Ball'n'Chain

雑記

地獄の沙汰もジョイス~第3回ユリシーズ読書会メモ

https://www.stephens-workshop.com/ulysses-in-2022/

「京都から深夜バスで東京までやってきて、未曽有の重量のカバンを持ち、ネットカフェを転々としながら読書会に参加した」者の、ユリシーズ読書会第3回(第二挿話)の予習&再調査のメモです。異常な長さなので更新が遅れてしまい、ブログに何度もアクセスしてくれた方、申し訳ございませんでした。このままだと前置きも長くなってしまうので、注意事項だけ書きます。

・この読書会に参加するにあたり、私のような予習や調査は必要ありません。柳瀬氏の訳による『ユリシーズ』を読み、何となく気になったところや分からなかったところなどを頭の隅に留めておくだけでOKです。どういう点に着目すればいいか、などのアドバイスは、事前に主催者の方がメールで送ってくれたりもします。とにかく気軽に読んで、気軽に参加し、気軽に発言してみてください。読書会の趣旨については上記サイトをご覧ください。

・私は主にネットで情報を調べ、研究者のものかどうか分からない記事なども参照しているので、このメモにはあまり学術的な根拠はありません。もちろん書籍も資料として読みこんでいますが、私はジョイス研究者ではないので、このブログの内容を大学のレポートに転用したりすることは避けたほうがいいかと思います。参照・引用したブログや書籍については注をつけていませんが、もし引用元が知りたいという方がいらっしゃれば、ご連絡を頂ければできる限りお伝えします。

 

 私もだいぶ疲れてきたので、早速スタートします。

(読書会で作成される言葉の地図の略称に合わせ、柳瀬訳をU-Y、丸谷才一らによる鼎訳(集英社文庫版)をU-Δと表記し、その後にページ数を書いています(挿話番号はepの後に表記されています)。ガブラー版はまだ持っていないため、引用部分を表記できません(申し訳ございません)。グーテンベルクのものを参照しているため、ガブラー版との差異が生じている可能性があることをご了承ください。)

 <目次>

 

<U-Y 49-52 ~授業・ブレイク・ミルトン・図書館・樹懶・アリストテレス~> 

・U-Y 49「なんという市が遣いを送った?」

 U-Δ 65「どの都市が彼を呼んだ?」

 “What city sent for him?”

 →“send for”で「招く、迎える、呼び寄せる」の意。U-Yは「彼のために」遣いを送った、と解釈するべきか?

 →「市(都市)はイタリア南端のギリシア人植民地タレントゥム。(U-Δの)「彼」はギリシアのエペイロスの王ピュロス(前319-272)。前281年、タレントゥムの招きによって海を渡ってローマ軍と戦い、前279年にアスクルムで敵軍を敗走させたが、味方も大きな損害を被った。勝利の喜びを述べた者に「また戦ってローマ軍に勝てばわれわれも全滅するであろう」と答えたという。のちギリシアに帰りアルゴスの内紛に加担したが、城門わきの狭い通りで乱戦に巻きこまれ、屋上から一人の老婆が投げた瓦のために落馬したところを討ち取られた、とプルタルコスは伝える」(U-Δ注)。注にあるようにピュロスの率いた軍はヘラクレアの戦い、アスクルムの戦いで勝利したが、自軍の被害も多かったことから、割に合わない勝利のことを「ピュロスの勝利」と呼ぶようになった。

・U-Y 49「目暗み顔が盲窓に問う」

 U-Δ 65「空ろな顔が空ろな窓にたずねた」

 “blank face asked the blank window”

 →「盲窓」:「普通は装飾窓(形だけの窓で採光や眺望の用をなさない)を言うが、ここは少年の問いに答えてくれない無表情な窓を意味しうる。物の描写に人間の動作や表情を当てるのはジョイスの特徴的な手法。次の「血まみれ傷だらけの本」(U-Δ)も同じ」(U-Δ注)。どちらの訳もblankの繰り返しを訳に反映している。

・U-Y 49「記憶の娘たち」“the daughters of memory”→「本来はギリシア神話の記憶の女神ムネモシュネの娘ら、すなわち9人のムーサ(ミューズ)たちを言う。個々のムーサは抒情詩、音楽、舞踏、歴史、天文学、その他を分担して司り、詩人に霊感を授ける。しかしロマン派の詩人・版画家ウィリアム・ブレイク(1757-1827)は断章「最後の審判のヴィジョン」で独自の区別を設け、記憶の娘らは寓話(または寓意)を作り、霊感の娘らはヴィジョン(または想像力)を守るが、前者は後者に劣ると述べた」(U-Δ注)。この段落は(この段落だけでないことは追々分かるが)難解だが、読書会で主に歴史についてのイメージを描写しているとの説明があった(と思う…)

・U-Y 49「それからあの苛立ちの句、ブレイクの過度の翼の羽ばたき」

 U-Δ 65「だから、いらだちの言葉が、ブレイクの放逸の翼の重い羽ばたきが」

 “A phrase, then, of impatience, thud of Blake’s wings of excess”

 →放逸の翼(過度の翼):「ブレイクの箴言集『天国と地獄の結婚』(1790-93)から。「放逸の道は知恵の宮殿に至る」と「自分の翼で飛ぶ鳥はいくらでも高く飛べる」を組み合わせて。詩人のヴィジョンが作り出す神話は歴史を超越しこれを否定する、の意ととる。ギリシア神話ダイダロスクレタ島の迷路脱出用に作った翼とも重なるか」(U-Δ注)。この注の中のブレイクの箴言集からの引用だが、訳が間違っているのではないだろうか? 組み合わされた二つの詩の原文は“The road of excess leads to the palace of wisdom”と“No bird soars too high, if he sores with his own wings”である。最初の詩の訳は合っているが、二つ目の詩は「自分の翼で天がけるならば、鳥は高く飛びすぎる恐れなし」なので、「いくらでも高く」は飛べない。「過度の」道が叡智へと繋がり、自分の翼で飛ぶならば高く飛びすぎることはない(ダイダロスのように高く飛び過ぎて神の怒りをかい墜落することはない、つまり安全)とすると、過度の翼の羽ばたきは安全に叡智の元へ導いてくれると考えられるが、それがなぜ「苛立ちの句」なのか、この二つの詩の組み合わせが一体何を意味しているのか、注を読んでもよく分からない。

・U-Y 49「全空間の破壊が聞える、砕けるガラスと崩れ落ちる石造り、そして時は一個の青鈍の最後の炎」

 U-Δ 65「ぼくは全空間が廃墟となり、鏡が砕け、石の建築が崩れ落ち、時がついに一つの青白い炎となって燃えるのを聞く」

 “I hear the ruin of all space, shattered glass and toppling masonry, and time one livid final flame”

 →“hear”がどこまでかかるのかで二つの訳の解釈が違う。“glass”はU-Yではガラス、U-Δでは鏡。U-Δで「青白い炎」としている “livid”は「青黒い」の意なのだが…(U-Δは結構誤植が多いので、そのせいかもしれないが)

・U-Y 49「血糊傷にまみれた書」

 U-Δ 65「血まみれ傷だらけの本」

 “the gorescarred book”

 →「戦いの殺戮等を記述した歴史の教科書であり、同時に使い古されて汚れ傷ついた本。G(Gifford)はgoreの古義「汚れ」をとる」(U-Δ注)

・U-Y 49「かくのごとき勝利ふたたびあれば我らは破滅」→前述のピュロスの言葉。

・U-Y 49「さえない気休め」→上記の言葉を世界中が諳んじてしまったことが?

・U-Y 49「屍散らばる野を見下ろす丘から将軍が幕僚に演説をぶつ、槍にもたれながら。将軍も将軍なら幕僚も幕僚。そろって拝聴」

 U-Δ 66「丘の上から死体の散らばる平野を見おろし、槍にすがって、将軍は幕僚たちに語りかける。どの将軍も、どの幕僚たちにでも。彼らは耳を貸しはする」

 “From a hill above a corpsestrewn plain general speaking to his officers, leaned upon his spear. Any general to any officers”

 →幕僚…officer(将校、士官)。指揮官を補佐する高等武官、またはそれに準ずる者。この部分は恐らくピュロスが幕僚たちに話しかけているところを描写したものと思われるが、原文最後の“Any general to any officers”は「どんな将軍からどんな幕僚たちへでも」ということだろうか? それならこのgeneralは特にピュロスを指すものではなく、「どんな将軍からどんな幕僚たちに話された言葉でも、彼ら(幕僚たち)は耳を貸す」という意味だろうか? それに対してなぜU-Yが「将軍も将軍なら幕僚も幕僚」としたのかが分からない。原文にそのような意味があるのだろうか? 幕僚と拝聴で韻を踏んではいるが。

・U-Y 50「無花果巻き」

 U-Δ 66「乾イチジク入りロール」

 “figrolls”

 →「ダブリンのW&R・ジェイコブズ製の菓子で、イチジクをビスケットで巻いたものを言う。ロールは筒形のケーキまたはパイ」(U-Δ注)。

・U-Y 50「薄葉」

 U-Δ 66「薄皮」

 “tissue”

→薄葉…一般に極めて薄くすいた紙のこと。tissue…「薄葉紙、薄織物、組織」等の意。U-Yは詩的表現?

・U-Y 50「ヴァイコウ通り」

 U-Δ 67「ヴィーコ道路」

 “Vico Road”

 →「ドーキーの町の高級住宅街だが、循環歴史説を唱えたイタリアの哲学者ジャン・バッティスタ・ヴィーコ(1668-1744)の名前を連想させる」(U-Δ注)。とあるが、読書会でも確認した通り、現地の人はこれを「ヴァイコウ」と読むので、ヴィーコとの繋がりはあまりないと考えられる。あまりないとは言え、視覚的には同じVicoなので、全く関係がないとは言えないのではないかとも思う。ちなみに循環歴史説は、歴史は変化しつつ循環するとする考え(そのままの説明ですみません)。

・U-Y 50「ピュロスですかあ? ピュロスは、ぴゅろっとした桟橋」

 U-Δ 67「ピュロスですか? ピュロスはピア」

 “Pyrrhus, sir? Pyrrhus, a pier”

 →「ピア(桟橋):空堤。遊歩桟橋。夏の遊び場。社交場。桟橋上にキオスクがあり、楽隊の演奏などが行われる。ここは苦しまぎれの語呂合わせか(ピュロスは英語読みでピラス)」(U-Δ注)。U-Yは「ぴゅろっとした」という言葉をつけているのでまだ生徒のふざけ具合が分かるが、U-Δだと注を見ないと生徒がふざけて答えているのが全く分からない。

・U-Y 50「おかしくもないのに甲高く当てつけがましい笑い」

 U-Δ 67「陰気な、意地の悪い高笑い」

 “Mirthless, high malicious laughter”

 →mirthlessで「陰気な、楽しくない」、maliciousで「悪意のある、意地の悪い」の意なので、U-Δの方が直訳的。U-Yのほうは生意気な生徒のやり口に合わせた訳に思える。

・U-Y 50「愚かな嬉しげな横顔」

 U-Δ 67「間の抜けた嬉しそうな横顔」

 “silly glee in profile”

 →恐らくU-Yはsillyとgleeの音の重なりを反映したくて、「愚かな」「嬉しげな」と続けたのだろうが、普通なら「愚かで嬉しげな横顔」「横顔に愚かな嬉しさを見せて」などになると思う。ニュアンス的にはU-Δのほうが合っているように感じる。

・U-Y 50「キングズタウン桟橋」

 U-Δ 67「キングズタウン・ピア」

 “Kingstown pier”

 →「連絡港キングズタウン(cf.第一挿話)はサンディコーヴの北西にある。1821年、イギリス王ジョージ4世の訪問を記念してキングズタウンと名づけられたが、王は民衆の期待に反してアイルランド自治には冷淡であった」(U-Δ注)。ジョージ4世(George IV、1762‐1830、在位:1820 - 1830)魅力と教養により「イングランド一のジェントルマン」と呼ばれたが、放蕩な生活と政治的不能さにより、民衆の不満を買った。1821年、ジョージ4世はリチャード2世以来はじめて公的にアイルランドを訪れた国王となる。1797年にカトリック解放法案を提唱したため、カトリック解放を支持するものと広く思われたが、1813年に私的にカトリック解放法案への反対を説得して回ったことでその反カトリックな思想が明らかになり、1824年には公的にもカトリック解放を批判した。

・U-Y 50「おかしくもないのにわざとらしく」

 U-Δ 67「陰気に、意味ありげに」

 “mirthless but with meaning”

 →前出の「おかしくもないのに」と同じmirthlessが繰り返される。U-Δのほうでも「陰気」として同じ訳語を繰り返している。ちなみにwith meaningは似たような表現で“pregnant with meaning”(意味深長)という言葉がある。

・U-Y 50「知っているのだ」

 U-Δ 67「こいつらは知ってる」

 “They knew”

 →この子供たちは何を知っているのか、という問題。その前にある後ろの席の二人がひそひそ声を交わす、という記述、その後の、とうに無邪気でもない、という記述から、何か性的なことに関して隠れ話をし、先生に聞こえないように笑っているのではないかと考えられる。あるいは性的なこと以外でも、先生には聞かれたくない秘密の悪事かいたずらのようなことを話しているように思われる。第一挿話に出てくる赤毛のリリーが桟橋でいちゃいちゃしていた話のことを子供たちは「知っている」のではないか、と読書会で言及されていたが、赤毛のリリーは街でそんなに有名なのだろうか? それとも桟橋でそういうことをしていた、というのが子供たちの間で話題になっていたのだろうか? 

・U-Y 50「とうに無邪気でもない」

 U-Δ 67「無知ではない」

 “nor ever been innocent”

 →innocentが無邪気と無知で分かれているが、どちらの意味もある。余談だが、この間ツイッターで某有名な翻訳家の方が、innocentに無邪気と無知の両方の意味があるという事を初めて知った、と書いており愕然とした。人の無知を笑うことは決してできないのだが、名の知れたプロとしてあまりそういうことは言わないほうがいいのでは…(そういうことで信頼を失っては困る)と思った。余談終了。そして気づいてしまったので書くが、この“They knew……innocent”の部分、過去完了になっているが、訳はどちらとも「知っている」以降が現在形だ。「知っているのだ」の後に続けるならば、「とうの前から誰に教えられたのでもなく、無邪気でもなかったのだ」のように「知っている」より時制を前にしたほうが原文に近いのではないだろうか?

・U-Y 50「イーディス、エセル、ガーティー、リリー」→最初は誰の事なのか分からなかったが、読書会で彼女たちはスティーヴンが大学時代に交流した女性たち、という指摘があった。『肖像』などに出てくるんでしょうか?

・U-Y 50「ブレスレットがもがきながらくつくつ笑う」

 U-Δ 67「いちゃつくたびに、腕輪がくすくす笑った」

 “their bracelets tittering in the struggle”

 →U-Δから、スティーヴンと前述の女性たちの間でそういったことがあったのだろうな、と予想されるが、U-Yでは割と直訳的(struggleは「もがく、じたばたする」の意)なのでそこが分かりにくい。これもジョイスの他の作品を読めば分かることなのだろうか?

・U-Y 50「がっかりの橋」

 U-Δ 67「当て外れの橋」

 “a disappointed bridge”

 →「①前述の歴史の経緯を指して。ほかに失意の亡命者がヨーロッパへ出ていく場所だから。スティーヴンがパリ留学の不首尾(→第三挿話)を思い出したから、などの解釈もある。②disappointedの古義「職を解かれた」「装備を剥がれた」と、二つの地点を結びつけることのない桟橋の形状をからめて、「出来そこないの橋」でもある。③『ハムレット』の亡霊の台詞。unhousel’d, disappointed, unanel’d (「聖体も授けられず、心構えも与えられず、終油も施されず」一幕五場)と母の死を結びつけて。スティーヴンの母は臨終の秘跡を授けられたはずだが、彼は最後の祈りを拒んだゆえに良心の呵責を感じている」(U-Δ注)。その他にも、彼が後に「ヘインズの行商本向きだ」などと考えていることから、キングズタウン桟橋にまつわる歴史や自身の体験などを思い出して「がっかり」と言っているのかもしれないと思う。

・U-Y 51「ヘインズの行商本向きだ」

 U-Δ 68「ヘインズのチャップブックにお誂え向き」

 “For Haines’s chapbook”

 →「行商本(チャップブック):17世紀から19世紀にかけて、行商人によって流布した小冊子。内容は大衆向けの物語、バラッド、滑稽譚、謎かけ、実用書など。スティーヴンはヘインズの手帖をこれに見立てて軽蔑した」(U-Δ注)。

・U-Y 51「主人の宮廷に仕える道化、お目こぼしに与り蔑ろにされ」

 U-Δ 68「大目に見てもらい軽んじられる宮廷道化師」

 “A jester at the court of his master, indulged and disesteemed”

 →「18世紀のゴールドスミス、シェリダンから19世紀末のワイルドにいたるアイルランド生れの喜劇作者たちを指して。ジョイスは批評「オスカー・ワイルド」で、彼らは文壇で名を成すためにイギリス人の宮廷道化師となって御機嫌をとらねばならなかった、と述べて、その境遇を思いやった。「みんな」(U-Δ)はこれらの喜劇作者たち」(U-Δ注)。jesterは中世の王侯や貴族に雇われた道化師、indulgedは“to treat with excessive leniency, generosity or consideration”(甘やかす、大目に見る)の意味。この段落はヘインズの胸の内を突き刺す、主人の宮廷に仕える宮廷道化師などの記述から、ハムレットのことも連想させる。

・U-Y 51「己の国土は質屋だから」

 U-Δ 68「自分たちの国は質屋みたいなものなんだ」

 “their land a pawnshop”

 →アイルランドの一切が他人(イギリス)の所有物だから。landとaの間にwas likeが省略されているのだろう。アイルランドが自国のものの全てをイギリスから預かっているだけの状態、と考えれば、アイルランドは質屋、ということになるが、アイルランドが自国のものを全て質に入れて現金をもらっている、生計を立てている、イギリスに頼らなければ生きていけない状態、と考えると、イギリスのほうが質屋になってしまう。ここは深く考えずに前者の考え方を取るべきか。

・U-Y 51「どちらも頭の中で解き放してやることはできない」

 U-Δ 68「考えて消してしまえるわけじゃなし」

 “They are not to be thought away”

 →原文を直訳すると「それらを忘れてしまうことはできない」。ちなみに“not to be thought away”は現代英語では「なしでは考えられない」という意味になるが、think awayで“avoiding a train of thoughts by changing your thoughts to another topic”(別のことを考えることで一連の考えを続けるのを避ける、考えて~を去らせる)、“think away”(忘れようとする)の意味がある。また、to beは可能・運命の意味だろう。U-Δはほぼ原文通りの訳になる(≒忘れることができるわけじゃない)。U-Yの「解き放して」はコンテクストを重視したものか(cf.その後に出てくる「足枷をはめられて」)。それとも「助けてやる」くらいの意味としてとらえているのか。

・U-Y 51「時が二人に烙印を押し、足枷をはめられて二人とも己らの追放した無限の可能性の部屋に留め置かれているのだ。しかしそういった可能性はつまりは実現しなかったのだから、それはそもそも可能でありえたのか?」

 U-Δ 68「時が二人に烙印を押したのだから。二人は足枷をはめられて、自分が追い払った無限の可能性と一つの部屋に閉じ込められたのだから。でも、そういう可能性はつまりは実現しなかったのだから、可能だったと言えるのかな? それとも、実現したものだけが可能だったのかしら?」

 “Time has branded them and fettered they are lodged in the room of the infinite possibilities they have ousted. But can these have been possible seeing that they never were? Or was that only possible which came to pass?”

