセリン)が含まれていて、泡立ちやすいらしい*69

 

*70。">

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馬の汗。確かに泡立っている*71

 「目玉は星」というのは月明かりの下で輝くスウィフト-馬の目の詩的表現なのか、狂気の表現なのか、それともスウィフトの知性の表現なのだろうか。

・U-Y 77「フウィーンヒヒン族、馬鼻穴、縦長の馬面たち」

 U-Δ106「馬の鼻孔をひろげるフーイヌムだ。楕円形の馬づらども」

 “Houyhnhnm, horsenostrilled. The oval equine faces”

 →「フーイヌム(フウィーンヒヒン族)…スウィフトの『ガリヴァー旅行記』に登場する動物。馬の姿をしているが怜悧で分別に富み、人間の姿をした野卑で猥雑な動物ヤフーを飼っている」(U-Δ注)。「フウィーンヒヒン族」というのは敢えて馬のいななきを模した表現だろうか。『ガリヴァー旅行記』内の言葉ではあるが、あくまで『ユリシーズ』の翻訳なのでそれをそのまま使わなければならないわけでもないだろう。nostrilは動詞になると“having (specific type or number of) nostrils”という意味になる。ovalは「卵型の」、equineは「馬のような」の意。U-Yでは「縦長の馬面たち」、U-Δでは「楕円形の馬づらども」としているが、「馬」が強調されていることを考えると、楕円形というより縦長という言葉のほうが馬っぽい感じがする。楕円形ではやはり人間の顔の形を想起させる効果が強いと思う。U-Yでは「馬鼻穴」、U-Yでは「馬の鼻孔を広げ」と訳しているが、horsenostrilledという言葉に即しているのはU-Yのほうだろうか。U-Δではその後の憤怒の表現を考えて、怒りで鼻の穴を膨らませている感じを出しているのかもしれない。この後も文章は続くが、両訳とも一旦ここで文章を切っている。ちなみにだが、この“Houyhnhnm”という単語は、横から見た馬の体形に似ていないだろうか? 最初のHをhにするともっと分かってもらえるかもしれない。“houyhnhnm”。最初のhが頭部、hnhnが脚、mが尾…

・U-Y 77「テンプル。バック・マリガン、提灯顎の狐キャンベル」

 “Temple, Buck Mulligan, Foxy Campbell, Lanternjaws”

 →「テンプル…スティーヴンの大学時代の友人。『肖像』に登場。第二挿話の債権者の一人。/提灯顎の狐キャンベル(Foxy Campbell, Lanternjaws)…どちらもベルヴェディア・コレッジの教師リチャード・キャンベルの綽名(『肖像』参照)。「フォクシー」は「狐づらの」「ずる賢い」「提灯あご」(またはカンテラあご)。Lantern jawsは頬がこけて顎の長い顔」(U-Δ注)。

 templeは辞書によって「(キリスト教以外の)寺院、神殿、教会堂」という意味と、「(キリスト教の)(大)礼拝堂、聖堂、教会堂(特にフランス(語圏)の新教徒の教会堂)、聖霊の宮(キリスト教徒自身)」という意味の記載されているものがあるのだが、聖パトリック大聖堂と「テンプル」との連想が全くないとは言えないと思う。ちなみにtempleには「こめかみ」の意味もある。マリガンは馬面(U-Y 1. 11)。「提灯顎の狐キャンベル」の「狐」については第二挿話でスティーヴンが再び死んだ母を思い出す場面で、その記憶を思い出したり思い出さないようにしたり、思い出したくなくても思い出してしまうかのように、夜のヒースの野で穴を掘る狐が登場している(U-Y 2. 55-56)。ちなみにここでも「星明かり」が出てきているが、この「狐」「星」とここで出てくる「狐づら」「目玉は星」との間に何か意味があるのかどうか、特に意味はないのかどうかは分からない。

 

*72。">

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アクションマンというイギリスのフィギュア(アメリカのG.I.Joeを元にしている)の写真だが、ブログ記事内で筆者はこの顎をlantern jawと呼んでいる*73

・U-Y 77-78「大修道院長神父、狂乱の主席司祭、何に憤慨してあの二人の脳天に火がついてしまったのか?」

 U-Δ106「教父大修道院長よ、憤怒に狂う首席司祭よ、いかなる侮辱を受けて彼らの脳髄は燃えあがったのか?」

 “Abbas father, furious dean, what offence laid fire to their brains?”

 →Abbasは前述のとおりラテン語で、「大修道院長」。「教父」は「古代から中世初期、2世紀から8世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、特に正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々」*74との説明がある。となると、ヨアキムもスウィフトも教父とは言えないのではないだろうか? fatherには「修道院長、神父」の意味がある。U-Yではfuriousを「狂乱」としているが、これはスウィフトの晩年の状況を踏まえた訳だろうか。deanは「(英国国教会)cathedralの首席司祭」とあるが、辞書によっては「英国国教会では「主席司祭」、cathedralの長」、「カトリックでは「首席司祭」、地方司教代理」「主席司祭」というように一定していない。「主席」の意味が「首席」と同じ、としている辞書もあるので、どれに合わせていいのか分からないところ。offenceは「侮辱、立腹、気を悪くすること」の意。brainは「脳、脳髄(特に複数形で)、頭脳」等の意。この「大修道院長神父、狂乱の主席司祭」「教父大修道院長、憤怒に狂う首席司祭」は改めて言うまでもなくヨアキムとスウィフトのことと考えられるが、fatherもdeanも複数形ではない(その後にはtheirがきているのに)。それともAbbas fatherはヨアキムのことで、furious deanはスウィフトを指すのか(前掲したヨアキムとスウィフトの説明からその可能性が高いように思われてきた)。「憤怒に狂う」という訳は確かにヨアキムもスウィフトも批判や異端扱いをされているので、特にスウィフトに関してはふさわしい訳かもしれないが、その後に「脳天に火がついて」と続けていることと(類似の表現が重なり、怒りを強調しすぎている感じがする)、二人とも教会権威に理解されないという経験をしていることから、U-Δの「いかなる侮辱を受けて」のほうが原文解釈の広がりが出るように思われる。

 “laid fire to their brains”を「脳天に火がつく」と訳したのは、先のfuriousやoffenceを受けたものなのだろう。fireには“burning intensity of feeling; ardor or enthusiasm, liveliness and vivacity of imagination; brilliance”という意味もあり、また「火がつく」という言葉には「勢いが出る、感情や情熱が高まる」という意味があるので、ここでは自身の活動、思索、情熱がますます盛んになる、というニュアンスも入れている可能性がある。「脳髄が燃え上がる」という表現は確かに辞書通りであるが、もしかしたらU-Yと同じく立腹する以外の含意もあるのかもしれない。スウィフトの生涯や作品から、彼の怒りは分かる。しかしヨアキムに関して言えば、確かに侮辱を受けたと感じたのかもしれないが、「憤怒」していたのだろうか? この問いに関して、ヨアキムの「スウィフトと共通する「人間的すぎる人間」からの逃避に対する絶望・困惑と、この二人への感嘆の念との間に、スティーヴンがどのような調和を見出しているのかははっきりしていない」*75という言及がある。また、「ヨアキムは(三位一体に基づく預言において)未だ不完全な社会を暗に示す「正義の治世」や「法の治世」と、完全な世界を表す「自由の治世」とを区別した」*76という解釈を考えると、ヨアキムが自らの生きる時代を不完全と認識し、それを批判していたのだ、と言えなくもない。

 しかし同時に「ヨアキムの理論は1263年、アルル会議で異端と宣言される。その後も彼の見解は様々な宗教的派閥に影響を与えたが、これらはすべてカトリック教会によって異端とされた。しかし非難されたのは彼を取り巻く思想や運動であって、ヨアキム自身が非難されていたのではない。彼は存命中高い評価を受けていた」*77とも言われている。以上の説から、高い評価を受けつつ、同時にその考えを弾圧されていたヨアキムを表現するのに、「憤怒に狂う」という強い表現は適切であろうか、と思わざるを得ない。

 また、スウィフトから始まり脳天に火がつくまでの部分については、以下のような指摘と問いがある。「スティーヴンは『肖像』でキャンベルのことを「生徒たちが「提灯あご」とか「狐づらキャンベル」と呼んでいた」イエズス会士として考えている。第一挿話で「縦長の馬面」と表現されていたマリガンと、『肖像』の中で「黒い卵型の眼」*78“dark oval eyes”をしていると描写されているテンプルの二人は、この節でのスティーヴンの「縦長の馬面たち」に当てはめることができる。『肖像』の中でキャンベルは少ししか登場していない。スティーヴンは自分がイエズス会修道士になることを想像し、「はっきりしない顔ないし顔いろが心に浮び出る。その褪せた色は、冴えない赤煉瓦のたえず移ろい変る輝きのように強烈なものとなった。それは冬の朝、司祭たちのひげを剃った顎の下によく見かけた、あのなまなましい赤い色じゃないだろうか? のっぺらぼうで、苦虫を噛みつぶしたようで、信心深そうで、しかし押し殺している怒りのため桃色がかっている」*79という印象をキャンベルから受けている。そして、「縦長の馬面たち」を想起したのは、キャンベルの顔に拠っていたのかもしれないとスティーヴンは考えることになる。この三つの顔が一つに合成されることで、簡単には答えの出ない、より困難な問題が生じることになる。スティーヴンは聖職者たちからの支配から何とか逃げることを考えているのだろうか? 「大聖堂境内の中にある」マーシュ図書館の神学書に美は存在しない、というスティーヴンの回想の後には、司祭たちのことと彼自身の「ひどく信心深かった」時期を思う三つほどのパラグラフが続く。第一挿話でマリガンが司祭の真似をしているとき、スティーヴンは彼の顔を馬のようだと思っている。しかしテンプルという名前を「聖職者」と結びつけるものはない。スティーヴンのあらゆる発言にまとわりついてくる「ジプシーのような学生」テンプルは、社会主義者共和党員であり、頑なな反聖職者主義だ。エルマンによると、テンプルのモデルは当時(1903-1904)ジョイスと付きあいのあったジョン・エルウッドというダブリンの医学生である。だとすると「テンプル、バック・マリガン」という言葉の繋がりは意味をなす。だが「縦長の馬面たち」がこの若き芸術家の才能に少しだけ触れた若い男たちのことである、という大雑把な推論はキャンベルの存在によって打ち消され、この挿話でのスティーヴンの思索の流れの中ではほとんど意味をなさない。さらに、スティーヴンはスウィフトを馬好きのガリヴァー的な人物としてだけではなく、スウィフト自身を馬として、分別のない大衆から「狂気の森へ走った。月明かりに揺髪が泡を吹き」と表現されているように逃げる姿を想像している。彼は才気煥発なスウィフトをもう一人の才能豊かな聖職者であるヨアキムと結びつける。「大修道院長神父、狂乱の主席司祭、何に憤慨してあの二人の脳天に火がついてしまったのか?」この二人の天才に対するスティーヴンの称賛と、あまりにも人間的すぎる「人間」からの逃亡(本質的には宗教的な逃亡か?)に対する落胆との間に、スティーヴンがどのような落としどころをつけていたのかははっきりしない。このスウィフトとヨアキムの問題に、馬面のマリガン、テンプル、「狐づら」キャンベルを結びつけると、テキストの意味するところはさらに不透明になる。何か不愉快なことや侮辱がマリガンら三人の脳天に火をつけたのだろうか?」*80

 この指摘と問いについてだが、スティーヴン自身が聖職者による支配から逃げだすことを想像しているというイメージは、この部分のテキストからはあまり感じられないのでは、と思う。また、テンプルと聖職者との繋がりはない、と述べているが、スウィフトの職のあっせんをした恩人はテンプル卿だ。直接の関連はないが同じ名前である以上、全く関係がないとも言えないのではないだろうか。また、大聖堂境内の中にあるマーシュ図書館の神学書に美は存在しない、と書かれているが、「美が存在しない」のは神学書にではなく、大聖堂境内、あるいはマーシュ図書館の敷地内のことではないだろうか。さらに、ヨアキム-スウィフトと後の三人の共通点についてははっきりしない、とされているが、上記指摘中の引用に見られるように、『肖像』の聖職者の描写(それはキャンベルに繋がる)にも「怒り」は描かれているという点でスウィフトと関連しうる。テンプルについては前述のとおり「教会・寺院」からの連想である可能性があり、マリガンは第一挿話でのスティーヴンとの会話の中で、ほぼ始終ふざけているように思えるが、塔にいつまでも滞在するヘインズを罵っているし、マリガンがスティーヴンの母親を「畜生みたいに」死んだ(U-Y 1. 19)と言ったことに対して、スティーヴンがそれを自分への侮辱だと言い返した際に、マリガンの顔には「ぱっと赤み」が差し(U-Y 1. 19)、「ぎこちなさを苛めきつつふりほど」きながら(U-Y 1. 19)スティーヴンに反論し、段々「ふてぶてしく」なっていく(U-Y 1. 20)。マリガンのそれは強い怒りとは言えないが、彼の描写にも幾分かの「怒り」は感じ取ることができる。この五人に皆同じ共通点があるとは言えないが、一人からもう一人へ、という形での繋がりは漠然とあるのではないだろうか。

・U-Y 78「ふふっ! 降り来れ、光頭の君、総禿とならぬまに」

 U-Δ106「ポン! 《降リテ来イ、禿頭、イマヨリモット禿ゲナイウチニ》」

 “Paff! Descende, calve, ut ne amplius decalveris”

 →「ラテン語。ヨアキム『預言の書』(1589)の一節をもじって。その一節自体は「列王紀略下」2.23「かれ(エリシヤ)そこよりベテルに上りしが、上りて途にありけるとき、小童ども邑よりいでて彼を嘲り、彼にむかって、禿頭よのぼれ、といいければ」に拠っている。世に容れられぬ預言者への嘲笑と解すべきものか。アダムズによれば、1902年10月22、23日の両日に、ジョイスがマーシュの図書館から本書を借り出した記録が残っている」(U-Δ注)。Paffは“used to represent the sound of an impact, blow explosion etc.(bang, pow), used as an expression of contempt: (nonsense, rubbish(rare))(爆発音、衝撃の音の表現、または嘲りの表現として用いられる)”の意味とのことで、両訳でははっきりと解釈が分かれている。U-Yの「ふふっ」は笑っているのだろうが、何かを思い出して笑っているのか、ヨアキム、聖職者、他の誰かを嘲って笑っているのか、それとも自分の言葉の改変が面白くて笑っているのか。U-Δの「ポン」は前文で出てきた脳髄の燃え上がる音か、「禿頭」が降りてきた音か、この言葉を思いついた音か。「降り来れ」という言葉は、もしかしたら「俗人に戻れ」という意味を含んでいるかもしれない。

 ここで一つ問題が生じている。U-Δ注では“Paff”以下の文章が「ヨアキムの『預言の書』(1589)」をもじったものとしている。しかしヨアキムは13世紀に亡くなっている。ヨアキムの著作について調べてみて、一番『預言の書』という題名に近いと思われるものは、“Expositio in Apocalipsim”(“Exposition of the Book of Revelation”、1196–1199年頃に著された。『ヨハネ黙示録注解』とでも訳すべきか)くらいしか見つからないのだが、ヨハネ黙示録の中に「列王紀略下」の言葉に依拠し、「禿頭よのぼれ」をもじったと読める記述は見当たらない。ではU-Δ注にある1589年の『預言の書』とは何を指しているのか。出版年(あるいは公にされたとみなされている年)という点では1589年に出現したとされている『大修道院長ヨアキムの予言』という偽書(ヨアキムの著ではないとみなされている)*81とも考えられるのだが、この偽書について触れているのがインターネット上ではこのサイトしか見つからず、原題もはっきりしない。ここは著作の出現年に関して厳密な一致を基にして推測するべきではないかもしれない。この『大修道院長ヨアキムの予言』は措いておくことにして、「ジョイスがマーシュ図書館で読んでいたのは、13世紀後半以降に公にされた一連の写本・印刷物で、教皇ニコラス三世以降(1270年代~)の教皇たちについての予言が書かれている。これらの書物の題名は“Vaticinia Pontificum”(『教皇たちについての予言』)、“Vaticinia de Summis Pontificubus”(『全ての教皇に関する預言』)などであり、15世紀中にヨアキムの著作と考えられるようになった」*82という指摘に着目したい。この『全ての教皇に関する預言』が15世紀初頭のヨーロッパに現れた予言書で、現在ではヨアキムの名を騙って何者かが書いた偽文書と理解されている*83という説、またこの偽文書は、本来別の作品であった『諸悪の端緒』と『禿頭よ登れ』の二つを合わせたものであり、『禿頭よ登れ』という言葉が旧約聖書の「列王記伝下」第二章二十三節に出てくること、『禿頭よ登れ』がニコラス三世を暗示した絵から始まる15組の挿絵と文章から構成されている*84ことから、U-Δ注において「降り来れ、光頭の君、総禿とならぬまに」という表現をその典拠としている「1589年の『預言の書』」とは、ヨアキムの偽文書である『全ての教皇に関する預言』のことなのではないだろうかと推測される。いずれにせよ、「ヨアキム『預言の書』(1589)」と書いてしまうと、13世紀に死んだはずのヨアキムが1589年にこの書物を著したように誤解してしまうので、注を付けるのであればもう少し補足説明を入れるべきだと思う。

 「禿頭よ登れ」という言葉の出てくる「列王記伝下」第二章二十三節のエリシア(エリシヤ)は、BC9年代のイスラエル王国で活躍した預言者旧約聖書の登場人物の中でもとりわけ魅力のある人物の一人と感じる人も多いようなのだが、それは預言者らしからぬ人間的な苦悩を背負いながら生きた彼の人生が描写されているためと認識されている傾向が強い。彼の行ったとされる奇跡の数は非常に多い。また、エリシアに関する説話は、彼が社会的弱者の救済を惜しまない義人であったことを示す反面、気難しく激しやすい性格や、無慈悲で残酷ともいえる人物像をも反映している。U-Δ注内に挙げられている逸話は、エリシアがエリコから帰る途中で、他の町から出てきた子供たちに「禿げ頭、上って行け」とからかわれたため、神の名において子供たちを呪い、その結果出てきた熊によって42名の子供たちが熊に引き裂かれ殺された、という内容だ。ちなみに、この逸話から「根も葉もない、何の根拠もない」という意味で「熊もなければ森もない」(“Neither bears nor forest”(原文はヘブライ語))という慣用句が生まれたとされている。一部の注釈家たちは、子供たちはエリシアによって自分たちの町の収入源を「禿げさせた、不毛にされた」から野次を飛ばしたと考えている。これはエリシアがエリコの水を清めるまで(エリシアはエリコの町の水源を塩で清めたという奇跡を行っている)、エリコの住民は彼らの町から水を買っていたという解釈に基づいている。また、エリシアについての記述が忠実に聖書内の記述に反映されているなら、その野次を飛ばされた時期はエリシアの青年期の頃だったと推定され、子供たちの野次は彼の容姿に関係なかったのではないか、という可能性もあるようだ*85

 スティーヴンによる偽ヨアキム文書の文言の改変については以下のような指摘がある。「「降り来れ…」の一文は、旧約聖書にある男性の頭頂部の禿げと神の怒りを描いた恐ろしい記述をほのめかすものである。ほのめかしの背後にある明確な意図は非常に曖昧だが、スティーヴンは聖職者による支配からの逃亡について考えているように思われる。なぜ「禿頭よ登れ」という文言が、ヨアキムを騙って書かれた中世後期の教皇たちに関する予言書の冒頭部分に置かれなければならなかったのかは不明だが、ニコラス三世(この予言書の中で最初に取り扱われている教皇)がオルシーニ家(イタリア語でオルシーニは熊の意味)の一員であることと何かしらの関係があるように思われる。『全ての教皇に関する預言』の古写本の最初の予言には、ニコラスが人懐こい様子の二頭の子熊の間に座っている様子が描かれていて、彼をエリシアと関連付けている(エリシアが熊に子供たちを殺させたエピソードと繋がる)。この絵に添えられたテキストは大変難解であり、以下のように始まる「上がれ、禿げた者よ、もっと禿げないように、妻を禿げさせることを恐れない者よ、雌熊の毛に栄養を与えるように」。「降り来れ…」の一文におけるスティーヴンによる改変、つまり「上がれ」を「下がれ」とし、「もっと」を「過度に」に変えたことも理解しがたい。スティーヴンはこの書物の文章をちゃんと覚えていなかったのか? それとも、理由はともかく故意に意味を変えたのか? ギフォードによると、ヨアキムの教えが生前に異端であると宣言されたことはなかったが、1215年のラテラン公会議で一部の教えが非難され、または1255年には教皇委員会がヨアキムの熱烈な支持者の一人を非難し、一方でヨアキムを免じている。スティーヴンは、アイルランドに生まれた不幸な天才として自分をスウィフトと比較しているのと同様に、教会と関わりをもったもう一人の天才として、自分とヨアキムと比べているように思える。カトリックアイルランドという宗教・国の両方との関与が、残酷な狂気へと導く。ヨアキムの天才は、単なる教会儀式を行うためだけのものにまで貶められてしまったのか? エリシヤのくだりについての思索は、『ユリシーズ』中に現れる他の描写と同様に不明瞭だが、スティーヴンがヨアキムを、つまらない組織と関わった結果怒りを覚えずにはいられなかった、教会関係者とみなしているのは明らかであるように思われる」*86

 上記の指摘でも、スティーヴン(あるいはヨアキム)が「教会から逃亡すること」が強調されている。この文章より前の記述から(森へ逃げるスウィフトなど)からも確かにスティーヴンの意識の中にはそのような思いが強くあるのだろうとは思えるのだが、この挿話だけでなく、これまでの文章中にも教会や神、宗教に関するスティーヴンの思索は頻出している。離れたいと同時に離れられない、といったアンビヴァレントな感情だとすれば、それはスティーヴンの意識を非常に強く支配しているものと考えられる。それはスティーヴンの母に対する感情と近いものがあるかもしれない。

 それとは別に、この文章の背後に、預言者の呪いによって熊に食われる子供、という内容のテキストがあること、偽ヨアキム文書の冒頭で予言として語られている教皇の属するオルシーニ家の紋章に熊が描かれている、という繋がりがあるという点は面白いのだが、この文脈の中でその教皇や熊がいかなる意味を持つのかについては全く分からない。そういえば、「百頭」(U-Y 77)を調べていた時に、ラードーンはヒューギノス(BC64頃-17)の“Astronomy”の中でりゅう座にあたる、との説があり*87、このヒュギーノスのラテン語で書かれた“POETICA ASTRONOMICA”(『天文詩』*88)の英訳、“MYTHS OF HYGINUS”を翻訳したサイトを見てみると、りゅう座の章に載せられているイラストは、その蛇のようにくねらせたZ型の体のあいだに、二匹の熊を挟んでいる*89

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竜に挟まれた二匹の子熊*91

 イラストは“Mythographi Latini” (1681)に載せられていたもの、とサイトにはあるが、この“Mythographi Latini”はどうやらヒュギーノスの『天文詩』にFabius Planciades Fulgentius(5世紀後半-6世紀前半)やLactantius Placidus(350-400)らが手を加え、Thomas Muncker(Thomas Munckerus)が編集したもののようである*92。無料の電子書籍版を確認してみると、確かにりゅう座(Draco)の章には、竜のあいだに二匹の子熊が挟まれた、同じイラストが掲載されている*93。実際の星座の位置と比較してみると、りゅう座の中にこぐま座は挟まれているが、こぐま座は一つだけなので、一ヶ所にしか「小熊は挟まれていない」ことになる。おおぐま座りゅう座の描く折れ線の中に挟まれてるとは言えない。りゅう座の頭または尾の隣にある、と言ったほうが正確だ。つまり、二匹の子熊が竜によって挟まれているというのはヒュギーノスの考え、あるいはこのイラストの作者の考えに依拠しているということになる。オルシーニ家の紋章、このヒュギーノスの『天文詩』のイラストから、「二匹の子熊」が何らかの形でこの挿話に繋がっているのではないか、と考えさせられざるを得ない。 

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オルシーニ家の血統を継ぐ、唯一今も残る家系であるグラヴィーナ家系の紋章。確かに熊が描かれている。よく見ると二匹の熊に挟まれた紋章の中にも熊が描かれている*95
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『全ての教皇に関する預言』の古写本に描かれた、オルシーニ家の一員であるニコラス三世。二頭の子熊は彼を慕っている感じがする、と言えなくもない。絵の下の文章には“calve” "ampli”の文字が辛うじて読み取れる*97
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りゅう座こぐま座おおぐま座の位置関係*99

・U-Y 78「神罰を言い渡されたその頭にのっかる白髪の花冠がおれに蹴躓かんばかりに祭壇を転がり降りる己の身を見る(降り来れ!)」

 U-Δ106-107「灰いろの髪が花冠状に取り巻く呪われた頭よ、彼が、ぼくが、祭壇の段上に這い降りて来るのを見てくれ(降リテ来イ!)」

 “A garland of grey hair on his comminated head see him me clambering down to the footpace (descende!)”

 →「花冠状に取り巻く(花冠)…カトリック司祭の剃髪した頭頂(第一挿話参照)。ここではヨアキムを指す。「呪われた(神罰を言い渡された)」(comminated)は教会に呪われて破門された、の意。ヨアキムは破門されはしなかったが、没後その預言者歴史観が第四ラテラノ公会議(1215年)で異端とされたことがある。「彼」はスウィフト。この二人とスティーヴン(またはジョイス)は、大衆から孤立して生きた点で共通している」(U-Δ注)。

 この文章ははっきり言って原文そのものもどちらの訳も非常に分かりにくい。注にもあるが、comminateは「(神罰があるぞと)威嚇する、呪う、脅す」の意。clambering downは「伝い降りる」、と辞書にあり、clamberだけでは「上る(climb)」の意味のほうが強く、「to move or climb hurriedly, especially on all fours((特に四肢を使って)急いで動く、上る」という意味もある。footpaceは「床の一段高くなったところ、壇、(階段の)踊り場、the highest step of the altar(祭壇の階段で最も高い場所)」などの意味。文頭の“A garland of grey hair”は、全く同じ表現が第一挿話に出ており、U-Yではここで全く同じ訳を用いているのに対し(「白髪の花冠」(U-Y 1. 42))U-Δでは「そのまわりを花冠状に取り巻く灰いろの髪」(U-Δ 1. 59)としている。ここのfootpaceは「祭壇の階段で最も高い場所」、“clambering down to the footpace”は「祭壇の最上段へclambering downする」という意味になるかと思われる。clambering downの意味上の主語がhimかmeで、U-Yではhimのみを、U-Δではhimとmeの両方を意味上の主語として解釈し、訳している。him、またhimとmeが「降りてくる」のは、前出のヨアキムの言葉のもじりとされる「降り来れ」「降リテ来イ」“Descende”の一文に応じたものと考えられるのだが、あくまでこれが「もじり」で、ヨアキムの言葉を元にしてスティーヴン自身が改変し、ある意味彼の想像-創造した言葉として捉えられるとすると、「降り来る」のはスウィフトに限定されず、ヨアキムである可能性もあるのではないだろうか? また、ここで、U-Yではmeを「おれに蹴躓かんばかりに」と訳しているのだが、これはスウィフトやヨアキムの浴びた非難や、彼らの生涯の困難、異端視された事実、himとclamberingの間にmeが入っていることから、himがclamberするのをmeが邪魔していて、そのために蹴躓くという状況をイメージしたのだろうか? 訳としては自由過ぎるのだが、全体のニュアンスがつかめない以上間違いとも意訳の範疇とも判断しがたい。しかしそうなるとなぜ「おれに」蹴躓く必要があるのか? スティーヴンに誰かが「蹴躓く」理由が考えられない。サンディマウントの浜辺を歩いているスティーヴンの「歩行」の動作から「蹴躓く」に繋げたのだろうか? footpaceには並足(速くも遅くもない、普通の足並み)、常歩(一番歩度の遅い馬の進ませ方)の意味もあり、スティーヴンは詩作しながら「マーチじゃなくてギャロップ」などと言っているので、そういった言葉の連想がこの文章に影響している可能性はある。「転がり降りる」というよりも「転がり落ちる」のほうが日本語としては自然だと思うのだが、あえて「降りる」にしたのは、先に述べたヨアキムの言葉のもじりへの応答と同様、この節で何度も出てくる「降り来れ」に合わせたものと考えるのが妥当であろうか。 

 

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ミュンヘンの聖ミヒャエル教会の祭壇。分かりにくいが祭壇の最奥部に至る階段がある*100

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画像中央部に立っている人々のいる階段の最上段がfootpaceではないかと思われる*102

 そしてU-Yは平叙文なのだが、「降り来れ」と呼びかける声に応じてhimが降りていく際、その「転がり降りる己の身を」見ている。転がり降りる自分のさまを見る、とは一体何を言わんとしているのか? これはスティーヴンが頭の中でそういう姿を想像して笑っているのだろうか。原文の言葉通りに考えると、己の姿を「見る」のは「白髪の花冠」だ。ここでは「白髪の花冠」と「転がり降りる」人物との間にある程度の区別を設け(「白髪の花冠」が「己の身を」見ているので、完全に別個のものとはしていない)、転がり降りる自分を客観視している様を表現しているのだろうか。
 U-Δを見ると、こちらは命令文になっている。そもそも動詞のseeがseesにはなっていないのだから命令文と判断するのはおかしくはないのだが、主語がある(“A garland of grey hair on his comminated head”は主語だと思うのだが…)。主語のある命令文の例を探したのだが見当たらない(どこかにあるのだろうとは推測するのだが…)。ただ、こういう場合mustなどの助動詞が省略されている可能性がある、との指摘がネット上にはあった。もしかしたらheadとseeの間のコンマを省略しているのかもしれない。平叙文を用い、文章全体のニュアンスによって命令文の意味を持たせることはあると思うのだが、そうだとするとどういった意図で「灰いろの髪が花冠状に取り巻く呪われた頭」に「彼が、ぼくが、祭壇の段上に這い降りて来る」のを命じたのか。何かある、無意味にこういう文章にしたのではない、という感じはするのだが、それが何かは分からない。また、U-Δではhimとmeを同じclamberingの意味上の主語として分けて訳し、「彼が、ぼくが」這い降りて来る、と訳している。となると、ここでは「呪われた頭」の持ち主と「彼」を別人物としてとらえていることになるのだろうか。この「灰いろの髪が花冠状に取り巻く呪われた頭」を持つhimと、這い降りてくるhimはそれぞれ誰を指しているのだろうか。それともU-Yと同様に「呪われた頭」は「這い降りて来る」者の頭だが、それを別個の独立した存在として記述することで「呪われた頭」の持ち主が自己とスティーヴンを客観視しているように表現しているのだろうか。

 “clambering down to the footpace”のU-Yには疑問がある。先に述べたように、footpaceは祭壇の階段で最も高い場所の意味と考えられる。転がり降りてくるのがヨアキムにせよスウィフトにせよ、故人なので例えば天上のようなところから現実の祭壇の階段の最も高いところへ「降り来る」ことを想像していると思われるのだが、U-Yの「祭壇を転がり降りる」だと祭壇から会衆席へと続く階段を転がり降りるようなイメージを与える。ここは"down the footpace"ではなく"down to the footpace”だ。footpaceを転がり降りるのではなく、footpaceへと転がり降りるのだ。その意味ではU-Δの「祭壇の段上に這い降りて来る」のほうがまだ原文のイメージに近いのではないか、とも思うのだが、「壇上」ではなく「段上」にしている意味が、祭壇(altar)の形状を理解していないと読み手にはなかなか伝わりにくい。
 以上の両訳の解釈を考慮したうえで、他の訳文の可能性を考えてみると、“A garland of grey hair on his comminated head”はヨアキムともスウィフトとも限定されない「教会権威(に怯える?)聖職者(「白髪の花冠」は頭頂部の禿げた頭で、その禿げた部分の周りに白髪が生えている様を表しているのだろう。カトリック教会の修道士は頭頂部を剃るので、禿げている*103)の頭」と解釈し、“see him me”の前にはコンマが省略されている命令形として、himが誰であるかを断定しないという意味で「彼」を用い、meをスティーヴンとし、その両方をclamberの意味上の主語と考えることもできる(しかしなぜスティーヴンまで祭壇の最上段へ這い降りてこなければならないのかが分からない)。footpaceへclamber downするというのがどうしても訳しにくく、その意味もきちんと把握できていないのだが、やはり「降りる」という意味でのdownは反映させたい。というように考えた結果、かなり説明的になってしまうが、「呪われた頭を取り巻く白髪の花冠よ、彼が、おれが、祭壇に続く(きざはし)の最上へと這い降りるのを見よ」といった訳でもいいのではないか、と思う。

・U-Y 78「聖体顕示台をしっかと掴んで、バジリスク眼」

 U-Δ107「聖体顕示台にしがみつき、バジリスクの目をして這い降りてくるのを」

 “clutching a monstrance, basiliskeyed”

 →「バジリスク眼…ひとにらみで動物を殺すという想像上の爬虫類。ノートルダム寺院などのゴシック建築には怪物の顔をかたどった樋先(ガーゴイル)がある。「這い降りる(転がり降りる)」はその連想か」(U-Δ注)。これは前の文章に繋がっている部分。U-Yでは一度文章を区切っている。monstranceは「神聖化された聖体を礼拝用に公開するための(通常金、銀の)器」の意。basiliskは注にもあるが、「見ることで人を殺すことができる伝説の蛇または竜」の意味がある。同様に注内のガーゴイルについては「雨樋の機能をもち、怪物などをかたどった彫刻。単なる雨樋単体や彫刻単体ではガーゴイルとは呼ばない。主として西洋建築の屋根に設置され、雨樋から流れてくる水の排出口としての機能を持つ」*104との説明がある。この説明から、「降り来る」人物は雨樋を伝ってどこかから祭壇内へ入ってくるのをスティーヴンは想像しているのかもしれないと連想できる。文章の前半部分の考察をもとにするならば、clutchの意味上の主語はhimとmeで、basiliskeyedもこの両方の代名詞にかかっているものと思われる。となると、「降り来る」ものがバジリスクのように「見ることで人を殺す」恐ろしい存在として形容されているとなると、やはり祭壇の段上へ「降り来る」のはヨアキムやスウィフトのことと自然に連想されるのだが、同様に「おれ」(“see him me”のme)が「降り来る」にしていいものなのかどうか、そうだとするとこのようにして「降り来る」のがスティーヴンについての何を表現しようとしているのかがますます分からなくなる。スティーヴンに「見ることで人を殺す」という特徴や、何らかの繋がりはあるだろうか? 「降り来る」者をスウィフトと断定してしまうならば、教会権威との反目があり、理解されず、怒りを抱えて「逃げた」彼であるが、やはり宗教そのものや自らの宗教についての見解に対する執着は捨てられず、だからこそ聖体顕示台に「しがみつき」、バジリスクのように人を殺しかねない、狂気を孕んだ眼をしていて、そういった聖職者に対しやはりスティーヴンは多少怯えているのかもしれない。ちなみにこの文章全体については以下のような言及がある。「少なくとも(この文章について)次の三点は明白なものと考えられる。(1)スティーヴンはヨアキムが禿げていると思っていて、そこから第一挿話の後半部分で泳いでいた禿げ頭の司祭を連想していること(「白髪の花冠」U-Y 1. 42)、(2)スティーヴンはヨアキムが教会による問責で脅された、怯えていたと思っていること(「神罰を言い渡されたその頭」(U-Y 78))、(3)スティーヴンはヨアキムを自分自身もそうなりえた存在、聖職についていたかもしれない自分自身として見ていることだ(「おれに蹴躓かんばかりに祭壇を転がり降りる己の身を見る(降り来れ!)。聖体顕示台をしっかと掴んで、バジリスク眼」(U-Y 78))」。

 この言及ではU-Δと異なり、祭壇へと転がり降りてくる人物をヨアキムとして解釈し、恐らくhimとmeの二つの意味上の主語をU-Δのように捉え、スティーヴンが自身をヨアキムに重ねていると解釈しているようだ。この節では一見スティーヴンの奇想というか、滑稽な思いつきが描かれているように見えるが、その中で彼の覚えていると思われる感情は単なる嘲りだけではない、複雑なものであるようだ。

 <U-Y 78 ~聖歌隊、チリンチリン、オッカム~>

・U-Y 78「つんつるおつむ」

 U-Δ107「禿頭」

 “baldpoll”

 →baldは禿げの意味だが(単調なという意味もある。また既に述べたが発音的にはbold(大胆な、でしゃばりの、図太い、鉄面皮な、などの意味)と似ている)、pollは「The head, particularly the scalp or pate(古語・戯言で頭の意) upon which hair (normally) grows (now rare outside veterinary contexts)(頭部や髪の毛の生えてくる部分としての頭を意味するが、獣医学的文脈以外で使われるのは現代ではまれ)」という意味。全然関係ありませんがnormallyをカッコつきで入れていることに笑ってしまいました(ごめんなさい、悩んでる人も多いのに。ちなみに私は髪が多すぎることで悩んでいます。余談終了)。ここまでの部分で「降り来れ(降りて来い)」という言葉が三度繰り返されていることには、やはり何か意味があるだろうと思う。先を読めば何か分かるかもしれない。

・U-Y 78「聖歌隊が威嚇と応誦を返す。祭壇の両角に控えて鼻息まじりのラテン語を唱えつつぶよぶよ動き回る祭衣の坊さん連中、剃髪して聖油を塗った去勢男たち、小麦の最もよきものを食らって脂ぎっている」

 U-Δ107「祭壇の四隅近くに控える聖歌隊が、えせ坊主どもの鼻息荒いラテン語に合わせて威嚇の音調をこだまさせる。剃髪し、聖油を塗り、去勢され、小麦のもっとも良きものを食らって肥え、長白衣を着てのし歩く坊主ども」

 “A choir gives back menace and echo, assisting about the altar's horns, the snorted Latin of jackpriests moving burly in their albs, tonsured and oiled and gelded, fat with the fat of kidneys of wheat”

 →「小麦のもっとも良きもの…「申命記」(32.14)モーセの歌より。神の恵みにより肥え太った民が神を捨て救いの岩をあなどる」(U-Δ注)。最初はU-Yの「聖歌隊が威嚇と応誦を返す」で一旦区切ろうと思ったのだが、U-Δのほうで対応する部分が分かれているので長くなってしまった。choirは聖歌隊の意(単数形で集合体扱いになる)。menaceは「威嚇」、echoは「こだま、反響、共鳴、模倣、繰り返し、エコー(楽節の静かな反復)、the repetition of certain sounds or syllables in a verse line (詩における音節・音の繰り返し)」等の意味がある。U-Yで用いられている「応誦」は初期キリスト教音楽の用語でレスポンソリウム(responsorium、ラテン語)の訳語としてあてられている*105。レスポンソリウムはキリスト教聖歌の曲種の一つで、独唱者と合唱の交互で歌う歌い方の聖歌のこと。カトリック教会における歴史的言い回しであり、和訳では一般的に「応唱」とされている。ちなみに「誦」という漢字には「声を出して読む、お経をとなえる、暗記して読む、詩歌などを諳んじて声を出し、節をつけてよむ」という意味がある一方で、「唱」は「声高く呼ばわる、節をつけてうなる、「誦」の代用字」という意味をもつ。「誦」のほうが多少宗教色が強く、「唱」のほうは「うたう」イメージが多少強いと言えるかもしれない。レスポンソリウムの説明とこれまでの物語の流れを考慮すると、どちらの漢字を使っても問題はないと思われる。echoに直接的にはレスポンソリウム(応誦)の意味はないので、聖歌隊がechoを返す、という部分から、歌われているのはレスポンソリウムと解釈して「応誦」という訳を使ったのだろう。対してU-Δでは「威嚇の音調をこだまさせる」と訳している。これはmenaceとechoを1フレーズとして解釈したものか。実際文中の教会内でどんな聖歌が歌われているのかは分からないので、「応誦」はそれが何を意味するのかを知らなければここのechoの持つ意味や含みを伝えるのが難しいのではないだろうか。U-Δでは「音調をこだまさせる」としており、「こだま」という言葉がこの後でまた新たなスティーヴンの連想へと繋がっていくので、ここはU-Δのほうがどちらかというと適切なのではと思う。このechoはこれまでに出てきたリッチー叔父の歌やサンディマウントの風の音、スティーヴンが踏みしだく貝殻の音から現実世界を認識するといった事柄と同じく、聴覚に再び焦点があてられるきっかけの言葉として重要性をもつと考えられる。

 assistは「to attend(参列する)、(archaic)to stand (at a place)(どこかの場所に立っている)」等の意味。horn(つの、ホルン)には“Something resembling of a horn(つの状の形をしたもの)”の意味がある。この“altar’s horn”について調べたところ、「ユダヤ教の祭壇にはそれぞれの角に一つずつ四つの突起があり、祭壇の角(つの)と呼ばれていた。これらの突起はキリスト教の祭壇には見られないが、cornu(「角(つの)」の意)という言葉は祭壇の側面や角を示す場合に今でも使われている」*106との説明があった。hornそのものを辞書で調べてみても、このような意味は直接には載っていない。ちなみに「詩篇」(118.27)には“God is the LORD, which hath shewed us light: bind the sacrifice with cords, even unto the horns of altar”*107(「主こそ神、わたしたちに光をお与えになる方。祭壇の角のところまで祭りのいけにえを綱で引いていけ」)という記述がある。祭壇(altar)の構造を調べたが写真を見ると一番奥に聖像があり、その前に石の台が置かれ(聖餐に使われるらしい)、前出したfootpaceから参列者側に延びる階段がある。これら全体を指して「祭壇」とみなしているようだ。この部分のhornsに控えているのが、U-Yでは「坊さん連中」、U-Δでは「聖歌隊」になっている。U-Δのようにassistingという現在分詞を、choirを修飾する形容詞的に用いている(結果、choirがassistしていることになる。文法用語の使い方が間違っていたらすみません…)ととるのが普通の読み方かと思うが、U-Yでは恐らくechoとassistの間で一旦文章を区切り、assistingをjackpriestsにかけている。

 echoで文章が一旦終わっていればU-Yの訳し方のほうが妥当ではあるが、文法的に忠実に考えると、assistingはA choirにかかり、その後のmoving、tonsured、fat等から始まる分詞や修飾語群はthe snorted Latin of jackpriestsにかかっていると考えるのが普通であり、その意味ではU-Δのほうが「正統派」と言えると思う。が、A choirと(Latin of) jackpriestsの二つの名詞を中心とし、分詞と形容詞で始まるほぼすべての語群がコンマで区切られ、個別のかたまりをなしてこの二つの名詞の様子や動きをしつこく説明していくこの文章は、(今に始まったことではないが)普通ではない。恐らくU-Yでは、「返す」「坊さん連中」「剃髪し」等で文章を区切ることによって、文法的な正しさを多少犠牲にしてでも、原文の「修飾語群の個別のかたまり感」のようなものを表現したかったのではないか推測する。そのためU-Yには多少意味上の問題が生じることになる。坊さんたちは祭壇の両角に「控えて」いるのに「動き回る」だろうか? 聖歌を歌っている間に坊さんたちは動き回るだろうか? という動作の矛盾が気になってしまうのだ。

 無理やり都合のつくように解釈するとすれば、U-Yでは聖歌隊の歌っている場面と、坊さんたちの描写されている場面を完全に切り離している、つまり聖歌隊が歌っている描写と、坊さんたちが動き回っている場面は別で、聖歌隊が歌っている間に動き回っている坊さんたちのことを表現しているのではないと考えることもできよう。ここは本挿話の大部分を占めるスティーヴンの思索の一部なので、解釈の幅をかなり広くとれる。スティーヴンが坊さんのことと聖歌隊のことを別々に想起していた、と考えてもいいし、実際坊さんたちと聖歌隊が確実に同じ時間に同じ場所にいた、と示す言葉は原文にはない。

 U-Yの訳の問題は措いておいて、祭壇の構造の話に戻ると、聖歌隊がどのように祭壇の周りに配置されていたのかが分からないので、「両角」と訳すべきか、「四隅」と訳すべきかの問題もある(ここではとりあえずU-Δの解釈で、聖歌隊が祭壇の周りに控えているものとする)。「控えて」いたというのだから、四隅に並ぶとなると、参列者に近いほうにいる聖歌隊は一般参列者と祭壇の間を妨げる形にはならないのだろうか? hornという言葉は「つの」なので、悪魔や動物のつのを連想させ、スティーヴンの感じているであろう恐怖のことも考えると、「両角」のほうが(多少分かりにくい表現ではあるが)いいのではないかと思う。snortは「鼻を鳴らして荒い息をする、鼻を鳴らす、鼻を鳴らして言う」等の意味。U-Yでは「鼻息まじりの」、U-Δでは「鼻息荒い」としている。U-Yのほうは坊さんたちが太っていることから喋るときに苦しげな呼吸をしているようなニュアンスで(ひどく肥満している方は普通の状態でも鼻息が聞えやすい、と自分では経験的に感じるのだが)「鼻息まじりの」と訳したのだろうか。U-Δのほうは「えせ坊主」たちの狂信的とも言える熱心さのようなニュアンスが前後の言葉からも浮かび上がる。jackpriestのjackは「男、やつ、雄、無礼なやつ、使用人、召使い、労働者、複合語で(同種の小型の生物に用いて)コ…、小…(例:jacksnipe=コシギ)、雄のロバ、used to typify an ordinary man」等多くの意味を持つ。この部分をU-Δでは「えせ坊主」としているが、jackという言葉に「偽の」という意味は見当たらなかった。もしかしたらと思って「えせ」という言葉を調べたところ、「似てはいるが本物ではない、にせものであるの意。/つまらない、取るに足りない、質の悪い、の意」と辞書にあった。このU-Δで用いられている「えせ」は偽物というより侮蔑的な意味を込めた表現なのだろう。jackという言葉の持つ「無礼なやつ、使用人、召使い、雄のロバ」といった意味群から「下らん坊主ども」くらいのニュアンスを込めて「えせ坊主」と訳したのではないか、と推測する。また、U-Yでは「坊さん連中」と「去勢男たち」を分け、U-Δでは「坊主ども」を「去勢され」で修飾している。U-Yのように分けた場合、教会の聖歌隊と聖職者についての知識がないとなぜここで去勢男たちが出てくるのかが読者にとって分かりにくくなってしまうという可能性が高くなるのだが、前述の通り、U-Yがテキストの文法に即した意味的な要素よりも、原文そのものの構造の反映に力点を置いていると推測されるため、こういった「分かりにくさ」が生じてしまうのは避けられないものと思われる。U-ΔとU-Yのどちらをとるか、どちらをより適切とするかは読者の判断や好みに委ねられるところではないだろうか。

 また、U-Yの「ぶよぶよ歩き回る」という独特な表現についてだが、「ぶよぶよ」を改めて調べてみると、「水気を含んでしまりがなく膨らんでいるさま。また、そのように太っているさま。やわらかく膨らんでいる様子」等の意味が見つかった。ただ、burlyは「たくましい、頑丈な、大きくて強い、ぶっきらぼう、不愛想な、どっしりした、油断ならない、危ない」と、これも様々な意味を持つ言葉であるが、「肥えた」というよりは筋肉質でどっしりとした、という意味のほうが強いかと思われるので、「ぶよぶよ」はburlyの訳語としてあまりしっくりこない。この後の「小麦の良きものを食べて肥えた」を意識してあてはめたものかとも考えたが、「ぶよぶよ」のもつ中心的なニュアンスは「やわらかさ、しまりのなさ、水分を持ち膨らんでいる様子」であると思われる。U-Yの訳語から何とか想像を膨らませるならば、坊さんたちの体のしまりのなさと、その歩く姿の緩慢とした、液体的な感じを表したかったのだろうか。U-Δの「のし歩く」はU-Yとは対照的に、原文のもつ言葉の意味そのもののほうを重視した訳かと思われる。

 albは「アルバ、白衣(ミサなどで司祭が着用する白麻の長い服)」の意。ここをU-Yでは祭衣、U-Δでは長白衣としている。聖職者の着る服なのだから祭衣のほうが適切なのではないかと思ったが、祈祷書で「祭衣」と表記されているのはステハリという、正教会の奉神礼で教皇が着用する祭服の一つで、「祭衣」という漢字表記は教会内でもあまり使われていないらしい*108。また、「祭衣」という言葉を調べてみると、「まつりごろも―祭りの装束」という意味しか出てこなかった。原文の言葉の意味を厳密に反映させるより、ニュアンスや読み手にとっての言葉の親しみやすさを重視するのなら、「祭衣」という言葉は宗教的な含みを持つし、医者の着るものとしてのイメージのある「白衣」よりも読者にとっては違和感を覚えにくいかもしれない。確かに「長白衣」は正確な訳なのだが。tonsureは既に出てきているかもしれないが「剃髪(頭頂部を剃った聖職者の髪型)」の意。

 geldedは「去勢された」の意味を持つ。しかし「聖職者が去勢されていた」というのは、実際の去勢のことを言うのだろうか? それとも比喩的な意味での「去勢」なのだろうか? また、聖歌隊員であれば声変りを防ぐために去勢される男性がいたと思うのだが、こういった人物は聖職者の中に含めていいのだろうか? 聖歌隊は聖職者なのか、俗人なのか? このような疑問に関連して調べてみるとカトリックカストラート(近代以前のヨーロッパに普及した去勢された男性歌手*109)の歴史についての記事があった。その記事によると、古代キリスト教最大の神学者ギリシア教父の一人であるオリゲネス(185年頃生)は「マタイ伝」19:12の「天の国のために結婚しない者もいる」(“and there be eunuchs, which have made themselves eunuchs for the kingdom of heaven’s sake”*110、eunuchは「去勢された人」の意)を文字通り解釈し、自らを去勢した。325年のニケア公会議では、自らを去勢した男性は司祭職につけないことを明示しているが、J. W. C.ウォンドは「オリゲネスに従い、自ら去勢したいと願う者がいたのかもしれない」と述べている。しかしこの風習はローマ・カトリック教会の中で、教会の歌唱のため促進されることになる。というのも、歌唱はローマ・カトリック教会典礼の中で重要な役割を果たすもので、聖歌隊の主力はボーイソプラノだったからだ。古来教皇は女性が教会で歌うことを禁じていたので、女性ソプラノは歌えなかった。バチカンの記録によると、1562年に教皇庁聖歌隊の歌手だったパドレ・ソトはファルセット(裏声)歌手とされているが、彼はカストラートだった。つまり、少なくとも1562年からバチカンは既にニケア公会議の権威をひそかに退けていたのだ。1588年、教皇シクストゥス5世は女性が公共の劇場やオペラハウスの舞台で歌うことを全面的に禁止した。アンガス・ヘリオトによると、「女性の演劇俳優を非とし、その名前を売春や放埓と結びつけて考えるのがアウグスティヌスの時代、またそれ以前の時代にまで遡る伝統的な考え方だった」。1589年には、教皇シクストゥス5世の大勅書により、サン・ピエトロ大聖堂聖歌隊員が再編成され、4人のカストラートが加えられている。バチカンカストラートがいることは1599年以来認められており、教会の最高権力者がこの風習を公認したことで、カストラートは受け入れられるものとなってしまった。カストラートはたちまち人気の的になったが、去勢手術でたくさんの子供たちが亡くなったことは想像に難くない。カストラートは大変貧しい生れである場合が多く、親は息子に音楽の才能があると分かると、子供を音楽院に売ることもあった。聖歌隊や教会の学校から引き抜かれた子供たちもいた。教皇ベネディクトゥス14世は昔のニケア公会議の決定に言及、去勢は不法行為であると認めたにもかかわらず、カストラートは禁止すべきという1748年の司教たちからの提案を退けた。禁止すれば教会が空になる、歌がなくなることを恐れたためだ。それほどまでに教会音楽の魅力と重要性は大きかった。1898年になると去勢反対の世論が盛り上がり、1903年教皇ピウス10世は礼拝堂でカストラートを用いることを正式に禁止する。最後のプロのカストラートだったアレッサンドロ・モーレスキーは1922年に亡くなった*111

 この記事にあるように、20世紀初めごろにカストラートが正式に禁止されたことを考えると、ここでスティーヴンが「去勢男たち」と想像していたのは過去に実際に去勢した聖職者・聖歌隊員たちか、あるいは「男性性の欠けた」存在としての聖職者たちか、どちらの可能性もあるかと思う。それ以外にも解釈があるかもしれない。

 “the fat”は「最も良い、滋養に富んだ部分」の意味がある。またkidneyは「気質、種類、型」などの意味を持つが、「腎臓」の意味のほうがよく知られているだろう。腎臓といえば第四挿話でのブルームの朝食で、好物なので、何か繋がりがあるかもしれない。この「小麦の最もよきものを食らって脂ぎっている」という部分は、「普段会衆者たちに清貧を奨励しながら聖職者が肥え太っているという皮肉」である*112という指摘がある。U-Δ注にあるようにここは「申命記」からの引用だが、「小麦の中の最も良いもの」を与えられたエシュルンという人物はそれによって肥え、頑なな性根になり、自らに食べ物を与えた主を捨てる、という続きがある。この部分だけでスウィフト、ヨアキム、あるいはスティーヴン自身を(スウィフトとヨアキムについての実際の体形については分からない。少なくともスティーヴンは太ってはいないが、「小麦の中の最も良きもの」を教会からの教えや聖職者になるための指導として考えることもできる)象徴し、皮肉っているという意味が隠されていると見ると面白い。全文を通して見ると、「威嚇」という言葉は入っているものの、何度か指摘されているようなスティーヴンの「教会への恐怖・逃亡の欲求」のようなものはあまり感じられない。どちらかというと嘲っているような印象のほうが強い。また、原文のhorn、snort、jack、geldといった言葉は動物と関連する意味合いが強いという点からも、嘲笑的なイメージをより容易に想起させるのではないかと思われる。

・U-Y 78「そして同じ瞬間にどこかそのあたりの司祭がそれを捧げ持っているだろう。ちりんちりん!」

 U-Δ107「同じこの瞬間に、多分角の向うでも、一人の司祭がそいつを奉挙している。チリンチリン!」

 “And at the same instant perhaps a priest round the corner is elevating it. Dringdring!”

 →「それ(そいつ)…聖体(ホスチア)を指して。/チリンチリン!…ミサでパンと葡萄酒を聖別する際に祭壇の侍者が鳴らす鈴の音(第9挿話参照)」(U-Δ注)。最初の“And at the same instant”をU-Yでは「そして同じ瞬間に」U-Δでは「同じこの瞬間に」としている。U-Δは「この」という言葉から、スティーヴンが浜辺を歩いている「今このとき」と同じ瞬間を表している感じが強く、U-Yは「そして」でつないでいることにより、スティーヴンがどこかにある教会を思い、そこで聖歌隊が歌を歌ったり坊さんが祈りを唱えたりしているのと「同じ瞬間」に、別の教会で司祭が聖体拝領を行っている、「想像上の瞬間」を意識させる効果が強いのではないかと思う。cornerは「角、街かど」等の意味だが、“round the corner”は「角を曲がったところに、すぐ近くに、間近に、close, local, very near」といった意味になるので、必ずしも「道の角を曲がったところ」と訳す必要はない。なので、両訳どちらの解釈でも問題はない。elevateは「持ち上げる、(カトリック)(ミサで)聖体を奉挙する」の意。「奉挙」は「(ミサで)聖別されているパンを高く挙げて示すこと」という意味。

 dringdringについて調べてみると、ネット上では「dringはフランス語」「フランスではチリンチリンという意味を表す」との記載のある記事が多数出てくる*113。それらを見るとdringdringはやはり“dring dring”のように二語に分けて使われているようだ。“dring dring”を仏英辞書サイトで調べてみると、“ding-a-ring”と訳されており*114、これは“ringing sound, representing the sound of a bell ringing(鳴る音、ベルの鳴る音の表現)”と辞書にあるので、ちりんちりん、というような訳になる。しかしなぜスティーヴンはホスチアのことを「それ」と呼んだのか? U-Δ注で「それ(そいつ)」とはホスチア(カトリックではイースト菌を使わない一種のウエハースのようなもののことで、一般的なパンのイメージとは全く違う*115)のこととあるが、直近の文章にホスチアは出てこない。priestがelevateするならば、辞書にあるように聖体を奉挙しているのだろう。前に出てきていない言葉ならばhost(ホスチア)と書くはずだと思うのだが、それをitとしていることで、スティーヴンは何かから既にホスチアのことを連想していたのではないかと考えられる(「小麦の最もよきもの」からの連想か?)。その前の段落の描写からミサのことを既に考えていたのはわかるので、ミサのことをitと記していたとしてもおかしくはないと思うのだが、なぜ「ホスチア」がitなのか。それともelevateという動詞を使えばこの文脈では当然ホスチアのこと、(elevateするのはここではホスチアに決まっている)という意図でhostをitにしたのだろうか? ミサがどのように行われるのかもよく分からなかったので調べてみると、以下のような順序であるようだ「1.【開祭】2.【ことばの典礼】聖書の朗読を中心に、歌、説教、祈りなどが行われる。3.【感謝の典礼】パンとぶどう酒の食卓を囲んで、「主の晩餐」が行われる。パンとぶどう酒をささげる祈り(奉献文)が唱えられ、最後に信者はキリストの体と信じて聖体のパンを頂く(→聖体拝領)。4.【閉祭】」*116

 この説明によると、3番目の「感謝の典礼」がミサの聖体拝領にあたる。となると、前段落は「ことばの典礼」にあたるものか。訳の問題に戻ると、「奉挙している」の直後に「ちりんちりん」とあるので、ミサのことを詳しく知らなければ、捧げ持った何かが「ちりんちりん」という音を鳴らしているかのような印象を与える。U-Δ注からこの「ちりんちりん」が「ミサでパンと葡萄酒を聖別する際に祭壇の侍者が鳴らす鈴の音」というのは分かるのだが、ミサでなぜ鈴を鳴らすのか、と思い、これもまた調べてみると、「聖別の少し前に、適当であれば奉仕者は小鐘を鳴らして信者の注意を喚起する。同じく地域の習慣に従って、それぞれ、パンとカリス(聖餐に用いられる聖杯)が会衆に示されたとき小鐘を鳴らす」*117とのことらしい。これから聖別が行われる、ということを信者に知らせる注意喚起のために鈴は鳴らされるようだ。

・U-Y 78「そして二丁目先では別の司祭がそれを聖体匣にしまい込んで鍵を掛けている。ちりんちりん!」

 U-Δ107「通り二つへだてた先では別なのがそいつを聖体匣にしまう。チリンチリン!」

 “And two streets off another locking it into a pyx. Dringadring!”

 →「聖体匣…聖体を入れる容器」(U-Δ注)。pyxはU-Δ注で言っている聖体匣のこと。辞書には「聖体容器、聖体匣、聖餐式のための聖餅が入れられる容器。a small, usually round container used to hold the consecrated bread of the Eucharist, especially used to bring communion to the sick or others who are unable to attend Mass(小さく、多くは円形の箱で、聖体拝領のために聖別されたパンを入れておく。特にミサに参加できない人々や病人に聖体を授けるために使われる)」とのこと。

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聖体匣の一例。20世紀に作られたものであるらしい*119
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現代売られている聖体匣。体の不自由な人や、様々な事情で教会のミサに参加できない人のためにも聖体拝領ができるよう、コンパクトで持ち運びに便利な造りになっている。上掲の聖体匣も、この写真の聖体匣も、鍵はついていない(この写真の聖体匣には掛け金だけがある)*121

 U-Yでは“locking it into a pyx”を「しまい込んで鍵を掛けている」と訳し、U-Δでは「しまう」とだけ訳している。lockは「鍵を掛ける、鍵を掛けてしまう」だけでなく、単に「しまう」の意味もあるのだが、聖体匣に鍵はついていたのだろうか? 鍵を掛ける必要があるのだろうか? インターネット上の写真を見た感じでは鍵のついている聖体匣は見当たらなかった。ここの原文は鍵を掛けるほど大事に聖体匣を扱っている、大事に聖体をしまっている、という意味を出したかったのだろうか? この「聖体匣に鍵はついているのかどうか」の問題についてはよく分からない。また、この段落で「ちりんちりん」は三度出てきているが、ここだけ“Dringadring”というように、二つの“Dring”の間に“a”が挟まれている。両訳ともこの三度の鈴の音を全く同文で訳しているが、この“a”による言葉へのアクセント付けを考えると「ちりん、ちりん」などにしたほうがいいのではないだろうか? この「ちりんちりん」については次の文章の後でもう一度考えてみる。

・U-Y 78「そして聖母礼拝堂でまた別の司祭が聖体を独り占めにしている。ちりんちりん!」

 U-Δ107「どこかの聖母礼拝堂ではまた別なのが聖体を一人占めにする。チリンチリン!」

 “And in a ladychapel another taking housel all to his own heek. Dringdring!”

 →「聖母礼拝堂」(lady chapel)は聖母マリアに捧げられた礼拝堂を指す、イギリスで古くから使われている用語。特に大聖堂などの大きな教会の中にある。メアリー・チャペル、マリアン・チャペルとも呼ばれ、伝統的には大聖堂の最大の付属礼拝堂で、ウィンチェスター大聖堂のように主祭壇の東側に配置され、本館から突出している。ほとんどのローマ・カトリック教会英国国教会の大聖堂には、今でもこのような礼拝堂があり、中規模の教会には聖母に捧げられた小さなサイド・オルター(側祭壇? side-altar)がある*122。houselは「聖体(の授与、拝受)」の意。cheekは「ほお、口腔(口の中)」。take to one’s cheekでも、take toにも、cheekにも、「独り占めする」というような意味は見つからなかった。ということは、文字通りに解釈すると、司祭が「聖体を独り占めにしている」というのは聖別されたパンを自分で全部食べてしまっている、ということか? 聖体を大事にしまっている司祭もいれば、礼拝堂でこっそり全部食べてしまっている司祭もいる、といったスティーヴンの想像したユーモアなのだろうか? 

