Ball'n'Chain

雑記

読めぬなら 訳してしまえ ep.14

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 第14挿話の鼎訳と原文を突き合わせて、「大体こんなことを言ってますよ」と思われる部分をあらすじ的にまとめてみようと思ったのですが、いつものようにざっくりまとめることができず、かなり訳し直しのようになってしまいました… ほんの途中までです。また増えるかもしれませんが。
 何を言っているのか分からない、というのが鼎訳でも原文でも一番問題かと思ったので、丸谷さんには申し訳ないながら、古文の文体もニュアンスも全部取っています。ただ、解釈はほぼ丸谷さんに従っています。何をどう調べても本当に分からなかった部分については書いていません。また前置きだけで異常に長くなるので、本文へどうぞ。
(引用・参照はユリシーズの読書会と同様、集英社文庫版『ユリシーズ』に依拠しております。今回は第3巻にあたります。鼎訳はU-Δとして表記しています。)

 2021.10.13追記:大分私の解釈のほうが強くなってきました… あくまで参考程度に読んで頂けますと幸いです。

 

・p.13「南行保里為佐……ぐわんばれ!」

 →飛ばします(笑)。ep.11の冒頭みたいな感じで読むのがいいのではないかと。

・p.13~p.15「蓋し国運……功績にあらずや」
 

 →中世ラテン語散文年代記の翻訳文体の模倣(直訳的)。翻訳は漢文くずし(U-Δ注)。
  めちゃくちゃむずかしいので、かなり省いています。分かったところ、重要かな、

  とおもわれたところだけ。

 

 他の諸条件が等しいなら、国家の繁栄は外的な栄光によってより、繁殖の継続に対する心配りの証をいかに発展させ得るかを測ることによって、より有効に現れるものだ、ということを学識ある人々は断言している。
 繁殖の継続は根源的罪悪を持つが、それをないものとしたならば、幸運にも今は全能の自然の腐敗や不道徳とは無縁な善行の確かなしるしと見なされる。
 外的な輝きは濁った現実を隠すもの。どんな自然の賜物も、繁殖の賜物にはかなわない。それゆえ、市民たる者は同胞に忠告しなければならない。過去にすばらしく始められたことが、未来においては成し遂げられないのかもしれないのだ、と。
 恥ずべき慣習が徐々に父祖から受け継がれた栄光を深遠の彼方へ追いやったなら、すべての人類に豊かさの預言または減少への脅しとともに、取り消されることなく強いられてきた、何度も繰り返し子をもうける機能を賞揚してきた福音、命令と約束とを、次世代へ託すのを忘れ、無視するほど忌むべき罪はない、と立ち上がり、断言する者を過度に厚かましいとすることができようか。
 それゆえ、優秀な歴史家たちの語るように、本質的に尊ぶべきものでないものを尊ぶことはしないケルト人のあいだで、医術が大変重要視されるのはおかしなことではない。病院、らい病患者の治療施設、発汗治療室、疫病患者の埋葬場は言うまでもなく、ケルト人の名医の一族たちは舞踏病、皮膚の黄色くなる病気など疾病の如何にかかわらず、患者や病気の再発者が健康を取り戻せるよう、種々の療法を熱心に考案し、施してきた。
 重要な公共の事業はそれにふさわしい準備がなされるべきであるので、一つの計画が採用された(それが熟考の末か、経験知によるものかは明らかにしがたい)。その計画によって、母となるものはあらゆる偶発的な可能性から遠ざけられ、そういった女性が最も辛い時に必要とする配慮は、富裕な者だけでなく、十分な金のない者、そして十分に食べていくことすらできない、僅かな報酬で暮らしている者にも与えられた。
 その後、母になる者にとって何ものも、どのような形でも苦難とはなり得なかった。それは主に多くの市民が、多産の母がいなければ繁栄などあり得ないと感じ、そして彼らは永遠、神々、死すべき人間、出生を自らにふさわしいものとして受け止めていたからでもある。妊婦の状態が差し迫っていたとき、妊婦が乗り物に乗せられて運ばれていくのを見、妊婦がそういった施設に受け入れられてほしい、という計り知れない願いがそれぞれの人の心のうちに駆り立てられた。ああ、周囲の人々が彼女の母になることを予見して見まいに行き、また彼らによって突然自分が大切にされようとしていると彼女が感じ始めたということは、単にそのような場面を見られることにおいてのみらず、語られることのうちにおいても、称賛に値する、賢明な国民の一側面ではあるまいか。

・p.15~p.16「生れ出でに……安らけくすなり」

 

 アングロサクソン時代(ノルマン人の征服以前)のリズムと頭韻に富む文体。殊にエル

 フリック(10世紀末)あたりを模す。祝詞の文体を参照して訳す(U-Δ注)。

 

 生まれる前から赤ん坊は祝福されている。胎内で赤子は賛美されている。この事態(出産)において、有益になされることはすべてなされる。寝椅子には助産婦が付き添い、あたかも出産が既になされたかの如く、健康に良い食事、休息をもたらし、清潔な産着が、賢明な準備によってもたらされる。加えて、妊婦の状態に適切な妊婦の状態に適切な、必要とされ不足のない薬、外科器具、また、我々の住む地球の様々な地方の、妊婦にとって気晴らしになる光景(の写真・絵画)、神と人間の図像が提供される。大変日当たりの良い、しっかりとした造りの、素晴らしい「母の家」のなかで、(そのような環境と準備は)隔てられた女性たちによる不安に安らぎを与え、腹の膨れを導く。妊婦の腹の膨れが終りに近づき、出産可能になり、出産予定が近づいたとき、妊婦たちは横たわるためそこへ赴く。