 →fetteredの後にコンマが入るともう少し分かりやすい文章。“seeing that they never were”は彼らがそうならなかったことを考えると、の意味。その後のthatはwhich以下のこと。passには“happen, occur, take place”の意味があるので、U-Δの最終部分が直訳に近い。彼らはシーザーとピュロス。「(時によって彼らは)彼らの追い払った無限の可能性の部屋に閉じ込められる」というのは、我々が彼らについて永遠に考え続けることしかできない、ということだろうか? でも「そんな可能性は実現しなかった」→忘れ去られた、ということ? それならばtheyはピュロスやシーザーのような名将だけではなく、歴史上に生れ、死んでいったすべての人たちに当てはめることもできるだろうか? だから、実現したもの=忘れ去られずに無限の可能性の部屋に留め置かれただけが、忘れ去られずに記憶の中で生きることが「可能だったのか」? ここもU-YとU-Δで多少ニュアンスが違うというか、U-Yでは最後の二文を一つにまとめてしまっている。理由は分からない。U-Y 50の「イーディス、エセル…」辺りからこの段落までは、パリ―ジョーク―ヘインズ―劇作家―ピュロス、シーザーと連想が繋がっている。

・U-Y 51「織るがいいさ、空談を織る者」

 U-Δ 68「織るがいい、風の織り手よ」

 “Weave, weaver of the wind”

 →「観念をもてあそぶ者の意味か。そのほか古代アイルランドの予言の術と結びつける説や、ギリシア神話で人間の運命を織る三人の女神を指すとする説がある。第一挿話では、異端者たちを「風を織る者たち」(U-Δ)と呼ぶ」(U-Δ注)。スティーヴンが自分自身に言っているような印象がある。「空談を織る者」については注にある通り、第一挿話中の異端者についての記述の中で出てくる。前回のブログからもう一度その意味についての考察を抜粋すると「U-Y 41 「空談を織る者すべてを必ずや空虚が待ち構える」→「空しい言葉を操る者たち。甲斐のない仕事を続ける者たち。出典に「イザヤ書」19.9「白布を織るものは恥じあわて」他をあげる説もあるが、直接の関わりがあるとは思えない。第二挿話の「織るがいい、風の織り手よ」を併せてみると、むしろ古来の諺「言葉は風にすぎぬ」(Words are but wind)がスティーヴンの念頭にあるようだ。『オクスフォード版イギリス諺辞典』では13世紀初頭の『尼僧の戒律』やシェイクスピア『間違いの喜劇』他の用例をあげている」(U-Δ注)」ちなみに注の中にある運命の三女神はモイラ(Moira)。幾つかの伝承があるが、クロートー、ラケシス、アトロポスの3姉妹とされる。モイラは元々ギリシア語で「割り当て」という意味。寿命、死、生命などとも関連付けられ、出産の女神であるエイレイテュイアとも繋がりが生じ、やがて運命の女神とされた。最初はモイラだけで一人の女神であったが、後に三人の女神で一組となり、複数形のモイライ(Moirai)と呼ばれる。人間の運命は、モイラたちが割り当て、紡ぎ、断ち切る「糸の長さ」やその変容によって考えられた。まず「運命の糸」を自らの糸巻き棒から紡ぐのがクロートー(Klotho,「紡ぐ者」の意)。その長さを計るのがラケシス(Lakhesis,「長さを計る者」の意)。最後に長さを計られた糸を、三番目のアトロポス(Atropos、「不可避のもの」の意)が切ることで、人間の寿命は決まるとされた。この段落も難解。

・U-Y 51「してください、お化けの話」→これをスティーヴンが無視しているのはお化け(幽霊)から母親を思い出すから、という説がある。

・U-Y 51「泣くのをやめよ」

 “Weep no more”

 →スティーヴンに言っているように感じられる。

・U-Y 51「ちらちら盗み見しながら突っかえ突っかえ暗誦を始めた」

 U-Δ 69「彼はちらちら本に目をやり、ぎくしゃくしながら詩を暗誦するふりをした」

 “He recited jerks of verse with odd glances at the text”

 →jerks of verseは直訳すると「詩のひきつり」(得意の擬人化か)。トールボットは鞄の陰に教科書を隠しているので、実際には暗誦していない。U-Yではトールボットが教科書にちらちら目をやりながら読んでいるので、つっかえつっかえ、という表現をしているものか。U-Δの「ぎくしゃく」は、そういった読みにくさも感じられるが、先生に見つかるのではないかというような不安も感じさせる。スティーヴンは彼が教科書を見ながら暗誦していることを恐らく分かっているのだろう。そして、生徒たちはスティーヴンをナメている。そう考えると、トールボットはやはり暗誦していないことを見つかることを不安に思っているより、教科書に目をやりながら暗誦しているふりをするのが読みにくいから、「つっかえつっかえ」読んでいるのだという解釈のほうがふさわしいような気がする。U-Yの「ちらちら」と「突っかえ突っかえ」の繰り返しは、jerksとverseの重なりを意識したものか。

・U-Y 52「泣くのをやめよ、嘆きの羊飼ら、泣くのをやめよ、/汝らの悼むリシダスは死せるにあらず、/たとえ水底に沈みたるも……」

 U-Δ 69「泣くな、悲しむ羊飼たちよ、泣くな、/そなたらの歎きの元、リシダスは死んだのではない、/たとえ水底深く沈んだにしても……」

 “Weep no more, woeful shepherds, weeo no more / For Lycidas, your sorrow, is not dead, / Sunk though he be beneath the watery floor...”

 →「リシダス」("Lycidas")はジョン・ミルトン(John Milton, 1608 - 1674)による牧歌的哀歌。ミルトンはイギリスの詩人。全訳した方の訳文に短い解説的な論文が掲載されており(というかその方が論文として全訳をした)興味深い内容なので適宜抜粋と難しい部分の書き直しを加えながら挙げさせていただく。

「この詩の中での「水」は主役リシダスの生命を奪った元凶として、冷酷な現実を象徴する。この作品の構造は導入部(14 行)と結論部(8行)を除けば、詩神(ミューズ)への呼びかけで始まる三部分から成り(15−84 行,85−131 行,132−185 行)、この三部分はそれぞれが「詩的高揚感」で締めくくられ、その三回にわたる「累積的効果」が主役リシダスの神格化の美を生み出すように意図されている。各部分の牧歌風の呼びかけと「詩的高揚感」との間には、イングランドの、しかも「水」に関連をもつ地名をともなう中間部が挿入されている。第一部(15−84 行)では牧歌風の導入部の後で、詩人音楽家オルペウスがトラキアの女たちの怒りを買い、殺されて死体を八つ裂きにされ、ヘブロス川に投げ捨てられ,やがてその頭部と竪琴は海を越えてレスボス島に流れ着いたという伝説に触れる。「水」が「詩人」志望のリシダスの生命をもてあそぶことの寓意化である。詩神フォイボス(アポロン)が現れ、超人間的な声をもって、詩人としての名声を最後に授けるのは「すべてを裁く大神ユピテル」なのだ、と諭すことで、現実を超越する世界の存在が暗示される。第二部(85−131 行)では海神トリートーンとイングランドのカム川の老守護神ケイマスが現れて、リシダスの死因について「水」に詰問する。続いて聖ペテロが登場し、預言者的な語勢で、聖職者階級の堕落を糾弾する。聖ペテロはガリラヤ湖を(不完全ながら)歩いた人物である(マタイ福音書、第14 章22 節−33 節)。つまり「リシダス」の文脈に即して言えば,「水」に象徴される現実に不完全ながらも打ち勝ったという伝説の持ち主である。聖ペテロは、「水」が象徴する現実の世界を詰問する。この場合の現実の世界は宗教界であるが、その世界がどうしてリシダスを受け入れなかったのか、と聖ペテロが詰問するのである。聖ペテロは、リシダスを受け入れるに足る真に聖なる教会は、神の裁きの後に到来する、と考える。第三部(132−185 行)はリシダスが黙示録的な救いの世界に迎え入れられる部分である。コーンウォル西南端の聖ミカエル山に呼びかけ、その付近の海底を訪れているかも知れぬリシダスのために嘆き給え、と歌われる。この第三部では、現実を象徴するイングランドの地名が言及された直後に、溺死体を浜へ運び上げてくれるイルカ——キリストの象徴——が登場する。「リシダス」は、詩と宗教から放逐された魂が神の国に迎え入れられるという彷徨の図式をもつ。主人公リシダスは叙事詩的な高まりを三度経験しながら、最後に黙示録的な世界に迎え入れられる。「水」の完全支配の世界に発して、「水」の支配を不完全ながら脱する世界を通り、最後に「水」の支配を全く受けない世界へと、リシダスはこの三世界を遍歴し、徐々に上昇して、リシダスは「海浜の守護神」の地位を占めることになる」。

 リシダスについては、詩の中で「みずから調べ高い詩歌に秀でた彼が」と歌われているので詩人としてとらえていいと思う。「水」に囚われた詩人が「水」の世界を脱し、超自然的な世界を経て現実世界に打ち克ち、救いを得る、というのが今後の展開を予想させる。ちなみに本文中での引用部分は、詩全体の第三部にあるものと思われる。水底には沈んでしまったが、救済されたことを示す場面だ。

・U-Y 52「すると一つの運動でなければならないわけだ、つまり可能としての可能態の一つの現実態」

 U-Δ 69「だからこれは、つまり可能なものとしての可能態が現実態になることは、一つの運動でなければならない」

 “It must be a movement then, an actuality of the possible as possible”

 →「アリストテレスは『霊魂論』第二巻第五章で、可能態において知識者であるものが、文章を理解するという知的活動によって現実態における知識者となる、という趣旨を述べた。Gは『自然学』第三巻第一章の、可能態として存在するのを実現するのは一つの運動である、という一節を挙げている」(U-Δ注)。アリストテレスが出てきます。恐らく、スティーヴンは授業の内容についてはほとんど上の空なので、U-Y 51の“Or was that only possible which came to pass?”のpossibleからpossible(可能態、可能)が連想されただけなのではないかとも思う。U-Δの「これ」はU-Y 51で示された、「そんなことはありうるのか(可能なのか)?」という問いに対応していると思われる。読書会では、結局可能態というのが、歴史認識において個々の事象が様々な展開を繰り広げる可能性を持つこと、とごくあっさり説明されていたが(というかあの限られた時間でアリストテレスの問題に首を突っ込むことは不可能)、『肖像』のほうにもアリストテレスについての言及はなされているし、せっかくなので、不完全ながらアリストテレスとこの辺りの全くよく分からない記述について考えたことを記しておく。

  ・とりあえず、質料(可能態)=まだ何ものでもない何か、何かになりうる可能性を持つ何か

  ・形相(現実態)=本質、具体的個物として存在しうる状態

  という言葉の意味を押さえておいてほしい。その上で、アリストテレスの自然哲学の基本の一つとして、「質料が形相によって存在する」こと、質料は形相への移行、同一化によって具体的個物となる、という大前提があり、アリストテレスはこの移行という「運動」の相に非常に重きを置いている。そして、

  「形相は質料に内在する」、つまり本質というものは何ものでもない何かの中に既に存在しているものである。ここから、「可能としての可能態の一つの現実態」という文章は、スティーヴンという未だ何ものでもない若者が、自身の中にある本質(芸術家の魂)によって詩人になるという示唆に繋がると考えられる。アリストテレスについてはこの後も出てくるので、随時自分なりの考察を記していく。

・U-Y 52「ぎくしゃく声」

 U-Δ 69「口早にしゃべり立てられる詩句」

 “gabbled verses”

 →gabbleは“to utter inarticulate sounds with rapidity”“Confused or unintelligible speech”、つまり早すぎて不明瞭に話す、または分かりにくい、理解できない話、の意味。U-Δはほぼ原文通りだが、U-Yで「ぎくしゃく声」としているのは、トールボットのつっかえつっかえの暗誦と重ね合わせているのか?

・U-Y 52「パリの罪」→スティーヴンがパリで遊んでいたのか? それとも頽廃した悪徳の町としてパリをイメージしているのか?

・U-Y 52「シャム人」→タイ人のこと。

・U-Y 52「用兵学」:用兵…戦争で兵を動かすこと、また、戦争での兵の動かし方。

・U-Y 52「おれの周りの、詰め込んだうえになおも詰め込む脳みそのかずかず」

 U-Δ 70「ぼくのまわりには養分を受け入れ、養分を与える頭脳たちがいた」

 “Fed and feeding brains about me”

 →この段落は恐らくスティーヴンのパリ時代の図書館内での描写だが、二つの訳で解釈が違っている。U-Yのほうは、Fedが脳みそに詰め込まれること、feedingが更に自ら脳みそに詰め込むこととし、Fedされるのもfeedingするのも同じ主体であるが、U-Δの場合、Fedは養分を受け入れる頭脳、feedingは養分を与える書物としてとらえている。どちらともとれるように思うが、周りの勉強熱心な学生たちの様子からしてU-Yの「詰め込んだうえになおも詰め込む」という解釈のほうが雰囲気に合っているような感じがする。

・U-Y 52「白熱灯の下、串刺しになって、かすかに蠢く触覚をゆらす」

 U-Δ 70「白熱灯の下で、釘づけになって、かすかに触角をふるわせながら」

 “under glowlamps, impaled, with faintly beating feelers”

 →まず、U-Yの「触覚」は誤植ではないだろうか?(feelerは触角、虫の頭部などにある角のようなひげのような部分)「触覚」は五感の一つだ。そしてここでも二つの訳で若干ニュアンスが違う。impaled(突き刺す、串刺しにする、固定する、身動きできなくなる、の意)をU-Yでは「串刺しになって」と訳し、U-Δでは「釘付けになって」としている。U-Yでは図書館の机に一列に学生たちが並んで座っているイメージが思い浮かぶが、U-Δでは学生が皆熱心に本を読んでいる印象、本に釘付けになっているイメージが思い浮かぶ。そして、「かすかに触角をふるわせながら」という表現からは、学生たちが勉強しながらも互いに周囲の学生たちの様子を窺っているような印象を受ける。

・U-Y 52「そしておれの心の闇の中で冥界の樹懶の牝が一匹、嫌がりながら、明光を恐れながら、竜鱗のような襞をひくひく動かす」

 U-Δ 70「ぼくの心の闇のなかで、意識下に住まう怠惰が光にさらされるのを嫌いながら、仕方なげに、竜の鱗に覆われたとぐろを動かした」

 “and in my mind’s darkness a sloth of the underworld, reluctant, shy of brightness, shifting her dragon scaly folds”

  →まず、slothについて考えてみると、ナマケモノ(樹懶)の意のslothは可算名詞だが、怠惰の意味では不可算名詞だ。aがついているのでここではナマケモノのことか、と思うが、ナマケモノは光を恐れないし、襞もとぐろもない(襞はどこか詳しく探せばあるのかもしれないが、外見で一見して襞と分かるような目立った特徴はない)。怠惰、と言えば七つの大罪の一つだ。その寓意画のようなものを探したところ、タブロー・ド・ミシオン(tableau de mission ミシオンの絵、ミシオン用図版)というものが見つかった。ミシオンとは1970年代頃までのフランスで盛んに行われた、教区民の信仰心を高めることを目的とするカトリック教会の運動で、農村部を中心とした各地の教区において、約10年~15年に一度説教師を招き、説教、ミサ、祈祷会、食事会など様々な催しが一週間ほど行われる。タブロー・ド・ミシオンとは、民衆のためにカトリックの教えを視覚的に表した宗教教育用の図版で、ミシオンで使用されることにその名の由来がある。画面に大きく描かれた人間の上半身の大部分を心臓が占め、その中に様々な象徴を描き込んだ作品が多く、様式は稚拙であるが豊かなメッセージ性を持つ。絵のテーマはほとんど常に天国と地獄で、祈り、喜捨、禁欲、節制、苦行などの善行を象徴する事物と天国の様子、及び飲酒、賭け事、虚栄などの悪行を象徴する事物と地獄の様子が描かれる。その中で私が見つけたのは以下の図版(フランソワ=マリ・バラナンの本の挿絵。タブロー・ド・ミシオンの一つ)で、怠惰の象徴としてカタツムリが描かれている(動きが遅いからだろう)。

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フランソワ=マリ・バラナンの本の挿絵。タブロー・ド・ミシオンの一つ。ハート型の体の一番下にカタツムリがいる。

 カタツムリには襞はあるが、竜の鱗のようなものではない。foilという言葉がなぜU-Δでとぐろとされているのか調べてみたのだが、foilには“a coil, or bend, as a rope”という意味があり、つまりロープをくるくる丸めたような渦巻き型のものを指している。これはカタツムリの殻にも同じことが言えるのではないか、と思った。が、やはり「竜の鱗のような」という表現が引っかかる。結局スティーヴンがここでイメージしているのは、まずナマケモノではない。ただ、竜の鱗のような襞やとぐろを持つ、想像上の「怠惰」のモンスターのようなものではないかと思う。その意味で、U-Yの「樹懶」は違うのではないだろうか。また、ここではスティーヴンの「心の闇」と図書館の明るい白熱灯との対比も表されている。そして、underworldをU-Yでは「冥界」、U-Δでは「意識下」としている。underworldには「よみの国」という意味があるので、U-Yの方はほぼ直訳だ。U-Δはなぜ「意識下」としたのか。worldを調べてみると、“the sphere or scene of one’s life and action”という意味があったので、「個人的な世界の下部」的な意味と文脈から「意識下」を用いたのかもしれない。

・U-Y 52「思惟とは思惟の思惟なり」

 U-Δ 70「思考とは思考について思考することである」

 “Thought is the thought of thought”

 →「アリストテレス『霊魂論』第三巻、「理性自身も、思惟される対象と同様に思惟されるものである」を指している。前段の「織るがいい、風の織り手よ」(U-Δ)を受けてもいる。また、「思考とは思考の思考である」と解釈するなら次の「魂とは形相の形相である」(U-Δ)のもじりになる。この文も、「主格的属格」と「対格的属格」の例になりうる」(U-Δ注)。アリストテレスに戻るが、「思惟とは思惟の思惟なり」を『霊魂論』を読んで自分なりに考えてみたところ(途中経過は長すぎるので省略)①理性的思考も思考対象から作用を受けることで成立する。②作用を受けるとは、可能態にある思考が現実態へと移行することである。③つまり、理性が思考対象について思索することとは、可能態である理性が形相である思考対象と同化することで、現実態となることである。④すなわち、思惟(思索すること)とは、思惟(質料としての理性)の思惟(形相たる思索対象と同化し、現実態になること)…なのか?注の中にある「主格的属格」「対格的属格」についてもよく知らないのだが(ラテン語をやっていればよく分かるだろう)、恐らく例文を用いると、love of Godが「神の愛―神によって発せられる愛」となるとき、このofはGodを主格(主語)とする属格であり、「神の愛―神への愛」となるときのofはGodを目的語(対格)とする属格である、という感じで、注に挙げられた二つの文は主格的属格のofと対格的属格のofの違いの例になる、ということだと思う(自信はない)。

・U-Y 52「霊魂とはいわば存在するもの一切なり」

 U-Δ 70「魂とは、いわば、存在するもののすべてである」

 “The soul is in a manner all that is”

 →「『霊魂論』第三巻より」(U-Δ注)。アリストテレスのこの言葉はかなり物議を醸したらしい。本文中のこの言葉に対応する部分は、「魂はすべての事物である」という言葉だと思う。魂とは、感覚作用と思考作用そのもののことだ。感覚能力の成立、思考能力の成立は、感覚する(思考する)主体(可能態)が、感覚されるもの(思考されるもの)・感覚(思考)対象の形相を受け入れ、それと同化することで実現される。すなわち、既に現実態となっている感覚(思考)対象の形相と可能態である主体が形相の上で同一化する。この主体(魂)と客体(すべての事物)との形相における同一化をもって、アリストテレスは「魂はすべての事物である」と述べている。

・U-Y 52「霊魂とは形相中の形相なり」

 U-Δ 70「魂とは形相の形相である」

 “the soul is the form of forms”

 →「『霊魂論』第三巻の「理性も形相の形相である」を踏まえて。形相は一つの事物を他の事物と区別する本質的な特徴。霊魂(プシュケ)は人間を含めてあらゆる動植物に備わる形相だが、理性(ヌース)は人間にのみ備わる形相。従って、人間の霊魂のなかにある理性は「形相の形相」である。平たく言えば、人間を他と区別する最も本質的な特徴の意。知性、精神と訳されることもあるが、スティーヴンはこれを「魂」(U-Δ)the soulと訳した。」(U-Δ注)。注だけで充分かもしれないが、やはり調べたことを書き記す。感覚能力及び思考能力としての魂もそれ自体は無形相である(形相を持っていない)が、形相を受容するための一種の「道具」であり、全ての形相と一体化することができるので、一種の形相である。それゆえ魂は「形相の中の形相」と言える。これは手と道具の比喩で喩えられており、手は道具のための道具であるというとき、手は道具を使うための道具であるという意味である。これ以上説明すると私も読む方もこんがらがってしまうと思う。というのも、この『霊魂論』のなかで、アリストテレスはあまり首尾一貫した叙述をしていない。霊魂(魂)と理性・知性は時に同一視され、魂の定義はできないと言いながら魂とは○○であると突然定義が出てきたりする。身体にとって魂は形相であるかもしれないが、感覚・思考対象の形相にとって魂は形相を受容する場所であり、そのことは魂自身が形相であるという根拠にはならないと思う。魂の働きの一つである理性は、人間の本質という意味で形相と言えるかもしれないし、理性の働きとして他の形相を受容するならば、理性は形相の形相とは言えると思う。ただ、魂については正直に言って納得しきっていない。かと言って、これ以上追究する気はない。少なくとも私は、これについてはそういうものだと思うしかないと思っている。でないとトールボットが先へ進めない。この段落では、アリストテレスはともかく、図書館にいる学生たちが、スティーヴンの心の中のモンスター的イメージも含めて、虫や獣の特徴を含めて描かれており、恐ろしく、不気味な印象を与える。

<U-Y 52-56 ~謎なぞ・狐・シリル・サージャント・蝸牛・ムーア人~>

・U-Y 52「波上を歩み給いし主の御力によりて、/主の御力によりて……」

 “Through the dear might of Him that walked the waves, / Through the dear might...”

 →「『リシダス』の一節。「マタイ伝」14:25「イエス海の上を歩みて、彼ら(弟子たち)に到り給いしに」を指して」(U-Δ注)。リシダスに関しては前に挙げた通り。

・U-Y 52「次をめくって」→やっぱりスティーヴンはトールボットが隠れて教科書を見ていることを分かっていた。

・U-Y 53「ここでもやはりこの子らのいじけた心に主の影は宿りそしてまたこのとぼけ者の心と唇にもおれの心と唇にも」

 U-Δ 71「ここにも、こいつらのけちな心にも主の影がおよんでいる。あの嘲笑する男の心と唇にも、ぼくのにも」

 “Here also over these craven hearts his shadow lies and on the scoffer’s heart and lips and on mine”

 →「嘲笑する男(とぼけ者):マリガンのこと」(U-Δ注)。U-Yでは原文通り一文で訳しているが、U-Δでは二文に分けている。scofferは嘲笑う人、馬鹿にする人、大声で叫ぶ人、食べ物をがっつく人、などの意味があり、注ではマリガンのことと言っているが、馬鹿にする人という意味では、トールボットも生徒として(他の生徒と同じように)教師であるスティーヴンを、口には出して言わないが馬鹿にしている。また、とぼけ者という形容があまりマリガンには合わないような気がする(トールボットに対する形容のほうがふさわしい)。しかし文章の前半で「この子らの」というように生徒たちのことをまとめて指しているので、やはりここのscofferはマリガンのことなのだろうか。his shadowは主の影だが、hisは大文字にしないのだろうか? また、his shadowは子供たちの心にはlie overしているが、とぼけ者と自分の心にはlie onしている。lie overのほうは、どちらの訳でも「およんでいる」「宿っている」としているが、とぼけ者と自分の心にはこの動詞と前置詞は反映されていない。lieは普通onを取ることが多く、「~の上に座っている、横たわっている」等の意味になるが、lie overだと「覆っている、たれこめる」といった意味になる。そういう意味ではU-Δのほうがlie overに関しては適していると思われる。この「子供たち」と「とぼけ者と自分」とで前置詞を変えたのはなぜだろう? そしてなぜU-Yではそれを訳出しなかったのだろう?