 ここでこの節に三度出てくる「ちりんちりん」の話に戻るが、厳密には三つ全てが同じ「ちりんちりん」(“dringdring”)ではない。最初は“dringdring”、次に“dringadring”、最後が“dringdring”となっていて、“dringadring”が二つの“dringdring”に挟まれている構造になっている。さらに、“dringadring”は“a”が二つの“dring”に挟まれている。つまり、“dringadring”という語自体が、三度の“dringdring”という鈴の音の重なりの象徴で、“dring”が最初の“dringdring”、“a”が二度目の“dringadring”、また“dring”が最後の“dringdring”を表しているのではないか、と思った。だから何の意味があるのか、と言われても分からない。ただそのように考えて書いたのではないか、と思っただけだ。

・U-Y 78「下へ、上へ、前へ、後ろへ」

・U-Δ107「ひざまずき、立ちあがり、進み、しりぞく」

 “Down, up, forward, back”

 →既に指摘したかもしれないが、この挿話には上下、前後などの方向性を示す言葉(特に上下に関する語)が頻出している。そのことから、この一文はこの挿話の中でも非常に重要な文章の一つなのではないかと考えられる。U-Yはかなり直訳的だが、U-Δはどちらかというと教会のミサでの動きを思わせる文章になっていると思う。U-Yでもその単純な言葉の並びでミサでの動きを想起させるのには十分なのだが、あえて原文の言葉を「具体的な動き」として訳出しなかったことで、スティーヴン自身の「思索の動き」をも連想させることに成功していると言えるのではないだろうか。言葉の解釈に幅を持たせているという点で、ここはU-Yのほうがよりよいのではないかと私は思う。

・U-Y 78「学兄オッカムが思いついたことだ、無敵の博士」

 U-Δ107「あの無敵博士オッカム師はそれを考えていたのさ」

 “Dan Occam thought of that, invincible doctor”

 →「オッカム師(学兄オッカム)…中世イギリスのスコラ哲学者、フランシスコ会修道士(1285頃-1350頃)。「無敵博士」は綽名。教皇ヨハネス22世を攻撃して破門される。その命題の一つ「必要なしに多くのものを定立してはならない」は「オッカムの剃刀」と呼ばれる。各教会で同時に聖体の秘蹟が行われることからこの命題を立てたというのは、スティーヴンの勝手な想像。/それ(思いついたこと)…聖体が同時に様々な場所に存在するという問題」(U-Δ注)。invincibleは「無敵の」の意。オッカムはそれまでの正統な神学に対する哲学的批判をした神学者・哲学者の一人。トミスト(トマス・アクィナスの継承者)の立場をとるジョン・ラットルと対立した。オッカムは神について、「信仰によってのみ人は神学的真理に到達できる。神の道は理性に開かれていない」とし、その神論は個人的啓示と信仰にのみ基づいていた。つまり彼は信仰と理性は矛盾しない、と考えていた。オッカムは後期スコラ派に属するが、それまでのスコラ派に対し方法と内容の両面で改革を主張している。その狙いは「簡素化」にあった。また彼は個物を超越した普遍、本質、形相といったものではなく、個物のみが存在するものであり、普遍は人間の心が個物を抽象して生み出したもので、心に外在する存在ではないと主張した(「外在」とは外界に存在すること、ある事象の原因・理由などがその事象の外にあること、の意味)。ここで彼は形而上的な普遍の「存在」の否定、存在論の縮小を唱えている。オッカムは唯名論者とも概念論者とも言え、またどちらでもないとも言える。唯名論者は、普遍は名前にすぎない、存在する実在物ではなく、言葉にすぎない、と考える。対して概念論者は、普遍は心的な概念であり、名前は概念の名前と考え、概念は心の中にのみ存在する、とみなす。つまり、普遍概念は人間の外部に存在する実在物ではなく、それ自体を理解することで生まれ、心の内で心がそれを帰するものを「前提」する内的表象としての「対象」を持つ。それは自身が表すものの場所を持ち、同時に心を反映する行為を表す述語である、とする。オッカムは唯名論の開拓者であったが、唯名論者というより概念論者とみなされることもある上、そのどちらからも区別されて「記号論者」とも呼ばれる*123

 この説明を見ると、概念論は唯名論とそれほど対立するものでも、矛盾するものでもなく、概念論は唯名論から発展した考えのように思われる。つまり、オッカムは個物のみが「存在」し、普遍概念は人の心が生み出したもので、それは個物を超えた何らかの「実体」として人の心の外に、外界に「存在」するものではない、という解釈でいいのだろうか? (「存在する」とはどういうことか? 記号論とは? という話になってくるが、これ以上調べるとまた終わりのない状態になってくるので、この辺でとめておく。このオッカム理解について何か間違いや付け足すべきことがあったら是非教えてください…)オッカムの剃刀はU-Δ注でも触れられているが、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定すべきではない」とする指針。元々はスコラ哲学の考えで、オッカムが多用したことで有名になった。剃刀は説明に不要な存在を切り落とすことの比喩である。原文は「必要がないなら、多くのものを定立してはならない。少数の論理でよい場合は、多数の論理を定立してはならない」(“Entities should not be multiplied without necessity”)。しかしオッカムがこの言葉を述べた、著したとされる正確な記述は厳密にはなく、この内容の文章にはいくつかバリエーションがある。しかし、神の数々の奇跡に関する事柄に対して、オッカムはこの主張をあてはめることを制限している。故に、聖餐における複数の奇跡は可能で、なぜなら「それが神を喜ばせるから」としている*124。 

 U-Δ注では「各教会で同時に聖体の秘蹟が行われることからこの命題(オッカムの剃刀)を立てたというのは、スティーヴンの勝手な想像」としている。オッカムの剃刀のことを考えているならば、「不必要に多くのものを定立すべきではない」という彼の主張は、聖体変化という現象を示すのに三つ(複数)の場所で同じことをする必要はない、という考えから生まれたのだろうとスティーヴンは想像していることになるだろうか。一方で同注では、オッカムの思いついたことを「聖体が同時にさまざまな場所に存在する、という問題」」としている。同時に様々な場所に存在するという考えは、普遍概念を扱う唯名論のほうにも繋がるのではないだろうか? 「存在」の定義にもよるが、オッカムは実際に存在するのは個物であり、普遍概念は心が個物を抽象化して「生まれたもの」としている。ならば、心の中に普遍概念は「存在」するとも考えられ、三つの場所で同時に生じる聖体変化を一つの普遍概念とするならば、それは各人の心の中で生じるもので、現実にそれぞれの教会でホスチアがキリストの肉体に変化しているわけではない、とオッカムが考えたことをスティーヴンは想像しているという可能性もあるのではないだろうか? つまり、「各教会で同時に聖体の秘蹟が行われる」というスティーヴンの想像は、個物を超えた普遍概念の存在の問題(唯名論)を示唆すると同時に、その「普遍概念」を定立するにあたって無駄な「複数性」の問題(オッカムの剃刀)をも含んでいるのではないだろうか。U-Δ注がこの文章におけるオッカムとの繋がりについて、唯名論オッカムの剃刀の命題のどちらもが含まれうるということを、あえて意図的に明示せずほのめかしているのか、それともU-Δ注では唯名論のほうは全く念頭にないのか、よく分からない。逆に混乱させるので、この文章についてのU-Δ注はあまり適切ではないのではないかと思う。以下の解説ではスティーヴンが想像した「オッカムの考え」を、オッカムの唯名論のほうとより強く関連付けている印象をうける。「異なる神聖な鐘が同時に鳴ることを、異なる場所での聖餐のホスチアに同時に存在するキリストの超越的な肉体として想像したスティーヴンは、自分がふと思いついた比喩的な考えと同じ洞察を論理的に主張した中世の哲学者を思う。ギフォードは“Tractatus de Sacramento Altaris”でオッカムが「ホスチアが聖別されたあとでも、ホスチアの量も質も変わらない。それゆえ、キリストの肉体は量や質という点でホスチアの中にはない(つまり、ホスチアは理性ではなく信仰に基づくキリストの肉体である)、ゆえにキリストには一つの肉体しかなく、その肉体が複数あることはない」と主張していると述べている」*125。と、書いていて思ったのだが、オッカムの唯名論と剃刀の命題を今まで全く関連のない主張として考えていたが、「個別」と「複数性」という部分で、この二つの主張は全く関連のないものとは言えないのではないだろうか?(もしかしたら「当たり前だろう」と言われるかもしれませんが… 今まで詳しく調べたことがなかったので、私が無知なだけです)ちなみに “Dan Occam”のDanは単に「氏」や「様」(Mr. Sir)を示す古い称号であるらしい*126

・U-Y 78「霞けむるイギリスの朝、ちゃめっ子位格に脳みそをくすぐられたってわけか」

 U-Δ107「ある霧の朝イギリスで、位格の小鬼が現れて、彼の脳髄くすぐった」

 “A misty English morning the imp hypostasis tickled his brain”

 →「ある霧の朝…伝承童謡「ある霧の湿った朝のこと…」のもじり」(U-Δ注)。impは「鬼の子、小鬼、小悪魔、いたずら小僧、ちゃめ」等の意。hypostasis(ハイポスタシス)は「本質、実体、(三位一体の)位格」等の意。tickleは「くすぐる、喜ばせる、楽しませる、ちくちくさせる、むずむずさせる、touch a body part lightly so as to excite the surface nerves and cause uneasiness, laughter, or spasmodic movements(体表の神経を刺激して落ち着かなさや笑い、発作的な動きを引きおこすために体の部分を軽く触る)」等の意味を持つ。いたずらな位格の小鬼に脳みそをtickleされる、というのはスティーヴン流のユーモアなのだろう。ここで今までこの位格のことを三位一体のほうの「位格」として認識していたが、オッカムの唯名論と剃刀の命題を考えた後で、ふと気になって「位格」という言葉を調べたところ、「位格=ペルソナ」とあり、ペルソナを調べてみると「①キリスト教の三位一体論で、父と子と聖霊という三つの位格。本質(ウーシア)が唯一神の自己同一性をあらわすのに対して、個別性を強調する。ギリシャ語では、ヒュポスタシス。②人。人格。人物」等の意味を示すものとしている。「ウーシア」のせいでまたアリストテレスを思い出すことになってしまった。改めてhypostasisの意味を確認すると、哲学用語として“The underlying reality or substance of something (from 17th c)”という意味がでてくる(先にあげたhypostasisの意味の中の、「本質、実体」に当たるものかと思う)。しかし、「本質」も「実体」も「位格」も、アリストテレスに言わせれば厳密には違う。そしてこの「ウーシア」が問題となっていた部分で、スティーヴンは自らの「存在」の根源に思いを馳せていたのだ(cf. U-Y 75)。再度「ウーシア」についての説明を繰り返すことはしないが、アリストテレスの中で「実体」と「普遍概念」があまり区別されていないのに対し、オッカムの論では「実体」である「個物」と「普遍概念」は峻別されている。そもそも、スティーヴンの思索は挿話冒頭から、世界を認識することとそれが存在することについて連綿と続いてきていた。ならば、ここのimp hypostasisのhypostasisは三位一体の「位格」でありながら、同時に先に出てきた「実体」のこと、スティーヴンが父と母によって肉体を得、しかしその存在は神の中に今も昔もこれからも永遠に在りつづけ、そのため同一なのではと思いついた父と自らの「本質」のことも表そうとしているのではないだろうか? この多義性のためにU-Yではわざわざこの「位格」にルビをふっているのではないだろうか(訳者は「ヒポスタシス」を読んでほしかったのではないだろうか)? 直線的な読みでの文脈だけをもとに判断するならば、これは位格でしかないのだが、ジョイスの言葉の訳出、それが何を言わんとしているのかを理解するには、もはや単純な読み方の中での文脈からだけでは判断できないのではないかという気がしてきた。ちなみに、両訳とも「くすぐられた」としているが、上記のようにtickleは訳の幅が広い。悪戯好きな小鬼のすることだから、「くすぐられた」以外にも「つつかれた」「つねられた」などと訳すこともできるかもしれない。U-Δでは注にあるように伝承童謡をもとにした文章であるという点から、リズムのいい、歌のような訳にしている。

・U-Y 78「ホスチアを下ろしながらひざまずいたとき手にする鈴の二度目の音と絡み合って翼廊の最初の鈴の音が聞え(あっちが持ち上げとるな)」

 U-Δ107「ホスチアをおろしてひざまずいたときに、彼は自分の二度目の鈴の音が袖廊の最初の鈴の音とからまるのを聞き(相手がそっちのを掲げ)」

 “Bringing his host down and kneeling he heard twine with his second bell the first bell in the transept (he is lifting his)”

 →この文章のhis(he)は誰を指しているのか分からない上に、"I”まで出てくる。両訳とも「彼」「相手」「あっち」などとあいまいな表現にしている。文脈から言えば直前に出てくるオッカムのことかとも思えるが、もはや文脈にはあまり頼れない状態だと分かったので、とりあえずミサでホスチアを下ろしたり鈴を鳴らしたりしている「誰か」がいる、と考えておく。そして、kneelingの後の文章がおかしい。“he heard twine with his second bell the first bell”とあるが、普通の語順であれば“he heard the first bell twine with his second bell”になるのではないだろうか? これはtwineまたはsecond bellを強調したいのだろうか? しかしなぜ強調されるのかが分からない。ちなみにtwineは「より合わせる、からまる、からませる、飾る」等の意味。袖廊の意味は翼廊と同じ。翼廊は「教会堂で、内陣の手前に身廊と十字に交差して設けた廊下の左右に突き出た袖の部分」*127

 建築用語も多いのでこのようなものだろうと理解したところを簡単に説明すると、主祭壇につづく長い長方形をした部分が教会の中心(説教やミサが行われ、奥にある主祭壇を眺める形で信者たちの座る席がある)で、その主祭壇と信者たちの席の間を直角に横切るように延びる部分が翼廊。映画などで教会の出てくるシーンを思い出してもらえばわかると思う。結果、そういった教会を上から見ると十字型になっている。十字型の縦長の部分が教会の主要部分で、短い横の部分が翼廊、なのだと思う。あと、U-Yでは「手にする」という言葉が入っているが、原文に対応する言葉はない。これはホスチアを携挙している者(おそらくは司祭)と鈴を手にする者が同じだということだろうか? ただ、U-Δでも「自分の二度目の鈴の音」としているので、こちらも鈴を鳴らしている者とホスチアを携挙する者が同じだと解釈しているようだ。しかし鈴を鳴らすのは侍者の役目とあったような… この部分は教会の宗派や時代、国によって違いがあるかもしれないので、何とも言えない。まだ疑問はあるが文章全体を見る必要があるので、先に進む。

・U-Y 78「立ち上ると(今度はわしが持ち上げるぞよ)」

 U-Δ107「立ちあがりながら(いまはこちらが掲げ)」

 “and, rising, heard (now I am liftng)”

 →この"I”は誰なのか。

・U-Y 78「両方の鈴が(あっちはひざまずくところだ)重音となって響いたのだ」

 U-Δ107「彼らの二つの鈴の音がからまり合い(向うがひざまずき)、二重母音となって鳴り響くのを聞いた、というわけだ」

 “their two bells (he is kneeling) twang in diphthong”

 →twangは「弦をはじいたような鋭い音(を鳴らす)、to produce or cause to produce a short vibrating sound, like a tense string pulled and suddenly let go(張りつめた弦を引っ張って急に離したような、短く響く音を出す)」という意味。この説明の音は「ピン、ビン」という音のようだが、鈴だとしたら「チリン、リン」というような擬音語が使われるだろう。twangという語はあまり鈴の鳴る音には合わないような気がするが、なぜこの語を使ったのだろう? 「弦」というところに何か意味があるのだろうか? diphthongは二重母音の意。二重母音は[ai]、[au]、[oi]のように、単一で母音となるものが二つ重なって構成された一つの母音。dipthongの語源は“two sounds(di(2つの、2倍のの意の接頭辞)+phthóggos(音、声))であり、発音は[difӨɔːŋ]。この言葉の訳の問題については後で考えてみる。ここで、この文章原文を全文で表記してみたい。

 “Bringing his host down and kneeling he heard twine with his second bell the first bell in the transept (he is lifting his) and, rising, heard (now I am lifting) their two bells (he is kneeling) twang in diphthong”.

 一応原文に沿って考えてみると、Bringing・kneelingの前または同時にfirst bellが鳴らされている。second bellがどの時点で鳴らされたのかは分からない。そして、(he is lifting his)のheは最初のheと同一人物なのか否か、liftingは鈴を鳴らす動作なのか、ホスチアを携挙する動作なのか。heが別人物だとして、liftingが鈴を鳴らす動作だとすると、transeptの直後にこのカッコ部分が入っていることから、このheは翼廊で鐘(鈴)を鳴らしている人物ではないかと考えられる。同一人物だとすると、Bringingとkneelingをしながらliftingをしているということになるので、ちょっと動きにつじつまが合わない。liftingがホスチアの携挙の動作だとしても、携挙の前には注意喚起として鈴が鳴らされるので、結局liftingは鈴を鳴らす動作を導いてくることになる。

 risingという動作の主語と二番目のheardの主語は最初のhe。その後(now I am lifting)が出てくるのだが、この"I”は二つのheと同一人物なのか第三の人物なのか。第三の人物なのだとすれば、“I”が再び鈴を鳴らしている、ということになる。この考え方でいくとfirst bellとsecond bell、そして二度のliftingから、鈴が鳴らされているのは全部で四回になってしまう。その上、their two bellsとあるので、"I”は第三の人物ではなく、その前に出てきている二つのheのどちらかと同一と考えるしかない。それでもまだ鈴の鳴る数は三回までにしか減らない。だから、どこかの時点で二つのheが同一人物を差しているということになる。いや、their two bellsというのが鳴らされている鈴の数ではなく、実際にある鈴の数だとすれば、鳴らされている鈴の音の数に関係なく、その二つの鈴の音がからまりあっていればいいのかもしれない。

 しかし二つのheが別人であり更に出てくる"I”もまた別人だと、やはり鈴は三つ必要なので、二つのheと"I”は各々別個の三者ではないのは確かだ。だが鈴が三つあれば鈴は当然三か所で鳴らされることになり、三つの鈴の音がからまり合うことになる。first bell、second bell、their two bellsといった表現から、鈴が実際に三つあるとはやはり考え難い。一番確かに思われるのは、最初のheがからまり合う二つの鈴(の音)を聞いた、ということだけなので、同一なのか別人なのか分からないheと"I”、その各々の動きについては、この一番確かに思われる部分につじつまを合わせる感じで訳出するしかないように思える(この英文解釈でいかに私が混乱しているかを分かって頂きたい)。

 また、別視点で考えると、先に考察した“Bringing his host down and kneeling he heard twine with his second bell the first bell in the transept (he is lifting his)”の部分を「袖廊の最初の鈴の音(the first bell in the transept)」というように、その言葉の意味のまま解釈するならば、袖廊で最初の鈴の音が鳴った(袖廊での最初の鈴の音が聞こえた)、ということになる。なぜ袖廊で「最初の鈴の音」がするのか? 翼廊に礼拝堂がある教会もあるらしいが、ミサが行われているとしたら、鈴は聖体拝領のときに鳴らされる鈴で、それは翼廊では行われないのではないだろうか? 一つの教会の主祭壇と翼廊のどこかで同時にミサを行うということはないのではないだろうか? ミサの例や画像などを色々調べてみたが、ミサは神聖なものなのでそれが行われている写真はまずなく(信者にとっては冒涜にあたりかねない)、ミサの鈴が注意喚起のためのものならば、二つの鈴が別の場所から絡まって聞こえてしまうと、注意喚起として意味をなさない。以上のように色々考えた結果、この文章の中で鈴を鳴らしているのは実は一人で、翼廊に反響する鈴の音から、そこで鈴を鳴らしている人物があたかも複数存在しているかのように想像しているのではないか、と私は思う。オッカムの唯名論的・概念論的考え方によれば、ホスチアは実在するが、聖体変化が生じてもホスチアはホスチアのままで、キリストの肉にはならない。同時に複数のホスチアが色々な場所でキリストの肉となることも不可能である。しかし、聖体変化を普遍概念とするなら、それ自体(聖体変化という普遍概念)が各人の心の中で個々に「存在」することは可能である。ここでは同じ教会の中で鈴を鳴らし、一つの鈴の音の反響の重なり合うこと、それらが同時に「存在」しうることを想像することで、普遍概念が同時に複数の場所に、複数の人々の心の中で存在することは可能であるというオッカムの唯名論・概念論的主張を表しているのではないだろうか。

 更に、この考えを基にするならば(もし鈴を鳴らしているのが一人ならば)、この節ではちりんちりん、と三つの教会で鳴らされる鈴の音→二つの重なり合う鈴の音→一人の鈴の音の反響の重なりという具合に、「聖体変化が概念として存在可能である」という説明をするのに、「オッカムの剃刀」が用いられているともいえる。つまり、オッカムのことを引き合いに出しながら、その記述方法そのものにオッカムの主張した命題をあてはめているのではないかと考えられるのだ。ただ、実際にはオッカムは前述のとおり、信仰や神の奇跡の問題については理性で扱える問題の範疇外としているので、教会の中で重なり合う鈴の音から聖体変化についてオッカムが考えているというのはU-Δ注の言うように「スティーヴンの勝手な想像」なのかもしれない。しかし一方で前に挙げた指摘にあるように、オッカムは聖体変化におけるホスチアの個物としての不変性にも言及しているので、オッカムが「信仰や神の奇跡についての問題については理性の適用外」としたのがどの程度の範囲を指していたのかがよく分からない。

 ちなみに、ここの三つの教会で鳴る鈴の音からオッカムへ、さらにミサの鈴の反響音から聖体変化へという連想のつながりは、スティーヴンがグールディング家についての想像を終えたときの風の重なり(「この風のほうが美声だ」(U-Y 77))にまで遡ることができる、とのコメントも読書会後日に頂いた。吹きすぎていく風も、反響する音もそこにとどまり続けることのできない、「順列」するものであるという点で、確かにそこまで遡ることはできるだろう。

 ここで“their two bells (he is kneeling) twang in diphthong”の部分で指摘したdiphthongの訳について考えてみる。U-Yでは「重音」とし、U-Δでは「二重母音」としている。U-Δは直訳だが、一つの鈴の音の反響による重なり合い(これはあくまで私の仮説だが、今はこの仮説をもとに考察する)が「二重母音となって鳴り響く」と表現するのは適切なのかどうか。二重母音は単一で母音となる二つの異なる母音が連なって一つの母音となるものを示す*128。鳴らされた一つの鈴の音と、その反響を「異なる音」として解釈していいものかどうかというところは判断がつきかねるが、結局それらの音は「からまり合う」のだから、異なるものとしてとらえざるを得ない、という感じもする。さらに、「二重母音」という言葉は「(二つの異なる音が)一つの音になる」ということを示しているので、最初の鈴の音と反響した鈴の音が「絡まり合って一つになる」という意味と、完全にではないが関連性を感じさせる。一方でU-Yではここを「重音」と訳している(「重音となって響いたのだ」)。「重音」という言葉を調べてみたのだが、楽器の演奏技法としての「重音奏法」しか見つからなかった。重音奏法とはヴァイオリンなどの弦楽器で複数の弦を同時におさえて音を出す奏法、管楽器において二つ(以上)の音を発生させる技法、またホーミーなどの歌い方も「重音唱法」と呼ばれている*129

 弦楽器で複数の弦を押さえて同時に異なる音を出したり、管楽器で一度に二つ以上の音を出すのは、奏者が意図的に異なる音を同時に鳴らしているという意味で、反響音の重なりとは言えない。辞書に「重音」という言葉が単体で載っていないようなので、ここは訳者の造語なのかもしれないのだが、その際にこの重音奏法を意識していたか、知っていたかどうかは分からない。ただ、dipthongの語源は“two sounds(di(2つの、2倍のの意の接頭辞)+phthóggos(音、声))であることから、diphthongを「重なり合う二つの音」として解釈し、「重音」と訳出することも不適切とは言えないのではないかと思われる。「二重母音」の方が正確な訳ではあるが、読者にとっては「二重母音」というよりも「重音」と表現したほうが伝わりやすい、イメージしやすいのではないかとも思う。そもそも元の音と反響音をdiphthongと言い表している時点で、作者はこの二つの音を異なるものとして認識しているとも考えられる(しかしこれについてはジョイスの言葉遊び的なものや、他の箇所との繋がりを考慮した語の選定も含まれているかもしれないので、そこまで「異なる二つの音」という意味を重視していたかどうか断定はできない)。「反響音が元の音とは異なる音となり、元の音と一つになる」という意味を表す訳として、U-Y「両方の鈴が重音となって響く」、U-Δ「二つの鈴の音がからまり合い、二重母音となって鳴り響く」という二つの文章を考えると、読者へのイメージのしやすさ、分かりやすさという点ではU-Yのほうが効果的で、訳の正確さ、詳しさという点ではU-Δのほうが優れているのではないかと感じられる。

 しつこくて申し訳ないのだが、どうしてもこの原文の中になにか隠れたメッセージがあるのではないかと思って文章を眺めていたところ、以下のような点が見つかった。再度全文を挙げてみる。

 “Bringing his host down and kneeling he heard twine with his second bell the first bell in the transept (he is lifting his) and, rising, heard (now I am lifting) their two bells (he is kneeling) twang in diphthong”.

 このように、heとhisはそれぞれ三回ずつ、kneeling、lifting、heardはそれぞれ2回ずつ出てきている。あと、twineとtwangの間に何らかの類似性を感じる。しかし今までのこのような考察と同様、ここから何かの意味を見いだすことは私にはできなかった。ただ、ジョイスは2と3が好きだな、という印象は第一挿話からずっと受けている。

 <「リッチー叔父さんの原理」についての一考察>

  今回の読書会に参加した中で大変興味深かったのは、「リッチー叔父さんの原理」の話だった。これは主催者のお一人、南谷さんが試論的に提起し、読書会で発表されたものなのだが、概説すると以下のようになる。

 「スティーヴンは母方の叔父リッチー・グールディング家の訪問を考えるのだが、U-Y 3. 75-77での記述・会話群はスティーヴンによって「想像された発話」であり、実際の出来事ではない。この「想像された発話」内で、リッチー叔父はそこに存在しないものを呼び込もうとする。例えば、「座って散歩でもするか」というリッチーの発言は、家の中に「外」を呼び込もうとするものである。また、「凋落の家」には存在しないウィスキーや高価なチッペンデイル家具を持ってくるように命令する。クリッシーの面倒を見ていて、そこにいない母親(リッチーの妻)を呼ぶ。

 このリッチー叔父による「そこにないものを呼び込もうとする」行為の記述は、一つの時空間における出来事の描写のなかに、「そこにはない」別の時空間が侵入しうることを示唆するものと言える。例えば夢を見ているときには、寝ている身体の周囲にある現実が変性を受けて夢に登場することがある。「ある何かは別の何かでありうる」のだ。それは“We thought you were someone else”(きみが誰か他の人だと思った)という言葉において象徴的である。

 記述内に別の時空間から紛れ込むのは、(1)記述内で認識主体とされている人物(ここではスティーヴン)の思惟や意識、知識(2)その人物を取り囲み、その人物が知覚している自然(e.g. 「この重たい砂土は潮と風がここに蓄積した言語だ」)、そして(3)その記述の周囲に書かれた(ページ上の)言葉(e.g. Bright disease-brightwindbridled-Bride Street、Broad bed-lap board-bald head(このbald headはリッチーの禿げた頭だけでなく、後に記述される「光頭の君」にもつながる))などである。

 このようにして、想像されたグールディング家での会話には、その想像を行っているスティーヴンの現在進行形の思惟や記憶、知識、サンディマウントを歩く彼が知覚した風景や音が紛れ込んでいる」、という内容のものだ。

 

 「呼び込もうとすること」「そこにないものを取りこもうとすること」が記述された別の時空間の事象の侵入という現象を示唆しうるという指摘には、大いに納得できる。リッチーとの会話の中では「前腕だけ出す、上半身だけ洗う」といった記述に見られる「半分であることの露呈」が一つの特徴であると思われる。

 「幅広のベッドでリッチー叔父貴が、枕を支い、毛布にくるまり、小山になった膝の上からごつい二の腕を差し伸べる。こぎれいな胸。上半分は洗ったばかり」(U-Y 76)

(“In his broad bed nuncle Richie, pillowed and blanketed, extends over the hillock of his knees a sturdy forearm. Cleanchested. He has washed the upper moiety”)

 「半分であること」の前景化は、この記述自体が半分「想像上」のものであり、半分「現実世界と結びついている」ことの一つの暗示であるとも考えられる。一方、「半分であること」は「不完全であること」とも言える。それは「侵入」を容易にし、欠如は充足を希求する。また、リッチーとの会話中、またその前後にはairの語が姿を変えて何度も現れる(例:風(U-Y 75、77)、態度(“lawdeedaw airs”U-Y 77)、アリア(U-Y 77)、ぐっとアリアを盛り上げ(“with rushes of the air”U-Y 77)など)。airは「侵入」するものである。

 さらに、リッチーとの会話部分だけでなく、この挿話全体において上下(up/down)に関する言葉が頻出している。

 「リーヒーの高台から段々を下りて来るぞ……だらだら坂の浜辺をぶたぶたとやって来て、外鰐足が泥砂に沈む……われらが強大なる母のもとへ」(U-Y 74)

 “They came down the steps from Leahy's terrace …… and down the shelving shore flabbily, their splayed feet sinking in the silted sand.……coming down to our mighty mother”

 「まさかストラスバーグ高台のサリー叔母のところにいるんじゃあるまい? あいつももうちと高台なる志を抱けぬものかいな……坊主どもは秣棚だ……たいそうご立派なゴンドラ漕ぎどもだよ!」(U-Y 75)

 “Sure he's not down in Strasburg terrace with his aunt Sally? Couldn't he fly a bit higher than that, eh?……De boys up in de hayloft……Highly respectable gondoliers!”

 「降り来れ」(U-Y 78)

 “Descende

 「下へ、上へ、前へ、後ろへ」(U-Y 78)

 “Down, up, forward, back”

 「ホスチアを下ろしながらひざまずいたとき……(あっちが持ち上げとるな)、立ち上ると(今度はわしが持ち上げるぞよ)両方の鈴が(あっちはひざまずくところだ)重音となって響いたのだ」(U-Y 78)

 “Bringing his host down and kneeling……(he is lifting his) and, rising, heard (now I am lifting) their two bells (he is kneeling) twang in diphthong”

 「思い浮かべる」「想起する」といった言葉から連想されるように、私たちが何かを想像するという行為には「上にあがる」「上へあげる」という上方向への運動との関連性が強い。一方で、現実世界を認識するとき、私たちはまず、スティーヴンが足もとの貝殻を「踏み拉く」ように、眼前の世界と対峙し、感覚器官を用いて外から内へ取り込まれた世界を摂取しなければならない。咀嚼し嚥下された感覚が、神経を伝わって脳内のイメージや言葉へ、あるいは言葉にもイメージにもならない何ものかへと変換され、世界は認識される。つまり、そこにはまず外から内への運動があるとともに、取り込まれたものを「飲み込む」という作業が必要であると言える。これは私たちの周りを取り囲む世界から、私たちの体内への下方向への運動として考えられる。現実世界の認識を経て初めて想像行為は可能となる。まず「取り込むこと」「上から下へ」の運動が必要なのだ。

 そういった意味で、上掲した引用の数々は、スティーヴンの観念世界という一つの時空間における思索行為(up)と、現実世界という別の時空間での認識(down)を示しているとも言える。

 しかし、「想像されたもの」は、完全なフィクション、創造されたものである場合(ありえないことを思い浮かべるような場合)と、かつてあったことの回想である場合、またこれら二つの混交である場合の、三つが考えられる。そして想像するということは自分の思惟の中に別の時空間を取り入れることでもあり、全く別の何かを生み出す一つの創造行為でもある。

 そして、リッチーとの会話での記述上で「そこにないもの」とされているものは、「かつて実際にあったかもしれないもの」である可能性もあるのではないだろうか。ただ、ここではあくまで「記述のされ方」について論じられているので、「実際にかつてそこにあったものかどうか」ということは本質的な問題ではないだろう。とは言え、「かつてそこにあったかもしれないもの」は「そこにないもの」と同時に、直接的・間接的に記述されていると思われる。例えばリッチーの家に飾られたワイルドの鎮魂祈祷が象徴的だ。かつて元気で生きていた妹が、今はもういない。それがグールディング家に飾られているという記述は、「かつて存在した記憶―忘却」を暗示している。また、スティーヴンの家も、グールディング家も「凋落の家」と記されている。病のため寝たきりのまま仕事をしているリッチーには、かつて元気に働いていた時代もあり、壊れたブザーにも壊れていなかった時代があったことを、この「凋落の家」という言葉は示している。そしてこの「かつてあったかもしれないもの」は実際に記述の中で呼び込もうとされているのではなく、既にグールディング家のなかに存在してしまっている。これらの記述が、「そこにないもの」―「本当に最初からそこに存在しなかったもの、フィクションとして想像されたもの」と「かつてそこにあったかもしれないもの、回想されたもの」との間の境界の揺らぎを生みだす。しかし、この会話以前におけるグールディング家についての言及がサイモンの愚痴以外にはなく、サイモンの愚痴はグールディング家についての詳細を語っていない以上(これもスティーヴンの「想像」で、おそらくサイモンの主観が多分に入りこんでしまっていると考えられる)、それがどちらであるかについて断定することは難しい。

 また、意図して呼び込もうとする行為は、侵入されることへのある種の欲求とも言えるのではないだろうか。この欲求は前述したグールディング家の「欠如」から生じる。同時に、有利の一角から外を覗き、借金取りを警戒するリッチーは侵入を恐れ、拒んでもいる。「そこにないものを呼び込もうとする」行為の記述は、この「侵入されること」への欲求と拒絶という背反性をいかにして説明できるだろうか。「侵入」という現象そのものは侵入される側の意図するしないにかかわらず生じうる。また、呼び込もうとしているか否かにかかわらず、テキスト上での別時空間の侵入現象は起こりうる。ただ、このテキストで、グールディング家という一つの時空間へ「侵入」していると断言できるのはスティーヴンだけで、彼が想像の世界と現実世界とをつないでいるのは確かだ。

 ここで、「フィクション-創造されたものとして想像」と「回想としての想像」との間の境界線の揺らぎが生じているテキスト中へ、確実に「侵入」しているスティーヴンの存在によって、想像における創造と回想についての新たな仮説が提起できる。

 グールディング家の中に既に存在している「かつてそこにあったかもしれないもの」としての記述は、スティーヴンの想像に紛れ込んだ一つの「回想」であり、スティーヴンの想像世界という時空間に、「回想」という過去にあった現実の記憶を擁する時空間が侵入していると言える。一方で、本当にそこにないもの、ありえないもの、全くのスティーヴンの空想によってもたらされたものとしての記述は、スティーヴンの創造した「フィクションとしての想像」であると言える。「かつてそこにあったかもしれないもの」と「本当にそこにないもの」のどちらについても、テキスト上ではリッチーの「呼び込み」行為によって、別の時空間の侵入を許している。そこにスティーヴンが確かに「侵入」していることで、スティーヴンの想像世界におけるグールディング家という一つの時空間に、スティーヴンの「回想行為」「創造行為」の行われている二つの観念世界という時空間が侵入しているとは言えないだろうか。かつてあったものを回想する「場」と、不在の形而上的存在を新たに創り出す創造の「場」は、人間の一つの観念世界の中に時に別個に、時に入り混じり合いながら存在しているのではないだろうか。

 できるだけ元の説の論旨に沿ってシンプルに考えるならば、リッチーはそこにないものを欲することで、自分の世界に異なる世界の存在を呼び込もうとする、一つの「想像の象徴」であり、一方スティーヴンは現実世界における想像行為によって、観念世界に異なる時空間を呼び込む「想像の主体」である。そして、スティーヴンによって想像されたグールディング家という一つの時空間に、想像主体であるスティーヴンが侵入している。スティーヴンの想像の中で、「そこにないもの」を呼び込もうとするリッチーは、スティーヴンの観念世界にはいるが現実世界にはいない。つまりリッチーは「そこにいない」。この「リッチー=想像の象徴」を、スティーヴンという「想像主体」が想像行為によって呼び込もうとすることで、包含の二重構造が生まれているとも言える。想像主体が想像の表象を想像として呼び込み、生み出し続ける。

 それはまるで、金魚鉢の中で金魚の吐く息が泡となって吐き出され、水中を浮かび上がっていき、水面で弾け続けるかのような印象を与える。金魚は水中から酸素を取り込み、吐き出された泡は弾けると同時に水の外の世界を取り込もうと切望するのだ。

 

 以下、パート3に続きます…

 ※おすすめの本

 シェイクスピアの原文を読みたい、でもOEDは高くて買えない、という方に。C. T. Onions“A Shakespeare Glossary", Oxford University Pressがおすすめ。いわゆるシェイクスピア英語辞典なのですが、ペーパーバックで安いし、take、makeと言った簡単な言葉がいかに現代と違った意味で使われているかが非常に分かりやすい。その言葉の使われている作品の例文の引用もあるのが便利。私もシェイクスピアの原文にあたるときにはしょっちゅう参照しています。 

A Shakespeare Glossary

A Shakespeare Glossary

 

 

*1:https://www.bauddha.net/joyce_dubliners_encounter/index.html

*2:ジョイス『ダブリナーズ』柳瀬尚紀訳、新潮文庫、2009年、p.38

*3:ジョイス『ダブリン市民』安藤一郎訳、新潮文庫、1953年、p.28

*4:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9

*5:https://strongreasons.wordpress.com/2011/12/31/the-weeping-god/

*6:https://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Moseshttps://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/pgp/moses/7?lang=jpn

*7:"Speaking of Dialect": Translating Charles W. Chesnutt's Conjure Tales Into Postmodern Systems of Signification、Erik Redling Königshausen & Neumann, 2006、pp. 55-56

*8:http://m.joyceproject.com/notes/030065gondoliers.htmlhttps://en.wikisource.org/wiki/Songs_of_a_Savoyard/The_Highly_Respectable_Gondolier

*9:http://m.joyceproject.com/notes/030065gondoliers.htmlhttps://en.wikipedia.org/wiki/The_Gondoliers

*10:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Subversion

*11:http://m.joyceproject.com/notes/030065gondoliers.html

*12:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Jesus_wept

*13:https://biblehub.com/commentaries/john/11-35.htm

*14:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Doorbell

*15:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Doorbell

*16:http://m.joyceproject.com/notes/030016coignofvantage.html

*17:Shakespeare“Macbeth(AmazonClassicsEdition)  (English Version)", AmazonClassics, 2017

*18:シェイクスピアマクベス新潮文庫福田恆存訳、1969年、位置No. 295-305 ※AmazonKindle版を参照していますが、ページ数ではなく位置ナンバーしか表示されていないため、該当位置ナンバーをそのまま記載しています

*19:https://web.archive.org/web/20040928080045/http:/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/macbeth/macbeth-1-6.html

*20:シェイクスピアマクベス新潮文庫福田恆存訳、1969年、位置No. 264-270

*21:https://web.archive.org/web/20040928080045/http:/www.sm.rim.or.jp/~osawa/AGG/macbeth/macbeth-1-6.html

*22:http://m.joyceproject.com/notes/030016coignofvantage.html

*23:http://m.joyceproject.com/notes/030113richiegoulding.html

*24:http://m.joyceproject.com/notes/030113richiegoulding.html

*25:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8E%8B

*26:

シェイクスピアリア王安西徹雄訳、光文社、2006年

*27:https://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E7%97%85-125927

*28:http://m.joyceproject.com/notes/030102viditdeus.html

*29:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8B%E3%82%8C%E6%9C%A8

*30:http://m.joyceproject.com/notes/030066requiescat.html

*31:Matthew Arnold - Wikipedia

*32:http://m.joyceproject.com/notes/010022hellenise.html

*33:https://poets.org/poem/requiescat-1

*34:http://www.gutenberg.org/files/27739/27739-h/27739-h.htm#Page_21

*35:https://forum.wordreference.com/threads/love-lump.2732259/

*36:http://www.twmu.ac.jp/IOR/diagnosis/gout/about-gout.htmlhttps://kotobank.jp/word/%E7%97%9B%E9%A2%A8-98992

*37:ジョイス『ダブリン市民』安藤一郎訳、新潮社、昭和28年、p.88

*38:http://m.joyceproject.com/notes/030063lithiawater.html

*39:https://www.lowdoselithium.com/history

*40:https://www.irishtimes.com/news/the-words-we-use-1.42975

*41:https://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%A7%98%E5%BC%8F-325572

*42:http://m.joyceproject.com/notes/030094chippendale.html

*43:http://m.joyceproject.com/notes/030094chippendale.html

*44:http://www.theantiquesalmanac.com/chippendalefurniture.htm

*45:http://www.theantiquesalmanac.com/chippendalefurniture.htm

*46:http://www.theantiquesalmanac.com/chippendalefurniture.htm

*47:http://www.theantiquesalmanac.com/chippendalefurniture.htm

*48:https://www.loveantiques.com/items/listings/set-of-8-irish-chippendale-style-dining-chairs-LA60893

*49:https://www.loveantiques.com/items/listings/set-of-8-irish-chippendale-style-dining-chairs-LA60893

*50:https://www.loveantiques.com/items/listings/set-of-8-irish-chippendale-style-dining-chairs-LA60893

*51:https://www.loveantiques.com/items/listings/set-of-8-irish-chippendale-style-dining-chairs-LA60893

*52:https://forum.wordreference.com/threads/law-dee-daw-lawdeedaw.1912126/

*53:http://m.joyceproject.com/notes/030056allerta.html

*54:https://en.wikipedia.org/wiki/Il_trovatore

*55:http://m.joyceproject.com/notes/030056allerta.html

*56:https://en.wikipedia.org/wiki/Il_trovatore

*57:http://m.joyceproject.com/notes/030047marshlibrary.html

*58:http://m.joyceproject.com/notes/030047marshlibrary.html

*59:http://m.joyceproject.com/notes/030048joachim.html

*60:イェイツ『世界幻想文学大系 第二十四巻 神秘の薔薇』井村君江、大久保直幹訳、国書刊行会、1980、p.225

*61:イェイツ、前掲書、p.224

*62:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9

*63:http://m.joyceproject.com/notes/030047marshlibrary.html

*64:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E9%A0%AD

*65:https://en.wikipedia.org/wiki/Ladon_(mythology)http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0032%3Acard%3D460

*66:https://en.wikipedia.org/wiki/Jonathan_Swift#cite_ref-38

*67:以上のまとめはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BC%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A8%98より。

*68:https://en.wikipedia.org/wiki/Jonathan_Swift#cite_ref-38

*69:https://ameblo.jp/gchark/entry-10052366133.html

*70:https://www.minnano-jouba.com/blog/knowledge/%E7%99%BD%E3%81%84%E6%B1%97.html

*71:https://www.minnano-jouba.com/blog/knowledge/%E7%99%BD%E3%81%84%E6%B1%97.html

*72:https://www.joeaday.com/action-man-mcdonalds-2001/

*73:https://www.joeaday.com/action-man-mcdonalds-2001/

*74:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E7%88%B6

*75:http://m.joyceproject.com/notes/030122equinefaces.html

*76:https://en.wikipedia.org/wiki/Joachim_of_Fiore

*77:https://en.wikipedia.org/wiki/Joachim_of_Fiore

*78:ジョイス『若い芸術家の肖像』丸谷才一訳、新潮社、平成6年、p. 300

*79:ジョイス『若い芸術家の肖像』丸谷才一訳、新潮社、平成6年、p.245

*80:http://m.joyceproject.com/notes/030122equinefaces.html

*81:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%95%99%E7%9A%87%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A4%A7%E5%8F%B8%E6%95%99%E8%81%96%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%AD%E3%81%AE%E9%A0%90%E8%A8%80#cite_ref-10

*82:http://m.joyceproject.com/notes/030048joachim.html

*83:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%95%99%E7%9A%87%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E9%A0%90%E8%A8%80

*84:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%95%99%E7%9A%87%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E9%A0%90%E8%A8%80

*85:ここまでのエリシアについての記述は、次のサイトを参照。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3#:~:text=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%EF%BC%88%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E%EF%BC%9A%D7%90%D6%B1%D7%9C%D6%B4%D7%99%D7%A9%D6%B8%D7%81%D7%A2%EF%BC%89,%E3%81%8C%E5%A4%89%E9%81%B7%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

*86:http://m.joyceproject.com/notes/030101calve.html

*87:https://en.wikipedia.org/wiki/Ladon_(mythology)

*88:この『天文詩』については、ルネサンス期にはヒュギーノスの著と考えられていたが、黄道の北に位置する星座のリストのほとんどが、プトレマイオスの『天文学』と同じ順番であることから、後世の別のヒュギーノスあるいはヒュギーノスを騙る者の著ではないかという疑義があるらしい。https://en.wikipedia.org/wiki/De_Astronomica参照。

*89:http://www.kotenmon.com/hyginus/hyginus.htmhttp://www.kotenmon.com/hyginus/dragon.htm

*90:http://www.kotenmon.com/hyginus/dragon.htm

*91:http://www.kotenmon.com/hyginus/dragon.htm

*92:https://play.google.com/store/books/details?id=hqxoAAAAcAAJ&rdid=book-hqxoAAAAcAAJ&rdot=1https://en.wikipedia.org/wiki/Fabius_Planciades_Fulgentius#Mythologieshttps://en.wikipedia.org/wiki/Lactantius_Placidushttps://www.amazon.com/Mythographi-Latini-Thomas-Muncker-Leather/dp/B07QYNFS92

*93:“Mythographi Latini: C. Jul. Hyginus ; Fab. Planciades Fulgentius ; Lactantius Placidus ; Albricus Philosophus, Volume 1”、Gaius Iulius Hyginus、Fabius Planciades Fulgentius、1681年、Someren、p.470 (電子書籍版でのページ数)

*94:https://en.wikipedia.org/wiki/Orsini_family

*95:https://en.wikipedia.org/wiki/Orsini_family

*96:https://www.bl.uk/catalogues/illuminatedmanuscripts/ILLUMIN.ASP?Size=mid&IllID=51679

*97:https://www.bl.uk/catalogues/illuminatedmanuscripts/ILLUMIN.ASP?Size=mid&IllID=51679

*98:https://seiza.imagestyle.biz/haru/oogumamain.shtml

*99:https://seiza.imagestyle.biz/haru/oogumamain.shtml

*100:https://tropter.com/en/germany/munich/st-michaels-church?gid=1&pid=143906

*101:https://en.wikipedia.org/wiki/Solemn_Mass

*102:https://en.wikipedia.org/wiki/Solemn_Mass

*103:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%A9

*104:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%83%AB#:~:text=%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%82%A4%E3%83%AB%EF%BC%88%E8%8B%B1%3A%20gargoyle%EF%BC%89%E3%81%AF,%E3%81%8B%E3%81%9F%E3%81%A9%E3%81%A3%E3%81%9F%E5%BD%AB%E5%88%BB%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

*105:https://kotobank.jp/word/%E3%83%AA%E3%83%95%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3-658316

*106:https://www.newadvent.org/cathen/01354a.htm

*107:https://biblehub.com/kjv/psalms/118.htm

*108:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8F%E3%83%AA

*109:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88

*110:https://biblehub.com/kjv/matthew/19.htm

*111:https://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j-rb/101996088、次の記事も参照。http://www.religioustolerance.org/rcccast.htm

*112:http://m.joyceproject.com/notes/030019kidneysofwheat.html

*113:http://alohaloco.com/category/products/dringdring-products/など。

*114:https://en.bab.la/dictionary/french-english/dring-dring

*115:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E4%BD%93

*116:https://tokyo.catholic.jp/catholic/mass/

*117:http://osaka.liturgy.jp/?proc=japaneseslashqaslashqa1slashqa1_001

*118:https://en.wikipedia.org/wiki/Pyx

*119:https://en.wikipedia.org/wiki/Pyx

*120:https://www.amazon.com/Christian-Brands-Celtic-Cross-PYX/dp/B07NLLCVM2

*121:https://www.amazon.com/Christian-Brands-Celtic-Cross-PYX/dp/B07NLLCVM2

*122:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Lady_chapel

*123:オッカムについての説明はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0

https://en.wikipedia.org/wiki/William_of_Ockhamより。

*124:https://en.wikipedia.org/wiki/Occam%27s_razor#Religion

*125:http://m.joyceproject.com/notes/030044danoccam.html

*126:http://m.joyceproject.com/notes/030044danoccam.html

*127:https://kotobank.jp/word/%E7%BF%BC%E5%BB%8A-145998#:~:text=%E7%BF%BC%E5%BB%8A%EF%BC%88%E8%AA%AD%E3%81%BF%EF%BC%89%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8D%E3%81%86%EF%BC%88%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%A1%A8%E8%A8%98%EF%BC%89transept&text=%E8%A2%96%E5%BB%8A%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82,%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A4%9A%E3%81%84%E3%80%82

*128:二重母音についてはこちらのサイトが詳しい。https://ipa-mania.com/diphthong/#:~:text=%E3%81%A3%E3%81%A6%E4%BD%95%3F-,%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E3%80%8Cai%E3%80%8D%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE,%E3%80%8C%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%80%8D%E3%81%A8%E9%81%95%E3%81%86%E3%82%88!&text=%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AE%E7%99%BA%E9%9F%B3%E3%82%92%E5%8B%89%E5%BC%B7,%E3%82%8B%E6%AF%8D%E9%9F%B3%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82

*129:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%9F%B3%E5%A5%8F%E6%B3%95#:~:text=%E9%87%8D%E9%9F%B3%E5%A5%8F%E6%B3%95%EF%BC%88%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%8A%E3%82%93%E3%81%9D%E3%81%86,%E3%81%95%E3%81%9B%E3%82%8B%E6%BC%94%E5%A5%8F%E6%8A%80%E6%B3%95%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

渚のジョイス~第4回ユリシーズ読書会メモ・パート1

www.stephens-workshop.com

(この記事は2019年10月に開催されたユリシーズ読書会参加にあたって調べた内容を、2019年12月~2020年7月の間にまとめたものです。現在、読書会はオンラインで継続して開催されています)。

「京都から深夜バスで東京までやってきて、未曽有の重量のカバンを持ち、ネットカフェを転々としながら読書会に参加した」者の、ユリシーズ読書会第4回(第三挿話・2019年10月20日開催)の予習&再調査のメモ・パート1です。この挿話ではスティーヴンの浜辺散策中の思索の変遷が描かれているため、一度にすべてを調べると半年以上かかると判断し、数パートに分けて掲載することにしました。昨年12月からの個人的なトラブルの連続、コロナによるストレス、図書館の閉館による資料閲覧の困難、そして異常な長さのため、かなり更新が遅れてしました。興味を持ってブログに何度もアクセスしてくれた方にお礼とお詫びを申し上げます。

・この読書会に参加するにあたり、私のような予習や調査は必要ありません。柳瀬氏の訳による『ユリシーズ』を読み、何となく気になったところや分からなかったところなどを頭の隅に留めておくだけでOKです。どういう点に着目すればいいか、などのアドバイスは、事前に主催者の方がメールで送ってくれたりもします。とにかく気軽に読んで、気軽に参加し、気軽に発言してみてください。読書会の趣旨や雰囲気については、上記サイトまたは同サイト内で紹介されている他の参加者の方々のブログなどを是非ご覧ください。

 スティーヴンの思索の絶え間ない変遷に伴い、わたしの調査や考察も四方八方に広がってしまいました。ほぼすべての文章で「引っかかって」しまっているので、興味がおありのところを中心にご覧いただくことをおすすめします。

(読書会で作成される言葉の地図の略称に合わせ、柳瀬訳をU-Y、丸谷才一らによる鼎訳(集英社文庫版)をU-Δと表記し、その後にページ数を書いています(挿話番号はepの後に表記されています)。ガブラー版はまだ持っていないため、引用部分を表記できません(申し訳ございません)。グーテンベルクのものを参照しているため、ガブラー版との差異が生じている可能性があることをご了承ください。)

 

 では早速。

 

 

<U-Y 73 ~可視態の不可避の様式、ヤコブベーメ、バークリー、透明の限界、アリストテレス、Shut your eyes and see~> 

・U-Y 73「可視態の不可避の様式。少なくともそれ、それ以上でないにしても、おれの目を通しての思考」

 U-Δ 99「視覚世界という避けがたい様態。ほかはともかく、それだけはこの目を通過した思考だ」

 “Ineluctable modality of the visible: at least that if no more, thought through my eyes”

 →もう冒頭からよく分からない。「少なくともそれ、それ以上ではないにしても」の部分は“at least that if no more”で、その前にコロンがついているので、大体「目に見えるものという避けることのできない様相は、それ以上のものではないにしても、少なくともおれの目を通した思考だ」という意味か。U-Yではmodalityを「様式」と訳し、U-Δでは「様態」と訳している。このmodalityというのが難しい言葉で、論理学では「様相、様態(mode)」、心理学では「様相(視覚・触覚などそれぞれの感覚器による感覚」の意味を持つ(学術的な専門用語として使われることが多い)。ここでは目に見えるもののことを言っているので、感覚を通して認識される「様相」という語のほうが訳にふさわしいのではないかと思う。それがスティーヴンの「思考」だと述べられている点で、既に「目に見える、身体で感じられる物質世界」と「物質世界を知覚する主体の観念世界」との同一性への問いが、“at least that if no more”という若干の不確実性を感じさせる言葉で繋がれることで提示されているように思われる。U-Yの「可視態」という言葉は辞書では出てこない。後の「並列態」などの言葉に合わせた造語か。U-Δでは“if no more”を「ほかはともかく」と訳しているが、「それ以上ではないにせよ」という意味の表現をそのように意訳できるだろうか。どのような解釈から「ほかはともかく」としたかは分からないが、U-Δでは現実世界と形而上の世界とが同一であると断言している訳になっている。

・U-Y 73「署名」“Signatures”

 →本挿話の最後の部分にある「鼻くそ」につながるのではないか? ここでスティーヴンはヤコブベーメの『デ・シグナトゥーラ・レールム』(“On the Signatures of Things”)を想起しているとの指摘がある*1

 ヤコブベーメ(1575-1624)はドイツの神秘主義*2。『デ・シグナトゥーラ・レールム』では自らの神秘思想を錬金術占星術的側面から著述している。「『デ・シグナトゥーラ・レールム』において、神の真理の直接的な理解は、純然たる信仰に必要な補完であると主張している。冒頭は以下のように始まる。『神により語られ、書かれ、教えられたいかなるものであれ、署名(signature)を知らなければそれは押し黙り、理解のすることはできない。というのもそれは歴史的な推測、または他人の口からのみ発せられ、そこにおいて知識のない霊(ガイスト)は語らないからだ。しかし、もし霊が人にその署名を明かし、見せれば、人は他者の語りを理解し、さらに、いかに霊が自身を現し、正体を明らかにしたかを理解することになる』」*3

 ベーメは神を「無」(Nichts)、「底なし」(Ungrund)、「一者」(das Eine)、「永遠の静寂」(die ewige Stille)、「自然の外の自由」(die Freiheit außer der Natur)とし、一切を神の自己顕現運動の諸相ととらえた。自己顕現(Sich-Offenbarung)とは、自己を限定することによってその姿を露わにしていく運動のこと。無である神は、いくつもの層・系(Gradus)を通して自己の姿を次々とあらわし、外化させていく。ベーメは「万象は無から想像された」としているが、その創造論において世界が無から直接創造されるとは考えていない。無なる神は、創造とは直接つながらず、無は一切から自由であるとする。ベーメ創造論では、無なる神の内に明確に意思を見てとり、意志による創造の詳細を無、永遠の自然、天使、人間、森羅万象にわたって論じている。彼は無の本質が自由であることを見抜き、天地創造の行為、そして新しい創造―人類と森羅万象の救済を、意志の自由を軸として追究した。更に、能動的な意志の活動の場としての身体性に着目した上で、創造の本質を、何者かが何かを対象として造るのではなく、霊が本体を求めて外へと現れていく誕生の運動とした。意志、自由、身体、誕生の四つがベーメ創造論の中心的な思想の要素である。

 ベーメの思想は錬金術に深い源泉を持ち、中でも水銀(Hg、メルクリウス)はその思想に大きな意味を持つ。水銀は常温で液体となり、さまざまな金属と容易に結合する。熱すると気化し、分量の少ない場合には完全な球体を形成する。その球体はわずかな圧力でいくつもの水銀の玉に分裂し、それぞれの球面は鏡のように外界を等しく映し出す。このように多様な特性を持つ上、一般に円・球は完全性の象徴とされており、特に錬金術では上と下、内と外などの対立するものの対応一致を重視するため、水銀は大宇宙と小宇宙の完全な一致を具現するものとして重視された。このような水銀の特性は生命力の発現を想起させたものと考えられている。ヨーロッパの錬金術の伝統において水銀―メルクリウスは単に物質的なものとしてではなく、物質を成り立たせる霊的生命体と見なされ、ある物質を一層高次な物質に変化させると同時に、自らも高次な存在へと変化する「変容物質」(verwandelnde Substanz)とされている*4

 ここでいう「署名」とは霊が本体を求めて外化していく誕生の「しるし」のような意味ではないかと考えられる。無からの創造と創造における変遷、大宇宙と小宇宙の一致の観念などは、この挿話全体と強いつながりがあるのではないだろうか。

・U-Y 73「海落し卵、海捨て草、寄せる潮、あの色褪せたブーツ」

 U-Δ 99「魚の卵や、浜辺の海草や、満ちてくる潮や、あの赤錆いろの深靴などを」

 “seaspawn and seawrack, the nearing tide, that rusty boot”

 →bootが単数形になっているが、片足だけを見ているのだろうか? 「あの」という言葉が入っているので、スティーヴンは今履いているのではない別のブーツのことを思い出しているのか。この挿話では全体的にスティーヴンが「実際に知覚している」ものなのか、「頭の中で回想・想像している」ものなのかの区別がつきにくい。U-Yは大分意訳だが(というか創作に近い)、原文のニュアンスを踏まえた言葉遊びとして面白い。U-Yの「海落し卵」の「海落し」は「産み落し」の意味も含んでいるのだろうか。rustyには「赤錆色」という意味も「色あせた」という意味もあるが、この後でさらにrustという言葉が出てくるので、U-Yでは赤錆色としてもよかったのではないかと思う。それとも同じ言葉を使わないたくなくてわざと変えたのか? ちなみにU-Δのほうではその後のrustも赤錆としている。

・U-Y 73「青っ洟緑」

 →「ep.1『スティーヴンのハンカチの色から、海の色』」(U-Δ注)

・U-Y 73「彩色された署名のかずかず」

 “Signatures of all things”

 →「『万物の署名』の後にこの『彩色された署名のかずかず』が繰り返されているのは、ヤコブベーメに関連する思索が続いていることを示しているのかもしれないが、ギフォードはここでバークリーの観念論的思想がほのめかされていると見ている。バークリーはデカルトの主観-客観の二元論や、ロックのような経験主義への応酬が要求される観念論を支持していた。バークリーにとって、観念的現実は単にそれを創造した神的存在という観点からではなく、物質的な現象を知覚する人間主体という観点から定義されねばならなかった。ロックらに対する彼の答えは、私たちが知覚していると思っているものは完全にはものそのものとして証明することはできず、知覚者の心の中の状態にすぎない、と主張するものだった。人間主体が物質的現象を見ていると思っているとき、実際に見ているのは光と色だけである。バークリーがこの見解において「非物質主義」と呼ぶものは、ベーメの神秘的な超越論と簡単に一致しうるかもしれない」*5

 ジョージ・バークリー(1685-1753)はアイルランドの哲学者、聖職者。読書会中のスライドでも紹介されたように、「事物の存在するとは知覚されることである」という理論を唱えた*6。一見、「見たり、触れたりできるものは存在する(知覚できないものは存在しない)」ということを唱えている感覚論者のような印象をうけるが、バークリーによると世界は観念である。例えば、机を叩けば机の固さは認識できるが、それは机の固さという知覚を得、認識しているだけで、机そのものを認識していることにはならない。世界は自らが知覚する限りにおいて「心の中に存在する」ものであり、実体とは知覚によって同時に得た「観念の束」であるとしている。バークリーは知覚する精神と神のみが実体であるとし、物質を否定している。更に彼は抽象観念の存在をも否定し、その存在を肯定するイデア論を退けた*7

 世界(被創造物)が神的存在が自らを外化させた「署名」であり、それを読み取ることによって世界を知ることができるとしたベーメと、物質は知覚される限りにおいて心の中にのみ存在するもの、と述べるバークリーの間には、確かに緩やかな繋がりが存在するかもしれない。ちなみに、バークリーがこのような論を主張した背景には、当時の光学技術の発達、つまり眼鏡や望遠鏡、顕微鏡などが普及したという時代状況もあるらしい*8。顕微鏡でしか見えない菌類、望遠鏡でしか見えない惑星は果たして本当に存在するのかどうか、という疑問をもったのではないだろうか。『視覚新論』の冒頭が距離を認識することについての思索から始まっていることにその反映がうかがえる。

 ・U-Y 73「透明の限界」

 “Limits of the diaphane”

 →「『霊魂論』第二巻や、『自然学小論集』の『感覚と感覚されるものについて』などで、『透明なものの限界』を論じた。趣旨を要約すると、『透明』は本来あらゆる物体に内在する性質だが、物体に端があるように『透明』にも端がある。色は物体の限界(表面)にあるか、または物体の限界そのものである。『したがって限られている固体のうちに在る透明なものの限界が色であろう』(『感覚と感覚されるものについて』副島民雄訳)。……アリストテレスは、光は透明なものの現実態であり、闇の中には透明なものが可能態として存在している、とも述べている」(U-Δ注)。diaphaneは“Something transparent or diaphanous(←布などが透けて見える様子の意の単語)”、“A women silk stuff with transparent and coloured figures”、“Essence of nature (Aristotelian philosophy)”などの意。古代の哲学者のギリシャ語を音訳・翻字したもの*9。などの意、どころではなくてもうここはどうしてもアリストテレスしかないのだが「この解釈からスティーヴンはアリストテレス唯物論者(物質主義者)と結論付ける」*10

 唯物論者とは、観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方(タレス、イオニオ派、デモクリトスなど)。アリストテレスの『霊魂論』第二巻を読んでみると、視覚とは何か、色とは何か、透明なものとは何か、光とは何かについて論じている。

「色はすべて、活動状態にある透明なもの(明るい空気や水など)を変動させ得るもので、これが色の自然(本性)である。だからこそ色は光がないと見えないし、それぞれのものの色はすべて、光の中でだけ見られ得るのである。透明なものとは、(具体的には)空気と水と多数の固体などのことで、それらは(ある意味で)見られ得るものであるが、無条件にそれ自体において見られ得るのではなく、他者の色を介して見られ得るものである。そして透明なものであるかぎりでの透明なものの活動(現実態)が光である。一方、単に能力的に(可能態として)透明なものが存在する所には、闇も存在する。そして光は透明なもののいわば色である。光は火でも、他のいかなる物体でもない。それはむしろ火の、あるいは火に類する何かの、透明なもののうちでの臨在である。また光は闇と反対のものと思われているが、それは闇が透明なもの(空気や水など)からの、そのような状態(火などの臨在)の欠如、透明なものからの明るさを所有した状態の喪失であり、光がこのような状態の臨在であるということが明らかだからだ。色を受容できるのは無色のものである。無色のものとは、透明なものと、見えないもの、どうにか見えるものであり、暗闇はそのようなものだと思える。そして暗闇のようなものは透明なものであるが、ただしそれは現実的に(現実態において)ではなくて、能力的に(可能態において)透明であるときに、である。というのも、同一の本性(もの)が、あるときには闇で、別のときには光(明かるさ)であるのだから。見られ得るものがすべて光の中で見えるのではなくて、それぞれのものの固有の色だけが光の中で見える。というのも、若干のものは光の中では見えないで、逆に闇の中で感覚(視覚作用)を引き起こすからである。それは、火のように見える、輝くものである。そしてこれらのどれも、その固有の色は光の中では見えない。ここまでで明らかであるのは、光の中で見られるものが色であり、色は光がないと見えないということだ。なぜなら、これこそが、つまり「現実に透明なものを変動させ得るもの」であることが、まさしく色であること(色の本質)だからだ。他方において、透明なものの、透明なものとしての完成(現実態)が光である。色が透明なものを、例えば空気を変動させ、そして連続的に(器官まで)広がっているこの空気によって感覚器官が変動させられる(ことによってはじめて色が見られる)のである。以上で、どのような理由によって色が光の中でだけ見られるのが必然的であるのかが説明された。しかし、火は両者の中で、つまり闇の中でも光の中でも見られる。なぜなら、まさにこのもの-火によって、能力的に透明なもの、つまり闇が現実に透明なもの、つまり光になるからである」*11

 臨在という言葉がよく分からない。「「臨在」(パルーシア)の意味はあいまいである。……例えば太陽が空気に臨在するとは、空気へ作用を及ぼすというほどの意味であろう」という解説*12があり、「判別するものは二つの感覚的性質の中間にあるものとして、中性的であって、両者の間の一種の境界をなしている」という注もある*13。辞書では「(神が)その場に臨むこと、そこにおられること」とあり、臨在を「現にあらわれていること」と解釈し、訳しているものもある*14。「火のように見える輝くもの」とは、近代の注釈者たちによって「リン光を発する(phosphorescent)もの」と総称されることが多い*15。「他者の色を介して見られ得る」という部分については、「透明な物体は無色であり、それ自体の本性上は見えないものであるが、火や太陽などの作用を受けると、内部の透明性が現実化して、光に化する。つまり明るくなり、その意味で見えるものになる。空気や水が「他者の色を介して見られ得る」とはこの意味、つまり「他者の色」とは光(明るさ)であり、他者とは空気や水の内の透明性であろう」との解説がある*16

 そして『自然学小論集』中の「感覚と感覚されるものについて」では以下のように述べられている。

「『霊魂論』では光について、透明なものに場合によって付帯するところの色であると述べている――なぜなら何か火の性質のものが透明なもののうちに在る場合にはいつでも、その火の性質のものの臨在が光であり、それの欠如が闇なのだからである。ところでわれわれが透明と呼ぶところのものは空気にも水にも、またその他の透明と呼ばれているところの物体のうちのどれにも固有なものではなく、何か共通な本性・能力である。この共通な本性・能力は透明と呼ぶところのものから離れて在るのではなく、内在している。のみならずその他の物体にも内属しているものであり、前者〔空気や水〕にはより多く後者〔その他の物体〕にはより少なく内在している。したがってちょうど物体に何らかの端がなければならないごとく、物体〔固体〕のうちに内在しているこの本性〔すなわち透明〕にもまた端がなければならない。したがって光という本性は透明なもののうちでも端を持たない透明なもののうちに在る。がこれに反して、固体〔端を有する物体〕のうちに在る透明なものには端の存在が無視できないものであるのは明らかである。そしてこれが色であることは事実からして明らかである。なぜなら色は限界〔表面〕においてあるか、あるいは限界そのものであるかだからだ。(それゆえピュタゴラスの徒も現れている「面」を色と呼んだのである。)というのは色は実に物体の表面において在るからである。だが物体の表面は何ら独立性のある物ではないので、われわれは外部に色として現れるところの同じ本性が、内部にも在ると信ぜねばならぬ。/空気も水も色を持っていることが明らかである。すなわちその耀きが〔色〕だからである。だがこの場合においては、〔色〕が端のないもののうちに在るために、空気も海も近づいて見られる場合と遠くから見られる場合とでは同じ色を持っていないのである。他方で固体〔端を有する物体〕における表面の色の現われは、四囲の状態がそれを変化させるのでなければ一定している。だからどちらの場合においても、共通して色を受けるという同じ性質があることが明らかである。だから透明なものはそれが物体のうちに在る(そしてそれは多少の差はあるが、あらゆるもののうちに内在している)かぎりにおいて〔物に〕色を具有させるのである。/ところで色は限界(端)において在るのだから〔物のうちに内在する〕透明なものの限界において在るのであろう。したがって固体のうちに在る透明なものの限界が色であろう。そして透明なものそれ自身、たとえば水のようなものがあるとすれば、透明なものにおいても、また固有の色を持っているようにみえるもの〔すなわち透明でないもの〕においても、すべてのものと同じように色があるのはその端においてである。/空気のうちにも、光をなすところのそのものが透明なもののうちに内在していることがあるし、またそれが内在していなくて欠如していることがある。そこでまさにさきの〔空気の〕場合においては、一方が光で他方が闇であるように、固体においては白と黒とが生ずる」*17

 この『霊魂論』と「感覚と感覚されるものについて」の透明なものと色についての論をまとめると、「透明」はあらゆるものに様々な程度で内在している。物体には端があり、その端(限界)に色がある。したがって、ものに内在する透明なものの限界にあるものが色である。内在する透明性が色の働きかけで外化され、透明なものとして現実化する。色は物体の端にあり、透明性はあらゆるものに内在している。色はその内在する透明なものの限界にあると考えられる。色の働きかけで透明は現実化し、その透明なものの限界に色がある、ということだろうか。光の本質に火の要素を認めている点や、闇の中の透明性の考えについても面白いし、挿話と関連付けることもできるかもしれないが、これ以上調べるとアリストテレスのことしか考えられなくなるので、今は保留にしておく。この二つの論について「光は物体を様々な程度で通過し、透明性の限界としての色彩に衝突する」という挿話中の語句に関連付けた解説もある*18。衝突という言葉はアリストテレスの論そのものの中には出てきてはいないが、「色が透明なものに働きかけること」を一種の「衝突」として解釈した上で、この後に出てくる「頭をぶつける」という記述に繋げているのかもしれない。ところで、ここでスティーヴンが「透明の限界」を考えたとき、彼は海か空を見ていたのだろうか?