・p.16~p.18「尓して夜の……いたはしく思ひき」

 アングロサクソン時代の哀歌「さすらい人」を連想させる。翻訳は『古事記』の文体

 を基調とした(U-Δ注)。

 

 夜になって、ピュアフォイ夫人の出産見舞いにブルームが病院の玄関前にやってくる。その病院は産婦人科(産院)。主はホーン(医師)である。この病院には70の寝台があり、出産間近の女性の入院を受け入れ、神の天使がマリアに言ったように健やかな子を産ませる。(今は)ホーンのかわりに、二人の看護婦が夜も眠らず病院の妊婦たちを見守っている。二人は痛みを鎮め、病を和らげる。彼女らは1年に300回もそういった仕事に携わっている。
 看護婦たちが病院で当直中、看護婦の一人はブルームがやってきたのを聞き、戸を開けた。そのとき、アイルランドの西の方の空に一瞬稲妻が走った。人間の邪な罪に怒れる神が水で全人類を滅ぼそうとしているのではないか、と彼女は非常に恐れた。胸にキリストの十字を切り、早く中へお入りください、と言ってブルームを誘った。ブルームは彼女の思いやり深さを感じ、ホーンの館へ入った。
 邪魔になってはいけないと、ブルームは帽子を持ったままこの産院の玄関ホールに立っていた。昔ブルームは、妻と娘と共に、この看護婦と同じところに住んでいたことがあった。その後9年間様々な土地を渡り歩いて暮らした。以前一度、町の波止場で彼女を見たとき、あいさつをしなかった。ブルームはそのときの無礼を許してほしいという思いで、あの時挨拶をしなかったのは、ちらっと見えたあなたの顔がとても若く見えたからなのだ、と言った。すると彼女の目は輝き、顔を花の色のようにパッと赤らめた。
 この時看護婦の目はブルームの黒い服に留まり、何か不幸があったのだろうと気遣った。初めは心を痛めたが、後になって喜んだ。ブルームは彼女に、オヘア医師から何か便りはあるかと訊くと、彼女は悲しみに満ちたため息とともに、オヘア医師は今天国にいらっしゃる、と答えた。それを聞いて、ブルームの心は悲しみでいっぱいになり、腸が悲しみでずっしりと重くなる感じがした。看護婦は若い医師の死を悲しんで、その詳細を話した。オヘア医師は司祭に告解して罪の許しを得、聖体を与えられ、聖油を塗られ、善き神の御心により汚れなく、苦しむことなくこの世を去った、と。
 ブルームはきわめて誠実に何の病だったのか、と訊いた。看護婦は牛の鳴くモーナの島で、腹のガンで亡くなった、3年前のこの幼子の日のことだった、と答え、慈悲深い神に、あの医師の魂が天国で不滅のものとなりますように、と祈った。彼はこの悲しい言葉を聞いて、持っていた帽子を悲しくみつめた。しばらく二人は互いに深い悲しみの中にありながら、そこに立ちつくしていた。

・p.18「諸人よ……去ぬる身なれば」

 中世英語の散文。最初のパラグラフは中世の寓話劇『エヴリマン』(1500年頃)の開幕

 の台詞を連想させる。『万葉集』の長歌を模して訳す(U-Δ注)

 

 それゆえ、皆の者よ、最期を見つめよ、それはお前自身の死であり、女から生まれた全ての人間を苦しめる死者の地である。というのも人は皆母親の子宮から裸で生まれ出で、そのようにしてこの世にやってきたのと同様、裸で去って行くものなのだから。

・p.18~p.19「この家に入りし……流れゆくなる」

 何のパロディか不明。『竹取物語』の調子で訳す(U-Δ注)

 

 この産院に入ったブルームは、看護婦に、分娩中で横たわっている女性はどうなっているのか、と訊いた。看護婦はその女性は丸三日間陣痛中で、難産のためかなり辛いお産になっているが、それももう間もなくで終わるだろう、今までたくさんの女性の出産を見てきたが、あの女性の出産ほど大変なケースは今まで見たことがない、と言った。看護婦はブルームが昔近くに住んでいた人だと知っていたので、そのようにすべてを隠すことなく話した。ブルームは痛切な思いで彼女の言葉を聞き、女たちが母として経験する陣痛の苦しみはどれほどのものだろう、と思いを馳せ、また、看護婦の顔を見て、どんな男が見ても非常に美しいのに、長い年月を経ても看護婦のままでいるのを不思議に思った。彼女の9年間の月経が、子供を産まないのを恨み嘆いているみたいだ。

・p.19~p.21「かくて語らひに……ほめまつらむ」

 ここからは15世紀の幻想的旅行物語『エンデヴィルの旅』の英訳の文体を模す。翻訳

 は『宇津保物語』その他の調子でゆく(U-Δ注)

 