・U-Y 53「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」→「「マタイ伝」22.21「カイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ」より。イエスが自分を罠にかけようとして皇帝に納める銀貨を見せた人々に言った」(U-Δ注)。有名な言葉。

・U-Y 53「黒い瞳の長い凝視、教会の機で幾度も幾度も織られていく謎かけの文句。久に」

 U-Δ 71「黒い目がじっと見つめる。教会の織機で織り直され、織り返される謎に満ちた言葉。まことに」

 “A long look from dark eyes, a riddling sentences to be woven and woven on the church’s looms. Ay” 

 →「黒い瞳(黒い目):イエスの答えを待ち構えるユダヤ人たちの目か」(U-Δ注)。U-Yの「黒い」と「長い」はlongとlookを反映したものか。“woven and woven”はU-Yで「機」と「幾度」という漢字で視覚的に繰り返しが反映されているように思われる。U-Δのほうでも、「織り直され、織り返され」というふうにこの部分は訳出している。U-Yの「謎かけ」という言葉だが、謎かけはなぞなぞとは厳密には違う。謎かけは複式なぞ、三段なぞなどと呼ばれるもので、「○○とかけて××と解く、その心は△△」というよく笑点なんかで耳にする言葉遊びだ(U-Yではもちろんそれを意味はしていないと思うが)。Ayは①“Ah! alas”、②“Alternative spelling of aye (yes)”、③“(archaic, poetic or Northern England)Always, ever, continually, for an indefinite time”等の意味があり、U-Yでは ③をU-Δでは②の意味をとっているのではないかと思う。

・U-Y 53「謎々なあに、なんじゃらほい、/父さん畑に蒔く種くれた」

 U-Δ 71「この謎なあに、この謎なあに。/父さんが種まきの種くれた」

 “Riddle me, riddle me, randy ro. / My father gave me seeds to sow”

 →「「種は黒くて地面は白い。この謎解いたら笛あげよ」とつづく。答えは字を書くこと。オーピー夫妻編『オックスフォード伝承童謡集』(1955)には「土地は白くて種は黒い。この謎解いたら立派な学者」とある」(U-Δ注)。ここで謎々が、恐らくスティーヴンの心の中だけで出てきたのは、前出の教会で織られ続ける謎に満ちた言葉から繋がるものか。U-Yのほうが、原文と同じく日本語として読んでリズムがいい。このなぞなぞは歌にもなっているらしい。また、ここに出てくる「父さん」はハムレットの父であり、種をくれたのは復讐のため、という意見もあるが、この作品に出てくる父子関係を全てハムレットに当てはめてしまうのはどうかと思う。

・U-Y 53「半日休みです。木曜日です」→木曜日が半日休みなのは私立の学校だからだろうか? 学校によって休みの日が違うのだろうか? また、この後子供たちは校庭へホッケーをしに行くが、それは授業ではなく放課後の遊びのようなものなのだろうか? それならディージー校長が生徒の整理をする必要もないように思えるが、向こうの(あるいは当時の)生徒の管理の感覚とこちらの感覚にはどのような違いがあるのだろうか? ちなみにホッケーは当時のアイルランドでメジャーなスポーツだったのだろうか? という疑問が読書会で上がったが、ホッケーはイギリスのスポーツで、アイルランドハーリングと呼ばれるホッケーに似たスポーツが盛んであるらしい。ディージー校長は親英派なので、子供たちにホッケーをやらせているのだろう。

・U-Y 54「雌鶏鳴いた、/空青かった。/天の鐘打つ/十と一つ。/かわいそうなこの魂/今から天へいざ旅立つ」

 U-Δ 72「雄鶏が鳴いた。/空は青かった。/天の鐘が/十一時を打った。/このあわれな魂が/天国へ行くときだ」

 “The cock crew, / The sky was blue: / The bells in heaven / Were striking eleven. / ‘Tis time for this poor soul / To go to heaven”

 →「P.W.ジョイスアイルランド英語ありのまま』(1910)が極めて難解な謎なぞの例にあげた。謎は「この謎解いて、この謎当てて。ゆうべ私が見たのはなあに? 風が吹いた(The wind blew)、雄鶏が鳴いた…」と始まり、「私のあわれな魂が(my poor sowl)…」で終わる。スティーヴンはこれを「雄鶏が鳴いた。空は青かった(The sky was blue)…」「このあわれな魂が(this poor soul)…」に変えた。答えも本来は「狐が自分の母親を…」である。スティーヴンが「母親」を「婆さん」に変えたのは罪の意識のゆえか。P.W.ジョイスの説明自体は簡略だが、①お祈りをあげずに食事を始める者に「おまえは狐みたいに食べ始める」という言い習わしと、②狐の口にくわえられた鶏が、神様に感謝のお祈りをあげないのかと催促して、狐が口を開けたところを木の上に飛び上がり逃げた、という話をあげている。また、soul(魂)とsowl(食べ物、パンに添えて食べる肉、チーズの類)の語呂合わせも考えられよう」(U-Δ注)。まず、cockは雄鶏なのでU-Yの雌鶏は違うのではないだろうか? ちなみに雌鶏の鳴き声はcluckだ。それとも何か他に意味があるのだろうか? この謎なぞについて、スティーヴンは狐を自己と重ね合わせている、という意見がある。狐は穴掘りに適した生き物とされる。そして、伝統的に狐は抜け目のなさや悪賢さ、罪や「隠すこと」に結びつけられている。注にあるように、食べる前にお祈りをしない者のことを狐のように食べるという言い習わしから、狐―祈りの拒否という連想が生まれる。そしてまた、雄鶏も罪と関連のある動物であるという意見がある。聖書のなかには、雄鶏が鳴く前にペテロが三度イエスを知らないと言う、という記述がある。またハムレットではホレイショーが亡霊を見たとき、「はっとしたらしい、恐しい呼びだしをうけた罪人のように」と言う(しかしその後の台詞で雄鶏はめでたい鶏だという台詞もある)。これだけで雄鶏と罪を結びつけるのはちょっと無理があるような気がするが、狐と「悪さ」とは関連があると思われる。そして、なぜ11時に雄鶏が鳴くのか、という疑問がある。雄鶏は夜明けから朝に鳴くものだ。11時と言えばもう昼に近い。11という数字の不吉さを主張する意見もあるが、読書会で配布された論文では11という数字がめでたいものとされている。ちなみに11という数字がなぜ不吉か、という点については、まず多くの古典テキストで11は死と結びつけられているという(具体的なテキストについては挙げられていない)。オデュッセイアで、オデュッセウスが地下世界に旅をするのは第11巻のイリアドだ。そして先に出てきたミルトンのリシダスは11音節詩の哀歌(死を悼む歌)である。やはりこれだけでは11という数字が西洋世界で伝統的にどのような意味を持っているのかは判断できない。注にもあるが、本文中の謎なぞは改変されている。全文を載せてみると以下のようになる。“Riddle me, riddle me right: / What did I see last night? / The wind blew, / The cock crew, / The bells of heaven, / Struck eleven. / ‘Tis time for my poor sowl to go to heaven”。そしてその答えが“The fox burying his mother under a holly tree”である。スティーヴンは上流階級の生意気な子供たちを悩ませたかっただけとも考えられる。また、これがフロイト的失言(無意識の動機、願望などを露呈するような失言)であり、スティーヴンはこの謎なぞの意味を変えることで比喩的に自分の母親を「埋葬」し、自分が夢で見る、あるいは嫌でも思い出される母の亡霊と関係のある何らかの力を解放しようとしているのだ、という説がある。それぞれの動物や数字などに象徴されたものの意味はともかく、罪の意識に苛まされているスティーヴンが、この謎なぞの小さな改変によって母親についての考えを抑圧したいと願っているのが表されているのではないか、とは思う。さらに、墓を掘るイメージの元として、イギリス・エリザベス朝の劇作家でシェイクスピアの同時代人でもあるジョン・ウェブスター(1580?-1634?)の『白い悪魔』(1608頃)と『マルフィ公爵夫人』(1614頃)の存在が挙げられている。『白い悪魔』には“But keep the wolf for thence, that’s foe to men. For with his nails he’ll dig them up again”、という記述が、『マルフィ公爵夫人』には“The wolf shall find her grave, and scrape it up. Not to devour the corpse, but to discover the horrid murder”という記述がそれぞれある。ちなみにここでのwolfは必ずしもオオカミではなく、イヌ科の動物なので、狐も含まれる。

・U-Y 54「喉がくすぐったくなりながら」

 U-Δ 73「喉がむずがゆくなるのを感じながら」

 “his throat itching”

 →U-Yの「喉がくすぐったくなりながら答えた」というのは、違和感のある訳ではないだろうか。itchは痒い、むずむずする、(~したくて)うずうずする、などの意味を持つ。ここでは、子供が困っている、答えを知りたがっているのを見て楽しんでいるのだと思うが、それを「くすぐったく」感じるならば、「喉がくすぐったくなるのを感じながら」としたほうがいいと思うのだが、U-Yではなぜこのような訳にしたのだろう?

・U-Y 55「ぼてっとインクの染みが一つ」

 U-Δ 74「ぼやけたインキの汚れ」

 “a soft stain of ink”

 →このインクの染みはいかにものろまで愚図な生徒、シリル・サージャントの頬についた染みだが、softを「ぼてっと」と訳すのはかなり難易度が高い技だと思う。softの意味を調べると、U-Δのように「ぼやけた」という意味が載っているが、紙の上でならともかく、肌についたインクは「ぼやける」だろうか、と考えた。こすれはするかもしれない。しかしこのインクの染みは今つけたばかりで、ナツメヤシの形を保っている。勝手な想像だが、シリルの頬についたインクはまだ乾いていなくて、染みが着いた時のままの状態を保っていて、ほんの少し膨らみができるくらいの丸さで半乾きなんじゃないかと思う。ぼてっと、という意味を調べたが、辞書には載っていない。ぼてぼて、ならば載っているが、ぼてぼてとした染みではない。他にどんな形容が思いつくかと自分で考えて、ぽとんと、が近いんじゃないかと思い、ぽつんと、を辞書で調べたところ、“fell with a soft plop”(ぽとんと落ちた)という例文が載っていたので、そんな感じの柔らかさ“soft”を「ぼてっと」と訳したのではないかと思われる。そして、このインクの染みは数行後にもう二回出てくる。次の染みは練習帳についたインクの染みで、U-Yでは「インクの滲みが一つ」、U-Δでは「インキのしみ」、原文は“a blot”である。次に出てくる染みは、スティーヴンが改めてシリルの外見を描写している場面で、U-Yでは「インクの染み」、U-Δでは「インキのしみ」、原文は“a stain of ink”となっている。「染み」の部分だけ訳毎に並べると、U-Yは「インクの染み」-「インクの滲み」-「インクの染み」、U-Δでは「インキの汚れ」-「インキのしみ」-「インキのしみ」、原文は“stain of ink”-“a blot”-“stain of ink”となる。U-Yでは原文に合わせて「染み」と「滲み」を変えている。

・U-Y 55「蝸牛の寝床」→カタツムリは本文中に直接は出てきていないが、既に七つの大罪の一つ「怠惰」の象徴として言及した。

・U-Y 55「肩下りに」

 U-Δ 74「斜めにかしいだ」

 “sloping”

 →slopeで傾く、傾ぐ、の意味なので、U-Δでも問題はないのだが、肩下り、という言葉が気になった。調べてみると、文字の右側が下がるように書く書き癖のことを指すらしく、多少想像はできたが、確かに「右上がり」という言葉は一般に数値が良くなる意味で使われ、良い印象を与えるので、肩下りの数字、というのはシリルの傾いだ書き方にぴったりの表現だと思う。

・U-Y 55「初めから書き直しなさいって」

 U-Δ 74「これをみんな書き直せって」

 “write them out all again”

 →この辺から、シリルの練習帳にすでに書かれている(恐らく)計算と、黒板の問題と、スティーヴンが解いてやった問題と、彼が自分で解こうとしている問題が何なのか、彼らがどういう順番でどの計算をどう書き写したり実際に解いたりしているのかがよく分からない。結局、themが何を指しているのかがよく分からないのだ。U-Yでは「ディージー先生が初めから書き直しなさいって」→「もうやり方はわかるんだね?」→「ディージー先生が黒板のを写しなさいって」→「あれは自分でできる?」となっている。U-Δでは「ディージー先生がこれをみんな書き直せって言ったんです」→「もうやり方はわかったのかい?」→「ディージー先生が黒板のを写せって言ったんです」→「自分で解けるの?」となる。原文は①“Mr. Deasy told me to write them out all again”→②“Do you understand how to do them now?”→③“Mr. Deasy said I was to copy them off the board”→④“Can you do them yourself?”だけで会話が進んでいき、シリルが11番から15番までの問題は自分でできること以外分からない。①のthemはシリルが既にノートに書いてあるものを指していると思う。②のthemははっきりしない。既に黒板にシリルのノートに書いてあるのと同じ問題が書いてあるのだろうか? それともシリルのノートに書いてある計算問題のことを指しているのか。③は黒板に書いてある計算だ。しかしそれがシリルのノートに書いてあるものと同じなのかは分からない。④も黒板に書いてある計算問題を指しているが、シリルが自分で解けると言っている11番から15番まで以外の計算問題なのか、全く関係のない計算問題なのか、分からない。そもそもスティーヴンがどのように計算を教えているのかも、この挿話には描かれていないので分からない。このやり取りというか、分からなさそのものがもはやFutile(無益)だ。

・U-Y 55「やみくもに弧を描く」

 U-Δ 74「いくつもの輪飾りがくっついている」

 “with blind loops”

 →blindは無計画な、行き当たりばったりの、という意味がある。loopはここでは筆記体のe、l、hなどの渦巻きの輪を指していると思われる。くるくると曲線の多い筆記体の署名だったのだろう。ここで「輪飾り」を調べてみると、「わらを輪の形に編み、その下に数本の藁を垂れ下げた正月の飾り物」と出てくる。U-Δがそれを意識はしていなかったとしても、輪飾りという訳はやめたほうがいいのではないかと思う。

・U-Y 55「帖面の両縁に指を触れた」

 U-Δ 74「練習帳の縁にさわった」

 “touched the edges of the book”

 →なぜ帖面の「縁」に触れたのだろう? と書いていて、今思ったが、もしかしたらノートの計算問題の文字も署名もまだ乾いていなかったからだろうか? もしそうだとしても、触れずに見るだけでもいいのではないか?とも思うが。なぜ触れたのか。

・U-Y 55「踏みつけにされていただろう」

 U-Δ 75「踏みにじられていただろう」

 “trampled”

 →ここで踏みつけにされていただろうと想像されているのはシリル。しかしこの数行後にU-Y「踏みにじられるのから救ってくれて」とある。その間に挟まっているのが、スティーヴンの想像するシリルの母親の息子への愛情と、クランリーが昔発した言葉の想起、聖コルンバヌス、何度も繰り返されるスティーヴンの母の死のイメージにつながる「紫檀と湿った灰の匂い」だ。後のページの記述から推測されるように、スティーヴンはシリルに共感のようなものを抱いているか、自分の子供時代と彼の姿とを重ね合わせていると思われる。この二番目の「踏みにじられるのから救ってくれて」はやはりスティーヴンなのだろうか? しかしシリルの母親に関するスティーヴンの想像の記述は過去形になっている(原文では過去完了形。e.g.「それでもこの子を愛した女はいた」) 。そして二番目の「踏みにじられるのから救ってくれて」の原文は“She had saved him from being trampled underfoot”となっており、「彼が」踏みにじられるのから救ってくれた、と表現されている。シリルの母親の生死は分からない。この二番目の「踏みにじられるのから救ってくれ」たのがスティーヴンの母なのか、シリルの母なのかは今のところ断定できない。

・U-Y 55「骨なし蝸牛」→シリルのイメージは「蝸牛」として何度も繰り返される。シリルの血が「水っぽい」とあるが、これもカタツムリのイメージの一つとしてとらえていいのだろうか? 少なくともカタツムリに赤い血が通っているとは思えない。

・U-Y 55「するとそれが実在ということか? 人生唯一の真実か?」

 U-Δ 75「じゃあ、あれは実在していたのか? 人生でただ一つの真実なのか?」

 “Was that then real? The only true thing in life?”

 →「この世で確かなものは母の愛だけだ、というクランリーの言葉を思い出して(『若き芸術家の肖像』より)」(U-Δ注)。U-Yでは「それ」となっているので、シリルの母親の息子への愛情が「実在」のような印象を受ける。対して、U-Δでは注にあるように、クランリーの言葉を思い出しているような印象を受ける。『肖像』のなかでクランリーが言った言葉を抜粋してみる。「この糞だめみたいに臭い世の中では、ほかのものはみんな不確かだけど、母親の愛情だけはそうじゃない。お母さんは君をこの世に連れてきた人だし、最初に自分の体のなかに君をかかえていたわけだ」この言葉だけから芸術家としての潜在的な精神の発露を読み取るのは無理があるだろうか。

・U-Y 55「母親の突っ伏す体を炎火の聖徒コルンバヌスは聖なる熱情に燃えて跨ぎ越した」

 U-Δ 75「火のような気性のコルンバヌスは信仰の熱意に駆られて、横たわる母親の体をまたいだけれど」

 “His mother’s prostrate body the fury Columbanus in holy zeal bestrode”

 →「コルンバヌス:アイルランド出身の聖人(543-615)。母が戸口に横たわり、引きとめるのを振りきって聖職に入ったという。45才でフランスに渡り、ヴォージュ地方に修道院を開設。厳しい戒律によって知られた」(U-Δ注)。聖コルンバヌスはフランスだけではなく、北イタリアなど西ヨーロッパの広い地域で宣教し、大きな影響を残した(その頃アイルランドでは修道院文化が発達、同時期のヨーロッパ大陸では西ローマ帝国が滅亡、混乱期を迎えていたこの時代に多数のアイルランドの宣教師が大陸へ渡り、修道院や学校などを建て、異教徒を改宗させ、ヨーロッパの宗教・文化活動を支えた)。カトリック正教会では聖人とされている。コルンバヌスの生涯は、彼の死後修道僧モンクという人物によって記された。スティーヴンは母の愛に背いて独立し、結果母の愛に報いた人物としてコルンバヌスを想起しているとの指摘がある。また、シリルも自分も母の愛のおかげで生きていることを思い、母の臨終の祈りを拒むことと母の横たわる体を飛びこえて出ていくことを比喩的に結び付けているとする説もある。また、発音は「コルンバヌス」ではなく「コレンバヌス」だ、という指摘もある。修道僧モンクによるコルンバヌスのエピソードのなかには、コルンバヌスを引きとめる母がコルンバヌスのことを「若さの炎に輝くお前」と呼ぶ部分もあり、コルンバヌスと火との関連性が強化される。スティーヴンは、炎に焼かれる小枝のように震える母の骸骨が、自分のコルンバヌスの炎のように燃える情熱の犠牲になったとしてとらえているとする見方もある。

・U-Y 56「そして瞬く星明りの照すヒースの野で狐が一匹、暴掠の血染めの体臭を放ちながら、無情の目をぎらつかせて、地面を引っ掻き、耳をそばだて、掘り起こし、耳をそばだて、引っ掻き、また引っ掻く」

 U-Δ 75「荒野のなかで、またたく星明りの下で、一匹の狐が獲物の赤い血の匂いを下毛にからませ、無情な目を光らせて、土を掘り起こす。聞き耳を立て、土を掘り返し、聞き耳を立て、掘り返し、また掘り起こす」

 “and on a heath beneath winking stars a fox, red reek of rapine in his fur, with merciless bright eyes scraped in the earth, listened, scraped up the earth, listened, scraped and scraped”

 →heathという単語をU-Yではそのまま「ヒースの野」とし、U-Δでは「荒野」としている。heathといっても日本人としては想像も翻訳も難しく、ウェブ上に載っているheathの写真を見ると、本当に荒野と呼べるような荒涼とした土地もあれば、割合に膝から脛くらいまである小さな草花に覆われた野原のようなものもある。実際heathという言葉が「荒野」を指すだけではなく、ヒースというエリカ属の植物のことも指し、この野草は秋に花を咲かせる。この一節はかなり残忍で恐ろしいイメージを起こさせる部分なので、「荒野」でいいのではと思うが、あまりカタカナを使いたがらないU-Yで敢えて「ヒースの野」としているのはなぜだろう。また、U-Yでは「暴掠の血染めの体臭を放ちながら」としているところを、U-Δでは「獲物の赤い血の匂いを下毛にからませ」としている(原文部分は“red reek of rapine in his fur”)U-Δのほうが割合直訳に近い。「下毛」は動物の表面の比較的長くて固い毛の下に密生して生えている柔かい短毛のこと。U-Yでは「毛皮のなかに」の部分を省略している。また、rapineは悪臭のことだが、U-Δでは「匂い」とし、U-Yでは「体臭」としている。一般的に臭いはあまり良くないにおい、匂いは割といいほうのにおいに当てはめられることが多いが、U-Δで残虐な獰猛な狐の獲物の血のにおいを「匂い」としたのはなぜだろう。これは既に挙げた「紫檀と湿った灰の匂い」も同じで、両訳とも「匂い」という語を使っている。原文はodourだが、辞書では「よいにおいにも用いるが、悪いにおいを指すことが多い」とある。スティーヴンにとっては愛する母のにおいならば、たとえ多少不快なにおいでも愛おしく思い出されるのだろうか? 日本人で言えば、葬式の線香のにおいだ。仏間などであのにおいを嗅ぐと、やはりどうしても死を連想してしまうのではないだろうか。さらに、この文章では何度も狐は「耳をそばだて」ている。実際の動物も、餌を探したり隠れ場所を探したりしている間に、自分が襲われないかどうか、警戒心から何度も辺りをきょろきょろと見まわしたりするものだと思うが、この部分はそれを忠実に描写しただけではなく、やはり何となくスティーヴンが自分を狐と重ね合わせている様が思い起こされる。生徒に出した謎なぞの中で埋めたはずの「母」を、狐は何度も耳をそばだてながら掘り起こそうとして引っ掻く。この時狐が「耳をそばだて」るのは、警戒心から周りの様子を窺っているのか、罪の意識からか。

・U-Y 56「この男はね、シェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父であるということを代数で証明するんだ」

 U-Δ 75「やつはシェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父であるってのを代数で証明するのさ」

 “He proves by algebra that Shakespeare’s ghost is Hamlet’s grandfather”

 →この部分は、スティーヴンがマリガンの発言を思い出しているだけなのか、それとも心の中でシリルに話しかけているのだろうか? U-Yでは話しかけている印象が強いが、U-Δでは心の中だけの想起の印象がある。そして繰り返されているこの言葉は前のもの(マリガンが実際にヘインズに向かって言ったもの)と違う。第一挿話でマリガンは「この男はね、ハムレットの孫がシェイクスピアの祖父であり、ご本人は実の父親の亡霊であるということを代数で証明するんだ」(U-Y 36)シェイクスピアの亡霊がハムレットの祖父、とはいったいどういう事だろうか?