・U-Y 73「しかしあの人物はこう付け足している」

 U-Δ 99「でも彼はつけ足しているぞ」

 “But he adds”

 →「彼とはアリストテレス」(U-Δ注)。この後に“in bodies”という言葉が入り、ここをU-Y、U-Δ共に「物体における、と」(U-Y 73、U-Δ 99)と訳しているのだが、このbodyは多義性を持ち、後の死体の出現をも予見しているのではないか、という指摘が読書会中にあった。死体の描写はこの挿話だけでなくこれまでの挿話に何度も現れるのだが、確かにbodyという言葉はここでの「物体」を指すだけでなく、後々現れる数えきれないほどの“body”をも暗示しうるのだろう、と思った。

・U-Y 73「禿頭だったし大金持だった」

 U-Δ 「禿頭でおまけに億万長者」

 “Bald he was and a millionaire”

 →「中世の俗説を言う。彼の「遺言」を見てもともかく貧困ではなかった。髪は短く刈り込んでいたと言うが、禿頭であったかどうかは分からない」(U-Δ注)禿頭(bald)はbold(大胆な、図々しい、でしゃばり等の意)にかけているのだろうか?(発音は若干違うけれども)

・U-Y 73「色いろな物知りお師匠さん」

 U-Δ 99「この物知る人々の師」

 “maestro di color che sanno”

 →「イタリア語。ダンテ『神曲』「地獄篇」第四歌131より。アリストテレスを指して。ここはイタリア語のcoloro(人々)とcolore(色)、英語のcolor(色)の語呂合せで「色彩の師」の意を含むか」(U-Δ注)。U-Δ注の「地獄篇」の該当箇所を読むと、「智恵者たちの師」(アリストテレス)というふうに書かれてある。また、この地獄篇の第一歌では、豹、獅子、牝狼がダンテの行く手を阻む*19。豹はep.1のヘインズ、獅子はマリガンを想起させるが、もしこの三つの動物と作品との関係があるなら、牝狼は何を(誰を)意味するものだろうか? ちなみに第一歌の注に、エリオットの「豹、獅子、牝狼について、『そうしたものの意味を気にかける必要はないと思う。初めは、そんなことは考えない方がいいのである』」言及があるが*20、どういう意図でそのような発言をしたのか私には分からない。U-Yでは「色いろな」で原文の「語呂合せ」を訳出しようとしている。

・U-Y 73「おける透明の限界」

 U-Δ99「物体における透明なものの限界」

 “Limit of the diaphane in”

 →U-Yは原文通り。U-Δは補足して分かりやすくしている。

・U-Y 73「五本指が通るならば門である、扉ではなく」

 “If you can put your five fingers through it it is  a gate, if not a door”

 →なぜ「五本指」なのだろうか? 「手」などでもいいように思えるが… ここは「サミュエル・ジョンソン博士の『英語辞典』の定義法のパロディ。ジョンソンの辞典のドアの項は以下の通り。『扉は家屋、都市の門や公共の建物に使用される。詩的許容の中で使用される場合を除いて』」との指摘がある*21。詩的許容とは詩などで効果を上げるのに用いる韻律、文法、論理上などでの逸脱のこと。これがどうパロディ化されているのもあまり分からないのだが、ジョンソンのドアの定義の最後の“except in the license of poetry”の部分が、if not a gate(扉ではなく)にあたるのだろうか?

・U-Y 73「目を閉じて見るのだ」

 “Shut your eyes and see”

 →スティーヴンは目を閉じて歩き、自分の踏み拉く足元の貝の音などを聞く。視覚ではなく、触覚と聴覚によって世界を認識しようとしている。アリストテレスの説くのとは違ったやり方でものを認識し、彼の説を検証しようとしているのか。「透明の限界」を知ろうとしているのか。ここで「スティーヴンは経験を理解するのに神秘的な方法へと後退する。だが、彼が見たいと思うのは、創造された宇宙の黙示論的消滅だ」という指摘がある*22。「創造された宇宙の黙示論的消滅」はこの後に続くものと思われる。

・U-Y 73「とにかく通り抜けて歩いてるじゃないか」

 U-Δ99「どうやら通り抜けているらしい」

 “You are walking through it howsomever”

 →howsomeverは古語で、howeverのこと。「どんな方法であれ、どんな…でも、しかしながら」のような意味になるのだが、U-Δには推量のニュアンスがある。スティーヴンが恐る恐る歩いているときの確信のない気持ちを推し量ったものか。ここの原文のthrough itは前に出てきた“put your fingers through it”と呼応しているように思われる。

・U-Y 73「踏み拉く」

 U-Δ99「ぐしゃりと踏みつぶす」

 “crush crackling”

 →「拉く(しだく)」は押しつぶされて形を崩す、荒れる、乱れ散る、等の意。原文ではこの後に“wrack and shells”が来て、cracklingがwrackにかかるのかと思ったが、cracklingはパチパチとはじけるような音、粉砕音などを指し、wrackは漂着した海草や漂着物の意である。砂浜で海草を踏みつぶしても硬質な音は出ないと思う(もしかしたら漂着してから干からびてしまった硬い海草なのかもしれないが)。前の部分で砂浜に漂着した海草をわざわざseawrackと言っているので、ここのwrackは漂着物のほうではないかとも思うが、確信はない。とりあえずここでは踏みつぶされて鋭い音をたてる貝殻やwrackのことを書いているので、「ぐしゃりと」という副詞では少し音の鋭さの表現に欠けるのではないだろうか。適切な副詞が思いつかないが、U-Yの「踏み拉く(ふみしだく)」という言葉の音のほうが、「踏みつぶす」よりも硬質感があるのではないかと思う。

・U-Y 73「きわめて短い間隔の時間にきわめて短い間隔の空間を」

 U-Δ99-100「ほんのわずかな時間をかけて、ほんのわずかな空間を通り抜けている」

 “A very short space of time through very short times of space”

  →目を閉じて歩くスティーヴンが「時間」と「空間」を意識したこの後、順次、並列態という言葉が出てくる。よく原文を見ると、訳語の「間隔」に当たる直接的な言葉はない。space of timeとtimes of spaceが逆転しているだけで、直訳すると「時の空間」「空間の時」になってしまう。それぞれの前にshortがついているので、前者は「短い間(の時)(=(時の)短い間(ま))」「わずかな回数の(空間)(=(空間の)わずかな回数)」(ちなみにshort space of timeは一般的な用法では「短期間、ごく短い時間」と訳される)後者のtimesは複数形なので一般的な「時間」というより「回数、度」の意味の方が強いのでは荷かと思う。なので、これらを合わせると、「きわめてわずかな回数の空間を通り抜けるきわめて短い間の時」になってしまうのだが、この文章に「間隔」という言葉を当てはめられるかどうかと考えてみると、「短い間(space)の時」の「間」は「間隔」に置き換えられると思う。辞書で「間隔」を調べると、「物と物とのあいだの距離、物事と物事の間の時間」となっており、この「間隔」という言葉についても空間的・時間的な意味を両方有していることが分かる。「わずかな時間の回数(times)」については、流れ、生起し続けると同時に分断されているそれぞれの「時間」を空間としてとらえ、それぞれの時間-空間の「敷居」を歩くごとに跨ぎ越しているような印象をうける。そういった意味では短い「間隔」の時間、と訳してしまってもいいのかもしれない。原文でもU-Yでも同じなのだが、ここでは連続し、どこまでも広がっているはずの時間・空間が分断されつつ繋がっているような印象をうける。U-Δのほうが意味としては分かりやすい。U-Yは原文のリズムと自身の解釈を優先した感じが強い。

<U-Y 73-74 ~順次・並列態、レッシング、造物主ロス、グノーシス、マデリン牝馬ちゃん、英詩構造~>

・U-Y 73「順次」「並列態」

 U-Δ100「順次に連続するもの」「同時に並列するもの」

 “nacheinander”“nebeneinander”

 →「ともにドイツ語の副詞を名詞に用いて。18世紀ドイツの文学者レッシングは批評『ラオコーン』(1766)で、空間的・並列的な芸術としての絵画と時間的・継起的な芸術としての詩について論じた」(U-Δ注)順次は英語にすると“one after another”、並列態は英語で“side by side”になる。それぞれ、「順々に、次々に、前後して、連続して」「並んで、隣り合って、並存して」の意味になる。『肖像』においても、スティーヴンはこの話題に触れている。「審美的映像は、空間あるいは時間において、われわれに提出される。聴覚でとらえられるものは時間において、視覚でとらえられるものは空間において、提出されるんだ」*23(『肖像』ではスティーヴンの審美的関心に基づき、彼がアクィナス、アリストテレスと「美」についての考えをのべている場面がこの他にも複数ある)。

 レッシング(ゴットホルト・エフライム・レッシング、1729-1781)はドイツの詩人、劇作家、思想家、批評家。ギリシア美術を論じた『ラオコーン』は後の美術思想に大きな影響を及ぼし、「ラオコーン論争」を起こした。ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは『ギリシャ芸術模倣論』(1755)の中で、1506年に発掘された彫刻・ラオコーン像について、怪物に食われようとするラオコーン親子の像が強い印象を与えるのは、その断末魔や苦痛の表情ではなく、抑制された表現にあるとして、古代芸術の「気品ある単純と静穏なる偉大」を賛美した。一方レッシングは、ラオコーン像の彫刻家は美を達成するために見苦しい断末魔のシーンを避けて、その寸前から描いたから抑制された印象が現れたのだと主張した。ここから、レッシングは空間を使って絵の具やノミで表現する絵画や彫刻は、人物や風景などの物体を対象とし、唯一の決定的瞬間・最も含蓄のある瞬間を描くものであり、対象の行為を描き、時間の中の継続的な行為を描く文学や舞台などとは別のものとして分けた。この論によって、それまで「詩は絵のように」と言われ、詩と絵画を姉妹として見てきた西洋において、視覚芸術(空間芸術)と言語芸術(時間芸術)は分けられた*24

 さらに、ラオコーン論争についての論文の内容を引用しつつ分かりやすくまとめたものを以下に紹介してみる。「ヴィンケルマンは、当時の美学の潮流の中で、自然の模倣を最上として推奨する人たちに対し、古典、特にギリシャ美術の模倣こそ真の美に達する早道であることを主張した。一方で、レッシングは文学を絵画のように描写し、絵画を文学の様に物語ることを強く要求した当時の人々に対し、絵画と文学の本質的区別を明らかにすることで、それぞれの芸術にその領域を明確に配当することを目指した。

 ヴィンケルマンは「ラオコーン群像」の中で、自然の形成物よりもすぐれた芸術作品の価値を認めることによって、当時盛んであった自然模倣の推奨論に反撃を加えていることと、芸術は知性と手を結ぶことによって理想美を描くことができ、ギリシャの芸術はまさにその典型であり、「不当な激情」の排除はこのような知性との結合の結果であるという考えを述べている。また、彫刻の技法上の問題として、あるいはある一瞬を固定する芸術としての性質からの必然的制約としてよりは、ギリシャ人が理想美の観点から「不当な激情」の表現を排除したものである事を明らかにしている。

 対するレッシングは、芸術家の目的はまず感情的効果、即ち感動を生み出すことにあり、その目的に沿うために素材や形式や表現法も規定されるとする。従って芸術作品の各要素は、その追求する目的に対して一つの機能を果たしている、と考える。その立場からラオコーン群像の抑制された激情は、ヴィンケルマンの解釈したように、ラオコーンの高貴な魂を、一つの理想美を示すためのものではなく、芸術作品の究極の目的である感情的効果を追及するための手段であり、美全体は芸術の最終目的ではなく、追及される感情的効果を生むために不可欠な条件にすぎないとする。芸術作品においては、このラオコーン群像に見られるように、内容、形式、目的が互いに機能的に規制し合い、この点においては文学も例外ではないと述べる。ただ、造形美術と文学とはその本質的相違によって、目的追及の手法を異にする。造形美術と文学や音楽の様な芸術との相違の最も重要な点は何か、というと、前者は並存の芸術であり、後者は継起の芸術であることであると結論づける。造形美術は一瞬の永遠化であり、文学は変化(Handlung)を描く。

 造形美術は不動不変であり、それを構成する各部分が究極の目的に向って一致した時に美を具現され、感動を生み出す。これは一つの瞬間・視点を永遠化するものであるから、最も豊かな効果の生じる瞬間と視点、すなわち最も自由に想像力の働くような時点をとらえねばならないと主張する。さらに絵画と文学について、当時の描写文学の流行は、文学の絵画模倣であって、本来の文学のあり方に反する。また反対に文学の中の描写を絵画において模倣することが奨められているが、絵画には絵画としての描写の技法があり、それは文学の描写とは根本的に違ったものであらねばならないと主張する。ラオコーン群像の場合、ヴィルギリウスの「アエネアス」に描かれた場景をもとに製作されたにもかかわらず、造形美術の本質に合うように題材を加工したこと、すなわち主人公に絶叫させることなく、苦痛の表現を抑制したことは、ジャンルを異にする芸術間の模倣の模範とするべきである、とレッシングは論じている」*25

 これまで私は、順次に属する芸術作品は音楽で、並列に属するものが絵画や彫刻、文学だと思っていたが、以上の説明や論を見ると、並列に属するものは造形美術(彫刻や絵画)で、順次に属するものが音楽、文学、演劇としていることが分かる。レッシングは各芸術作品(特に造形美術)がいかにして見る者の感動を生み出すべきか(造形美術は一瞬の永遠化であり、文学は変化を描く)を説き、各芸術作品の創作における素材や方法、内容、形式の違いを明確にする手段として芸術作品にこのような区別を設けた、つまり創作者側からの視点での区別を設けたのではないかと思う。

 しかし、鑑賞者側からの視点で考えると、時間的な要素が芸術表現にとって必須である音楽や演劇が順列に属するのは分かるが、文学はどうか。確かに、朗読すればそれは音となるので、順列の芸術と言えるし、本などのテキストを見ている際にも、その意味を読み取り、鑑賞するのに視線の移動が必要なことから、それは順列の芸術であると言えるかもしれない。しかし、並列の芸術とされている造形芸術が、果たして純粋に「並列」であろうか? 不動不変の、静止する絵画作品を鑑賞するとき、私たちは実物や図像を前に、その全体的な印象を得ることができる。しかし、あくまでも全体的な印象しか分からない。絵画をじっくりと鑑賞する際には、遠くに離れて全体的な各部分の調和の美を味わい、近くに寄って、その「各部分」がいかに描かれているかに目を凝らす。並列する各絵画作品の、全体的な調和的美と、それを生み出すための各部分を、同時に鑑賞することは出来ないのではないだろうか。そこには必ず「視点の移動」が生じる。視点の移動には時間を伴う。彫刻作品であればなおさらそうだ。三次元で創作された彫刻作品を見るとき、ただその正面に立つだけならば、私たちはその前面のみを、ほとんど二次元的にしか捉えることができない。しかし彫刻作品は、見る者の位置によってその姿を変える。彫刻作品を鑑賞する際には、その作品の周りを回って、細部がいかに彫られているかを確かめる必要がある。そういった意味で、彫刻作品の鑑賞にもやはり大きな視点の移動が必要だ。そう考えると、鑑賞者側からのこのレッシングの芸術作品の区別における境界線は、かなり曖昧なものになってしまうのではないかと思う。

 作品中でこの言葉がどのように用いられているかを考える際には、以下の指摘が分かりやすい。「ギフォードによるE. A. マコーミックからの引用では『一方ではその働きが視覚的かつ進行的なものであり、それぞれの部分が時間の連続性の中で次々と生起する(nacheinander)。他方ではその働きは視覚的かつ静的なものであり、それぞれの部分は空間の中に並存する形で展開する(nebeneinander)』詩は時間のなかを移行する芸術で、絵画は空間の中に事物を位置づける芸術である」*26。順次は「その働きが視覚的かつ進行的なものであり、それぞれの部分が時間の連続性のなかで次々と生起する」もの、並列は「その働きが視覚的かつ静的なものであり、それぞれの部分は空間の中に並存する形で展開する」ものという意味をあてはめるのが一番適切であろう。

・U-Y 73「五歩、六歩。順次。まさしくそうだ。これが可聴態の不可避の様式」

 U-Δ100「五歩、六歩。《順次に連続するもの》か。まさにその通り。これが聴覚世界という避けがたい様態だ」

 “Five, six: the Nacheinander. Exactly: and that is the ineluctable modality of the audible”

 →目を閉じて歩くスティーヴンが、一足ごとに歩を進めるその様子と、砂の上を踏む足音で世界を認識しようとしている。「可聴態の不可避の様式」は冒頭の「可視態の不可避の様式」と対で、視覚で世界をとらえ、それが心的な観念なのか否かや、目に見えるものとは何か、いかにして「もの」を認識するのかを論じた過去の哲学者たちの説を自分のやり方で検証している。

・U-Y 73「ひぇっ!」

 U-Δ100「まっぴらだ!」

 “Jesus!”

 →スティーヴンが自分に、目を開けろ、と命じ、嫌だ、と拒否した後の一言。U-Yのには恐怖のニュアンスがあり、U-Δには絶対に目を開けない、というスティーヴンの強い意思が表されているように思う。その前の「順次」の部分で自分がうまくやっていると感じているし、その後の崖から落っこちる云々の部分では恐怖を感じているので、これはどちらの訳でもいいのではないかと思う。両訳の解釈の問題。

・U-Y 73「つんのめるがごとくげじげじ突き出す絶壁」

 U-Δ「岩盤に覆いかぶさり海に突き出る崖」

 “a cliff that beetles o'er his base”

 →「『ハムレット』一幕四場(第一挿話参照)」(U-Δ注)。ハムレットの該当部分(原文・訳書)を参照してみたが、ハムレットのほうは“What if it tempt you toward the flood, my lord, / Or to the dreadful summit of the cliff / That beetles o’er his base into the sea, / And there assume some other horrible form, / Which might deprive your sovereignty of reason”*27となっている。この部分の訳は以下となる。「激流のほとり、海中に突き出た断崖のうえ、そういう危険な場所におびきよせ、急に恐ろしい魔性の姿に変じて、人の気を狂わせる。そのときは、そうなったら、どうなさいます?」*28

 ここは亡霊を見たハムレットが亡霊についていこうとするのをホレイショーが止める場面。この“beetles o’er his base”の部分が「海中に突き出た断崖」になるのかよく分からなかった。his baseの意味がよくとれておらず、his baseを越えて断崖が突きだしているのか? his baseの上に断崖が突き出ているのか? と考えた。beetleは「(崖などが)突き出る」の意で、普通はbeetle over~だけで「~へ突き出る」になる。baseは基礎、土台等の意味で、シェイクスピア辞典のほうでもこの文脈に当てはまるような他の意味は載っていない。しかし、ハムレットのほうの文章で見ると、“the cliff that beetles o’er his base into the sea”になっていることから、his baseは断崖の上の岩盤(土台部分)のことで、hisはcliffと考えれば、このハムレットの部分の文章は“cliff that his base beetles over into the sea”(こうするとintoはいらないけれども)とすると崖の上の足元、土台部分が海の上に突き出ている状態が分かりやすいのではないかと思う(これは韻文なので語順が自由に移動することが多い)。第一挿話の該当部分を見てみると、「つんのめるがごとく海へげじげじ突き出すだっけ?」(U-Y 1. 36)“That beetles o'er his base into the sea”とあり、太字で表記されていることからも分かるように、ハムレットの台詞をそのまま引用したものになっている(この場面はヘインズが塔の周りの光景を見て、エルシノア城を思い出させる、とスティーヴンたちに話しかけるシーン)。実際に歩いているのはサンディマウントの浜辺で、崖などないこともそこから落ちる危険のないこともをスティーヴンはよく知っているはずなのだが、スティーヴンは若干の恐れを抱く。もちろんハムレットのいる崖を歩いているような気になっているのだろうとも思うが、その後の記述からそれだけではないのではないか、という感じもする。

・U-Y 73「不可避的に並列態を抜けて落っこちたら!」

 U-Δ100「《同時に並列するもの》を通り抜けて避けようもなく落っこちたらどうする!」

 “fell through the Nebeneinander ineluctably!”

 →ここでいう並列態とは、具体的にはスティーヴンが目を開けば辺りに見えるはずの、貝や海草、石、砂、海、浜辺に打ち寄せられたもの、遠くの太陽や空など、一見静止して見える、空間上のものたちのことと思われる。それらを「通り抜けて」落っこちる危険を考えているということは、聴覚や触覚による「順次」を確認しながらも、視覚認識のない状態で世界の存在を確信することがまだできていない状態なのではないか。前述の崖から落ちる恐怖と同時に、まだ世界の把握に自信の持てないスティーヴンの不確かさからくる動揺が感じられる。

・U-Y 73「あいつのブーツをはいたおれの両足があいつの脛の先っぽにある、並列態で」

 U-Δ100「やつの深靴をはいたぼくの二本の足がやつの脛の先にくっついている、《同時に並列して》な」

 “My two feet in his boots are at the ends of his legs, nebeneinander”

 →「スティーヴンはマリガンからもらった靴とズボンをはいている。ただしズボンは自分で古着屋から求めたもののようにも思われる(第一挿話参照)。最初に『リトル・レビュー』に掲載したときには、「やつの脛(his legs)」ではなく、「ぼくの二本の脛(my two legs)」であった。深靴(boots)はくるぶしの上までくる靴。おもに革製」(U-Δ注)。スティーヴンの履いているズボンに関しての描写はU-Y 1. 16。確かに、マリガンがスティーヴンにあげた、貸したものなのか、スティーヴンが自分で買ったものなのか、はっきりとは書いていない。U-Δ注にあるように、リトル・レビュー誌掲載のままであれば、問題なく読み飛ばせただろう。なぜ自分の両足が誰か他人の脛の先にくっついているのか? その前にスティーヴンは自分の腰にぶら下がっているトネリコの杖を意識し、それで(何か)叩いてみろ、と自分に言っている。スティーヴンはまだ目を開けていないので、自分の靴は見ていない。ならば、彼はマリガンの靴を履いている自分の足と、マリガンの脛の先が「並列」している状態を頭のなかで想像してたのだろうか? この辺りでは、「順列」するものと「並列」するものの描写が交互に現れているように感じられる。

・U-Y 73「造物主ロスの木槌の音」

 “made by the mallet of Los demiurgos”

 →「ブレイク(第二挿話参照)の神話体系『予言の書』に登場する創造力の象徴。鍛冶屋の姿をとる。名前のロス(Los)は太陽(Sol)のアナグラム。「木槌」とあるのは、トネリコのステッキを鍛冶屋のロスの槌に見たてたからか。Demiurgosは本来グノーシス派の創造神。ギリシャ語」(U-Δ注)。「ブレイクの着想した「造物主ロス」は四つのゾアたちの一つの、地上での形体だが、プラトンの着想した「デミウルゴス」または「造物主」は視覚世界を作りだした。プラトンの後期対話篇の一つ、『ティマイオス』では、デミウルゴスが私たち人類を取り囲む世界を形成したとする。『ティマイオス』のなかで神は善意から世界形成を行い、「出来る限り良いもの」として宇宙を創ったとする*29。対照的に、後のグノーシス主義的著作内では、悪しき創造行為を行い、物質世界の領域において人間を罠にかける悪魔としてデミウルゴスが描かれている。プラトン的立場では、神が自らのはたらきが良きものであることを知り、慈善心に富む創造主として世界を創造したというキリスト教的観点に非常に近い。『ユリゼンの書』等に登場するブレイクのロスもまた創造主であるが、デミウルゴスのように視覚可能な世界と永遠の世界とのあいだの、中間世界に住む。ブレイクはロスをハンマーで鉄床を打つ鍛冶屋として描き(人間の心臓の鼓動と結びつけられている)、大きなふいごを吹いて火を起こす(肺とのつながりがある)。ロスは命、性的な再生産、意識を創造し、アダムの男親としては聖書の族長たち、預言者たちの系譜の起源でもある、とされている」*30

 

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ブレイクにより描かれた木槌を持つロス*32

 

 ゾアとかロスとか言われてもブレイクを読んでいないと何のことだか分からないと思うので、一応簡単に説明を加えておく。ゾアたち(Zoas)はブレイクの作品のなかで、この宇宙を構成している基本存在。Zoaは本来ギリシャ語でbeast(獣たち)を意味する。このZoaを英語の複数形にし、Zoas(ゾアたち)という造語を作り、ブレイク独自の神話体系の主要人物を「四人のゾアたち(The Four Zoas)」と名づけた。四人のゾアたちとは、ユリゼン(Urizen)、アーソナ(Urthona)、サーマス(Tharmas)、ルヴァ(Luvah)を指す。ロスはアーソナが永遠界から切り離されて、現世に閉じこめられた後にその名を与えられた。ロスもまた永遠界から遠ざかることになるが、アーソナとしての特性と、聴覚と地(Earth)の要素に強い結びつきを持つ。ロスとエニサーモン(精神的な美しさ(Spiritual Beauty)とインスピレーション(Inspiration)の象徴)は配偶者関係にあり、同時に片割れ同士で、双子でもある。ロスは時間(Time)、エニサーモンは空間(Space)である*33。この「ロスは「時間」、エニサーモンは「空間」」という記述についてはよく分からないが、松島正一氏の論文「ミルトン、ブレイク、そしてロス==ブレイク『ミルトン』第一巻」による『ミルトン』についての言及の中で、氏は「ロスとは『詩人』であり、『時間』であり、予言の霊である」(p.138)、「時間はロスの贈物であり、『永遠の慈悲』(二四・七二)なのである。詩人は『動脈の一動悸よりも短い時間』、つまり瞬間のうちに六千年の歴史、事件を把え、それを作品という形で永遠化するのである。/時間に対して、空間もロスの息子たちによって創造される」(p.144)と指摘している*34。ロス(Los)を反対から読むとSol(太陽)になること(GodとDogに似てますね)、Losにsを足すとLoss(喪失)になるように、無関係に思われる意味、対立しているとも思われるような意味がひそかな連関を持つことや、ロスが「時間」と密接な関係を持ち、その片割れ(あるいは息子)が「空間」に繋がりを持つ、というところにブレイクの思想とこの挿話との(あるいは作品全体との)世界認識における根底での共通点を感じる。ブレイクの思想中に現れる固有名詞と個々の登場人物の関わり合いや特性について解説しているときりがないので、この辺で一旦区切ることにします。

 グノーシス主義の思想における世界の誕生と成り立ちの部分を簡単に説明すると、低次アイオーン(アイオーン(aion, aeon)はギリシア語の原義では 期間、時代、永遠などの意味。神的な原理、世界、圏域の意味と、超越的な神格、霊格の意味があり、グノーシス主義では両義的な意味を持つ。高次のアイオーンは「真の神、真実の圏域」)の一つであるソフィア(Sophia、知恵の意。グノーシス主義のアイオーンとしてはデミウルゴスの母あるいはデミウルゴスが創造される原因となった、至高アイオーン中の最低次アイオーン)は原父(propateer、プロパテール。原父、先在の父。世界の始まる原初にいたとされ、真の存在の栄光に満ちたプレーローマの創造流出の源泉となった超神的存在。「知られざる父」、「知られざる至高者、神」「ビュトス(深淵)」とも呼ばれる。様々な高次アイオーンの存在の「流出」をもたらした。グノーシス主義において旧約聖書の神ヤファウェは「偽の神」とされる)に対し、「情欲的憧れ」と共に「知識欲」をもって、その本質を知ろうとした。それによってプレーローマ(Pleerooma、至高のアイオーン界(充満界)。プロパテールを囲んで真の宇宙を構成する高次アイオーンによって構成された圏域。地上世界での宇宙は「悪の宇宙」とされている)プレーローマ世界に「混沌」の萌芽を生みだし、地上世界=この世が創造される原因となり、プレーローマ世界から堕落する。デミウルゴスはこのプレーローマを模倣して人間の住む現実世界を作ったが、これは不完全で悪しき世界とされている*35

 作品に戻ると、ここでスティーヴンは自分のトネリコのステッキ(剣)で周りにある何かを叩いたらしく、それを「造物主ロスの木槌の音」と表現している。それは彼が聴覚によって現実世界を認識したことの証拠でもあるし、創造主であるロスを持ち出していることによって、彼自身が現実世界を創り出している表現とも読めるのではないか、とも思う。

・U-Y 73「こうしてサンディマウントの磯を果てしなく歩いて行く?」

 U-Δ100「ぼくはいま、サンディマウントの海岸を歩いて永遠のなかへはいって行くのかしら?」

 “Am I walking into eternity along Sandymount strand?”

 →into eternityで「永久に、永遠に」などの訳出例があるので、「果てしなく」という訳でも問題はないし、むしろ自然だと思うのだが、その前にブレイクの言葉((永遠界から追放された)造物主ロス)があることを考えると、U-Δのように「永遠のなかへ」としたほうが、すこしぎこちなくはあるが適切なのではないかと思う。ちなみに、「そもそもなぜスティーヴンはサンディマウントの浜辺へ行ったのか? この後セアラ叔母さんの家へ行くことを考えていたのか?」という疑問が読書会中で出された。言われてみれば第二挿話でスティーヴンはディージー校長に新聞社へ投稿用原稿をもっていってくれと頼まれているのだから、まっすぐ行けばいいものを、とまじめな私たちは(笑)思ってしまうのだが、この挿話を物語るためにジョイスの考えた舞台設定だったのか、授業と校長との話し合いの疲れを癒すための一休みだったのか、この浜辺がスティーヴンのお気に入りの散歩場所だったのか、質問された方の言うようにセアラ叔母さんの家へ行くことを考えていたのか、「サンディマウントの浜辺を散歩した理由」の答えは色々あると思われる。

・U-Y 74「荒磯のぎざたち」

 U-Δ100「荒海の宝」

 “Wildsea money”

 →“Wild sea”は「荒海、荒れ狂った海」の意。荒磯は「波の打ち寄せが激しい磯」。「磯」は「海、湖などの波打ち際。水際。特に石の多い海岸/波をかぶったり流れに洗われたりする岩石」の意。「荒海」は「波が立って荒れている海、波の荒い海」の意。以上を考えると、原文ではwild seaで浜辺のことを指してはいないのではと思うが、その前にスティーヴンが貝らしきものなどを踏みつけている描写があるので、それを考慮に入れると浜辺と解釈してもいいのかもしれない。ただ、上に挙げたように「磯」で「石の多い海岸」という意味も出てくるのだが、そこをあえて「荒磯」としたのは単に「波が激しく打ち寄せる浜辺」というふうにwild seaを説明的に訳出したくなかっただけだろうか。U-Δのほうでは原文通りの訳になっている。浜辺の貝を見て、荒海にいた頃の貝を想起しているという解釈でも、そのまま目の前にある砂の上の貝のことを言っているという解釈でもいいのでは、と思う。ここから、スティーヴンの目の前にある海は、そこまでの高波ではなく(あんまり荒れていたら散歩などしないのではないか)、少なくとも凪いだ静かな海ではないのではないかと想像される。

「ぎざ」は昔の五十銭銀貨という意味と、ぎざぎざ、いくつもの刻み目という意味がある。貝にはぎざぎざとした触感のものも多いし、そのまま硬貨をも指すという意味ですごい訳だと思うが、これは調べなければなかなか分からない訳語。この硬貨(money)から次のディージー校長へと連想はつながるのか。ちなみに金銭としての貝の役割については以前の読書会で既に指摘されている。

・U-Y 74「ディージー先生ならなんでも知ってるべさ」

 U-Δ100「ディージー師匠なら貝のことはなんでも知っておじゃろうよ」

 “Dominie Deasy kens them a’”

 →「Dominieはスコットランド方言で学校教師、聖職者、先生、牧師などの意。kenもスコットランド方言・イギリス北部方言でknowの意。a’もスコットランド方言でallの意。なので、方言を取ると“Domine Deasy knows them all”のような感じになるだろうか。方言なので、両訳ともそれを反映しているのだが、U-Yのほうは私にとってなじみの深い、北海道・東北地方の方言だとすぐに分かる。U-Δの「おじゃろうよ」というのは、いったいどこの方言なのか、それとも方言っぽくしただけなのかが分からない。U-Δではthemを貝のこととしているが、ここのmoneyは不可算名詞で使われていると思う。この辺の細かい文法にあまり詳しくないのだが、不可算名詞を代名詞で受けるときにはitをつかうのではないだろうか(違ってたらすみません)。口語体だからその辺は適当なのか、それとも浜辺にあるたくさんの貝をイメージしてthemで受けているのか。

・U-Y 74「サンディマウントへ行こうじゃないか/ひんひんマデリン牝馬ちゃん?」

 U-Δ100「サンディマウントへ行かないか/マデリン牝馬ちゃん?」

 “Won’t you come to Sandymount, / Madeline the mare?”

 →この詩(韻文・歌)について、ソーントンは「アイルランドの歌か詩のようだが、出典は不明」とし、D. Daichesは「有名な韻文だがどの韻文かは不明」と述べている。*36この詩のアクセントの強弱については後述。この詩が何か別の有名な歌を思い出したものなのか、スティーヴンの創作なのかはともかく、「マデリン」という名前を詩の中に取り入れたとき、『失われた時を求めて』の登場人物のモデルにもなっているマドレーヌ・ルメール夫人(Madeleine Lemaire、1845-1928)の存在が明らかにスティーヴンの意識の中で働いていた、との指摘がある*37

「夫人は19世紀末から20世紀初頭にかけて、肖像画・挿絵・花を主とした構成作品の水彩画家として有名で、時に「薔薇の女帝」と呼ばれ、パリの芸術家たちのサロンの主でもあり、プルーストの上流階級仲間内での親友でもあった。もし“Madeline the mare”で“Madeleine Lemaire”を想起しているなら(スティーヴンはパリ時代に彼女の作品を見たり彼女の評判を聞いていたりしていたかもしれない)、彼はこの上品なフランスの女性アーティストがダブリンに来て、ダブリンの文学界に教えを与えてくれればいいのに、と考えていたかもしれない」*38。あるいは、mareがフィリップ・ジョセフ・アンリ・ルメール(Philippe Joseph Henri Lemaire、1798-1880)を指しているのかもしれないとも指摘されている*39

ルメール1830年代にパリのマドレーヌ寺院(l’Eglise de la Madelaine、英語ではchurch of the Mary Magdalenとなり、マドレーヌはマグダラのマリアを指す)のペディメント(古代建築の三角形の切妻壁)あるいはティンパヌム(両脇のペディメントに囲まれた三角形のスペース)に、最後の審判レリーフを彫った彫刻家である。もし“Madeline the mare”がMadeleineに彫刻を施したルメール(Lemaire)なのであれば、スティーヴンはこの素晴らしい彫刻家がサンディマウントにやってきて、浜辺を歩いている途中で通り過ぎたはずのリーヒー台地にあるスター・オブ・ザ・シー教会のファサードを美しく飾ってくれないだろうかと考えているのかもしれない、とギフォードは述べている」*40

・U-Y 74「リズムが始まる」

 “Rhythm begins, you see”

 →「スティーヴンは詩のリズムを感じ取り、試作を試みる。その詩は本挿話後段で形をとり始める」(U-Δ注)。リズムといえばU-Yでは普通の文章でも言葉のリズムを重視した訳なのだが、ここで言うリズムとは恐らく歩くたびにスティーヴンが踏みつける貝らしきものの音辺りから始まっているのだろう。

・U-Y 74「音綴完備の弱強四歩格の行進」

 U-Δ100「不完全詩行で弱強四歩格の行進調」

 “A catalectic tetrameter of iambs marching”

 →「原詩の一行目に強勢を付して示すと、Won’t you come to Sandymount.(傍線部が強勢) 最初の詩脚に弱強の弱にあたるべきシラブルがない。単調におちいるのを避けるための操作である。別の版にAcatalectic(完全詩行)とあるのは草稿によったものだが、プレイアド版の注釈者はジョイスが韻律法に不案内だったせいの誤りかと記している」(U-Δ注)。ここで言っているのはもちろんスティーヴンのマデリン牝馬ちゃんについての韻文のこと。ちなみに私の持っているダウンロードしたガブラー版ではAcatalecticとなっていた(紙版ではどうなんでしょうか?)それぞれ、Acatalecticは旋律的に完全な音節の定数を持つ一連の韻文(完全詩行)、tetrameterは四歩格、iambは弱強格の意。

 英詩に疎いので(諸方面に疎いが)あまり自信がないのだが、英詩の用語と構造について説明してみる。例として“Because I could not stop for death”という詩行を挙げよう。

 音綴(=音節、Syllable)は連続する言語音を区切る分節単位の一種。母音のみまたは母音+子音で構成される。音声の聞こえの一つのまとまり*41

 韻脚(詩脚、音歩、foot)は詩のリズムの基本単位として多くの韻律(meter)に用いられる。例でいうと、“Because” “I could” “not stop” “for death”がそれぞれの韻脚。韻脚は単語を跨いでもいい*42

 弱強格はそれぞれの音節のアクセントの強さのこと。“Because / I could /not stop /for death”という詩行だと、(青字部分が弱いアクセント、赤字部分が強いアクセント)“Because / I could / not stop / for death”となり、弱強の韻脚(foot)が四つで、完全な弱強四歩格になる。

「音綴完備」とは完全詩行のこと。旋律的に完全な音節の定数を持つ一連の韻文を指す。

 韻律は韻文のリズムあるいは規則。言語の音韻的性質に基づいている。例えば日本では、五拍・七拍を基本とした五七調・七五調が伝統的韻律。これに基づいて日本の韻文は作られる*43

 押韻構成(rhyme scheme)は詩または歌で、行の押韻のパターンのこと。押韻は行の最後の部分になされる*44

 例えば、”Bid me to weep, and I will weep,

     While I have eyes to see;

     And having none, and yet I will keep

     A heart to weep for thee. “ 

はバラッド韻律の弱強格。押韻構成はABAB(weep-keep, see-theeで韻を踏んでいる)。

「ソーントンとD. Daichesはスティーヴンの詩行がイギリスやアイルランドでよく知られた歌や詩で一般的に使われるバラッド韻律(弱強四歩格と弱強三歩格が交互に用いられる)のようだという事実に影響を受けているようだ」*45

 バラッド韻律は通常四行連。押韻構成は通常ABAB、弱強四歩格と弱強三歩格が交互に現れ、四行で一連をなす。四行連は英詩で最も多く用いられるスタイルで、バラッド韻律は讃美歌などにもよく使われる。バラッド連(バラッド韻律を用いた一連の詩)の押韻構造は、ABCBとなることが多い。バラッド(音楽に合わせた踊りを伴う抒情詩的物語。15世紀頃スコットランドイングランドの境界地方で盛んに作られ、口伝された)に多く用いられたのでこのように呼ばれるが、普通律(common meter)とも呼ばれる。バラッド詩は口承物語歌のバラッドが蒐集・印刷されるようになった18世紀頃から注目され始めた。口承バラッドは自己劇化、遊戯性、無常感(風化意識)、アイロニー・ユーモア、パロディ、感傷性、教訓性、時事性など様々な要素を取りこんでいる*46

 以上を踏まえると、スティーヴンの詩は“Won’t you /come to /Sandymount, / Made/line the /mare?”となり、強弱格のバラッド韻律になる。そもそも最初のWon’tにアクセントが来ている時点で、弱強格にはならない(弱強格ならWon’tが弱くてyouにアクセントが来るはずだが、その調子で続く単語にアクセントをつけていくと不自然な英文になってしまう)。そして二行で終わっているので、未完成であるようなイメージを与える。U-Δ注にあるように、最初の詩脚にひとつ弱のシラブルを入れれば、韻脚の区切りがひとつずつずれて、一行目は弱強格になるが、そうすると二行目の最初にも弱のシラブルを入れなくてはならない。これは単調になるのを防ぐための意図的な操作かもしれないが、二行で終わっているものを完全詩行と言っていいのだろうか? それとも二行連の詩なのか? ちなみにこの詩のU-Yの訳語のほうにアクセントを当てている方がいた(U-ΔよりもU-Yのほうが強勢をつけやすい)。うまく強弱四歩格+強弱三歩格になっている。この後スティーヴンは詩をちょっと変えるので、まだ続きます…

・U-Y 74「おっと違う、ギャロップだ。デリン牝馬ちゃん」

 “No, agallop: deline the mare”

 →agallopは“at a gallop”の意。delineの固有名詞としての発音は分からないが(デリーンとデラインの二つの発音がのっていた)、強勢は恐らくiの上につくだろう。スティーヴンが先程の詩の二行目を“deline the mare”に変えると、ここだけ弱強二歩格になる。「マーチじゃなくてギャロップだ」ということは、Maを取ってもっと速く走るということだろうか? 四歩格+二歩格は詩的効果を高めるための逸脱として見ていいのだろうか? ギャロップを調べてみると、馬の襲歩という意味と、その様子を模したダンス、ドイツ起源の舞曲の意味がある。襲歩のほうは、全速力で走る馬の歩き方。「三種の歩度」(常歩、速歩、駈歩)には含まれない。襲歩では三本以上の足が接地している状態がなく、四本すべてが接地していない場合もある*47。ダンスのほうのギャロップは、1820年代のウィーンで大流行した。手をつないだ二人組が大きな輪を作り、猛烈な勢いで回る*48。ドイツ起源の舞曲のほうは二拍子*49。この説明を見て思いついたのだが、ギャロップにする、ということは、二拍子(二歩格)にするということではないだろうか?(なぜそうしたかはよく分からないが、歩くテンポは二拍子のイメージの方が近い)。そして、delineを動詞として考えると、「線で描く、線を引く」という意味になるので、ここは「馬/海を描く」という意味も隠されているのではないだろうか?

<U-Y 74 ~世々にいたるまで、スウィンバーン、自由区、無からの創造、オムファロス~>

・U-Y 74「あれから何もかも消え失せてしまったかな? もし目を開けて永久に暗黒の不透明の中にいることになったら」

 “Has all vanished since? If I open and am for ever in the black adiaphane”

 →adiaphaneはdiaphane(透明)に否定の接頭辞aがついたもので、不透明のこと。あれから何もかも消え失せてしまったかな、と考えるスティーヴンは、目をつぶって歩いている間にブレイク的な永遠の世界に入ることを思っていたのか? だとすると、永遠界には何もないのだろうか? 目を開けて暗黒の不透明にいる、とは、目を開けても目を閉じたときにできる暗闇の中にいるということだろうか? しかしここで使われているadiaphaneという言葉は、やはりアリストテレスの闇の中の不透明性を喚起させる。スティーヴンは光と色彩のある、透明性を内包した世界に出たいのかもしれない。

・U-Y 74「もういい!」

 “Basta!”

 →イタリア語。英語で“That’s enough!”の意。

                   ↓

       ☆そしてスティーヴンは目を開ける。世界は変わっていない。

 

・U-Y 74「永久に、世々にいたるまで」

 “and ever shall be, world without end”

 →「『公教会祈祷文』の「栄唱」より」(U-Δ注)。

 この“world without end”というのは、前述の目を開けても存在するかもしれない暗黒の不透明の世界を指すものだろうか? それとも文脈からして、目を閉じても開けても、永久にこの世界は存在する、ということを言いたいのか? この栄唱については、第二挿話でも出てくる。ディージー校長の書斎の描写だ。「サイドボードには皿に集めたステュアート硬貨、沼地の鐚銭宝物。かつまた将来も。そして紫色のフラシ天の匙箱におさまり、艶褪せて、十二使徒が全異教徒に教えを説いてきたところ。世々にいたるまで」(U-Y 2 58)

“On the sideboard the tray of Stuart coins, base treasure of the bog: and ever shall be. And snug in their spooncase of purple plush, faded, the twelve apostles having preached to all the gentiles: world without end

 この部分ではディージー校長の書斎の描写が栄唱の二つの部分によって分断されている。ただ、U-Y 74については、栄唱の最初の部分、“As it was in the beginning”「始めにありしごとく、今もあり」がない。「始め」はどこへ行ったのか?

・U-Y 74「リーヒーの高台」

 U-Δ101「リーヒー台地」

 “Leahy’s terrace”

 →「サンディマウント道路から海岸に通じる小さな通り」(U-Δ注)。前に、リーヒー台地のスター・オブ・ザ・シー教会をスティーヴンが通り過ぎた、という指摘があったが、スティーヴンは本当にここを通り過ぎて海岸へやってきたのだろうか? それとも「高台」というくらいだから、海岸から教会が臨めるのだろうか?

・U-Y 74「女人連」

 U-Δ101「女ども」

 “Frauenzimmer”

 →「普通は軽蔑的に用いる。二人の女の職業や名前はスティーヴンの想像」(U-Δ注)。「女人連」は中国語で「女連れ(女の集団・仲間)」の意。やはり、軽蔑的あるいはユーモアを含んだ意味で用いられる。Frauenzimmerという言葉は、17世紀まで身分の低い女または女の蔑称としては使われていない*50。U-Yでこれをあえて中国語にしたのは、この挿話の多言語性を意識したものか。ちなみに女人連は中国語読みで“nǚ rén lián”(ヌーレンリェン、だと思う)。

・U-Y 74「だらだら坂の浜辺をぶたぶたとやって来て、外鰐足が泥砂に沈む」

 U-Δ101「なだらかに下る浜辺をだらだらと歩いてくる。外股の扁平足がどろりとした砂に埋まる」

 “and down the shelving shore flabbily, their splayed feet sinking in the silted sand”

 →shelvingは(土地が)だらだら坂になる、ゆるい勾配になる、の意。flabbilyは「たるんで、気がなく、だらしなく、ぐにゃりと、はりのない、ぶよぶよした、だぶだぶした」などの意。U-Δは「気がなく」のニュアンス、U-Yでは「だぶだぶした」のニュアンスが強いか。sprayed feetは「扁平足・外股の足」のこと。U-Yの「鰐足」は、「歩くときにつま先またはかかとが普通以上に外側に向くこと。爪先が外に向くのが「外鰐」」という説明がある。つまり外鰐=外股ということになる。扁平足の人は外股になりやすい、という記事を見つけたが、U-Yの訳だと扁平足の意味が入っていないことになるのではないだろうか(女が外股かつ扁平足であるのかどうかは不明だし、姿を見ただけでは外股であることは分かっても扁平足かどうかまでは分からない)。siltは「シルト、沈泥(砂よりは細かいが粘土よりは粗い沈積土)」。女たちはスティーヴンよりだいぶ海に近いほうの砂浜を歩いているのではないだろうか。U-Yの「ぶたぶたと」という表現が柳瀬さんらしいのだが、「ぶたぶたと」は「まるまると肥満しているさまを表す語」「じっとり濡れる様を表す語」という意味を持つ (e.g.ぶたぶたとした肉合い)。多分「だらだら」に合わせて「ぶたぶた」を使ったのではないかと思うが、こう書いてしまうと何となく女たちが太っているような印象をうける(実際はどうかまだ分からない)。U-Δのように「なだらか」「だらだら」で十分なのでは、と思う。また、この部分の原文ではジョイスが再び言葉のパズルをやっているように感じる。Sが多いのだ。図にすると、

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 こんな感じになるのではないだろうか(ing、edの対応、砂と砂浜の対応関係)。例によって、だからどういう意味があるのかと訊かれても何もない。

・U-Y 74「おれと同じく、アルジーと同じく、我らが強大なる母のもとへ」

 U-Δ101「われらが大いなる母のもとに来るのさ、ぼくみたいに、アルジーみたいに」

 “Like me, like Algy, coming down to our mighty mother”

 →「(Our mighty motherは)海。アルジャーノン(愛称アルジー)・チャールズ・スウィンバーンの詩から。第一挿話参照」(U-Δ注)。第一挿話を見てみると、「海ってのはアルジーの称した通りだ。大いなる慈母か」(U-Y 1. 14)“Isn’t it the sea what Algy calls it: a great sweet mother?”という記載が出てくる。この「大いなる慈母」という言葉は、実際にはジョージ・ラッセル(1867-1935、筆名Æ)の言葉である*51。スウィンバーン(1837-1909)はヴィクトリア朝イギリスの詩人。デカダン派としてみなされている*52。単に世紀末が好きというのもあるが、スウィンバーンに関して、ファム・ファタルとの関係を指摘した論文を見つけたので、なるべくわかりやすいように引用しつつ、まとめつつ紹介したい。

「スウィンバーンの詩には多くのファム・ファタルが登場する。彼はファム・ファタルのイメージをヴィクトリア朝イギリスに紹介し、それを定着させた第一人者で、彼のファム・ファタル像が特に世紀末の詩人や文学者たちに与えた影響は大きい。ファム・ファタルとは大まかに言えば、美しさで男を誘惑し、破滅に至らしめる魔性の女。日本語では「運命の女」「宿命の女」「死を招く女」「妖婦」等の訳がある。19世紀にはファム・ファタルのイメージは文学だけでなく多くの絵画でも扱われ、その象徴は特に世紀末全体を包み込む、あの特有の雰囲気を代弁するイコノグラフィーだった(イコノグラフィー…図像学。絵画、美術等の美術表現の表す意味やその由来について研究する学問。思想とイメージの関連の分析を行うことで、美術作品形成の様々な要素を理解する助けとなるもの)。

 スウィンバーンの「時の勝利」等の作品は、失意の体験が制作動機となっていて、この体験は彼の精神生活および詩の世界に大きな影響を与えたとされ、多くの批評家に取り扱われた。ラング(Cecil Y. Lang)は彼の失意の相手がメアリ・ゴードンという彼のいとこであることを指摘している。スウィンバーン家とゴードン家は互いに頻繁な行き来があり、彼ら二人は幼い時から親しい遊び友達だった。メアリは詩や小説等を発表する文学的才能に恵まれた女性で、同じく文学的想像力豊かなスウィンバーンとの間には、二人だけの想像的な、豊かな世界が存在していたと考えても不思議ではない。メアリはまたスウィンバーンのように乗馬と水泳が得意で、彼のすることはなんでもするという、彼の妹のような存在だった。しかしメアリは1863-1864年頃、彼に自分がディズニイ・レイス陸軍大佐と結婚することになるだろうと打ち明ける。この宣言はスウィンバーンにとって大きなショックであったと考えられる。幼い時から二人で共有していた世界の崩壊を意味するからだ。「時の勝利」が書き上げられた過程には、このような背景があると思われる。

 こういった意味でメアリはスウィンバーンにとってのファム・ファタルになるのだが、その出現は彼の単なる個人的事件に端を発するものではなく、詩人としての芸術観に深く関わる、より大きな要素に関系があると思われる。『詩と批評についての覚え書き』のなかでスウィンバーンは、言葉が「作者の個人的な感情や信念の主張ではなくて、劇的で、多面的で、多様な要素を含んでいるものである」という姿勢を明らかにしている。ボードレール悪の華』やロセッティの『生の家』など、19世紀後半から世紀末にかけて、「魂の状態(マタ・ダーム)」を巡る詩集は少なくない。

 ファム・ファタルについてのスウィンバーンの興味はそれ以前からあったと考えられ、それは彼の学生時代に培われてきた。彼はファム・ファタルを含めて、成就しない不運な愛というものに特に関心を抱いていた。ファムファタルに特徴的な「残忍さを伴う美」のアナロジー(類似・類推・比喩等の意)を、彼は普段は静かで美しいが、時として猛々しく荒れ狂う海の中に認めた。彼の詩のなかで海は重要な役割を持ち、それは常に変化し続けるが、それでいて絶えることなく存続していく、この世界を突き動かす不変の法則のアナロジーでもある。スウィンバーンはファム・ファタルという恐ろしき女たちだけを描いているのではなくて、ユング的な意味における、「偉大なる優しい母」としての海、そしてその海が象徴している、人間の力ではどうしようもない運命の法則にも呼び掛けている」*53

 グレートマザーとは、ユングが提唱した元型(アーキタイプ)の一つ。集合的無意識の中に存在する母なるもの(実際の母親のことではない)、慈しみ、包み込むと同時に独占・束縛するという破壊的なイメージを持つ。各地の民話、童謡、おとぎ話などに表現されている。自我の発達過程でグレートマザーとの対決は大きな課題の一つである*54

「時の勝利」は以下の様な詩だ。

I will go back to the great sweet mother,

 Mother and lover of men, the sea.

I will go down to her, I and none other,

 Close with her, kiss her and mix her with me;

Cling to her, strive with her, hold her fast:

O fair white mother, in days long past

Born without sister, born without brother,

  Set free my soul as thy soul is free.*55

 海—母への強いアンビヴァレントな感情が露呈されている。

 

 ふと思ったのだが、motherにsをつけるとsmother(抑えている、包む、束縛する、窒息死させる、覆い隠す、隠蔽する、隠す、発達を抑える、息もつけないようにする、などの意)になる。母の死にとらわれ続け、なおも母を愛し、慕いつづけるスティーヴンとファム・ファタルは密接な関係にあるのではないだろうか。

・U-Y 74「産婆鞄」

 “midwife’s bag”

 →助産婦のかばん。図参照。当時の女性が、いくら仕事とはいえ、画像のようなかばんを持つことは珍しいことではなかったのだろうか?

 

*56。">

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産婆鞄の一例*57

・U-Y 74「でか傘」

 U-Δ101「大きな雨傘」

 “gamp”

 →gampはイギリスのスラングで「大きな傘」の意。ディケンズ作の“Martin Chuzzlewit”(マーティン・チャズルウィット)に出てくる看護師(セアラ・ギャンプ Sarah Gamp)の名にちなんで。彼女はいつも大きな傘を持っているのだが、アルコール中毒だ。当時の助産婦は出産から母体が正常に戻るまで星の面倒を見、死者の葬儀等の準備などもする*58。まさに揺り籠から墓場まで。

・U-Y 74「自由区」

 U-Δ「特別区

 “the liberties”

 →「おもに聖パトリック大聖堂周辺。もと市の行政権外にあったゆえこの名がある。当時の貧民街」(U-Δ注)。

 自由区…元々はノルマン・コンクエスト時代(12世紀)に、ノルマン人国家がアイルランドにでき、イギリス王権下を離れることを危惧してヘンリ2世がレンスター地方で自らの地位を確立するためダブリンをブリストル市民に授与し、レンスター、ミーズ、トリムなどに国王の持つ司法権を領主が代行し、国王・役人からの干渉を受けない特権領(=自由区)が設けられたことに端を発する。17世紀後半になると、特権区に移ってきた織工たちに家を供給するため開発が始まる。イギリスからの植民者たちが毛織物製造業を始める一方で、多くのユグノー(16-17世紀のフランスのカルヴァン派プロテスタント)たちは絹織物製造に従事するようになる。ユグノーたちは故郷でその技術を身につけていた。彼らはダッチ・ビリーと呼ばれる、破風が道路に面した伝統的な形式の家を建てた。

*59">

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スウィーニーズ・レーンのダッチビリー*60

 イギリスの毛織物製造業者はアイルランドの製造業に脅威を感じ、航海条例(Navigation Act、1652年から複数回)が制定され、アイルランドの毛織物の輸出には重い関税が課されるようになる。この条例はイギリスが自国の産業保護、国の財政危機への対策として制定された。対象国はアイルランドのようなイギリス植民国だけではなく、オランダやスペインなども含む。

 アイルランドに不利な影響を与えた最初の航海法は、イングランドの植民地にアイルランドから直接輸出することを禁じた王政復古期の1663年のものだった。1665年—1667年、第二次英蘭戦争下の影響での経済悪化による輸入禁止(アイルランドからイギリスへの肉の輸入禁止)の打撃は、牧畜関連の輸出の多様化、特にフランスやイングランドへの羊毛輸出によって十分補われた。

 南マンスター地方では、イングランドから導入した技術と移民労働者によって毛織物生産が行われていて、それが主力輸出品目となっていたが、この毛織物輸出は1690年代半ばに復調した。しかしその頃、イングランドにおける毛織物業者は対仏戦争とそれによる経済危機のため競争力を低下させていて、彼らはアイルランドからの毛織物輸出を禁止するようイングランド議会に訴えた。1693年には毛織物輸出禁止の法案が提出され、1699年に可決された。その代わりイングランドと競合しないリネン産業の発達をアイルランドで促進させ、アイルランド議会と激しく対立する。

 毛織物輸出禁止のリネン産業促進による代替は何の補償にもならなかった。リネン産業はアルスター地方を中心に行われており、利益を得るのは当時のアイルランドの政治的支配層・国教会派のアングリカン支配層ではなく、非国教徒で新参のプレスビテリアン(長老派)だった。1693年の毛織物輸出禁止法案では、イングランド以外の国へのすべての毛織物輸出を禁止した。イングランドに輸入された粗目平織毛織物(フリーズ)を除いて、アイルランド産毛織物に違約関税がかけられた。

 しかしこの法案がその後のアイルランドの経済的苦境の決定打ではなかった。法案可決直後にはかなりの毛織物業者がアイルランドを離れざるを得なかったが、長期的に見ればマンスター地方も西レンスター地方もイングランド向けの紡毛・梳毛の大規模生産に移行可能で、国内市場での毛織物需要の高まりもあったので、ダブリンでは毛織物生産が続けられた。イギリスはアメリカ独立戦争によってもたらされた深刻な財政危機と不況に陥り、アイルランドで貿易規制の撤廃を求める動議が提出・可決され、1780年イギリスはアイルランドに課したすべての貿易規制を撤廃する(航海法の緩和)。

 その後、絹織物・ポプリン(木綿、絹、羊毛などでうね織にした丈夫な織物)製造業は順調な発展を遂げたが、1786年、ダブリン協会*61(Royal Dublin Society、数少ない改革主義者の不在地主たちによって設立された。貧困にあえぐアイルランド農民のための農業技術支援を主な活動とする。1731年設立)によるアイルランドの絹製品販売店の支援を妨げる法令が制定され、これらの産業の成長が止まる。更にその頃はナポレオン指揮下のフランスとの戦争が始まり、原材料の輸入が困難になって絹織物業者は苦境に陥った。

 織物業はダブリン協会の支援によりスペインから羊毛を輸入することができ、一時再興の兆しを見せたが、1798年の蜂起(イギリスからの独立を求める国内各地での一連の蜂起)、1803年のロバート・エメットの蜂起(ユナイテッド・アイリッシュメンのメンバー、ロバート・エメットによるダブリン蜂起)に多くの織工たちが加わったこと、連合法成立に始まった経済的衰退が特権区における再興を妨げた。かつて栄えた家々は貧しい借家になり、失業者や貧困者が住むようになる*62

 ダッチ・ビリーとは、18世紀初頭のダブリンに多く見られた建築様式。これらの建物は、18世紀半ばから後半にかけて、ジョージアン様式の建築*63へと建て替えられてしまう。名前の由来は、オレンジ公ウィリアムにちなんでいると言われている。1685年フォンテーヌブローの勅令によるフランスのユグノー流入や、1690年以降迫害から逃れてきたオランダ人、フランドル人のプロテスタント流入と関係があるのだろうか。ダブリンのダッチ・ビリーは17世紀後半、都市の急速な再開発、再生が行われていた頃に遡る。少なくとも1680年代にはこういった建物がダブリンの至るところにあったと言われている。建物の特徴として、屋根の棟が通り・建物正面と直角をなし、レンガ造りで、石を基礎としている。室内角には暖炉が設けられ、隣接する二軒がそれを共有することができ、大きな組み合わせ式煙突を持つ。その反対側には通常各階に小さなクローゼットがあり、屋根勾配は年代を経るにつれ急になるものが多くなった*64

・U-Y 74「フロレンス・マッケイブ夫人」

 “Mrs Florence MacCabe”

 →パトリック・マッケイブの未亡人。彼は1902年に実在するダブリンの州長官だったらしい(しかしその記録は見つからない)*65。彼女はブライト通りに住んでいる、と書かれているが、ブライト通りも自由区周辺の通りで、貧民街に近く、あまりいい場所とは言えなかっただろう。州長官の未亡人がそんな場所に住むのだろうか? それともフロレンス・マッケイブ夫人がブライト通りに住んでいる、ということ自体がスティーヴンの想像なのだろうか?