 二人が話している間に、城の扉が開かれ、食卓についている大勢の人々のおびただしい話し声が二人に迫った。ディクソンという名の若い学生騎士が、そこに立っていた彼らのもとにやってきた。さすらい人ブルームのことを彼はよく知っていた。彼が慈善の館で働いていた頃、二人はある騒ぎで関わり合いになっていたのだ。このさすらい人ブルームは大変恐ろしいドラゴンに襲われ、その槍でもって胸を傷つけられたので、その傷を治してもらうため彼のいる病院へやってきて、それに対してディクソンは揮発性の塩でできた軟膏と聖油を十分に塗って処置したことがあったのだ。
 この時、ディクソンは中に入ってみんなと一緒に楽しまないか、と彼を誘った。ブルームは慎重な男なので、自分は他に用事があるので、と言った。看護婦もブルームと同じ意見で、(ブルームの言葉が)彼の鋭さから嘘を言ったのだとよく分かっていたが、学生騎士を咎めた。だが学生騎士は彼女の断りの言葉も彼女に命じられたことも聞かず、自分の欲することに反することは何であれ受け入れようとせず、本当に楽しい城ですよ、と言った。さすらい人ブルームは結局城の中へ入ることにした。様々な土地を長い間歩きつづけ、時には好色な行いもしたので、手足が痛んでいて、しばらくの間そこで休むことにしたのだ。
 城には、フィンランドの樺の木で作られた食卓があり、(その天板は)フィンランドの4人の小人によって支えられていたが、魔法にかかっているのでそれ以上動くことはなかった。食卓の上には、恐ろしい剣や刀があり、それらは巨大な洞窟のなかでよく働く悪魔たちの手によって白い炎から作り出されたものだった。それらの刀や剣は、そこに大量に棲んでいる水牛や雄鹿の角に固定されていた。また、幾つかの器はマホメッドの魔法によって、海の砂から作られたもので、泡を作るのと同じ要領で砂の中に魔術師の息を吹き込んで作られた。
 食卓の上には見事な食べ物と非常に貴重な食べ物が豊富に準備されていて、そういった食べ物はどんな人間でもより豊かで、より貴重なものを作り出せないような品々だった。
 また、開けるには技術が必要な銀の大おけがあり、その中には頭のない異様な魚が並べられていたのだが、見もせずにこんな魚があるわけはないと、簡単には信じられないのも無理はない。これらの魚はポルトガルの地から運んできた油の混じった水の中に入っていた。その水は油分の多さのため、オリーブしぼり機の抽出液によく似ていた。その城で更に驚いたのは、カルデア産の多く実をつける小麦の種から魔術で混合物を作り、それを何か怒った霊の助けによって手を加え、巨大な山のようにまで信じられないほど膨れ上がらせてしまったことだ。さらに彼らは、蛇に教え、土に刺した長い棒に自身を巻きつかせ、そのうろこから蜂蜜酒に似たうまい酒を醸造した。
 学生騎士はブルームに樽出しの酒を注がせ、同時にそこにいるすべての者たちにそれぞれ飲むよう勧めた。ブルームは自分でも楽しもうと思って兜の面頬を上げ、親睦のしるしとして幾分飲んだが、彼は(そのような)うまい酒を飲まない習慣なので、グラスを脇へ置き、そのうちこっそりと彼の隣人のグラスのなかへその大半を注いでしまったのだが、この企みは隣人に気づかれることがなかった。彼はそこでしばらく休もうと、その城の中で皆と一緒に座っていた。ああ、ありがたい。

・p.21~p.26「かかる程に……あらはれ給ひにぞかし」

 15世紀のマロリーの『アーサー王の死』(1485年の印刷)の文体を模す。『源氏物語

 『落窪物語』その他王朝文学の調子で訳す(U-Δ注)

 