・U-Y 56「帖面を記号が大真面目なムーア踊りで動いていく」

 U-Δ 75「ページの上を、記号たちがおごそかにモリス・ダンスを踊りながら横切っていく」

 “Across the page the symbols moved in grave morrice”

 →「ムーア踊り(モリス・ダンス):イギリス古来の仮装踊りの一種。原義はムーア人(アフリカやスペインを征服したアラブ人)の踊りの意。ここは彼らがヨーロッパに代数を伝えたのにかけて」(U-Δ注)。ムーア踊りにしてもモリス・ダンスにしても、簡単に思い浮かべられる人はそれほど多くないと思うが、その後でムーア人のことが出てくるので、敢えてムーア踊りと変えてしまってもいいのかもしれない。二つの訳の印象としては、U-Yのほうはちょっと滑稽な雰囲気が強く、記号が動いていくことよりも踊りの方が強調されている印象を受ける。U-Δはどちらかというと楽しげな印象で、踊りよりも記号が動いていくほうが強調されているように思われる。


Morris Dancing in Oxford (モリスダンス)

 

・U-Y 56「それぞれの字体が四角や賽子の乙な帽子をかぶって、だんまり芝居だ」

 U-Δ 75「文字のだんまり劇のなかを、二乗や三乗の古風な帽子をかぶって」

 “in the mummery of their letters, wearing quaint caps of squares and cubes”

 →mummeryは無言劇。squareは四角、二乗、cubeは立方体、三乗。squareとcubeを忠実に二乗、三乗とするか、四角、賽子(立方体を無理やりひねった感はある)として遊ぶかは措いておいて、「文字のだんまり劇のなかを」とそのまま訳してしまうと、その前の部分で「記号」が主語になっているので、文字の上にsquareやcubeがのっかっているのが分かりにくい。この部分に関してはU-Yのほうがふさわしいと思う。「乙な」だが、辞書では①普通と違って、なかなかおもしろい味わいのあるさま。味。②普通とは違って変なさま。妙、という意味がある。quaintは「風変わりで面白い、古風で趣のある」の意で、割と「古風さ」が強調された言葉だ。U-Δではそのまま「古風」としているが、U-Yでは「風変わりで面白い」の意のほうを強くとらえて「乙な」と訳したのだろうか。

・U-Y 56「両手を出して」

 U-Δ 75「手を与えて」

 “give hands”

 →「手を与えて、交差して、相手におじぎ:ダンス教師が生徒に言う台詞。数式を解くスティーヴンの内的独白に重ねて」(U-Δ注)。と、注にはあるが、「手を与えて」“give hands”というのがダンスを教える際に使われる言葉なのかどうか、確認はできなかった。“give hands”はともかく、「手を与えて」というのは日本のダンス教師の使う言葉なのだろうか? 両手を出して、のほうが合っているような気がするが、分からない。

・U-Y 56「ムーア人の思いつきの悪戯っ子たち」

 U-Δ 75「ムーア人たちの空想から生まれた小鬼たち」

 “imps of fancy of the Moors”

 →fancyは「(気まぐれで自由な)空想、(事実に基づかない、想像された)思いつき、気まぐれな思い」の意味がある。impは「鬼の子、小悪魔、いたずら小僧」などの意味がある。モリスダンスがムーア人によってもたらされたという歴史的な記録は見つからない。impsがモリスダンスを踊る記号や文字のことを指すのであれば、超自然的な存在である「鬼の子」「小悪魔」としての小鬼たちよりは「悪戯っ子」のほうが訳としてふさわしいのではないだろうか。その後に出てくるアヴェロエスがアラブ人で、数学に通じていることを考えると、空想というよりも思いつきという訳のほうがいいのではないだろうか。

・U-Y 56「やはりもうこの世にいない。アヴェロエスとモーゼズ・マイモニデス」

 U-Δ 75-76「アヴェロエスもモーゼズ・マイモニデスもこの世からいなくなった」

 “Gone too from the world, Averroes and Moses Maimonides”

 →「アヴェロエスとモーゼズ・マイモニデス:二人とも12世紀前半スペインのコルドバに生まれた哲学者・医者。ともに新プラトン主義の影響を受けた。アヴェロエスはアラブ人、アリストテレスの諸著の注釈者。数学にも通じている。マイモニデスはユダヤ人。アリストテレスの哲学を援用してユダヤ教神学を体系化した。天文学にも通じる」(U-Δ注)。U-Yのほうでは珍しくコンマの部分で文章を区切っている。「死んだ」ということを強調するためだろうか。

・U-Y 56「風采も動きも定かならぬこの男たちが、この世の曚昧な魂を嘲笑の鏡にぱっと閃かす」

 U-Δ 76「顔つきも振舞いも暗くて定かならぬ男たちが、闇に包まれた世界霊魂を……嘲笑の鏡にきらりと反射させてから」

 “dark men in mien and movement, flashing in their mocking mirrors the obscure soul of the world”

 →「この世の曚昧な魂(世界霊魂):新プラトン派などが言う根本的な統一原理。世界を支配し、統御する」(U-Δ注)。「嘲笑の鏡」という言葉が第一挿話でのマリガンの髭剃りに使う鏡を思い出させる。U-Yの「曚昧な魂」と「嘲笑の鏡」は、この部分に何度も繰り返されるMで始まる単語の繰り返しの反映か。dark menというのは、ムーア人(アフリカ系の人々、スペイン人など)の顔の色の濃さと、「意味が曖昧な」という意味をかけているのだろうか。U-Δではsoul of the worldをそのまま世界霊魂として訳し、obscureを「闇に包まれた」としているが、U-Yではsoul of the worldの前のobscureを含めて、「この世の曚昧な魂」としている。世界霊魂(宇宙霊魂)はネオプラトニズムの思想体系において重要な構成要素。プラトンからして、この世の全ては本質的につながっており、魂が人の体と繋がっているように宇宙の魂・生命は宇宙と繋がっていると考えていた。この思想はネオプラトニズムにも受け継がれる。プラトンの考えによると、宇宙霊魂は身体のなかに魂があるのではなく、魂のなかに身体があるとする。

・U-Y 56「明光の理解しえなかった闇が明光の中で光る」

 U-Δ 76「光のなかで輝いているが光には理解できない暗闇を」

 “darkness shining in brightness which brightness could not comprehend”

 →「「ヨハネ伝」1.5「光は暗黒(くらき)に照る、而して暗黒は之を悟らざりき」を逆にして」(U-Δ注)。ヨハネ伝の冒頭については前掲の通り。光が暗闇の中で輝いているが、暗闇は光を理解しない。この光(明光)はパリ時代のスティーヴンの図書館の中の想起の描写をも思い出させる。しかし、光は暗闇を照らし、闇は光を理解していないかもしれないが、光だって暗闇のなかを照らしているというだけで闇のことは理解していないかもしれない。enlightenment的な光なのであれば、随分上から目線な話だ。しかしそもそもキリスト教というものにそういう側面は大いにある。そしてこのdarknessからの部分だが、原文を見ればわかるように、“Gone too from the world”から始まる一文である。U-Yでは「明光」の部分から独立させた一文を作っているが、U-Δのように、「嘲笑の鏡に反射させられたもの」の一つとしてdarknessを解釈することも可能だ。そもそも、このdarknessは独立した一つの主語として考えていいのか、それともそれ以前の文中にある他の何かと同格なのか、あるいは何かの目的語としてとらえるべきかの問題がある。U-Yでは一応文章として独立させているが、嘲笑の鏡に閃かしている対象としても認識しているかもしれない。闇が光ったのは鏡の反射のせい、という考えだ。U-Δでは世界霊魂と暗闇を同等に嘲笑の鏡に反射させている。しかしまた、darknessの直前にあるthe soul of the worldが同格という考え方もある。もしかしたらU-Yではではその考えをとっているのかもしれない。この文章の解析とともに、「暗闇」とは何を指しているのか、という一番シンプルで一番難しい問題も浮かび上がってくる。聖書の記述にある光の対極としての純粋な暗闇のことなのか、世界霊魂のことなのか、dark menの暗さなのか、他に何か意味を持つのか。

<U-Y 56-61 ~秘密・ディージーの書斎・貨幣・貝・マクベス・借金・シェリダン>

・U-Y 56「母の愛」

 “Amor matris

 →「ラテン語。文脈により、「母が愛する」の意(主格的属格)にも、「母を愛する」(対格的属格)にもなりうる」(U-Δ注)。主格的属格、対格的属格についても前掲の通り。

そのあとの「主格的所有格」と「目的格的所有格」も同じことを指している。

・U-Y 56「希薄な血と酸っぱい薄い乳」

 “her weak blood and wheysour milk”

 →U-Y 55にも「希薄な水っぽい血」とあるが、酸っぱい薄い乳というのは腐っているのだろうか?

・U-Y 56「この子の褓を人目から隠した」

 U-Δ 76「彼の産着を一目から隠した」

 “she had fed him and hid from sight of others his swaddling bands”

 →褓はおむつ、または産着。swaddling bandsは「(昔新生児に巻き付けた)細長い布、(子供などに対する)束縛、厳しい監視」を指す。swaddling bandsの画像を調べてみると、おむつとは言えない感じがする。赤ん坊がミイラのように結構きつめに布で巻かれている。その布のことを指すのだろう。この布を使っているとき、おむつ的なものはなかったのだろうかと思う。裸のままあの布を赤ん坊に巻き付けるなら、swaddling bandsはおむつ兼産着、と言えないこともない。そして母はなぜそれを人目から隠したのか? この子、というのはシリルのことだと思うが、体の弱い子供がいることを人に知られたくなかったのか?

・U-Y 56「おれの少年時代が傍らで背を丸める。もはや遥か彼方なので手を置いてやることも軽くふれてやることもできない」

 U-Δ 76「ぼくの少年時代がいま隣でうつむいている。あまりにも遠すぎてほんの軽く手を添えてやることさえできない」

 “My childhood bends beside me. Too far for me to lay a hand there once or lightly”

 →ここでかなり明確にスティーヴンはシリルに自分の子供の頃を重ね合わせている。おれの少年時代はほんの「傍らで」背を丸めているのに、それは「遠すぎて」手を置いてやることもできないのだ。原文も、どちらの訳文も、個人的にはとても胸に迫る文章だ(他にも好きな箇所はたくさんあるが)。思い入れが強すぎると理解を阻む。残念だが今はちょっと距離を置こう。スティーヴンは少年時代の自分を慰めたいような感情を抱いているのだろうか。と同時に、シリルに対しても同じような感情と共感を抱いているのだろうか。遠すぎる少年時代を、ほんの少しでも思い出すことができないのだろうか(手を置く→思い出すことの比喩)とも思ったが、多分違うだろう。once or lightlyの訳出も難しい。U-Yはあくまでorで繋がれた二語にこだわり、手を置いてやること、軽くふれてやること、と分けた(うまい技だと思う)。U-Δでは一つにまとめてしまっているが、実際そういう事だ。ちょっとでも手を置くこともできないし、軽く手を置くこともできない。ただ、「手を添えて」でいいのだろうか、という気はする。「手を添える」の自体の意味は見つからなかったが、類語を調べると、「手助けする、手を差し伸べる」等の言葉が出てくるところを見ると、支えてあげる、というイメージがちょっと強い気がする。“lay a hand”だけでも特別な意味はないが、“lay a hand on”になると、「触れる、~に手をかける、~を傷つける」、“lay one’s hand on”では「手を置く、手を掛ける、触れる、手を付ける」などの意味が出てくる。ここでは単に手を置く、触れる、の意味でいいと思う。

・U-Y 57「おれの秘密は彼方にあり、この子の秘密はおれたちの眼同士と同じ」

 U-Δ 76「ぼくの少年時代は遠い彼方。彼のは秘密を隠している、ぼくらの目のように」

 “Mine is far and his secret as our eyes”

 →訳の意味が分かれている。U-ΔではMineをその前の文に出た、「ぼくの少年時代」としているが、これは文法通りの読み。しかし、his secretを「彼のは秘密を隠している」と訳したのはなぜだろう? 彼のは、というのは彼の少年時代、ということになるだろうが、彼(シリル)は今少年なので、彼の少年時代、というのも何となく変だ。ここのU-Δの解釈は分からない。一方で、U-YではMineを「おれの秘密」としてしまっている。文脈的には合っているような感じがするけれども、「秘密」は前に出てきていないので、それをMineで受けることはできない(後ろの語を繰り返すための所有代名詞の使用例なんてあるんだろうか?)。「秘密」を「少年時代」と同一視しているということだろうか? そして恐らくsecretとasの間にisが省略されていると思うが、andで繋がれた二文“Mine is far”“his secret (is) as our eyes”が強いつながりを持ち、その繋がりを優先してMineをMy secretの意味にしたのだろうか。どちらかというと意味的には(文法的に疑問は残っても)U-Yのほうを取りたいので、その前提でその先を見ると、その自分と彼の秘密が自分たちの目のように同じ、というのは、二人の目が似ているということだろうか。U-Y 55でシリルは「弱々しい目」をしていると形容されているが、スティーヴンの目も同じなのか? それとももうすでにシリルはスティーヴンから離れていて、少年時代の自分と今の自分のことを「おれたち」と言っているのか、とも思うが、ちょっと無理のある解釈である気がする。U-Yで“our eyes”を単に「ぼくらの目」ではなく「眼同士」としているのは、二人の仲間意識の強調か。

・U-Y 57「双方の秘密が、押し黙って、石のごとく、おれたち双方の心の暗い宮殿に座している。どっちも己の専制に嫌気が差してきた秘密、どっちも退位したがっている専制君主

 U-Δ p.76「二人の心の暗い宮殿には、さまざまな秘密が黙りこくったまま石のようにじっと坐っているのさ。自分たちの専制に飽きた秘密どもが。王座から引きずりおろされるのを待っている暴君たちが」

 “Secrets, silent, stony sit in the dark palaces of both our hearts: secrets weary of their tyranny;tyrants, willing to be dethroned”

 →U-Yでは、原文の最初のSの反復を、「双方の秘密」「押し黙って」「石のごとく」と語数で表現したのだろうか。また、Secretsを、U-Yのほうでは自分とシリルの秘密、U-Δのほうでは色々な秘密の意味でとっているが、専制君主なら各々の心に一人しかいないと思うので、さまざまな秘密を暴君たちとするU-ΔよりU-Yの解釈のほうがふさわしいのではと思う。また、二度のSecretsをU-Yでは「どっちも」という言葉を二回繰り返すことで表現しているのではと思う。二人の心の宮殿に座す秘密とは何か。彼らの心を秘密は専制君主や暴君のごとく支配している。でも、少なくともスティーヴンはそれに嫌気が差している。ということは、秘密をなくしてしまいたいか、誰かに打ち明けてしまいたい、ということだろうか? そして、その秘密が始終彼の頭を離れずに、彼を悩ませている、ということだろうか?

・U-Y 57「書き終えたところに薄手の吸取紙を当ててから」

 “He dried the page with a sheet of thin blottingpaper”

 →計算が終わり、スティーヴンの思索も終了する。シリルはノートのインクを吸い取り紙で押さえ、乾かすが、恐らく彼の頬にはまだインクの染みが残っている。今までで、何度もこの「しみ」が登場してきている。後ろから見ていくと、U-Y 55「鬱陶しい髪の毛とインクの染み」→U-Y 55「インクの滲みが一つ」→U-Y 55「ぼてっとインクの染みが一つ」→U-Y 32「まだここに染みが」(第一挿話)が挙げられる。原文の「しみ」にあたる単語を同様に後ろから見ていくと、“stain”→“blot”→“stain”→“spot”になる。終わったようで終わっていないスティーヴンの思索が、インクと血のイメージでつながれていく。インクの染みを乾かす行為は血を拭う行為を連想させる。しかし、いくら拭っても、「まだここに染み」があるのだ。

・U-Y 57「甲高い声の諍う揉め合いの運動場へ急ぐのを見送った」

 U-Δ 77「戦いの場へ急ぐのを見まもった。甲高い声が争っていた」

 “watched the laggard hurry towards the scrappy field where sharp voices were in strife”

 →scrappyはまとまりのない、好戦的な、闘志に満ちた、けんか好きな、などの意味を持つ。in strifeで争いの状態にあることが分かる。U-Δでは二文に分けているが、U-Yではなかなかごちゃごちゃとした感じの訳になっている。いくら一文でまとめたくても、普通だったら「甲高い声が言い争う闘志に満ちた運動場」くらいでいいのではないかと思うが、このごちゃごちゃした感じによって生徒たちのてんでばらばらな、まとまりのない状態を表現したかったのかもしれない。

・U-Y 58「ぎらぎらする陽光が老人の染め損ねの蜂蜜色を晒す」

 U-Δ 78「まばゆい陽光がまだら染め蜂蜜いろの頭を白くさらした」

 “the garish sunshine bleaching the honey of his illdyed head”

 →「染め損ね」という言葉は、名詞としても形容詞としても辞書にはない。動詞として、「染め損ねる」という言葉はあるので、ここでは造語に近い。原文のilldyedも同様。ジョイスがよくやるように二つの単語を繋げて一つの単語にしてしまったものだろう。honeyという言葉には「蜂蜜、蜂蜜色(の何か)、すばらしいもの」などの意味がある。また、headは「頭、頭脳、知恵、冷静さ、校長」等の意味がある。晒すという言葉はU-Δではひらがなだが、「日光や風雨の当たるままに置く/布、紙などを水洗いして日光に当てたり、薬品で処理したりして白くする、漂白する/広く人々の目に触れるようにする/危険な状態に置く」などの意味を持つ。U-Δの「まだら染め」は、十分に、完璧に染まってないからまだらに染まっているものと解釈したのだろう。原文を直訳すると、「彼の染め損なった頭の蜂蜜色を白く晒すぎらぎらする陽光」、陽光を主語とすると「ぎらぎらする陽光が彼の染め損なった頭の蜂蜜色を白く晒す」となる。上にあげた言葉のもつ様々な意味からもう推測できるかもしれないが、この部分は「間違った考えに染められた素晴らしい頭脳を人目にさらしている」という裏の意味を考えることはできないだろうか。

・U-Y 58「取引」

 U-Δ 78「話を決めた」

 “bargain”

 →U-Yで敢えて取引という言葉を使っているのは(U-Δの訳のほうが普通に感じる)、その後の金の話を導くためか。

・U-Y 58「始めにありしごとく」

 U-Δ 78「初めにありしごとく」

 “As it was in the beginning”

 →「『公教会祈祷文』の「栄唱」に、「願わくば聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めにありしごとく、今もいつも世々にいたるまで」とある。この後半が三つに断ち切られて本文中に混在する」(U-Δ注)。「栄唱」(頌栄ともいう。doxology)はキリスト教典礼における三位一体への賛美において歌われ、唱えられる賛美歌や祈祷文のこと。元々、聖務日課詩篇や聖書中の賛歌が唱えられた後に付けられた。これにより、旧約聖書の詩歌をキリスト教で利用することができるようになったといわれている。カトリック教会では、伝統的に聖務日課やロザリオの祈りの中で唱えられ、「主の祈り」「アヴェ・マリアの祈り」と同様、頻繁に使われる基本的な祈祷文。最初はラテン語で唱えられていた。ディージーの書斎の描写がこの三つに分かれた栄唱によって分断されている。これが何を指すのか、読書会で頂いた吉川先生の論文に言及があったが、敢えて答え合わせはしないし、してもここには書かないでおく。

・U-Y 58「スチュアート硬貨、沼地の鐚銭宝物」

 U-Δ 78「スチュアート貨幣……沼地から掘り出したつまらぬ宝物」

 “Stuart coins, base treasure of a bog”

 →「スチュアート硬貨:いわゆる「びた銭」(brass money)。素材は鐘、砲金、白目(錫、鉛、真鍮または銅の合金)など。1688年の名誉革命で王位を追われたスチュアート朝のイギリス王ジェイムズ二世が、1689年、王位回復の戦費を調達するためアイルランドで鋳造したクラウン貨幣(旧単位で5シリング)。1690年にボイン川の戦いで決定的な勝利を得たイギリスの新王ウィリアム三世は、これを1ペニー(1シリングの12分の1)に切り下げて流通させると宣言した。プロテスタント側から見れば一種の戦利品である」(U-Δ注)。注の中の砲金は青銅の古い呼び名、白目は錫と鉛との合金のこと。この「ビタ銭」であるスチュアート硬貨はガンマネーと呼ばれ、クラウン、ハーフクラウン、シリング、6ペンスの4種類の硬貨がアイルランドで鋳造された。非常に面白いことに、このスチュアート硬貨を鋳造している際にミスが生じ、二十打ちによって硬貨の片面に彫られた馬に乗る国王の上半身が消えてしまう。その後このスチュアート硬貨の価値は注にあるように切り下げられ、同時に22,500ポンド分が回収されたという。硬貨の中で国王がゴーストになってしまう。ちなみにこの硬貨は今でも割と収集家によって高値でやり取りされている。この部分でこのスチュアート硬貨のことをbase(劣悪な)と言っておきながらtreasure(宝物)と表現しているのは、そういった希少価値も背景にあるのかもしれない。またbogは沼地のことだが、泥炭地のことも指す。泥炭地と言えばアイルランドなので、アイルランドで鋳造された、ということを指しているのかもしれない。

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国王の姿のあるクラウン硬貨

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国王の消えたクラウン硬貨


・U-Y 58「そして紫色のフラシ天の匙箱におさまり、艶褪せて、十二使徒が全異教徒に教えを説いてきたところ」

 U-Δ 78「色あせた紫ビロードのスプーンケースのなかには、十二の使徒像スプーンがすべてのキリスト教徒たちに説教をなし終えてきっちりと納まっている」

 “And snug in their spooncase of purple plush, faded, the twelve apostles having preached to all the gentiles”

 →「十二使徒スプーン:取っ手が使徒像の形をしている銀のスプーン。洗礼をうける幼児への贈物に使われた」(U-Δ注)。ちなみにこのスプーンを幼児に贈る習慣は、16世紀ごろから始まり、20世紀初頭には廃れ始めている。

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十二使徒スプーン

 フラシ天(plush)はU-Δの「ビロード」と同じ。長く柔らかい毛羽のある織物。匙箱については調べても分からなかったが、そういう箱もあるのだということにしておく。fadedがどこにかかっているかで二つの訳は違う。U-Δではfadedの直前にあるplushが色あせていて、U-Yでは恐らくだが、fadedの直後の十二使徒が「艶褪せて」となっているが、ディージーの部屋の中にあるものは何だか皆古めかしいものばかりのように思えるので、フラシ天が色あせているのか、十二使徒スプーンが艶褪せているのかよく分からない。また、gentileは「(ユダヤ人から見た)異邦人、(特に)キリスト教徒」の意で、U-Δではそのままキリスト教徒と訳しているが、U-Yは「全異教徒」としている。十二使徒にとっての異教徒はキリスト教徒ではないと思うのだが、なぜこのような訳にしたのだろう?