                   ↓

                ☆産婆鞄

                  ↓

           ☆自分(スティーヴン)の誕生

                  ↓ 

       ☆時(世界)そのものの誕生へと思索は移行する

                  ↓

・U-Y 74「無からの創造」

 “Creation from nothing”

 →「はじめに神天地を造りたまえり」(創世記1:1)より」(U-Δ注)。この部分については以下のような関連する思想とのつながりが指摘されている。「「創世記」の冒頭には、「始めに神は天地を創造された」とある。神がこれらを既に存在しているものから造ったのかどうかについては何も書かれていないが、2世紀頃までのキリスト教神学者たちは神が無から世界を存在へともたらしたのだと主張していた。これはデミウルゴスが原初物質から世界を創り出したのだというグノーシス思想とは反する。マカバイ記*66(カトリック教会では正典(第二正典)とされている2世紀の書物)には、「息子よ、天と地を見なさい。そしてそこにあるすべてを見なさい。神がこれらを「ないもの」から創ったこと、人間も同様に創られたのだということについて考えなさい」(マカバイ記2 7:28)*67という記述がある」*68。(ここではデミウルゴスが原初物質(第一物質)から世界を造った、とされているが、グノーシスの思想について調べても原初物質についての記述は見つからなかった。デミウルゴスはプレーローマ(真の宇宙)の原父(神に近い存在だとは思うが、神とは定義されていない)であるプロパトールの真似をして、悪しき偽の世界(人間の住む現実世界)を造ったとされている)。しかし、「一方で創世記には神が塵から人間を創ったという記述もあり、後の哲学者は、その後の創世記の記述「そして主なる神は土(アダマ)の塵で人(アダム)を形作り、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」という部分から、人間の肉体的性質と、神が特別に、無からの創造の中での付加的な行動としてつくった、理性を持つ魂と呼ばれる不滅の部分との区別に骨を折った。スティーヴンはアクィナスの主説「理性を持つ魂は創造によってのみつくられる」という言葉を好んだ。つまり、「(理性を持つ魂は)生み出されうることはないが、神により直接創造される」という意味だ」*69。魂と理性との関係はアリストテレスの霊魂論を想起させる。創世記、マカバイ記2、グノーシス思想の中での「無からの創造」は人間の肉体と魂の「創造」の差異のテーマへと繋がり、さらにダンテの『神曲』で扱われている「魂」そのものの区分への言及へと発展する。「『神曲』の煉獄篇第25歌において、スタティウスは懐胎してから数か月間の人間の胎児における、植物的・動物的魂の成長についての物質論的な説明をした後、胎児に理性的魂を吹き込む過程に、神がいかに介在しているかについて説く。「胎児における脳の組織くみたて全く成り終わるや否や、第一の発動者、自然のかく大きなる技をめでてこれに向かい、力満ちたる新しき霊をふきいれたまい、霊はかしこにはたらきいたるものを己が実体の中に引き入れ、ただ一つの魂となって、且つ生き、且つ感じ、且つ自ら己をめぐる」*70。理性を持つ魂は、不滅かつ永遠で、そうしなければ滅びうる動植物の低次の魂を自身の中に取りこんでしまう」」*71。世界・人間の創造と魂をめぐるスティーヴンの思索は、浜辺の女連れに目を向けることで現実世界へと引き戻される。

・U-Y 74「鞄に何を入れてる? 臍の緒をひきずる死産の赤子、赤字の羅紗にくるんで黙らせて。すべてのものの緒は遡って繋がる。撚り絡み合う万人のケーブル。だから秘教の修道士たちは。神々のようになる気か? 臍を見つめるんだな。もしもし! こちらキンチ。エデン市へ繋いでよ。アレフ、アルファ、〇〇一」

 U-Δ101「あのバッグには何がはいっているのか? へその緒をぶら下げた堕胎児が血染めのウールにくるみこまれ。すべての緒がつながって過去にさかのぼる、すべての肉体の太綱が撚り合されて。だから秘儀を知る僧たちが。神々のようになりたいか? そなたの《オムファロス》をじっくり見るがよい。もしもし。こちらキンチ。エデンの園市につないでくれ。アレフ、アルファ、〇〇一番だ」

 “What has she in the bag? A misbirth with a trailing navelcord, hushed in ruddy wool. The cords of all link back, strandentwining cable of all flesh. That is why mystic monks. Will you be as gods? Gaze in your omphalos. Hello! Kinch here. Put me on to Edenville. Aleph, alpha; nought, nought, one”

 →「オムファロス(臍)“omphalos”ここでは「へそ」の意。「丸楯」はイブの腹の視覚的な連想だが、「オムファロス」はもう一つの意味「楯の中央の突起」も頭にある(第一挿話参照)」(U-Δ注)。misbirthは堕胎・流産のこと。trailはひきずる、たれ下がる、の意。U-Yでは死産、U-Δでは堕胎児としているが、いずれにせよ死んだ赤子のことを言っているので、どちらの解釈でもいいのではないだろうか。スティーヴンはここで産婆鞄に死んだ赤子がはいっていると想像している。cordは「太いひも、細い縄、綱(stringより太く、ropeより細い)」。hushは黙らせる、の意。hush upで「もみ消す、隠しておく、人に知られないようにする」といった意味がある。「黙らせて」だと原語通りになるが、そもそも死んだ赤子は泣かない。「くるみこまれ」という訳は、「人に知られないようにする」というニュアンスも含んでいるのではないだろうか? 海へこっそりと死んだ赤子を捨てに来た女たちをスティーヴンは想像しているのだろうか。ruddyは「健康で赤い、血色のよい、赤い、赤らんだ、嫌な、いまいましい」の意でrosyとほぼ同義語。どちらかというと健康的な赤色を指すと思うのだが、U-Δの「血染めの」は死んだ子供がくるまれていることを反映したものだろうか? そしてここでruddyの中にブルームの死んだ息子Rudyの名が隠されている、と参加者の方からの指摘があり、びっくりしたのだが、実はその指摘に関してはすでに先行研究でなされているとのこと(残念…)。woolは「毛織物、ウール、羅紗」の意。strandentwiningのstrandは「糸、綱、縄(何本かをよりあわせて縄やワイヤーにするもの)」の意で、entwineは「からみつく、からませる、絡み合わせる」の意。羅紗(ラシャ)は毛織物の一種。織り上げた後、収縮させて地を厚く層にし、表をけば立てたもの。cableは「針金または麻をより合わせたケーブル、太綱(ふとづな)。より合わせた麻または鋼線で作られた強く太いロープ」の意。なのでstrandentwining cableは「細い糸をより合わせた紐」ということになるのだが、これはへその緒をより合わせたイメージになるのだろうか? 「万人の」糸だからたくさんの糸が撚り合せられているのだろうか? fleshは肉体。all fleshだと「人類、生きとし生けるもの(聖書・創世記より)」となる。mysticは「秘法の、秘伝の、神秘的な、不可解な、畏怖を感じさせる、神秘主義的な、秘儀の、超自然的な」等の形容詞としての意味を持ち、名詞としては「神秘主義者(超自然的な特性を持つ者)」といった意味を持つ。「秘儀」は秘密に行う儀式のこと。「人類の幾世代ものへその緒はエデンへ遡り、スティーヴンは「だから秘儀を知る僧たちは」自分のへそを見つめるのだと考える。彼は「へそ瞑想」と聖書の一節、蛇がイブをそそのかして、イブに禁じられた木の実を食べれば神のようになれる、という説を合成する。『神々のようになる気か?』は秘儀を知る僧たちに向けられている」*72

 どうやら「オムファロスケプシス(へそみつめ)」という、瞑想の助けとしてへそを見つめる方法が古代からあるらしい。宇宙、人間本性の基本原理についての瞑想を助けるためのこの方法の実践は、ヒンドゥー教のヨガや、東方正教会に見られる。アトス山の僧侶J. G. Minningenによる1830年代の説明によると、「へそを見つめることで神と対話し、神聖な喜びを得られると彼らは思っていた」とある*73。自らの誕生に思いを馳せることで、スティーヴンの思索は始原の時へ遡っているのだろうか。「へそ」は第一、第二挿話でも生命の根源、世界の中心の象徴として重要な意味を有し、この後の挿話にも頻出する。ここでは「へそ」-「緒(ケーブル、太綱)-「繋がる」-「電話(線)」という連鎖がある。へそが中心・生命の根源の象徴とすると、「緒」と「繋がる」はすべての人類を意識し、「電話」は死者の住まうこの世ならぬ世界へのコンタクトを暗示しているのだろうか。エデンの園への「電話」は死者(スティーヴンの母親も含む)のよみがえり・顕現を希求しているのだろうか? ちなみにこの「臍の緒をひきずる死産の赤子……すべてのものの緒は遡って繋がる」については、人間だけでなく動物においても「すべてのものの緒は遡って繋がる」という意味で第四挿話中のメテンプサイコーシス(「会者定離輪廻」(U-Y 4 115)「輪廻転生」(U-Δ 4 161))につながるのではないかという指摘が読書会中にあった。U-Δ注にある「楯の中央の突起」については後述。

アレフ、アルファ、〇〇一“Aleph, alpha: nought, nought,one”スティーヴンはへその緒を原初に繋がる電話線に見立てて、地上の楽園に電話をかける真似をする。アレフヘブライ語のA。アルファはギリシア語のA。〇〇一とともに電話番号のつもり。ものの始まりを示す記号でもある。Gは〇〇一を無からの創造にとる」(U-Δ注)。

 アルファという言葉から連想されるのは、「わたしはアルファにしてオメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終りである」という聖書の黙示録(22:13)だ。noughtはゼロ・無のこと。〇〇一(001)は、「無・無・有」とも考えられる(one=生命の誕生?)。とすると、この〇〇一は「神→無→誕生・創造」または「始まり→終わり→始まり」を意味しているのだろうか? しかしアリストテレス的に考えると、「始まり」はなかったのではないだろうか(ごめんなさいここはうろ覚えです)? となると、U-Δ注と同じ考え方かもしれないが、「神=無→始まり(誕生・創造)と解釈できないこともない。ここの「始まり」は「復活・よみがえり」とも言えるかもしれない。また、カバラ思想において、セフィロトの樹(生命の樹旧約聖書の創世記でエデンの園に植えられた木のこと)のアイン・ソフ(「無限」と訳される)は「00」で表され、第一のセフィラであるケテル(王冠と訳される)は思考や創造をつかさどり、数字では1とされるようだ。*74。このカバラの思想で言えば、〇〇一は「無限→創造」を意味するのかもしれない。

<U-Y 74-75 ~カバラ、臍のない女、トラハーン、罪の子宮、結びの神~>

・U-Y 74「アダム・カドモン」

 “Adam Kadmon”

 →「ユダヤ神秘思想カバラの原初的人間。ヘヴァ(Heva)はイヴの中性ラテン語綴り。その原義は生命」(U-Δ注)

 カバラとは、U-Δ注にあるように、ユダヤ教の経典に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想。独特の宇宙観を持つ。その名はヘブライ語の動詞キッベール(「受け入れる」「伝承する」)の名詞形。当初は単に口伝律法を指す言葉として用いられており、ユダヤ教神秘主義を指すようになってからも、個人が独自に体得した神秘思想というより、神から伝授された知恵、師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられるようになる。ユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうとした点で、カバラは他の宗教の神秘思想とは異なる。本来はユダヤ教の律法を遵守すること、神から律法の真意を学ぶことを目的としていたが、キリスト教神秘主義に取り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統から乖離した個人的な神秘体験の追求の手段として用いられるようになる。

 ユダヤ・カバラが本来のカバラクリスチャン・カバラユダヤ・カバラキリスト教に応用したもので、二つは厳密には異なる。後者は後に近代西洋魔術の理論的根拠とされ、生命の樹の活用を中心に成り立つ。カバラ思想は世界の創造を神エイン・ソフからの聖性の10段階にわたる流出の過程と考える。その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈する。この過程は10個の「球」と22本の「小径」から構成される生命の樹(セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、その部分部分に神の属性が反映されている。一神教でありながら多神教や汎神論に近い世界観を持っている。創世記冒頭の天地創造には、人間創造の場面が2回出てくる。文献学ではいくつかの神話を結合した際の矛盾と考えられているが、カバラでは実際に人間創造が2回(以上)行われたと解釈する。世界創造は、「神」が自分自身を見たいと思ったからだ、と言われている。ユダヤ教では「死後の世界」というものは存在しない。カバラでは、魂は個体の記憶の集合体であり、唯一神はすべての生命に内在し、同時に永遠の樹(命の樹)である。個体が善悪を分かち、めいめいの記憶は神へ帰る。神はただ記憶を収集し、善悪を分かたない。神においては善の記憶が再創造の素材となり、悪の記憶はなくなる。人間の祖霊としてアダム以前にアダム・カドモンという原人が設定されている。原人の肉体の各部分は世界創造の様々な原理(セフィロトと呼ばれる「神的力・セフィラの集合体」、セフィラは多神教の神々に相当)からなるセフィロティックツリー(生命の樹)に対応する。原人の霊魂は生命の樹の生長とともに生命の樹の先端(下位)へと変化して現れ、最終的にアダムとイブになる、と解釈する(「原人」は厳密には「人間」ではないのだろうか…?)生命の樹の生長は創造神エイン・ソフ(無限なるもの)からの段階的なセフィロトの流出である。 

 カバラのもう一つの創造原理が、「始めに言葉ありき」(ヨハネ)である。「神はトーラーを覗いて世界を創造した」。カバラで言うトーラーはモーゼのそれではなく、その本質、通常の意味を超越した言霊のようなものなのではないかと考えられている。カバラの思想はデカルトスピノザの思想にも大きな影響を与えた。「ヘバ」(Heva)はイヴの名の初期ヘブライ語版。「息をする」「生える」の意*75

「神が自分自身を見たくて世界を創造した」―「トーラーを覗いて世界を創造した(言霊を覗いた)」ということは、トーラー(言霊)の中に神自身があり、神はそこに自分を見た、ということだろうか? グノーシスカバラもブレイクの思想も、「個物(particular)の中に神が宿る」という共通点がある。更に、グノーシスカバラについては、「溢れる生命(一者)からの命の流出」という共通点があり、この「流出」という考え方はどのようにして生じたのだろう、と考えると非常に面白い。

・U-Y 74「臍のない女」

 U-Δ102「彼女にはへそがなかった」

 “She had no navel

 →人間から生れた存在ではないから(これはカバラ他多くの神学者たちによって指摘されている)。

・U-Y 74-75「瑕瑾なき下腹、大きくふくらんで、ぴんと張った子牛皮の円楯、いや、白積みの麦、白玉のごとくきららかに不滅、永劫の過去から永劫の未来へと在りつづける」

 U-Δ102「まあるく膨れた傷のない腹。子牛皮を張った丸楯。いや、積み重ねたる白い麦かな。つややかに輝き、不滅にして、永遠から永遠にいたる」

 “Belly without blemish, bulging big, a buckler of taut vellum, no, whiteheaped corn, orient and immortal, standing from everlasting to everlasting”

 →「つややかに輝き、不滅にして、永遠から永遠にいたる(白玉のごとくきららかに不滅、永劫の過去から永劫の未来へと在りつづける)“orient and immortal, standing from everlasting to everlasting”…17世紀イギリスの宗教詩人トマス・トラハーンの散文集、『黙想の世紀』から」(U-Δ注)。blemishは傷・欠点の意。bulgingは膨らみ。「瑕瑾なき下腹、大きくふくらんで」とあるが、これは妊娠を意味しているのだろうか。しかし少なくとも楽園を追われる前に、イヴは子を産んでいないのでは…(ちょっとこの辺は不確かです…)ギフォードによると、「伝統的に堕落前(楽園を追われる前)のセックスは性欲なしに行われた」*76とある。子供はできなかったのだろうか…? それとも「大きく膨らんだ腹」は当時の美しさの象徴(現代人の目で見て太っているのではと思われるような豊満な体は昔から美しさの象徴としてよく絵画でも描かれている)。「子牛皮を張った円楯」は比喩だと思う。というのも、実際に子牛の皮を張った円楯が見つからなかった。bucklerは左手に持つ小型の円楯。これは前述のオムファロスの所にも出てきたが、直径45㎝程度以下の大きさの小さな楯。ヨーロッパで古代から使われてきたが、中世からルネサンス期の使用がより一般的。矢のような飛翔体の攻撃から防御するには不向き。相手による近距離からの攻撃を防ぎ、相手の動きを封じ込めることができる。それ自体で殴りかかって武器とするなどの使い方もある。外形は円型だけでなく、長方形や台形、楕円、雫形などがあり、また平らなものや凹型、凸型、波のような模様のついたものなどの種類がある*77。図を見ると分かるように、中心部には確かにへそのような円い突起(?)がついている。U-Yでは円楯としているが、U-Δでは丸楯となっている。「丸」だと楯全体が立体的に感じられるので、ここは「円楯」のほうがいいのではないだろうか。

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円楯。右側は握る部分(裏面)か。表面中央は確かにへそのように見えなくもない*79

 tautは「ぴんと張った」の意。vellumは「(子羊、子ヤギ、子牛の革で作り、本の表紙などに用いられる)上質皮紙」の意味で、主に紙を指すが、語源はラテン語で子牛である。「白積みの麦(積み重ねたる白い麦) “whiteheaped corn”…「雅歌」(7:2)「なんじの腹に積みかさねたる麦のまわりを百合もてかこめるがごとく」より」(U-Δ注)。この注を見て分かると思うが、スティーヴンはこの「雅歌」をそのまま使ってはいない。雅歌の男女は、ユダヤ教では神とイスラエルとの関係の寓意という解釈があり、キリスト教ではキリストと教会との関係の寓意という解釈がある。この部分にあたる聖書原文(New International Version)を引用してみると、“Your navel is a rounded goblet that never lacks blended wine. Your waist is a mound of wheat encircled by lilies”となっている。新共同訳では「秘められたところは丸い杯、かぐわしい酒に満ちている。腹はゆりに囲まれた小麦の山」となっているが、navelを「秘められたところ」と訳すのがよく分からず、そのような解釈も見当たらなかったので、他を探してみると、口語旧約聖書等で「あなたのほぞは」となっていた。こちらの方が適切かと思う。この文章の中のblendは“to create a harmonious effect or result”という意味があり、単に混ぜたワインの意味ではないらしい。ちなみにblendには「盲目にする」という語源がある。waistは「肋骨とヒップの間の、胴のくびれた部分」。King James Versionの原文はこちら。“Thy navel is like a rounded goblet, which wanteth not liquor: thy belly is like an heap of wheat set about with lilies”*80。この一節に関しては様々な聖書解釈がある。

・小麦色の肌はシリアでは最も美しい人間の肌と見なされていた。・雅歌の中で女性は服を着ているので、navelは「帯の留め金」としての意味のほうが適切ではないか。

・熟した小麦は収穫の喜びのしるしとして、ゆりの花で飾られることが多かった。・へそは女の子宮の中にいる子供に栄養を与えるものなので、この表現(Your navel is a rounded goblet)は女性の、そして女性の中にある神の恩寵と御業を讃え、高める意味において、教会における人間の成長をもたらし、人を助ける性質を示していると思われる。

・妊娠している女の腹は、子を産み育てる小麦の山のようである。

navelをgobletに喩えるのは不適切ではないか。なぜならgobletは厳密にはへその形と異なる(gobletは内側の滑らかな円錐形のものだが、へそはU字型のくぼみで、内部にはひだがあり、ひねられたようなすじが残っている)。

・教会は人間にとっての「へそ」(中心)である。

navelはbodyと訳すほうがいい。

・小麦の山の「なだらかな曲線」も言及されうる点である。

navelをたらい(聖水盤?)の渦巻く水の中心のくぼみとして解釈するという考えもある。

・小麦の色はアダムの色だ*81。…などなど。

 スティーヴンは“whiteheaped corn”としているが、聖書原文は“mound(heap) of wheat”だ。これが単なる聖書の参照をもとにした詩的表現なのか、それとも聖書に深く関係した意味を持つのか、もしかすると、イヴ=母との繋がりも考えられるが、「腹に傷がない」ということは子供を産んではいないので、単なる美しさの表現なのか。

 スティーヴンの文章に該当するトラハーンの詩は以下のようなもの。“The corn was orient and immortal wheat、which never should be reaped, nor was ever sown. I thought it had stood from everlasting to everlasting”*82(ほぼ筆者による直訳ですが、「麦はきららかにして不滅の穀物、それは刈られることも、蒔かれることもない。永劫から永劫へと在りつづけるものだ」といった感じか)。スティーヴンの文章では、「刈られることも、種を蒔かれることもない」という部分は入っていない。

 形而上詩人(metaphysical poets)とは、17世紀のイギリスの抒情詩人のなかで、形而上学的な仕掛けとその研究に関心のあった詩人たちのこと。「形而上詩人」という言葉を最初に使ったのは後のサミュエル・ジョンソン(『詩人記』(“Lives of the Most Eminent English Poets”、1779-1781)。形而上詩人は20世紀初頭、T. S.エリオットによって再評価される。「形而上詩人」の「形而上」という言葉は本来の意味では使っておらず、難解、空論、抽象論、といった意味。

 トマス・トラハーン(Thomas Traherne、1636(?)-1674)はイギリスの詩人、聖職者、神学者、宗教作家。今日最も知られている作品が『黙想の世紀』(前掲の該当部分も『黙想の世紀』からの引用。キリスト教徒の人生、聖職、哲学、幸福、欲望、子供時代に思いを馳せた散文集。トラハーンの作品は創造の栄光、彼が神との心奧からの関係としてとらえていたものについて探求している記述が多い。彼は熱心な、ほとんど子供のような感性で神の愛を伝え、後代の詩人たち(ブレイク、ホイットマン、ジェラルド・マンリー・ホプキンズ等)の詩作品のテーマに類似する内容を著した。彼の自然世界への愛はその自然の描き方によく表現されており、ロマン主義運動が始まる2世紀前に既にロマン主義的な印象を与えるものである。

 トラハーンはネオプラトニズムの哲学者たちの作品に強い影響を受けており、英国国教会に対し深い信仰を持っていた(王政復古の影響もある)。作品のテーマとしては、罪そのものと、教会教義に対する罪の位置づけの探究、神の創造、人間の魂の中における神の本性を理解し、包みこもうとする点で、一貫して神秘主義的なものと言える。自然、そして自然界への愛がロマン主義的自然の表現のうちに描かれており、その特徴は多神論者、万有内在論者(神が超越と内在を兼ね備え、世界のすべてが神の内にあると考える人)的と見なされてきた。一方でトラハーンは創造における神的な源を認めており、彼の自然への讃美はソローの作品中に見出されうるものに他ならない。

 福音の精神を基盤としつつ、トラハーンの「大きなテーマは子供に見られる幻視的な無垢」であり、その作品は「大人が子供の喜びを忘れてしまい、それと共に創造の神的性質の理解をも失った」ことを示している。彼は天国というものは、この子供のような無垢――「善悪の判断に先行する状態を再獲得することによってのみ再発見され、再び得ることができる、という考えを伝えていると考えられる。この点で、トラハーンの作品の溢れんばかりの喜びと神秘主義的特性は、上記詩人たちと比較される」。幸福を達成することもトラハーンの作品のもう一つの焦点だ。彼は「私は最初幸福を探し求めるのに多くの時間を費やし、それからそれを喜ぶことにさらに多くの時間を費やした」と書いている。彼は多くの人々が幸福を軽く見ていると思い、「天国は我々の幸福が見出されるであろう場所だ。我々は虚勢をはるという危険なしに、幸福の中において自らが「見られうる」という幸福を楽しめよう」と書いている。彼は日常で慣れ親しんだ哲学を通じて得られた、物事の本質の直接的理解に深く考えの根を下ろしていた。☆日本では作曲家の池田悟(いけださとる、1961~)による二つの作品でトラハーンの『挨拶』(The Salutation)の冒頭を用いている。(“The Salutation”for chamber choir, accordion, tuba, and harp(2003)”“The Salutation for Alto flute solo(2013)”前者では英語のテキストを母音的に移し変えた室内合唱団による合唱曲と、アコーディオン、チューバ、ハープが用いられ、それぞれの楽器が「天国、現実世界(Earth)、そして人間のシンボル」を表している。合唱部分は最大で12声に分かれる。後者ではアルトフルートが三つのムーブメント(深淵、目覚め、出現(まぼろし))に分けられる。この三つは同時に三つのスタンザからインスパイアされた*83

 前掲のトラハーンの詩は以下のように続く。“The dust and stones of the street were as precious as gold: the gates were at first the end of the world”「通りの塵や石ころは金のように貴重」という語句は、ブレイクの「娼婦の叫びは街から街へ」(U-Y 2. 65)を想起させる。このgateが複数形になっているのは、女性の子宮(女性器)のニュアンスも含んでいるのだろうか? つまり、誕生・出産が世界のゴール・目的であり、終りでもある、という意味があるのだろうか? この部分のなかでのendと前掲部分のeverlastingとの対応関係はあるのだろうか? orientは「東、東天、太陽の昇るところ、(東洋の)真珠、真珠の光沢」“of a pearl or other gem: of great brilliance and value, bright lustrous”という意味があり、U-Yでは「白玉」という言葉で「白積み」と言葉を重ね合わせていると同時に、「きららかに」という表現をあてている。standingは「~の状態にある」の意。ちなみにこの部分の始まりは、“Belly”“blemish”“bulging”“big”“buckler”と、Bがたくさん重なっている。

・U-Y 74「罪の子宮」

 “Womb of sin”

 →今までこれほどまでに生命・誕生・女性とその美・神を讃えておいて、「女」「産むこと」を「罪」として貶め、一気にがくんと落とすような描写、その落差が私は大好きなのだが、一体なぜここで「罪の子宮」なのか。その直後に、「罪の闇の中でおれも孕まれた」とあるので、「罪の子宮」と「罪の闇」は同じことを言っているのだろう。この「罪の子宮」についてはソーントンが第一挿話での「女の不浄の腰を除く全身に、男の肉体から神に似せずに造られた肉体に、蛇の餌食に」(U-Y 1. 29)という記述にも関連づけて、女性の生理と出産の間の女性器が「不浄」であるとする聖書のレビ記との繋がりを示唆している。

レビ記では、性への著しい嫌悪が表されており、人体から「放出されるもの」全てを伝染症に匹敵するとして忌み嫌い、滲出するという性質を持つ女性の排出器官に対する特別な恐怖を有している。カトリック教義の形成されつつあった中世のキリスト教におけるミソジニー的な考え方の伝統は、このような数ある古くからのタブーを保ち、それをイブへの非難の根拠と結びつけた。スティーヴンはアイルランドカトリック教会に強く影響を受けており、アイルランドカトリック教会は全ヨーロッパの教会の中でも一際激しく「肉体」を嫌悪する傾向がある」*84。というわけでレビ記旧約聖書の神がモーゼを通して、神を敬い、祈りを捧げる方法について詳細に記した律法の細則であるが、ただの掟の強要とも読めるし、イスラエルの人々の社会秩序と身体の健康を守ることを目的としているとしても読めると私は思う)を参照してみると、女性の出産・生理は「汚れ」であり、触れてはならないもので、触れると汚れが「うつる」とされている。男性の精子の放出についても「(放出後に)体を洗わなければその者は汚れている」という記載があり、男女が性行為を行った日にはその者たちは汚れている、とされている。皮膚病も汚れであるので触れてはならない。とにかく、人間から「出てくるもの」は汚れであり、触れるとうつる、清めなければならない、隔離しなければならない、というのが基本的な考え方であると思われる。やはり健康な男性だけが優遇され、神に近づける存在として優位に立っており、女性は下位に置かれ、男性より下の存在として扱われている記述が多い上、病気を汚れとするのは現代の感覚では明らかに差別なのだが、一方で逆にこれは日本の法律でも取り入れたほうがいいのでは、という決まりも見られ、非常に興味深い。

「罪の闇」は第二挿話での記述を連想させる。「パリの罪から隔離されて……そしておれの心の闇の中で冥界の樹懶の牝が一匹、嫌がりながら、明光を恐れながら、竜鱗のような襞をひくひく動かす……静寂の明光……突然の、広大な、白熱まばゆき静寂」(U-Y 2. 52)ここはパリに留学中の図書館の回想シーンで、スティーヴンの心の闇の中で、ナマケモノ(?)のモンスター的生物がうごめいている。夜の図書館に灯る「明光」と、自分の中の暗闇、その中のモンスターとが対比されている。「アヴェロエスとモーゼズ・マイモニデス、風采も動きも定かならぬこの男たちが、この世の曚昧な魂を嘲笑の鏡にぱっと閃かす。明光の理解しえなかった闇が明光の中で光る」(U-Y 2. 56)U-Δ注によると、最後の一文は「光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき」(ヨハネ伝1:5)を逆にしている。もう少し長くこのヨハネ伝の部分を引用すると、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずになったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」となり、聖書の中では暗黒=無知であるのだが、スティーヴンに言わせれば光もまたinnocentの意味での無知・無垢なのではないだろうか? 

 さらに、第二挿話には以下のようなディージー校長の台詞がある。「なにせ光りに背いた輩だからして……だからあのとおり目が暗闇だ」(U-Y 2. 65)これはユダヤ人のことを称した台詞だが(ディージー校長は反ユダヤ主義)これもまた「光には理解できない暗闇」と繋がるかもしれない。この挿話の冒頭部分では、闇が不透明であり、光によって内在する透明が外化される、というアリストテレスの論がある。あまりにも単純な二項対立ではあるが、スティーヴンは自分のことを「光」には理解できない「闇」のモンスターとしてとらえ、その根源を母の子宮にまで遡っているのかもしれない。「闇」としてのスティーヴンも、未だ「光」を見出し、理解することはできていないと自覚しているのかもしれない。

・U-Y 75「こしらえられたのであって、ひょこっと生れたんじゃない」

 U-Δ102「生れたのではない、つくられたのだ」

 “made not begotten”

 →「自分をキリストと対照して。「ニケア・コンスタンティノープル信経」に「主は…まことの神よりのまことの神、造られずして生れ、父と一体なり」とあり、三位一体の大祝日の祈り」にも「主は造られずして永遠の始めよりましまし、御本性にては一体、ペルソナにては三位にまします」とある」(U-Δ注)。begotten(beget)はこしらえた、造ったの意で、父が子をもうけたという意味で用いる。母が子を「産む」ときはbear(born)。例えば“Abraham begot Isaac”は「アブラハムはイサクという子をもうけた」という意味になる。begetは古英語でbegietan(to get, find, acquire, receive, take, seize, happen)等の意味を持ち、どうしても男性は子を「手に入れる、受け取る、つかまえる」側になってしまう。それに対して女性は子を「もたらす」側である(これに関しては生物学的な問題なのでどうしようもない)。U-Y 74-75には「生まれる」という表現がたくさんある。「この世へ引きずりだした」「(無からの)創造」「ひょこっと生れたんじゃない」「こしらえられた」(lugged, creation, made, begotten)。ここで問題の文章を一文引用してみると、“Wombed in sin darkness I was too, made not begotten”であるのだが、「生まれたのではなくこしらえられたのだ」ととれるように分かりやすく書き直してみると、“I was wombed in sin darkness too、and I was not made but begotten”といった感じになろうか。「生まれたのではなく、こしらえられたのだ」という表現は、母である女性を否定し、父と結びつきたいという気持ちだろうか? 母の子宮にはいたが、母から生まれたのではない、自分の根源は父にある、という矛盾した主張だろうか? そしてmade(make)という言葉について調べてみると、“to bring into being by shaping, changing or combining materials, ideas, etc. ; form or fashion, create to cause to exist (人を)創造する、運命づける”という意味がある。つまり、存在としてもたらされる、生じさせられる、という意味を持つ。ニカイア信条(325年に作られたキリスト教の基本信条。アリウス派を排斥)では“begotten, not made”となっている。これだと「こしらえられたのであり、生れたのではない」というのがよく分かるのだが、作品中のテキストはどうか。“made not begotten”は両訳ともニカイア信条と同じ意味になっていて、U-Δ注ではスティーヴンがキリストに自分をなぞらえているとしているが、本当だろうか? つまり、ここを“made, not begotten”ととる可能性もあるのではないだろうか。というのも、その前にはスティーヴン自身が「罪の闇の中で孕まれた」ことを認めていて、その後にはスティーヴンの父母を思わせる男女が神の意志のもとに結ばれた、という表現があるからだ。これは、「自分もまた罪の闇の中に孕まれ、生れたのであって、(キリストのように)こしらえられたのではない」と解釈するほうが自然なのではないだろうか?

・U-Y 75「二人でこしらえた、おれと同じ声の男と灰のにおう息をする亡霊女が。しっかと抱き合い、離れ、結びの神の意志を果した。太古の昔から神はおれを望み、いまさら消し去るわけにもいかず、これから先もそうだ」

 U-Δ102「造られたのだ。あの二人に。ぼくの声やぼくの目を持つ男と、息に灰の匂いがまじる亡霊の女に。二人はひしと抱き合い、そして引き離された。つがわせる者の意志のままに。神は大昔からぼくを存在させようと思っていたのだ。そしていまはもう、ぼくを消すことはできない。これからさきも」

 “by them, the man with my voice and my eyes and a ghostwoman with ashes on her breath. They clasped and sundered, did the coupler’s will. From before the ages He willed me and now may not will me away or ever”

 →“ashes on”の“on”は累加・添加の意味だろうか。sunderedの語源は中世英語でsundren(to separate, part)。古語・文語で「引き離す、分かれさせる、切り離す、to break or separate or to break apart」等の意。couplerは「連結者、連結器、結合器、someone who couples things together, especially whose job it is to couple ralway carriages」というのが一般的な現代英語での意味だが、語源的にはラテン語のcõpulāre(結びつける、の意)で、coupleには「つなぐ、結びつける、連想する、加える、結婚させる、結合する、交尾する、つがう、性交する」の意味がある。また、他の辞書では、“a person or thing that couples or links together”という記述もあったので、「coupleするものや人」という意味でとっていいだろう。この“They clasped and sundered, did the coupler’s will”をU-Y では「離れ、結びの神の意志を果した」とあり、U-Δでは「そして引き離された。つがわせるものの意志のままに」としているが、あえて「coupleさせるもの」を「神」とすべきかどうか? 神に関する文脈はあるが、原文ではGodという言葉は使っていない。そしてclaspedは「抱き合い」でいいのだが、sunderedはclaspedに合わせて読むとただの過去形なので(しかもそのあとにdidが続く。これもただの過去形だ)、「引き離された」(U-Δ)という受動態ではなく、「離れ」(U-Y)が正しい。ただ、単にbe動詞が省略されているという可能性も高いし、couplerの意志によりsunderしたのであれば、「離れた」というより「引き離された」という表現のほうが適切なのかもしれない。この部分に限らず、使うべきところで使うべき言葉を敢えて使わず、意図的に意味を不明瞭にしている印象は作品全体を通して感じる。

 次の“From before the ages He willed me and now may not will me away or ever”だが、分かりにくい文章なので斜線をつけて分けてみると、“From before the ages / He willed me / and / now may not will me away / or ever”になると思う。willは「意図する、望む、欲する、~することを望む。意志の力でさせようとする」の意。mayは可能の意だと思う。everは“frequently, always, forever”の意味がある。meとawayの間にはto beが省略されていると考えられる。書き直してみると、“(He may)ever will not me away”となり、everは否定語とともに「(…も…も)ない」という意味を持つので、「いまさら存在を消し去ることもできないしこの先も(存在を消し去ることは)できない」という感じになる。この部分なのだが、前に繰り返し出てきている「栄唱(始めにありしごとく、今もいつも、世々にいたるまで)」と関係があるのではないだろうか? どちらも完全な韻文ではないし、アクセントも対応してはいないのだが、強弱格に似ており、原文にアクセントをつけてみると非常にリズムのいい文章だ(傍線部は弱アクセント。アクセントのつけ方がもしかしたら違うかもしれませんが…)。前者は“Fróm befóre the áges Hé willedand nów may nót will mé awáy or éver”となり、後者は“Ás it wás in the begínning, is nów and éver shall bé, wórld withóut énd”となる。そして、スティーヴンの言葉のほうの意味は「(自分の存在を)昔から望んでいた―今存在を消すことを望めない―これからもそうだ」となり、栄唱は「初めのようにあり―今もいつもあり―この先もある」となる(栄唱の“world without end”はほぼforeverの意味の意味としてこれまで訳されている)。「昔から存在を望んでいた」は「初めのようにあり」と意味が近く、「今存在を消すことはできない」と「今もいつもあり」は反対の意味となり、「これからもそうだ」と「この先もある」は同じ意味になる。もし栄唱との関連性があるならば、きっちり3パートに分けているU-Yの訳のほうがその繋がりを強く感じさせるものとなる。そして、スティーヴンの言葉のほうは、神が自分のことについて認識しているであろう解釈を表しており、栄唱のほうは人が神にそうあってほしいと祈る、信仰の表明だ。ここでは人間と神との「存在」への願望の相互関係と差異が表されているのではないだろうか。

<U-Y 75 ~永遠の法、ウーシア、アリウス、同変母救猶騒譁癇説~>

・U-Y 75「永遠の法」

 “lex eterna”

 →「神が定めた計画。全被造物はこれに従って神の目的を達成するよう義務づけられている」(U-Y注)。つまり前の文章のスティーヴンの発言のことを指している。ギフォードはこの「永遠法」について、アクィナス(トマス・アクィナス、1225?-74)の神学大全中の記載を引いている。

「事実上の万物の君主としての神のうちに存在する、それらを支配する観念は、法としての性質を持つ。神の精神が「時」のなかで着想を行うのではなく、永遠の観念を持っていることから、この法は永遠と呼ばれるべきだ。それゆえ以下のように考えられる。それ自体としてはまだ存在していないが、万物はそれらが神によって予見され、運命を定められている限り、神のうちに存在する。それに関して聖パウロは神について、神がまだ存在していないものをまるでそれが既に存在しているかのように呼びだし、命じることについて語っている。神の法の永遠の観念は、神が既に予見している物事を支配するための命(めい)として永遠であるという法としての性質を帯びる。」*85それゆえ、「神は決して彼(スティーヴン)の非存在を欲することはできないし、彼の存在は単に永遠というだけでなく、そのように保証されている」*86

 となると、魂の段階ではスティーヴンを含めあらゆるものが神のうちに初めも終わりもなく永遠に存在していることになり、人間(あるいは動物など)に関して言えば肉体の交わりによってこの地上の世界に「存在」することになる。前に挙げた「こしらえられたのであって、ひょこっと生れたんじゃない」(U-Y)という発言の「こしらえた」は、魂として神にこしらえられたもの、父が子をもうけたように、神がスティーヴンを「こしらえた」と意味にもとれるのだろうか? しかしU-Yでは、その後に「二人でこしらえた」とある。これはスティーヴンの両親の性交を意味するので、この解釈では矛盾が生じてくる。U-Δの訳文(「生れたのではない、造られたのだ。あの二人に。ぼくの声やぼくの目を持つ男と、息に灰の匂いがまじる亡霊の女に」)でもやはりつじつまが合わない。原文は“Wombed in sin darkness I was too, made not begotten. By them, the man with my voice and my eyes and a ghostwoman with ashes on her breath”。“made not begotten”で一度文章が終わり、何の動詞もなく“By them”から始まっているので、一体二人(両親)によって生まれたのかこしらえられたのかが分からない。この点について、ギフォードは「神がcouplerであるのは婚姻の秘蹟によって男女を結びつけるからであり、神は人間に、この世に満ちること、つまり子供をたくさん産むことを望んでいる。この性的な意味において、スティーヴンは生まれたのであってこしらえられたのではない――スティーヴンは、ニカイア信条*87において「こしらえられたのであり生れたのではない、父親と同一実体の一つの本質である」キリストとは異なる」と述べている*88。これはU-YともU-Δとも全く逆の解釈ではないだろうか。前述した通り、原文が非常に曖昧なので、この部分は自分でもどう訳出すべきか、やはり分からない。

 また、U-Yでは「神には永遠の法がある」、U-Δでは「《永遠法》が神とともにあるからな」と訳されているのだが、原文は“A lex eterna stays about Him”だ。“stay about”は「去らずにとどまる」という意味で、「永遠法」が神のものである、神に属するものというより、どちらかというと神と「法」との距離を感じる。「法」が神と共にあるのだ。もし「去らずにとどまる」という意味合いで使われているのならば、永遠法は神のうちにあるものではなく、被造物のうちの一つのようなニュアンスがあるのだろうか。この解釈を適用するならば、U-Δの訳のほうが適切というか、原文に忠実な訳のように思われる。

・U-Y 75「するとそれが父と子の同一実体たる神性というものか?」

 U-Δ102「じゃあ、父と御子が同体となった聖なる実体とはこれのことか?」

 “Is that the divine substance wherein Father and Son are consubstantial?”

 →thatは文脈で考えると先に出た「永遠法」のことになる。“Father” “Son”は慣例的には「父なる神」「子なる神(キリスト)」だ。consubstantialは「物質あるいは本質が(三位一体の三人のように)同じと見なされた」「Regarded as the same in substance or essence」と辞書にある(三位一体の三位は正確には「三人」ではないが)。substanceは「実体、物質、実質」の意で。「実体」という言葉は一般的な日本語の用法では「物事の奥にひそむ真の姿、本体、実質、正体」の意で使われるのだが、哲学用語としての「実体」を調べてみると、「ギリシア原語はウーシア(ousia)、「まさに在るもの(真実在)」を意味する。プラトンでは、転変する可視世界の根拠にある恒常、同一の不可視のイデアがウーシア。しかしアリストテレスでは、「在る」のもつ諸々の意味の種別であるカテゴリーの第一がウーシア。ウーシアは他のものから離れてそれだけでも在りうる自存存在だが、他のカテゴリー(性質、大きさ、状況など)はそれぞれ「何か在るもの」の性質、大きさなどとして、自存存在としてのウーシアに基づいて在る依存存在。ウーシア(実体)は種の属性がそれぞれ帰属する「基体(ヒポケイメノン、hypokeimenon)」でもあり、感覚や現象を構成する基本の自存存在である」*89、「ウーシア…「実体」(substance)や「本質」(essence)を意味するギリシア語。ラテン語に翻訳される際、この語に「substantia(スブスタンティア)」「essentia(エッセンティア)」という異なる二語が当てられたために語彙の使い分けが生じた」*90とある。

 上記の説明と、今までの流れからして、substanceはどうしてもまたアリストテレスに繋がってしまう。アリストテレスの『オルガノン』の第一書『範疇論』よると、実体の概念は個物である第一実体と、種・類の概念である第二実体に分割される。『形而上学』のZ(第7巻)では、個物である第一実体は質料(基体)と形相(本質)の結合体であり、真の実体は「形相」(本質)であるとしている一方で(恐らくこの辺でウーシアはsubstanceともessenceとも訳されるようになったのだろう)、種・類の概念である第二実体は普遍であると述べられている。例によって言葉や概念の定義が各論間で一定していないように感じるのだが、『形而上学』のΔ巻(第5巻)ではさらに、ウーシア(実体)という語は「①―単純物体。土、火、水のような物体や、それによる構成物及びその部分。②―①のような諸実体に内在し、それがそのように存在している原因となるもの。例えば、生物における霊魂。③―①のような諸実体の中に部分として内在し、それぞれの個別性を限定、指示するもの。これがなければ全体もなくなるに至るような部分(例:物体における面、面における線など)。④―そのものの本質が何であるかの定義を言い表す説明方式(ロゴス)それ自体」とされている。以上①~④の定義から、ウーシアは「Ⅰ.他の基体の属性にならない、究極の基体(個物)(∵①)Ⅱ.指示されうる存在であり、離れて存在しうるもの。型式(モルフェー)、形相(エイドス)(∵②、③、④)」の二つの意味を持つ(『形而上学』Δ巻(第5巻より)。ウーシアは「究極基体的な物質」を含む「実質」(substance)という意味から、「それ」を「それ」たらしめると人間が認識・了解できる側面を強調した(観念的・概念的・言語的な面も含む)「本質」(essence)という意味までを孕むことになった*91

 要するに(私にはやはり上に挙げたすべてを矛盾なく統合することができないのだが)、「もの」そのものが実体(substance)で、「もの」そのものに属するその「もの」を外面的・内面的に規定する要素(観念・概念・言語等も含む)が本質(essence)、ということだろうか。この理解からすると、作品中での“divine substance”のsubstanceは「実体」というより「本質」のほうの意味に近いのではないだろうか(なぜなら神・神性は「もの」そのものではない)。そう考えると、consubstantialという言葉は日本語で「同一実体」と訳されているが、それは実体が同じというより「本質を同じくするもの」という意味なのだろうと思う。それで、作品中の文章に戻るのだが、that(永遠法)が「父と子が同一実体である」divine substanceであるのか? という問いは、時を超えて万物が神のうちに存在し、消えることもなく、始めも終わりもないという「法」が、父なる神と子なる神が同一実体であるという「神の本質」であるのだろうか、というスティーヴンの思索になるのではないかと思う。

 あと、これは私のキリスト教理解が足りないため分からないだけかもしれないが、同一実体説において、父なる神、子なる神、聖霊は位格が違うが同じ一つの神である、というのは、永遠法に照らしあわせると、父なる神の中に子なる神と聖霊が包含され、三つの位格が一つの父なる神と同根である、ということだろうか。それとも、父なる神、子なる神、聖霊の三つの位格を全てまとめてしまう、より大きな「神」が概念としてある、ということだろうか。相変わらず分からない。そして、ここのFatherとSonはやはりスティーヴンが自分と父親との本質の同質性をも考えているのだろうか。親子であり、年は違うが、永遠法と同一実体説に従えば、スティーヴンとスティーヴンの父は「位格は違うが本質は同じ」という状態になぞらえられる。しかしそう考えてしまうとまた前に出てきた文章の「生れた」「こしらえた」問題に戻ってしまう。この問題部分では明らかにスティーヴンの両親の現実世界での肉体的な交わりによる自身の誕生のことを考えている。スティーヴンの思索は現実世界(形而下の世界)と観念世界(宗教世界・刑事上の世界)の間を激しく往還する。

・U-Y 75「決戦を挑もうとしたアリウスはどうしていることやら」

 U-Δ102「あわれなアリウスくんはいまどこにいて論戦を挑むつもりなの?」

 “Where is poor dear Arius to try conclusions?”

 →「ニケア公会議(325年)で異端にされ、のちコンスタンティヌス帝に許されたが、ローマ帝国の新都コンスタンティノープルの大聖堂におけるミサ聖祭に出席の当日、急死した。エドワード・ギボンは『ローマ帝国衰亡史』第21章で「彼の腹部は便所の中で突然破裂した。当時の記者らは毒薬のためとも云い、また奇跡によりとも云っている」と注釈している」(U-Δ注)。poor dearは「かわいそうに!」という意味の感嘆詞としてよく使われる。try conclusionは「決戦を試みる、優劣を競う、to make a trial or an experiment(試してみる)」の意。このto以下の部分の解釈で訳が分かれている。U-Yではto以下がto不定詞の形容詞的用法として、アリウスを修飾しているように訳しているのだが、そう解釈すると厳密には「決戦を挑もうとしているアリウスはどうしているのか」という意味(時制の問題)になるのではないだろうか。poor dearはU-Yでは訳出されていないが、もしかしたら「どうしていることやら」の中にそのニュアンスを込めているのかもしれない。U-Δではto以下を不定詞の副詞的用法(動詞の修飾)として解釈し、これからアリウスが決戦を挑もうとしているように訳している。全体的にU-Δのほうが原文に忠実ではある。ここでアリウスが出てくるのは(もう何回アリウスが出てきたか知れない…)前文の三位一体説に反対したから*92。U-Δは確かに原文に忠実なのだが、アリウスが古代の異端者であり、もうこの世にいないことを読み手が知っていること、さらにこの後の文章では「生涯かけて戦った…」とあるので、過去形にしているU-Yのほうが自然と思える向きもあるかもしれない。しかし、すでに「永遠法」などについての話が出てきていることも考えると、ここでは既に他界した人物と、今生きている人物、これから生れる人間たちが渾然一体となって語られているようにも感じられる。この部分についても、どちらの訳がより適切か、判断しがたい。

・U-Y 75「生涯かけて戦った同変母救猶騒譁癇説」

 U-Δ102「一生かけて、同一全質変聖マリア賛ユダヤ人やっつけろ実体説と戦ったのに」

 “Warring his life long upon the contransmagnificandjewbangtantiality”

 →「同一実体性(consubstantiality)全質変化(transsubstantiation)聖母マリア賛歌(magnificat)ユダヤ人(jew)やっつけろ(bang)などの合成語。他の解釈もある」(U-Δ注)。説明が分かりにくいと思うのだが、一応この合成語についての様々な解釈をご紹介しておく。

 まず、conとsubstantialityの間に、接頭辞のtransが挿入されている(con-trans-(subs)tantiality)。これはニカイア信条で異端とされたアリウスの説の反映への言及である可能性がある。アリウス派の教義では父なる神は子である神(キリスト)より上位にあり、本質的に異なるものとしているので、アリウス派にとっては“con-substantiality”ではなく“trans(超える、横切る、貫く、完全に、超越した、向こう側の、等「本質の変化を表す」意)-substantiality”である。

 transに関する別の説として、transsubstantation(聖変化、カトリック教義で、パンと葡萄酒が聖餐においてキリストの体に変化すること)を意味するというものもある。この説だと、transとconが互いに意味を打ち消さず(consubstantialityでもあり、transsubstantationでもある)、transが、作品内で比較的強調を置かれている輪廻転生や、個を超えた同一化、対立物の一致などのテーマをも主張する。

 magnificはMagnificat(マニフィカト。キリスト教聖歌の一つで、次に挙げる「聖母マリアの祈り」のテキストをもとにしている)を意味しうる*93。ちなみにmagnificareはラテン語で、“to esteem or prize highly”の意。magnifyにも、“to praise, glorify (especially God)(14世紀からの用法)、to make(something)larger or more important (同じく14世紀からの用法)、to make (someone, something) appear greater or more important than it is, to intensify, exaggerate(17世紀からの用法)”というように、何かを(誰かを)より重要なものにする、実際よりもすばらしく見せる、強調、誇張する、といった意味をもつ。

ルカによる福音書」ではマリア(後に聖母になるほう)がザカリアという祭司の不妊の妻エリザベトを訪ねるのだが、マリアが主をほめたたえる「聖母マリアの祈り」はこの言葉に関連しうる。「(マリアがエリザベトに言う)「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も、私を幸いな者と言うでしょう。力ある方が、私に偉大なことをなさいましたから」「ルカによる福音書(1:47‐49)」(“And Mary said, My soul doth magnify the Lord, And my spirit hath rejoiced in God my Saviour. For he hath regarded the low estate of his hand maiden: for, behold, from henceforce all generations shall call me blessed. For he that is mighty hath done to me great things”(Mary’s Song of Praise))*94

 マリアの言葉は「主の偉大さを証明するもの」であるという解釈は理解しやすいのだが、一方で後のカトリック信仰から分かるように、ここで崇高な存在とされているのはマリアである、とも推論しうるという説もある。キャンベルは“My Soul doth magnify the Lord”という文章が、“God is within me”の意であるとし、神が個々の人間のうちにいるということはマリアが神(イエス)の母であるという状態を示すのみならず、今この世界に生きている人類全体に当てはまる状態を指し、Magnificatとは自己と他者を互いに貫くという意味を示す、と述べている*95。しかし、カトリックでのマリア信仰が強いという以外、全体的にこの説の根拠は薄いように感じる。自己と他者とを貫くという意味でのMagnificatという言葉はこれに対応するサンスクリット語の意味に示されている、とも述べられている*96が、サンスクリット語について私は原点をあたる能力がなかった。

 次に、jewについてはユダヤ人で問題ないと思う。bangは解釈が多様である。スティーヴンの考えているような神学論争から、ギフォードは、この言葉が「キリスト教義に関する議論の元となる問題、アリウス派をめぐる終わらない言い争い」のことを指している*97、とする。また、キャンベルは神を爆発的な力と結びつける内在的神性としての意味であると考えている*98。これは第二挿話で、スティーヴンがディージーの「時」の終わりにおける「神の顕現」という伝統的な目的論的世界観に直面するとき、ホッケーの試合を示し、「あれが神です――街の叫び声が」と自説を唱える場面とも関連し、スティーヴンにとって創造と破壊の力は万物に内在するものである、との指摘もある*99。bangには、「したたか打つ、性交する」という意味もあり、「性交する」という意味で解釈すると、これはマリアの「神による受精」のことを指す可能性も示唆されている(第一挿話でマリガンが「おふくろはユダヤ人」と歌っている部分とも関連づけられている)。「性交する」という意味でbangが用いられるのは主に20世紀だが、それ以前に使われていた例も存在するらしい。

 さらに、2017年には新たな解釈が発表されている。シンプソンによると、ジョイスは19世紀初頭のアイルランドの詩人James Clarence Mangan(1803‐1849)の作品や、当時人気の劇場、歌、芝居などでこのような言葉を知っていた可能性があるという。ジョイスマンガンに大変興味を持ち、その作品を高く評価していた。マンガンは多言語・多文化に通じた詩人で、諸国語の翻訳された言葉を作品内に用いることで東と西、東洋と西洋の結びつけを試み、時に大胆に他の作家の言葉を「盗む」こともあり、遊び心にあふれた詩作品を創る高い技術を持っていた。Vindicatorというアルスターの新聞に“transmagnificandubandanciality”という彼の言葉が記されている。これはEoghan Ruadh Mac an Bháirdの哀歌“A bhean fuair faill ar an bhfeart”という作品を評する際に彼が作った造語で、ジョイスはこの言葉を目にした可能性があると考えられる。こういった言葉が最初に作られるようになったのはおそらくアメリカで、1830年頃までに遡り、その後数十年を経て発展した。ジョイスキリスト教の「同一実体説」という言葉を、既に存在していたこのような言語と融合させたのではないかと考えられている*100

 ここで改めて邦訳に戻る。U-Yは「同変母救猶騒譁癇説」としているが、「同」はcon(substantiality)、「変」はtrans(substantiality)、であろう。「実体」に当たる言葉が出てきていないので、consubstantialityとtranssubstantationのどちらを念頭に置いていたかは分からない。「母」はMagnificat、あるいはMagnifyだが、「救」は「マリアが救う」ことを意味しているのか、それとも「神によってマリアが救われること」を意味しているのか。「猶」はJew(ユダヤ人は漢字にすると猶太)だ。次の「騒譁癇」の部分だが、「譁」はかまびすしい、やかましいという意味。「癇」は「ひきつけ、発作的に筋肉がひきつる病気、感情が激しく、すぐかっとなる性質」を表す。bangについて改めて調べてみると、「(激しく)バンと叩く、大きな破裂音をたてる、バタンと閉まる、跳び上がる、騒々しい音を立ててぶつかる、どたばた走り回る、性交する、元気、精力、to strike heavily, often repeatedly, to crush noisily against or into something, to move noisily or clumsily, sudden movement, sudden very loud noise, quick burst of energy, thrill / If you bang something on something or if you bang it down, you quickly and violently put it on a surface, because you are angry」といった意味があり、「騒々しさ」「怒り」「激しさ」の要素がこれらの意味の中に見られるので、「騒譁癇」でbangを想起させる意味を持たせているのかもしれない。一方U-Δのほうは、「同一全質変聖マリア賛ユダヤ人やっつけろ実体説」としているが、こちらのほうが原文のどの部分がどの言葉に対応しているのかが分かりやすい。「同一」はcon、「全質変」はtranssubstantiationで、全質変化(聖変化)のことだろう。「聖マリア賛」はMagnificat、「ユダヤ人」がJew、「やっつけろ」はbang、実体は単語の最初にある「同一」conの後にくるべきsubstantialityを指すと考えられる。

 U-Δのほうが読んでいて意味は取りやすいのだが、こういったジョイスの造語(完全な造語ではないにしても)を漢字文化の利用によって翻訳・翻案したU-Yの試みは面白いし、意味は取りにくくともジョイスの言葉の遊び心を尊重している印象をうける。結局、この奇妙な造語で表されたような事柄とアリウスとが生涯をかけて戦った、ということになると思うのだが、単語の中に埋め込まれたconsubstantiality、trans、bangはアリウスと繋がるにしても、Magnificatとjewがわからない。Magnificatがマリアのことを指すならば(「賛」の意味は留保しておく)アリウスはヘテロウシオス(子(イエス)は「生れたもの」であり、父なる神と同質ではない)を主張していたから、「生れること」との繋がりで、イエスの母であるマリアを出したのだろうか? そしてjewは「迫害された者」の象徴だろうか? 「形式的に考えれば初期のキリスト教徒はすべてユダヤ人」*101というユダヤ人についての説明に従えば、アリウスはユダヤ人だったと言えるのかもしれないのだが、「ユダヤ人」の定義は非常に難しく、3世紀に生きたアリウスが初期のキリスト教徒と言えるのかどうかというのも少なくとも私には判断がつかないので、やはりこのjewの部分については意味がよく分からない。

・U-Y 75「ギリシア式水洗便所で息を引き取った。安楽往生」

 “In a Greek watercloset he breathed his last: euthanasia”

 →「ヘレニズム文化ないし東方諸教会にあてつけたか。「オモフォリオン」を着用させているのを見ても、スティーヴンは異端者アリウスを東方教会に結びつけている(第7挿話では登場人物の一人が水洗便所はローマ人が発明したと言う)」(U-Δ注)。ギリシア式水洗便所の写真を探してみたのだが、ギリシャにあるギリシャ式水洗便所は見つからなかった。ただ、こんな感じのものだったのではないかというものは見つかったので載せておく。

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古代ローマの水洗便所の遺跡*103

 breathe one’s lastは「息を引き取る、死ぬ」の意。euthanasiaは現代の意味では「安楽死安楽死術」だが、古い意味では「安らかな死、大往生」にもなる。訳はどちらも「安楽往生」だが、恐らく古いほうの意味を取っているのだと思う(現代的な「安楽死」はどちらかというと死期の迫った人間が医師によって人為的に苦痛なく他界することを指すと思われる)。U-Δ注は、アリウスがエジプトからオリエントへ従属主義的(子であるキリストは父なる神から創造されたものなので、その神性は父なる神より下であり、父なる神に従属する、という考え方*104)な教えを広め、ニカイア公会議以降もその教えを信奉する者が多かった*105ことに依拠するものか。また、euthanasiaという言葉も語源はギリシアにあるので、ここでもアリウスと東方教会との繋がりが表現されているのかもしれない。

<U-Y 73 ~オモフォリオン、鰥、マナナーン~>

・U-Y 75「宝石きらびやかな司教冠を着け、十字錫杖を手に、王座に鎮座ましまし、司教に先立たれた管区の男鰥。オモフォリオンが吊り上がり、尻には固まっちまったのがこびりついて」

 U-Δ102「主人を失った司教区の男やもめが数珠玉つきの司教冠をかぶり、司教杖を手に、司教高座に着座して、《オモフォリオン》をぴんと跳ねあげ、尻に汚れをこびりつかせて」

 “With beaded mitre and with crozier, stalled upon his throne, widower of a widowed see, with upstiffed omophorion, with clotted hinderparts”

 →「オモフォリオン…東方教会で用いる司教用肩衣の一種。刺繍を施した白絹の帯を首に廻し左肩から膝に垂らす」(U-Δ注)。beadedは「ビーズで飾る、数珠玉、玉で飾る、玉をつける、to apply beads to」の意で、beadは“a small ball with a hole through the middle”、古英語では「祈り、数珠」の意味がある。mitreは司教冠で、頂部に2カ所尖った突起がある*106

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ミトラをかぶる司教*108

 またmitreには“A 13th century coin minted in Europe which circulated in Ireland as a debased counterfeit sterling penny, outlawed under EdwardⅠ”(13世紀にヨーロッパで鋳造され、アイルランドで流通した価値の低い偽の英ペニー貨で、エドワード1世の時代に禁止された)という意味もあった。U-Yでは「宝石きらびやかな司教冠」、U-Δでは「数珠玉つきの司教冠」としているが、ミトラに「数珠玉」はつけるだろうか? 上の写真は質素なものに見えるが、画像でミトラを検索すると宝石などで飾られた、豪華なものが多い。この飾りが「数珠玉」なのかどうかは分からない。それとも古代のミトラは本当に数珠玉で飾られていたのか。mitreはおそらくラテン語読みで「ミトラ」になるのだろうが、現代英語の読み方の発音記号は[máitə](恐らく「マイタ」に近いのでは)となっている。

 crozierの発音は[króuʒəː](クロウジャー)。これはU-Yでは「十字錫杖」と訳されているが、「錫杖」は辞書では主に仏教の僧侶の持つ杖のことで、頭部に金属製の輪がついている。英国王が持つ杖のことを錫杖と呼んでいる記事もあったが、「十字錫杖」をインターネットで調べてみると隠れキリシタンの遺物として、地蔵のもつ錫杖に十字の刻まれたものが見つかる*109。このような背景を鑑みると「十字錫杖」という言葉は、日本に持ち込まれ、日本の文化・宗教と融合した西洋の文化・宗教が、特異な文脈の中で使われている言葉だ。こういったそれ自体で複雑な歴史的背景を持つ言葉を、そのおおよその、外形的な近さから、訳語としてあてはめるのは適切なのかどうか。これは「和臭」どころではない。やはりここはそこまでの工夫をせず、「司教杖」という訳で十分だと私は思う。

 stallは現代英語で「座る」という意味が見当たらなかったのだが(家畜を畜舎の仕切りに入れる、という意味が一番近いものか)、既に廃れた意味として“to place in an office or dignity by seating in a stall or official seat”という記載が辞書にあった。「鎮座」という言葉は「人や物がどっしりと場所を占めている」という意味で、揶揄のニュアンスも含まれうる。throneには「王座、玉座、便座、便所」という意味がある。U-Yでは「玉座」と「鎮座」で韻を踏んでいるのだろうか。widowerは男やもめ(配偶者を亡くした男性)の意。女性の未亡人の場合はwidow。これが動詞になると、「男やもめにする、未亡人にする」という意味になる。また、“to strip of anything valued”(何か価値のあるものをはぎとる)というような意味もある。widowされた管区というのが、一時的に司教のいない教区の表現としてここでは認識されており、313年、アレクサンドリアのボーカリス管区の監督教会の司教として認められていたが、ニカイア公会議の末、321年に職を解かれたアリウスもwidowerである、という説がある(自分の管区から分離された(divorced)者としてwidowerという言葉を当てている、としている)*110。司教のいない管区(widowed see)と、管区を奪われたアリウス(widower)での“widow”は互いに若干違う意味内容を持っているとも言えるが、互いの「大事なものを奪われた」という点では共通している。

 U-Yの「鰥」は「やもめ(寡、寡婦、孀、鰥、鰥夫)。夫のいない女、夫を失った女、未亡人、後家、妻を失った男、妻のいない男、やもお(古くは男女ともに未婚者にも既婚者にも当てはめられたが、現在では主に既婚者で配偶者を失った者をいう)」。「やもお」という言葉があることから察するに、「やも」という部分が配偶者のいない状態を指しているのだろうか。ちなみにそもそも鰥とは巨大な魚のことで、荘子の『逍遥遊篇』に出てくる鯤(こん)と同根。『釈名』(劉熙著)には、「鰥昆也。昆明也。愁悒不寐目恆鰥鰥然也。故其字从魚。魚目恆不閉者也」(「鰥は昆(こん)なり。昆は明なり。愁悒(しゅうおう)して寐(いね)られず、恆(つね)に鰥鰥然(かんかんぜん)たるなり。故にその字は魚に从(したが)う。魚目は恆に閉じざるものなり」)という記述があり、「「鰥」とは、「昆」と同根なのである。そして「昆」は「明るい、よく見える」という意味である。さて、(成年して妻がいない男は、つれあいを求めて)愁い悩ましくて毎晩眠ることができない。いつも「ぎらぎらとして(目を開けたままで)いる」という状態になっているのである(この状態が「鰥鰥然」なのだ)。だから、この字には「魚」がついている。魚というのは、まぶたが無く、目を閉じるということが無い生物だからである」という意味らしい*111。U-Yでこの「鰥」という魚篇の漢字を使ったのは、see(管区)からsea(海)への連想だろうか。

 upstiffという単語を使っている例はネット上で見られたのだが、辞書には載っていなかった。stiffの動詞も訳語にあまり当てはまらないので、stiffedで形容詞化したものと考えると、「張りきった、ぴんと張った、こわばった、ぎこちない、硬直した、曲げられない、なめらかに動かない、自尊心の強い、形式ばった、不屈の、頑なな、軋む、difficult, severe, tightly stretched, taut(きつく張りつめた、ぴんと張った)、(俗語)intoxicated, unlucky」等の意味になり、upが「上へ、勢いよく、きっかり、しっかり、ちゃんと、停止して」などの意味なので、二つを合わせると「ぴんと張ったもの、張りつめたもの」が「上へ」持ち上げられている状態と考えられるだろうか。オモフォリオンはU-Δ注にあるように、一端を前に垂らし、もう一端を折り返すように後ろへ垂らすもので、ピンで留めることもある*112

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緑色のオモフォリオンを肩にかけた司祭*114

 写真や図から判断すると、upstiffされているオモフォリオンは、片側の肩に折り返され、掛けられた部分を指しているのではないかと思われる。少なくともU-Δではそのように解釈して訳したのではないだろうか。U-Yの「吊り上がり」はupstiffedをどのようにとらえていたのだろうか。そもそもなぜここでupstiffedという言葉が使われたのか。この部分に関しては、「彼(アリウス)の身体から生命にかかわる臓器を守るため、無益に(オモフォリオンが)使われているからupstiffedなのではないか」*115というあまり断定的ではない指摘がある。ぎこちなく硬直しているオモフォリオンはアリウスの命を守れなかったのだろうか。clotは「(血や牛乳などを)固まらせる、もつれさせる、動きが取れなくなる」などの意。

 hinderpartsはこのままの単語では辞書にないが、“hinder parts”としての用例はある。hinderは「後方の」という意味。“hinder parts”という言葉の正確な意味は曖昧だが、King James Bibleの中にこの言葉はしばしば出てくる。また、1824年の聖書解釈本の中で、King James Bibleの該当箇所について言及がある。“God smote the Philistines in the hinder parts, and them to a perpetual reproach, when he plagued them with the emerods”*116。新共同訳では以下のように書かれている。「主の御手がその町に甚しい恐慌を引き起こした。町の住民は、小さな者から大きな者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった」この訳では、“hinder parts”、“secret parts”について訳出していない。聖書原文中に出てくるemerodsはhemorroids(痔)の古語。19世紀までは一般に使われていて、この言葉はKing James Bibleに頻出している。現代の研究では、これは「腫瘍」とも訳しうると指摘されている。また「痔の疫病」(plague of emerods)は実際には“bubonic plague”(腺ペスト*117の疫病)の発生であったのではないかとも推測されており、この腺ペストの疫病は、ネズミによる疫病の蔓延であったのではないかとも考えられている。emerodsは、4世紀に初期キリスト教の学者ジェロームがOphalimを“swelling of the secret parts”(秘部のふくらみ、隆起)として訳している*118

「トイレで腹が破裂して死亡した」という話と、文中のstall(玉座、便座)という言葉から、アリウスが死んだとき尻に破裂して出たばかりの血や内臓、糞便が柔らかく固まって(clot)して付着していた、と考えるのはやはり妥当なのだが、いつものように「何が」ついていたのかは明示されておらず、また“with upstiffed omophorion, with clotted hinderparts”という表現から、厳密にはclotしていたのはhinderpartsであるので、聖書中の語句と同一であるということも考え合わせると、「尻に腫瘍(痔のふくらみ)をつけて」というふうに考えることもできるのではないだろうか。もしかしたらダブルミーニングなのかもしれないとも思う。そういった意味を踏まえているのかどうかは分からないが、U-Yでは糞便がついている様子を想起させるようでありながら、糞便とは限定していない。一方、U-Δでははっきり「汚れ」と訳している。スティーヴンは「父と子は同一実体ではない」と唱えた異端者アリウスの悲惨な最期に思いを馳せている。また、この文章は“w”が多いと感じた。もしかしたらこの”w”、尻の形を表しているのか?