 そうしている間に、先程の立派な看護婦がドアのそばに立って、私たち皆の君主たるイエスに敬意を表し、酒宴をやめてほしい、もうすぐ子供の産まれる高貴なご婦人が上階におり、その出産の(苦しみの)時間を(短くなるよう)何とか急がせているところなのだから、と頼んだ。ブルームは上からの高い叫び声を聞き、これは子供の叫び声か、母親の叫び声か、と不思議に思い、まだ生まれそうにないのか、いま生まれそうなのか、分からないのですが、随分ひどく長く続いているように思われますね、心配です、と言った。ブルームは用心深い人間で、食卓の向う側にレネハンと呼ばれる郷士がいるのを見、彼は他の同席者の中で最も年長で、ブルームもレネハンも勇壮な企てにおいては誉れ高い騎士であり、レネハンの方がブルームより年上であるので、ブルームは彼に大変穏やかに話しかけた。
 たとえ(出産にかかる時間が)長すぎるとしても、彼女は神の慈愛によっていつかは出産を済ませますでしょうし、子供を産む喜びを味わうことでしょう。こんなに恐ろしく長い時間待ったのだから。既に酔っぱらってしまっている郷士は、毎秒毎秒これが次の子の瞬間か、と思いながらね、と言う。そして彼は誰も頼みも勧めもしないのに欲している酒のグラスを取って、大変楽しそうに、さあ飲もう、と言い、母と子の健康を祈って痛飲した。彼は健康と好色にかけてはざっくばらんで優れた人物なのだ。
 ブルームは学生たちのいる客のなかでは最も立派でおとなしい男であり、雌鶏の腹の下に夫のように手を添える大変優しい人物で、女性に好感を持たれる奉仕をした者の中でも彼は世界で最も忠実な騎士だった。彼は恭しくグラスを掲げ、乾杯した。女性(ピュアフォイ夫人)の苦痛について、不思議に思うと同時にじっくり考えながら。
 さて、酔っぱらうことが目的でここに集まってきた人々のことを話そう。食卓の両側には学生たちが座っていた。聖慈愛マリア(病院)の若手の医師であるディクソン、医学生のリンチ、マッデン。郷士のレネハン、クロザーズという名のアルバ・ロンガ出身の者、そしてスティーヴンという若者は修道士のような風貌だったが、食卓の上座にいた。コステロという男はパンチ・コステロと呼ばれ、彼の勝者としての名声を示すこの名もだいぶ昔のものとなってしまった。コステロはスティーヴンを除く皆のなかで最も酔っていて、しかもまだ酒を欲しがっていた。コステロの隣にはおとなしいブルームが座っていた。
 皆がマラカイという若者を待っていたのは、マラカイが来ることを約束していたからで、(遅れてくることを)良くないと思っている人々は、どうしてあいつは自分で言ったことを守らないんだ、などと言った。ブルームが彼らと一緒にいるのは、彼がサイモンとその息子スティーヴンに親しみを覚えていたからで、大変長いさすらいの末、彼らがとても丁寧なやり方でもてなしてくれる限り、そこで自分の疲労感や思い悩みを静めよう、という心づもりだった。哀れみの心が彼を支配し、愛情は意志と手を取り更なるさすらいを導くのだが、出て行こうにも気が進まない。
 それに、彼らは全く知識豊かな学生たちだった。出産と道徳的正しさの観点におけるそれぞれの世代の(母と子の)評価についてブルームは耳にし、マッデンという若者はそのような事態が生じた場合、母のほうが死ぬのは辛い、と言った。というのも数年前にホーンの館で、今はもうこの世を去ったエブラナの女の一件があって、彼女の亡くなる前夜、あらゆる医師、薬剤師らが彼女の処置について相談した、ということがあったのだ。学生たちは、母が生きるのがずっといい、なぜなら創世記には女は苦しんで子を産む、とある。ゆえにこのようなことを考える者たちは、若きマッデンが母親を死なせたくない、という考えを持って、真実を言っている、と肯定した。
 少なからぬ人々、その中には若きリンチもいたが、この世は全く悪に統治されているではないか、俗世の人間はそう思っていなくても、法も判事も決して救ってはくれない、と疑念を表した。神よ、願わくば正し給わんことを。誰かがそう言うやいなや皆が声をあげ、われらが聖母マリアにかけて、母が生き、子が死ぬべきだ、と口をそろえた。そういった議論と酒のために、彼らの頭は熱くなったが、郷士レネハンはとにかく陽気さがどんどん減っていかないようにと、周りのものを促して酒を注がせた。
 若きマッデンは問題の一件のありのままを話した。いかにして彼女が亡くなり、彼女の夫が信心深かったため、聖地巡礼者や、金をもらって祈りを捧げる人の助言に従い、アルトブラッカンの聖ウルタンに誓いを立て、何とか妻を死なせまいとしたことなどを話した。それを聞いて皆ひどく悲しんだ。それに対し若きスティーヴンはこう言った。皆さん、不幸の嘆きというのは(僧ではない)俗人の中でもよくあることだ。今、赤子も親も両方とも自らの造り主を賛美している。一人はリンボの暗闇で、もう一人は浄めの火の中で。だが、ああ、神が力を与えた魂を我々が夜毎に力のないものにしていく、これは聖霊、真の神、生命を与える主に対する罪ではなかろうか? というのも皆さん、我々の情欲は束の間のものだ。我々は我々のうちに棲まう小さな生き物の道具にすぎず、自然は我々のとは違う目的を持つ。
 若い医師のディクソンは、それは何のことだ、とパンチ・コステロに訊ねたが、彼はあまりに酔い過ぎていて、彼から辛うじて聞くことのできたのは、自分の強い性欲の高まりを解放したいということが起これば、女ならだれでも、人妻だろうと乙女だろうと愛人だろうと、不貞を犯したいよ、ということだけだった。すると、アルバ・ロンガのクロザーズが若きマラキの1000年に一度、角を生やして現れるユニコーンを讃える歌を歌ったので、他の者たちは皆身を乗り出して嘲り、馬鹿にし、聖フォウティナスの道具にかけて、男のうちにあって、できて当然なことならお前には何でもできるというのは皆分かっている、と言う。そして皆は大変陽気に笑うが、スティーヴンとブルームはあからさまには笑えない。
 ブルームは自分では表に出そうとしないが、人とは違った気質の持ち主で、子を産む女は誰であれどこであれ悲しみを寄せるからなのだ。すると若きスティーヴンは尊大な様子で語り出した。その乳房から自分を放り投げた母なる教会、教会法、堕胎・流産の守護神リリト、光の種子の風のはたらきで、あるいは吸血鬼の口づけの力で、またはウェルギリウスの言うように、西風の影響で、ムーンフラワーのにおいで、または夫と寝た後の女と共に寝たせいで(一つの出来事が別の出来事の結果を生む)、またはアヴェロエスとモーゼズ・マイモニデスの説を挙げて、湯船に浸かっただけで起こる妊娠についての話だった。
 また彼は、(妊娠して)2ヶ月後には胎児に人間の魂が吹き込まれ、母なる教会は神の大いなる栄光のためにこれらの魂を永遠に包み、守る一方で、この世の母親は獣のように子を産む雌親にすぎず、彼女らが教会法に従って死ぬのが良い、というのは、漁師の指輪を持つ人も、その岩の上に何世代にもわたる神聖な教会の建てられた、神聖なる聖ペテロもそう言っているからだ、と言う。
 皆独身者であったので、彼らはブルームに、同じような事態に陥ったなら、あなたは子供の命を救うため母の体を危険にさらすだろうか? と訊ねた。彼は非常に用心深い人なので、周りの人の意見に合わせて答えようと、顎に手を当て、いつものように本心は隠してこう言った。自分は俗人としてふさわしいように、医術というものをいつも尊敬している。そのようにめったに経験しない出来事に私は直面したことがないが、このような不幸(子を産んだ母が死ぬこと)があった際には、母なる教会が、母親の葬儀代と子供の洗礼にかかる費用を募って、与えるのがいいのではないかな。そう言ってブルームは巧みに問いを避わした。
 まったくその通りだな、とディクソンは言った。自分に聞き間違いがなければ、それは示唆に富む言葉だ。それを聞いた若きスティーヴンはすっかり喜び、貧しき者より盗む者はエホバに貸すなり、と断言した。というのも彼は飲むと興奮しがちで、今彼がそのような状態にあるので興奮した性質が再び彼に現れているのだ。