・U-Y 58「黄金の納まる金庫室」

 U-Δ 79「黄金を入れておく宝箱」

 “strongroom for the gold”

 →「ディージー校長の貯金箱を指して。スティーヴンの内的独白」(U-Δ注)。

・U-Y 58「蛽貝あり宝貝あり豹貝あり」

 U-Δ 79「バイ、宝貝、枕貝」

 “whelks and money cowries and leopard shells”

 →蛽貝はバイ科に分類される巻貝の一種。バイ属の貝類を総称してバイと呼ぶこともある。whelkはヨーロッパバイで、エゾバイ科の一種。バイについては呼び名の定義が難しく、バイ型の貝殻をもつ貝類の総称の和訳にバイという言葉があてられることも多いらしい。とりあえず、「蛽貝」と呼ばれる単一の個体はない。みな○○バイというかたちで呼ばれるバイ科の貝だ。恐らく普段魚屋などで見かける「バイ貝」「バイ」というのも、厳密には○○バイという違う名前のものだと思われる。宝貝は農産、繁栄、再生、富などの象徴。豹貝については見つからなかった。“leopard shell”で探しても見つからない。豹のような外見の貝、ということであれば、U-Δの「枕貝」はその一つだ。枕貝はマクラガイ科の巻貝。確かに殻は豹の毛皮のような模様をしているが、貝も他の動植物と同じく、生息地によって種類が大きく異なるので、原文のleopard shellがこれを指しているのかどうかは分からない。豹貝については見つからなかったが、もしこのleopard shellを枕貝としていいのならば、これらはすべて巻貝である。そして、読書会でも話に上がったが、そこから連想されるのが蝸牛である。これらは皆「虚ろなものたち」としてまとめられる。私としてはこのカタツムリを、スティーヴンのパリ時代の図書館の描写に現れたモンスターまで繋げたいところだが、どうつながるのかまだ自分の中でも明らかにはなっていない。また、読書会でも言及されていたが、貝貨と呼ばれる貝を用いた貨幣があるように、貝は金と密接な関係がある。なおかつ貝はhollowな存在だ。生きているうちはhollowではないが、死んだ、飾り物としての貝殻はhollowである。

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バイ(蛽)

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宝貝

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枕貝。確かにヒョウ柄と言えなくもない。



・U-Y 58「聖ヤコブの帆立貝」

 “the scallop of saint James”

 →「スペインのサンチアゴ・デ・コンポスラフにある聖ヤコブの聖堂に巡礼した者は、帆立貝を帽子の記章に用いるのを習いとした」(U-Δ注)。これは二枚貝。記録によると、レコンキスタ(718-1492、複数のキリスト教国家によるイベリア半島の再征服活動の総称)の時代、クラビホの戦いで奇跡的に聖ヤコブが現れ、キリスト教徒軍とともに戦ったことから、「ムーア人殺しの聖ヤコブ」と呼ばれたらしい。

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ヤコブの帆立貝

・U-Y 58「ここにソヴリンを入れる」→「ソヴリン金貨は1ポンド(20シリング)。クラウン銀貨は5シリング。半クラウン銀貨は2シリング6ペンス」(U-Δ注)。ここで一度、とりあえずこのページに出てくる硬貨だけでも整理しておきたい。ちなみに、略称はポンド=L、シリング=S、ペンス=dとされる。12進法が使われる硬貨があるので注意したい。

  ・12d=1S、20S=1L

  ・クラウン=5S、半クラウン=2S6d、半ペニー=½d、ソヴリン=1L

  ・価値の低い順に並べると、

   ペニー(ペンス)→シリング→クラウン→ポンド=ソヴリン

   になるかと思う。

 ちなみに半ペニー(half-penny)は「ヘイプニー」と発音される。第一挿話で、マリガンが“For omnipotent sovereigns”と叫び、戴冠式の歌をコックニーのアクセントで歌いだしたのは、ソヴリン金貨の表面に英国王が描かれているからという言及がある。ギフォードによると、もしスティーヴンにこれほど借金が無くて、彼が「宵越しの銭は持たない」人間でなければ、彼の給料3ポンド12シリングは、多額の報酬ではないが生活するのに十分な額だ、と言っている。この後に続くディージーによるスティーヴンの給料の計算を実際に確かめてみると、①紙幣を2枚出す=2ポンド、②ソヴリンを一枚=1ポンド(途中のソヴリンを入れたり半クラウンを出したりするのは、たくさんの種類の硬貨を貯金箱に入れているのを見せているだけだと思うので省略。なぜならこれを足すと計算が合わない)、③クラウンを2枚=10シリング、④シリングを2枚=2シリング。これで①~④を全部足すと3ポンド12シリングになる。また、フランク・デラニーによると当時の4ペンスは今日の3ポンド(約5ドル)くらいだったのではと言っている。つまり、1ペニー=0.75ポンド、1シリング=9ポンド、1ポンド=180ポンドくらいに換算される。これをスティーヴンの給料3ポンド12シリングに当てはめると(2019年10月のおよそのレート)、今のお金で約90,720円になる。週給だとしたらかなりいい額だ(計算違ってたらごめんなさい…)。

・U-Y 59「同じ部屋と時刻、同じ知恵。そしておれも同じ。これで三度。ここでは三本の輪索が巻きついてくる。で? その気になればこの瞬間にも断ち切れるのだ」

 U-Δ 80「同じ部屋と時間、同じ処世訓。それに、ぼくも同じ。これで三度目だ。ここで三本の首吊り縄が巻きついた。どうする? その気になればたったいまでも断ち切ることはできるさ」

 “The same room and hour, the same wisdom: and I the same. Three times now. Three nooses round me here. Well? I can break them in this instant if I will”

 → nooseは「輪縄、ひき結び、(絞首刑の)首つり縄、わな、絆、逃げるのが難しい危険な状態」等の意味がある。元々は人を捕まえる、動物を罠で捕らえるための罠の意味であったらしい。輪索という語は辞書では海事用語としてしか出てこず、「わなわ」と呼ばれている。輪索と書いて「わなわ」と読ませる例は海外文学の翻訳に何度か用いられている。首つり縄でもいいかもしれないが、ここでは人を拘束するための縄というのが伝わることが肝要だと思う。スティーヴンは今までに三度校長の書斎を訪れたのだろう。それに恐らく自分の居心地の悪さや窮屈さを感じ始めている。最後の一文は、断ち切るか、断ち切らないかの状況判断の場で、自分がどちらの選択もできることを表している。これは歴史上のpossibilityにもつながる考え方か。

・U-Y 59「イアーゴ」→「ディージーの間違いを訂正して。一登場人物の、それも悪役の台詞にすぎない、の意。引用は『オセロー』1幕3場より。またイアーゴはヤコブスペイン語ゆえ、スティーヴンの頭の中では「聖ヤコブサンチアゴ)の帆立貝」も結びついている」(U-Δ注)。『オセロー』は冒頭から悪役の憎しみや企みが描かれるという点で、シェイクスピア作品の中では割と珍しいものではないだろうか。イアーゴはシェイクスピア作品の登場人物なので、間違いとまでは言えない。ただ、悪役の台詞ゆえ校長が説教のように人に誇って引き合いに出す言葉としてはふさわしくない。『オセロー』で、口八丁で相手によって態度を変え、自信家で自立心の強いイアーゴは、キャシオーが自分を抜いて副官になったこと、自分がムーア人の指揮官オセローの旗手になったこと、オセローがデズデモーナという美人と結婚したことが気に食わない。友人のロドリーゴはデズデモーナが好きだった。二人はデズデモーナの父ブラバンショーに、オセローとデズデモーナが父親の知らぬ間に一緒になっていることを伝え、ブラバンショーを激怒させる。その頃大公の会議にオセローは呼ばれ、トルコ征伐へ向かうよう命ぜられる。そこに同席したブラバンショーは、自分の娘が薬か何かで騙されてオセローと一緒になったのだ、と大公に訴えるが、オセローの誠実な答弁と、それを裏付けるべく連れてこられたデズデモーナの話を聞いて、ブラバンショーは大公に説得される。一部始終を聞いていたロドリーゴがイアーゴに死んでしまいたいと愚痴ると、イアーゴはあの二人はどうせ別れる、お前はあの女を手に入れられると励まし、説教する。ここで「財布には金を入れておけ」という言葉が、イアーゴの台詞の中で6回も繰り返される。戦争へ行って金を稼いで来い、という言葉も2回出てくる。なぜこんなにイアーゴが「財布に金を入れさせたがる」のかは、結局ロドリーゴがイアーゴの金づるだから、という指摘がある。ディージーはこの言葉を引いておきながら、自分自身がスティーヴンの金づるでしかない、という皮肉な事実がある。また、ディージーにとって上流階級子弟の親たちが彼の金づるである、とも言えるだろう。

・U-Y 59「むなしい貝殻から目を上げて老人の見つめる目を見る」

 U-Δ 81「彼は無用の貝殻から目をあげて、ミスタ・ディージーを見返した」

 “He lifted his gaze from the idle shells to the old man’s stare”

 →U-Yの訳文には多少違和感があるが、「貝」「目」「見」という漢字を繰り返すことで視覚的な訳の「遊び」を試しているのだと思う。idleはここでは「価値のない、役に立たない、つまらない」の意味。「むなしい」という言葉は辞書では「①形式だけで中身のない、実質が伴わない。②何の役にも立たない。結果が何も残らない。頼りにならない。はかない。根拠がない。③魂や心が抜けきった。体だけになっている。命がない。不活発な」等の定義がなされている。ここでのU-Yの訳では②の意味が当てはまるだろうか。この数行前の段落で、「スティーヴンの手は、また用がなくなり、虚ろな貝殻に戻った」とあるが、ここからずっとスティーヴンは貝殻を見ていたのだろうか。また、shellからstareへの視線の移行ということを考えると、貝もまた一つの「目」の象徴であり、「虚ろな目」から「熱心な目(眼差し)」へ彼の注意が移った、と解釈することもできるのではないだろうか。

・U-Y 60「五つの海の支配者」

 U-Δ 81「海洋の支配者」

 “The sea’s ruler”

 →五つの海と言えば、太平洋、大西洋、インド洋、北極海南極海である。しかし、「五つの海の支配者」というよりは「七つの海の支配者」というほうが世界の海を制覇した、支配した感じを出すにはより一般的ではないだろうか? ちなみに七つの海は世界中の全ての海を指し、どの海を指すかについては時代によって多少異なるのだが、一般に北太平洋、南太平洋、北大西洋南大西洋、インド洋、北極海南極海のことである。「世界の大洋」はまとめて“the sea”と表すことができるので、U-Δの訳でも間違いではないが、U-Yのような訳のほうが雰囲気が出ると思う。

・U-Y 60「あの男の冷海の目が空っぽの湾を見つめた。歴史に罪があるようだね。おれに対してとおれの言葉に対して、嫌がらせではなく」

 U-Δ 81「海のように冷たいあいつの目が空っぽの湾を眺めた。悪いのは歴史らしいな。ぼくと、ぼくの言葉を。憎しみなしに」

 “His seacold eyes looked on the empty bay: it seems history is to blame: on me and on my words, unhating”

 →海の支配者から、海を眺めていたヘインズの冷たい目へ、そして彼の発した言葉へと意識は繋がる。「空っぽの湾」ということは、ここでは湾も「虚ろなもの」に含められるだろうか。U-Δが、二番目、三番目に出てくるonをどうとっているのかがよく分からない。blameのあとにコロンとonが来るので、“blame on”のように思えるが、スティーヴンはヘインズから非難される理由がない。“look on”も考えられるが、ヘインズはスティーヴンを見ていてはいたかもしれないけれど、「スティーヴンの言葉」を見る、というのはちょっと変だ。しかしU-Δの三つの「を」を考えると、U-Δではそのように解釈したのではないかとも思われる。文脈的には、やはりU-Yのほうがふさわしいと思う。このonは独立していて、「歴史に罪があるようだね」というヘインズの言葉がスティーヴンとスティーヴンの言葉に「対して」発せられた、ということだと思う。それも、「嫌味ではなく」。unhatingは嫌うことなしに(“to leave off, cease, or desist from hating”)という意味だと思うが、そもそもヘインズがスティーヴンを嫌う要素はない。ヘインズはスティーヴンに近づこうとさえしていた。なので、ここのunhatingは「悪意なく」くらいの意味で、U-Yのほうがふさわしいのではないかと思う。もしかしたらこの言葉はスティーヴンのほうの気持ちを代弁したものか、とも思ったが、先のon以下の部分とコンマで繋がれていることを考えると、やはりヘインズの言葉の印象を形容したものと考えたほうがいいだろう。ヘインズの言葉はその当時を生きるイギリス人ヘインズの自然な認識だ、ということをスティーヴンは分かっている。しかし、彼の「冷海のように冷たい目」という表現と、彼の言葉の思い出し方から、ヘインズが二国間の状況をその一言で片づけてしまったことへの反感も伺える。歴史に罪があるのは確かだが、その言葉で「今生きている俺たちは悪くない」と責任転嫁をしてしまうことはできないし、ずるい。そして今生きている自分たち(スティーヴンたち)もまた、歴史を作りうる個々の存在なのだ。

・U-Y 60「フランスのケルト人」→「ディージーの勝手な思い込みか。ヘロドトスの著作にあるペルシア王クセルクセスの言葉とみる説がある。『歴史』第7巻第8節で、王はヨーロッパを征服すれば「天日の輝くところわが国に境を接するものは一国もなくなるであろう」と述べた」(U-Δ注)。クセルクセス1世はアケメネス朝ペルシアの王(在位BC486-465)。BC480年にギリシア遠征を企てる。BC479年、プラタイアの戦いで敗北、反撃にあい、大打撃を受け帰国。事実上クセルクセスのギリシア遠征は失敗に終わる。注に挙げられている部分は、クセルクセスが周囲の者たちからの圧力と進言により、復讐を兼ねてギリシアへ遠征するのを宣言する部分の台詞。

・U-Y 60「自分の金でやってきた。生涯、一シリングも借りたことはない」→イギリス人が誇りにしている言葉としては特に見つからなかった。当時は本当にそういう言い回しのようなものがあったのだろうか。それともディージー自身の考えか。Self-helpの考えも影響しているのだろうか。

・U-Y 60「マリガン、九ポンド…」→「以下実在、架空、無名、有名の人物たちを織りまぜて。なかではジョージ・ラッセル(第一挿話、第九挿話を参照)が有名」(U-Δ注)。ジョージ・ラッセルは第一挿話中の「我らが強き母」という言葉を述べた人。この借金リストに出てくる貨幣単位「ギニー」は、21シリング(1ポンド1シリング。貨幣単位については前掲を参照)。1ポンドより多いというだけではなく、この「ギニー」自体が上流階級の、ジェントルマンの使う金銭・通貨として認識されていた。実際のコインは19世紀初頭にすでに鋳造中止になっていて、めったに見ることはなかったが、上流階級の店などでは値段がポンドではなくギニー表記で書かれることが多かった。芸術家も報酬をギニーでもらうことが多かったらしい。この硬貨をスティーヴンが使うということは、自分は労働者階級ではなく、ジェントルマン、芸術家だという自意識の表れか。

・U-Y 60「いまのところはどうにも」

 U-Δ 82「いまは別に」

 “For the moment, no”

 →自分の言っていることが分かるかと訊くディージーに対する返答。直訳すると「今のところはわかりません」になるが、U-Yだとディージーの発言を否定するわけではないが、それを実践するには今の自分ではどうにもできないし、今はこのままでいい、というニュアンスがある。対してU-Δでは完全にディージーの発言を突き放し、自分とは関係ないと思っているような印象がある。

・U-Y 60「わしらは気前の好い国民だが」

 U-Δ 82「われわれは気前のいい民族だが」

 “We are a generous people”

 →「「気前のよさより、公正さが先」という諺がある。シェリダン『悪口学校』4幕1場の最後でも、主役の一人がこの諺を使う」(U-Δ注)。『悪口学校』は18世紀の風習喜劇。16年ぶりにイギリスに帰って来たサー・オリヴァーは、甥である兄弟たちのどちらに遺産を相続すべきかを判断するため、変装して二人に近づく。甥である兄のジョーゼフは品行方正で誰からも評判がいいが、その弟のチャールズは放蕩ばかりしていて借金にまみれている。でもチャールズは気前のいい男だった。さて叔父は二人にどのような判断を下し、どう遺産を相続させるか… という話。注の中の引用はチャールズが発した台詞で、台詞全体を引用すると、「「気前のよさより事の正しさ」だろう。そうだよ、そうしたいよ、できれば。だがね、「事の正しさ」って奴は、おいぼれて、よちよち歩く婆さまでね、どうしても「気前のよさ」と歩調を合わさせることができないんだ」となっている。また、U-Yではpeopleを国民と訳しているが、U-Δでは民族と訳している。そのためU-Yではディージーとスティーヴンが同等に語られているような印象をうけるが、U-Δでは二人の間の差を感じさせる(ディージーアイルランド人だがスコットランド系のプロテスタント)。

・U-Y 61「そういう立派な言葉は怖いんです」

 U-Δ 82「そういう大げさな言葉はこわいな」

 “I fear those big words”

 →“big word”は「長ったらしく難解な言葉。大げさな言葉。大言壮語。もったいぶった言葉」などの意味を持つ。辞書通りだとU-Δの訳になる。だが、その後の「それのおかげでずいぶん不幸な思いをしますから」というスティーヴンの言葉につなげることを考えると、U-Yの訳のほうがニュアンス的にはふさわしい感じがする。

<U-Y 61-62 ~アイルランドの歴史・農民のバラッド・タイプライター~>

・U-Y 61「英国皇太子アルバートエドワード」→「ヴィクトリア女王アルバート公との息子(1841-1910)。1901年に即位。1904年当時にはすでにエドワード七世。ディージーがいまだにキルト姿の皇太子時代の写真を飾っているのは、彼の祖先がスコットランド出身の入植者のゆえか」(U-Δ注)。注の言うように、ここに飾られているのは肖像ではなくて写真なのだろうか?(後の記述で分かるかもしれないが)皇太子アルバートエドワードはヴィクトリア女王に子供の頃から出来が悪いと評価され、50代になっても公務につけなかった。皇太子時代には母の影に怯えながら暮らしていたらしい。「私としては、永遠なる父に祈りを捧げるのは別にかまわない。しかし英国広しといえど、永遠なる母に悩まされているのは私だけだろう」という言葉を残している。公務から排除されていたころは放蕩生活を送っていたことで有名だったため、国王に即位したときには「英国史上最大の愚王」になるのではと不安視されたが、即位後に有能な王となった。

・U-Y 61「わたしのことをこちこちの古頭で老いぼれの保守と思っておるでしょうな」

 U-Δ 82「きみは老いぼれの時代遅れの保守主義者めと思っているんだろうが」

 “You think me an old fogey and an old tory”

 →「以下でディージープロテスタント側(およびイギリス系アイルランド人)の行動を弁明し、スティーヴンはカトリック(およびケルトアイルランド人)の立場からディージーが無視した事件にこだわる。「何か忘れてやしませんか(いろいろわすれておるのだ(U-Y))」に対する辛辣な反応でもある」(U-Δ注)。“an old fogey”と“an old tory”を、U-Yでは「こちこちの古頭」と「老いぼれの保守」という言葉に(語数と漢字で)反映させていると思われる。一連の彼ら二人のやり取りの描写は、U-Yでは少なくとも表面的ななごやかさと、年寄りであることを自覚してはいるが、まだ若者と対等に議論するディージーの気持ちを感じさせる。一方でU-Δでは上の者が下の者に説き聞かせるような印象がある。または、ディージーの発言の慇懃無礼な印象はブリティッシュな印象に合わせているのだろうか? ここからU-Y 61にはアイルランドの歴史に関する記述がどんどん出てくるのだが、U-Δの注に倣って、時系列でその意味を追ってみたい。

  ・「アーマー州のダイアモンド集会所」“The lodge of Diamond in Armagh”

   →「1795年9月21日、北アイルランドのアーマー州の小村ダイアモンドで、プロテスタント派の「夜明け組」Peep O’day Boysがカトリック派の「防衛団」Defendersと戦い、二十人以上を殺戮して「オレンジ会」Orange Orderを結成した。カトリック派がプロテスタント派の本拠を襲撃して返り討ちにあったもの」(U-Δ注)。夜明け組は1770年代には元々農業組合的な組織だったが、85年頃から宗教的派閥間の争いにおけるプロテスタント派の組織となった。宗教的対立以外に、リネン業における利益の衝突がこのアーマー州での事件の一因ともされている。夜明け組のなかには「壊し屋」(Wreckers)と呼ばれるメンバーもいて、カトリック教徒の家々で壊せるものなら何でも壊すという更に過激なメンバーもいた。夜明け組から派生して結成されたとされるオレンジ会は、名誉革命時のイギリスの新国王オラニエ公ウィレム3世(オレンジ公ウィリアム3世)からその名をとっている。このダイアモンド集会所での殺戮はアーマー州総督にも非難されているが、オレンジ会はその非難をかわすためか、この事件におけるオレンジ会と夜明け組および壊し屋とは無関係で、そのような残虐な行為は下層の民衆によって行われたものと主張している。