                   ↓

            ☆浜辺を歩くスティーヴン・詩作

                  ↓

        ☆無からの創造―自らの出生・誕生についての思索

                  ↓

       ☆存在と時間の問題―アリウス・父と子は同一ではない

                  ↓

               ☆海へ目を向ける

                   ↓

・U-Y 75「風が周りを躍り跳ねる。身を切る寒風だっけな。来るぞ、波が。白鬣の海馬ら、馬銜を噛みながら、光風に手綱取られて、マナナーンの駿馬ら」

 U-Δ103「風が彼のまわりで飛び跳ねた。身を切るような鋭い風。こっちへ来るぞ、波が。白いたてがみの海馬が歯を噛み鳴らし、光る風の手綱にあやつられて、マナナーンの駿馬どもが」

 “Airs romped round him, nipping and eager airs. They are coming, waves. The whitemaned seahorses, champing, brightwindbridled, the steeds of Mananaan”

 →「身を切るような鋭い風…『ハムレット』の一幕四場のホレイショーの台詞にほぼ同じ句がある。/海馬…比喩としては白い波頭を立てて押し寄せる波の意に用いる。字義通りにはセイウチ類、タツノオトシゴなど。/光風に手綱取られて…これもホメロス的な枕詞」/マナナーン…アイルランド伝説の海神。妖精の島の王。駿馬に戦車を引かせ、手勢を率いて海上を駆ける。または白馬にまたがって海中から現れる」(U-Δ注)。rompは「はね回る、はしゃぎまわる、ふざけ回る、遊び戯れる」等の意。「躍り跳ねる」「飛び跳ねる」風もまた、マナナーンの化身だろうか?(マナナーンについては後述)nipは「(寒風などが)(肌などを)こごえさす」という意味。eagerはここでは“(of air and of speech)keen, biting)”(鋭い、身を切る)という意味で使われているようだ。ここでの“nipping and eager airs”は『ハムレット』では以下のようになっている。“Hamlet: The air bites shrewdly; t’is very cold / Horatio: It is a nipping and eager air*119(『ハムレット:身を切るような風だ、寒いぞ。/ホレイショー:耳がちぎれるようですな』)*120 whitemanedのmaneはたてがみ。

 seahorseは辞書では「セイウチ、タツノオトシゴ、伝説上の海馬、(神話)海馬(Sea-Godの車を引く馬頭魚尾の怪物」とある。この辞書中の「馬頭魚尾の怪物」とはギリシア神話に登場するヒッポカンポス(hippocampus)のことで、ポセイドンの乗る戦車を率いることでも有名であるらしい*121。しかし、私は海馬というと脳の記憶領域のほうをすぐ連想してしまう。タツノオトシゴのような形をしているから「海馬(領域)」と命名されているのだが、海馬は大脳辺縁系の一部を構成し、嗅脳に隣接するからか、20世紀中頃まで嗅覚機能に関与すると考えられていた。Bechterew(ベヒテレフ)(1899)、Gruüthal(1947)、Glees(グリーズ)とGriffith(1952)らが、近時記憶に著しい障害のあった患者の脳を死後解剖し、両側の海馬や海馬傍回に器質的病変のあることを報告。Scoville(スコヴィル)とMilner(1957)が難治性てんかん患者の治療目的で、両側側頭葉内側部(扁桃体、海馬傍回、海馬前方⅔)の切除術を行ったところ、強度の順行性記憶障害を惹起したことを報告。以来、海馬が近時記憶と長期記憶の形成(記銘)の部位として注目されるようになる*122。なかでもベヒテレフ(ウラジーミル・ベヒテレフ、1857-1927)はソビエト精神科医精神病理学者、神経系の解剖学、生理学に関する研究を行っていて、『脳と骨髄の経路系』(“Pathways of brain and bone marrow”)という著作で、海馬の記憶における役割について指摘し、1900年にベール賞(Baire’s Prize)を授与されている*123。また、脳の海馬の説明には以下のようなものもある。「大脳辺縁系の一部。脳の記憶や空間学習能力にかかわる脳の器官」*124。海馬部分をも含めた脳の研究の年代から、ジョイスがベヒテレフらの研究結果について知っていたかどうかまでは私には分からないが、後の挿話でブルームが色々な科学的知識を披露していることから、少なくとも海馬がそれまで嗅覚機能に関すると認識されていたことくらいは知っていたのではないだろうか? 今までスティーヴンは視覚・聴覚・触覚(貝を踏む感触も感じていたはずだ)で現実世界を認識していた。ここで「順次」打ち寄せる波の比喩としての「海馬」が脳の海馬の「嗅覚記憶」にもつながっているのだとしたら面白い(嗅覚刺激も「順次」するものだろう)。20世紀後半の研究結果についてジョイスはもちろん知らなかったと思うが、1900年にベール賞を受賞したベヒテレフの報告は耳にしたのではないだろうか。海馬領域の機能は最終的に空間認識にもつながる。偶然だとは思うが、作者の手を離れたところでテキストが挿話のテーマを強化してしまっている。

 訳を見ると、U-Yのほうが「馬感」が強い。seahorse(海馬)も含め、馬を含む語(海馬―馬銜―駿馬)が三度出てくる。鼎訳のほうは特段意識して「馬」という語や「馬」の含まれる漢字を使っている様子ではない。champは「馬がくつわをいらだってかちゃかちゃ噛む、馬が飼葉をむしゃむしゃ食べる、音をたてて噛む、馬のように苛立つ」等の意味を持つ。この部分、U-Yでは「馬銜を噛みながら」としているが、U-Δでは「歯を噛み鳴らし」としている。どちらかというとU-Δのほうは原文に直接は対応していないが、その音声的な重なりを、視覚的に類似した漢字を連ねることで再表現しようとしたのかもしれない(「歯」と「噛」(「歯」を共通して持つ)、「噛」と「鳴」(口偏))。bridleは「馬に勒をつける、感情などを抑制する、(女が頭を上げて)つんとする、(怒って)頭を上げ、つんとする」等の意味。この中の「勒」は「文章を石に刻む、くつわ、馬の口に噛ませて手綱をつけるための道具、おもがい(轡を固定するためのひも)、馬の頭から轡にかける組みひも」の意。steedは「(古語・文語で)(乗馬用の)馬、(詩で)元気な馬、混乱状態のため、または戦争のための勇ましい馬、駿馬、軍馬」などの意。

 マナナーン(Mananaan)について調べてみると、「マナナーン」と「マナナン」と両方の表記がある。マナナーン(ManannánまたはManann、またはManannán mac Lir(海の息子の意))はアイルランドの神話の中では戦士であり、ティル・ナ・ノーグの王であり、海と結びつけられ、海神として解釈されることが多い。また、トゥアハ・デ・ダナンの一人である。常若(とこわか)の国の支配者で、保護者として目されている。彼の領土はメグ・メル(喜びヶ原)、ティル・タルンギレ(約束の地)と呼ばれている。人間の出現の後、彼は複数いる神々の中の「諸王の王」として語られるようになり、他の妖精たちと同様、自らの住処を隠すため「目くらましの霧」(mist of invisibility, féth fíada)を使う。現代の伝説では、マナナーンは自走する船スガバ・トゥネ(Wave sweeper、静波号、鎮海号等と訳されている)、水の上を陸と同じように走ることのできる馬アンヴァル(Aonbaharr)や、フラガラッハ(Fragarach)という名の、致命的に敵の刀を奪う刀などを持っていたとされる。マナナンの名はマン島が由来であるとも、マン島という名がマナナンの名を由来としているとも言われている。

 8世紀のアイルランドの物語「ブランの航海」(Imram Brain, Voyage of Bran)では、マナナンは海上で馬車を走らせ、航海中のブラント船員たちに出会う。16世紀に書かれた“Pursuit of the Gilla Decair”などの中で、マナナンは生者の地を訪れるが、彼の動きは風、鷹、ツバメに喩えられ、時に一帯を駆け抜ける轟く車輪の形態をとることもある*125

 ちなみに、トゥアハ・デ・ダナン(Tuatha Dé Danann、Tribe of Godsの意)はケルト神話で神の一族。アイルランドに上陸した4番目の種族で、女神ダヌダーナ)を母神としている。フォモール族に追い出されたネミディア族がダナーン族になったとも言われている、やがて、5番目の種族であるミレー族との戦いに敗れ、地下の世界に移る。この世界は地上の世界の鏡像のような世界だったとされている。彼らは後に妖精ディーナ・シーとなる*126。ティル・ナ・ノーグ(Tír na nÓg, otherworld)は、トゥアハ・デ・ダナーンがアイルランドの祖と言われるミレー族との戦いに敗れた後、その生存者が移住したとされる土地の名。いくつかある楽園の一つで、ティル・ナ・ノーグは「常若の国」だが、妖精たちの好みの棲み処でもあり、生き物の住む島、勝利者たちの島、水底の島とも呼ばれている。敗北後のトゥアハ・デ・ダナーンがどの妖精丘(シー)に住むべきかを、族長的な地位についたマナナーン・マクリールが決めた。そのことを記述した文書では、マナナーンの住処は「約束の地」ティル・タルンギレ(Tír Tairngire)またはエウィン・アヴラハ(Emain Ablach)などと呼ばれるだけで、「ティル・ナ・ノーグ」という地名は登場しない。マナナーンは常若の饗応(ゴヴニュの饗応)を一族の生存者にふるまい、永遠の若さを保った。マナナーンの住むこの地は他に「楽しき都(マグ・メル)」、「喜びヶ原(メグ・メル)」「至福の島(イ・ラプセル)」などと呼ばれ、西の方角にあるとされている。この常若の国には不思議の「リンゴ」の木、食べても生き返る「豚」、永遠の若さを授けるゴヴニュの饗応(エール麦酒)の3つがあるとされている*127

 マナナーン(マナナン)はおそらくは“Manannan(Manannのan(息子))”ではないかと思うのだが、作品内ではMananaan(nが一つaに変わっている)と表記されている。この部分は後に出てくるサイモンによるリッチーの真似(and and and and)とも重なる、と読書会で話されていたが、どちらの表記にしてもanの数は同じだ。また、このMananaanという単語内の文字そのものが波のように見える、という指摘もあった。“a”だけが波に見える文字なら、それを意図して表記を変えたのか、と思う。しかし“a”が浜辺に押し寄せる波に波頭がついているような文字に見える一方で、“n”は浜辺に打ち寄せる前に盛り上がる波のうねりのように私には見えたので(そのように「見て」しまうと“n”という字は様々なものに「見えてしまう」のだが)、ここでわざと表記を変えたのか、間違いや誤植の類なのかはよく分からない。ただ、どちらの表記にせよ、どういった意図でこの綴りにしたにせよ、Mananaanに含まれる文字とその並びは確かに波を想起させる。全体的に見て、この節はU-Yのほうが美しい文章のように私には感じる。

<おまけ:ラッセル “In The Womb” 試訳>

 ジョージ・ウィリアム・ラッセル(George William Russell, 1867-1935)は、アイルランド民族主義者、評論家、詩人、画家、ジャーナリスト。ラテン語 aeon に由来する筆名Æを使用した。アイルランド文芸復興運動の中心的役割を果たし、神智学団体のまとめ役や相談役も担った。アルスター地方アーマー州ラーガン生まれ。
 神秘主義者として知られ、幼少時から幻覚を目にすることが多かったという。11歳の時にダブリンに引っ越し、服地商として働き始める。アイルランド農業組織協会に従事し、1880年頃から神智学に興味を持ち始めた。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際には加入しなかったが、この組織が神智学協会へと改組されると参加した。だが1898年にはこの組織を抜け、自らヘルメス協会を復興させる。1905年から1923年までは「The Irish Homestead」誌の編集者を、1923年から1930年までは「The Irish Statesman」誌の編集者を務めた。
 ラッセルの初作は1894年に“Homeward: Songs by the Way”(邦訳されていないようなのだが訳すと『家路へ―道々の詩』くらいになるだろうか)という題名の詩集。この作品で彼はいわゆるアイルランド文芸復興運動の中での地位を確立した。そんな中、1902年にジョイスと出会い、彼をイェイツなどアイルランド文学の大家たちに紹介した。ラッセルはジョイスの『ユリシーズ』第九挿話「スキュレーとカリュブディス」に登場している。
 ダブリンのラスガー通りにあるラッセルの家は、当時アイルランドの経済や文学の将来に関心を持つ者たちの会合所になっていた。日曜の夜に開かれるラッセルの家での会合「アット・ホーム」は、ダブリンの文学シーンの中における注目すべき一つの特色であると言えた。新しい政治体制下の有能なリーダーであったマイケル・コリンズは、晩年の最後の数ヶ月の間にラッセルと親交を深めた。多くの点で全く似通ったところがないにもかかわらず、この二人は互いに深い敬意を育んでいると、「アット・ホーム」の常連客だったオリヴァー・セント・ジョン・ゴガティーは考えている。
 ラッセルの寛大さと親切さは伝説的とも言えるほどだった。フランク・オコナーは「温かさと優しさが、年季の入った毛皮のコートのようにあなたを包みこんでいた」と愛情をこめて彼のことを回想している。ラッセルは友人たちに対し大変誠実で、何かと手に負えないことで悪名高いダブリンの文学界においても、彼は同志たちの絶えざる口論の間に入って仲裁を試み、人の神経を逆なでしがちなシェイマス・オサリバンでさえ、単に「飲みすぎただけだから」という理由で、かなり大目に見られることがあったようだ。
 ラッセルの興味は多方面にわたっていた。彼は神智学者になり、また政治や経済について広く著述をなす一方で、絵画制作と詩作も続けていた。彼は自分が自然の知覚の範囲を超えたものを見ることができると主張し、目にしたものを絵画やスケッチのなかに描きだした。
 ラッセルは自分より若い作家たちに対し、桁外れに優しく、寛大であったことで有名だった。フランク・オコナーは彼のことを「アイルランド作家たち三世代分の父と呼べる存在だった」と評している。また、パトリック・キャヴァナーは彼を「偉大であり、かつ高徳の士」と呼んだ。『メアリー・ポピンズ』の作者として有名なパメラ・トラバースもまた、感謝の念をもってラッセルの助けと励ましを思い出している作家の一人である。
 彼の筆名Æは「生涯を通じた人間の探究」を意味するものである*128
 

 ラッセルの詩のなかで面白いものを見つけたので、是非ご紹介したい。というわけで、私見に代えて、ラッセルの詩を一作訳してみる。

“In The Womb”
Still rests the heavy share on the dark soil:
Upon the black mould thick the dew-damp lies:
The horse waits patient: from his lowly toil
The ploughboy to the morning lifts his eyes.

The unbudding hedgerows dark against day’s fires
Glitter with gold-lit crystals: on the rim
Over the unregarding city’s spires
The lovely beauty shines alone for him.

And day by day the dawn or dark enfolds
And feeds with beauty eyes that cannot see
How in her womb the mighty mother moulds
The infant spirit for eternity.*129

<訳>
「胎」
静寂が暗土の重い鋤に憩い
黒い土表に露の湿りが厚く降りる
馬は愚直に控え 馬子は
つましい労役から暁へと目を上げる

未だつぼみのつきかけぬ小暗い低木の並が
日輪の炎を負い 金色を放つ結晶に煌く
その周縁 顧みられぬことのない街の尖塔群から
しめやかな美が ただ彼のもとに輝く

日々を重ね 曙を 闇を抱擁し
見えざる明眸を注いで
強大なる母は その胎内に形づくる
永劫なる幼子の魂を

 この詩で面白いと思うのは、鋤→馬→馬子→低木→街→美・子宮・魂へと視点が広がっていくことだと思う。まさにこのように、子宮内の胎児は成長していくのではないだろうか。暗さ・闇と明るさ・光りという対立物を一つの詩の中に包含していること、子宮—永遠の魂と海との繋がりは、一粒の砂の中に宇宙を見るブレイク的な発想を想起させ、「形成するもの」としての土が冒頭に出てくる辺りはキリスト教的でもある、と思う。

 

 以下、パート2に続きます…(そのうち公開します) 

 

※おすすめの本

  Twitterでも少し紹介しましたが、このオフェイロンの本はアイルランド古代からの歴史を追いながら、その過程での民衆の暮らしや文化の変遷、それを象徴するアイルランドの詩やケルト文化まで紹介されているので、歴史や文化を学ぶのにおすすめで、読み物としても面白いです。写真が多いのもいい。ただ、発行年が少し古いため、IRAにはあまり触れていませんのでご注意。

アイルランド―歴史と風土 (岩波文庫)

アイルランド―歴史と風土 (岩波文庫)

 

*1:http://m.joyceproject.com/notes/030020signatures.html

*2:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A1

*3:http://m.joyceproject.com/notes/030020signatures.html

*4:ベーメについての以上の説明は『ヤコブベーメと神智学の展開』岡部雄三著、岩波書店、2010年、pp. 55-81を参照

*5:http://m.joyceproject.com/notes/030030colouredsigns.html

*6:https://www.stephens-workshop.com/stephens-s-notes/の第4回スライド参照

*7:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC

*8:『視覚新論 付:視覚論弁明』バークリー著、下條信輔植村恒一郎・一ノ瀬正樹訳、勁草書房、1990年、p. 199

*9:http://m.joyceproject.com/notes/030025baldhewas.html

*10:http://m.joyceproject.com/notes/030025baldhewas.html

*11:水地宗明著『アリストテレス『デ・アニマ』注解』晃洋書房、2002年、pp.71-73参照

*12:水地宗明著、前掲書、p.259

*13:アリストテレスアリストテレス全集6』山本光雄、副島民雄訳、岩波書店、1968年、p. 138

*14:アリストテレス『心とは何か』桑子敏雄訳、講談社、1999年、p. 106

*15:水地宗明著、前掲書、p.261

*16:水地宗明著、前掲書、p.259

*17:アリストテレスアリストテレス全集6』前掲書、pp. 191-192

*18:http://m.joyceproject.com/notes/030025baldhewas.html

*19:ダンテ『河出世界文学全集(1) 神曲平川祐弘訳、河出書房新社、1989年、pp. 6-7

*20:ダンテ、前掲書、pp. 8-9

*21:Don Gifford, Robert J. Seidman “Ulysses Annotated: Revised and Expanded Edition”, University of California Press, 2008, p. 45

*22:http://m.joyceproject.com/notes/030025baldhewas.html

*23:ジョイス『若い芸術家の肖像』丸谷才一訳、新潮社、1994年、p. 326

*24:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AA%E3%82%B3%E3%82%AA%E3%83%B3%E8%AB%96%E4%BA%89

*25:若林光夫「ラオコーン群像をめぐって : ウィンケルマン - レッシング - ヘルダー」、『ドイツ文學研究』、1968年、第16巻、pp. 1-24

*26:http://m.joyceproject.com/notes/030009laocoon.html

*27:Shakespeare“Hamlet (Amazon Classics Edition)(English Edition)”AmazonClassics, 2017 p. 35

*28:シェイクスピアハムレット福田恆存訳、新潮文庫、1967年、p. 424

*29:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B9https://en.wikipedia.org/wiki/Timaeus_(dialogue)

*30:http://m.joyceproject.com/notes/030092losdemiurgos.html

*31:https://en.wikipedia.org/wiki/Los_(Blake)#/media/File:Jerusalem_Plate_100.jpg

*32:https://en.wikipedia.org/wiki/Los_(Blake)#/media/File:Jerusalem_Plate_100.jpg

*33:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8Ahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9_(%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AF%E7%A5%9E%E8%A9%B1)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%82%A2%E3%81%9F%E3%81%A1

*34:松島正一「ミルトン、ブレイク、そしてロス : =ブレイク『ミルトン』第一巻」『研究年報/学習院大学文学部』34号、1988、pp. 125 - 145

*35:http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/term-gn.html

*36:http://m.joyceproject.com/notes/030127madelinethemare.html

*37:http://m.joyceproject.com/notes/030127madelinethemare.html

*38:http://m.joyceproject.com/notes/030127madelinethemare.html

*39:http://m.joyceproject.com/notes/030127madelinethemare.html

*40:http://m.joyceproject.com/notes/030127madelinethemare.html

*41:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E7%AF%80

*42:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%BB%E8%84%9A

*43:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%BB%E5%BE%8B_(%E9%9F%BB%E6%96%87)

*44:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E9%9F%BB%E6%A7%8B%E6%88%90

*45:http://m.joyceproject.com/notes/030127madelinethemare.html

*46:https://literaryballadarchive.com/ja/what-is-the-literary-ballad.htmlhttp://abe.ihatov.jp/pdf/englishpoem.pdf

*47:https://tanintl.com/plod.html?cat=6

*48:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%97_(%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9)

*49:https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:MDg8lcPn7ScJ:https://enc.piano.or.jp/musics/928+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja%7Clang_en

*50:https://en.wiktionary.org/wiki/Frauenzimmer

*51:http://m.joyceproject.com/notes/010039mightymother.html

*52:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3

*53:上村 盛人「スウィンバーンと<ファム・ファタル>神話―メアリ・ゴードンをめぐって」『奈良教育大学紀要. 人文・社会科学』〈26巻1号〉1977年11月、69-80ページ

*54:http://rinnsyou.com/archives/307

*55:https://www.poetryfoundation.org/poems/45307/the-triumph-of-time-56d224c3d1e6c

*56:https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co96632/midwifery-bag-and-contents-midwifery-bag

*57:https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co96632/midwifery-bag-and-contents-midwifery-bag

*58:https://en.wikipedia.org/wiki/Martin_Chuzzlewit#Characters

*59:http://irisharchaeology.ie/2012/03/dublins-forgotten-buildings-the-dutch-billy/

*60:http://irisharchaeology.ie/2012/03/dublins-forgotten-buildings-the-dutch-billy/

*61:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Royal_Dublin_Society

*62:以上、自由区、毛織物業・リネン産業等の歴史については、『世界歴史体系 アイルランド史』上野格・森ありさ・勝田俊輔編、山川出版社、2018年、p.55、pp140-142、p.155,p.169、pp.176-177、p.194、p.415、『アイルランド史』J. C. ベケット著、八潮出版社、1972年、pp.24-25、pp.141-143、p.161、https://en.m.wikipedia.org/wiki/The_Liberties,_Dublinhttp://m.joyceproject.com/notes/030060theliberties.htmlhttps://en.wikipedia.org/wiki/Navigation_Acts#Effect_on_Irelandhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AA%E6%B5%B7%E6%9D%A1%E4%BE%8Bを参照

*63:ジョージアン様式の建築についてはhttp://www.news-digest.co.uk/news/archive/architecture/4596-georgian-architecture.htmlを参照

*64:http://irisharchaeology.ie/2012/03/dublins-forgotten-buildings-the-dutch-billy/

*65:https://bloomsandbarnacles.com/2019/02/26/decoding-dedalus-omphalos/

*66:https://en.wikipedia.org/wiki/2_Maccabeeshttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AB%E3%83%90%E3%82%A4%E8%A8%98

*67:https://st-takla.org/pub_Deuterocanon/Deuterocanon-Apocrypha_El-Asfar_El-Kanoneya_El-Tanya__9-Second-of-Maccabees.html#Chapter%207

*68:http://m.joyceproject.com/notes/030026exnihilo.html

*69:http://m.joyceproject.com/notes/030026exnihilo.html

*70:https://www.aozora.gr.jp/cards/000961/files/42184_16641.html

*71:http://m.joyceproject.com/notes/030026exnihilo.html

*72:http://m.joyceproject.com/notes/030095beasgods.html

*73:https://en.wikipedia.org/wiki/Omphaloskepsis

*74: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%A8%B9_(%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8)

*75:以上カバラについての説明はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%A9http://www.hm.aitai.ne.jp/~genkou/reikonn/sinpi.htmlを参照

*76:http://m.joyceproject.com/notes/030083nakedeve.html

*77:https://en.wikipedia.org/wiki/Buckler

*78:https://en.wikipedia.org/wiki/Buckler

*79:https://en.wikipedia.org/wiki/Buckler

*80:https://biblehub.com/kjv/songs/7.htm

*81:https://biblehub.com/commentaries/songs/7-2.htm

*82:https://www.ccel.org/t/traherne/centuries/cache/centuries.pdf内の“The Thord Century"より

*83:以上のトラハーンについての説明についてはhttps://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Trahernehttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E8%A9%A9%E4%BA%BAhttps://satoru312.wordpress.com/2010/02/を参照

*84:http://m.joyceproject.com/notes/010148uncleanloins.html

*85:http://m.joyceproject.com/notes/030026exnihilo.html

*86:http://m.joyceproject.com/notes/030026exnihilo.html

*87:ニカイア信条についてはこちらを参照。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A2%E4%BF%A1%E6%9D%A1

*88:http://m.joyceproject.com/notes/030026exnihilo.html

*89:https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E4%BD%93-4258

*90:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2

*91:以上のアリストテレスのウーシアについてはhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%A2https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E4%BD%93https://kotobank.jp/word/%E5%AE%9F%E4%BD%93-4258をまとめた

*92:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9を参照

*93:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%88https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%A0

*94:https://biblehub.com/kjv/luke/1.htm

*95:http://m.joyceproject.com/notes/030096contransmag.html

*96:http://m.joyceproject.com/notes/030096contransmag.html

*97:http://m.joyceproject.com/notes/030096contransmag.html

*98:http://m.joyceproject.com/notes/030096contransmag.html

*99:http://m.joyceproject.com/notes/030096contransmag.html

*100:http://m.joyceproject.com/notes/030096contransmag.html、Matthew Campbell, Ciaran Carson, Richard Haslam, Anne Jamison, Joseph Lennon, David Lloyd, John McCourt, Paul Muldoon, Cóilín Parsons, Sean Ryder, Sinéad Sturgeon David Wheatley “ Essays on James Clarence Mangan: The Man in the Cloak (English Edition)" 2014, Kindle版, S. Sturgeon (編集), Palgrave Macmillan, 2014版(ページ数記載なし)

*101:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99

*102:https://en.wikipedia.org/wiki/Public_toilet

*103:https://en.wikipedia.org/wiki/Public_toilet

*104:https://en.wikipedia.org/wiki/Subordinationism、『[新訳]ローマ帝国衰亡史・上<普及版>』エドワード・ギボン著、中倉玄喜編訳、PHP研究所 、2008

*105:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9

*106:https://www.newadvent.org/cathen/10404a.htm

*107:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E6%95%99

*108:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E6%95%99

*109:https://www.cgl.co.jp/knowledge/02.htmlhttps://blog.goo.ne.jp/nostalgia2014kk/e/6136011a39514dca0c48e8cb8ab15f68 二つ目の記事に「十字錫杖」という言葉は出てきていないが、錫杖に十字が刻まれている、とある。前掲したミトラの写真で、司教が握っているのが司教杖

*110:http://m.joyceproject.com/notes/030040arius.html

*111:鰥についての説明はhttp://www.mugyu.biz-web.jp/nikki.22.03.28.htm参照

*112:斎藤 茂、尾中 明代著「キリスト正教(Catholic)を中心とする宗教服について」『東京家政大学研究紀要』第3巻、1963、pp. 9 - 16

*113:https://en.wikipedia.org/wiki/Omophorion

*114:https://en.wikipedia.org/wiki/Omophorion

*115:http://m.joyceproject.com/notes/030040arius.html

*116:https://english.stackexchange.com/questions/187707/meaning-of-hinder-parts-in-the-17th-century?newreg=63a9497bf39843fbab07c36684a9c16b(このサイト全文を見るには会員登録が必要)))。この記述に該当するKing James Bibleの箇所が以下。“he smote the men of the city, both small and great, and they had emerods in their secret parts”(Saml 5:9)((https://biblehub.com/kjv/1_samuel/5.htm

*117:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%BA%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88

*118:https://en.m.wikipedia.org/wiki/Emerods

*119:“Hamlet(Amazon Classics Edition)(English Edition)”、William Shakespeare、2017, p.31

*120:シェイクスピアハムレット新潮文庫、1967、福田恆存訳、p.392

*121:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%9D%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%9D%E3%82%B9

*122:以上海馬領域についての説明はhttps://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC#cite_note-21を参照

*123:https://en.wikipedia.org/wiki/Vladimir_Bekhterev

*124:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%A6%AC_(%E8%84%B3)#:~:text=%E6%B5%B7%E9%A6%AC%EF%BC%88%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%B0%E3%80%81%E8%8B%B1%3A,%E3%81%A0%E8%84%B3%E9%83%A8%E4%BD%8D%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

*125:以上の説明はhttps://en.wikipedia.org/wiki/Manann%C3%A1n_mac_Lirhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%ABより

*126:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%A2%E3%83%8F%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%B3

*127:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B0

*128:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%ABhttps://en.wikipedia.org/wiki/George_William_Russell#cite_note-boylan-1

*129:https://www.gutenberg.org/files/16615/16615-h/16615-h.htm#IN_THE_WOMB

EUフィルムデイズ 『ブレンダンとケルズの書』感想

EUフィルムデイズ 『ブレンダンとケルズの書』

 

https://aoyama-theater.jp/feature/eufilmdays


『ケルズの書』は15年ほど前に展示されている実物を現地で見た。その時にはアイルランド版聖書の美しい装飾写本としか思わなかった。

 本作のキャラクターは可愛らしく、アニメーションは躍動的で、ちょっとユーモラスだ。森に住む異教徒(ケルト文化の中に生きる非キリスト教徒)の少女は、後に『ケルズの書』となる書物を執筆することになる主人公のブレンダンに力を貸す。彼女は幾年にもわたって「すべてを見てきた」存在で、様々な生き物に姿を変え、生き続ける。

 何より素晴らしかったのは、ケルト的でありながら、現代的なデザインをも違和感なく取り入れている、あまりにも美しい木々や花、動物や虫たちの描かれ方と映像だ。「森-自然」は単に人の心に癒しを与える優しい存在ではない。それは生き物たちを包みこむと同時に、善とも悪とも分かつことのできない未知の何ものかによって彼らを「飲み込んで」しまうのだが、本作ではアイルランドを象徴する「緑」がキリスト教徒たちも、ケルト文化を守る異教徒たちをも「守るもの」として描かれている印象が強い(もちろん人間を襲いもするし、畏怖すべき存在としても描かれてはいる)。

 また、本作ではあまり多用されていないのだが、音楽の効果も素晴らしい。アイルランドと音楽とは切っても切り離すことができない。メロディが、時にユーモアや皮肉をこめて、時に詩的に、書物に記された文字でも、対話でも議論でも伝えきることのできない心を、曲に込められた言葉の力を手渡してくる。

 キリスト教文化を守り、バイキングからの襲撃を防ぐため、砦を作ることに力を注ぐ修道院長と、闇に光を与える「書物」の執筆を最優先し、守り続けようとするエイダンは最初対立するのだが、本質的な考え方は同じだ。彼らの「守り方」の方法が違うだけで、最後には和解する。ケルト文化とキリスト教文化の融合が簡単なものではなかったということがよく分かる。

 確かにバイキングはアイルランドを侵略し、多くの修道院を襲って彼らの貴重な宝物や聖遺物などを奪ったのだが、それで帰ってしまったわけではない。彼らの多くは侵略地に定住するようになり、土着のアイルランド人に同化していったという歴史がある。また、古代アイルランドには地方ごとに100人を超える「王」が存在し(アイルランドは最初から一つの島国として一人の王が統一していた国ではない)、自らの領土拡大と覇権のための戦いも生じた。特に、ブライアン・ボルが活躍したクロンターフの戦いでは、戦力としてバイキングの力を借りた王もいたという点で、必ずしも「アイルランド人vsバイキング」の構図が常に確立されていたとは言えないのだが、アイルランド各地(主に沿岸部)の修道院がバイキングによって壊滅的な被害を受けたことは確かだし、本作の主題はケルト文化・自然・アイルランドでのキリスト教との融合と、それに象徴されるケルズの書の制作にあると思われるので、このアニメーションにそこまでの詳細を盛り込む必要はないだろう。

 今の時代、映画をDVDにすることはお金がかかるし色々な点で難しいだろうけど、ぜひどこかのサイトで有料配信のレンタルができるようになってほしい作品だった。恥ずかしながら、映像の美しさと両文化の対立と融合の過程に心を打たれ、泣いてしまった…

不動産屋トラブルについて

 特に誰も興味はないと思いますが、ツイッターで連ツイするにはあまりに長いので(いつものパターン)、ブログに載せときます。不動産トラブルの話です。
☆問題
・私の部屋の電気が突然切れる。蛍光灯を変えても直らない。設備の基礎的な部分が壊れたんだな、と思って、24時間365日無料で対応しますと謳っている管理会社に電話をした。が、その対応がひどすぎる、と思った。
☆言ったこと
・契約時にもらったパンフレットに、水回りの不具合やその他故障についてはすぐに対応します、と書いてある。消費者としてはそのように書かれていれば、すぐに業者を手配するなりしてくれるものと考えると思う。3度も4度も担当者が変わり、一々説明を最初から繰り返さなければならないような対応をされた挙句、それでもまだこちらの故障の状況を完全に把握されず「それは消耗品なので借主負担」と返答された。このパンフレットは消費者の錯誤を招くものではないか? 消費者相談センターに相談するようなことになりますよ?と言った。
→どうぞそうしてください、と言われる。
→「すぐには対応しかねる事態や、借主負担の修繕になる場合もあるので(そのようなパンフレットの文言にならざるを得ない)」と言われた。じゃあそう注意書きとして書くべき、と言った。→上申しておきますとのこと。
・なぜそこまで情報共有ができていないのかと訊くと、自分以外に他の担当者では担当できない・当時の担当者がいないと向こうが言う→借主からの相談窓口を設けている以上、担当者が異動すれば後任や他の社員に情報を引き継ぎ、共有するのは会社として当然。それをやらないというのは御社の怠慢であり、問題ではないか? それで管理会社と言えるのか? 正直に言ってこのような状態では全く信用できないと言った。
☆言われたこと
・蛍光灯・シーリングが消耗品かつ残留物であって、それを借主負担で直すのは常識
→そちらの常識ではあるが、こちらの常識ではない。どちらの常識を優先するか?というのは誰にも判断できないことではないのでは?
・残留物(前の住人が残していったもの)の問題
→そもそもこれだけ説明しても(4回事情を話した)理解していないということから、どう考えてもうちの備品や設備の何が「残留物」であるかは把握していない。椅子に上って写真三枚撮って向こうにメール添付して送ってやっと理解している状態。うちも大家なので分かるが、退去済みの部屋に備え付けられた備品については、それが前入居者によって交換されたものかどうかは一々確認していない。正常に作動していればそのまま残してある。ただし、照明の故障であれ(さすがに蛍光灯の交換まではしないが)、排水管の詰まりであれ、こちらが「部屋に基礎設備として備え付けられているもの」については全額こちらの費用で修理している。シーリング(なのか…? うちの照明はちょっと変わっているので、それを何と呼ぶかは分からない)については、蛍光灯という個人の使う消耗品を備え付ける上での基礎設備として認識しているので、もしそのような苦情が来たらこちらとしては直す。それがこちらの「常識」。例えば排水管の詰まりだって、それが前入居者の残した汚れによる不具合なのか、今の入居者の使い方による問題なのかは正確には判断できない。シーリング(?)の隣にも謎の四角い機械部分があるので、それが壊れているのかどうかすら分からない状態だし。
→そもそも残留物の定義が曖昧。管理会社や家主が部屋の残留物を前入居者に一つ一つ確認していなければ、向こうの勝手で「それは残留品なので借主負担で直せ」ということができる。それなら結局ほぼすべての部屋の備品や設備について、借主負担で直させることが可能になる。
→「残留物の修理については借主負担」とは契約書には書いてない。何が残留物であるかも書いてはいない。それは「部屋の基礎設備であればオーナー負担で修理する」という「常識」に基づいたものではないのか? ちなみにうちのアパートの契約書にも残留物については記載していない。
・修理費用は軽微→軽微かどうかはこちらの判断する問題。
・「あなたと大家さんの意向が一致することはありません」→もはや言葉を失う。
☆課題
・契約書の問題
→借主負担になる項目のなかに、照明設備の故障については書かれていない。あくまで借主が故意または過失、不適切な手入れ、用法違反によって破損・損傷をもたらしたものについてしか、借主負担の負担となる修繕には含まれていない。貸主負担の項目の中には「柱等(借主の責任ではない破損等)」「設備機器の故障、使用不能(機器の耐用年限到来のもの)」とある。仮にシーリングらしき部分が消耗品・残留物であるとすれば、これは一体誰が修繕費用を負担するのかについては明記されていない。「常識的に」考えて、借主は照明に関してカバーの掃除と蛍光灯の交換しかしないのでは。
→「借主が入居中に行える修繕事項の内容」として、「電球・蛍光灯の取り換え」「ヒューズの取り換え」「その他費用が軽微な修繕」とあるが、それは借主が「行える」ものであり、「行わなくてはいけない」ものではない。
☆思うこと、本音
・覚えている限りで9回は引っ越しているが、シーリングの交換なんて自分でしたことがない。シーリングって消耗品である蛍光灯を取り付けるための基礎設備じゃねーの? 基礎設備だって経年劣化によって壊れるのは当然考えられることだろう? そもそもシーリングが壊れているのか隣の謎の四角い機械が壊れているのかもわからない。
・隣の和室のシーリングを付け替えてみろと言われた。
→だからシーリングの取り付け方が分からないって何度言ったら分かるんだよ。もし素人が勝手に交換して周りの壁を壊してしまうようなことになったら、弁償してくれるのか? 電気屋さんを呼んで交換してもらって、やっぱりシーリングの問題じゃない、と言われて、作業代請求されたら弁償してくれるのか?
・自分で「そんなにお金のかからない修理だと思う」っていうくらいならお前が払えよ… うちの母は1000円以上だったら軽微な額じゃないと言ってるぞ…
・大家さんからお金をもらって管理業務を委託されている以上、絶対に修繕費用は借主負担にしたいという状況は分かる。ちなみに大家さんとは私は直接話したことがないので、どういう人かは分からない。
・一旦契約してしまった以上、契約書に文句をつけられるのだろうか…?
・「残留物」がやはり気になる。少しネットで調べたが、残留物については借主負担だという意見が結構あった。しかしそれならば入居する前に、何が残留物で何が基礎設備かを書面ではっきりさせておくべきではないだろうか。繰り返しになるが、大家と管理会社は絶対にその辺を確認していない。だから、自分で修繕したくないと思えば「それは残留物」と勝手に言うことができる。
・部屋の故障に対応するパンフレットは消費者の錯誤を招くもので、消費者相談センターに相談するようなことになりますよ?と言ったら、どうぞそうしてください、と言いやがったが、私の履歴を知らないな… 消費者相談センターどころでなく、弁護士通して大家とやり合ってんだからな… どっちも勝ってんだからな… 御社のパンフレットが詐欺資料として警察に保存されることになるかもだぞ…
・今のご時世、圧倒的に貸主より借主の権利の方が強いのだが、何でここまで修理を拒まれるのか…? 別に借主としての権利をそこまで強く主張している気はないし、する気もないが、金銭の絡む契約的な問題について納得のいかないことについては泣き寝入りすべきではないと思う。しかし賃貸借契約の「常識」について、地域差があるのか…? たとえそうだとしても、消費者相談センターに地域差はそんなにないと思うのだが…
・最悪、どうしても承知しないのであれば、まじで消費者相談センターにした上で、電話での会話の録音をとり、TwitterFacebook、このブログで店名と担当者の実名をあげて、皆さんのご意見を伺うというかたちで公開するということにさせて頂く。
・そして最悪、どうしても承知しないのであれば、こちらで「残存物」とみなした照明器具・コンロ・排水管等を全て新調したうえで、退去するときにはそれを全てこちらで取り外させていただく。それは大家様の莫大な損害になると思いますが、それでもいいんですよね? 「残留物」なんだから。
・とにかく納得できる説明をもらえない限り、こちらで修理費用を負担するというのは筋が違うと思うし、この先別の何かが壊れたとして、今回のような前例ができてしまったら、何が壊れてもこっちの負担になってしまう。
☆母の意見
・シーリング交換しましたけどやっぱり壊れてます、と嘘をつき、とりあえず業者に来てもらって、直ったら「ああ、直りましたね」で終わらせては?
→業者が不動産屋と結託していて、これは元々シーリングが壊れているから、シーリングは消耗品だからあなたに修理代等を払ってもらいます、と業者に言われたらどうすんだ…?
☆覚えている限りで9回引っ越したうち、うちは2回しかまともな管理会社と大家に当たらず、あとはすべて法外な清掃料を取られたり(故意や過失で汚してもいないのに訳の分からない理由で敷金を半分しか返してもらえなかったり、10万以上とられたこともある)、契約した後で建物の外装料として100万を請求されたり(それは賃貸ではなく分譲マンションですが)している。その度に母が泣き寝入りしたりキレたりしていた。父は全く頼りにならず、なぜか相手側の味方になったり、「お前はこう言え」と自分で戦うことなく母に戦わせたりする人だった。それを借主としても貸主としても小さい頃から見てきているので、とにかく不動産屋や管理会社を名乗るものは本当にろくでもない、という認識しかない。私が一人で契約した不動産会社も、比較的良心的なところはハウスコムの吉祥寺店だけだった。今の時代、どこの会社も企業も利益を上げるのに大変なのは分かる。でも消費者としては、虚偽や訳の分からない理屈にはいはいと応じていたら生きていけない。個人的な経験から言いますが、不動産関係者には十分気を付けてください。あ、うちは前述しましたがかなり良心的な類ですよ。消耗品とか残留物とか関係なく、苦情がくれば、明らかに入居者の破損でない限り全額こちら負担で直すし。あまり交通の便はよくないですが、無料駐車場付き敷礼なしで、1ⅬDKで3~5万くらいの家賃だし(古い物件なので、いつ入居されたかと仲介する会社によってどうしても家賃が違ってしまうのですが。多分今は4万くらい)。ありがたいことに今は満室ですが…。「死ぬまでここに住みます」と言ってくれた入居者の方もいる(笑)。
☆ということを踏まえて、次の電話で戦います…orz

地獄の沙汰もジョイス~第3回ユリシーズ読書会メモ

www.stephens-workshop.com

「京都から深夜バスで東京までやってきて、未曽有の重量のカバンを持ち、ネットカフェを転々としながら読書会に参加した」者の、ユリシーズ読書会第3回(第二挿話)の予習&再調査のメモです。異常な長さなので更新が遅れてしまい、ブログに何度もアクセスしてくれた方、申し訳ございませんでした。このままだと前置きも長くなってしまうので、注意事項だけ書きます。

・この読書会に参加するにあたり、私のような予習や調査は必要ありません。柳瀬氏の訳による『ユリシーズ』を読み、何となく気になったところや分からなかったところなどを頭の隅に留めておくだけでOKです。どういう点に着目すればいいか、などのアドバイスは、事前に主催者の方がメールで送ってくれたりもします。とにかく気軽に読んで、気軽に参加し、気軽に発言してみてください。読書会の趣旨については上記サイトをご覧ください。

・そもそも、この「読書会メモ」は主催者の方々に長文の感想や不明な点をお伝えする代わりとして、そして素人なりにではありますが、せっかく調べたことを紙資料として自分だけで取っておくことがもったいない、という理由で書き始めたものだったのですが、当初の予想をはるかに超えたアクセス数を頂き、ありがたい、嬉しいという気持ちがあると同時に、自分のなかで戸惑いがあった、というのが率直なところです。というのも、他の記事を読んで頂いた方にはお分かりかと思いますが、このブログにはかなり個人的な内容も含まれており、こういった「真面目な」(という言い方はあまり適切でないかもしれませんが)記事と、過去のプライベートな記事を一緒に見られてしまう可能性があることに多少の抵抗がありました。当初は、他の無数の、半ば個人的なつぶやきに近い、多くの方に見過ごされてしまうようなブログを念頭に置いていて、私のなかでこのブログは「自分のアウトプットの練習のためのブログ」として始めたものであり、閲覧数が一記事につき数人程度の、ほぼ「誰にも読まれないブログ」として認識していました。ここまでアクセス数が多いならば、読書会専用の記事を別アカウントで書いたほうがよかったのではないか、とも思ったのですが、個人的な、かなりくだらない内容の記事も、読書会の感想のような比較的真面目な記事も、どちらも「私である」ということは否めず、また、そういうふうに記事を分けることが自分に対する一種の欺瞞であるようにも感じ、たくさんのアクセスを頂いた後でも、結局読書会に関する記事だけ別に発表する、ということはしておりません。もしかしたら、このブログ内の他の記事を読み、不快に思われたり軽蔑の念を覚える方もいらっしゃるかもしれません。が、前述した通り、これが「私である」以上、やはり読書会系の記事だけ別にすることはしません。また、どのような感想をお持ちになって頂いても結構ですし、それは仕方のないことだと考えています。一零細ブログではありますが、そのような形で自分を他者に対して「ごまかす」のが、やはり嫌なのです。今後読書会系ブログも含め、どのような記事を書くかは分かりませんが、書き方の工夫を考えつつ(長すぎるので)、このような感じで続けていけたらいいな、と思っています。批判やご意見等がございましたら、どなたでも遠慮なくお寄せください。(2020年3月13日追記)

・引用等の注釈につきましては、量が多いので少しずつ追加していきます。ご不便をおかけいたしまして申し訳ございません。まだ書かれていないもので出典についてのご質問等ございましたら、ご連絡を頂ければと存じます。(2020年3月11日追記)

 私もだいぶ疲れてきたので、早速スタートします。

(読書会で作成される言葉の地図の略称に合わせ、柳瀬訳をU-Y、丸谷才一らによる鼎訳(集英社文庫版)をU-Δと表記し、その後にページ数を書いています(挿話番号はepの後に表記されています)。ガブラー版はまだ持っていないため、引用部分を表記できません(申し訳ございません)。グーテンベルクのものを参照しているため、ガブラー版との差異が生じている可能性があることをご了承ください。)

 <目次>

 

<U-Y 49-52 ~授業・ブレイク・ミルトン・図書館・樹懶・アリストテレス~> 

・U-Y 49「なんという市が遣いを送った?」

 U-Δ 65「どの都市が彼を呼んだ?」

 “What city sent for him?”

 →“send for”で「招く、迎える、呼び寄せる」の意。U-Yは「彼のために」遣いを送った、と解釈するべきか?

 →「市(都市)はイタリア南端のギリシア人植民地タレントゥム。(U-Δの)「彼」はギリシアのエペイロスの王ピュロス(前319-272)。前281年、タレントゥムの招きによって海を渡ってローマ軍と戦い、前279年にアスクルムで敵軍を敗走させたが、味方も大きな損害を被った。勝利の喜びを述べた者に「また戦ってローマ軍に勝てばわれわれも全滅するであろう」と答えたという。のちギリシアに帰りアルゴスの内紛に加担したが、城門わきの狭い通りで乱戦に巻きこまれ、屋上から一人の老婆が投げた瓦のために落馬したところを討ち取られた、とプルタルコスは伝える」(U-Δ注)。注にあるようにピュロスの率いた軍はヘラクレアの戦い、アスクルムの戦いで勝利したが、自軍の被害も多かったことから、割に合わない勝利のことを「ピュロスの勝利」と呼ぶようになった。

・U-Y 49「目暗み顔が盲窓に問う」

 U-Δ 65「空ろな顔が空ろな窓にたずねた」

 “blank face asked the blank window”

 →「盲窓」:「普通は装飾窓(形だけの窓で採光や眺望の用をなさない)を言うが、ここは少年の問いに答えてくれない無表情な窓を意味しうる。物の描写に人間の動作や表情を当てるのはジョイスの特徴的な手法。次の「血まみれ傷だらけの本」(U-Δ)も同じ」(U-Δ注)。どちらの訳もblankの繰り返しを訳に反映している。

・U-Y 49「記憶の娘たち」“the daughters of memory”→「本来はギリシア神話の記憶の女神ムネモシュネの娘ら、すなわち9人のムーサ(ミューズ)たちを言う。個々のムーサは抒情詩、音楽、舞踏、歴史、天文学、その他を分担して司り、詩人に霊感を授ける。しかしロマン派の詩人・版画家ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は断章「最後の審判のヴィジョン」で独自の区別を設け、記憶の娘らは寓話(または寓意)を作り、霊感の娘らはヴィジョン(または想像力)を守るが、前者は後者に劣ると述べた」(U-Δ注)。この段落は(この段落だけでないことは追々分かるが)難解だが、読書会で主に歴史についてのイメージを描写しているとの説明があった(と思う…)

・U-Y 49「それからあの苛立ちの句、ブレイクの過度の翼の羽ばたき」

 U-Δ 65「だから、いらだちの言葉が、ブレイクの放逸の翼の重い羽ばたきが」

 “A phrase, then, of impatience, thud of Blake’s wings of excess”

 →放逸の翼(過度の翼):「ブレイクの箴言集『天国と地獄の結婚』(1790-93)から。「放逸の道は知恵の宮殿に至る」と「自分の翼で飛ぶ鳥はいくらでも高く飛べる」を組み合わせて。詩人のヴィジョンが作り出す神話は歴史を超越しこれを否定する、の意ととる。ギリシア神話ダイダロスクレタ島の迷路脱出用に作った翼とも重なるか」(U-Δ注)。この注の中のブレイクの箴言集からの引用だが、訳が間違っているのではないだろうか? 組み合わされた二つの詩の原文は“The road of excess leads to the palace of wisdom”と“No bird soars too high, if he sores with his own wings”である。最初の詩の訳は合っているが、二つ目の詩は「自分の翼で天がけるならば、鳥は高く飛びすぎる恐れなし」なので、「いくらでも高く」は飛べない。「過度の」道が叡智へと繋がり、自分の翼で飛ぶならば高く飛びすぎることはない(ダイダロスのように高く飛び過ぎて神の怒りをかい墜落することはない、つまり安全)とすると、過度の翼の羽ばたきは安全に叡智の元へ導いてくれると考えられるが、それがなぜ「苛立ちの句」なのか、この二つの詩の組み合わせが一体何を意味しているのか、注を読んでもよく分からない。

・U-Y 49「全空間の破壊が聞える、砕けるガラスと崩れ落ちる石造り、そして時は一個の青鈍の最後の炎」

 U-Δ 65「ぼくは全空間が廃墟となり、鏡が砕け、石の建築が崩れ落ち、時がついに一つの青白い炎となって燃えるのを聞く」

 “I hear the ruin of all space, shattered glass and toppling masonry, and time one livid final flame”

 →“hear”がどこまでかかるのかで二つの訳の解釈が違う。“glass”はU-Yではガラス、U-Δでは鏡。U-Δで「青白い炎」としている “livid”は「青黒い」の意なのだが…(U-Δは結構誤植が多いので、そのせいかもしれないが)

・U-Y 49「血糊傷にまみれた書」

 U-Δ 65「血まみれ傷だらけの本」

 “the gorescarred book”

 →「戦いの殺戮等を記述した歴史の教科書であり、同時に使い古されて汚れ傷ついた本。G(Gifford)はgoreの古義「汚れ」をとる」(U-Δ注)

・U-Y 49「かくのごとき勝利ふたたびあれば我らは破滅」→前述のピュロスの言葉。

・U-Y 49「さえない気休め」→上記の言葉を世界中が諳んじてしまったことが?

・U-Y 49「屍散らばる野を見下ろす丘から将軍が幕僚に演説をぶつ、槍にもたれながら。将軍も将軍なら幕僚も幕僚。そろって拝聴」

 U-Δ 66「丘の上から死体の散らばる平野を見おろし、槍にすがって、将軍は幕僚たちに語りかける。どの将軍も、どの幕僚たちにでも。彼らは耳を貸しはする」

 “From a hill above a corpsestrewn plain general speaking to his officers, leaned upon his spear. Any general to any officers”

 →幕僚…officer(将校、士官)。指揮官を補佐する高等武官、またはそれに準ずる者。この部分は恐らくピュロスが幕僚たちに話しかけているところを描写したものと思われるが、原文最後の“Any general to any officers”は「どんな将軍からどんな幕僚たちへでも」ということだろうか? それならこのgeneralは特にピュロスを指すものではなく、「どんな将軍からどんな幕僚たちに話された言葉でも、彼ら(幕僚たち)は耳を貸す」という意味だろうか? それに対してなぜU-Yが「将軍も将軍なら幕僚も幕僚」としたのかが分からない。原文にそのような意味があるのだろうか? 幕僚と拝聴で韻を踏んではいるが。

・U-Y 50「無花果巻き」

 U-Δ 66「乾イチジク入りロール」

 “figrolls”

 →「ダブリンのW&R・ジェイコブズ製の菓子で、イチジクをビスケットで巻いたものを言う。ロールは筒形のケーキまたはパイ」(U-Δ注)。

・U-Y 50「薄葉」

 U-Δ 66「薄皮」

 “tissue”

→薄葉…一般に極めて薄くすいた紙のこと。tissue…「薄葉紙、薄織物、組織」等の意。U-Yは詩的表現?

・U-Y 50「ヴァイコウ通り」

 U-Δ 67「ヴィーコ道路」

 “Vico Road”

 →「ドーキーの町の高級住宅街だが、循環歴史説を唱えたイタリアの哲学者ジャン・バッティスタ・ヴィーコ(1668-1744)の名前を連想させる」(U-Δ注)。とあるが、読書会でも確認した通り、現地の人はこれを「ヴァイコウ」と読むので、ヴィーコとの繋がりはあまりないと考えられる。あまりないとは言え、視覚的には同じVicoなので、全く関係がないとは言えないのではないかとも思う。ちなみに循環歴史説は、歴史は変化しつつ循環するとする考え(そのままの説明ですみません)。

・U-Y 50「ピュロスですかあ? ピュロスは、ぴゅろっとした桟橋」

 U-Δ 67「ピュロスですか? ピュロスはピア」

 “Pyrrhus, sir? Pyrrhus, a pier”

 →「ピア(桟橋):空堤。遊歩桟橋。夏の遊び場。社交場。桟橋上にキオスクがあり、楽隊の演奏などが行われる。ここは苦しまぎれの語呂合わせか(ピュロスは英語読みでピラス)」(U-Δ注)。U-Yは「ぴゅろっとした」という言葉をつけているのでまだ生徒のふざけ具合が分かるが、U-Δだと注を見ないと生徒がふざけて答えているのが全く分からない。

・U-Y 50「おかしくもないのに甲高く当てつけがましい笑い」

 U-Δ 67「陰気な、意地の悪い高笑い」

 “Mirthless, high malicious laughter”

 →mirthlessで「陰気な、楽しくない」、maliciousで「悪意のある、意地の悪い」の意なので、U-Δの方が直訳的。U-Yのほうは生意気な生徒のやり口に合わせた訳に思える。

・U-Y 50「愚かな嬉しげな横顔」

 U-Δ 67「間の抜けた嬉しそうな横顔」

 “silly glee in profile”

 →恐らくU-Yはsillyとgleeの音の重なりを反映したくて、「愚かな」「嬉しげな」と続けたのだろうが、普通なら「愚かで嬉しげな横顔」「横顔に愚かな嬉しさを見せて」などになると思う。ニュアンス的にはU-Δのほうが合っているように感じる。

・U-Y 50「キングズタウン桟橋」

 U-Δ 67「キングズタウン・ピア」

 “Kingstown pier”

 →「連絡港キングズタウン(cf.第一挿話)はサンディコーヴの北西にある。1821年、イギリス王ジョージ4世の訪問を記念してキングズタウンと名づけられたが、王は民衆の期待に反してアイルランド自治には冷淡であった」(U-Δ注)。ジョージ4世(George IV、1762‐1830、在位:1820 - 1830)魅力と教養により「イングランド一のジェントルマン」と呼ばれたが、放蕩な生活と政治的不能さにより、民衆の不満を買った。1821年、ジョージ4世はリチャード2世以来はじめて公的にアイルランドを訪れた国王となる。1797年にカトリック解放法案を提唱したため、カトリック解放を支持するものと広く思われたが、1813年に私的にカトリック解放法案への反対を説得して回ったことでその反カトリックな思想が明らかになり、1824年には公的にもカトリック解放を批判した。

・U-Y 50「おかしくもないのにわざとらしく」

 U-Δ 67「陰気に、意味ありげに」

 “mirthless but with meaning”

 →前出の「おかしくもないのに」と同じmirthlessが繰り返される。U-Δのほうでも「陰気」として同じ訳語を繰り返している。ちなみにwith meaningは似たような表現で“pregnant with meaning”(意味深長)という言葉がある。

・U-Y 50「知っているのだ」

 U-Δ 67「こいつらは知ってる」

 “They knew”

 →この子供たちは何を知っているのか、という問題。その前にある後ろの席の二人がひそひそ声を交わす、という記述、その後の、とうに無邪気でもない、という記述から、何か性的なことに関して隠れ話をし、先生に聞こえないように笑っているのではないかと考えられる。あるいは性的なこと以外でも、先生には聞かれたくない秘密の悪事かいたずらのようなことを話しているように思われる。第一挿話に出てくる赤毛のリリーが桟橋でいちゃいちゃしていた話のことを子供たちは「知っている」のではないか、と読書会で言及されていたが、赤毛のリリーは街でそんなに有名なのだろうか? それとも桟橋でそういうことをしていた、というのが子供たちの間で話題になっていたのだろうか? 

・U-Y 50「とうに無邪気でもない」

 U-Δ 67「無知ではない」

 “nor ever been innocent”

 →innocentが無邪気と無知で分かれているが、どちらの意味もある。余談だが、この間ツイッターで某有名な翻訳家の方が、innocentに無邪気と無知の両方の意味があるという事を初めて知った、と書いており愕然とした。人の無知を笑うことは決してできないのだが、名の知れたプロとしてあまりそういうことは言わないほうがいいのでは…(そういうことで信頼を失っては困る)と思った。余談終了。そして気づいてしまったので書くが、この“They knew……innocent”の部分、過去完了になっているが、訳はどちらとも「知っている」以降が現在形だ。「知っているのだ」の後に続けるならば、「とうの前から誰に教えられたのでもなく、無邪気でもなかったのだ」のように「知っている」より時制を前にしたほうが原文に近いのではないだろうか?

・U-Y 50「イーディス、エセル、ガーティー、リリー」→最初は誰の事なのか分からなかったが、読書会で彼女たちはスティーヴンが大学時代に交流した女性たち、という指摘があった。『肖像』などに出てくるんでしょうか?

・U-Y 50「ブレスレットがもがきながらくつくつ笑う」

 U-Δ 67「いちゃつくたびに、腕輪がくすくす笑った」

 “their bracelets tittering in the struggle”

 →U-Δから、スティーヴンと前述の女性たちの間でそういったことがあったのだろうな、と予想されるが、U-Yでは割と直訳的(struggleは「もがく、じたばたする」の意)なのでそこが分かりにくい。これもジョイスの他の作品を読めば分かることなのだろうか?

・U-Y 50「がっかりの橋」

 U-Δ 67「当て外れの橋」

 “a disappointed bridge”

 →「①前述の歴史の経緯を指して。ほかに失意の亡命者がヨーロッパへ出ていく場所だから。スティーヴンがパリ留学の不首尾(→第三挿話)を思い出したから、などの解釈もある。②disappointedの古義「職を解かれた」「装備を剥がれた」と、二つの地点を結びつけることのない桟橋の形状をからめて、「出来そこないの橋」でもある。③『ハムレット』の亡霊の台詞。unhousel’d, disappointed, unanel’d (「聖体も授けられず、心構えも与えられず、終油も施されず」一幕五場)と母の死を結びつけて。スティーヴンの母は臨終の秘跡を授けられたはずだが、彼は最後の祈りを拒んだゆえに良心の呵責を感じている」(U-Δ注)。その他にも、彼が後に「ヘインズの行商本向きだ」などと考えていることから、キングズタウン桟橋にまつわる歴史や自身の体験などを思い出して「がっかり」と言っているのかもしれないと思う。

・U-Y 51「ヘインズの行商本向きだ」

 U-Δ 68「ヘインズのチャップブックにお誂え向き」

 “For Haines’s chapbook”

 →「行商本(チャップブック):17世紀から19世紀にかけて、行商人によって流布した小冊子。内容は大衆向けの物語、バラッド、滑稽譚、謎かけ、実用書など。スティーヴンはヘインズの手帖をこれに見立てて軽蔑した」(U-Δ注)。

・U-Y 51「主人の宮廷に仕える道化、お目こぼしに与り蔑ろにされ」

 U-Δ 68「大目に見てもらい軽んじられる宮廷道化師」

 “A jester at the court of his master, indulged and disesteemed”

 →「18世紀のゴールドスミス、シェリダンから19世紀末のワイルドにいたるアイルランド生れの喜劇作者たちを指して。ジョイスは批評「オスカー・ワイルド」で、彼らは文壇で名を成すためにイギリス人の宮廷道化師となって御機嫌をとらねばならなかった、と述べて、その境遇を思いやった。「みんな」(U-Δ)はこれらの喜劇作者たち」(U-Δ注)。jesterは中世の王侯や貴族に雇われた道化師、indulgedは“to treat with excessive leniency, generosity or consideration”(甘やかす、大目に見る)の意味。この段落はヘインズの胸の内を突き刺す、主人の宮廷に仕える宮廷道化師などの記述から、ハムレットのことも連想させる。

・U-Y 51「己の国土は質屋だから」

 U-Δ 68「自分たちの国は質屋みたいなものなんだ」

 “their land a pawnshop”

 →アイルランドの一切が他人(イギリス)の所有物だから。landとaの間にwas likeが省略されているのだろう。アイルランドが自国のものの全てをイギリスから預かっているだけの状態、と考えれば、アイルランドは質屋、ということになるが、アイルランドが自国のものを全て質に入れて現金をもらっている、生計を立てている、イギリスに頼らなければ生きていけない状態、と考えると、イギリスのほうが質屋になってしまう。ここは深く考えずに前者の考え方を取るべきか。

・U-Y 51「どちらも頭の中で解き放してやることはできない」

 U-Δ 68「考えて消してしまえるわけじゃなし」

 “They are not to be thought away”

 →原文を直訳すると「それらを忘れてしまうことはできない」。ちなみに“not to be thought away”は現代英語では「なしでは考えられない」という意味になるが、think awayで“avoiding a train of thoughts by changing your thoughts to another topic”(別のことを考えることで一連の考えを続けるのを避ける、考えて~を去らせる)、“think away”(忘れようとする)の意味がある。また、to beは可能・運命の意味だろう。U-Δはほぼ原文通りの訳になる(≒忘れることができるわけじゃない)。U-Yの「解き放して」はコンテクストを重視したものか(cf.その後に出てくる「足枷をはめられて」)。それとも「助けてやる」くらいの意味としてとらえているのか。

・U-Y 51「時が二人に烙印を押し、足枷をはめられて二人とも己らの追放した無限の可能性の部屋に留め置かれているのだ。しかしそういった可能性はつまりは実現しなかったのだから、それはそもそも可能でありえたのか?」

 U-Δ 68「時が二人に烙印を押したのだから。二人は足枷をはめられて、自分が追い払った無限の可能性と一つの部屋に閉じ込められたのだから。でも、そういう可能性はつまりは実現しなかったのだから、可能だったと言えるのかな? それとも、実現したものだけが可能だったのかしら?」

 “Time has branded them and fettered they are lodged in the room of the infinite possibilities they have ousted. But can these have been possible seeing that they never were? Or was that only possible which came to pass?”

 →fetteredの後にコンマが入るともう少し分かりやすい文章。“seeing that they never were”は彼らがそうならなかったことを考えると、の意味。その後のthatはwhich以下のこと。passには“happen, occur, take place”の意味があるので、U-Δの最終部分が直訳に近い。彼らはシーザーとピュロス。「(時によって彼らは)彼らの追い払った無限の可能性の部屋に閉じ込められる」というのは、我々が彼らについて永遠に考え続けることしかできない、ということだろうか? でも「そんな可能性は実現しなかった」→忘れ去られた、ということ? それならばtheyはピュロスやシーザーのような名将だけではなく、歴史上に生れ、死んでいったすべての人たちに当てはめることもできるだろうか? だから、実現したもの=忘れ去られずに無限の可能性の部屋に留め置かれただけが、忘れ去られずに記憶の中で生きることが「可能だったのか」? ここもU-YとU-Δで多少ニュアンスが違うというか、U-Yでは最後の二文を一つにまとめてしまっている。理由は分からない。U-Y 50の「イーディス、エセル…」辺りからこの段落までは、パリ―ジョーク―ヘインズ―劇作家―ピュロス、シーザーと連想が繋がっている。

・U-Y 51「織るがいいさ、空談を織る者」

 U-Δ 68「織るがいい、風の織り手よ」

 “Weave, weaver of the wind”

 →「観念をもてあそぶ者の意味か。そのほか古代アイルランドの予言の術と結びつける説や、ギリシア神話で人間の運命を織る三人の女神を指すとする説がある。第一挿話では、異端者たちを「風を織る者たち」(U-Δ)と呼ぶ」(U-Δ注)。スティーヴンが自分自身に言っているような印象がある。「空談を織る者」については注にある通り、第一挿話中の異端者についての記述の中で出てくる。前回のブログからもう一度その意味についての考察を抜粋すると「U-Y 41「空談を織る者すべてを必ずや空虚が待ち構える」→「空しい言葉を操る者たち。甲斐のない仕事を続ける者たち。出典に「イザヤ書」19.9「白布を織るものは恥じあわて」他をあげる説もあるが、直接の関わりがあるとは思えない。第二挿話の「織るがいい、風の織り手よ」を併せてみると、むしろ古来の諺「言葉は風にすぎぬ」(Words are but wind)がスティーヴンの念頭にあるようだ。『オクスフォード版イギリス諺辞典』では13世紀初頭の『尼僧の戒律』やシェイクスピア『間違いの喜劇』他の用例をあげている」(U-Δ注)」ちなみに注の中にある運命の三女神はモイラ(Moira)。幾つかの伝承があるが、クロートー、ラケシス、アトロポスの3姉妹とされる。モイラは元々ギリシア語で「割り当て」という意味。寿命、死、生命などとも関連付けられ、出産の女神であるエイレイテュイアとも繋がりが生じ、やがて運命の女神とされた。最初はモイラだけで一人の女神であったが、後に三人の女神で一組となり、複数形のモイライ(Moirai)と呼ばれる。人間の運命は、モイラたちが割り当て、紡ぎ、断ち切る「糸の長さ」やその変容によって考えられた。まず「運命の糸」を自らの糸巻き棒から紡ぐのがクロートー(Klotho,「紡ぐ者」の意)。その長さを計るのがラケシス(Lakhesis,「長さを計る者」の意)。最後に長さを計られた糸を、三番目のアトロポス(Atropos、「不可避のもの」の意)が切ることで、人間の寿命は決まるとされた。この段落も難解。

・U-Y 51「してください、お化けの話」→これをスティーヴンが無視しているのはお化け(幽霊)から母親を思い出すから、という説がある。

・U-Y 51「泣くのをやめよ」

 “Weep no more”

 →スティーヴンに言っているように感じられる。

・U-Y 51「ちらちら盗み見しながら突っかえ突っかえ暗誦を始めた」

 U-Δ 69「彼はちらちら本に目をやり、ぎくしゃくしながら詩を暗誦するふりをした」

 “He recited jerks of verse with odd glances at the text”

 →jerks of verseは直訳すると「詩のひきつり」(得意の擬人化か)。トールボットは鞄の陰に教科書を隠しているので、実際には暗誦していない。U-Yではトールボットが教科書にちらちら目をやりながら読んでいるので、つっかえつっかえ、という表現をしているものか。U-Δの「ぎくしゃく」は、そういった読みにくさも感じられるが、先生に見つかるのではないかというような不安も感じさせる。スティーヴンは彼が教科書を見ながら暗誦していることを恐らく分かっているのだろう。そして、生徒たちはスティーヴンをナメている。そう考えると、トールボットはやはり暗誦していないことを見つかることを不安に思っているより、教科書に目をやりながら暗誦しているふりをするのが読みにくいから、「つっかえつっかえ」読んでいるのだという解釈のほうがふさわしいような気がする。U-Yの「ちらちら」と「突っかえ突っかえ」の繰り返しは、jerksとverseの重なりを意識したものか。

・U-Y 52「泣くのをやめよ、嘆きの羊飼ら、泣くのをやめよ、/汝らの悼むリシダスは死せるにあらず、/たとえ水底に沈みたるも……」

 U-Δ 69「泣くな、悲しむ羊飼たちよ、泣くな、/そなたらの歎きの元、リシダスは死んだのではない、/たとえ水底深く沈んだにしても……」

 “Weep no more, woeful shepherds, weeo no more / For Lycidas, your sorrow, is not dead, / Sunk though he be beneath the watery floor...”