・p.26~p.27「さるほどにレオポルド殿は……泣く泣く悲しみ給ひける」

アーサー王の死』の文体模写は続く。それゆえここは王朝物語の調子でゆくべきだ

 が、翻訳の都合上戦記物語とりわけ『平家物語』の文体で(U-Δ注)

 

 ブルームは自分で言った言葉に似つかわず、非常に重々しい様子だった。一つには今出産中で、大変恐ろしげな甲高い叫び声を上げる女たちに対し、今もなお憐れみを感じ、もう一つには、自分に唯一の男の子を産んだ妻マリオンのことを気にかけていたからだ。この男の子は生まれて11日目にしてこの世を去り、どんな医術をもってしてもその子を救うことができず、大変暗い宿命であるとしか言えなかった。彼の妻はこの思いがけない災いにひどく心を痛め、真冬のことだったので、その子が完全に滅びてしまったり、土の中で凍えてしまわないよう、子羊の毛で作った美しい産着を着せてやった。
 ブルームには自分の血を受け継ぐ後継ぎとしての男の子がいないので、友人の息子を眺め、過ぎ去った日々の幸せを思って悲しみの中に一人閉じこもった。また彼は、このような優しい心を持ち、皆が本当に才能があるとみなしているスティーヴンのような息子を失った父と同じような気持ちがして、それも悲しく思えた。さらに、同じくらい悲しかったのは、この若きスティーヴンが、このようなろくでもない連中と羽目を外し、娼婦のために金を使い尽くして暮らしていることだった。

・p.27~p.30「頃しもスティーヴンの……「静謐のあらまほし」とぞの給ひける」

 エリザベス朝の散文年代記の文体を模す。訳文は『平家物語』の文体をつづける

 (U-Δ注)

 