  ・「栄光の(栄光に輝き)」→「オレンジ会の乾杯の言葉より。プロテスタント派のオレンジ公ウィリアム三世に捧げる誓い。「偉大善良なるウィリアム王の、栄光に輝き、敬けんにして、不滅の思い出に。また、オリヴァー・クロムウェルをも忘れるな。法王の支配、奴隷の身分、専横の権力、びた銭、木靴より我らを救うのに力を尽くしたゆえ」と続く」(U-Δ注)。この乾杯の言葉にはいくつか小さなバリエーションがある。びた銭とは既に述べたように、ジェイムズ2世が作らせ、鋳造ミスの出た悪貨。木靴はユグノー派(カルヴァン派プロテスタントを迫害したフランス人のことを指す。クロムウェルは1641年に起こった農民の蜂起により、「アイルランドカトリック同盟」が結成され、チャールズ1世の軍に勝利し、イングランドから事実上の独立を達成していたアイルランドに対し、ここをまた植民地とするため軍を派遣した。表上の口実は農民反乱によりイングランドの入植者が多数殺されたこと、内乱の過程でアイルランドイングランドの王党派と手を結んだこと、アイルランドカトリックの国であることだったが、本当の理由はイングランドの資産家の多くがアイルランドの土地を所有し、植民地化することに利益を感じていたからだった。1649年クロムウェルの侵略軍はアイルランドに上陸、残虐な攻撃と住民の虐殺により「アイルランドカトリック同盟」軍を壊滅させ、チャールズ1世の専制時代よりも過酷なアイルランド支配を行った。1652年の「土地処分法」で、「カトリック同盟」参加者の全ての土地、また参加しなかったものの土地も没収され、数千人が奴隷として西インド諸島に移住させられることになる。クロムウェルは兵士たちに賃金を払う代わりに、これらの没収した土地の所有権を与えた。この侵略と支配による犠牲者の正確な人数は現在でも不明。

  ・「入植者ら(植民者)」→特に17、18世紀に北アイルランドのアルスター地方に入植したスコットランド人。「契約」(covenant)は入植に際してイギリス政府との間に交わした取決めのことも含むか。「黒い北」は陰うつな、または黒服の北アイルランド。特にアルスター地方を指して。「黒い北と日の照る南」という言い習わしがある。「ゆるがぬ青」true blueは長老派教会の色。17世紀革命当時の王党派軍隊の赤に対して」(U-Δ注)。ジェイムズ1世(在位1567~1625)はスコットランド女王メアリーの息子。1歳でスコットランド王になる。当時のスコットランドの宗教界は長老主義の影響が強かった。ジェイムズ1世はスコットランド人の長老派をアルスター大農園に入植させた。「契約」(covenant)は一般的に想像される「契約」(contract)というよりは、抵抗運動組織に近い。スコットランドには元来、何らかの主張をするときに結束して盟約を作る習慣がある。国民盟約(National Covenant)はその代表的なもの。イングランドスコットランドの国王チャールズ1世(在位1625-1649)の施行した国教会祈祷書(ロード祈祷書)に反対して起こった。これにより、国教会の監督性に対して長老派の維持を主張した。さらにこれはイングランドとの主教戦争、ひいては清教徒革命を引き起こす火種の一つとなる。長老派が結集してつくった最初の盟約は1557年で、ローマ・カトリックイングランドに対して反発し二度の勝利をおさめ、長老派教会の存続を担保させる。清教徒革命中、盟約は事実上スコットランドの統治機関だった。

 長老派教会は、キリスト教プロテスタントカルヴァン派の教派。聖書の権威に従って、「監督・長老・牧師」を区別しない。スイスで生まれ、ジョン・ノックススコットランドに伝える。長老制という教会政治制度の一つを採用することから長老派と呼ばれる。改革派教会の一派。「黒い北」の由来は注にあるような言い習わしにも由来するが、1797年にアイルランドで設立された「ロイヤルブラック協会」の影響が大きい。この協会はオレンジ会とは別組織だが、オレンジ会から結成された。本部はアーマー州にある。メンバーはそのしるしとして肩章をつけるのだが、その基色は黒であり、この協会のロゴも黒字に斜めの赤い十字架が描かれている。「ゆるがぬ青(真紺)」は聖書の民数記15:38-39の記述「主がモーセに教えを告げる。イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。代々にわたって、衣服の四隅に房を縫いつけ、その房に青いひもをつけさせなさい。それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである」に由来するという説がある。また、イングランド内戦時のイギリス軍の王党派の赤の軍服に対抗したものとも言われる。この赤の軍服はクロムウェルが制定した。17世紀には、「ゆるがぬ青の長老派」という言葉は自由と教会のために戦うスコットランド人と同義であったとも言われている。なお、スコットランドの旗の色も青地に白抜きのXのデザインである。

  ・「いがぐり頭(クロッピーども)」→「「クロッピー・ボーイズ」Croppy Boysを略して。「丸刈り頭」の訳語を当てることもある。本来は1798年に反乱を起こしたアイルランド南東部ウェクスフォード州のカトリック農民を言う。フランス革命に参加した市民たちをまねて髪を刈りつめた(crop)ことから。「くたばれ、クロッピーども」はオレンジ会員歌ったバラッドのリフレイン」(U-Δ注)。1798年アイルランドの反乱は正確には1797年から始まったアイルランドのイギリスからの独立を求める国内各地での一連の蜂起の総称である。共和主義者の革命団体であるユナイテッド・アイリッシュメンがアメリカの独立戦争フランス革命から影響を受け、主たる反乱軍を結成した。メンバーは英国国教会体制から締め出されたことに不満を持つ長老派と、人口の過半数を占めるカトリックからなり、宗派を超えた組織ができていた。中でも注で言及されている1798年のウェクスフォードでの反乱とその鎮圧は酸鼻を極めるものであった。クロッピーと呼ばれる反乱者たちが髪を刈りつめていたのは、フランスの上流階級の人々が普段かつらをかぶっていたことから、その上流階級としての象徴に対して反対の姿勢を示すためである。彼らはユナイテッド・アイリッシュメンの一味としてみなされ、当局に捕まると鞭打ち、くい打ち、ハーフ・ハンギング(縄で首を絞め、意識を失ったところで縄を解き、意識が戻るとまた首を絞めることを繰り返す拷問)、ピッチ・キャッピング(拘束したクロッピーの頭にぴったりとした帽子をかぶせた上から熱いタールやピッチ(原油、石油等を蒸留した際にできる黒色の残留物)を浴びせ、冷やし、固まったところで帽子を引きはがすと、帽子とともに髪や頭皮、肉片などが剥ぎ取られるという拷問)等の苛烈な拷問を受けた。反乱はそれを支持するフランスからの援軍もあったが、結局英国軍に最終的には完全に鎮圧される。死者は総計1万~3万人と言われている。「くたばれ、クロッピーども」の歌では、“Croppies lie down”というフレーズが歌の中で9回繰り返される。ほぼ敵対勢力によるキャッチフレーズのようなものになっていたものと思われる。


1218. Croppies Lie Down (Traditional Anglo-Irish)

(くたばれクロッピーを歌う人)

  ・「連合」→「1800年の連合法成立により、アイルランド国有の議会がイギリス議会と合併して消滅した。当初のオレンジ会員の一部が連合に反対したのは史実の通りだが、理由はこれによってかえってカトリックの農民の解放が進むのを恐れたから」(U-Δ注)。前述の1798年の蜂起によって、イギリス政府はこれまでのアイルランドの政治体制に危機感を抱き、連合法が提案された。この法案ではイギリス議会とアイルランド議会が合併することによってアイルランド議会は消滅することとなり、大多数のアイルランド議員が地位を失う上に、イギリス議会内でのアイルランド議員の比率もごく僅かとされていた。また、英国国教会アイルランドの国教会の合同化の計画も盛り込まれていた。結局1800年に可決されることとなり、アイルランド王国は名実ともに消滅する。しかしこれによって、合同賛成派と反対派の分断が生まれる。オレンジ会の内部には強硬な反対派が生まれたが、同じプロテスタント系でもアルスターのリネン産業界は賛成を示していた。カトリック派の中でも、アイルランド王国の閉鎖的な政治体制の改革の機会として、合同に期待する者たちも少なくなかった。しかし結局カトリック派は連合王国内で下位集団としての扱いを受け続けることになる。また、連合王国はかなり名目上のものであり、スコットランドとは違いイングランドアイルランドとのアイデンティティの一致は達成されない。一方でアルスターのプロテスタントは19世紀後半には自らをブリティッシュ・ネイションの一員とみなすようになる。イングランドとの連合によって、アイルランドの宗派間・地方間・階級間・出自による民族間の、主に政策的な考えにおける分断はさらに進行してしまう。

  ・「オコンル(オコネル)」→「ダニエル・オコネル(1775-1847)弁護士、政治家。議会を通して連合法撤廃とカトリック農民の解放の運動に専念し、巧みな弁舌によって大衆の人気を得た。ダブリン市中央のオコネル通(旧サックヴィル通り)とオコネル橋は彼を記念して命名された。橋の北側、通りの南端中央に彼の銅像がある」(U-Δ注)。説明の必要もないほど有能な政治家で、アイルランド人の英雄的存在。カトリック土地所有者階級に属していたオコネルは、1823年カトリック協会を設立。参加者を増やすため、「カトリック・レント(地代)」の制度を導入し、月1ペニーで準会員の資格を与えることで多くの貧しい人々が運動に関わるきっかけを作る。オコネルはまた熱心な奴隷解放論者でもあり、カトリックの特権的地位ではなく信仰の自由を大義とし、イングランドの非国教徒の境遇にも共感していた。カトリックには当時議員資格がなかった。しかし立候補すること自体に制約はない。それを利用し、1828年ウェリントン内閣時でのクレア州での補欠選挙において、オコンネルはカトリック協会から出馬、当選するが、議員にはならない(ボイコット戦術)。その後もカトリック派が立候補しては当選し、議員にはならないという戦術を使い、アイルランドの議会選挙を麻痺させ、イギリス側にカトリック解放をこれ以上拒み続けると内戦の危機になりかねないという危機感を抱かせる。そして1829年カトリックの法的制約の撤廃が実現される。多くの公職がカトリック信者に開放されたが、議会選挙での財産資格が引き上げられるなどの条項も同時に法案化されてしまい、結局この解放によって利益を得たのはカトリックの上層のみであったが、農村下層民は依然としてオコネルを支持し続けた。と同時に、カトリック教会の政治性も強化された。

 1830年代に入ると、オコネルは合同撤廃(リピール)を最大の政治目標とするようになった。1835年の総選挙では、イングランドの急進派と合流することで自身の派閥の獲得した議席の実数以上の政治力を持つことに成功する。オコネルは現実路線を選択し、手始めに都市自治体の改革を目指す。この改革には17世紀以降のプロテスタント寡占支配を崩す目的があった。1840年に改革は実現し、58の自治体が解体され、州の管轄下に置かれる。市政そのものが以前としてプロテスタントが優勢な州行政に吸収されただけという結果にもなったが、存続した10の自治体では市政ポストの選出法が一定額以上の納税者による選挙に変更され、カトリックが市政への発言権を得るという結果をも生んだ。そして約150年ぶりにカトリックであるオコネルがダブリン市長に就任する。オコネルはその後真剣にリピール追求に専念するようになり、「告示」を発し、ホィッグ政府の限界と連合王国体制を攻撃、全国リピール協会を発足し、「リピール・レント」を創設すると、カトリックの中間層から多額の資金を提供される。

 1843年、オコネルはリピールの内容を具体化し、アイルランド独自の議会が十分の一税を完全廃止、借地権の安定、工業の保護、司法の公正化をもたらすと構想する。その後各地で巨大集会が組織されると、オコネルは300万人を全国リピール協会に加入させ、全土を地区に分けて、その代表がダブリンに集結、リピールの法案を用意してウェストミンスターに送り付け、承認させるという作戦を考える。それに応じてカトリック解放運動は拡大し、アイルランド政治の主舞台は全国リピール協会に移行したかのようになる。オコネルは1843年10月8日クロンターフで最大の集会を開くことを予定し、開催日に向け多数の人々が集まるが、先手を打った政府が「帝国の国政の転覆を目論む」ものとして前日に集会の禁止令を出す。結局集会は中止となるが、国政の根本的な変更を目的とした巨大な政治運動が組織されたという事実がアイルランドの改革の必要を政府に強く認識させる。その結果、カトリックに対する宥和政策が実施され、反カトリックの総督の更迭、新任総督にはプロテスタント保守派の圧力に屈さない「完全に不偏で公正な」統治を指示、メヌースの神学校(カトリック系)に対する助成金を三倍に増やし、カトリックの大学教育を拡充させる。1847年、既にジャガイモ飢饉で大量の死者が出始めていたが、ホイッグ政府の対応は不十分だった。オコネルは政府支持を続けつつ、議会でイギリスからの寛大な援助を懇願する。これが最後の彼の議会演説となり、1847年、ジャガイモ飢饉の結末を見届けることなく、オコネルはこの世を去った。

  ・「フィニア会(きみらの宗派)」→「厳密には、1858年3月ニューヨークに発足したアイルランド移民の組織。一般には同年同月ダブリンに設立された本部組織「アイルランド共和国兄弟団:Irish Republican Brotherhood」を含めて言う。ともに実力行使によるアイルランド独立を目指した。アイルランド伝説のフィアナ(英雄フィン・マクール麾下の戦士団)にちなんで命名。スティーヴンはもちろんフィニア会員ではないが、ディージーケルトアイルランド人をその一味または支持者と見ている」(U-Δ注)。フィニア会の前身としてまずアイルランドの独立民主主義共和国化を目指して1858年に結成された秘密結社、アイルランド共和主義団(Irish Republican Brotherhood:IRB)があり、フィニア会はその支援組織としてニューヨークで結成された支援組織。主にアイルランドアメリカ人将校や、イギリスに移住したアイルランド人の支援を受けて、1850年代から1860年代にかけて活動した。武力闘争によるアイルランド独立を目指し、フィニア会指導部は「イギリスの危機はアイルランドの好機」をモットーとした。国際情勢を視野に入れ武装蜂起の機会をうかがったが、実際の蜂起はあまり成功していない。

 しかし、フィニア会の運動は同時代のナショナリズム及び分離主義言説の形成に重要な影響を与えた。1865年警察による事務所の家宅捜索により逮捕されたフィニア会指導者のメンバーの救出作戦が1867年に実行されたとき、警察官1名が殺害された(マンチェスタ事件)。これによって3人のフィニア会員が絞首刑に処されたが、警察官の殺害は謀殺でないと信じるカトリックの世論は死刑囚たちを「マンチェスタの殉教者たち」と呼んだ。彼らの「殉教」はバラッドに歌われ、司祭によってレクイエムやミサが行われた。マンチェスタ事件はフィニア会の運動に対するカトリック教会の態度を変化させ、カトリック高位聖職者の中に彼らに対して同情的な態度をとる者が現れた。こうしてカトリック司祭主導の大衆ナショナリズムの高揚がもたらされ、フィニア会の運動は愛国的表象の一つとなった。また、フィニア会員(フィニアンズ)という言葉はカトリックを奉じるアイルランド人に対する蔑称としても用いられてきた。

  ・「ジョン・ブラックウッド」→「実在の人物(1722-99)。まず、ブラックウッドは「連合法」の成立に強硬に反対した。次に、ダブリンへ出ようとして長靴をはいているとき発作のため急死。反対案を投ずるには至らなかった。ジョイス自身はこの事実を知っている」(U-Δ注)。私の調べたところでは、ジョン・ブラックウッドに関する情報について注以上の情報は特に見当たらなかった。

以上、アイルランドに関する歴史的な用語と史実を振り返ったうえで、本文への考察に戻ってみる。

・U-Y 61「英国皇太子アルバートエドワード」→1904の時点ですでに国王に即位しているのに、未だに彼の皇太子時代の写真(肖像?)を飾っているのはディージーの回顧主義によるものか。それともスコットランド生まれの皇太子に対する同胞の念からか。

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キルトを着たアルバートエドワード

・U-Y 61「オコンルの時代からの三世代」→オコネルの次はパーネルであることは確実と言っていいと思うが、その次は1904年当時のアイルランド国民党の党首(1900‐15)、ジョン・レドモンドだと考えられる。彼の指導下で国民党は第三次アイルランド自治法案と第一次世界大戦への対策に取り組んだ。また、このディージーの発言から察するに、彼は1820年代前後の生れ、60代くらいであることが推測される。

・U-Y 61「オレンジ党の者たちがこぞって連合撤廃を叫んで世を騒がしたのをご存知かな?」

 U-Δ 83「オレンジ会員らが連合の撤廃を叫んで騒乱を起こしたのを知ってるかな?」

 “Do you know that the orange lodges agitated for repeal of the union”

 →agitateは「扇動する、動揺させる、(政治)運動をする、(…を求めて)激論する」等の意味だが、forが後につくと「(政治)運動をする」の意味合いが強い。確かにオレンジ団は対立派閥との争乱や暴力的行為を行っているが、ここでは政治運動をして議論を呼び起こす、の意味のほうが強いのではないだろうか? オレンジ会員はプロテスタント系なので、スティーヴンへの当てつけとしてプロテスタントであるディージーが「騒乱」というような言葉を使った可能性は考えにくい。どちらの訳にしても、オレンジ団が迷惑な団体であるような印象があるが、これは日本人的な発想だろうか?(騒乱といっても、いわゆるデモ行為的なものであるかもしれない)そしてディージーは信念のためならオレンジ党のカトリック団体への暴力行為は無視するのか? そのような行為を容認するのか?

・U-Y 61「オコンルよりも二十年前、つまりきみらの宗派のお偉方があの人物を煽動家として糾弾するよりずっと昔のことだがね?」

 U-Δ 83「オコネルが撤廃運動をやって、きみらの教会のお偉方に煽動政治家呼ばわりされる、その二十年も前の話なんだよ」

 “twenty years before O’connell did or before the prelates of your communion denounced him as a demagogue?”

 →communionは同じ信仰・宗派の仲間、宗教団体などの意味。didは上述したagitate(for repeal)を指す。確かにオレンジ団によるリピールの主張のほうがオコネルやフィニア会よりも先だ。communionはフィニア会のことを指すと思われるが、フィニア会がオコネルを煽動家として糾弾したという具体的な記録は見つからない。もしかしたら、アメリカのフィニア会が1840年代初頭、リピール運動に対するオコネルの慎重な姿勢に不満を示すとともに疑問を抱き、後に青年アイルランド党を結成したことを指しているのかもしれない。しかし1870年代、フィニア会はパーネルと接触し、協力関係を構築、武力闘争による独立から土地問題解決を中心とした共和主義運動へと方針転換をしている。

・U-Y 61「四六年の飢饉」→言うまでもなくジャガイモ飢饉。詳細については人的被害や移民数の推移、ジャガイモの作付面積や収穫量の変化についての数的データに基づく被害の検証がほとんどだったので、文章に起こすのが難しく詳細は省くが、これは明らかに後手後手の連合王国政府の対策と、アイルランドの飢饉はアイルランドの責任、自由放任主義自由貿易を言い訳にしながらアイルランドを自国のユニオニズムと利権のため手放そうとしないイギリスの得意の「二枚舌」による人災だ。アイルランドの飢饉は、結局民間団体や他国の支援・援助によって救済されている(それをもってしても膨大な死者数が出てはいるが)。いくらこの飢饉を経験したとはいえ、イギリス派のディージーにこれを語る資格は本当にあるのだろうか?