 →「リシダス」("Lycidas")はジョン・ミルトン(John Milton, 1608 - 1674)による牧歌的哀歌。ミルトンはイギリスの詩人。全訳した稲用茂夫氏の訳文に短い解説的な論文が掲載されており(というか稲用氏が論文として全訳をした)興味深い内容なので適宜抜粋と難しい部分の書き直しを加えながら挙げさせていただく。

「この詩の中での「水」は主役リシダスの生命を奪った元凶として、冷酷な現実を象徴する。この作品の構造は導入部(14 行)と結論部(8行)を除けば、詩神(ミューズ)への呼びかけで始まる三部分から成り(15−84 行,85−131 行,132−185 行)、この三部分はそれぞれが「詩的高揚感」で締めくくられ、その三回にわたる「累積的効果」が主役リシダスの神格化の美を生み出すように意図されている。各部分の牧歌風の呼びかけと「詩的高揚感」との間には、イングランドの、しかも「水」に関連をもつ地名をともなう中間部が挿入されている。第一部(15−84 行)では牧歌風の導入部の後で、詩人音楽家オルペウスがトラキアの女たちの怒りを買い、殺されて死体を八つ裂きにされ、ヘブロス川に投げ捨てられ,やがてその頭部と竪琴は海を越えてレスボス島に流れ着いたという伝説に触れる。「水」が「詩人」志望のリシダスの生命をもてあそぶことの寓意化である。詩神フォイボス(アポロン)が現れ、超人間的な声をもって、詩人としての名声を最後に授けるのは「すべてを裁く大神ユピテル」なのだ、と諭すことで、現実を超越する世界の存在が暗示される。第二部(85−131 行)では海神トリートーンとイングランドのカム川の老守護神ケイマスが現れて、リシダスの死因について「水」に詰問する。続いて聖ペテロが登場し、預言者的な語勢で、聖職者階級の堕落を糾弾する。聖ペテロはガリラヤ湖を(不完全ながら)歩いた人物である(マタイ福音書、第14 章22 節−33 節)。つまり「リシダス」の文脈に即して言えば,「水」に象徴される現実に不完全ながらも打ち勝ったという伝説の持ち主である。聖ペテロは、「水」が象徴する現実の世界を詰問する。この場合の現実の世界は宗教界であるが、その世界がどうしてリシダスを受け入れなかったのか、と聖ペテロが詰問するのである。聖ペテロは、リシダスを受け入れるに足る真に聖なる教会は、神の裁きの後に到来する、と考える。第三部(132−185 行)はリシダスが黙示録的な救いの世界に迎え入れられる部分である。コーンウォル西南端の聖ミカエル山に呼びかけ、その付近の海底を訪れているかも知れぬリシダスのために嘆き給え、と歌われる。この第三部では、現実を象徴するイングランドの地名が言及された直後に、溺死体を浜へ運び上げてくれるイルカ——キリストの象徴——が登場する。「リシダス」は、詩と宗教から放逐された魂が神の国に迎え入れられるという彷徨の図式をもつ。主人公リシダスは叙事詩的な高まりを三度経験しながら、最後に黙示録的な世界に迎え入れられる。「水」の完全支配の世界に発して、「水」の支配を不完全ながら脱する世界を通り、最後に「水」の支配を全く受けない世界へと、リシダスはこの三世界を遍歴し、徐々に上昇して、リシダスは「海浜の守護神」の地位を占めることになる」*1

 リシダスについては、詩の中で「みずから調べ高い詩歌に秀でた彼が」と歌われているので詩人としてとらえていいと思う。「水」に囚われた詩人が「水」の世界を脱し、超自然的な世界を経て現実世界に打ち克ち、救いを得る、というのが今後の展開を予想させる。ちなみに本文中での引用部分は、詩全体の第三部にあるものと思われる。水底には沈んでしまったが、救済されたことを示す場面だ。

・U-Y 52「すると一つの運動でなければならないわけだ、つまり可能としての可能態の一つの現実態」

 U-Δ 69「だからこれは、つまり可能なものとしての可能態が現実態になることは、一つの運動でなければならない」

 “It must be a movement then, an actuality of the possible as possible”

 →「アリストテレスは『霊魂論』第二巻第五章で、可能態において知識者であるものが、文章を理解するという知的活動によって現実態における知識者となる、という趣旨を述べた。Gは『自然学』第三巻第一章の、可能態として存在するのを実現するのは一つの運動である、という一節を挙げている」(U-Δ注)。アリストテレスが出てきます。恐らく、スティーヴンは授業の内容についてはほとんど上の空なので、U-Y 51の“Or was that only possible which came to pass?”のpossibleからpossible(可能態、可能)が連想されただけなのではないかとも思う。U-Δの「これ」はU-Y 51で示された、「そんなことはありうるのか(可能なのか)?」という問いに対応していると思われる。読書会では、結局可能態というのが、歴史認識において個々の事象が様々な展開を繰り広げる可能性を持つこと、とごくあっさり説明されていたが(というかあの限られた時間でアリストテレスの問題に首を突っ込むことは不可能)、『肖像』のほうにもアリストテレスについての言及はなされているし、せっかくなので、不完全ながらアリストテレスとこの辺りの全くよく分からない記述について考えたことを記しておく。

  ・とりあえず、質料(可能態)=まだ何ものでもない何か、何かになりうる可能性を持つ何か

  ・形相(現実態)=本質、具体的個物として存在しうる状態

  という言葉の意味を押さえておいてほしい。その上で、アリストテレスの自然哲学の基本の一つとして、「質料が形相によって存在する」こと、質料は形相への移行、同一化によって具体的個物となる、という大前提があり、アリストテレスはこの移行という「運動」の相に非常に重きを置いている。そして、

  「形相は質料に内在する」、つまり本質というものは何ものでもない何かの中に既に存在しているものである。ここから、「可能としての可能態の一つの現実態」という文章は、スティーヴンという未だ何ものでもない若者が、自身の中にある本質(芸術家の魂)によって詩人になるという示唆に繋がると考えられる。アリストテレスについてはこの後も出てくるので、随時自分なりの考察を記していく。

・U-Y 52「ぎくしゃく声」

 U-Δ 69「口早にしゃべり立てられる詩句」

 “gabbled verses”

 →gabbleは“to utter inarticulate sounds with rapidity”“Confused or unintelligible speech”、つまり早すぎて不明瞭に話す、または分かりにくい、理解できない話、の意味。U-Δはほぼ原文通りだが、U-Yで「ぎくしゃく声」としているのは、トールボットのつっかえつっかえの暗誦と重ね合わせているのか?

・U-Y 52「パリの罪」→スティーヴンがパリで遊んでいたのか? それとも頽廃した悪徳の町としてパリをイメージしているのか?

・U-Y 52「シャム人」→タイ人のこと。

・U-Y 52「用兵学」:用兵…戦争で兵を動かすこと、また、戦争での兵の動かし方。

・U-Y 52「おれの周りの、詰め込んだうえになおも詰め込む脳みそのかずかず」

 U-Δ 70「ぼくのまわりには養分を受け入れ、養分を与える頭脳たちがいた」

 “Fed and feeding brains about me”

 →この段落は恐らくスティーヴンのパリ時代の図書館内での描写だが、二つの訳で解釈が違っている。U-Yのほうは、Fedが脳みそに詰め込まれること、feedingが更に自ら脳みそに詰め込むこととし、Fedされるのもfeedingするのも同じ主体であるが、U-Δの場合、Fedは養分を受け入れる頭脳、feedingは養分を与える書物としてとらえている。どちらともとれるように思うが、周りの勉強熱心な学生たちの様子からしてU-Yの「詰め込んだうえになおも詰め込む」という解釈のほうが雰囲気に合っているような感じがする。

・U-Y 52「白熱灯の下、串刺しになって、かすかに蠢く触覚をゆらす」

 U-Δ 70「白熱灯の下で、釘づけになって、かすかに触角をふるわせながら」

 “under glowlamps, impaled, with faintly beating feelers”

 →まず、U-Yの「触覚」は誤植ではないだろうか?(feelerは触角、虫の頭部などにある角のようなひげのような部分)「触覚」は五感の一つだ。そしてここでも二つの訳で若干ニュアンスが違う。impaled(突き刺す、串刺しにする、固定する、身動きできなくなる、の意)をU-Yでは「串刺しになって」と訳し、U-Δでは「釘付けになって」としている。U-Yでは図書館の机に一列に学生たちが並んで座っているイメージが思い浮かぶが、U-Δでは学生が皆熱心に本を読んでいる印象、本に釘付けになっているイメージが思い浮かぶ。そして、「かすかに触角をふるわせながら」という表現からは、学生たちが勉強しながらも互いに周囲の学生たちの様子を窺っているような印象を受ける。

・U-Y 52「そしておれの心の闇の中で冥界の樹懶の牝が一匹、嫌がりながら、明光を恐れながら、竜鱗のような襞をひくひく動かす」

 U-Δ 70「ぼくの心の闇のなかで、意識下に住まう怠惰が光にさらされるのを嫌いながら、仕方なげに、竜の鱗に覆われたとぐろを動かした」

 “and in my mind’s darkness a sloth of the underworld, reluctant, shy of brightness, shifting her dragon scaly folds”

  →まず、slothについて考えてみると、ナマケモノ(樹懶)の意のslothは可算名詞だが、怠惰の意味では不可算名詞だ。aがついているのでここではナマケモノのことか、と思うが、ナマケモノは光を恐れないし、襞もとぐろもない(襞はどこか詳しく探せばあるのかもしれないが、外見で一見して襞と分かるような目立った特徴はない)。怠惰、と言えば七つの大罪の一つだ。その寓意画のようなものを探したところ、タブロー・ド・ミシオン(tableau de mission ミシオンの絵、ミシオン用図版)というものが見つかった。ミシオンとは1970年代頃までのフランスで盛んに行われた、教区民の信仰心を高めることを目的とするカトリック教会の運動で、農村部を中心とした各地の教区において、約10年~15年に一度説教師を招き、説教、ミサ、祈祷会、食事会など様々な催しが一週間ほど行われる。タブロー・ド・ミシオンとは、民衆のためにカトリックの教えを視覚的に表した宗教教育用の図版で、ミシオンで使用されることにその名の由来がある。画面に大きく描かれた人間の上半身の大部分を心臓が占め、その中に様々な象徴を描き込んだ作品が多く、様式は稚拙であるが豊かなメッセージ性を持つ。絵のテーマはほとんど常に天国と地獄で、祈り、喜捨、禁欲、節制、苦行などの善行を象徴する事物と天国の様子、及び飲酒、賭け事、虚栄などの悪行を象徴する事物と地獄の様子が描かれる。その中で私が見つけたのは以下の図版(フランソワ=マリ・バラナンの本の挿絵*2。タブロー・ド・ミシオンの一つ)で、怠惰の象徴としてカタツムリが描かれている(動きが遅いからだろう)。

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フランソワ=マリ・バラナンの本の挿絵。タブロー・ド・ミシオンの一つ。ハート型の体の一番下にカタツムリがいる。

 カタツムリには襞はあるが、竜の鱗のようなものではない。foilという言葉がなぜU-Δでとぐろとされているのか調べてみたのだが、foilには“a coil, or bend, as a rope”という意味があり、つまりロープをくるくる丸めたような渦巻き型のものを指している。これはカタツムリの殻にも同じことが言えるのではないか、と思った。が、やはり「竜の鱗のような」という表現が引っかかる。結局スティーヴンがここでイメージしているのは、まずナマケモノではない。ただ、竜の鱗のような襞やとぐろを持つ、想像上の「怠惰」のモンスターのようなものではないかと思う。その意味で、U-Yの「樹懶」は違うのではないだろうか。また、ここではスティーヴンの「心の闇」と図書館の明るい白熱灯との対比も表されている。そして、underworldをU-Yでは「冥界」、U-Δでは「意識下」としている。underworldには「よみの国」という意味があるので、U-Yの方はほぼ直訳だ。U-Δはなぜ「意識下」としたのか。worldを調べてみると、“the sphere or scene of one’s life and action”という意味があったので、「個人的な世界の下部」的な意味と文脈から「意識下」を用いたのかもしれない。

・U-Y 52「思惟とは思惟の思惟なり」

 U-Δ 70「思考とは思考について思考することである」

 “Thought is the thought of thought”

 →「アリストテレス『霊魂論』第三巻、「理性自身も、思惟される対象と同様に思惟されるものである」を指している。前段の「織るがいい、風の織り手よ」(U-Δ)を受けてもいる。また、「思考とは思考の思考である」と解釈するなら次の「魂とは形相の形相である」(U-Δ)のもじりになる。この文も、「主格的属格」と「対格的属格」の例になりうる」(U-Δ注)。アリストテレスに戻るが、「思惟とは思惟の思惟なり」を『霊魂論』を読んで自分なりに考えてみたところ*3(途中経過は長すぎるので省略)①理性的思考も思考対象から作用を受けることで成立する。②作用を受けるとは、可能態にある思考が現実態へと移行することである。③つまり、理性が思考対象について思索することとは、可能態である理性が形相である思考対象と同化することで、現実態となることである。④すなわち、思惟(思索すること)とは、思惟(質料としての理性)の思惟(形相たる思索対象と同化し、現実態になること)…なのか? 注の中にある「主格的属格」「対格的属格」についてもよく知らないのだが(ラテン語をやっていればよく分かるだろう)、恐らく例文を用いると、love of Godが「神の愛―神によって発せられる愛」となるとき、このofはGodを主格(主語)とする属格であり、「神の愛―神への愛」となるときのofはGodを目的語(対格)とする属格である、という感じで、注に挙げられた二つの文は主格的属格のofと対格的属格のofの違いの例になる、ということだと思う(自信はない)。

・U-Y 52「霊魂とはいわば存在するもの一切なり」

 U-Δ 70「魂とは、いわば、存在するもののすべてである」

 “The soul is in a manner all that is”

 →「『霊魂論』第三巻*4より」(U-Δ注)。アリストテレスのこの言葉はかなり物議を醸したらしい。本文中のこの言葉に対応する部分は、「魂はある意味ですべての有るものである」*5という言葉だと思う。魂とは、感覚作用と思考作用そのもののことだ。感覚能力の成立、思考能力の成立は、感覚する(思考する)主体(可能態)が、感覚されるもの(思考されるもの)・感覚(思考)対象の形相を受け入れ、それと同化することで実現される。すなわち、既に現実態となっている感覚(思考)対象の形相と可能態である主体が形相の上で同一化する。この主体(魂)と客体(すべての事物)との形相における同一化をもって、アリストテレスは「魂はある意味ですべての有るものである」と述べている。

・U-Y 52「霊魂とは形相中の形相なり」

 U-Δ 70「魂とは形相の形相である」

 “the soul is the form of forms”

 →「『霊魂論』第三巻の「理性も形相の形相である」を踏まえて。形相は一つの事物を他の事物と区別する本質的な特徴。霊魂(プシュケ)は人間を含めてあらゆる動植物に備わる形相だが、理性(ヌース)は人間にのみ備わる形相。従って、人間の霊魂のなかにある理性は「形相の形相」である。平たく言えば、人間を他と区別する最も本質的な特徴の意。知性、精神と訳されることもあるが、スティーヴンはこれを「魂」(U-Δ)the soulと訳した。」(U-Δ注)。注だけで充分かもしれないが、やはり調べたことを書き記す。感覚能力及び思考能力としての魂もそれ自体は無形相である(形相を持っていない)が、形相を受容するための一種の「道具」であり、全ての形相と一体化することができるので、一種の形相である。それゆえ魂は「形相の中の形相」と言える。これは手と道具の比喩で喩えられており、手は道具のための道具であるというとき、手は道具を使うための道具であるという意味である。これ以上説明すると私も読む方もこんがらがってしまうと思う。というのも、この『霊魂論』のなかで、アリストテレスはあまり首尾一貫した叙述をしていない。霊魂(魂)と理性・知性は時に同一視され、魂の定義はできないと言いながら魂とは○○であると突然定義が出てきたりする。身体にとって魂は形相であるかもしれないが、感覚・思考対象の形相にとって魂は形相を受容する場所であり、そのことは魂自身が形相であるという根拠にはならないと思う。魂の働きの一つである理性は、人間の本質という意味で形相と言えるかもしれないし、理性の働きとして他の形相を受容するならば、理性は形相の形相とは言えると思う。ただ、魂については正直に言って納得しきっていない。かと言って、これ以上追究する気はない。少なくとも私は、これについてはそういうものだと思うしかないと思っている。でないとトールボットが先へ進めない。この段落では、アリストテレスはともかく、図書館にいる学生たちが、スティーヴンの心の中のモンスター的イメージも含めて、虫や獣の特徴を含めて描かれており、恐ろしく、不気味な印象を与える。

<U-Y 52-56 ~謎なぞ・狐・シリル・サージャント・蝸牛・ムーア人~>

・U-Y 52「波上を歩み給いし主の御力によりて、/主の御力によりて……」

 “Through the dear might of Him that walked the waves, / Through the dear might...”

 →「『リシダス』の一節。「マタイ伝」14:25「イエス海の上を歩みて、彼ら(弟子たち)に到り給いしに」を指して」(U-Δ注)。リシダスに関しては前に挙げた通り。

・U-Y 52「次をめくって」→やっぱりスティーヴンはトールボットが隠れて教科書を見ていることを分かっていた。

・U-Y 53「ここでもやはりこの子らのいじけた心に主の影は宿りそしてまたこのとぼけ者の心と唇にもおれの心と唇にも」

 U-Δ 71「ここにも、こいつらのけちな心にも主の影がおよんでいる。あの嘲笑する男の心と唇にも、ぼくのにも」

 “Here also over these craven hearts his shadow lies and on the scoffer’s heart and lips and on mine”

 →「嘲笑する男(とぼけ者):マリガンのこと」(U-Δ注)。U-Yでは原文通り一文で訳しているが、U-Δでは二文に分けている。scofferは嘲笑う人、馬鹿にする人、大声で叫ぶ人、食べ物をがっつく人、などの意味があり、注ではマリガンのことと言っているが、馬鹿にする人という意味では、トールボットも生徒として(他の生徒と同じように)教師であるスティーヴンを、口には出して言わないが馬鹿にしている。また、とぼけ者という形容があまりマリガンには合わないような気がする(トールボットに対する形容のほうがふさわしい)。しかし文章の前半で「この子らの」というように生徒たちのことをまとめて指しているので、やはりここのscofferはマリガンのことなのだろうか。his shadowは主の影だが、hisは大文字にしないのだろうか? また、his shadowは子供たちの心にはlie overしているが、とぼけ者と自分の心にはlie onしている。lie overのほうは、どちらの訳でも「およんでいる」「宿っている」としているが、とぼけ者と自分の心にはこの動詞と前置詞は反映されていない。lieは普通onを取ることが多く、「~の上に座っている、横たわっている」等の意味になるが、lie overだと「覆っている、たれこめる」といった意味になる。そういう意味ではU-Δのほうがlie overに関しては適していると思われる。この「子供たち」と「とぼけ者と自分」とで前置詞を変えたのはなぜだろう? そしてなぜU-Yではそれを訳出しなかったのだろう?

・U-Y 53「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」→「「マタイ伝」22.21「カイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ」より。イエスが自分を罠にかけようとして皇帝に納める銀貨を見せた人々に言った」(U-Δ注)。有名な言葉。

・U-Y 53「黒い瞳の長い凝視、教会の機で幾度も幾度も織られていく謎かけの文句。久に」

 U-Δ 71「黒い目がじっと見つめる。教会の織機で織り直され、織り返される謎に満ちた言葉。まことに」

 “A long look from dark eyes, a riddling sentences to be woven and woven on the church’s looms. Ay” 

 →「黒い瞳(黒い目):イエスの答えを待ち構えるユダヤ人たちの目か」(U-Δ注)。U-Yの「黒い」と「長い」はlongとlookを反映したものか。“woven and woven”はU-Yで「機」と「幾度」という漢字で視覚的に繰り返しが反映されているように思われる。U-Δのほうでも、「織り直され、織り返され」というふうにこの部分は訳出している。U-Yの「謎かけ」という言葉だが、謎かけはなぞなぞとは厳密には違う。謎かけは複式なぞ、三段なぞなどと呼ばれるもので、「○○とかけて××と解く、その心は△△」というよく笑点なんかで耳にする言葉遊びだ(U-Yではもちろんそれを意味はしていないと思うが)。Ayは①“Ah! alas”、②“Alternative spelling of aye (yes)”、③“(archaic, poetic or Northern England)Always, ever, continually, for an indefinite time”等の意味があり、U-Yでは ③を、U-Δでは②の意味をとっているのではないかと思う。

・U-Y 53「謎々なあに、なんじゃらほい、/父さん畑に蒔く種くれた」

 U-Δ 71「この謎なあに、この謎なあに。/父さんが種まきの種くれた」

 “Riddle me, riddle me, randy ro. / My father gave me seeds to sow”

 →「「種は黒くて地面は白い。この謎解いたら笛あげよ」とつづく。答えは字を書くこと。オーピー夫妻編『オックスフォード伝承童謡集』(1955)には「土地は白くて種は黒い。この謎解いたら立派な学者」とある」(U-Δ注)。ここで謎々が、恐らくスティーヴンの心の中だけで出てきたのは、前出の教会で織られ続ける謎に満ちた言葉から繋がるものか。U-Yのほうが、原文と同じく日本語として読んでリズムがいい。このなぞなぞは歌にもなっているらしい。また、ここに出てくる「父さん」はハムレットの父であり、種をくれたのは復讐のため、という意見もあるが、この作品に出てくる父子関係を全てハムレットに当てはめてしまうのはどうかと思う。

・U-Y 53「半日休みです。木曜日です」→木曜日が半日休みなのは私立の学校だからだろうか? 学校によって休みの日が違うのだろうか? また、この後子供たちは校庭へホッケーをしに行くが、それは授業ではなく放課後の遊びのようなものなのだろうか? それならディージー校長が生徒の整理をする必要もないように思えるが、向こうの(あるいは当時の)生徒の管理の感覚とこちらの感覚にはどのような違いがあるのだろうか? ちなみにホッケーは当時のアイルランドでメジャーなスポーツだったのだろうか? という疑問が読書会で上がったが、ホッケーはイギリスのスポーツで、アイルランドハーリングと呼ばれるホッケーに似たスポーツが盛んであるらしい。ディージー校長は親英派なので、子供たちにホッケーをやらせているのだろう。

・U-Y 54「雌鶏鳴いた、/空青かった。/天の鐘打つ/十と一つ。/かわいそうなこの魂/今から天へいざ旅立つ」

 U-Δ 72「雄鶏が鳴いた。/空は青かった。/天の鐘が/十一時を打った。/このあわれな魂が/天国へ行くときだ」

 “The cock crew, / The sky was blue: / The bells in heaven / Were striking eleven. / ‘Tis time for this poor soul / To go to heaven”

 →「P.W.ジョイスアイルランド英語ありのまま』(1910)が極めて難解な謎なぞの例にあげた。謎は「この謎解いて、この謎当てて。ゆうべ私が見たのはなあに? 風が吹いた(The wind blew)、雄鶏が鳴いた…」と始まり、「私のあわれな魂が(my poor sowl)…」で終わる。スティーヴンはこれを「雄鶏が鳴いた。空は青かった(The sky was blue)…」「このあわれな魂が(this poor soul)…」に変えた。答えも本来は「狐が自分の母親を…」である。スティーヴンが「母親」を「婆さん」に変えたのは罪の意識のゆえか。P.W.ジョイスの説明自体は簡略だが、①お祈りをあげずに食事を始める者に「おまえは狐みたいに食べ始める」という言い習わしと、②狐の口にくわえられた鶏が、神様に感謝のお祈りをあげないのかと催促して、狐が口を開けたところを木の上に飛び上がり逃げた、という話をあげている。また、soul(魂)とsowl(食べ物、パンに添えて食べる肉、チーズの類)の語呂合わせも考えられよう」(U-Δ注)。まず、cockは雄鶏なのでU-Yの雌鶏は違うのではないだろうか? ちなみに雌鶏の鳴き声はcluckだ。それとも何か他に意味があるのだろうか? この謎なぞについて、スティーヴンは狐を自己と重ね合わせている、という意見がある。狐は穴掘りに適した生き物とされる。そして、伝統的に狐は抜け目のなさや悪賢さ、罪や「隠すこと」に結びつけられている。注にあるように、食べる前にお祈りをしない者のことを狐のように食べるという言い習わしから、狐―祈りの拒否という連想が生まれる。そしてまた、雄鶏も罪と関連のある動物であるという意見がある。聖書のなかには、雄鶏が鳴く前にペテロが三度イエスを知らないと言う、という記述がある。またハムレットではホレイショーが亡霊を見たとき、「はっとしたらしい、恐しい呼びだしをうけた罪人のように」と言う(しかしその後の台詞で雄鶏はめでたい鶏だという台詞もある)。これだけで雄鶏と罪を結びつけるのはちょっと無理があるような気がするが、狐と「悪さ」とは関連があると思われる。そして、なぜ11時に雄鶏が鳴くのか、という疑問がある。雄鶏は夜明けから朝に鳴くものだ。11時と言えばもう昼に近い。11という数字の不吉さを主張する意見もあるが、読書会で配布された論文では11という数字がめでたいものとされている。ちなみに11という数字がなぜ不吉か、という点については、まず多くの古典テキストで11は死と結びつけられているという(具体的なテキストについては挙げられていない)。オデュッセイアで、オデュッセウスが地下世界に旅をするのは第11巻のイリアドだ。そして先に出てきたミルトンのリシダスは11音節詩の哀歌(死を悼む歌)である。やはりこれだけでは11という数字が西洋世界で伝統的にどのような意味を持っているのかは判断できない。注にもあるが、本文中の謎なぞは改変されている。全文を載せてみると以下のようになる。“Riddle me, riddle me right: / What did I see last night? / The wind blew, / The cock crew, / The bells of heaven, / Struck eleven. / ‘Tis time for my poor sowl to go to heaven”。そしてその答えが“The fox burying his mother under a holly tree”である。スティーヴンは上流階級の生意気な子供たちを悩ませたかっただけとも考えられる。また、これがフロイト的失言(無意識の動機、願望などを露呈するような失言)であり、スティーヴンはこの謎なぞの意味を変えることで比喩的に自分の母親を「埋葬」し、自分が夢で見る、あるいは嫌でも思い出される母の亡霊と関係のある何らかの力を解放しようとしているのだ、という説がある。それぞれの動物や数字などに象徴されたものの意味はともかく、罪の意識に苛まされているスティーヴンが、この謎なぞの小さな改変によって母親についての考えを抑圧したいと願っているのが表されているのではないか、とは思う。さらに、墓を掘るイメージの元として、イギリス・エリザベス朝の劇作家でシェイクスピアの同時代人でもあるジョン・ウェブスター(1580?-1634?)の『白い悪魔』(1608頃)と『マルフィ公爵夫人』(1614頃)の存在が挙げられている。『白い悪魔』には“But keep the wolf for thence, that’s foe to men. For with his nails he’ll dig them up again”、という記述が、『マルフィ公爵夫人』には“The wolf shall find her grave, and scrape it up. Not to devour the corpse, but to discover the horrid murder”という記述がそれぞれある。ちなみにここでのwolfは必ずしもオオカミではなく、イヌ科の動物なので、狐も含まれる。

・U-Y 54「喉がくすぐったくなりながら」

 U-Δ 73「喉がむずがゆくなるのを感じながら」

 “his throat itching”

 →U-Yの「喉がくすぐったくなりながら答えた」というのは、違和感のある訳ではないだろうか。itchは痒い、むずむずする、(~したくて)うずうずする、などの意味を持つ。ここでは、子供が困っている、答えを知りたがっているのを見て楽しんでいるのだと思うが、それを「くすぐったく」感じるならば、「喉がくすぐったくなるのを感じながら」としたほうがいいと思うのだが、U-Yではなぜこのような訳にしたのだろう?

・U-Y 55「ぼてっとインクの染みが一つ」

 U-Δ 74「ぼやけたインキの汚れ」

 “a soft stain of ink”

 →このインクの染みはいかにものろまで愚図な生徒、シリル・サージャントの頬についた染みだが、softを「ぼてっと」と訳すのはかなり難易度が高い技だと思う。softの意味を調べると、U-Δのように「ぼやけた」という意味が載っているが、紙の上でならともかく、肌についたインクは「ぼやける」だろうか、と考えた。こすれはするかもしれない。しかしこのインクの染みは今つけたばかりで、ナツメヤシの形を保っている。勝手な想像だが、シリルの頬についたインクはまだ乾いていなくて、染みが着いた時のままの状態を保っていて、ほんの少し膨らみができるくらいの丸さで半乾きなんじゃないかと思う。ぼてっと、という意味を調べたが、辞書には載っていない。ぼてぼて、ならば載っているが、ぼてぼてとした染みではない。他にどんな形容が思いつくかと自分で考えて、ぽとんと、が近いんじゃないかと思い、ぽつんと、を辞書で調べたところ、“fell with a soft plop”(ぽとんと落ちた)という例文が載っていたので、そんな感じの柔らかさ“soft”を「ぼてっと」と訳したのではないかと思われる。そして、このインクの染みは数行後にもう二回出てくる。次の染みは練習帳についたインクの染みで、U-Yでは「インクの滲みが一つ」、U-Δでは「インキのしみ」、原文は“a blot”である。次に出てくる染みは、スティーヴンが改めてシリルの外見を描写している場面で、U-Yでは「インクの染み」、U-Δでは「インキのしみ」、原文は“a stain of ink”となっている。「染み」の部分だけ訳毎に並べると、U-Yは「インクの染み」-「インクの滲み」-「インクの染み」、U-Δでは「インキの汚れ」-「インキのしみ」-「インキのしみ」、原文は“stain of ink”-“a blot”-“stain of ink”となる。U-Yでは原文に合わせて「染み」と「滲み」を変えている。

・U-Y 55「蝸牛の寝床」→カタツムリは本文中に直接は出てきていないが、既に七つの大罪の一つ「怠惰」の象徴として言及した。

・U-Y 55「肩下りに」

 U-Δ 74「斜めにかしいだ」

 “sloping”

 →slopeで傾く、傾ぐ、の意味なので、U-Δでも問題はないのだが、肩下り、という言葉が気になった。調べてみると、文字の右側が下がるように書く書き癖のことを指すらしく、多少想像はできたが、確かに「右上がり」という言葉は一般に数値が良くなる意味で使われ、良い印象を与えるので、肩下りの数字、というのはシリルの傾いだ書き方にぴったりの表現だと思う。

・U-Y 55「初めから書き直しなさいって」

 U-Δ 74「これをみんな書き直せって」

 “write them out all again”

 →この辺から、シリルの練習帳にすでに書かれている(恐らく)計算と、黒板の問題と、スティーヴンが解いてやった問題と、彼が自分で解こうとしている問題が何なのか、彼らがどういう順番でどの計算をどう書き写したり実際に解いたりしているのかがよく分からない。結局、themが何を指しているのかがよく分からないのだ。U-Yでは「ディージー先生が初めから書き直しなさいって」→「もうやり方はわかるんだね?」→「ディージー先生が黒板のを写しなさいって」→「あれは自分でできる?」となっている。U-Δでは「ディージー先生がこれをみんな書き直せって言ったんです」→「もうやり方はわかったのかい?」→「ディージー先生が黒板のを写せって言ったんです」→「自分で解けるの?」となる。原文は①“Mr. Deasy told me to write them out all again”→②“Do you understand how to do them now?”→③“Mr. Deasy said I was to copy them off the board”→④“Can you do them yourself?”だけで会話が進んでいき、シリルが11番から15番までの問題は自分でできること以外分からない。①のthemはシリルが既にノートに書いてあるものを指していると思う。②のthemははっきりしない。既に黒板にシリルのノートに書いてあるのと同じ問題が書いてあるのだろうか? それともシリルのノートに書いてある計算問題のことを指しているのか。③は黒板に書いてある計算だ。しかしそれがシリルのノートに書いてあるものと同じなのかは分からない。④も黒板に書いてある計算問題を指しているが、シリルが自分で解けると言っている11番から15番まで以外の計算問題なのか、全く関係のない計算問題なのか、分からない。そもそもスティーヴンがどのように計算を教えているのかも、この挿話には描かれていないので分からない。このやり取りというか、分からなさそのものがもはやFutile(無益)だ。

・U-Y 55「やみくもに弧を描く」

 U-Δ 74「いくつもの輪飾りがくっついている」

 “with blind loops”

 →blindは無計画な、行き当たりばったりの、という意味がある。loopはここでは筆記体のe、l、hなどの渦巻きの輪を指していると思われる。くるくると曲線の多い筆記体の署名だったのだろう。ここで「輪飾り」を調べてみると、「わらを輪の形に編み、その下に数本の藁を垂れ下げた正月の飾り物」と出てくる。U-Δがそれを意識はしていなかったとしても、輪飾りという訳はやめたほうがいいのではないかと思う。

・U-Y 55「帖面の両縁に指を触れた」

 U-Δ 74「練習帳の縁にさわった」

 “touched the edges of the book”

 →なぜ帖面の「縁」に触れたのだろう? と書いていて、今思ったが、もしかしたらノートの計算問題の文字も署名もまだ乾いていなかったからだろうか? もしそうだとしても、触れずに見るだけでもいいのではないか?とも思うが。なぜ触れたのか。

・U-Y 55「踏みつけにされていただろう」

 U-Δ 75「踏みにじられていただろう」

 “trampled”

 →ここで踏みつけにされていただろうと想像されているのはシリル。しかしこの数行後にU-Y「踏みにじられるのから救ってくれて」とある。その間に挟まっているのが、スティーヴンの想像するシリルの母親の息子への愛情と、クランリーが昔発した言葉の想起、聖コルンバヌス、何度も繰り返されるスティーヴンの母の死のイメージにつながる「紫檀と湿った灰の匂い」だ。後のページの記述から推測されるように、スティーヴンはシリルに共感のようなものを抱いているか、自分の子供時代と彼の姿とを重ね合わせていると思われる。この二番目の「踏みにじられるのから救ってくれて」はやはりスティーヴンなのだろうか? しかしシリルの母親に関するスティーヴンの想像の記述は過去形になっている(原文では過去完了形。e.g.「それでもこの子を愛した女はいた」) 。そして二番目の「踏みにじられるのから救ってくれて」の原文は“She had saved him from being trampled underfoot”となっており、「彼が」踏みにじられるのから救ってくれた、と表現されている。シリルの母親の生死は分からない。この二番目の「踏みにじられるのから救ってくれ」たのがスティーヴンの母なのか、シリルの母なのかは今のところ断定できない。

・U-Y 55「骨なし蝸牛」→シリルのイメージは「蝸牛」として何度も繰り返される。シリルの血が「水っぽい」とあるが、これもカタツムリのイメージの一つとしてとらえていいのだろうか? 少なくともカタツムリに赤い血が通っているとは思えない。

・U-Y 55「するとそれが実在ということか? 人生唯一の真実か?」

 U-Δ 75「じゃあ、あれは実在していたのか? 人生でただ一つの真実なのか?」

 “Was that then real? The only true thing in life?”

 →「この世で確かなものは母の愛だけだ、というクランリーの言葉を思い出して(『若き芸術家の肖像』より)」(U-Δ注)。U-Yでは「それ」となっているので、シリルの母親の息子への愛情が「実在」のような印象を受ける。対して、U-Δでは注にあるように、クランリーの言葉を思い出しているような印象を受ける。『肖像』のなかでクランリーが言った言葉を抜粋してみる。「この糞だめみたいに臭い世の中では、ほかのものはみんな不確かだけど、母親の愛情だけはそうじゃない。お母さんは君をこの世に連れてきた人だし、最初に自分の体のなかに君をかかえていたわけだ」*6この言葉だけから芸術家としての潜在的な精神の発露を読み取るのは無理があるだろうか。

・U-Y 55「母親の突っ伏す体を炎火の聖徒コルンバヌスは聖なる熱情に燃えて跨ぎ越した」

 U-Δ 75「火のような気性のコルンバヌスは信仰の熱意に駆られて、横たわる母親の体をまたいだけれど」

 “His mother’s prostrate body the fury Columbanus in holy zeal bestrode”

 →「コルンバヌス:アイルランド出身の聖人(543-615)。母が戸口に横たわり、引きとめるのを振りきって聖職に入ったという。45才でフランスに渡り、ヴォージュ地方に修道院を開設。厳しい戒律によって知られた」(U-Δ注)。聖コルンバヌスはフランスだけではなく、北イタリアなど西ヨーロッパの広い地域で宣教し、大きな影響を残した(その頃アイルランドでは修道院文化が発達、同時期のヨーロッパ大陸では西ローマ帝国が滅亡、混乱期を迎えていたこの時代に多数のアイルランドの宣教師が大陸へ渡り、修道院や学校などを建て、異教徒を改宗させ、ヨーロッパの宗教・文化活動を支えた)。カトリック正教会では聖人とされている。コルンバヌスの生涯は、彼の死後修道僧モンクという人物によって記された。スティーヴンは母の愛に背いて独立し、結果母の愛に報いた人物としてコルンバヌスを想起しているとの指摘がある。また、シリルも自分も母の愛のおかげで生きていることを思い、母の臨終の祈りを拒むことと母の横たわる体を飛びこえて出ていくことを比喩的に結び付けているとする説もある。また、発音は「コルンバヌス」ではなく「コレンバヌス」だ、という指摘もある。修道僧モンクによるコルンバヌスのエピソードのなかには、コルンバヌスを引きとめる母がコルンバヌスのことを「若さの炎に輝くお前」と呼ぶ部分もあり、コルンバヌスと火との関連性が強化される。スティーヴンは、炎に焼かれる小枝のように震える母の骸骨が、自分のコルンバヌスの炎のように燃える情熱の犠牲になったとしてとらえているとする見方もある。

・U-Y 56「そして瞬く星明りの照すヒースの野で狐が一匹、暴掠の血染めの体臭を放ちながら、無情の目をぎらつかせて、地面を引っ掻き、耳をそばだて、掘り起こし、耳をそばだて、引っ掻き、また引っ掻く」

 U-Δ 75「荒野のなかで、またたく星明りの下で、一匹の狐が獲物の赤い血の匂いを下毛にからませ、無情な目を光らせて、土を掘り起こす。聞き耳を立て、土を掘り返し、聞き耳を立て、掘り返し、また掘り起こす」

 “and on a heath beneath winking stars a fox, red reek of rapine in his fur, with merciless bright eyes scraped in the earth, listened, scraped up the earth, listened, scraped and scraped”

 →heathという単語をU-Yではそのまま「ヒースの野」とし、U-Δでは「荒野」としている。heathといっても日本人としては想像も翻訳も難しく、ウェブ上に載っているheathの写真を見ると、本当に荒野と呼べるような荒涼とした土地もあれば、割合に膝から脛くらいまである小さな草花に覆われた野原のようなものもある。実際heathという言葉が「荒野」を指すだけではなく、ヒースというエリカ属の植物のことも指し、この野草は秋に花を咲かせる。この一節はかなり残忍で恐ろしいイメージを起こさせる部分なので、「荒野」でいいのではと思うが、あまりカタカナを使いたがらないU-Yで敢えて「ヒースの野」としているのはなぜだろう。また、U-Yでは「暴掠の血染めの体臭を放ちながら」としているところを、U-Δでは「獲物の赤い血の匂いを下毛にからませ」としている(原文部分は“red reek of rapine in his fur”)U-Δのほうが割合直訳に近い。「下毛」は動物の表面の比較的長くて固い毛の下に密生して生えている柔かい短毛のこと。U-Yでは「毛皮のなかに」の部分を省略している。また、rapineは悪臭のことだが、U-Δでは「匂い」とし、U-Yでは「体臭」としている。一般的に臭いはあまり良くないにおい、匂いは割といいほうのにおいに当てはめられることが多いが、U-Δで残虐な獰猛な狐の獲物の血のにおいを「匂い」としたのはなぜだろう。これは既に挙げた「紫檀と湿った灰の匂い」も同じで、両訳とも「匂い」という語を使っている。原文はodourだが、辞書では「よいにおいにも用いるが、悪いにおいを指すことが多い」とある。スティーヴンにとっては愛する母のにおいならば、たとえ多少不快なにおいでも愛おしく思い出されるのだろうか? 日本人で言えば、葬式の線香のにおいだ。仏間などであのにおいを嗅ぐと、やはりどうしても死を連想してしまうのではないだろうか。さらに、この文章では何度も狐は「耳をそばだて」ている。実際の動物も、餌を探したり隠れ場所を探したりしている間に、自分が襲われないかどうか、警戒心から何度も辺りをきょろきょろと見まわしたりするものだと思うが、この部分はそれを忠実に描写しただけではなく、やはり何となくスティーヴンが自分を狐と重ね合わせている様が思い起こされる。生徒に出した謎なぞの中で埋めたはずの「母」を、狐は何度も耳をそばだてながら掘り起こそうとして引っ掻く。この時狐が「耳をそばだて」るのは、警戒心から周りの様子を窺っているのか、罪の意識からか。

・U-Y 56「この男はね、シェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父であるということを代数で証明するんだ」

 U-Δ 75「やつはシェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父であるってのを代数で証明するのさ」

 “He proves by algebra that Shakespeare’s ghost is Hamlet’s grandfather”

 →この部分は、スティーヴンがマリガンの発言を思い出しているだけなのか、それとも心の中でシリルに話しかけているのだろうか? U-Yでは話しかけている印象が強いが、U-Δでは心の中だけの想起の印象がある。そして繰り返されているこの言葉は前のもの(マリガンが実際にヘインズに向かって言ったもの)と違う。第一挿話でマリガンは「この男はね、ハムレットの孫がシェイクスピアの祖父であり、ご本人は実の父親の亡霊であるということを代数で証明するんだ」(U-Y 36)シェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父、とはいったいどういう事だろうか?

・U-Y 56「帖面を記号が大真面目なムーア踊りで動いていく」

 U-Δ 75「ページの上を、記号たちがおごそかにモリス・ダンスを踊りながら横切っていく」

 “Across the page the symbols moved in grave morrice”

 →「ムーア踊り(モリス・ダンス):イギリス古来の仮装踊りの一種。原義はムーア人(アフリカやスペインを征服したアラブ人)の踊りの意。ここは彼らがヨーロッパに代数を伝えたのにかけて」(U-Δ注)。ムーア踊りにしてもモリス・ダンスにしても、簡単に思い浮かべられる人はそれほど多くないと思うが、その後でムーア人のことが出てくるので、敢えてムーア踊りと変えてしまってもいいのかもしれない。二つの訳の印象としては、U-Yのほうはちょっと滑稽な雰囲気が強く、記号が動いていくことよりも踊りの方が強調されている印象を受ける。U-Δはどちらかというと楽しげな印象で、踊りよりも記号が動いていくほうが強調されているように思われる。


Morris Dancing in Oxford (モリスダンス)

 

・U-Y 56「それぞれの字体が四角や賽子の乙な帽子をかぶって、だんまり芝居だ」

 U-Δ 75「文字のだんまり劇のなかを、二乗や三乗の古風な帽子をかぶって」

 “in the mummery of their letters, wearing quaint caps of squares and cubes”

 →mummeryは無言劇。squareは四角、二乗、cubeは立方体、三乗。squareとcubeを忠実に二乗、三乗とするか、四角、賽子(立方体を無理やりひねった感はある)として遊ぶかは措いておいて、「文字のだんまり劇のなかを」とそのまま訳してしまうと、その前の部分で「記号」が主語になっているので、文字の上にsquareやcubeがのっかっているのが分かりにくい。この部分に関してはU-Yのほうがふさわしいと思う。「乙な」だが、辞書では①普通と違って、なかなかおもしろい味わいのあるさま。味。②普通とは違って変なさま。妙、という意味がある。quaintは「風変わりで面白い、古風で趣のある」の意で、割と「古風さ」が強調された言葉だ。U-Δではそのまま「古風」としているが、U-Yでは「風変わりで面白い」の意のほうを強くとらえて「乙な」と訳したのだろうか。

・U-Y 56「両手を出して」

 U-Δ 75「手を与えて」

 “give hands”

 →「手を与えて、交差して、相手におじぎ:ダンス教師が生徒に言う台詞。数式を解くスティーヴンの内的独白に重ねて」(U-Δ注)。と、注にはあるが、「手を与えて」“give hands”というのがダンスを教える際に使われる言葉なのかどうか、確認はできなかった。“give hands”はともかく、「手を与えて」というのは日本のダンス教師の使う言葉なのだろうか? 両手を出して、のほうが合っているような気がするが、分からない。

・U-Y 56「ムーア人の思いつきの悪戯っ子たち」

 U-Δ 75「ムーア人たちの空想から生まれた小鬼たち」

 “imps of fancy of the Moors”

 →fancyは「(気まぐれで自由な)空想、(事実に基づかない、想像された)思いつき、気まぐれな思い」の意味がある。impは「鬼の子、小悪魔、いたずら小僧」などの意味がある。モリスダンスがムーア人によってもたらされたという歴史的な記録は見つからない。impsがモリスダンスを踊る記号や文字のことを指すのであれば、超自然的な存在である「鬼の子」「小悪魔」としての小鬼たちよりは「悪戯っ子」のほうが訳としてふさわしいのではないだろうか。その後に出てくるアヴェロエスがアラブ人で、数学に通じていることを考えると、空想というよりも思いつきという訳のほうがいいのではないだろうか。

・U-Y 56「やはりもうこの世にいない。アヴェロエスとモーゼズ・マイモニデス」

 U-Δ 75-76「アヴェロエスもモーゼズ・マイモニデスもこの世からいなくなった」

 “Gone too from the world, Averroes and Moses Maimonides”

 →「アヴェロエスとモーゼズ・マイモニデス:二人とも12世紀前半スペインのコルドバに生まれた哲学者・医者。ともに新プラトン主義の影響を受けた。アヴェロエスはアラブ人、アリストテレスの諸著の注釈者。数学にも通じている。マイモニデスはユダヤ人。アリストテレスの哲学を援用してユダヤ教神学を体系化した。天文学にも通じる」(U-Δ注)。U-Yのほうでは珍しくコンマの部分で文章を区切っている。「死んだ」ということを強調するためだろうか。

・U-Y 56「風采も動きも定かならぬこの男たちが、この世の曚昧な魂を嘲笑の鏡にぱっと閃かす」

 U-Δ 76「顔つきも振舞いも暗くて定かならぬ男たちが、闇に包まれた世界霊魂を……嘲笑の鏡にきらりと反射させてから」

 “dark men in mien and movement, flashing in their mocking mirrors the obscure soul of the world”

 →「この世の曚昧な魂(世界霊魂):新プラトン派などが言う根本的な統一原理。世界を支配し、統御する」(U-Δ注)。「嘲笑の鏡」という言葉が第一挿話でのマリガンの髭剃りに使う鏡を思い出させる。U-Yの「曚昧な魂」と「嘲笑の鏡」は、この部分に何度も繰り返されるMで始まる単語の繰り返しの反映か。dark menというのは、ムーア人(アフリカ系の人々、スペイン人など)の顔の色の濃さと、「意味が曖昧な」という意味をかけているのだろうか。U-Δではsoul of the worldをそのまま世界霊魂として訳し、obscureを「闇に包まれた」としているが、U-Yではsoul of the worldの前のobscureを含めて、「この世の曚昧な魂」としている。世界霊魂(宇宙霊魂)はネオプラトニズムの思想体系において重要な構成要素。プラトンからして、この世の全ては本質的につながっており、魂が人の体と繋がっているように宇宙の魂・生命は宇宙と繋がっていると考えていた。この思想はネオプラトニズムにも受け継がれる。プラトンの考えによると、宇宙霊魂は身体のなかに魂があるのではなく、魂のなかに身体があるとする。

・U-Y 56「明光の理解しえなかった闇が明光の中で光る」

 U-Δ 76「光のなかで輝いているが光には理解できない暗闇を」

 “darkness shining in brightness which brightness could not comprehend”

 →「「ヨハネ伝」1.5「光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき」を逆にして」(U-Δ注)。ヨハネ伝の冒頭については前掲の通り。光が暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解しない。この光(明光)はパリ時代のスティーヴンの図書館の中の想起の描写をも思い出させる。しかし、光は暗闇を照らし、闇は光を理解していないかもしれないが、光だって暗闇のなかを照らしているというだけで闇のことは理解していないかもしれない。enlightenment的な光なのであれば、随分上から目線な話だ。しかしそもそもキリスト教というものにそういう側面は大いにある。そしてこのdarknessからの部分だが、原文を見ればわかるように、“Gone too from the world”から始まる一文である。U-Yでは「明光」の部分から独立させた一文を作っているが、U-Δのように、「嘲笑の鏡に反射させられたもの」の一つとしてdarknessを解釈することも可能だ。そもそも、このdarknessは独立した一つの主語として考えていいのか、それともそれ以前の文中にある他の何かと同格なのか、あるいは何かの目的語としてとらえるべきかの問題がある。U-Yでは一応文章として独立させているが、嘲笑の鏡に閃かしている対象としても認識しているかもしれない。闇が光ったのは鏡の反射のせい、という考えだ。U-Δでは世界霊魂と暗闇を同等に嘲笑の鏡に反射させている。しかしまた、darknessの直前にあるthe soul of the worldが同格という考え方もある。もしかしたらU-Yではではその考えをとっているのかもしれない。この文章の解析とともに、「暗闇」とは何を指しているのか、という一番シンプルで一番難しい問題も浮かび上がってくる。聖書の記述にある光の対極としての純粋な暗闇のことなのか、世界霊魂のことなのか、dark menの暗さなのか、他に何か意味を持つのか。

<U-Y 56-61 ~秘密・ディージーの書斎・貨幣・貝・マクベス・借金・シェリダン>

・U-Y 56「母の愛」

 “Amor matris

 →「ラテン語。文脈により、「母が愛する」の意(主格的属格)にも、「母を愛する」(対格的属格)にもなりうる」(U-Δ注)。主格的属格、対格的属格についても前掲の通り。

そのあとの「主格的所有格」と「目的格的所有格」も同じことを指している。

・U-Y 56「希薄な血と酸っぱい薄い乳」

 “her weak blood and wheysour milk”

 →U-Y 55にも「希薄な水っぽい血」とあるが、酸っぱい薄い乳というのは腐っているのだろうか?

・U-Y 56「この子の褓を人目から隠した」

 U-Δ 76「彼の産着を一目から隠した」

 “she had fed him and hid from sight of others his swaddling bands”

 →褓はおむつ、または産着。swaddling bandsは「(昔新生児に巻き付けた)細長い布、(子供などに対する)束縛、厳しい監視」を指す。swaddling bandsの画像を調べてみると、おむつとは言えない感じがする。赤ん坊がミイラのように結構きつめに布で巻かれている。その布のことを指すのだろう。この布を使っているとき、おむつ的なものはなかったのだろうかと思う。裸のままあの布を赤ん坊に巻き付けるなら、swaddling bandsはおむつ兼産着、と言えないこともない。そして母はなぜそれを人目から隠したのか? この子、というのはシリルのことだと思うが、体の弱い子供がいることを人に知られたくなかったのか?

・U-Y 56「おれの少年時代が傍らで背を丸める。もはや遥か彼方なので手を置いてやることも軽くふれてやることもできない」

 U-Δ 76「ぼくの少年時代がいま隣でうつむいている。あまりにも遠すぎてほんの軽く手を添えてやることさえできない」

 “My childhood bends beside me. Too far for me to lay a hand there once or lightly”

 →ここでかなり明確にスティーヴンはシリルに自分の子供の頃を重ね合わせている。おれの少年時代はほんの「傍らで」背を丸めているのに、それは「遠すぎて」手を置いてやることもできないのだ。原文も、どちらの訳文も、個人的にはとても胸に迫る文章だ(他にも好きな箇所はたくさんあるが)。思い入れが強すぎると理解を阻む。残念だが今はちょっと距離を置こう。スティーヴンは少年時代の自分を慰めたいような感情を抱いているのだろうか。と同時に、シリルに対しても同じような感情と共感を抱いているのだろうか。遠すぎる少年時代を、ほんの少しでも思い出すことができないのだろうか(手を置く→思い出すことの比喩)とも思ったが、多分違うだろう。once or lightlyの訳出も難しい。U-Yはあくまでorで繋がれた二語にこだわり、手を置いてやること、軽くふれてやること、と分けた(うまい技だと思う)。U-Δでは一つにまとめてしまっているが、実際そういう事だ。ちょっとでも手を置くこともできないし、軽く手を置くこともできない。ただ、「手を添えて」でいいのだろうか、という気はする。「手を添える」の自体の意味は見つからなかったが、類語を調べると、「手助けする、手を差し伸べる」等の言葉が出てくるところを見ると、支えてあげる、というイメージがちょっと強い気がする。“lay a hand”だけでも特別な意味はないが、“lay a hand on”になると、「触れる、~に手をかける、~を傷つける」、“lay one’s hand on”では「手を置く、手を掛ける、触れる、手を付ける」などの意味が出てくる。ここでは単に手を置く、触れる、の意味でいいと思う。

・U-Y 57「おれの秘密は彼方にあり、この子の秘密はおれたちの眼同士と同じ」

 U-Δ 76「ぼくの少年時代は遠い彼方。彼のは秘密を隠している、ぼくらの目のように」

 “Mine is far and his secret as our eyes”

 →訳の意味が分かれている。U-ΔではMineをその前の文に出た、「ぼくの少年時代」としているが、これは文法通りの読み。しかし、his secretを「彼のは秘密を隠している」と訳したのはなぜだろう? 彼のは、というのは彼の少年時代、ということになるだろうが、彼(シリル)は今少年なので、彼の少年時代、というのも何となく変だ。ここのU-Δの解釈は分からない。一方で、U-YではMineを「おれの秘密」としてしまっている。文脈的には合っているような感じがするけれども、「秘密」は前に出てきていないので、それをMineで受けることはできない(後ろの語を繰り返すための所有代名詞の使用例なんてあるんだろうか?)。「秘密」を「少年時代」と同一視しているということだろうか? そして恐らくsecretとasの間にisが省略されていると思うが、andで繋がれた二文“Mine is far” “his secret (is) as our eyes”が強いつながりを持ち、その繋がりを優先してMineをMy secretの意味にしたのだろうか。どちらかというと意味的には(文法的に疑問は残っても)U-Yのほうを取りたいので、その前提でその先を見ると、その自分と彼の秘密が自分たちの目のように同じ、というのは、二人の目が似ているということだろうか。U-Y 55でシリルは「弱々しい目」をしていると形容されているが、スティーヴンの目も同じなのか? それとももうすでにシリルはスティーヴンから離れていて、少年時代の自分と今の自分のことを「おれたち」と言っているのか、とも思うが、ちょっと無理のある解釈である気がする。U-Yで“our eyes”を単に「ぼくらの目」ではなく「眼同士」としているのは、二人の仲間意識の強調か。

・U-Y 57「双方の秘密が、押し黙って、石のごとく、おれたち双方の心の暗い宮殿に座している。どっちも己の専制に嫌気が差してきた秘密、どっちも退位したがっている専制君主

 U-Δ p.76「二人の心の暗い宮殿には、さまざまな秘密が黙りこくったまま石のようにじっと坐っているのさ。自分たちの専制に飽きた秘密どもが。王座から引きずりおろされるのを待っている暴君たちが」

 “Secrets, silent, stony sit in the dark palaces of both our hearts: secrets weary of their tyranny;tyrants, willing to be dethroned”

 →U-Yでは、原文の最初のSの反復を、「双方の秘密」「押し黙って」「石のごとく」と語数で表現したのだろうか。また、Secretsを、U-Yのほうでは自分とシリルの秘密、U-Δのほうでは色々な秘密の意味でとっているが、専制君主なら各々の心に一人しかいないと思うので、さまざまな秘密を暴君たちとするU-ΔよりU-Yの解釈のほうがふさわしいのではと思う。また、二度のSecretsをU-Yでは「どっちも」という言葉を二回繰り返すことで表現しているのではと思う。二人の心の宮殿に座す秘密とは何か。彼らの心を秘密は専制君主や暴君のごとく支配している。でも、少なくともスティーヴンはそれに嫌気が差している。ということは、秘密をなくしてしまいたいか、誰かに打ち明けてしまいたい、ということだろうか? そして、その秘密が始終彼の頭を離れずに、彼を悩ませている、ということだろうか?

・U-Y 57「書き終えたところに薄手の吸取紙を当ててから」

 “He dried the page with a sheet of thin blottingpaper”

 →計算が終わり、スティーヴンの思索も終了する。シリルはノートのインクを吸い取り紙で押さえ、乾かすが、恐らく彼の頬にはまだインクの染みが残っている。今までで、何度もこの「しみ」が登場してきている。後ろから見ていくと、U-Y 55「鬱陶しい髪の毛とインクの染み」→U-Y 55「インクの滲みが一つ」→U-Y 55「ぼてっとインクの染みが一つ」→U-Y 32「まだここに染みが」(第一挿話)が挙げられる。原文の「しみ」にあたる単語を同様に後ろから見ていくと、“stain”→“blot”→“stain”→“spot”になる。終わったようで終わっていないスティーヴンの思索が、インクと血のイメージでつながれていく。インクの染みを乾かす行為は血を拭う行為を連想させる。しかし、いくら拭っても、「まだここに染み」があるのだ。

・U-Y 57「甲高い声の諍う揉め合いの運動場へ急ぐのを見送った」

 U-Δ 77「戦いの場へ急ぐのを見まもった。甲高い声が争っていた」

 “watched the laggard hurry towards the scrappy field where sharp voices were in strife”

 →scrappyはまとまりのない、好戦的な、闘志に満ちた、けんか好きな、などの意味を持つ。in strifeで争いの状態にあることが分かる。U-Δでは二文に分けているが、U-Yではなかなかごちゃごちゃとした感じの訳になっている。いくら一文でまとめたくても、普通だったら「甲高い声が言い争う闘志に満ちた運動場」くらいでいいのではないかと思うが、このごちゃごちゃした感じによって生徒たちのてんでばらばらな、まとまりのない状態を表現したかったのかもしれない。

・U-Y 58「ぎらぎらする陽光が老人の染め損ねの蜂蜜色を晒す」

 U-Δ 78「まばゆい陽光がまだら染め蜂蜜いろの頭を白くさらした」

 “the garish sunshine bleaching the honey of his illdyed head”

 →「染め損ね」という言葉は、名詞としても形容詞としても辞書にはない。動詞として、「染め損ねる」という言葉はあるので、ここでは造語に近い。原文のilldyedも同様。ジョイスがよくやるように二つの単語を繋げて一つの単語にしてしまったものだろう。honeyという言葉には「蜂蜜、蜂蜜色(の何か)、すばらしいもの」などの意味がある。また、headは「頭、頭脳、知恵、冷静さ、校長」等の意味がある。晒すという言葉はU-Δではひらがなだが、「日光や風雨の当たるままに置く/布、紙などを水洗いして日光に当てたり、薬品で処理したりして白くする、漂白する/広く人々の目に触れるようにする/危険な状態に置く」などの意味を持つ。U-Δの「まだら染め」は、十分に、完璧に染まってないからまだらに染まっているものと解釈したのだろう。原文を直訳すると、「彼の染め損なった頭の蜂蜜色を白く晒すぎらぎらする陽光」、陽光を主語とすると「ぎらぎらする陽光が彼の染め損なった頭の蜂蜜色を白く晒す」となる。上にあげた言葉のもつ様々な意味からもう推測できるかもしれないが、この部分は「間違った考えに染められた素晴らしい頭脳を人目にさらしている」という裏の意味を考えることはできないだろうか。

・U-Y 58「取引」

 U-Δ 78「話を決めた」

 “bargain”

 →U-Yで敢えて取引という言葉を使っているのは(U-Δの訳のほうが普通に感じる)、その後の金の話を導くためか。

・U-Y 58「始めにありしごとく」

 U-Δ 78「初めにありしごとく」

 “As it was in the beginning”

 →「『公教会祈祷文』の「栄唱」に、「願わくば聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めにありしごとく、今もいつも世々にいたるまで」とある。この後半が三つに断ち切られて本文中に混在する」(U-Δ注)。「栄唱」(頌栄ともいう。doxology)はキリスト教典礼における三位一体への賛美において歌われ、唱えられる賛美歌や祈祷文のこと。元々、聖務日課詩篇や聖書中の賛歌が唱えられた後に付けられた。これにより、旧約聖書の詩歌をキリスト教で利用することができるようになったといわれている。カトリック教会では、伝統的に聖務日課やロザリオの祈りの中で唱えられ、「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」と同様、頻繁に使われる基本的な祈祷文。最初はラテン語で唱えられていた。ディージーの書斎の描写がこの三つに分かれた栄唱によって分断されている。これが何を指すのか、読書会で頂いた吉川先生の論文に言及があったが、敢えて答え合わせはしないし、してもここには書かないでおく。

・U-Y 58「スチュアート硬貨、沼地の鐚銭宝物」

 U-Δ 78「スチュアート貨幣……沼地から掘り出したつまらぬ宝物」

 “Stuart coins, base treasure of a bog”

 →「スチュアート硬貨:いわゆる「びた銭」(brass money)。素材は鐘、砲金、白目(錫、鉛、真鍮または銅の合金)など。1688年の名誉革命で王位を追われたスチュアート朝のイギリス王ジェイムズ二世が、1689年、王位回復の戦費を調達するためアイルランドで鋳造したクラウン貨幣(旧単位で5シリング)。1690年にボイン川の戦いで決定的な勝利を得たイギリスの新王ウィリアム三世は、これを1ペニー(1シリングの12分の1)に切り下げて流通させると宣言した。プロテスタント側から見れば一種の戦利品である」(U-Δ注)。注の中の砲金は青銅の古い呼び名、白目は錫と鉛との合金のこと。この「ビタ銭」であるスチュアート硬貨はガンマネーと呼ばれ、クラウン、ハーフクラウン、シリング、6ペンスの4種類の硬貨がアイルランドで鋳造された。非常に面白いことに、このスチュアート硬貨を鋳造している際にミスが生じ、二十打ちによって硬貨の片面に彫られた馬に乗る国王の上半身が消えてしまう。その後このスチュアート硬貨の価値は注にあるように切り下げられ、同時に22,500ポンド分が回収されたという。硬貨の中で国王がゴーストになってしまう。ちなみにこの硬貨は今でも割と収集家によって高値でやり取りされている。この部分でこのスチュアート硬貨のことをbase(劣悪な)と言っておきながらtreasure(宝物)と表現しているのは、そういった希少価値も背景にあるのかもしれない。またbogは沼地のことだが、泥炭地のことも指す。泥炭地と言えばアイルランドなので、アイルランドで鋳造された、ということを指しているのかもしれない。

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国王の姿のあるクラウン硬貨

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国王の消えたクラウン硬貨


・U-Y 58「そして紫色のフラシ天の匙箱におさまり、艶褪せて、十二使徒が全異教徒に教えを説いてきたところ」

 U-Δ 78「色あせた紫ビロードのスプーンケースのなかには、十二の使徒像スプーンがすべてのキリスト教徒たちに説教をなし終えてきっちりと納まっている」

 “And snug in their spooncase of purple plush, faded, the twelve apostles having preached to all the gentiles”

 →「十二使徒スプーン:取っ手が使徒像の形をしている銀のスプーン。洗礼をうける幼児への贈物に使われた」(U-Δ注)。ちなみにこのスプーンを幼児に贈る習慣は、16世紀ごろから始まり、20世紀初頭には廃れ始めている。

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十二使徒スプーン

 フラシ天(plush)はU-Δの「ビロード」と同じ。長く柔らかい毛羽のある織物。匙箱については調べても分からなかったが、そういう箱もあるのだということにしておく。fadedがどこにかかっているかで二つの訳は違う。U-Δではfadedの直前にあるplushが色あせていて、U-Yでは恐らくだが、fadedの直後の十二使徒が「艶褪せて」となっているが、ディージーの部屋の中にあるものは何だか皆古めかしいものばかりのように思えるので、フラシ天が色あせているのか、十二使徒スプーンが艶褪せているのかよく分からない。また、gentileは「(ユダヤ人から見た)異邦人、(特に)キリスト教徒」の意で、U-Δではそのままキリスト教徒と訳しているが、U-Yは「全異教徒」としている。十二使徒にとっての異教徒はキリスト教徒ではないと思うのだが、なぜこのような訳にしたのだろう?