 ちょうどそのころ、若きスティーヴンは空のグラスすべてを酒で満たし、スティーヴンの勧めにより酒を注ごうとする人々が近づくことからグラスを隠そうとする、より賢く、慎重な人の妨げがなかったなら、もっと残りの酒は少なくなっていただろう。スティーヴンはそれでもしきりに周りの人々に酒を盛り、絶対君主的な教皇の究極の目的に祈りを捧げつつ、ブレイの牧師とも言えるキリストの代弁者である教皇のために乾杯しようと周囲に提案した。彼は言う。さあ飲もう、この大杯を。どんどん飲もう、この美酒を。これはぼくの肉体の一部ではないが、ぼくの魂が具現化したものである。パンのみで生きる者にはわずかなパンを残しておけばいい。パンが足りなくなるのを恐れるな。酒は人を元気づけるものだけれど、パンは人の心を惑わすものだからね。これを見るがいい。そして彼は自分に贈られたきらきら輝く硬貨と、金細工師の紙幣2ポンド19シリングをその場にいた人々に見せ、これは自分の書いた歌で手に入れたものだ、と言った。今までの彼のひどい金欠の状況を知っている者たちは皆、目の前に出された大金を感心して眺めた。
 彼は次のように言葉をつづけた。皆の者よ知られよ、時の廃墟は永遠の館を築く。これはどういう意味だ? 欲情の嵐は茨草を吹き枯らすが、その後に茨草は時の十字架の上に薔薇となって咲き誇る。注意して聞いてくれ。女の子宮の中で言葉は肉となるが、造物主の霊のなかですべての肉は変わることのない言葉へと変わる。これが後の創造だ。諸人こぞりて汝に来たらん。我らの贖い主、癒し人にして守り手の肉体を腹に宿した女、我らの強大なる母、最も尊い母の名が強力なものであることに疑いはないね。
 ベルナルドゥスは適切にもこう言っている。聖母マリアは神に生誕を贈る全能の力を持つと。それはつまり、請願の全能性であり、アウグスティヌスも言っているように、へその緒で連綿として我らと結びつけられている我々の女の祖先イヴは、安林檎一つで我々皆を、子孫、一族、一門、すべてを売り払ってしまった。でも第二のイヴであるマリアは、我々を勝ち得、救ったのだ。
 しかし、ここに問題がある。彼女、すなわち第二のイヴであるマリアは、彼を知っていて、彼女は彼女の創造物の創造物、処女なる母、汝の息子の娘であったのか、あるいは、彼女は彼を知らなかったのか、そうなるとこのとき彼女は否認あるいは無視という点において、ジャックの建てた家に住む漁師ペテロと、またあらゆる不幸せな結婚の幸せな終焉の守護聖人である大工ヨセフと同じということができるだろう。
 そもそも、ムッシュー・レオ・タクシルの言うように、彼女をあんなひどい窮地に陥れたのは聖なる鳩のあん畜生め、だからだ。全実体変化なのか実体共存なのかはともかく、動物合体でないことは確かだ。スティーヴンが話し終わると、人々は皆ひどく下劣な言葉だ、と叫んだ。スティーヴンは言う。性的な喜びなき懐胎、苦痛なき出産、傷なき肉体、膨らむことのない腹、そういったものは下層の民たちに信仰と情熱をもって敬愛させておけばいい。我々は、自分の意志でそういったものに逆らい、反対の意を示す。
 するとパンチ・コステロがこぶしを握り締めて食卓を打ち鳴らし、オールマニーの陽気なならず者に妊娠させられた乙女の歌「スタブー・スタベラ」という猥歌の一節を歌って返した。「はじめの三か月、彼女は具合が悪かった、スタブー」そのとき、クウィッグリー看護婦が怒った様子でドアから入って来て、こう言った。自分たちを恥じ、静かにしてくれないか。アンドルー先生がいらっしゃるのに備えて、全てをきちんとしておこうというのが私の意向だ。というのも私は(妊婦を見守る)看護婦としての名誉を、無駄な騒ぎで減じられたくはない、という強い願いがある。こういったことをあなたがたに思い起こさせるのが、適切でないということがあろうか。
 彼女は年長で真面目な看護婦長で、落ち着いた容貌をしており、歩きぶりは堂々としていて、赤褐色の衣服は沈んだ心としわの寄った顔によく似合うものだった。彼女の要請は不足なく影響を与え、パンチ・コステロは早速皆から咎められ、ある者たちは丁寧な荒っぽさでこの粗野な男を改心させようとし、またある者は甘言の脅しでもって彼を覚醒させようとした。それと同時に皆は彼を非難し、この間抜けは疫病にかかればいい、一体何様のつもりなのか、この失礼な奴め、新米野郎め、私生児め、ろくでなしめ、この豚の小腸め、反逆者の落とし子め、溝に産み落とされた奴め、月足らずで生まれた奴め、生まれながらの馬鹿者の口にする悪態のように、酔っぱらってたわごとを吐くのはやめろ、などと痛罵した。穏やかなるマジョラム、静けさの花薄荷を紋章とする、優しく立派なブルームもまた、諫めるように、今のこの分娩の行われている時は、非常に神聖で、非常に神聖であるに最も値する時としてふさわしい時だ。なので、ホーンの館には、平穏や平静さがそこを支配していることが望ましいね、と口を添えた。

 

・p.30~p.34「約メテ之ヲ申サバ……円形劇場ニテ」

 以下しばらく、ジョン・ミルトン、リチャード・フッカー、サー・トマス・ブラウン

 など、16世紀後半及び17世紀のラテン語的文体の模倣。『太平記』の文体で訳

 す。(U-Δ注)

 

 このやりとりが終わるか終わらないかのうちに、エクルズ街マリア病院のディクソンが、にこやかに笑って、なぜ修道士としての誓いを立てることに決めなかったのか、と若きスティーヴンに訊いた。彼は、子宮の中では従順、墓の中では貞節、自分の日々の暮らしでは不本意ながら貧困の中に生きることにしたからだ、と答えた。レネハンはそれを聞いて、自分は邪な行いとその様子について聞いたのだが、その話によると、彼は自分に心を許した女性の百合のような貞節を汚したというではないか。これは若者の堕落ではないだろうか、と言うと、周りの者たちは皆互いにそれが事実であることを示し合い、大いに笑い興じ、スティーヴンが父であろうことを祝って乾杯した。
 しかしスティーヴンは、極めて純粋な思いで、皆の思うところとは逆だ、自分は永遠の息子であり、ずっと童貞のままである、と言う。すると周りの者たちは一層笑いさざめき、スティーヴン自身が前に話したマダガスカルの僧侶たちの執り行う奇妙な婚姻の風習を引き合いに出す。その風習では、配偶者たちの衣服を剥ぎ取り、処女(童貞)を喪失させる。新婦は白とサフラン色の衣装、新郎は白と臙脂色の衣装を身にまとい、甘松香を焚き、蝋燭に火を灯し、僧侶たちが祈りの言葉を唱え肉体的な性の秘密がくまなく明らかにされんことを、という祝歌を歌う中、初夜の床で新婦は処女を失うことになる。
 するとスティーヴンは、優れた詩人ジョン・フレッチャーとフランシス・ボーモントの書いた「乙女の悲劇」という劇のなかの大変見事な小祝婚歌を皆に紹介した。その劇は恋人たちの抱擁にふさわしいものとして書かれ、その小祝婚歌のなかの「床へ、床へ」という繰り返しの部分は小型の洋琴の伴奏と調和して歌われる。付添人たちが馥郁たる香りのともし火を持ち、婚姻の交わりに関わる、脚が四本の舞台へと二人を案内するという、愛しあう若者たちにとって大変心地よく言葉遣いの巧みな、甘美この上ない祝婚歌である。