・U-Y 61「フィニア会の諸君は色々忘れておるのだ」

 U-Δ 83「きみたちフィニア会の連中は何か忘れてやしませんか?」

 “You fenians forget some things”

 →U-Yではほぼ直訳だが、U-Δではやはり当てつけがましい印象がある。先に詳述したように、フィニア会という言葉でケルトアイルランド人のスティーヴンを馬鹿にしているのかもしれない。また、オレンジ会が早くからリピール運動に取り組めたのは、彼らがプロテスタントで、プロテスタント優位体制のもとでは動きやすかった、という理由もあるかもしれない。そしてフィニア会としてもリピール運動については全く関わっていないわけではないし、オレンジ会より遅いからと言って彼らより劣っているとは必ずしも言えない。すでに誰もがしてしているように、ディージーは歴史的事実を忘れ、あるいは自分の考えに都合のいいように改変していることが分かる。

・U-Y 61「いがぐり頭がばたばた倒れる」

 U-Δ 83「くたばれ、クロッピーども」

 “Croppies lie down”

 →すでに述べたようにこれはクロッピーに反対する者たちの流行り歌のようなものなのだが、歌の歌詞全体を見ると、「クロッピーが倒れる」「くたばれクロッピー」のどちらの意味でも使われているので、U-Yの訳もU-Δの訳も当てはまる。しかし、「いがぐり頭」という言葉は何となく丸坊主のような髪形を思い出させるのではないだろうか。いがぐり頭の意味を調べてみると、髪を短く、丸刈りのようにした頭、と出てくる。しかし丸刈りは坊主頭のことだ。いがぐり、というくらいだから、栗のいがのようにある程度の長さのある短髪のことを意味しているのは分かる。また、cropという言葉という言葉を調べると「刈り込み、いがぐり頭、鳥の餌袋、乗馬鞭、a short haircut」と出てくる。クロッピーに課せられた過酷な拷問、ピッチ・キャッピングのことを考えると、完全な坊主頭よりは髪に多少の長さのあったほうが拷問として効果があるように思える(そのほうが坊主頭よりも痛いと思う)。cropped hairで画像検索してみると、頭の横の部分は刈りあげて、上の部分は比較的髪を長くしているものが多い(当時のcropped hairとは違うのかもしれないが)。一方、いがぐり頭で画像検索してみると、坊主頭に近いものがいくつか出てくる。いがぐり頭、でもいいのかもしれないが、もし訳で遊ぶなら、「短髪軍団」とか「刈り込み野郎」(これは私の思いつきなので、たぶんもっと面白い言い方はあると思うが)とか、あまり坊主頭を想起させないような訳のほうがいいのではないかと思う。

・U-Y 61「スティーヴンはちらりとだけ反応をしてみせた」

 U-Δ 83「スティーヴンはちょいとした仕種を見せた」

 “Stephen sketched a brief gesture”

 →“sketch a gesture”は見慣れない言い方だと思った。sketchはスケッチする、描く、述べる、の意味。gestureはほぼ日本で使われるジェスチャーの意味と同じ。もしかしたら、このgestureの意味をmotionとしてとらえて、スティーヴンが前段までの歴史上の人々の「動き」を短い間「頭の中で描いた」、のではないかとも思ったが、そうなると“brief gesture”という言い方がふさわしくない感じがする。“sketch a gesture”で、数は少ないが他にも「身振りをする」という意味で読める英文は見つかったので、やはりこの二つの訳で正しいのだろう。この「ちらりとだけの反応」は、君たちはフィニア会員だと勝手に呼ばれ、スティーヴンがそれまでの歴史を自分でも回想した後の反応。反論する気も起こらないが同意する気もない、あなたの話はちゃんと聞きましたよ、という意味での仕草か。

・U-Y 61「われらは皆アイルランド人、王の息子なり」

 U-Δ 83「われわれはみんなアイルランド人なんだ。みんなが王の子たちですよ」

 “We are all Irish, all kings’sons”

 →「古代アイルランド諸王の子孫の意」(U-Δ注)。この言葉は中世からのアイルランドの言い習わし。古代アイルランドは多くの地域がそれぞれ独立した王によって支配され(「王」と呼ばれる人物は数百人もいたと言われている)、全ての人々がその支配階級の氏族に属する一員だった。ディージーはこの言葉を原義通り捉えるのではなく、彼が母方に反逆者の血が流れていると同時に、ブラックウッドの末裔であるという意味で、今の社会秩序(連合王国の一部になっている状態)が避けられないものであると同時に理想的なものである、ということをスティーヴンに納得させようとする意味で用いている、という説がある。「反逆者」(ケルトアイルランド人、またはカトリック信徒のことであろう)の血が流れているとはいえ、ブラックウッドの末裔を自称し、実際にスコットランドにルーツを持ち、今でも親イギリス派であるディージーが「古代アイルランドの諸王の息子」であるとは言い難い。「連合に一票を投じたサー・ジョン・ブラックウッド」はある意味アイルランドをイギリスに売ったのだ。スティーヴンとしては、自分たちと一緒にしてほしくないという気持ちを抱くだろう。ちなみにディージーのモデルはドーキーのクリフトン・スクールの経営者・校長であるフランシス・アーウィンであると言われている。彼はアルスターのスコットランド人で親英派だったと言われている。

・U-Y 61「情けないですがね」

 U-Δ 83「悲しいことに」

 “Alas”

 →Alasは「ああ!、悲しいかな!、残念なことに、あいにく、悲しみや後悔の念の表現」として用いられる。「情けない」という言葉は「無常である、嘆かわしい、みじめだ」という意味がある。どちらの訳でもそうだが、U-Yでは特に、古代アイルランドの諸王の息子である自分たちがイギリスに虐げられながら何もできない状況を「みじめだ」と嘆いている感じがする。U-Δの「悲しいことに」というのは、諸王の息子であることが悲しいのではなく、やはり上にあげたような状況で反逆できないのが悲しい、ということだろう。どちらかと言えば、U-Yのほうが伝わりやすいと思う。

・U-Y 61「まっすぐな道によりて」

 U-Δ 83「正シキ道ニヨリテ」

 “Per vias rectas

 →「ラテン語。ブラックウッド家の銘」(U-Δ注)。読書会で、直線的な歴史の見方と馬の走り方の類似性が指摘された部分。この辺のスティーヴンとディージーの会話は、かみ合っているようでかみ合っていない。というか、ディージーがスティーヴンの発言に対して答えるよりも、自説を論じ、納得させようとしているところがある。

・U-Y 61「トップブーツ」→「上を折り返した形の革長靴」(U-Δ注)。

・U-Y 61「ダウン州」→「アルスター地方南東部。アーズにはスコットランドの入植者が多く、連合派の勢力が強かった」(U-Δ注)。

・U-Y 62「ぱっぱか、ぽこぱか、/岩ごつ道をダブリンへ」

 U-Δ 84「ぶらり、ぶらぶら、/岩の小道をダブリンへ」

 “Lal the ral the ra / The rocky road to Dublin”

 →「作者不明のアイルランドのバラッドより。農民の息子がダブリンへ出てイギリスへ渡り、名を成す話らしい」(U-Δ注)。と、注にはあるが、バラッドの全文を見てみると特に名は成していない。貧しい農民の少年がコノートからダブリン、さらにリバプールを目指す。リバプールで馬鹿にされ、喧嘩に巻きこまれるが、ゴールウェイ出身の少年たちの助けでなんとかリバプール人たちから逃げ帰ることができた、という内容だった。もしかしたら幾つかバージョンがあるのかもしれない。ここでは、プロテスタントの貴族が馬に乗ってダブリンへ、という話をしているのに、貧しいカトリックの農民の少年がダブリンへ出ていくバラッドを思い出しているのが、スティーヴンのディージーへの秘かな反抗である、という説がある。確かにこのバラッドと次の段落では、ブラックウッドを馬鹿にしているような印象がある。ちなみに、馬のひづめの音に関しては“clop”“clip-clop”“clump”などの擬音語が用いられることが多く、“Lal”“ral”“ra”という言葉は調べても特別な意味が見つからなかった。U-YとU-Δでは独自にこの曲の雰囲気に当てはまる擬音語を考えたのではないかと思う。

・U-Y 62「そして窓に近い机に行き、椅子を二度引き寄せてから、タイプライターのロールにのった紙に打ちかけている言葉を読み返した」

 U-Δ 84「彼は窓のそばのデスクへ行き、二度ほど椅子を引き寄せ、タイプライターの円筒に巻いてある紙面の言葉のいくつかを確かめた」

 “He went to the desk near the window, pulled in his chair twice and read off some words from the sheet on the drum of his typewriter”

 →ここの文章で、なぜ「椅子を二度引いたのだろう」と疑問に思ったのだが、体を机により近づけるため、以外の答えが見つからない。それで原文を見ていたのだが、この文章ではもしかして特に意味のない「遊び」をしているのではないだろうか。分かりやすいように原文を下にもう一度書き出してみる。“He went to the desk near the window, pulled in his chair twice and read off some words from the sheet on the drum of his typewriter”と、この文の中にはtとwが数多く含まれており、twiceの前後には動詞と名詞が五つずつある。文章の中間にあるtwiceで、その前後にある部分のtとwを繋いでいるような状態になっている。だから何の意味があるのだ、と訊かれても分からない。ただこんな風にして「遊んで」いたのではないか、と思っただけだ。

・U-Y 62「肩ごしに言った」

 U-Δ 84「肩越しに振り返って言った」

 “said over his shoulder”

 →あまり作品内容とは関係ないのだが、この「肩ごしに振り返って言う」という表現は文芸翻訳界隈でだいぶ前から批判と議論がなされている表現だ。曰く、「振り返ったなら肩ごしなのは当たり前」だから。それに対して、「振り返った、と言っても体ごとくるりと相手のほうを向くのも「振り返る」のに入るのでは」との反論もある。要するに、「肩ごしに言う」と「振り返って言う」の表現の重なりが無駄で、不自然だと言うのだ。「肩ごしに」という言葉を調べてみると、「前にいる人の肩の上を越して物事をすること」と出てくる。誰かが背後から「肩ごしに」話しかけるときなんかはどうするのだろう? それは文脈で分かるだろう、と言われそうだが、最近の小説では特に、分からない場合だってあるかもしれない。「肩ごしに振り返って言う」という言葉がこれまでの翻訳でかなり頻繁に使われてきた、という背景はあるだろう。それに対する反発、と言えなくもない。私としては、「肩ごしに言う」でも「肩ごしに振り返って言う」でも、どちらでもいいと思う。シンプルな訳文にしたくて、文脈で振り返っていることが分かるならば「肩ごしに言う」だけにするかもしれないし、冗長さを出したり原文に忠実な訳文を作ろうとするなら、「肩ごしに振り返って言う」と訳するのではないかと思う。そして、この書斎中での窓、机、ディージーの椅子、テーブル、スティーヴンの腰かけているところの位置の関係があまりはっきりしていないのだが、この部分からはディージーが机に向かって腰かけている後方にスティーヴンがいることが分かる。

・U-Y 62「常識の然らしむる處」

 U-Δ 84「良心の命じるところ」

 “the dictates of common sense”

 →dictateは「(神、良心、理性などの)命令、要求(硬い言い回し)」との意味なので、硬さを出すにはU-Yの訳のほうがいいと思われる。

・U-Y 62「ときおりロールを巻き上げては打ち間違いを消しゴムでこすってふーっと息で払う」

 U-Δ 84-85「ときどき円筒を巻き上げ、間違いを消し、息で吹き払いながら」

 “sometimes blowing as he screwed up the drum to erase an error”

 →この部分、タイプライターの間違いは消しゴムで消すのか? と疑問に思った。19世紀末までに様々な種類のタイプライターが作られており、ディージーがどういう種類のタイプライターを使い(恐らく彼のことだから割と古い型のものではないかと想像するが)どういう種類の紙にタイプしているのかは分からないが、調べてみるとタイプライターの打ち間違いは一般的に研磨剤のようなものの入った、エボナイトなど硬質のゴムでできた消しゴムで消すか、丈夫な紙であれば、ナイフなどで文字を削って消していたらしい。修正液が登場するのは大分後年になってからである。タイプライターに紙をはさんだままナイフで文字をこすると、紙が破れる危険が多いだろうと想像すると、ここではやはり消しゴムを使っていた可能性が高い。となると、消しゴムでタイプライターの打ち間違いを消すなど想像できなかった読者としては、U-Yのほうが親切な訳ではある。

<U-Y 62-64 ~名馬・競馬・口蹄疫・ディージーの手紙・ミソジニー~>

・U-Y 62「額縁におさまって壁をぐるりと今は亡き名馬たちが恭順の姿勢で立ち、従順な鼻面を高くもたげている」

 U-Δ 85「まわりの壁には、いまは亡い名馬たちが額縁に収まって恭順の意を示している。おとなしい頭を高くもたげて」

 “Framed around the walls images of vanished horses stood in homage, their meek heads poised in air

 →U-Yでは“stood in homage”と“Poised in air”を、「恭順な姿勢」と「従順な鼻面」に反映させているのか。vanishという語が気になった。vanishは「消える、姿を消す」等の意味で、「亡くなる、死ぬ」といった意味は直接的には持っていない。どちらの訳も「今は亡き(いまは亡い)」として死んだ意味にとっているが、原語のニュアンスを反映させるならばこれは「今はいずことも知れぬ」というような訳になるのではないだろうか。もちろん額に飾られた馬たちはどれも数十年前に活躍しているので、すでに死んでいると考えるのは妥当なのだが(一般に馬の寿命はどのくらいなのだろう?)。このvanishについては後の文にも出てくるので、改めて考えたい。また、imagesを訳出していないのは、これが写真なのか肖像画なのか分からないからだろうか。馬たちが恭順の意を示しているのは、騎手ではなく馬の主人、オーナーである上流階級の人々に対してである。当時騎手の技量は競馬においてあまり重要視されていなかったらしい。

・U-Y 62「ヘイスティング卿のリパルス、ウェストミンスター公爵のショットオーバー、ボーフォート公爵のセイロン、一八六六年巴里賞」→「リパルスはイギリスのニューマーケット競馬場で一千ギニーを(一八六六)、ショットオーバーはダービーで二千ギニーを(一八八二)、セイロンはパリ郊外ロンシャンの競馬で「巴里賞」を(一八六六)それぞれ得た」(U-Δ注)。馬の主人である貴族たちの名前が列挙されていることから、ここでスティーヴンは結局5人の「皇太子」の前に畏まっているのだ、という指摘がある。

・U-Y 62-63「小妖精みたいな騎手がそれぞれにのっかり、合図を待ち構えている」

 U-Δ 85「小さな騎手たちが乗って、合図を待ちかまえている」

 “Elfin riders sat them, watchful of a sign

 →Elfinは小妖精の、小さい、という意味。騎手は大抵小柄であるが、ここではオーナーである貴族たちとの相対的な「小ささ」をも意味しているのだろうか。

・U-Y 63「各馬の速さを目に浮かべながら、国王の旗に賭け、今は亡き観衆の喚声といっしょになって叫んだ」

 U-Δ 85「彼は馬たちが疾走するのをみつめ、英国国旗に賭け、いまは亡い観衆の喚声にまじって叫んだ」

 “He saw their speeds, backing king’s colours, and shouted with the shouts of vanished crowds”

 →この「国王の旗に賭け」という意味が分からない。当時の競馬の様子を描いた絵を探してみたが、国旗が掲げられていたり、馬の装備具や旗手の身につけているものに国旗が描かれている様子はない。国王の旗に賭け、というのは英国産の馬に賭けるということだろうか? この部分は後に描かれる、クランリーと一緒に行った競馬ではなく、前に出てきた名馬たちの出走した競馬の状況をスティーヴンがイメージして、心の中で観衆と一緒になって叫んでいる場面だと思う。ならばこの競馬はイギリスかフランスで行われているはずだ。「賭ける」という言葉には、ギャンブルなどで金を賭ける、賭けを行って金品などを出す、という意味以外に、「失敗したときは、大切なものを全部失う覚悟で事に当たる」という意味があるので、イギリス国王に命を捧げる覚悟で競馬をしているのか、とも思ったが、backという単語が「支持する、(競走馬に)賭ける」という意味なので、原文ではやはりイギリスの馬に賭けているという意味になると思うのだが、当時のイギリスの競馬で(フランスは措いておくにせよ)イギリス産以外の馬が出走することはあったのだろうか? 普通はサラブレッド(英国原産の競走馬)しかちゃんとした競馬には出走しないのではないかと思うが、詳しくは分からない。

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19世紀のイギリスでの競馬を描いた絵画

そして、ここでまたvanishが出てくる。ここでもやはり、「今は亡き(いまは亡い)」という訳語があてられている。前に列挙されている名馬たちはいずれも1860年代から1880年代にかけて活躍した馬であるらしいので、馬が亡くなっている可能性が高いのは分かるが、その時代から1904年まで、つまり約40年~20年の間に、当時競馬を楽しんだ人たちが必ず死んでいるとは言えないのではないだろうか? なぜこの馬にせよ、観客にせよ、彼らの「死」を強調するのか? 書いていて思ったのだが、U-Y 62にあるディージーがタイプライターの打ち間違いを消す“erase”と、競馬での馬や観客の“vanish”には繋がるものがあるのではないだろうか。つまり、eraseではディージーが意図的に「消して」いる。競馬の馬や観客たちは「消えて」しまう。消すことと消えることは、「記憶」と「記録」の問題、ひいては歴史認識・歴史の検証の問題にもつながるのではないだろうか。その時代を生きた人たちの「記憶」と、写真や公的なデータなどで残された「記録」の間に生じる差異の問題には興味があるが、詳しく調べたことはないので、今は問題提起だけにしておきたい。

・U-Y 63「一番人気は元手返し、本命外は十倍返し」

 U-Δ 85「本命は一対一。その他の全出走馬は十対一」

 “Even money the favorite; Ten to one the field

 →「元手返し」という言葉を調べても意味が見つからなかったのだが、Even moneyは賭け金と賞金が同じ、という意味なので、元手しか返ってこない、ということだろう。となると、十倍返しでは元手が十倍になって返ってくることだと思う。しかし、オッズについて調べてみると、日本と海外(特にヨーロッパ)でオッズの表記法がちがうのだ。元手返しの部分については問題ない。日本の競馬のオッズでは、元金を含めた払戻金表示をする(だからオッズが1以下になることはない)のに対し、海外のオッズには元金が含まれていない。例えばここで「十対一」とあるが、これは10/1を指し、賭け金が十倍になるのだが、払戻金はオッズに含まれていないため、実際に貰える金額は賭け金(元金)の十倍+元金となり、日本で言えばオッズは11倍になってしまう。当時「クランリーと行った」競馬のオッズ表記も同様かどうかが分からないので、ここを「十倍返し」と訳していいのかについては何とも言えない。

・U-Y 63「フェアーレベル!」

 “Fair Rebel!”

 →「1902年6月4日、ダブリン南南東のレパーズタウン競馬場でカラハ賞杯を得た」(U-Δ注)。fair rebelは訳すと「汚れ無き反逆者」「有望な反逆者」などの意味になる。アイルランドっぽい名前だと思った。

・U-Y 63「ダイス賭博師やらシンブル賭博師やらのそばをすり抜けて、二人で蹄のあとを追い、競り合う帽子とジャケットを追いかけ、するとあの肉ぼて顔の女、肉屋のおかみさんみたいな女がいて、鷲摑みにしたオレンジにがつがつ鼻面をこすりつけていたっけ」

 U-Δ 85-86「ぼくらは蹄や競い合う騎手帽やジャケットを追って、さいころ賭博師やいかさま手品師のそばを駆け抜け、ぼってりした顔つきの女のそばを通り過ぎた。肉屋のかみさんだ。オレンジの一切れに鼻を突っ込んで、むさぼるようにしゃぶっていた」

 “Dicers and thimbleriggers we hurried by after the hoofs, the vying caps and jackets and past the meatfaced woman, a butcher’s dame, nuzzling thirstily her clove of orange”

 →この部分はクランリーとスティーヴンが勝ち馬を追いかけている部分では、という読書会での指摘があった。そう考えると確かに文脈に合っている。thimbleriggerは「シンブル賭博師」で、テレビなどで見たことがある人もたくさんいると思うが、三つくらいの伏せたカップの中の一つにシンブル(裁縫で使う指ぬき)を入れ、カップをシャッフルして、どのカップにシンブルが入っているかを当てさせる賭博。シンブルの代わりに貝を入れるshell gameというものもある(やり方は同じ)。いかさまの多い賭博として有名らしい。U-Yではそのままシンブル賭博師、としているが、U-Δではいかさま手品師、としている。競馬場でのことだから、賭博師のほうがふさわしいのかもしれないが、競馬場内での余興というか、出し物のようなものとしてそういった手品をする人たちもいたかもしれないので、U-Δでも完全な間違いとは言えない気がする。しかし手品というものはそもそもトリック(いかさま)があるものなので、「いかさま手品」という言葉はあまりいい訳ではないのではないかとも思う。もしいかさまに見えないような手品を見せられて、「あんなのはいかさまだ!」と観客が言うような状況であるならばともかく。

 問題はmeatfaced womanからの部分だ。meatfacedはもちろんmeatとfacedをくっつけたジョイスの造語だが、meetに肉々しいとかぼってりした、という形容詞の意味はない。形容詞語化した言葉はmeatyだ。このmeatfacedはOEDにこの部分が用例として載っていて、ここのmeatは「肉に似た、肉のような」としてmeatyとほぼ同義とされている。だからU-YもU-Δもふさわしい訳と言えるだろう。読書会では、「鷲摑みにした…」以降の部分が馬のことではないか、との指摘があった。確かにnuzzleは鼻をすりつける、特に動物や、人間ならば恋人同士の愛情表現として鼻をこすりつける仕草のことだ。そして“a clove of”は「ゆり根やニンニクの球根部分を裂いて割った一かけ」のことだが、球根部分(bulb)には球形のものという意味もあるので、そこまでゆり根やニンニクにこだわる必要はなく、単にオレンジを割いた一かけ、と考えていいだろう。U-Yだと「鷲摑みにしたオレンジ」になっているが、この訳からイメージされるように、オレンジ一玉にまるごとかぶりついているわけではない。オレンジを割った中の実の部分に「鼻をこすりつけて」いるのだ。U-Δではそのように訳しているが、人間ならば割ったオレンジに鼻をこすりつけるだろうか? 割り方にもよるかもしれない。半分に割っただけなら、かぶりつくときには鼻がオレンジにつくだろう。でもここでは「一かけ」であるのが引っ掛かる。そしてもしこれが馬の描写なら、その前にある「あの肉ぼて顔の女、肉屋のおかみさん」がこの馬とどういう関係にあるのか。原文では“past the meatfaced woman, a butcher’s dame”とあるので、スティーヴンたちが肉ぼて顔の女を通り過ぎたことは確かだ。この「肉ぼて顔の女」と「肉屋のおかみさんみたいな女」は、肉という繋がりはあるけれど、同一人物としてとらえていいのだろうか。U-Δでは同じであるような印象を受ける。そしてその肉屋のおかみさんの後に、コンマがきてnuzzlingとあるので、恐らくオレンジに鼻をこすりつけているのは肉屋のおかみさんだ。もし最後の部分が馬であるとすると、「肉屋のおかみさん」は馬の比喩的な表現になる。さらに、その前の「肉ぼて顔の女」も馬を形容した比喩的表現である可能性がある。そして、もしスティーヴンとクランリーが勝ち馬を追いかけていたなら、この最後の部分の馬と思われる「オレンジに鼻をこすりつけているもの」は競馬の最中なのになぜオレンジを食べているのか? これは競馬が終わった後の馬の描写なのだろうか? 追いかけていた勝ち馬はどうなったのか? これが馬でないとしたら、単に肉屋のおかみさんが、ジョイスのよくやる「ものの擬人化的表現」の逆バージョンとして「ヒトの行動の動物的な表現」を当てはめただけで、オレンジを食べていただけ、ということになる。この「人か馬か」問題については何とも言えない。

・U-Y 63「まただな。ゴールだ。おれもあの仲間、入り乱れて戦う肉体の仲間だ。人生という馬上槍合戦」

 U-Δ 86「もう一度。ゴール。ぼくもみんなの一人だ。入り乱れてぶつかり合う肉体の一つ。人生の馬上槍試合で」

 “Again: a goal. I am among them, among their battling bodies in a medley, the joust of life”

 →本来なら“joust”は「一騎討ち(馬上槍試合(tournament)の中の一競技)」のことなのだが、英和辞書には馬上槍試合、と出ている。英英辞書の中では一騎討ちのことを指すものもある。ここではホッケーの試合のことを人生のjoustに喩えているので、恐らく団体戦としての馬上槍試合の意味でいいのだろう。

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中世の馬上槍試合

・U-Y 63「まさかあの母親っ子の内股歩き、あのちょいと餌袋病みらしい耶蘇末のやつか? 馬上槍合戦」

 U-Δ 86「あの少し腹痛気味みたいな内股のお母さんっこが? 馬上槍試合」

 “You mean that knockkneed mother’s darling who seems to be slightly crawsick? Jousts”

 →「腹痛気味(餌袋病み):P, W, ジョイスによれば二日酔いを意味する語。しかしこの文脈には合わないようだ。crawは滑稽めかして「腹」を言う」(U-Δ注)。餌袋は「①鷹狩りの際に持っていく、鷹のエサや獲物を収める容器。弁当を入れることもあった。②魚・鳥の胃袋。また、人の胃袋を卑しめて言った語」のこと。ここでは明らかにシリル・サージャントのことを言っているが、これまでにシリルが内股だとか腹痛気味だとかいう描写は出てこない。敢えて書かなかっただけだろうとは思うが。また、原文にはないのにU-Yで用いられている「耶蘇末」という言葉は、スティーヴンに浴びせられたマリガンのふざけた呼びかけを想起させ、改めてシリルとスティーヴンの重なりを強調しているように思われる。「まさかあの子が?」という問いかけは、まさかゴールを決めたのがシリルなのか? という意味だとは思うが、この段落で「馬上槍合戦」という言葉は三度も出てくる。そしてその最初の一つの後に、「まさかあの……耶蘇末のやつか?」という問いが発せられていることから、まさか「耶蘇末な」あの子もこの人生の「馬上槍合戦」に参加しているのか? という、スティーヴンの驚きと残酷さの認識をも表しているのではないだろうか?