・U-Y 58「黄金の納まる金庫室」

 U-Δ 79「黄金を入れておく宝箱」

 “strongroom for the gold”

 →「ディージー校長の貯金箱を指して。スティーヴンの内的独白」(U-Δ注)。

・U-Y 58「蛽貝あり宝貝あり豹貝あり」

 U-Δ 79「バイ、宝貝、枕貝」

 “whelks and money cowries and leopard shells”

 →蛽貝はバイ科に分類される巻貝の一種。バイ属の貝類を総称してバイと呼ぶこともある。whelkはヨーロッパバイで、エゾバイ科の一種。バイについては呼び名の定義が難しく、バイ型の貝殻をもつ貝類の総称の和訳にバイという言葉があてられることも多いらしい。とりあえず、「蛽貝」と呼ばれる単一の個体はない。みな○○バイというかたちで呼ばれるバイ科の貝だ。恐らく普段魚屋などで見かける「バイ貝」「バイ」というのも、厳密には○○バイという違う名前のものだと思われる。宝貝は農産、繁栄、再生、富などの象徴。豹貝については見つからなかった。“leopard shell”で探しても見つからない。豹のような外見の貝、ということであれば、U-Δの「枕貝」はその一つだ。枕貝はマクラガイ科の巻貝。確かに殻は豹の毛皮のような模様をしているが、貝も他の動植物と同じく、生息地によって種類が大きく異なるので、原文のleopard shellがこれを指しているのかどうかは分からない。豹貝については見つからなかったが、もしこのleopard shellを枕貝としていいのならば、これらはすべて巻貝である。そして、読書会でも話に上がったが、そこから連想されるのが蝸牛である。これらは皆「虚ろなものたち」としてまとめられる。私としてはこのカタツムリを、スティーヴンのパリ時代の図書館の描写に現れたモンスターまで繋げたいところだが、どうつながるのかまだ自分の中でも明らかにはなっていない。また、読書会でも言及されていたが、貝貨と呼ばれる貝を用いた貨幣があるように、貝は金と密接な関係がある。なおかつ貝はhollowな存在だ。生きているうちはhollowではないが、死んだ、飾り物としての貝殻はhollowである。

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バイ貝(蛽)*8

 

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宝貝*10



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枕貝*12。確かにヒョウ柄と言えなくもない。

・U-Y 58「聖ヤコブの帆立貝」

 “the scallop of saint James”

 →「スペインのサンチアゴ・デ・コンポスラフにある聖ヤコブの聖堂に巡礼した者は、帆立貝を帽子の記章に用いるのを習いとした」(U-Δ注)。これは二枚貝。記録によると、レコンキスタ(718-1492、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称)の時代、クラビホの戦いで奇跡的に聖ヤコブが現れ、キリスト教徒軍とともに戦ったことから、「ムーア人殺しの聖ヤコブ」と呼ばれたらしい。

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ヤコブの帆立貝*14


・U-Y 58「ここにソヴリンを入れる」→「ソヴリン金貨は1ポンド(20シリング)。クラウン銀貨は5シリング。半クラウン銀貨は2シリング6ペンス」(U-Δ注)。ここで一度、とりあえずこのページに出てくる硬貨だけでも整理しておきたい。ちなみに、略称はポンド=L、シリング=S、ペンス=dとされる。12進法が使われる硬貨があるので注意したい。

  ・12d=1S、20S=1L

  ・クラウン=5S、半クラウン=2S6d、半ペニー=½d、ソヴリン=1L

  ・価値の低い順に並べると、

   ペニー(ペンス)→シリング→クラウン→ポンド=ソヴリン

   になるかと思う。

 ちなみに半ペニー(half-penny)は「ヘイプニー」と発音される。第一挿話で、マリガンが“For omnipotent sovereigns”と叫び、戴冠式の歌をコックニーのアクセントで歌いだしたのは、ソヴリン金貨の表面に英国王が描かれているからという言及がある。ギフォードによると、もしスティーヴンにこれほど借金が無くて、彼が「宵越しの銭は持たない」人間でなければ、彼の給料3ポンド12シリングは、多額の報酬ではないが生活するのに十分な額だ、と言っている。この後に続くディージーによるスティーヴンの給料の計算を実際に確かめてみると、①紙幣を2枚出す=2ポンド、②ソヴリンを一枚=1ポンド(途中のソヴリンを入れたり半クラウンを出したりするのは、たくさんの種類の硬貨を貯金箱に入れているのを見せているだけだと思うので省略。なぜならこれを足すと計算が合わない)、③クラウンを2枚=10シリング、④シリングを2枚=2シリング。これで①~④を全部足すと3ポンド12シリングになる。また、フランク・デラニーによると当時の4ペンスは今日の3ポンド(約5ドル)くらいだったのではと言っている。つまり、1ペニー=0.75ポンド、1シリング=9ポンド、1ポンド=180ポンドくらいに換算される。これをスティーヴンの給料3ポンド12シリングに当てはめると(2019年10月のおよそのレート)、今のお金で約90,720円になる。週給だとしたらかなりいい額だ(計算違ってたらごめんなさい…)。

・U-Y 59「同じ部屋と時刻、同じ知恵。そしておれも同じ。これで三度。ここでは三本の輪索が巻きついてくる。で? その気になればこの瞬間にも断ち切れるのだ」

 U-Δ 80「同じ部屋と時間、同じ処世訓。それに、ぼくも同じ。これで三度目だ。ここで三本の首吊り縄が巻きついた。どうする? その気になればたったいまでも断ち切ることはできるさ」

 “The same room and hour, the same wisdom: and I the same. Three times now. Three nooses round me here. Well? I can break them in this instant if I will”

 → nooseは「輪縄、ひき結び、(絞首刑の)首つり縄、わな、絆、逃げるのが難しい危険な状態」等の意味がある。元々は人を捕まえる、動物を罠で捕らえるための罠の意味であったらしい。輪索という語は辞書では海事用語としてしか出てこず、「わなわ」と呼ばれている。輪索と書いて「わなわ」と読ませる例は海外文学の翻訳に何度か用いられている。首つり縄でもいいかもしれないが、ここでは人を拘束するための縄というのが伝わることが肝要だと思う。スティーヴンは今までに三度校長の書斎を訪れたのだろう。それに恐らく自分の居心地の悪さや窮屈さを感じ始めている。最後の一文は、断ち切るか、断ち切らないかの状況判断の場で、自分がどちらの選択もできることを表している。これは歴史上のpossibilityにもつながる考え方か。

・U-Y 59「イアーゴ」→「ディージーの間違いを訂正して。一登場人物の、それも悪役の台詞にすぎない、の意。引用は『オセロー』1幕3場より。またイアーゴはヤコブスペイン語ゆえ、スティーヴンの頭の中では「聖ヤコブサンチアゴ)の帆立貝」も結びついている」(U-Δ注)。『オセロー』は冒頭から悪役の憎しみや企みが描かれるという点で、シェイクスピア作品の中では割と珍しいものではないだろうか。イアーゴはシェイクスピア作品の登場人物なので、間違いとまでは言えない。ただ、悪役の台詞ゆえ校長が説教のように人に誇って引き合いに出す言葉としてはふさわしくない。『オセロー』で、口八丁で相手によって態度を変え、自信家で自立心の強いイアーゴは、キャシオーが自分を抜いて副官になったこと、自分がムーア人の指揮官オセローの旗手になったこと、オセローがデズデモーナという美人と結婚したことが気に食わない。友人のロドリーゴはデズデモーナが好きだった。二人はデズデモーナの父ブラバンショーに、オセローとデズデモーナが父親の知らぬ間に一緒になっていることを伝え、ブラバンショーを激怒させる。その頃大公の会議にオセローは呼ばれ、トルコ征伐へ向かうよう命ぜられる。そこに同席したブラバンショーは、自分の娘が薬か何かで騙されてオセローと一緒になったのだ、と大公に訴えるが、オセローの誠実な答弁と、それを裏付けるべく連れてこられたデズデモーナの話を聞いて、ブラバンショーは大公に説得される。一部始終を聞いていたロドリーゴがイアーゴに死んでしまいたいと愚痴ると、イアーゴはあの二人はどうせ別れる、お前はあの女を手に入れられると励まし、説教する。ここで「財布には金を入れておけ」という言葉が、イアーゴの台詞の中で6回も繰り返される。戦争へ行って金を稼いで来い、という言葉も2回出てくる。なぜこんなにイアーゴが「財布に金を入れさせたがる」のかは、結局ロドリーゴがイアーゴの金づるだから、という指摘がある。ディージーはこの言葉を引いておきながら、自分自身がスティーヴンの金づるでしかない、という皮肉な事実がある。また、ディージーにとって上流階級子弟の親たちが彼の金づるである、とも言えるだろう。

・U-Y 59「むなしい貝殻から目を上げて老人の見つめる目を見る」

 U-Δ 81「彼は無用の貝殻から目をあげて、ミスタ・ディージーを見返した」

 “He lifted his gaze from the idle shells to the old man’s stare”

 →U-Yの訳文には多少違和感があるが、「貝」「目」「見」という漢字を繰り返すことで視覚的な訳の「遊び」を試しているのだと思う。idleはここでは「価値のない、役に立たない、つまらない」の意味。「むなしい」という言葉は辞書では「①形式だけで中身のない、実質が伴わない。②何の役にも立たない。結果が何も残らない。頼りにならない。はかない。根拠がない。③魂や心が抜けきった。体だけになっている。命がない。不活発な」等の定義がなされている。ここでのU-Yの訳では②の意味が当てはまるだろうか。この数行前の段落で、「スティーヴンの手は、また用がなくなり、虚ろな貝殻に戻った」とあるが、ここからずっとスティーヴンは貝殻を見ていたのだろうか。また、shellからstareへの視線の移行ということを考えると、貝もまた一つの「目」の象徴であり、「虚ろな目」から「熱心な目(眼差し)」へ彼の注意が移った、と解釈することもできるのではないだろうか。

・U-Y 60「五つの海の支配者」

 U-Δ 81「海洋の支配者」

 “The sea’s ruler”

 →五つの海と言えば、太平洋、大西洋、インド洋、北極海南極海である。しかし、「五つの海の支配者」というよりは「七つの海の支配者」というほうが世界の海を制覇した、支配した感じを出すにはより一般的ではないだろうか? ちなみに七つの海は世界中の全ての海を指し、どの海を指すかについては時代によって多少異なるのだが、一般に北太平洋、南太平洋、北大西洋南大西洋、インド洋、北極海南極海のことである。「世界の大洋」はまとめて“the sea”と表すことができるので、U-Δの訳でも間違いではないが、U-Yのような訳のほうが雰囲気が出ると思う。

・U-Y 60「あの男の冷海の目が空っぽの湾を見つめた。歴史に罪があるようだね。おれに対してとおれの言葉に対して、嫌がらせではなく」

 U-Δ 81「海のように冷たいあいつの目が空っぽの湾を眺めた。悪いのは歴史らしいな。ぼくと、ぼくの言葉を。憎しみなしに」

 “His seacold eyes looked on the empty bay: it seems history is to blame: on me and on my words, unhating”

 →海の支配者から、海を眺めていたヘインズの冷たい目へ、そして彼の発した言葉へと意識は繋がる。「空っぽの湾」ということは、ここでは湾も「虚ろなもの」に含められるだろうか。U-Δが、二番目、三番目に出てくるonをどうとっているのかがよく分からない。blameのあとにコロンとonが来るので、“blame on”のように思えるが、スティーヴンはヘインズから非難される理由がない。“look on”も考えられるが、ヘインズはスティーヴンを見ていてはいたかもしれないけれど、「スティーヴンの言葉」を見る、というのはちょっと変だ。しかしU-Δの三つの「を」を考えると、U-Δではそのように解釈したのではないかとも思われる。文脈的には、やはりU-Yのほうがふさわしいと思う。このonは独立していて、「歴史に罪があるようだね」というヘインズの言葉がスティーヴンとスティーヴンの言葉に「対して」発せられた、ということだと思う。それも、「嫌味ではなく」。unhatingは嫌うことなしに(“to leave off, cease, or desist from hating”)という意味だと思うが、そもそもヘインズがスティーヴンを嫌う要素はない。ヘインズはスティーヴンに近づこうとさえしていた。なので、ここのunhatingは「悪意なく」くらいの意味で、U-Yのほうがふさわしいのではないかと思う。もしかしたらこの言葉はスティーヴンのほうの気持ちを代弁したものか、とも思ったが、先のon以下の部分とコンマで繋がれていることを考えると、やはりヘインズの言葉の印象を形容したものと考えたほうがいいだろう。ヘインズの言葉はその当時を生きるイギリス人ヘインズの自然な認識だ、ということをスティーヴンは分かっている。しかし、彼の「冷海のように冷たい目」という表現と、彼の言葉の思い出し方から、ヘインズが二国間の状況をその一言で片づけてしまったことへの反感も伺える。歴史に罪があるのは確かだが、その言葉で「今生きている俺たちは悪くない」と責任転嫁をしてしまうことはできないし、ずるい。そして今生きている自分たち(スティーヴンたち)もまた、歴史を作りうる個々の存在なのだ。

・U-Y 60「フランスのケルト人」→「ディージーの勝手な思い込みか。ヘロドトスの著作にあるペルシア王クセルクセスの言葉とみる説がある。『歴史』第7巻第8節で、王はヨーロッパを征服すれば「天日の輝くところわが国に境を接するものは一国もなくなるであろう」と述べた」(U-Δ注)。クセルクセス1世はアケメネス朝ペルシアの王(在位BC486-465)。BC480年にギリシア遠征を企てる。BC479年、プラタイアの戦いで敗北、反撃にあい、大打撃を受け帰国。事実上クセルクセスのギリシア遠征は失敗に終わる。注に挙げられている部分は、クセルクセスが周囲の者たちからの圧力と進言により、復讐を兼ねてギリシアへ遠征するのを宣言する部分の台詞。

・U-Y 60「自分の金でやってきた。生涯、一シリングも借りたことはない」→イギリス人が誇りにしている言葉としては特に見つからなかった。当時は本当にそういう言い回しのようなものがあったのだろうか。それともディージー自身の考えか。Self-helpの考えも影響しているのだろうか。

・U-Y 60「マリガン、九ポンド…」→「以下実在、架空、無名、有名の人物たちを織りまぜて。なかではジョージ・ラッセル(第一挿話、第九挿話を参照)が有名」(U-Δ注)。ジョージ・ラッセルは第一挿話中の「我らが強き母」という言葉を述べた人。この借金リストに出てくる貨幣単位「ギニー」は、21シリング(1ポンド1シリング。貨幣単位については前掲を参照)。1ポンドより多いというだけではなく、この「ギニー」自体が上流階級の、ジェントルマンの使う金銭・通貨として認識されていた。実際のコインは19世紀初頭にすでに鋳造中止になっていて、めったに見ることはなかったが、上流階級の店などでは値段がポンドではなくギニー表記で書かれることが多かった。芸術家も報酬をギニーでもらうことが多かったらしい。この硬貨をスティーヴンが使うということは、自分は労働者階級ではなく、ジェントルマン、芸術家だという自意識の表れか。

・U-Y 60「いまのところはどうにも」

 U-Δ 82「いまは別に」

 “For the moment, no”

 →自分の言っていることが分かるかと訊くディージーに対する返答。直訳すると「今のところはわかりません」になるが、U-Yだとディージーの発言を否定するわけではないが、それを実践するには今の自分ではどうにもできないし、今はこのままでいい、というニュアンスがある。対してU-Δでは完全にディージーの発言を突き放し、自分とは関係ないと思っているような印象がある。

・U-Y 60「わしらは気前の好い国民だが」

 U-Δ 82「われわれは気前のいい民族だが」

 “We are a generous people”

 →「「気前のよさより、公正さが先」という諺がある。シェリダン『悪口学校』4幕1場の最後でも、主役の一人がこの諺を使う」(U-Δ注)。『悪口学校』は18世紀の風習喜劇。16年ぶりにイギリスに帰って来たサー・オリヴァーは、甥である兄弟たちのどちらに遺産を相続すべきかを判断するため、変装して二人に近づく。甥である兄のジョーゼフは品行方正で誰からも評判がいいが、その弟のチャールズは放蕩ばかりしていて借金にまみれている。でもチャールズは気前のいい男だった。さて叔父は二人にどのような判断を下し、どう遺産を相続させるか… という話。注の中の引用はチャールズが発した台詞で、台詞全体を引用すると、「「気前のよさより事の正しさ」だろう。そうだよ、そうしたいよ、できれば。だがね、「事の正しさ」って奴は、おいぼれて、よちよち歩く婆さまでね、どうしても「気前のよさ」と歩調を合わさせることができないんだ」となっている。また、U-Yではpeopleを国民と訳しているが、U-Δでは民族と訳している。そのためU-Yではディージーとスティーヴンが同等に語られているような印象をうけるが、U-Δでは二人の間の差を感じさせる(ディージーアイルランド人だがスコットランド系のプロテスタント)。

・U-Y 61「そういう立派な言葉は怖いんです」

 U-Δ 82「そういう大げさな言葉はこわいな」

 “I fear those big words”

 →“big word”は「長ったらしく難解な言葉。大げさな言葉。大言壮語。もったいぶった言葉」などの意味を持つ。辞書通りだとU-Δの訳になる。だが、その後の「それのおかげでずいぶん不幸な思いをしますから」というスティーヴンの言葉につなげることを考えると、U-Yの訳のほうがニュアンス的にはふさわしい感じがする。

<U-Y 61-62 ~アイルランドの歴史・農民のバラッド・タイプライター~>

・U-Y 61「英国皇太子アルバートエドワード」→「ヴィクトリア女王アルバート公との息子(1841-1910)。1901年に即位。1904年当時にはすでにエドワード七世。ディージーがいまだにキルト姿の皇太子時代の写真を飾っているのは、彼の祖先がスコットランド出身の入植者のゆえか」(U-Δ注)。注の言うように、ここに飾られているのは肖像ではなくて写真なのだろうか?(後の記述で分かるかもしれないが)皇太子アルバートエドワードはヴィクトリア女王に子供の頃から出来が悪いと評価され、50代になっても公務につけなかった。皇太子時代には母の影に怯えながら暮らしていたらしい。「私としては、永遠なる父に祈りを捧げるのは別にかまわない。しかし英国広しといえど、永遠なる母に悩まされているのは私だけだろう」という言葉を残している。公務から排除されていたころは放蕩生活を送っていたことで有名だったため、国王に即位したときには「英国史上最大の愚王」になるのではと不安視されたが、即位後に有能な王となった。

・U-Y 61「わたしのことをこちこちの古頭で老いぼれの保守と思っておるでしょうな」

 U-Δ 82「きみは老いぼれの時代遅れの保守主義者めと思っているんだろうが」

 “You think me an old fogey and an old tory”

 →「以下でディージープロテスタント側(およびイギリス系アイルランド人)の行動を弁明し、スティーヴンはカトリック(およびケルトアイルランド人)の立場からディージーが無視した事件にこだわる。「何か忘れてやしませんか(いろいろわすれておるのだ(U-Y))」に対する辛辣な反応でもある」(U-Δ注)。“an old fogey”と“an old tory”を、U-Yでは「こちこちの古頭」と「老いぼれの保守」という言葉に(語数と漢字で)反映させていると思われる。一連の彼ら二人のやり取りの描写は、U-Yでは少なくとも表面的ななごやかさと、年寄りであることを自覚してはいるが、まだ若者と対等に議論するディージーの気持ちを感じさせる。一方でU-Δでは上の者が下の者に説き聞かせるような印象がある。または、ディージーの発言の慇懃無礼な印象はブリティッシュな印象に合わせているのだろうか? ここからU-Y 61にはアイルランドの歴史に関する記述がどんどん出てくるのだが、U-Δの注に倣って、時系列でその意味を追ってみたい。

  ・「アーマー州のダイアモンド集会所」“The lodge of Diamond in Armagh”

   →「1795年9月21日、北アイルランドのアーマー州の小村ダイアモンドで、プロテスタント派の「夜明け組」Peep O’day Boysがカトリック派の「防衛団」Defendersと戦い、二十人以上を殺戮して「オレンジ会」Orange Orderを結成した。カトリック派がプロテスタント派の本拠を襲撃して返り討ちにあったもの」(U-Δ注)。夜明け組は1770年代には元々農業組合的な組織だったが、85年頃から宗教的派閥間の争いにおけるプロテスタント派の組織となった。宗教的対立以外に、リネン業における利益の衝突がこのアーマー州での事件の一因ともされている。夜明け組のなかには「壊し屋」(Wreckers)と呼ばれるメンバーもいて、カトリック教徒の家々で壊せるものなら何でも壊すという更に過激なメンバーもいた。夜明け組から派生して結成されたとされるオレンジ会は、名誉革命時のイギリスの新国王オラニエ公ウィレム3世(オレンジ公ウィリアム3世)からその名をとっている。このダイアモンド集会所での殺戮はアーマー州総督にも非難されているが、オレンジ会はその非難をかわすためか、この事件におけるオレンジ会と夜明け組および壊し屋とは無関係で、そのような残虐な行為は下層の民衆によって行われたものと主張している。

  ・「栄光の(栄光に輝き)」→「オレンジ会の乾杯の言葉より。プロテスタント派のオレンジ公ウィリアム三世に捧げる誓い。「偉大善良なるウィリアム王の、栄光に輝き、敬けんにして、不滅の思い出に。また、オリヴァー・クロムウェルをも忘れるな。法王の支配、奴隷の身分、専横の権力、びた銭、木靴より我らを救うのに力を尽くしたゆえ」と続く」(U-Δ注)。この乾杯の言葉にはいくつか小さなバリエーションがある。びた銭とは既に述べたように、ジェイムズ2世が作らせ、鋳造ミスの出た悪貨。木靴はユグノー派(カルヴァン派プロテスタントを迫害したフランス人のことを指す。クロムウェルは1641年に起こった農民の蜂起により、「アイルランドカトリック同盟」が結成され、チャールズ1世の軍に勝利し、イングランドから事実上の独立を達成していたアイルランドに対し、ここをまた植民地とするため軍を派遣した。表上の口実は農民反乱によりイングランドの入植者が多数殺されたこと、内乱の過程でアイルランドイングランドの王党派と手を結んだこと、アイルランドカトリックの国であることだったが、本当の理由はイングランドの資産家の多くがアイルランドの土地を所有し、植民地化することに利益を感じていたからだった。1649年クロムウェルの侵略軍はアイルランドに上陸、残虐な攻撃と住民の虐殺により「アイルランドカトリック同盟」軍を壊滅させ、チャールズ1世の専制時代よりも過酷なアイルランド支配を行った。1652年の「土地処分法」で、「カトリック同盟」参加者の全ての土地、また参加しなかったものの土地も没収され、数千人が奴隷として西インド諸島に移住させられることになる。クロムウェルは兵士たちに賃金を払う代わりに、これらの没収した土地の所有権を与えた。この侵略と支配による犠牲者の正確な人数は現在でも不明。

  ・「入植者ら(植民者)」→特に17、18世紀に北アイルランドのアルスター地方に入植したスコットランド人。「契約」(covenant)は入植に際してイギリス政府との間に交わした取決めのことも含むか。「黒い北」は陰うつな、または黒服の北アイルランド。特にアルスター地方を指して。「黒い北と日の照る南」という言い習わしがある。「ゆるがぬ青」true blueは長老派教会の色。17世紀革命当時の王党派軍隊の赤に対して」(U-Δ注)。ジェイムズ1世(在位1567~1625)はスコットランド女王メアリーの息子。1歳でスコットランド王になる。当時のスコットランドの宗教界は長老主義の影響が強かった。ジェイムズ1世はスコットランド人の長老派をアルスター大農園に入植させた。「契約」(covenant)は一般的に想像される「契約」(contract)というよりは、抵抗運動組織に近い。スコットランドには元来、何らかの主張をするときに結束して盟約を作る習慣がある。国民盟約(National Covenant)はその代表的なもの。イングランドスコットランドの国王チャールズ1世(在位1625-1649)の施行した国教会祈祷書(ロード祈祷書)に反対して起こった。これにより、国教会の監督性に対して長老派の維持を主張した。さらにこれはイングランドとの主教戦争、ひいては清教徒革命を引き起こす火種の一つとなる。長老派が結集してつくった最初の盟約は1557年で、ローマ・カトリックイングランドに対して反発し二度の勝利をおさめ、長老派教会の存続を担保させる。清教徒革命中、盟約は事実上スコットランドの統治機関だった。

 長老派教会は、キリスト教プロテスタントカルヴァン派の教派。聖書の権威に従って、「監督・長老・牧師」を区別しない。スイスで生まれ、ジョン・ノックススコットランドに伝える。長老制という教会政治制度の一つを採用することから長老派と呼ばれる。改革派教会の一派。「黒い北」の由来は注にあるような言い習わしにも由来するが、1797年にアイルランドで設立された「ロイヤルブラック協会」の影響が大きい。この協会はオレンジ会とは別組織だが、オレンジ会から結成された。本部はアーマー州にある。メンバーはそのしるしとして肩章をつけるのだが、その基色は黒であり、この協会のロゴも黒字に斜めの赤い十字架が描かれている。「ゆるがぬ青(真紺)」は聖書の民数記15:38-39の記述「主がモーセに教えを告げる。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。代々にわたって、衣服の四隅に房を縫いつけ、その房に青いひもをつけさせなさい。それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである」に由来するという説がある。また、イングランド内戦時のイギリス軍の王党派の赤の軍服に対抗したものとも言われる。この赤の軍服はクロムウェルが制定した。17世紀には、「ゆるがぬ青の長老派」という言葉は自由と教会のために戦うスコットランド人と同義であったとも言われている。なお、スコットランドの旗の色も青地に白抜きのXのデザインである。

  ・「いがぐり頭(クロッピーども)」→「「クロッピー・ボーイズ」Croppy Boysを略して。「丸刈り頭」の訳語を当てることもある。本来は1798年に反乱を起こしたアイルランド南東部ウェクスフォード州のカトリック農民を言う。フランス革命に参加した市民たちをまねて髪を刈りつめた(crop)ことから。「くたばれ、クロッピーども」はオレンジ会員歌ったバラッドのリフレイン」(U-Δ注)。1798年アイルランドの反乱は正確には1797年から始まったアイルランドのイギリスからの独立を求める国内各地での一連の蜂起の総称である。共和主義者の革命団体であるユナイテッド・アイリッシュメンがアメリカの独立戦争フランス革命から影響を受け、主たる反乱軍を結成した。メンバーは英国国教会体制から締め出されたことに不満を持つ長老派と、人口の過半数を占めるカトリックからなり、宗派を超えた組織ができていた。中でも注で言及されている1798年のウェクスフォードでの反乱とその鎮圧は酸鼻を極めるものであった。クロッピーと呼ばれる反乱者たちが髪を刈りつめていたのは、フランスの上流階級の人々が普段かつらをかぶっていたことから、その上流階級としての象徴に対して反対の姿勢を示すためである。彼らはユナイテッド・アイリッシュメンの一味としてみなされ、当局に捕まると鞭打ち、くい打ち、ハーフ・ハンギング(縄で首を絞め、意識を失ったところで縄を解き、意識が戻るとまた首を絞めることを繰り返す拷問)、ピッチ・キャッピング(拘束したクロッピーの頭にぴったりとした帽子をかぶせた上から熱いタールやピッチ(原油、石油等を蒸留した際にできる黒色の残留物)を浴びせ、冷やし、固まったところで帽子を引きはがすと、帽子とともに髪や頭皮、肉片などが剥ぎ取られるという拷問)等の苛烈な拷問を受けた。反乱はそれを支持するフランスからの援軍もあったが、結局英国軍に最終的には完全に鎮圧される。死者は総計1万~3万人と言われている。「くたばれ、クロッピーども」の歌では、“Croppies lie down”というフレーズが歌の中で9回繰り返される。ほぼ敵対勢力によるキャッチフレーズのようなものになっていたものと思われる。


1218. Croppies Lie Down (Traditional Anglo-Irish)

(くたばれクロッピーを歌う人)

  ・「連合」→「1800年の連合法成立により、アイルランド国有の議会がイギリス議会と合併して消滅した。当初のオレンジ会員の一部が連合に反対したのは史実の通りだが、理由はこれによってかえってカトリックの農民の解放が進むのを恐れたから」(U-Δ注)。前述の1798年の蜂起によって、イギリス政府はこれまでのアイルランドの政治体制に危機感を抱き、連合法が提案された。この法案ではイギリス議会とアイルランド議会が合併することによってアイルランド議会は消滅することとなり、大多数のアイルランド議員が地位を失う上に、イギリス議会内でのアイルランド議員の比率もごく僅かとされていた。また、英国国教会アイルランドの国教会の合同化の計画も盛り込まれていた。結局1800年に可決されることとなり、アイルランド王国は名実ともに消滅する。しかしこれによって、合同賛成派と反対派の分断が生まれる。オレンジ会の内部には強硬な反対派が生まれたが、同じプロテスタント系でもアルスターのリネン産業界は賛成を示していた。カトリック派の中でも、アイルランド王国の閉鎖的な政治体制の改革の機会として、合同に期待する者たちも少なくなかった。しかし結局カトリック派は連合王国内で下位集団としての扱いを受け続けることになる。また、連合王国はかなり名目上のものであり、スコットランドとは違いイングランドアイルランドとのアイデンティティの一致は達成されない。一方でアルスターのプロテスタントは19世紀後半には自らをブリティッシュ・ネイションの一員とみなすようになる。イングランドとの連合によって、アイルランドの宗派間・地方間・階級間・出自による民族間の、主に政策的な考えにおける分断はさらに進行してしまう。

  ・「オコンル(オコネル)」→「ダニエル・オコネル(1775-1847)弁護士、政治家。議会を通して連合法撤廃とカトリック農民の解放の運動に専念し、巧みな弁舌によって大衆の人気を得た。ダブリン市中央のオコネル通(旧サックヴィル通り)とオコネル橋は彼を記念して命名された。橋の北側、通りの南端中央に彼の銅像がある」(U-Δ注)。説明の必要もないほど有能な政治家で、アイルランド人の英雄的存在。カトリック土地所有者階級に属していたオコネルは、1823年カトリック協会を設立。参加者を増やすため、「カトリック・レント(地代)」の制度を導入し、月1ペニーで準会員の資格を与えることで多くの貧しい人々が運動に関わるきっかけを作る。オコネルはまた熱心な奴隷解放論者でもあり、カトリックの特権的地位ではなく信仰の自由を大義とし、イングランドの非国教徒の境遇にも共感していた。カトリックには当時議員資格がなかった。しかし立候補すること自体に制約はない。それを利用し、1828年ウェリントン内閣時でのクレア州での補欠選挙において、オコンネルはカトリック協会から出馬、当選するが、議員にはならない(ボイコット戦術)。その後もカトリック派が立候補しては当選し、議員にはならないという戦術を使い、アイルランドの議会選挙を麻痺させ、イギリス側にカトリック解放をこれ以上拒み続けると内戦の危機になりかねないという危機感を抱かせる。そして1829年カトリックの法的制約の撤廃が実現される。多くの公職がカトリック信者に開放されたが、議会選挙での財産資格が引き上げられるなどの条項も同時に法案化されてしまい、結局この解放によって利益を得たのはカトリックの上層のみであったが、農村下層民は依然としてオコネルを支持し続けた。と同時に、カトリック教会の政治性も強化された。

 1830年代に入ると、オコネルは合同撤廃(リピール)を最大の政治目標とするようになった。1835年の総選挙では、イングランドの急進派と合流することで自身の派閥の獲得した議席の実数以上の政治力を持つことに成功する。オコネルは現実路線を選択し、手始めに都市自治体の改革を目指す。この改革には17世紀以降のプロテスタント寡占支配を崩す目的があった。1840年に改革は実現し、58の自治体が解体され、州の管轄下に置かれる。市政そのものが以前としてプロテスタントが優勢な州行政に吸収されただけという結果にもなったが、存続した10の自治体では市政ポストの選出法が一定額以上の納税者による選挙に変更され、カトリックが市政への発言権を得るという結果をも生んだ。そして約150年ぶりにカトリックであるオコネルがダブリン市長に就任する。オコネルはその後真剣にリピール追求に専念するようになり、「告示」を発し、ホィッグ政府の限界と連合王国体制を攻撃、全国リピール協会を発足し、「リピール・レント」を創設すると、カトリックの中間層から多額の資金を提供される。

 1843年、オコネルはリピールの内容を具体化し、アイルランド独自の議会が十分の一税を完全廃止、借地権の安定、工業の保護、司法の公正化をもたらすと構想する。その後各地で巨大集会が組織されると、オコネルは300万人を全国リピール協会に加入させ、全土を地区に分けて、その代表がダブリンに集結、リピールの法案を用意してウェストミンスターに送り付け、承認させるという作戦を考える。それに応じてカトリック解放運動は拡大し、アイルランド政治の主舞台は全国リピール協会に移行したかのようになる。オコネルは1843年10月8日クロンターフで最大の集会を開くことを予定し、開催日に向け多数の人々が集まるが、先手を打った政府が「帝国の国政の転覆を目論む」ものとして前日に集会の禁止令を出す。結局集会は中止となるが、国政の根本的な変更を目的とした巨大な政治運動が組織されたという事実がアイルランドの改革の必要を政府に強く認識させる。その結果、カトリックに対する宥和政策が実施され、反カトリックの総督の更迭、新任総督にはプロテスタント保守派の圧力に屈さない「完全に不偏で公正な」統治を指示、メヌースの神学校(カトリック系)に対する助成金を三倍に増やし、カトリックの大学教育を拡充させる。1847年、既にジャガイモ飢饉で大量の死者が出始めていたが、ホイッグ政府の対応は不十分だった。オコネルは政府支持を続けつつ、議会でイギリスからの寛大な援助を懇願する。これが最後の彼の議会演説となり、1847年、ジャガイモ飢饉の結末を見届けることなく、オコネルはこの世を去った。

  ・「フィニア会(きみらの宗派)」→「厳密には、1858年3月ニューヨークに発足したアイルランド移民の組織。一般には同年同月ダブリンに設立された本部組織「アイルランド共和国兄弟団:Irish Republican Brotherhood」を含めて言う。ともに実力行使によるアイルランド独立を目指した。アイルランド伝説のフィアナ(英雄フィン・マクール麾下の戦士団)にちなんで命名。スティーヴンはもちろんフィニア会員ではないが、ディージーケルトアイルランド人をその一味または支持者と見ている」(U-Δ注)。フィニア会の前身としてまずアイルランドの独立民主主義共和国化を目指して1858年に結成された秘密結社、アイルランド共和主義団(Irish Republican Brotherhood:IRB)があり、フィニア会はその支援組織としてニューヨークで結成された支援組織。主にアイルランドアメリカ人将校や、イギリスに移住したアイルランド人の支援を受けて、1850年代から1860年代にかけて活動した。武力闘争によるアイルランド独立を目指し、フィニア会指導部は「イギリスの危機はアイルランドの好機」をモットーとした。国際情勢を視野に入れ武装蜂起の機会をうかがったが、実際の蜂起はあまり成功していない。

 しかし、フィニア会の運動は同時代のナショナリズム及び分離主義言説の形成に重要な影響を与えた。1865年警察による事務所の家宅捜索により逮捕されたフィニア会指導者のメンバーの救出作戦が1867年に実行されたとき、警察官1名が殺害された(マンチェスタ事件)。これによって3人のフィニア会員が絞首刑に処されたが、警察官の殺害は謀殺でないと信じるカトリックの世論は死刑囚たちを「マンチェスタの殉教者たち」と呼んだ。彼らの「殉教」はバラッドに歌われ、司祭によってレクイエムやミサが行われた。マンチェスタ事件はフィニア会の運動に対するカトリック教会の態度を変化させ、カトリック高位聖職者の中に彼らに対して同情的な態度をとる者が現れた。こうしてカトリック司祭主導の大衆ナショナリズムの高揚がもたらされ、フィニア会の運動は愛国的表象の一つとなった。また、フィニア会員(フィニアンズ)という言葉はカトリックを奉じるアイルランド人に対する蔑称としても用いられてきた。

  ・「ジョン・ブラックウッド」→「実在の人物(1722-99)。まず、ブラックウッドは「連合法」の成立に強硬に反対した。次に、ダブリンへ出ようとして長靴をはいているとき発作のため急死。反対案を投ずるには至らなかった。ジョイス自身はこの事実を知っている」(U-Δ注)。私の調べたところでは、ジョン・ブラックウッドに関する情報について注以上の情報は特に見当たらなかった。

以上、アイルランドに関する歴史的な用語と史実を振り返ったうえで、本文への考察に戻ってみる。

・U-Y 61「英国皇太子アルバートエドワード」→1904の時点ですでに国王に即位しているのに、未だに彼の皇太子時代の写真(肖像?)を飾っているのはディージーの回顧主義によるものか。それともスコットランド生まれの皇太子に対する同胞の念からか。

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キルトを着たアルバートエドワード*16


・U-Y 61「オコンルの時代からの三世代」→オコネルの次はパーネルであることは確実と言っていいと思うが、その次は1904年当時のアイルランド国民党の党首(1900‐15)、ジョン・レドモンドだと考えられる。彼の指導下で国民党は第三次アイルランド自治法案と第一次世界大戦への対策に取り組んだ。また、このディージーの発言から察するに、彼は1820年代前後の生れ、60代くらいであることが推測される。

・U-Y 61「オレンジ党の者たちがこぞって連合撤廃を叫んで世を騒がしたのをご存知かな?」

 U-Δ 83「オレンジ会員らが連合の撤廃を叫んで騒乱を起こしたのを知ってるかな?」

 “Do you know that the orange lodges agitated for repeal of the union”

 →agitateは「扇動する、動揺させる、(政治)運動をする、(…を求めて)激論する」等の意味だが、forが後につくと「(政治)運動をする」の意味合いが強い。確かにオレンジ団は対立派閥との争乱や暴力的行為を行っているが、ここでは政治運動をして議論を呼び起こす、の意味のほうが強いのではないだろうか? オレンジ会員はプロテスタント系なので、スティーヴンへの当てつけとしてプロテスタントであるディージーが「騒乱」というような言葉を使った可能性は考えにくい。どちらの訳にしても、オレンジ団が迷惑な団体であるような印象があるが、これは日本人的な発想だろうか?(騒乱といっても、いわゆるデモ行為的なものであるかもしれない)そしてディージーは信念のためならオレンジ党のカトリック団体への暴力行為は無視するのか? そのような行為を容認するのか?

・U-Y 61「オコンルよりも二十年前、つまりきみらの宗派のお偉方があの人物を煽動家として糾弾するよりずっと昔のことだがね?」

 U-Δ 83「オコネルが撤廃運動をやって、きみらの教会のお偉方に煽動政治家呼ばわりされる、その二十年も前の話なんだよ」

 “twenty years before O’connell did or before the prelates of your communion denounced him as a demagogue?”

 →communionは同じ信仰・宗派の仲間、宗教団体などの意味。didは上述したagitate(for repeal)を指す。確かにオレンジ団によるリピールの主張のほうがオコネルやフィニア会よりも先だ。communionはフィニア会のことを指すと思われるが、フィニア会がオコネルを煽動家として糾弾したという具体的な記録は見つからない。もしかしたら、アメリカのフィニア会が1840年代初頭、リピール運動に対するオコネルの慎重な姿勢に不満を示すとともに疑問を抱き、後に青年アイルランド党を結成したことを指しているのかもしれない。しかし1870年代、フィニア会はパーネルと接触し、協力関係を構築、武力闘争による独立から土地問題解決を中心とした共和主義運動へと方針転換をしている。

・U-Y 61「四六年の飢饉」→言うまでもなくジャガイモ飢饉。詳細については人的被害や移民数の推移、ジャガイモの作付面積や収穫量の変化についての数的データに基づく被害の検証がほとんどだったので、文章に起こすのが難しく詳細は省くが、これは明らかに後手後手の連合王国政府の対策と、アイルランドの飢饉はアイルランドの責任、自由放任主義自由貿易を言い訳にしながらアイルランドを自国のユニオニズムと利権のため手放そうとしないイギリスの得意の「二枚舌」による人災だ。アイルランドの飢饉は、結局民間団体や他国の支援・援助によって救済されている(それをもってしても膨大な死者数が出てはいるが)。いくらこの飢饉を経験したとはいえ、イギリス派のディージーにこれを語る資格は本当にあるのだろうか?

・U-Y 61「フィニア会の諸君は色々忘れておるのだ」

 U-Δ 83「きみたちフィニア会の連中は何か忘れてやしませんか?」

 “You fenians forget some things”

 →U-Yではほぼ直訳だが、U-Δではやはり当てつけがましい印象がある。先に詳述したように、フィニア会という言葉でケルトアイルランド人のスティーヴンを馬鹿にしているのかもしれない。また、オレンジ会が早くからリピール運動に取り組めたのは、彼らがプロテスタントで、プロテスタント優位体制のもとでは動きやすかった、という理由もあるかもしれない。そしてフィニア会としてもリピール運動については全く関わっていないわけではないし、オレンジ会より遅いからと言って彼らより劣っているとは必ずしも言えない。すでに誰もがしてしているように、ディージーは歴史的事実を忘れ、あるいは自分の考えに都合のいいように改変していることが分かる。

・U-Y 61「いがぐり頭がばたばた倒れる」

 U-Δ 83「くたばれ、クロッピーども」

 “Croppies lie down”

 →すでに述べたようにこれはクロッピーに反対する者たちの流行り歌のようなものなのだが、歌の歌詞全体を見ると、「クロッピーが倒れる」「くたばれクロッピー」のどちらの意味でも使われているので、U-Yの訳もU-Δの訳も当てはまる。しかし、「いがぐり頭」という言葉は何となく丸坊主のような髪形を思い出させるのではないだろうか。いがぐり頭の意味を調べてみると、髪を短く、丸刈りのようにした頭、と出てくる。しかし丸刈りは坊主頭のことだ。いがぐり、というくらいだから、栗のいがのようにある程度の長さのある短髪のことを意味しているのは分かる。また、cropという言葉という言葉を調べると「刈り込み、いがぐり頭、鳥の餌袋、乗馬鞭、a short haircut」と出てくる。クロッピーに課せられた過酷な拷問、ピッチ・キャッピングのことを考えると、完全な坊主頭よりは髪に多少の長さのあったほうが拷問として効果があるように思える(そのほうが坊主頭よりも痛いと思う)。cropped hairで画像検索してみると、頭の横の部分は刈りあげて、上の部分は比較的髪を長くしているものが多い(当時のcropped hairとは違うのかもしれないが)。一方、いがぐり頭で画像検索してみると、坊主頭に近いものがいくつか出てくる。いがぐり頭、でもいいのかもしれないが、もし訳で遊ぶなら、「短髪軍団」とか「刈り込み野郎」(これは私の思いつきなので、たぶんもっと面白い言い方はあると思うが)とか、あまり坊主頭を想起させないような訳のほうがいいのではないかと思う。

・U-Y 61「スティーヴンはちらりとだけ反応をしてみせた」

 U-Δ 83「スティーヴンはちょいとした仕種を見せた」

 “Stephen sketched a brief gesture”

 →“sketch a gesture”は見慣れない言い方だと思った。sketchはスケッチする、描く、述べる、の意味。gestureはほぼ日本で使われるジェスチャーの意味と同じ。もしかしたら、このgestureの意味をmotionとしてとらえて、スティーヴンが前段までの歴史上の人々の「動き」を短い間「頭の中で描いた」、のではないかとも思ったが、そうなると“brief gesture”という言い方がふさわしくない感じがする。“sketch a gesture”で、数は少ないが他にも「身振りをする」という意味で読める英文は見つかったので、やはりこの二つの訳で正しいのだろう。この「ちらりとだけの反応」は、君たちはフィニア会員だと勝手に呼ばれ、スティーヴンがそれまでの歴史を自分でも回想した後の反応。反論する気も起こらないが同意する気もない、あなたの話はちゃんと聞きましたよ、という意味での仕草か。

・U-Y 61「われらは皆アイルランド人、王の息子なり」

 U-Δ 83「われわれはみんなアイルランド人なんだ。みんなが王の子たちですよ」

 “We are all Irish, all kings’sons”

 →「古代アイルランド諸王の子孫の意」(U-Δ注)。この言葉は中世からのアイルランドの言い習わし。古代アイルランドは多くの地域がそれぞれ独立した王によって支配され(「王」と呼ばれる人物は数百人もいたと言われている)、全ての人々がその支配階級の氏族に属する一員だった。ディージーはこの言葉を原義通り捉えるのではなく、彼が母方に反逆者の血が流れていると同時に、ブラックウッドの末裔であるという意味で、今の社会秩序(連合王国の一部になっている状態)が避けられないものであると同時に理想的なものである、ということをスティーヴンに納得させようとする意味で用いている、という説がある。「反逆者」(ケルトアイルランド人、またはカトリック信徒のことであろう)の血が流れているとはいえ、ブラックウッドの末裔を自称し、実際にスコットランドにルーツを持ち、今でも親イギリス派であるディージーが「古代アイルランドの諸王の息子」であるとは言い難い。「連合に一票を投じたサー・ジョン・ブラックウッド」はある意味アイルランドをイギリスに売ったのだ。スティーヴンとしては、自分たちと一緒にしてほしくないという気持ちを抱くだろう。ちなみにディージーのモデルはドーキーのクリフトン・スクールの経営者・校長であるフランシス・アーウィンであると言われている。彼はアルスターのスコットランド人で親英派だったと言われている。

・U-Y 61「情けないですがね」

 U-Δ 83「悲しいことに」

 “Alas”

 →Alasは「ああ!、悲しいかな!、残念なことに、あいにく、悲しみや後悔の念の表現」として用いられる。「情けない」という言葉は「無常である、嘆かわしい、みじめだ」という意味がある。どちらの訳でもそうだが、U-Yでは特に、古代アイルランドの諸王の息子である自分たちがイギリスに虐げられながら何もできない状況を「みじめだ」と嘆いている感じがする。U-Δの「悲しいことに」というのは、諸王の息子であることが悲しいのではなく、やはり上にあげたような状況で反逆できないのが悲しい、ということだろう。どちらかと言えば、U-Yのほうが伝わりやすいと思う。

・U-Y 61「まっすぐな道によりて」

 U-Δ 83「正シキ道ニヨリテ」

 “Per vias rectas

 →「ラテン語。ブラックウッド家の銘」(U-Δ注)。読書会で、直線的な歴史の見方と馬の走り方の類似性が指摘された部分。この辺のスティーヴンとディージーの会話は、かみ合っているようでかみ合っていない。というか、ディージーがスティーヴンの発言に対して答えるよりも、自説を論じ、納得させようとしているところがある。

・U-Y 61「トップブーツ」→「上を折り返した形の革長靴」(U-Δ注)。

・U-Y 61「ダウン州」→「アルスター地方南東部。アーズにはスコットランドの入植者が多く、連合派の勢力が強かった」(U-Δ注)。

・U-Y 62「ぱっぱか、ぽこぱか、/岩ごつ道をダブリンへ」

 U-Δ 84「ぶらり、ぶらぶら、/岩の小道をダブリンへ」

 “Lal the ral the ra / The rocky road to Dublin”

 →「作者不明のアイルランドのバラッドより。農民の息子がダブリンへ出てイギリスへ渡り、名を成す話らしい」(U-Δ注)。と、注にはあるが、バラッドの全文を見てみると特に名は成していない。貧しい農民の少年がコノートからダブリン、さらにリバプールを目指す。リバプールで馬鹿にされ、喧嘩に巻きこまれるが、ゴールウェイ出身の少年たちの助けでなんとかリバプール人たちから逃げ帰ることができた、という内容だった。もしかしたら幾つかバージョンがあるのかもしれない。ここでは、プロテスタントの貴族が馬に乗ってダブリンへ、という話をしているのに、貧しいカトリックの農民の少年がダブリンへ出ていくバラッドを思い出しているのが、スティーヴンのディージーへの秘かな反抗である、という説がある。確かにこのバラッドと次の段落では、ブラックウッドを馬鹿にしているような印象がある。ちなみに、馬のひづめの音に関しては“clop” “clip-clop” “clump”などの擬音語が用いられることが多く、“Lal” “ral” “ra”という言葉は調べても特別な意味が見つからなかった。U-YとU-Δでは独自にこの曲の雰囲気に当てはまる擬音語を考えたのではないかと思う。

・U-Y 62「そして窓に近い机に行き、椅子を二度引き寄せてから、タイプライターのロールにのった紙に打ちかけている言葉を読み返した」

 U-Δ 84「彼は窓のそばのデスクへ行き、二度ほど椅子を引き寄せ、タイプライターの円筒に巻いてある紙面の言葉のいくつかを確かめた」

 “He went to the desk near the window, pulled in his chair twice and read off some words from the sheet on the drum of his typewriter”

 →ここの文章で、なぜ「椅子を二度引いたのだろう」と疑問に思ったのだが、体を机により近づけるため、以外の答えが見つからない。それで原文を見ていたのだが、この文章ではもしかして特に意味のない「遊び」をしているのではないだろうか。分かりやすいように原文を下にもう一度書き出してみる。“He went to the desk near the window, pulled in his chair twice and read off some words from the sheet on the drum of his typewriter”と、この文の中にはtとwが数多く含まれており、twiceの前後には動詞と名詞が五つずつある。文章の中間にあるtwiceで、その前後にある部分のtとwを繋いでいるような状態になっている。だから何の意味があるのだ、と訊かれても分からない。ただこんな風にして「遊んで」いたのではないか、と思っただけだ。

・U-Y 62「肩ごしに言った」

 U-Δ 84「肩越しに振り返って言った」

 “said over his shoulder”

 →あまり作品内容とは関係ないのだが、この「肩ごしに振り返って言う」という表現は文芸翻訳界隈でだいぶ前から批判と議論がなされている表現だ。曰く、「振り返ったなら肩ごしなのは当たり前」だから。それに対して、「振り返った、と言っても体ごとくるりと相手のほうを向くのも「振り返る」のに入るのでは」との反論もある。要するに、「肩ごしに言う」と「振り返って言う」の表現の重なりが無駄で、不自然だと言うのだ。「肩ごしに」という言葉を調べてみると、「前にいる人の肩の上を越して物事をすること」と出てくる。誰かが背後から「肩ごしに」話しかけるときなんかはどうするのだろう? それは文脈で分かるだろう、と言われそうだが、最近の小説では特に、分からない場合だってあるかもしれない。「肩ごしに振り返って言う」という言葉がこれまでの翻訳でかなり頻繁に使われてきた、という背景はあるだろう。それに対する反発、と言えなくもない。私としては、「肩ごしに言う」でも「肩ごしに振り返って言う」でも、どちらでもいいと思う。シンプルな訳文にしたくて、文脈で振り返っていることが分かるならば「肩ごしに言う」だけにするかもしれないし、冗長さを出したり原文に忠実な訳文を作ろうとするなら、「肩ごしに振り返って言う」と訳するのではないかと思う。そして、この書斎中での窓、机、ディージーの椅子、テーブル、スティーヴンの腰かけているところの位置の関係があまりはっきりしていないのだが、この部分からはディージーが机に向かって腰かけている後方にスティーヴンがいることが分かる。

・U-Y 62「常識の然らしむる處」

 U-Δ 84「良心の命じるところ」

 “the dictates of common sense”

 →dictateは「(神、良心、理性などの)命令、要求(硬い言い回し)」との意味なので、硬さを出すにはU-Yの訳のほうがいいと思われる。

・U-Y 62「ときおりロールを巻き上げては打ち間違いを消しゴムでこすってふーっと息で払う」

 U-Δ 84-85「ときどき円筒を巻き上げ、間違いを消し、息で吹き払いながら」

 “sometimes blowing as he screwed up the drum to erase an error”

 →この部分、タイプライターの間違いは消しゴムで消すのか? と疑問に思った。19世紀末までに様々な種類のタイプライターが作られており、ディージーがどういう種類のタイプライターを使い(恐らく彼のことだから割と古い型のものではないかと想像するが)どういう種類の紙にタイプしているのかは分からないが、調べてみるとタイプライターの打ち間違いを消すための、研磨剤のようなものの入った、エボナイトなど硬質のゴムでできた消しゴムが発明・使用されていたようだ。また、インクで書かれた文字をナイフで削って消すことは珍しいことではなく(インクの文字消し用ナイフ、というものまであった)、インク文字を消すための硬質消しゴムがタイプライターの打ち間違いを消すための硬質消しゴムへと改造された、という説もあることから、タイプライターの打ち間違いをナイフで削って消すことも考えられるが、この場面でのように、タイプライターに印刷物を挟んだ状態でナイフを使って文字を消すことは非常に危なかっただろうと思うし(紙の破れる危険と、怪我の危険)、万一ナイフで消すならば一旦印刷したものをタイプライターから抜き取って、机の上で慎重に削ったのではないかと推測される。*17。また、修正液が登場するのは大分後年になってからという事情も考えると、ここではやはり消しゴムを使っていた可能性が高い。となると、消しゴムでタイプライターの打ち間違いを消すなど想像できなかった読者としては、U-Yのほうが親切な訳ではある。

<U-Y 62-64 ~名馬・競馬・口蹄疫・ディージーの手紙・ミソジニー~>

・U-Y 62「額縁におさまって壁をぐるりと今は亡き名馬たちが恭順の姿勢で立ち、従順な鼻面を高くもたげている」

 U-Δ 85「まわりの壁には、いまは亡い名馬たちが額縁に収まって恭順の意を示している。おとなしい頭を高くもたげて」

 “Framed around the walls images of vanished horses stood in homage, their meek heads poised in air

 →U-Yでは“stood in homage”と“Poised in air”を、「恭順な姿勢」と「従順な鼻面」に反映させているのか。vanishという語が気になった。vanishは「消える、姿を消す」等の意味で、「亡くなる、死ぬ」といった意味は直接的には持っていない。どちらの訳も「今は亡き(いまは亡い)」として死んだ意味にとっているが、原語のニュアンスを反映させるならばこれは「今はいずことも知れぬ」というような訳になるのではないだろうか。もちろん額に飾られた馬たちはどれも数十年前に活躍しているので、すでに死んでいると考えるのは妥当なのだが(一般に馬の寿命はどのくらいなのだろう?)。このvanishについては後の文にも出てくるので、改めて考えたい。また、imagesを訳出していないのは、これが写真なのか肖像画なのか分からないからだろうか。馬たちが恭順の意を示しているのは、騎手ではなく馬の主人、オーナーである上流階級の人々に対してである。当時騎手の技量は競馬においてあまり重要視されていなかったらしい。

・U-Y 62「ヘイスティング卿のリパルス、ウェストミンスター公爵のショットオーバー、ボーフォート公爵のセイロン、一八六六年巴里賞」→「リパルスはイギリスのニューマーケット競馬場で一千ギニーを(一八六六)、ショットオーバーはダービーで二千ギニーを(一八八二)、セイロンはパリ郊外ロンシャンの競馬で「巴里賞」を(一八六六)それぞれ得た」(U-Δ注)。馬の主人である貴族たちの名前が列挙されていることから、ここでスティーヴンは結局5人の「皇太子」の前に畏まっているのだ、という指摘がある。

・U-Y 62-63「小妖精みたいな騎手がそれぞれにのっかり、合図を待ち構えている」

 U-Δ 85「小さな騎手たちが乗って、合図を待ちかまえている」

 “Elfin riders sat them, watchful of a sign

 →Elfinは小妖精の、小さい、という意味。騎手は大抵小柄であるが、ここではオーナーである貴族たちとの相対的な「小ささ」をも意味しているのだろうか。

・U-Y 63「各馬の速さを目に浮かべながら、国王の旗に賭け、今は亡き観衆の喚声といっしょになって叫んだ」

 U-Δ 85「彼は馬たちが疾走するのをみつめ、英国国旗に賭け、いまは亡い観衆の喚声にまじって叫んだ」

 “He saw their speeds, backing king’s colours, and shouted with the shouts of vanished crowds”

 →この「国王の旗に賭け」という意味が分からない。当時の競馬の様子を描いた絵を探してみたが、国旗が掲げられていたり、馬の装備具や旗手の身につけているものに国旗が描かれている様子はない。国王の旗に賭け、というのは英国産の馬に賭けるということだろうか? この部分は後に描かれる、クランリーと一緒に行った競馬ではなく、前に出てきた名馬たちの出走した競馬の状況をスティーヴンがイメージして、心の中で観衆と一緒になって叫んでいる場面だと思う。ならばこの競馬はイギリスかフランスで行われているはずだ。「賭ける」という言葉には、ギャンブルなどで金を賭ける、賭けを行って金品などを出す、という意味以外に、「失敗したときは、大切なものを全部失う覚悟で事に当たる」という意味があるので、イギリス国王に命を捧げる覚悟で競馬をしているのか、とも思ったが、backという単語が「支持する、(競走馬に)賭ける」という意味なので、原文ではやはりイギリスの馬に賭けているという意味になると思うのだが、当時のイギリスの競馬で(フランスは措いておくにせよ)イギリス産以外の馬が出走することはあったのだろうか? 普通はサラブレッド(英国原産の競走馬)しかちゃんとした競馬には出走しないのではないかと思うが、詳しくは分からない。

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19世紀のイギリスでの競馬を描いた絵画*19


そして、ここでまたvanishが出てくる。ここでもやはり、「今は亡き(いまは亡い)」という訳語があてられている。前に列挙されている名馬たちはいずれも1860年代から1880年代にかけて活躍した馬であるらしいので、馬が亡くなっている可能性が高いのは分かるが、その時代から1904年まで、つまり約40年~20年の間に、当時競馬を楽しんだ人たちが必ず死んでいるとは言えないのではないだろうか? なぜこの馬にせよ、観客にせよ、彼らの「死」を強調するのか? 書いていて思ったのだが、U-Y 62にあるディージーがタイプライターの打ち間違いを消す“erase”と、競馬での馬や観客の“vanish”には繋がるものがあるのではないだろうか。つまり、eraseではディージーが意図的に「消して」いる。競馬の馬や観客たちは「消えて」しまう。消すことと消えることは、「記憶」と「記録」の問題、ひいては歴史認識・歴史の検証の問題にもつながるのではないだろうか。その時代を生きた人たちの「記憶」と、写真や公的なデータなどで残された「記録」の間に生じる差異の問題には興味があるが、詳しく調べたことはないので、今は問題提起だけにしておきたい。

・U-Y 63「一番人気は元手返し、本命外は十倍返し」

 U-Δ 85「本命は一対一。その他の全出走馬は十対一」

 “Even money the favorite; Ten to one the field

 →「元手返し」という言葉を調べても意味が見つからなかったのだが、Even moneyは賭け金と賞金が同じ、という意味なので、元手しか返ってこない、ということだろう。となると、十倍返しでは元手が十倍になって返ってくることだと思う。しかし、オッズについて調べてみると、日本と海外(特にヨーロッパ)でオッズの表記法がちがうのだ。元手返しの部分については問題ない。日本の競馬のオッズでは、元金を含めた払戻金表示をする(だからオッズが1以下になることはない)のに対し、海外のオッズには元金が含まれていない。例えばここで「十対一」とあるが、これは10/1を指し、賭け金が十倍になるのだが、払戻金はオッズに含まれていないため、実際に貰える金額は賭け金(元金)の十倍+元金となり、日本で言えばオッズは11倍になってしまう。当時「クランリーと行った」競馬のオッズ表記も同様かどうかが分からないので、ここを「十倍返し」と訳していいのかについては何とも言えない。

・U-Y 63「フェアーレベル!」

 “Fair Rebel!”

 →「1902年6月4日、ダブリン南南東のレパーズタウン競馬場でカラハ賞杯を得た」(U-Δ注)。fair rebelは訳すと「汚れ無き反逆者」「有望な反逆者」などの意味になる。アイルランドっぽい名前だと思った。

・U-Y 63「ダイス賭博師やらシンブル賭博師やらのそばをすり抜けて、二人で蹄のあとを追い、競り合う帽子とジャケットを追いかけ、するとあの肉ぼて顔の女、肉屋のおかみさんみたいな女がいて、鷲摑みにしたオレンジにがつがつ鼻面をこすりつけていたっけ」

 U-Δ 85-86「ぼくらは蹄や競い合う騎手帽やジャケットを追って、さいころ賭博師やいかさま手品師のそばを駆け抜け、ぼってりした顔つきの女のそばを通り過ぎた。肉屋のかみさんだ。オレンジの一切れに鼻を突っ込んで、むさぼるようにしゃぶっていた」

 “Dicers and thimbleriggers we hurried by after the hoofs, the vying caps and jackets and past the meatfaced woman, a butcher’s dame, nuzzling thirstily her clove of orange”

 →この部分はクランリーとスティーヴンが勝ち馬を追いかけている部分では、という読書会での指摘があった。そう考えると確かに文脈に合っている。thimbleriggerは「シンブル賭博師」で、テレビなどで見たことがある人もたくさんいると思うが、三つくらいの伏せたカップの中の一つにシンブル(裁縫で使う指ぬき)を入れ、カップをシャッフルして、どのカップにシンブルが入っているかを当てさせる賭博。シンブルの代わりに貝を入れるshell gameというものもある(やり方は同じ)。いかさまの多い賭博として有名らしい。U-Yではそのままシンブル賭博師、としているが、U-Δではいかさま手品師、としている。競馬場でのことだから、賭博師のほうがふさわしいのかもしれないが、競馬場内での余興というか、出し物のようなものとしてそういった手品をする人たちもいたかもしれないので、U-Δでも完全な間違いとは言えない気がする。しかし手品というものはそもそもトリック(いかさま)があるものなので、「いかさま手品」という言葉はあまりいい訳ではないのではないかとも思う。もしいかさまに見えないような手品を見せられて、「あんなのはいかさまだ!」と観客が言うような状況であるならばともかく。

 問題はmeatfaced womanからの部分だ。meatfacedはもちろんmeatとfacedをくっつけたジョイスの造語だが、meetに肉々しいとかぼってりした、という形容詞の意味はない。形容詞語化した言葉はmeatyだ。このmeatfacedはOEDにこの部分が用例として載っていて、ここのmeatは「肉に似た、肉のような」としてmeatyとほぼ同義とされている。だからU-YもU-Δもふさわしい訳と言えるだろう。読書会では、「鷲摑みにした…」以降の部分が馬のことではないか、との指摘があった。確かにnuzzleは鼻をすりつける、特に動物や、人間ならば恋人同士の愛情表現として鼻をこすりつける仕草のことだ。そして“a clove of”は「ゆり根やニンニクの球根部分を裂いて割った一かけ」のことだが、球根部分(bulb)には球形のものという意味もあるので、そこまでゆり根やニンニクにこだわる必要はなく、単にオレンジを割いた一かけ、と考えていいだろう。U-Yだと「鷲摑みにしたオレンジ」になっているが、この訳からイメージされるように、オレンジ一玉にまるごとかぶりついているわけではない。オレンジを割った中の実の部分に「鼻をこすりつけて」いるのだ。U-Δではそのように訳しているが、人間ならば割ったオレンジに鼻をこすりつけるだろうか? 割り方にもよるかもしれない。半分に割っただけなら、かぶりつくときには鼻がオレンジにつくだろう。でもここでは「一かけ」であるのが引っ掛かる。そしてもしこれが馬の描写なら、その前にある「あの肉ぼて顔の女、肉屋のおかみさん」がこの馬とどういう関係にあるのか。原文では“past the meatfaced woman, a butcher’s dame”とあるので、スティーヴンたちが肉ぼて顔の女を通り過ぎたことは確かだ。この「肉ぼて顔の女」と「肉屋のおかみさんみたいな女」は、肉という繋がりはあるけれど、同一人物としてとらえていいのだろうか。U-Δでは同じであるような印象を受ける。そしてその肉屋のおかみさんの後に、コンマがきてnuzzlingとあるので、恐らくオレンジに鼻をこすりつけているのは肉屋のおかみさんだ。もし最後の部分が馬であるとすると、「肉屋のおかみさん」は馬の比喩的な表現になる。さらに、その前の「肉ぼて顔の女」も馬を形容した比喩的表現である可能性がある。そして、もしスティーヴンとクランリーが勝ち馬を追いかけていたなら、この最後の部分の馬と思われる「オレンジに鼻をこすりつけているもの」は競馬の最中なのになぜオレンジを食べているのか? これは競馬が終わった後の馬の描写なのだろうか? 追いかけていた勝ち馬はどうなったのか? これが馬でないとしたら、単に肉屋のおかみさんが、ジョイスのよくやる「ものの擬人化的表現」の逆バージョンとして「ヒトの行動の動物的な表現」を当てはめただけで、オレンジを食べていただけ、ということになる。この「人か馬か」問題については何とも言えない。

・U-Y 63「まただな。ゴールだ。おれもあの仲間、入り乱れて戦う肉体の仲間だ。人生という馬上槍合戦」

 U-Δ 86「もう一度。ゴール。ぼくもみんなの一人だ。入り乱れてぶつかり合う肉体の一つ。人生の馬上槍試合で」

 “Again: a goal. I am among them, among their battling bodies in a medley, the joust of life”

 →本来なら“joust”は「一騎討ち(馬上槍試合(tournament)の中の一競技)」のことなのだが、英和辞書には馬上槍試合、と出ている。英英辞書の中では一騎討ちのことを指すものもある。ここではホッケーの試合のことを人生のjoustに喩えているので、恐らく団体戦としての馬上槍試合の意味でいいのだろう。

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中世の馬上槍試合*21



・U-Y 63「まさかあの母親っ子の内股歩き、あのちょいと餌袋病みらしい耶蘇末のやつか? 馬上槍合戦」

 U-Δ 86「あの少し腹痛気味みたいな内股のお母さんっこが? 馬上槍試合」

 “You mean that knockkneed mother’s darling who seems to be slightly crawsick? Jousts”

 →「腹痛気味(餌袋病み):P, W, ジョイスによれば二日酔いを意味する語。しかしこの文脈には合わないようだ。crawは滑稽めかして「腹」を言う」(U-Δ注)。餌袋は「①鷹狩りの際に持っていく、鷹のエサや獲物を収める容器。弁当を入れることもあった。②魚・鳥の胃袋。また、人の胃袋を卑しめて言った語」のこと。ここでは明らかにシリル・サージャントのことを言っているが、これまでにシリルが内股だとか腹痛気味だとかいう描写は出てこない。敢えて書かなかっただけだろうとは思うが。また、原文にはないのにU-Yで用いられている「耶蘇末」という言葉は、スティーヴンに浴びせられたマリガンのふざけた呼びかけを想起させ、改めてシリルとスティーヴンの重なりを強調しているように思われる。「まさかあの子が?」という問いかけは、まさかゴールを決めたのがシリルなのか? という意味だとは思うが、この段落で「馬上槍合戦」という言葉は三度も出てくる。そしてその最初の一つの後に、「まさかあの……耶蘇末のやつか?」という問いが発せられていることから、まさか「耶蘇末な」あの子もこの人生の「馬上槍合戦」に参加しているのか? という、スティーヴンの驚きと残酷さの認識をも表しているのではないだろうか?