 しかし彼ら二人はよく出会ったものだね、とディクソンは喜んで言う。でも君、彼らの名は美丘と好色漢のほうがもっとよかったのに。なぜって、その二人の交わりでもっと多くが生れただろうから。若きスティーヴンは、実際、記憶にある限りでは、二人は一人の娼婦を共有していた。その女は売春宿の女で、色欲の喜びに溺れてまわり番で男たちの相手をしていた。当時は精力が盛んで、国の慣習もそれを認めていたからね。自分の女を友達と寝かせるなんて、こんな素晴らしい愛はないよ。君も行って同じようにするのがいい。人類がそれ以上に恩義を受けるような男はかつて生きていたことがなかった、というような趣旨のことを、前に牛尾大学フレンチ・レターズ講座の、王によって認められた教授であるツァラトゥストラが言っていたな。
 他人をお前の塔の中に入れれば、お前は二番目にいいベッドを手に入れることになるという不幸が待っている。祈れ、兄弟よ、我がために。そうすれば人々は皆アーメンと言うだろう。忘れるな、アイルランドよ、お前の祖先を、お前の過去の日々を。お前は私も、私の言葉も尊ばず、異国の者たちを私の門の中に入れ、私の目の前で姦淫を行い、肥え太り、エシュルンのように蹴とばした。故にお前たちは私の光に背いて罪を犯し、私を、お前たちの主を、召使いの奴隷となしたのだ。戻れ、戻れ、ミリーの族よ。ああミレシアンよ、私を忘れるな。なぜお前たちはこのような忌まわしい行為を私の目の前で行ない、私を下剤売りへと追い払い、お前たちの娘らが淫らに床を共にしている、意味のよく分からない言葉を話すローマ人やインド人に対し私を否定するのか?
さあ我が民よ、約束の地を望み見るのだ。ホレブから、ネバから、ビスカから、ハテンの山々から、乳と金の流れる地を望み見るのだ。だがお前たちは私に苦い乳を飲ませた。私の月と日とをお前たちは永遠に消し去った。そして私を憤りや辛さの暗い道に一人置き去りにし、灰の口づけでもって私の口に口づけしたのだ。

 スティーヴンは続けて言った。この内面的な暗さは七十人訳聖書の知恵によって照らされることなく、言及されることもなかった。というのも、地獄の門を壊し、暗闇を訪れた、高みよりの東方の太陽は遠くかけ離れていたからだ。キケロがお気に入りのストア派について語っているように、慣れることは残虐行為を感じにくくさせ、父王ハムレットは息子に自らの火傷の火ぶくれを見せない。人生の真昼における不透明はエジプトの災いの一つであり、それがあるべき最も適切な場所と様式は、出生前と死後の夜である。

 あらゆるものの最終形態とは、何らかのかたちでその発端と原形(元の形)とに対応し、その多様な対応は出生から発育を導き出す。それは終局に向かう減少と削減をもたらす退化的な変容によって成し遂げられ、自然の理にも適うものであると同時に、天の日のもとにある我々の存在についても同じことが言える。年老いた姉妹たちは我々を生へと引きずり出す。我々は泣き叫び、食べて太り、遊び戯れ、抱きしめ、抱き合い、別れ、やせ衰え、死んでいく。
 我々の上に、その死の上に彼女らはかがみ込む。初めは古きナイル川のほとりから、パピルスの茂る中、枝を編んで作った寝床から救われ、最後には山の洞穴、山猫やミサゴの叫び声に囲まれた、人目につかない墓に入る。そしてその墳墓の場所は誰も知らず、我々が何者であるかの本質がその起源の場所や状態を引き出したのをどんな遠隔の地から振り返って見てみようとしても、どのような過程へと我々が導かれるか、トペテへ行くのかエデンの市へ行くのかも同様にすべて隠されている。
 そこでパンチ・コステロがスティーヴン、歌を、と荒々しく怒鳴るが、スティーヴンは皆に大声で告げる。見ろ、知恵は自らの家を建てた、この巨大で堂々たる、長きにわたって揺らぐことのないアーチ形天井を、創造主の水晶宮を、全てにおいて整然と建てたのだ。豆を見つけた者には一ペニーやろう。
 巧みなる工匠ジャックによって建てられた館を見よ
 たくさんの逆流する袋へと蓄えられたモルトを見よ
 ジャックジョンの野営地の、堂々たる円形劇場にて。

 

・p.34~p.35「まがまがしき……教へ給ひけれ」

 文体は依然として16世紀、17世紀のラテン語的散文だが、訳出の都合上、ここからし

 ばらく『義経記』あたりの調子でゆく。(U-Δ注)

 

 この通りで不吉なガラガラという騒音が、何ということだ、耳ざわりな音を返した。左のほうで雷神が大きな雷の音をとどろかせた。憤り、槌を投げる者は恐ろしい。そこへ嵐がやってきて、スティーヴンの心に黙れと警告した。リンチは彼に、神が君の無駄で馬鹿げた冗談と異教的な考えに怒っているのだ。だから侮蔑や不敬な考えにふけるのは慎めよ、と命じた。最初は臆病になるなと(周りの)気を奮い立たせていた彼も、皆が注目するほど青ざめ、縮みあがり、それまで偉そうに張り上げていた彼の声の調子が今になって唐突に、全く弱々しいものとなり、彼の胸の檻の中にある心はその嵐の不服の叫びを経験して震えあがった。
 するとある者は彼を嘲笑い、ある者はからかい、パンチ・コステロは再びぐいぐいとビールを飲みはじめ、レネハンは自分もそれに続こうと誓った。彼はどんな僅かな口実でも素早く(酒を飲むという)行動をとる、実に軽々しい人間なのだ。だがこの大言壮語の大口叩きは、老いぼれ親爺神は酔っぱらっていて、ぼくにはほとんど関係がない、ぼくは先達に遅れをとらないよ、と大声で言った。しかし彼はホーンの館で怯えて身を屈めていたため、この言葉は彼の自暴自棄の色を加えるにすぎなかった。そして天の一帯に雷がゴロゴロと長く鳴り響いたので、彼は自分の潔い態度を示す心を奮い立たせようと、全く一息でぐいと酒をあおった。
 その(世界の終わりを告げるような)運命の雷鳴を聞いて、マッデンはしばらくの間信心深い気持ちになり、自分の肋骨を叩き、ブルームは大口叩きのそばで、彼の非常な恐怖を眠らせようとして、彼を落ち着かせる言葉をかけ、君の聞いたのはただの騒音、入道雲からの液体の放出(の音)に過ぎないんだ、いいかい、それはもう起こってしまったことで、全くの自然現象の秩序によるものなんだよ、と教えた。

・p.35~p.38「されどわかき……ほろぼしたまはむ」

 17世紀のジョン・バニヤン天路歴程』の寓話的文体になる。翻訳は『恨の介』

 『竹斎』その他、仮名草子の文体で。(U-Δ注)

 

 だが若き思いたかぶる者の恐れは、なだめる者の言葉で消えたのか? いや、というのも彼は胸の内に悔やみという名の針があって、それは言葉によってなくすことのできないものだったからだ。では彼は一方のように穏やかに、他方のように信心深くはなかったのか? 彼はどちらのほうにしても自分がそうなりたいと思っていたのと同じ程度に、どちらでもなかった。だが彼は若い頃彼が共にしていた神聖な瓶を、当時のように再び見出そうと努力することはできなかったのか? まったくそれは無理だった、というのもその瓶を探すための恩寵がそこにはいなかったからだ。
 それでは彼はその雷鳴の響きのうちに、産みの神の声を、またはなだめる者の言う現象の騒音を聞いたのか? 聞いたのか? ああ、彼は理解の管を塞がない限り聞かざるを得なかった(彼はそれを塞いでいなかった)。というのも、この管を通して彼は自分が現象の地におり、そこで自分は他の者と同様、同時代の生命の見世物であるので、いつかきっと死ぬ身であることを見、知ったのだ。
 そして彼は他の者のように消え、死ぬことを受け入れようとしなかったのか? 決して受け入れなければならないとしても受け入れることはできなかった。また、掟の書によって、現象がそうすることを命じるところである、男が女と共にするようなことを尚更行なおうともしなかった。彼はその上、我を信じよと呼ばれる異なる国、永遠にあり、死も出生も、妻をめとることも子を産むこともなく、信じるものは皆そこへやってくるという、喜びを与える王にふさわしい約束の地についてもまったく知らなかったのか?
 いや、昔敬虔な者が彼にその地のことを教え、貞節な者がそこへ到る道を教えたが、その道の途中で、彼はある美しい外見の娼婦に出会った。その名は、彼女の言ったところによると、手のうちの一羽の鳥で、彼女は偽りの称賛で正しい道から悪い行いの未知へと彼をだました。彼女の言った甘言は、ねえ、かわいいお兄さん、道をそれてこちらへ来たら、素晴らしい場所を見せてあげるわ、といったもので、彼女は彼を大層喜ばせて欺き、藪の中の二羽という名の自分の小さい洞窟へ彼を中に入れた。そこは、ある学者たちによれば、肉体の強い性欲、と呼ばれている。
 母の館で食事を共にして座っている一座の者たち皆がもっとも心乱されるのがこれであり、彼らがこの娼婦、手のうちの一羽の鳥に会えば(それはあらゆる悪しき厄介なもの、化け物たち、邪悪な悪魔のうちにいた)、彼らは根性を精一杯はたらかせて彼女に近づき、彼女を知るのが習慣だった。というのも、彼らの言うには、我を信じよの国については観念にすぎず、それについての考えを心に抱くことができない、というのも、一つの理由には、彼女が自分たちをおびき寄せる藪のなかの二羽は大変良い洞窟で、その中には四つの枕があり、その枕には四つの札がついていて、腰乗りの者、逆さまの者、恥じ顔の者、密接の者と書いてあるというのと、二つ目の理由には、あの悪い疫病、全梅毒の者、そして化け物たちを自分たちは心配していないのだ、なぜなら保護の者が自分たちに牛の腸でできた丈夫な楯を与えているからだ、というのと、三つ目の理由には、自分たちは子殺しの者という名のこの楯の力により、あの邪悪な悪魔である子たる者から何の害も受けないからだ。
 そして彼ら、揚げ足取り氏、折々信心氏、猿がビール牛飲氏、偽郷士氏、洒落者ディクソン氏、若き大口叩きの者、慎重鎮静氏、すなわち皆が妄想にふけった。そのような座において、ああ情けない者たちよ、君たちは皆惑わされていたのだ。というのもそれは非常に激しい憤怒に駆られた神の声であり、君たちの悪態や、子を産むよう強く命じた神の言葉にとは反対に君たちのなした浪費ゆえに、神はやがて手を振りあげ、君たちの魂を滅ぼすだろう。