・U-Y 63「時が衝撃を食らい、衝撃のたびに跳ね返る」

 U-Δ 86「時間がぶつかって跳ね返る。ぶつかるたびに」

 “Time shocked rebounds, shock by shock”

 →短いだけに難解な原文だが、shockedが「衝撃を与えられた」でTimeを形容し、byは「(程度)(…)ずつ、毎に e.g. one by one」の意味で、コンマ以下が副詞的にreboundsを形容しているのだろう。この部分は後の「悪夢がおまえを蹴り返してきたら」にも繋がるのだろうか。

・U-Y 63「戦闘のぬかるみと喧騒、屠られた者たちの凍てついた血反吐、人の血まみれのはらわたを饗応された槍先たちの叫び」

 U-Δ 86「戦場の泥濘と怒号。刺し殺された者の血へどがこごりつく。血まみれの内臓を穂先に引っかけた槍の雄叫び」

 “slush and uproar of battles, the frozen deathspew of the slain, a shout of spearspikes baited with men’s bloodied guts”

 →spewは「吐いたもの、吐く」の意。slainは殺害された人々の意。spearspikesはspearとspikeをジョイス風に結合したもので、spikeは「金属や木、硬い物質の薄くて尖った先端、鋭い先端のある長い金属」を指す。baitには「(槍先やわなに)えさをつける、(特に移動中に)動物にエサをやる、旅の間に食事をとるため止まる」等の意味がある。また、饗応という言葉は酒や食事で人をもてなすことである。以上の言葉の意味から、deathspewは死に際の反吐→血反吐と訳して問題ないだろう。U-Δで「刺し殺された者」と敢えて訳しているのは、「槍試合」だからか。U-Δではspearspikesのspearとspikesを分けて、spikesを槍の穂先としている。baitと「饗応」、「穂先に引っかけた」なのだが、U-Yでは人の血まみれのはらわたによって槍を「(食事で)もてなした」というイメージなのだろうか? ここで「槍」は訳中で擬人化され、原文では「人間に利用される動物」を喚起させる語をあてられている。また、U-Δのように「穂先にひっかけられた」エサは、その槍にとってのエサでもあると同時に、エサを引っかけることでその槍はおとりにもなり、そのエサが他の敵を呼ぶ、ということが連想される。いくら血にまみれた内臓を、手柄をたてた槍にエサとして与えても、道具としての槍に与えられたエサはただの褒美ではない。それは終わりの見えない戦いの中で敵をおびき寄せることになり、槍を持つ者は再び相手のはらわたを手にするか、もしくは自らが相手の「槍へのエサ」になるという状況をも示唆しているように考えられる。

・U-Y 63「原稿をピンで綴じながら」

 “pinning together his sheets”

 →現代では紙を綴じるのにホッチキスやクリップが使われるが、「ピンで綴じる」とはどういうことだろう? と思った。まさか裁縫用の針や安全ピンのようなものでは留めないだろう。ホッチキスは19世紀末に既に発明されていたが、留める機械が大きすぎるので、普通の人が日常の文房具として使うにはふさわしくないのではないかと思うし、これだけ存在感のあるものを使ったらジョイスはそれを使って何かしら作品内に取り入れるのではないかと思った。クリップも同時期に発明はされていたが、クリップで留めるならば“pinning”とは言わないのではないかと思う。色々調べたが、ここで使われているのは“brass fastener (split pin)”というものではないだろうか。画鋲のような形ではあるが、針の部分は多少平たくなっていて、二股に分れているので、紙に刺した後でその二股の部分を広げることで紙を綴じることができる。最初に穴を開けておいてからピンを刺すらしいが、紙の枚数が少なければ、そのピンの先端で穴を開けて紙を綴じることも可能らしい。

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ブラス・ファスナー*23


・U-Y 63「ごく簡潔にしたためておいたが」

 U-Δ 86「論旨は簡潔しごく」

 “I have put the matter into a nutshell”

 →“into a nutshell”で「簡潔に言う」の意。『ハムレット』のなかに、「たとえ私がクルミの殻に閉じこめられていようとも、無限の天地を領する王者のつもりになれる男だ、悪い夢さえ見なければ」という台詞があり、その前の場面でポローニアスが自分の発見について王と王妃にくどくどと説明する部分がある。このことから、ディージーハムレット(=スティーヴン)が気違いだと発見する老相談役であるポローニアスのある意味「生まれ変わり」である、とする意見があるが、多少こじつけのようにも思える。しかし、nutshell(クルミの殻)もまた、「虚ろなもの」の一つと言える。その「クルミの殻」の中にディージーの長ったらしい手紙の内容がぎっしりと詰め込まれている、という点は面白い。

・U-Y 63「口蹄疫

 “Foot and mouth disease:FMD”

 →「ウシ、スイギュウ、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ラクダ、トナカイなど、哺乳類偶蹄目に属する動物だけがかかるウィルス性伝染病。口や蹄部の皮膚、粘膜に水疱を形成し、急速に広がる。ディージーの手紙は史実と異なる。1904年にはアイルランドでは口蹄疫は発生していない。ただし、当時のダブリンではまだ牧畜が盛んだったから、ディージーが新聞に投書するのは奇妙ではない」(U-Δ注)。1904年にまだアイルランド口蹄疫の発生が確認されていないのは確かだが、1912年に発生し、その5年後、この挿話を書いていたジョイスは当時起きていなかった問題を作品中で扱うことについて熟慮した末に、口蹄疫の問題をテーマとして含めることに決めたらしいので、「ディージーの思い違いの一例」というよりはジョイスによる意図的な題材選択の問題であるように思える。口蹄疫が最初にアイルランドで確認されたのは1839年、同年にイギリスでも発生していることから、イギリス経由で伝わって来たものと考えられている。しかしこの病気が確認された牛の農家は、後にその事実を否定した。次に再発したのが1869年、数州にまたがる発生が観測された。その次が1871年で、この年の感染は1877年まで続く。次いで1883年、1912年と続き、1912年の感染はリバプールに持ち込まれたアイルランド牛から確認された。この年の発症も7州にわたり、数か月にわたって続いた。その後も21世紀にいたるまで、断続的に数回発病が記録されている*24

・U-Y 63「この問題に関しては意見が二つとないはずだ」

 U-Δ 86「この問題については、もうほかに言いようがないでしょう」

 “There can be no two opinions on the matter”

 →読書会中で、歴史は一つの方向に、直線的に向かっているというディージー歴史観を反映しているとする指摘のあった部分。

・U-Y 63「自由放任主義

 “laissez faire

 →フランス語で「なすに任せる」の意。主に経済学で用いられ、その場合「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。この語を最初に用いたのはフランスの重農主義者で、重商主義に反対する立場からの「スローガン」としての意味合いを持つ。これを古典派経済学(古典学派)の祖であるイギリス(スコットランド)のアダム・スミスが主著『諸国民の富』(1776)で体系化。その著書においてスミスは「自由競争において見えざる手が働き、最大の繁栄がもたらされる」と主張したのは有名*25。上記の「重農主義(physiocracy)」は18世紀後半のフランスで、富の唯一の源泉は農業であるのと立場から、農業生産を重視する理論*26。また、「重商主義(mercantilism)」は、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想、政策の総称。「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」という認識を持つ*27

 アダム・スミス(Adam Smith、1723-1790)はスコットランドの哲学者、倫理学者、経済学者。「人間性を罪悪視する前近代の道徳に対し、スミスは利己心を肯定する。利益や幸福を求める自然な感情こそ人間活動の基盤であり、利他心は装飾物である」*28とする。スミスの哲学は「功利的な個人主義の人間観から出発する」*29。スミスによると、「人間は自己の責任で営利を追求するホモ—エコノミクス(homo-economics、経済的動物)であり、経済の主体である。利己心が経済活動を促進し、人為的な統制を加えなくてもおのずから秩序を形成する。利己心と共感とが矛盾なく両立するという予定調和の思想は、資本主義興隆期の市民階級の楽観主義を反映している」*30。彼はさらに、「国民の富の源泉は、土地や貿易ではなく労働にある(労働価値説)」*31と主張し、「労働生産力の発展が社会を発展させる。したがって、政府は利潤を求める個人の営利行為を自由に促進させるべき」*32であり、「一方、生産者が製造工程を分割して共同の分業を進めれば、労働の効率は著しく向上する」*33と説いた。スミスはまた、「自由競争下の市場では、価格を目安に、需要と供給とを自動的に調整するメカニズム(市場価格の自動調節機構)が働く」*34、との考えを持ち、「利己心は、その「見えざる手 invisible hand」(=神の理法)、すなわち市場原理に導かれて自然に秩序を形成する。「社会一般の利益を増進しようと意図しているわけではないし、自分の利益をどれだけ増進しているのかも知らない。……見えざる手に導かれて……、自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に、社会の利益を増進することもしばしばあるのである」(『国富論』)。」というように述べている*35

 スミスの言う「見えざる手」とは、「元々はキリスト教の終末思想に由来し、「人類最後の最終戦争には、信徒は神の見えざる手により救済され、天国へ行くことができる」などの教えから来る物で、これを経済論に比喩として用いたものである」*36。彼の「夜警国家観」では、「自由な市場は利己心が公共の利益に通じる道」*37であり、「人為的な政策はかえって社会的調和を妨げる。政府は自由競争を守るために働く「夜警」であり、経済への介入は少ないほどいいとする」*38。そして、「貿易の国家統制を説く重商主義mercantilismに反対し、重農主義physiocratieの自然法理論を発展させて、経済を自然的自由laissez faireの体制に委ねる自由放任主義を唱えた。産業資本の立場を代弁した『国富論(諸国民の富の本質及び原因に関する研究)』は、マルサス(Malthus 1766-1834)、リカード(Ricardo、1772-1823)らと共に経済学における古典学派を形成し、古典派経済学は今日の経済学の基礎理論となっている」*39

・U-Y 63-64「貴重なる紙面を拝借し。思うに自由放任主義がわが国の歴史にしばしば。わが国の家畜貿易。わが国旧来のすべての産業政策は。ゴールウェイ港湾計画に対し画策を働いたリヴァプール業者連。ヨーロッパの大火。海峡の狭い水路による穀物供給。農務省の完璧無欠の固陋」

 U-Δ 86-87「御社の貴重な紙面をお借りしたく。かの«自由経済主義»はわが国の歴史にまことにしばしば。われわれの家畜貿易は。わが旧来の諸産業のすべてがたどる道。ゴールウェイ築港計画を邪魔だてしたリヴァプールの同業者一味。ヨーロッパに大戦火が起れば。狭い海峡水路から穀物を供給するのは。完璧きわまる農林省の沈着ぶり」

 “May I trespass on your valuable space. That doctrine of laissez faire which so often in our history. Our cattle trade. The way of all our old industries. Liverpool ring which jockeyed the Galway harbour scheme. European conflagration. Grain supplies through the narrow waters of the channel. The pluterperfect imperturbability of the department of agriculture”

 →ゴールウェイ港湾計画は、ゴールウェイとハリファックス(カナダ)間を結ぶ汽船航路を持つ大西洋横断の可能な港、「ゴールウェイ港湾」をつくるという1850-60年代の計画のことを指すらしいが、この計画についての具体的な資料は見つからなかった。リヴァプール業者連(ringは組織、一味、等の意味)は自らの運送業における利益を守るため、この計画を妨害したと伝えられているが、そのような事実はなかったことが確認されている。この計画が座礁したのは後援者・支持者(プロモーター)たちの海事における無能力が原因だとの指摘がある。ヨーロッパの大火はU-Δの方がよく分かると思うが、第一次世界大戦のこと。これが起こると、アイルランドイングランドスコットランドから分断され、海峡の狭い水路による穀物供給のための輸送が中断・崩壊されうる、とディージーは予見していることになる。口蹄疫の部分でも書いたが、この挿話が書かれたのが第一次世界大戦のきっかけとなる火花が大分散らばり始めた頃なので、実際に1904年にジョイスがこのようなことを予見していたわけではないのだろう。

 また、imperturbabilityは「容易に動じないこと」の意で、「固陋」は「古い習慣や考えに固執して、新しいものを好まないこと、またそのさま」という意味。「危機が迫っているのに先手を打たず全く動こうとしない」農林省を形容するのに、固陋と沈着とどちらがいいのだろう、と考えたが、沈着、というといい意味で落ち着きのあるさまをイメージする。かと言って、固陋の意味するように、農林省が「古い習慣や考えに固執」していた、というのもあまりピンとこない。これはどちらがいいとも言えないし、自分でもいい訳が思い浮かばない。ところで、このディージーの手紙の内容の書かれ方なのだが、私はスティーヴンがディージーの手紙の主要な部分を流し読みしているような記述方法なのだと思った。が、回りくどく、長ったらしく、要点を得ない手紙(耳が痛い…)を読むのにスティーヴンが難儀している様子を描いたのだ、という説もある。ディージーの手紙に記された過去から未来に至る話が、「自由放任主義がわが国の歴史にしばしば」という言葉と何の関係があるのか、決して確かではないが、ディージーは、予想可能な問題が経済に大混乱をきたすのを受け身の姿勢で待つのではなく、先手を打って「自由放任主義」とは正反対の「干渉主義的な」政策を農務省にとるよう強く訴えているのではないか、という指摘がある。

・U-Y 64「カッサンドラ」

 U-Δ 87「女預言師カッサンドラ」

“Cassandra”

 →「トロイアの王女。正しい預言を聞いてもらえない」(U-Δ注)。カッサンドラはアポロンに愛され、アポロンの恋人になる代わりに預言能力を授かったが、その力をもらった途端、アポロンに捨てられる自分の未来が見えてしまったため、アポロンの愛を拒絶する。怒ったアポロンは「カッサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかける。カッサンドラはパリスがヘレネをさらったときも、トロイの木馬がイリオス市内に運ばれてきたときも、これは破滅に繋がると予言したが、誰も信じない。イリオスは陥落し、カッサンドラは小アイアースにアテネの神殿で凌辱され、トロイア戦争ギリシア軍総大将アガメムノンの戦利品としてミュケーナイに連れていかれ、アガメムノンの妻クリュタイムネストラの妻によってアガメムノンと共に殺される。現代でも「カッサンドラ」という言葉は「不吉・破滅」の意味で使われる。

・U-Y 64「ふしだら女」

 “a woman who was no better than she should be”

 →「ギリシアの将軍メネラオスの妻ヘレネトロイアの王子パリスに連れ去られ、トロイア戦争の原因をつくった」(U-Δ注)。ヘロドトスの『歴史』では、ヘレネはパリスに誘拐されたとあるが、神話ではヘレネは「地上で最も美しい絶世の美女。結婚の際に求婚者がギリシア中から集まり、義父テュンダレオースは、ヘレネが彼らの中の誰を選んでも他の男たちに恨まれないよう、「誰が選ばれても、その男が困難に陥った場合は全員がその男を助ける」という約束をさせ、結局ヘレネはメネラオスと結婚する。ヘレネは後にイリオス(トルコ北西部)の王子パリスの訪問をうける。パリスは美の審判の際、アプロディテーからヘレネを妻にするようそそのかされていた。ヘレネはパリスに魅了され、夫も娘も捨ててパリスと共にイリオスまでついていく。メネラオスとその兄アガメムノンらは、ヘレネを取り返すべく求婚者仲間を呼び寄せ、イリオスに攻め寄せる。これがトロイア戦争となる。イリオスではヘレネを返してギリシア勢に引き上げてもらおうという提案がされるが、パリスの反論により却下される。パリスの死後はパリスの弟のヘレノスとデーイポボスがヘレネを巡って争い、ヘレネはデーイポボスの妻となる。市外へ逃れたヘレノスは、オデュッセウスに捕まって説得され、ギリシア勢に味方することとなる。ヘレノスは予言能力によりイリオス陥落に必要な条件を教え、その滅亡を助ける。トロイの木馬で、木馬の中にいたメネラオスはデーイポボスを殺し、ヘレネも殺そうとするが、愛情が残っていたためそれができず、結局ヘレネはメネラオスと共にスパルタへ帰る」とされている。

 この神話中に出てくるパリスの審判は以下に述べるが、有名な話だ。「テティス(海の女神)とペーレウス(アキレスの父、英雄)の結婚を祝う宴席にはすべての神々が招かれたが、不和の女神エリスだけは招かれなかった。エリスは怒り、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金の林檎を投げ入れる。この林檎について、ヘーラー、アテーナー、アプロディテーが各々それを手にする権利を主張する。ゼウスは仲裁のため、「イリオスの王プリアモスの息子で、羊飼いのパリスに判定させる」と決める。女神たちは様々な賄賂でパリスを買収しようとする。ヘーラーは「アシアの君主の座」、アテーナーは「戦いにおける勝利」、アプロディテーは「最も美しい女」を与えると申し出、結局アプロディテーが勝つことになる。パリスは「最も美しい女」であるスパルタ王メネラオスの妻ヘレネを手に入れ、これがトロイア戦争のきっかけとなる。パリスを憎んだヘーラーとアテーナーギリシャ側に加担した」というもの。

・U-Y 64「口蹄疫。コッホの予防法として周知の。血清と病毒。免疫となった馬の百分率。牛疫。低地オーストリア、ミュルツシュテークの御料馬。獣医ら。ヘンリー・ブラックウッド・プライス氏。存分なる試用をという鄭重なる申し出。常識の然らしむる處。至要なる問題。あらゆる意味において角を矯めて牛を殺すことのなきよう断乎。ご掲載の好意を感謝し」

 U-Δ 87「口蹄疫。コッホ予防法として知られ。血清と痘苗。予防接種をした馬の比率。牛疫。ニーダーエスターライヒ州ミュルツシュテークの皇帝御料馬は。獣医たち。ミスタ・ヘンリー・ブラックウッド・プライス。公正な試用を乞うとの鄭重な申し出があり。良識の命じるところ。まことに重要な問題。文字どおり牡牛の角を引っ捕え。貴欄掲載の御好意に感謝して」

 “Foot and mouth disease. Known as Koch’s preparation. Serum and virus. Percentage of salted horses. Rinderpest. Emperor’s horses at Mürtzsteg, lower Austria. Veterinary surgeons. Mr Henry Blackwood Price. Courteous offer a fair trial. Dictates of common sense. Allimportant question. In every sense of the word take the bull by the horns. Thanking you for the hospitality of your columns”

 →コッホはロベルト・コッホ(Robert Koch、1843-1910)。ドイツの医師、細菌学者。ルイ・パスツールと共に「近代細菌学の開祖」とされる。炭疽菌結核菌、コレラ菌の発見者。細菌培養法の基礎を確立した。感染症研究の開祖でもある。20世紀初頭に口蹄疫予防のため「コッホの予防法」と同じ技術を用いたことがあるが、ほとんど効果は見られなかった。血清は血液が固まる時に分離する黄色・透明の液体で、免疫抗体を含む。痘苗は天然痘の予防接種に用いられる、弱毒化したウィルスの液。種痘の摂取材料。“serum and virus”は免疫性を与えられた馬から取られた血清を、破傷風のような感染症の病気に罹患した患者に注射することで予防と治療を目指すという、1890年代に発見した方法を指すとの指摘がある。このような、抗体や抗毒素による治療は徐々にウィルス性の病気(口蹄疫もウィルス性だ)の領域にまで拡大していたが、効果に大きな進展を見るのは1940年代以降になってからであった。この説が正しいとすると、U-Yの「病毒」という訳よりはU-Δの「痘苗」という訳のほうが的確であると考えられる。

「免疫となった馬の百分率」は生理食塩水に浸した生体物質(馬の生体物質を生理食塩水に浸す(=“saldted horses”)ことで免疫物質を抽出しようとしたのだろう)を、肺結核に対する予防接種として馬に注射する試みに言及しているという説がある。しかしこの肺結核の治療は当初の期待に応えなかった。牛疫は牛の急性ウィルス感染症。4000年前から存在し、口蹄疫とは全く別の病気。肺結核と同様、当時治療は不可能であった。U-Δの「ニーダーエスターライヒ」を英語に訳すと低地オーストリアになる。オーストリア北東部の地名。ミュルツシュテークには皇帝の狩猟場と馬屋があった(U-Δ注より)。しかしオーストリアの国家統計局の記録に照会すると、1895-1914年の間にこれらの馬たちが獣医の調査対象になったという証拠はない。また、獣医ら、とあるが、世紀の変わり目において獣医学はまだ比較的医学において新しい分野だった。

 ヘンリー・ブラックウッド・プライス氏は実在の人物で、ジョイスの知人。“fair trial”は普通公正な裁判の意味で用いられるが、恐らくヘンリー・ブラックウッド・プライス氏が自分の治療法、または予防法を試してみては、という申し出があったのだろう。そうなるとtrialはここでは「試み、試験」の意味になるので、fairは公正な、というより「徹底的な、全くの」の意味であると思われる。ここではU-Yの訳のほうが適切であると考えられる。「あらゆる意味において角を矯めて牛を殺す(文字どおり牡牛の角を引っ捕え)」だが、「角を矯めて牛を殺す」は「(牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとして、かえって牛を死なせてしまうことから)小さな欠点を直そうとして、かえって全体を駄目にしてしまうこと」の意味。“take the bull by horns”は勇敢に難局に当たる(U-Δ注では「「自ら国難に立ち向かう」の意味に使う慣用句であり、ここでは牛の疫病予防の話だから、「文字通り」(In every sense of the word)となる、とある」)という意味なので、このU-Yの訳は原文と少し意味が離れているのではないだろうか。ここではU-Δのほうがニュアンスはまだ近いように思われる。

・U-Y 64「それにこれは治療できる。現に治っている」

 U-Δ 87「それに、これは治せる。現に治っている」

 “And it can be cured. It is cured”

 →前述の通り口蹄疫については当時有効なワクチンはまだできておらず、薬やワクチンによる治療や予防は不可能だった。

・U-Y 64「人差指を突き立てて年寄っぽく空を打ってから声がつづく」

 U-Δ 88「彼は人差指を立てると、言葉が出てこないのをもどかしがるように振りつづけた」

 “He raised his forefinger and beat the air oldly before his voice speak”

 →“beat the air”は「空を打つ(鳥などが羽ばたく際にも使われる)、むだ骨を折る」の意で、聖書のコリント人への手紙一に由来するらしい。“Therefore I do not run like someone running like aimlessly; I do not fight like a boxer beating the air”(だからわたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません)(コリント人への手紙一 9:26)コリント人への手紙一は使徒パウロからコリントの教会の共同体へ送られたもの。「信仰によって一致せよ」ということを主に説いている。該当部分では、福音に与るため節制せよという忠告を競技になぞらえ、競技をする人は無駄なことをしない、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしない、と言っている。話をする前に人差指を振る仕草はoldlyなものなのだろうか? と思った。言葉が出てこなくて、それを思い出そうとして人差指を振るなら老人風かもしれないが、何かを教え諭そうとする前の仕草なら、老人でなくてもすることはあるのでは、と感じた。しかし原文にoldlyと書いてあるので、それは老人らしい仕草でU-Δに補足するように書かれている訳が正しいのだろう。ただ、厳密に考えると、ディージーは「指を打ってから言葉を話し始める」ので、話し始めたあとも指を振りつづけていたのではない。そこはU-Yの表現のほうが的確で、二つを合わせると、「年寄っぽく、言葉が出てこないのをもどかしがるように人差指を何度か振ると、やっと話し始めた」などの訳がいいのかもしれない。

<U-Y 64-69 ~陰謀論・ブレイク・ユダヤ人・悪夢・新聞・ディージーの謎なぞ~>

・U-Y 64「それにあの輩は国家の衰亡の徴候ですぞ」

 U-Δ 88「これは国家衰亡の兆しですよ」

 “And they are the signs of a nation’s decay”

 →「ユダヤ人嫌い」は中世キリスト教ヨーロッパ世界にまで遡るが、19世紀後半には悪意を持ったイデオロギー的形態をもってそれが表面化した。この19世紀後半のユダヤ人嫌悪はドイツに始まり、フランス、ロシア、オーストリア=ハンガリー帝国へと広がっていく、と言われている。「反ユダヤ主義」(anti-Semite)という言葉がつくられたのは、1879年のジャーナリストWilhelm Marr(ヴィルヘルム・マー)による。フランスでは1894~1906年のドレフュス裁判事件で世論は二分された。この「反ユダヤ主義」のテーマは作品の中でこの後も頻出する。アイルランドにも当時は既にこの「ユダヤ人嫌い」が独自の形で入りこんできていた、との説がある。ディージーはこの反ユダヤ主義的発言をしている場面で、「英国」のことしか口にしていない。アイルランドは結局「連合王国」の一部だから、英国の問題を話すことはアイルランドにもつながる、という考えだろうか。

・U-Y 65「そういって小足に二、三歩、歩き出す。幅広の日差しに入ると両の目が青い生気に色づいた。もう一度、くるりと向き直る」

 U-Δ 88「彼がつとその場を離れて明るい日の光のなかにはいると、目の青さが生き生きとよみがえった。彼は横を向いてから、また顔をもとに戻した」

 “He stepped swiftly off, his eyes coming to blue life as they passed a broad sunbeam. He faced about and back again”

 →「後出のユダヤ人に対比するために、光と目の青とを強調して。前段の真紺(ゆるがぬ青)にも結びつくか」(U-Δ注)。「小足に」は小刻みで歩くこと。「つと」は「①そのまま。ずっと。じっと。②急に、さっと」の意。原文はswiftlyなので、U-Δのほうが適切かと思われる。この部分では、ディージーがどこを向いているかで二つの訳は分かれている。U-Y 63でディージーは原稿を手にテーブルの方へやってきて、スティーヴンは立ち上がる。その後スティーヴンが原稿を読み、ディージーは自分の意見を世論に訴えたい、英国はユダヤ人の手に握られている、と話しかけている。この時点では、ディージーはスティーヴンのほうを向いて話していると思う。「そう言って小足に二、三歩歩き出す」のだから、ディージーはスティーヴンから離れていく。離れていく以上、どちらへ行くにしても彼はスティーヴンに背中を向けていることになる。歩いていく中で、日差しの中にディージーの姿は入る。そして“He faced about and back again”となるのだ。“face about”は「回れ右をする、向き直る、方向転換する」の意味がある。U-Yでは“face about”と“back”をひと固まりとしてとらえ、スティーヴンに背を向けていたディージーが、先程話をしていたときと同じように、完全にスティーヴンのほうへ再び「向き直る」という解釈を取っているように思える。一方、U-Δでは“face about”と“back”を完全に分け、“face about”を“turn about”の意でとり、顔だけ振り向いて一瞬スティーヴンのほうを見てから、再び元へ戻した(=前を向いた)という意味にとっている。どちらが正しいのかはまだ判断できないが、この訳の差異は後にもつながってくる。

・U-Y 65「娼婦の叫びは街から街へ/古き英国の網衣を織らん」

 U-Δ 88「通りから通りへと伝わる娼婦の叫びが/古いイギリスの死衣を織り上げよう」

 “The harlot’s cry from street to street / Shall wave old England’s windingsheet”

 →ブレイクの有名な詩『無垢の予兆』の中の一節。その前にあるディージーの「古き英国は死にかけておる」という言葉から連想されただけかもしれないが、この挿話には冒頭部分でもブレイクの詩が引用されている。『無垢の予兆』の内容は、作品冒頭部分の内容に凝縮されており「宇宙の全ては存在の全ての細部に包含されている。残忍さや暴力、虐待、悪意などの全ての形体は、それ自身に対する一つの「暴行」となる」という解釈がある。つまり、個別(particular)の中に全体(Universe)が存在すると考えられる。一人の娼婦が通りで叫び声をあげるなら、それはその娼婦の生きる英国・世界の「死衣」を織ることに他ならない。小さな存在から大きな存在への視点の転換は、歴史認識に通じるものとも考えられる。異民族が英国の生気を吸い上げているというディージーの主張に対して、スティーヴンは広まりつつある民族の憎悪もまた、ディージーの歎きや怒りと同様、一つの国の、宇宙を構成する「組織の一部」なのだ、と考えているという意見もある。また、このブレイクの思想はU-Y 56(U-Δ 76)に出てきた「この世の(曚昧な)魂(世界霊魂)」にも通じるのではないだろうか。プラトン哲学及びネオプラトニズムにおける枢要な思想の一つである宇宙霊魂(世界霊魂)は、この世の全ての存在の本質的な繋がりを認め、魂は人の体と、宇宙の魂・生命は宇宙と繋がっている、身体のなかに魂があるのではなく、魂のなかに身体があるのだと考える。

・U-Y 65「差し込む光の中に足をとめたまま大きく見開いて夢想する目がきっと見つめてくる」

 U-Δ 89「ヴィジョンを追い求めて大きく見開いた目が、自分の立っている日差しの向うをいかめしくみつめた」

 “His eyes open wide in vision stared sternly across the sunbeam in which he halted”

 →“eyes open wide in vision”の部分なのだが、U-Yでは「大きく見開いて夢想する目」、U-Δでは「ヴィジョンを追い求めて大きく見開いた目」となっている。このinは状態を指すのか、動作の方向を指しているのか? U-Yだと状態のほうになると思うのだが、U-Δでは動作の方向で「ヴィジョンの中へと大きく見開いた目」→「ヴィジョンを追い求める目」と解釈したと考えていいのだろうか。そしてU-Yの「夢想する目」とは何か? ディージーは古き良き時代、英国が「純粋」であった時代を夢想しているのだろうか? U-Δの「ヴィジョン」はブレイクを想起させる。ブレイクは「幻視者」(visionary)の異名を持っていた。もしかしたらそれまでのブレイクとの関連に寄せる形で「ヴィジョン」としたのかもしれないが、「ヴィジョン」を抱いているのはスティーヴンのほうである。ディージーにブレイク的なイメージを与えるのはそぐわない。U-Δのほうでも、U-Yと同じような意味で「ヴィジョン」という語を使っているのかもしれない。

 そしてまた、スティーヴンとディージーの体勢の不明瞭さが問題になってくる。どちらの訳も前段階で指摘した姿勢と繋がるような訳文になっている。U-Yでは「きっと見つめてくる」ので、これはやはりスティーヴンを見つめてくるのだろう。“across the sunbeam”は、差し込む光の中にいるディージーが、その光の向う側にいるスティーヴンを見つめているように解釈されている。一方で、U-Δは「自分の立っている日差しの向うをいかめしくみつめた」なので、その視線の先にスティーヴンがいるかどうかは分からない。前の部分でディージーはいったん振り向き、また顔を戻したのだから、この訳だと光の差し込んでくる窓の向こうを見つめているような印象を受ける。この後、「どういう意味かね?」とディージーがスティーヴンに問うまでは、比較的短い発言の応酬なので、背を向けたまま会話していたとしても然程不自然とは思われない。U-Yでは自分に向けられる「夢想する目」とスティーヴンは対峙している。U-Δでは、具体的に何のことだか分からない「ヴィジョンを追い求める」ディージーの背中をスティーヴンは(恐らく)見つめていることになる。また、visionという言葉はスティーヴンの母の死のvisionをも連想させる言葉でもある。

・U-Y 65「なにせ光に背いた輩だからして」

 U-Δ 89「やつらは光に背いて罪を犯したのです」

 “They sinned against the light”

 →ここでもまたヨハネ福音書との繋がりの言及がある。再掲すると「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった……言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネによる福音書、1:1-5)。「差し込む光に包まれた」ディージーは、光をキリスト教の象徴とし、暗闇をユダヤ人の象徴としているように思われる(e.g. 「だからあのとおり目が暗闇だ」)。そしてU-Yでは「罪を犯した」の部分が省略されている。「光に対して罪を犯すこと」を「光に背く」とまとめ、それが罪であることは自明である、という意味を持たせているのだろうか。

・U-Y 65「パリ株式取引所」→この段落から恐らくスティーヴンはパリにいた頃目にしたユダヤ人たちの様子を思い出している。ここではユダヤ人と金との繋がりを思わせる言葉が頻出している(e.g.「パリ株式取引所」「金無垢肌」「宝石ごてごての五本指」「鵞鳥」「財宝」)。この段落の「鵞鳥」について、古代ケルト人は“wild goose”を聖霊としてみなしていたと言われている。しかしここではユダヤ人の様子を形容した言葉として使われているので、古代ケルト人との関連はないだろう。それよりもグリム童話の「金の鵞鳥」が連想される。

・U-Y 65「据わりの悪いシルクハット」

 U-Δ 89「ぶざまなシルクハット」

 “maladroit silk hats”

 →このmaladroitという言葉は「不器用な、拙い」という意味が主なのだが、類語としてineptが挙げられており、こちらの意味は「不適切な、下手な、場違いの、not elegant or graceful in expression」という意味が出てくる。「下手に」シルクハットをかぶっている、という意味でも二つの訳につなげることはできるが、下手なだけでなく、みっともない、違和感がある、などの訳語の意味を考えると、ここではこのineptの意味に近いと思われる。そして、U-Yにはこの「据わりの悪い(座りの悪い)」という言葉が既に二度出てきている。一つはU-Y 56の「座りの悪い記号」(unsteady symbols)、もう一つは第一挿話の「座りの悪い目つき」(U-Y ep.1 30)(unsteady eyes)だ。この二つはどちらもunsteadyなので、「座りの悪い」とし、このシルクハットの形容ではmaladroitが使われているので、「据わりの悪い」としているのかもしれない。「座りが悪い」とは、置いた者がうまく安定せずぐらぐらする、尻に違和感があってうまく座っても落ち着かない、という意味で、「座り」はここでは「ものの落ち着き具合」を指すものであろう。なぜU-Yでここまで「すわりの悪い」という訳語を反復するのかということは、ジョイスの「押韻」に繋がるのかもしれない。

・U-Y 65「どれも己らのものではないのだ」

 U-Δ 89「彼らのではない」

 “Not theirs:”

 →コロン以下が「服装、言葉、身ぶり手ぶり」を指しているので、ユダヤ人たちが今そこにいるフランスのフランス人たちに適応させようとしているが、それらはどれもユダヤ人自身に固有のものではない、ということだろうか。

・U-Y 65「どう見ても鈍重そのものの目にはそぐわない言葉をしゃべり、熱っぽくそつなくふるまう身ぶり手ぶりをしてはいたけれど」

 U-Δ 89「彼らの強くて重々しい眼差しは、その言葉や、ひたむきで控えめな身振りにそぐわないのだ」

 “Their full slow eyes belied the words, the gestures eager and unoffending”

 →また二つの訳でだいぶ印象が違う状態になっている。まず、“full slow eyes”だが、U-Yの場合fullがslowを修飾する副詞「全く、非常に」という意味にとらえて、「全く鈍重な目」→「どう見ても鈍重な目」という訳にしていると思われる。一方で、U-Δのほうはfullとslowをそれぞれ別個の形容詞と考え、full「強烈な」→力強く、slow→“not easily aroused”→重々しい、という風にそれぞれ意訳しているのではないかと考えられる。そして次の“gestures eager and unoffending”だが、U-Yの「そつなく」は要領よく、という意味で、unoffendingは「目障りでない、苛立ちを起こさせない」という意味なので、少し意味が離れているように思えるが、これは世間に流布したユダヤ人の要領の良さを反映したものだろうか。一方でU-Δの「控えめな」はunoffendingの意味に近い気はするが、その前に描かれているユダヤ人の騒々しさ、派手さや違和感とは矛盾した表現のように思える。また、動詞のbeliedがどこまでかかるか、についても違っている。U-Yではユダヤ人の「言葉」が「目」にそぐわないとし、その後のgestureを分離しているが、U-Δでは「言葉」も「身振り」も彼らの「目」にそぐわないとして、beliedの目的語をwordsとgesturesの両方とする解釈をとっている。全体的に、この部分だけ見ればU-Δのほうが、ユダヤ人に対する好意的な印象を抱かせる。当時の一般的なユダヤ人の表象がどういったものか分からないので、どちらの訳がよりふさわしいのかの判断はつきがたいが、どちらの訳にも適切なところがあり、不適切なところがあるという感じがする。これだけ表現に差異があるということは、この文章とコンテクストの難しさを示すものと思われる。

・U-Y 65「むなしい辛抱」

 “Vain patience”

 →vain→hollow→futile、と、虚しさや空ろさを表す語がこの挿話にはやはり多い。

・U-Y 65「必ずや時がすべてをばらばらにしてしまう」

 U-Δ 89「時がすべてを蹴散らすに決ってる」

 “Time surely would scatter all”

 →ユダヤ人の貯めこんだ金や富がいずれ誰かに略奪される、奪われる、ということを示すのか。それならば「時」が蹴散らす、というより「人が」蹴散らすということになると思う。あるいはこの言葉はユダヤ人の流浪の運命のことをも含意したものだろうか。スティーヴンの歴史認識一般を指したものだろうか。よく考えなければいけない一文のように思える。このユダヤ人についての描写には、パリのユダヤ人のかまびすしさと、ステレオタイプ的な「金」のイメージ(だが実際にスティーヴンはそのような光景を目撃しているので、これは決してステレオタイプとして描かれたものではない)、さらにそこに適応しようとしているのに、彼らに感じるその場への「そぐわなさ」、違和感、そして彼らを取り巻く憎悪の念があり、そのことをユダヤ人自身も認識していることをスティーヴンが感じとっていることが表されていると思う。

・U-Y 66「誰しもそうでしょう」

 “Who has not?”

 →「ディージーの「光に背いた輩」云々に対して」(U-Δ注)。罪を一つも犯さぬものなどいない。

・U-Y 66「これが老人の知恵かな?」

 U-Δ 90「これが老年の知恵かしら?」

 “Is this old wisdom?”

 →「ディージーの「若い時分に知るならば」への返答」(U-Δ注)。この諺は結局、「若者には力はあるけれど、ものは知らない」ということを言っているので、ディージーがスティーヴンの「誰しもそうでしょう」という返答の意味を分からなかったことについての皮肉だろうか。

・U-Y 66「歴史は、とスティーヴンは言った。僕が目覚めようとしている悪夢なんです。運動場から少年たちの叫びが一つになって湧き上った。ピーッと鳴る笛、ゴールだ。その悪夢がお前を蹴り返してきたらどうなる?」

 U-Δ 90「歴史というのは、とスティーヴンが言った。僕がなんとか目を覚したいと思っている悪夢なんです。運動場で少年たちの喚声が湧いた。ホイッスルがピリピリと鳴った。ゴール。その悪夢がお前を蹴返したらどうなる?

 “History, Stephen said, is a nightmare from which I am trying to awake. From the playfield the boys raised a shout. A whirring whistle: goal. What if that nightmare gave you a back kick?”

 →ここも私の大好きな一節(訳はU-Yのほうが好きだ)。読書会でも言ったが、スティーヴンがまるでドストエフスキーの登場人物みたいなかっこいいことを言う。それに対して(実際には無関係だが)沸き起こる少年たちの喜びの叫びは「うまいこと言ったぞ、よくやった!」とスティーヴンを応援しているように感じられる。しかしその直後で、スティーヴンは「でもその悪夢がお前を蹴り返してきたらどうなる?」と自問している。これはスティーヴンの、自分の考えに対する不確かさや自信のなさを表しているように感じられる。nightmareだが、この単語の中のmareの語源は“evil spirit(眠っている間に人を苦しめる悪霊), incubus夢魔)”にあるらしい。しかしこのnightmareのmareで馬や海を連想させることは確かだ。また、kickという言葉は14世紀後期での用法が最も古いものとして確認されており、そこでこの単語は蹄のある動物が後ろ足で蹴る、という意味で使われている、と辞書に注記がある。

 読書会で、これはホッケーの「蹴り返す」では? との指摘があったが、ホッケーの場合では「打ち返す」(“shoot back”)という言葉を使う。しかし、戦い(ゲーム)において、ゴールしたと思ったら向こうからゴールされる、それがゲームの間中つづく、繰り返される、という考え方は、歴史の本質と繋がるところがあるように思える。ディージー的な歴史認識、世界は一つの目標に向かって進み続けるという直線的な歴史観が、まっすぐ走る馬に喩えられるとするならば、その馬が人間を蹴り返す、というのは、人間がまっすぐ走り抜ける馬(=歴史)に、思わぬ反撃(真っすぐではない、予想外の展開)を味わせられる、食らわされる、ということだろうか? 

 ちなみに、馬は必ずしもまっすぐ走るものではなく、あちこち方向を変えながら走るものでもあるのではないか、という読書会中の指摘もあった。確かに野生の馬がゆっくり歩いているときには、色々草を食べたり寄り道もすると思う。ただその馬(動物)に何らかの目標や目的があった場合(例えば他の馬に対し交尾の相手を巡って反撃しに行くときや、ゴールを目指す競馬場での馬など)は、やはり馬はまっすぐ直進していくものなのではないだろうか。この部分はまだよく自分でも分からない。もちろんmare=海が、スティーヴンの悪夢=母を連想させる、という指摘も的確だと思う。

・U-Y 66「創造主の道はわれらの道にあらず」

 “The ways of the Creator are not our ways”

 →よく考えるとどういうことだろうか? 創造主というのは、キリスト教的な神、主のことだと思う。“ways”とあるが、主の「道」は複数あるのか? 人間の愚かな歴史の辿っているような道すじと、主の道は違うということだろうか? 

・U-Y 66「すべて人間の歴史は一つの偉大な目標に向って動くのです、神の顕現に向って」

 U-Δ 90「すべての歴史は一つの大いなる目的に向って動いているのです、神の顕示に向って」

 “All human history moves towards one great goal, the manifestation of God”

 →ここでヘーゲルを思い出した。ヘーゲル(1770-1831 ドイツの哲学者)は「世界は主体的自我に対立する客体的自然ではなく、静的に神と同一視される自然でもなく、歴史的に発展する精神である。自然と歴史は、絶対的な精神である神が、自らを具体的な客体へと対象化(外化 entfremdung)し、その中に精神の本質である自由を目覚めさせていく、必然的な自己展開の過程である」*40という目的論的世界観を説いている。また、彼は「絶対精神・世界理性とは、神の哲学的表現である。すべての出来事は、神が自由を実現していく歴史の部分である。「世界史は自由の意識における進歩」(『歴史哲学』)であり、真の自由は歴史がそれにふさわしい段階に至らない限り実現しない」*41。その例として、「①東洋では一人の専制君主だけが自由であった。②古代アテネの民主政治で、初めて精神の自由の意識が生じたが、市民だけの自由にとどまった。③すべての人の自由は、キリスト教聖霊観念として自覚された。この自覚を現実生活に具体化することが、今日の課題である」*42という説明がなされている。これはディージー歴史認識・世界認識とかなり一致するのではないだろうか。

・U-Y 66「あれが神です。/行けーッ! やったーッ! ピッピーッ!/何がですと?……/街の叫び声です」

 U-Δ 90「あれが神です。/いいぞう! わあい! ピリピリィ!/何が?……/通りの叫びがです」

 “That is God. / Hooray! Ay! Whrrwhee! / What?...... / A shout in the street”

 →「前段のブレイクの詩を踏まえているが(無垢の占い)、「箴言」1.20「知恵外に呼ばわり、巷にその声をあげ……」を参照。ほかに8世紀イギリスの神学者・教育者アルクウィンの「民の声は神の声」vox populi, vox deiも考えられる」(U-Δ注)。注に述べられているように、前掲のブレイクの詩『無垢の兆候』に繋がる考えかと思われる。何か人智の及ばぬ、目には見えない偉大な存在、どこかで人間を左右する存在が神なのではなく、世界の個々の、小さな存在の中に、全ての世界そのものが、宇宙が包含され、それそのものとなっている、ということを考えると、街の叫び声、子供たちのゲームの喚声のような、取るに足りない事象が宇宙そのものであり、人間、世界を動かし導く神である、との考えだろうか。

・U-Y 66「指先につまんだ小鼻をしばしひっぱった」

 U-Δ 91「指先でちょっと小鼻をひねり」

 “held for awhile the wings of his nose tweaked between his fingers”

 →小鼻部分を“wings of nose”として英語の容貌・表情の描写に使われることは皆無に近いようだが、“held one’s nose”(鼻をつまむ)で「鼻持ちならないことを表すあてぶり」“pinch (at) one’s nose”(鼻をつまむ)で「心理的に不安なときの自己接触動作」、“pick at one’s nose”(鼻の上、わきを軽くかく、鼻を軽くつまむ)で「手持ちぶさたのしぐさ、考え込むしぐさ、落ち着きのないしぐさ」、“pull at one’s nose”(鼻をしきりに引っ張る)で「考え事をするとき、心理的に不安で落ち着かないときなど」等が類似表現として見つかることから、ディージーは返答を考えこむと同時に、スティーヴンの答えに対する多少の動揺を感じているのではないだろうか。

・U-Y 67「マクマラーの妻」→「マクマラーの妻(マクマローの妻):事実はその逆。12世紀レンスターの領主ダーモット・マクマローがオロークの妻ダーヴォーギラを奪い、オロークに攻められてイギリスに逃げ(1166)、ペンブルック伯リチャード・フィッツギルバート(第三挿話参照、綽名をストロングボウ「強弓」)やヘンリー2世らの軍隊を導き入れて、イギリスによるアイルランド支配のきっかけを作った。ケルトアイルランド人なら心に刻みつけているこの史実を、ディージーはうろ覚えにしか知らない(ジョイスの間違いではない。草稿にはジョイスが意識的に変改した痕跡が残っているという)」(U-Δ注)。このすぐ下に出てくるブレフニーはレンスターの隣国。

・U-Y 67「パーネル」→「チャールズ・スチュアート・パーネル(1846-91)。アイルランド議会党(これが正式名称で、別名は国民党)の党首(1880-90)として、自治権獲得のために奮闘、大衆の絶大の信頼を得たが、人妻キャサリン(キティ)・オシーとの恋愛事件が表ざたになり、離婚訴訟に巻き込まれて失脚した。イギリス側の策動や、お膝元のカトリック教会の断罪のゆえでもあった」(U-Δ注)。

・U-Y 67「その一つの罪」→「スティーヴンの「あれが神です」(U-Y 66)を受けて、神の存在の否定を指すか」(U-Δ注)。あるいは女性問題で社会的に失敗することだろうか?

・U-Y 67「アルスターは戦わん/アルスターは義しき道を」

 U-Δ 91「アルスターは戦うぞ。/アルスターは正しいぞ」

 “For Ulster will fight / And Ulster will be right”

 →「ランドルフチャーチル(1849‐95)が書簡の中で述べた言葉。北アイルランドの反カトリック、反自治体派のモットーとして広く用いられた」(U-Δ注)。と、注にはあるが、チャーチルグラッドストンアイルランド自治法案に反対して、北アイルランドへ赴き、自治反対の大規模集会で演説を行った。その際に調子よく響くフレーズ“Ulster will fight, and Ulster will be right”という言葉が聴衆の心をつかんだ。これはその時代の一つのスローガンとなり、国中で急速に広まった、との説もある。確かに、書簡で述べられただけではそれほど有名なフレーズにはならなかったのではないか、と思う。

・U-Y 68「テレグラフ」→「後出のスティーヴンの言葉にある『イブニング・テレグラフ』を指す。ダブリン発行の夕刊紙で、『フリーマンズ・ジャーナル』(1763年創刊)の姉妹紙。第7挿話でスティーヴンがその編集部を訪れる」(U-Δ注)。

・U-Y 68「アイリッシュ・ホームステッド」→「ジョージ・ラッセル(筆名Æ)たちの主催する農業協同組合の機関紙(1895創刊)。第9挿話でスティーヴンはラッセルに手紙の掲載を依頼する。ジョイス自身は初期の短編「姉妹」など三編を寄稿した」(U-Δ注)。ジョージ・ウィリアム・ラッセル(George William Russell、1867-1935)はアイルランド民族主義者、評論家、ジャーナリスト、詩人、画家。筆名Æはラテン語のaeon(アイオーン、グノーシス主義では永遠や、超霊的世界の意味などを持つ)に由来する。アイルランド文芸復興運動の中心的役割を果たし、神智学のまとめ役や相談役などを担った。アルスター地方アーマー州生まれ、神秘主義者として知られている。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際には加入しなかったが、後に参加。更に1898年にこの組織を抜けて自らヘルメス協会を立ち上げる。1902年にジョイスに会い、彼をイェイツを含むアイルランドの文学者に紹介した。神智学(theosophy)は神秘的直観・思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて神に結びついた神聖な知識の獲得や、高度な認識に達しようとする学問で、このような思想の背景には19世紀後半のアメリカ・ヨーロッパにおける既存の教会を批判する一種のリベラリズムとして出現した、「心霊主義」(spiritualism)の流行がある。1884-1886年まで活動したヘルメス協会は、ヴィクトリア朝後期の公開組織で、東洋系を主眼とする神智学協会に対抗する形で組織されたもの。

・U-Y 68「臥している獅子」

 U-Δ 93「腹這いになり頭をもたげている二頭の獅子像」

 “lions couchant”

 →「couchantは紋章学の用語。獅子は大英帝国の標章でもある」(U-Δ注)。この学校がイギリス式の教育を施していることがよく分かる。

・U-Y 68「歯牙無き脅威」

 U-Δ 93「歯なしの脅威」

 “toothless terrors”

 →「歯牙無き」はU-Y ep.1 43で「歯牙無きキンチ」(Toothless Kinch)として現れている。前回のブログでも書いたが、toothlessは「貧しい、つまらない、取るに足りない、みずぼらしい」などの意味を持つ。脅威にも牙が無ければあまり怖くない。この脅威とは、何のことを指しているのか。ディージーが手紙の中で記した口蹄疫やヨーロッパの大火などのことか。それともイギリスのことか、ディージー校長のことか。

・U-Y 68「親牡牛派詩人」

 U-Δ 93「去勢牛を助ける歌びと」

 “the bullockbefriending bard”

 →「ホメロスの枕詞めいた語法。たとえば、「指ばら色の曙の女神」Dawn with her rose-tinted hands(これはE. V. リュー訳でジョイスが手にしたはずはないが)などを模したか。ギリシア文化を礼賛するマリガンに当てつけて」(U-Δ注)。ホメロスの枕詞とは、エピテット(形容語句、あだ名、添え名)のことで、実在の人物、架空の人物、神々、物などにつけられた決まり文句を指す。他にも例として「足の速いアキレウス」(podas ôkus Achilleus)(ホメロスイーリアス』より)などがある。第一挿話の“the snotgreen sea”も“the wine-dark sea”(ワインの黒い海(ホメロスより))に由来しているという言及がある。ちなみに牡牛は雄の牛。雌の牛では「去勢」できないから、「牡牛」としたのだろうか。「去勢牛」とは何を指しているのだろう。口蹄疫にかかった牛のことか、ディージーのこと(恐らく去勢はされてないが、妻の尻に敷かれているか、老いていることを皮肉って)なのか。

・U-Y 69「スティーヴンは尋ね、笑顔になりかける」

 U-Δ 94「スティーヴンは微笑を洩らしながら聞いた」

 “Stephen asked, beginning to smile”

 →なぜスティーヴンは「笑顔になりかけた」のか? という問題が読書会の中でも提起された。私はディージーの鬱陶しさにスティーヴンが困惑して、「困った笑顔」になりかけたものだと思っていたが、ディージーに媚びを売ろうとしているなどの意見もあった。ちなみにU-Δでは、既に「微笑を洩らして」いる。完全に微笑んでいるわけではなく、「洩らして」いるのだから、“beginning to smile”と言えないこともないが、U-Yの訳のほうがここではふさわしく感じる。

・U-Y 69「断じてこの国へ入れてやらなかったからだよ」

 U-Δ 94「やつらを絶対に国に入れなかったからです」

 “Because she never let them in”

 →「これは事実とは異なる。少数ではあるが、アイルランドにもユダヤ人は居住していた。人数については諸説があるが、1900年頃に4000人程から6000人程度。ジョイスがこの小説の中で主人公ブルーム他のユダヤ人たちを登場させるのは、ディージー説の間接的な、しかし強力な否定」(U-Δ注)。アイルランドにおけるユダヤ人の人口推移は読書会中のスライドにある通り*43(注内での推定人口と差があるが、「諸説ある」と言っているのでU-Δで調べた限りではそうだったのだろう)。

 

・U-Y 69「ゴホッと咳き込む笑いがその喉から跳ねるや、ぜいぜいいう痰の絡まりをひきずってくる。くるりと向きを変え、ごほごほ咳き込みながら、ぜいぜい笑いながら、両腕を虚空へ振り上げた/――断じて入れてやらなかった、と、高笑いの切れ目に大声で繰り返し、ゲートルを着けた足で道の砂利を踏みつけて行く。そういうわけだ。/その分別人の肩に木の葉の格子縞の合間から陽光がきらきらっと光るものを、踊る硬貨をばらまいた

 U-Δ 94-95「せきこむような笑いの球が喉から飛び出し、がらがら音を立てて痰の鎖を引きずり出した。彼はくるりと背を向け、せきこみ、笑い、両腕を高く上げて振った。/――絶対に入れなかった、と彼は笑いの発作の合間にまた叫ぶと、ゲートルを巻いた足で砂利道を踏みつけた。そういうわけさ。/木々の葉の格子縞から洩れ落ちる陽光が、賢者の肩の上に、金ぴかまだらを、踊り跳ねる金貨の数々をまき散らした」

 “A coughball of laughter leaped from his throat dragging after it a rattling chain of phlegm. He turned back quickly, coughing, laughing, his lifted arms waving to the air. / ---She never let them in, he cried again through his laughter as he stamped on gaitered feet over the gravel of the path. That’s why. / On his wise shoulders through the checkerwork of leaves the sun flung spangles, dancing coins”

→「分別人(賢者)、金ぴかまだら(きらきらっと光るもの)、金貨の数々(硬貨):ディージー老人の知恵や節約の戒めへの皮肉だが、踊り跳ねる陽光は彼に対する親愛と祝福のしるしでもある」(U-Δ注)。“A coughball of laughter”は、「笑いの咳球」と直訳してしまったほうがU-Yらしくなる気がする。その意味では、U-Δのほうが原文のニュアンスに近い。原文でcoughとlaughが何度も反復されているので、U-Yは冒頭部分で、後のごほごほ、ぜいぜいの繰り返しのために「ゴホッ」を使ったのではないかと思われる。“his lifted arms waving to the air”で、U-Yの「虚空」(air)は、挿話中に頻出する「虚しさ」を意識した訳だろうか。“cried again through his laughter”は直訳すると「笑いの間に再び叫んで」「笑いながら再び叫んで」となる。恐らくディージーは歩いている間、割と長く笑い続けていたのではないかと思う。「笑いの発作」としてしまうと、笑いの連続性が少し薄れてしまうように感じる。U-Yのようにすると、その叫び“She never let them in”を「何度も」繰り返している印象を与える。“cried again”だけでは何度も繰り返したのかどうかは分からない。もしかしたらU-Yでは、ディージーの間違いと反ユダヤ主義的な思想を、訳文の中でエコーさせたかったのかもしれない。「笑う」と「叫ぶ」を同時に行うことは、論理的には不可能だが、実際そういう事はあるし、笑いながら叫ぶ、という表現は全くおかしくない。二つの訳を合わせて、「高笑いの切れ目に大声でまた叫ぶと」「高笑いをあげながら再び叫び」などの訳のほうがいいように思う。“On his wise shoulder”の訳は、U-Yのほうは多少ディージーを小馬鹿にしているような感じがある(そういう解釈でも問題ないと思う)。“checkerwork”は、checkerだけで格子縞の意味を持つのだが、後につけられたworkは“patchwork”のような意味を持つものだろうか。“spangles”はぴかぴか光るものの意味だ。ここではU-Δの訳のほうがU-Yのような訳の「遊び」をしているように感じられるが、U-Yではここでもやはり擬音語を使いたかったのだろうか。この節は全体的に、硬貨のような小さくて丸いものが踊り跳ねているイメージを喚起させる(e.g. “coughball”、 “phlegm”(痰)、“gravel”(砂利)、“spangle”(ぴかぴか光るもの)、“coin”(硬貨))。

 ユダヤ人を国に入れなかったから、アイルランドユダヤ人を迫害していない、というディージーのジョークめいた最後の「謎なぞ」のあとで、ディージーはそのジョーク(事実だと信じている)に一人で笑う。その後で“coughball of laughter”が彼の喉から踊りだしてくるのだが、引きずってくるのは彼の老廃物である汚い痰だけだ。ほぼ自称「分別人」である彼に降り注ぐ光は木の葉のつくる「格子縞」の間から差し込んでくる。「格子縞」はスコットランドのキルトを思わせ、光はユダヤ人がそこから背いたと彼の考えるキリスト教の神の象徴に繋がる。その意味で「光」が「木の葉の格子縞」を通して「踊る硬貨」をまき散らす、というのは、キリスト教徒であるディージーが、自らのアイデンティティであるプロテスタントアイルランド人(スコットランドに由来を持つ親英派)であることを通して金を貯めこんでいることの風刺的な比喩のように思われる。

 U-Δ注では踊り跳ねる陽光がディージーに対する親愛と祝福のしるしか、とあるが、そのようには感じない。確かにスティーヴンはディージーに対して完全な敵意を持っているとは思わない。スコットランド系の年寄りだからそう考えるのも仕方ない、あるいは老人の戯言だ、くらいに思っているような印象をうける。その上ディージー歴史認識は多くの点で間違っており、自分の都合のいいように解釈されている。反ユダヤ主義に賛意を示し、女を嫌う、どちらかといえば差別主義的なディージーを、キリスト教の象徴である「光」は本当に祝福するだろうか? それともこれはジョイスの痛烈な皮肉なのか。人間愛を説くキリスト教はディージーのような差別主義者をも祝福するものなのだろうか?

 

私見:可能態としてのHollowness

 読書会でも取り上げられたように、この挿話には「虚ろなもの」が多数描かれている。例として挙げられたのが、「貝、蝸牛、(住人の出かけた)マーテロー塔、スティーヴンの空っぽの財布」などがあったと思う。この他にも、「虚ろさ」(Hollowness)を連想させるものや表現が、挿話中には頻出する。例えば、「空っぽの湾(U-Y 60)、“nutshell”(クルミの殻)(U-Y 63)、「むなしい辛抱」(U-Y 65)、「無益」(U-Y 69)」などがそうである。死んだ貝や蝸牛(の殻)は中身のないもの、空っぽなものとして「虚ろ」だ。挿話中でディージー校長の書斎に飾られている貝は、そこにある限り永遠に中身を満たされることがない。装飾物として手に取られ、埃をかぶるだけの存在である。蝸牛も生きている間は決して虚ろではないが、その殻の弱さのために、踏みつけてしまえばぐしゃりとつぶれてしまう。生きた中身を抜いてしまえば果敢ないことこの上ない。それとは別に、通貨としての「金」そのものも虚ろなものと言える。国家や政体が正しく機能している間は、通貨は生きている。しかし、一度政変が起きたり、国が敵に侵略・統合されてしまえば、それは価値を失い、ただの紙切れや金属の塊へと変わってしまう。これら「虚ろなもの」に共通するのは、「かつては虚ろではなかった」「虚ろなものにも虚ろではない瞬間がありうる」ということだ。財布にだって金の入っているときもあれば、空っぽの時もある。貝はそもそも人によって収集されるために存在するのではなく、純粋に海辺の生物である。辛抱が実を結ぶこともあれば、無益、と呼ばれた教育だって基本的には人間の知性の向上につながるものである。これらの「虚ろ」と呼ばれたものたちは、「何かのきっかけで」虚ろになってしまう。

 ここで、さんざん頭を絞らされたアリストテレスの哲学に戻ってみたい。すでに述べたように、アリストテレスの自然哲学の基本は、可能態(質料)から現実態(形相)への移行・同一化であり、その過程における「運動」の相を重視した点でアリストテレスは特異であると言われている。また、アリストテレスは質料(何ものでもないもの)から移行した形相(本質)そのものが、また別のものの質料にもなりうる、と説いている。例えば、種(質料)は草(形相)へと移行し、その形相である草は花という形相の質料にもなる、といった具合に。アリストテレスの自然哲学は、このような生成運動に重きを置いている。

 万物は時にさらされて変化する。生あるものは必ず死ぬ。死ねば土へ還り、地中の生物によって分解されていく。そしてまた新たな命が生み出される。滅びた都市の、破壊された建造物や虐殺された人々の上に、新たな侵略者たちが街をつくる。その街とて永遠に続く保証はない。どこかで生きのびた反逆者たちによって、自らもまた滅びる運命にあるかもしれない。それは子供たちのホッケーの試合と同じことだ。自分たちがゴールした後に、相手からゴールを決められることもある。

 永続性は何ものにも担保されない。それはペシミスティックな考えでもあるが、同時に新しい「何か」の生成の可能性をも含んでいる。つまり、今、この瞬間「虚ろ」なものですら、「何か別のもの」としてよみがえることができるかもしれない。言うなれば、先に「虚ろなもの」が過去の状態として「かつては虚ろではなかった」「虚ろなものにも虚ろではない瞬間がありうる」と述べたが、逆に言うと、今「虚ろなもの」が未来において「虚ろではなくなる」「虚ろではなくなる時が来る」可能性があるのだ。そういう意味で、あらゆる「虚ろなもの」は一つの「可能態」であると言える。アリストテレスのこの理論は基本的に自然物にしか適用されないものであるが、ジョイスはこの哲学思想を自然物という範疇を超えて認識していたのではないだろうかと私は思う。自然界において一つの質料に対する形相は一つしかないが、世界全体としての枠組みで捉えると、一つの「可能態」に対する「現実態」は無数にある。何ものになるか分からないものが「何か」になるという生成運動は、日常生活の至る所で、絶えず働いている。ダブリンの街においてもそうだ。それは長い時間をかけて観察しなければ分からないものであることが多いが、今この瞬間「虚ろ」と形容されたものも一つの可能態、「何ものでもないが何かになる可能性を潜在的に持ちうるもの」である。その「現実態」が一体何であるかは、後世になって、つまり歴史を振り返って見て初めて分かるものなのではないかと考える。

 

☆おすすめの本

 

アイルランド史 (世界歴史大系)

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 むちゃくちゃ詳しい。さすが山川。

 

しぐさの英語表現辞典 <新装版 日英比較索引・類別索引付き>

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 こちらはhead、eye、handなど人体の部位別に、人のしぐさの英語表現の意味を辞書にしたもの。読み物としても面白い。

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アリストテレスだけでこんな状態になってしまった。もはやアリストテレス御籤だ。結果はいつも中庸。

 

*1:稲用茂夫「ジョン・ミルトン作『リシダス』 : 翻訳」『大分大学教育福祉科学部研究紀要』〈31巻2号〉2009年10月、85‐98ページ URLはhttps://opac2.lib.oita-u.ac.jp/webopac/TD00008765

 

*2:https://commons.wikimedia.org/wiki/Tableaux_de_mission#/media/File:Tableau_de_mission_-Fran%C3%A7ois-Marie_Balanant_tableau_1-.jpg 

*3:ここでアリストテレスに関して私が参照したのは、山本光雄・副島民雄訳『アリストテレス全集 6』岩波書店、1968/水地宗明『アリストテレス「デ・アニマ」注解』晃洋書房、2002年/羽野幸春・市川ノゾム・及川良一・梶ヶ谷穣著『新 倫理資料 新訂版』実教出版、発行年記載なし(高校の時の倫理の資料集です)の三冊。

*4:『霊魂論』についてU-Δで参照しているのは、アリストテレス「デ・アニマ」村治能就訳、『アリストテレス』(「世界の大思想」2)河出書房新社、1996年、及び、アリストテレス「霊魂論」山本光雄訳、『アリストテレス全集 6』岩波書店、1968年(各書の本文・注解ともに)。なお、U-Δの注釈における参考文献は、文庫本の場合すべて『ユリシーズⅣ』の巻末に掲載されている

*5:水地宗明『アリストテレス「デ・アニマ」注解』晃洋書房、2002年、p.129

*6:ジェイムズ・ジョイス著、丸谷才一訳『若い芸術家の肖像』新潮社、1994年、p.377

*7:https://snapdish.co/d/KPPbna

*8:https://snapdish.co/d/KPPbna

*9:http://seaglass.ashibee.net/?eid=304726

*10:http://seaglass.ashibee.net/?eid=304726

*11:http://hoshigaeru.jugem.jp/?eid=89

*12:http://hoshigaeru.jugem.jp/?eid=89

*13:https://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/santiago_de_compostela

*14:https://www.eurasia.co.jp/attraction/feature/santiago_de_compostela

*15:http://www.joyceproject.com/notes/020036filibegs.htm

*16:http://www.joyceproject.com/notes/020036filibegs.htm

*17:タイプライターの打ち間違い用消しゴムについてはhttps://www.cs.mcgill.ca/~rwest/wikispeedia/wpcd/wp/t/Typewriter.htm、インクで書かれた文字を消すためのナイフについては、Joe Nickell Detecting Forgery: Forensic Investigation of DocumentsUniversity Press of Kentucky, 2015, p. 121参照

*18:https://www.davidduggleby.com/auctions/04112017/0/123/PanoramicViewofBritishHorseRacingTheRacefortheStLegerStakeso.aspx?search=&auction_no=

*19:https://www.davidduggleby.com/auctions/04112017/0/123/PanoramicViewofBritishHorseRacingTheRacefortheStLegerStakeso.aspx?search=&auction_no=

*20:https://en.wikipedia.org/wiki/Tournament_(medieval) 

*21:https://en.wikipedia.org/wiki/Tournament_(medieval) 

*22:https://www.wikiwand.com/en/Brass_fastener

*23:https://www.wikiwand.com/en/Brass_fastener

*24:http://www.fao.org/ag/againfo/commissions/docs/research_group/izmir/app03.pdf

*25:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%AB

*26:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%BE%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9

*27:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E5%95%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9

*28:羽野幸春・市川ノゾム・及川良一・梶ヶ谷穣著、前掲書、p.175

*29:同上

*30:同上

*31:同上

*32:同上

*33:同上

*34:同上

*35:同上

*36:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%96%E3%82%8B%E6%89%8B

*37:羽野幸春・市川ノゾム・及川良一・梶ヶ谷穣著、前掲書、p.175

*38:同上

*39:同上

*40:羽野幸春・市川ノゾム・及川良一・梶ヶ谷穣著、前掲書、p.170

*41:同上

*42:同上

*43:第三回読書会のスライドはhttps://www.stephens-workshop.com/stephens-s-notes/ に掲載。25ページに統計が載っています