・U-Y 63「時が衝撃を食らい、衝撃のたびに跳ね返る」

 U-Δ 86「時間がぶつかって跳ね返る。ぶつかるたびに」

 “Time shocked rebounds, shock by shock”

 →短いだけに難解な原文だが、shockedが「衝撃を与えられた」でTimeを形容し、byは「(程度)(…)ずつ、毎に e.g. one by one」の意味で、コンマ以下が副詞的にreboundsを形容しているのだろう。この部分は後の「悪夢がおまえを蹴り返してきたら」にも繋がるのだろうか。

・U-Y 63「戦闘のぬかるみと喧騒、屠られた者たちの凍てついた血反吐、人の血まみれのはらわたを饗応された槍先たちの叫び」

 U-Δ 86「戦場の泥濘と怒号。刺し殺された者の血へどがこごりつく。血まみれの内臓を穂先に引っかけた槍の雄叫び」

 “slush and uproar of battles, the frozen deathspew of the slain, a shout of spearspikes baited with men’s bloodied guts”

 →spewは「吐いたもの、吐く」の意。slainは殺害された人々の意。spearspikesはspearとspikeをジョイス風に結合したもので、spikeは「金属や木、硬い物質の薄くて尖った先端、鋭い先端のある長い金属」を指す。baitには「(槍先やわなに)えさをつける、(特に移動中に)動物にエサをやる、旅の間に食事をとるため止まる」等の意味がある。また、饗応という言葉は酒や食事で人をもてなすことである。以上の言葉の意味から、deathspewは死に際の反吐→血反吐と訳して問題ないだろう。U-Δで「刺し殺された者」と敢えて訳しているのは、「槍試合」だからか。U-Δではspearspikesのspearとspikesを分けて、spikesを槍の穂先としている。baitと「饗応」、「穂先に引っかけた」なのだが、U-Yでは人の血まみれのはらわたによって槍を「(食事で)もてなした」というイメージなのだろうか? ここで「槍」は訳中で擬人化され、原文では「人間に利用される動物」を喚起させる語をあてられている。また、U-Δのように「穂先にひっかけられた」エサは、その槍にとってのエサでもあると同時に、エサを引っかけることでその槍はおとりにもなり、そのエサが他の敵を呼ぶ、ということが連想される。いくら血にまみれた内臓を、手柄をたてた槍にエサとして与えても、道具としての槍に与えられたエサはただの褒美ではない。それは終わりの見えない戦いの中で敵をおびき寄せることになり、槍を持つ者は再び相手のはらわたを手にするか、もしくは自らが相手の「槍へのエサ」になるという状況をも示唆しているように考えられる。

・U-Y 63「原稿をピンで綴じながら」

 “pinning together his sheets”

 →現代では紙を綴じるのにホッチキスやクリップが使われるが、「ピンで綴じる」とはどういうことだろう? と思った。まさか裁縫用の針や安全ピンのようなものでは留めないだろう。ホッチキスは19世紀末に既に発明されていたが、留める機械が大きすぎるので、普通の人が日常の文房具として使うにはふさわしくないのではないかと思うし、これだけ存在感のあるものを使ったらジョイスはそれを使って何かしら作品内に取り入れるのではないかと思った。クリップも同時期に発明はされていたが、クリップで留めるならば“pinning”とは言わないのではないかと思う。色々調べたが、ここで使われているのは“brass fastener (split pin)”というものではないだろうか。画鋲のような形ではあるが、針の部分は多少平たくなっていて、二股に分れているので、紙に刺した後でその二股の部分を広げることで紙を綴じることができる。最初に穴を開けておいてからピンを刺すらしいが、紙の枚数が少なければ、そのピンの先端で穴を開けて紙を綴じることも可能らしい。

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ブラス・ファスナー

・U-Y 63「ごく簡潔にしたためておいたが」

 U-Δ 86「論旨は簡潔しごく」

 “I have put the matter into a nutshell”

 →“into a nutshell”で「簡潔に言う」の意。『ハムレット』のなかに、「たとえ私がクルミの殻に閉じこめられていようとも、無限の天地を領する王者のつもりになれる男だ、悪い夢さえ見なければ」という台詞があり、その前の場面でポローニアスが自分の発見について王と王妃にくどくどと説明する部分がある。このことから、ディージーハムレット(=スティーヴン)が気違いだと発見する老相談役であるポローニアスのある意味「生まれ変わり」である、とする意見があるが、多少こじつけのようにも思える。しかし、nutshell(クルミの殻)もまた、「虚ろなもの」の一つと言える。その「クルミの殻」の中にディージーの長ったらしい手紙の内容がぎっしりと詰め込まれている、という点は面白い。

・U-Y 63「口蹄疫

 “Foot and mouth disease:FMD”

 →「ウシ、スイギュウ、ブタ、ヒツジ、ヤギ、ラクダ、トナカイなど、哺乳類偶蹄目に属する動物だけがかかるウィルス性伝染病。口や蹄部の皮膚、粘膜に水疱を形成し、急速に広がる。ディージーの手紙は史実と異なる。1904年にはアイルランドでは口蹄疫は発生していない。ただし、当時のダブリンではまだ牧畜が盛んだったから、ディージーが新聞に投書するのは奇妙ではない」(U-Δ注)。1904年にまだアイルランド口蹄疫の発生が確認されていないのは確かだが、1912年に発生し、その5年後、この挿話を書いていたジョイスは当時起きていなかった問題を作品中で扱うことについて熟慮した末に、口蹄疫の問題をテーマとして含めることに決めたらしいので、「ディージーの思い違いの一例」というよりはジョイスによる意図的な題材選択の問題であるように思える。口蹄疫が最初にアイルランドで確認されたのは1839年、同年にイギリスでも発生していることから、イギリス経由で伝わって来たものと考えられている。しかしこの病気が確認された牛の農家は、後にその事実を否定した。次に再発したのが1869年、数州にまたがる発生が観測された。その次が1871年で、この年の感染は1877年まで続く。次いで1883年、1912年と続き、1912年の感染はリバプールに持ち込まれたアイルランド牛から確認された。この年の発症も7州にわたり、数か月にわたって続いた。その後も21世紀にいたるまで、断続的に数回発病が記録されている。

・U-Y 63「この問題に関しては意見が二つとないはずだ」

 U-Δ 86「この問題については、もうほかに言いようがないでしょう」

 “There can be no two opinions on the matter”

 →読書会中で、歴史は一つの方向に、直線的に向かっているというディージー歴史観を反映しているとする指摘のあった部分。

・U-Y 63「自由放任主義

 “laissez faire

 →フランス語で「なすに任せる」の意。主に経済学で用いられ、その場合「政府が企業や個人の経済活動に干渉せず市場のはたらきに任せること」を指す。この語を最初に用いたのはフランスの重農主義者。重商主義に反対する立場からの「スローガン」として用いられた。これを古典派経済学(古典学派)の祖であるイギリス(スコットランド)のアダム・スミスが主著『諸国民の富』(1776)で体系化。その著書においてスミスは「自由競争において見えざる手が働き、最大の繁栄がもたらされる」と主張したのは有名。上記の「重農主義(physiocracy)」は18世紀後半のフランスで、富の唯一の源泉は農業であるのと立場から、農業生産を重視する理論。また、「重商主義(mercantilism)」は、貿易などを通じて貴金属や貨幣を蓄積することにより、国富を増すことを目指す経済思想、政策の総称。「富とは金(や銀、貨幣)であり、国力の増大とはそれらの蓄積である」という認識である。

 アダム・スミス(Adam Smith、1723-1790)はスコットランドの哲学者、倫理学者、経済学者。人間性を罪悪視する前近代の道徳に対し、スミスは利己心を肯定する。利益や幸福を求める自然な感情こそ人間活動の基盤であり、利他心は装飾物であるとする。スミスの哲学は功利的な個人主義の人間観から出発する。スミスによると、人間は自己の責任で営利を追求するホモ—エコノミクス(homo-economics、経済的動物)であり、経済の主体である。利己心が経済活動を促進し、人為的な統制を加えなくてもおのずから秩序を形成する。利己心と共感とが矛盾なく両立するという予定調和の思想は、資本主義興隆期の市民階級の楽観主義を反映している。彼はさらに、国民の富の源泉は、土地や貿易ではなく労働にある(労働価値説)と主張する。労働生産力の発展が社会を発展させる。従って政府は利潤を求める個人の営利行為を自由に促進させるべきであるとする。一方、生産者が製造工程を分割して共同の作業を進めれば、労働の効率は著しく向上すると説いた。スミスは、自由競争の市場では、価格を目安に需要と供給とを自動的に調整するメカニズム(市場価格の自動調節機構)が働く、とも述べている。利己心はその「見えざる手(invisible hand)」(=神の理法)、すなわち市場原理に導かれて自然に秩序を形成する。「社会一般の利益を増進しようと意図しているわけではないし、自分の利益をどれだけ増進しているのかも知らない……見えざる手に導かれて……、自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に、社会の利益を増進することもしばしばある」(『国富論』)。

 この「見えざる手」は、元々はキリスト教の終末思想に由来し、「人類最後の最終戦争には、信徒は神の見えざる手により救済され、天国へ行くことができる」などの教えからきており、これを経済論に比喩として用いたものである。彼の「夜警国家観」では、自由な市場は利己心が公共の利益に通じる道であり、人為的な政策はかえって社会的調和を妨げるものである。政府は自由競争を守るために働く「夜警」であり、経済への介入は少ないほどいいとする。スミスは貿易の国家統制を説く重商主義に反対し、重農主義自然法理論を発展させて、経済を自然的自由laissez faireの体制にゆだねる自由放任主義を唱えた。産業資本の立場を代弁した『国富論(諸国民の富の本質及び原因に関する研究)』は、マルサス(Malthus、1766-1834)、リカード(Ricardo、1772-1823)らと共に経済学における古典学派を形成し、古典派経済学は今日の経済学の基礎理論となっている。

・U-Y 63-64「貴重なる紙面を拝借し。思うに自由放任主義がわが国の歴史にしばしば。わが国の家畜貿易。わが国旧来のすべての産業政策は。ゴールウェイ港湾計画に対し画策を働いたリヴァプール業者連。ヨーロッパの大火。海峡の狭い水路による穀物供給。農務省の完璧無欠の固陋」

 U-Δ 86-87「御社の貴重な紙面をお借りしたく。かの«自由経済主義»はわが国の歴史にまことにしばしば。われわれの家畜貿易は。わが旧来の諸産業のすべてがたどる道。ゴールウェイ築港計画を邪魔だてしたリヴァプールの同業者一味。ヨーロッパに大戦火が起れば。狭い海峡水路から穀物を供給するのは。完璧きわまる農林省の沈着ぶり」

 “May I trespass on your valuable space. That doctrine of laissez faire which so often in our history. Our cattle trade. The way of all our old industries. Liverpool ring which jockeyed the Galway harbour scheme. European conflagration. Grain supplies through the narrow waters of the channel. The pluterperfect imperturbability of the department of agriculture”

 →ゴールウェイ港湾計画は、ゴールウェイとハリファックス(カナダ)間を結ぶ汽船航路を持つ大西洋横断の可能な港、「ゴールウェイ港湾」をつくるという1850-60年代の計画のことを指すらしいが、この計画についての具体的な資料は見つからなかった。リヴァプール業者連(ringは組織、一味、等の意味)は自らの運送業における利益を守るため、この計画を妨害したと伝えられているが、そのような事実はなかったことが確認されている。この計画が座礁したのは後援者・支持者(プロモーター)たちの海事における無能力が原因だとの指摘がある。ヨーロッパの大火はU-Δの方がよく分かると思うが、第一次世界大戦のこと。これが起こると、アイルランドイングランドスコットランドから分断され、海峡の狭い水路による穀物供給のための輸送が中断・崩壊されうる、とディージーは予見していることになる。口蹄疫の部分でも書いたが、この挿話が書かれたのが第一次世界大戦のきっかけとなる火花が大分散らばり始めた頃なので、実際に1904年にジョイスがこのようなことを予見していたわけではないのだろう。

 また、imperturbabilityは「容易に動じないこと」の意で、「固陋」は「古い習慣や考えに固執して、新しいものを好まないこと、またそのさま」という意味。「危機が迫っているのに先手を打たず全く動こうとしない」農林省を形容するのに、固陋と沈着とどちらがいいのだろう、と考えたが、沈着、というといい意味で落ち着きのあるさまをイメージする。かと言って、固陋の意味するように、農林省が「古い習慣や考えに固執」していた、というのもあまりピンとこない。これはどちらがいいとも言えないし、自分でもいい訳が思い浮かばない。ところで、このディージーの手紙の内容の書かれ方なのだが、私はスティーヴンがディージーの手紙の主要な部分を流し読みしているような記述方法なのだと思った。が、回りくどく、長ったらしく、要点を得ない手紙(耳が痛い…)を読むのにスティーヴンが難儀している様子を描いたのだ、という説もある。ディージーの手紙に記された過去から未来に至る話が、「自由放任主義がわが国の歴史にしばしば」という言葉と何の関係があるのか、決して確かではないが、ディージーは、予想可能な問題が経済に大混乱をきたすのを受け身の姿勢で待つのではなく、先手を打って「自由放任主義」とは正反対の「干渉主義的な」政策を農務省にとるよう強く訴えているのではないか、という指摘がある。

・U-Y 64「カッサンドラ」

 U-Δ 87「女預言師カッサンドラ」

“Cassandra”

 →「トロイアの王女。正しい預言を聞いてもらえない」(U-Δ注)。カッサンドラはアポロンに愛され、アポロンの恋人になる代わりに預言能力を授かったが、その力をもらった途端、アポロンに捨てられる自分の未来が見えてしまったため、アポロンの愛を拒絶する。怒ったアポロンは「カッサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかける。カッサンドラはパリスがヘレネをさらったときも、トロイの木馬がイリオス市内に運ばれてきたときも、これは破滅に繋がると予言したが、誰も信じない。イリオスは陥落し、カッサンドラは小アイアースにアテネの神殿で凌辱され、トロイア戦争ギリシア軍総大将アガメムノンの戦利品としてミュケーナイに連れていかれ、アガメムノンの妻クリュタイムネストラの妻によってアガメムノンと共に殺される。現代でも「カッサンドラ」という言葉は「不吉・破滅」の意味で使われる。

・U-Y 64「ふしだら女」

 “a woman who was no better than she should be”

 →「ギリシアの将軍メネラオスの妻ヘレネトロイアの王子パリスに連れ去られ、トロイア戦争の原因をつくった」(U-Δ注)。ヘロドトスの『歴史』では、ヘレネはパリスに誘拐されたとあるが、神話ではヘレネは「地上で最も美しい絶世の美女。結婚の際に求婚者がギリシア中から集まり、義父テュンダレオースは、ヘレネが彼らの中の誰を選んでも他の男たちに恨まれないよう、「誰が選ばれても、その男が困難に陥った場合は全員がその男を助ける」という約束をさせ、結局ヘレネはメネラオスと結婚する。ヘレネは後にイリオス(トルコ北西部)の王子パリスの訪問をうける。パリスは美の審判の際、アプロディテーからヘレネを妻にするようそそのかされていた。ヘレネはパリスに魅了され、夫も娘も捨ててパリスと共にイリオスまでついていく。メネラオスとその兄アガメムノンらは、ヘレネを取り返すべく求婚者仲間を呼び寄せ、イリオスに攻め寄せる。これがトロイア戦争となる。イリオスではヘレネを返してギリシア勢に引き上げてもらおうという提案がされるが、パリスの反論により却下される。パリスの死後はパリスの弟のヘレノスとデーイポボスがヘレネを巡って争い、ヘレネはデーイポボスの妻となる。市外へ逃れたヘレノスは、オデュッセウスに捕まって説得され、ギリシア勢に味方することとなる。ヘレノスは予言能力によりイリオス陥落に必要な条件を教え、その滅亡を助ける。トロイの木馬で、木馬の中にいたメネラオスはデーイポボスを殺し、ヘレネも殺そうとするが、愛情が残っていたためそれができず、結局ヘレネはメネラオスと共にスパルタへ帰る」とされている。

 この神話中に出てくるパリスの審判は以下に述べるが、有名な話だ。「テティス(海の女神)とペーレウス(アキレスの父、英雄)の結婚を祝う宴席にはすべての神々が招かれたが、不和の女神エリスだけは招かれなかった。エリスは怒り、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金の林檎を投げ入れる。この林檎について、ヘーラー、アテーナー、アプロディテーが各々それを手にする権利を主張する。ゼウスは仲裁のため、「イリオスの王プリアモスの息子で、羊飼いのパリスに判定させる」と決める。女神たちは様々な賄賂でパリスを買収しようとする。ヘーラーは「アシアの君主の座」、アテーナーは「戦いにおける勝利」、アプロディテーは「最も美しい女」を与えると申し出、結局アプロディテーが勝つことになる。パリスは「最も美しい女」であるスパルタ王メネラオスの妻ヘレネを手に入れ、これがトロイア戦争のきっかけとなる。パリスを憎んだヘーラーとアテーナーギリシャ側に加担した」というもの。

・U-Y 64「口蹄疫。コッホの予防法として周知の。血清と病毒。免疫となった馬の百分率。牛疫。低地オーストリア、ミュルツシュテークの御料馬。獣医ら。ヘンリー・ブラックウッド・プライス氏。存分なる試用をという鄭重なる申し出。常識の然らしむる處。至要なる問題。あらゆる意味において角を矯めて牛を殺すことのなきよう断乎。ご掲載の好意を感謝し」

 U-Δ 87「口蹄疫。コッホ予防法として知られ。血清と痘苗。予防接種をした馬の比率。牛疫。ニーダーエスターライヒ州ミュルツシュテークの皇帝御料馬は。獣医たち。ミスタ・ヘンリー・ブラックウッド・プライス。公正な試用を乞うとの鄭重な申し出があり。良識の命じるところ。まことに重要な問題。文字どおり牡牛の角を引っ捕え。貴欄掲載の御好意に感謝して」

 “Foot and mouth disease. Known as Koch’s preparation. Serum and virus. Percentage of salted horses. Rinderpest. Emperor’s horses at Mürtzsteg, lower Austria. Veterinary surgeons. Mr Henry Blackwood Price. Courteous offer a fair trial. Dictates of common sense. Allimportant question. In every sense of the word take the bull by the horns. Thanking you for the hospitality of your columns”

 →コッホはロベルト・コッホ(Robert Koch、1843-1910)。ドイツの医師、細菌学者。ルイ・パスツールと共に「近代細菌学の開祖」とされる。炭疽菌結核菌、コレラ菌の発見者。細菌培養法の基礎を確立した。感染症研究の開祖でもある。20世紀初頭に口蹄疫予防のため「コッホの予防法」と同じ技術を用いたことがあるが、ほとんど効果は見られなかった。血清は血液が固まる時に分離する黄色・透明の液体で、免疫抗体を含む。痘苗は天然痘の予防接種に用いられる、弱毒化したウィルスの液。種痘の摂取材料。“serum and virus”は免疫性を与えられた馬から取られた血清を、破傷風のような感染症の病気に罹患した患者に注射することで予防と治療を目指すという、1890年代に発見した方法を指すとの指摘がある。このような、抗体や抗毒素による治療は徐々にウィルス性の病気(口蹄疫もウィルス性だ)の領域にまで拡大していたが、効果に大きな進展を見るのは1940年代以降になってからであった。この説が正しいとすると、U-Yの「病毒」という訳よりはU-Δの「痘苗」という訳のほうが的確であると考えられる。

「免疫となった馬の百分率」は生理食塩水に浸した生体物質(馬の生体物質を生理食塩水に浸す(=“saldted horses”)ことで免疫物質を抽出しようとしたのだろう)を、肺結核に対する予防接種として馬に注射する試みに言及しているという説がある。しかしこの肺結核の治療は当初の期待に応えなかった。牛疫は牛の急性ウィルス感染症。4000年前から存在し、口蹄疫とは全く別の病気。肺結核と同様、当時治療は不可能であった。U-Δの「ニーダーエスターライヒ」を英語に訳すと低地オーストリアになる。オーストリア北東部の地名。ミュルツシュテークには皇帝の狩猟場と馬屋があった(U-Δ注より)。しかしオーストリアの国家統計局の記録に照会すると、1895-1914年の間にこれらの馬たちが獣医の調査対象になったという証拠はない。また、獣医ら、とあるが、世紀の変わり目において獣医学はまだ比較的医学において新しい分野だった。

 ヘンリー・ブラックウッド・プライス氏は実在の人物で、ジョイスの知人。“fair trial”は普通公正な裁判の意味で用いられるが、恐らくヘンリー・ブラックウッド・プライス氏が自分の治療法、または予防法を試してみては、という申し出があったのだろう。そうなるとtrialはここでは「試み、試験」の意味になるので、fairは公正な、というより「徹底的な、全くの」の意味であると思われる。ここではU-Yの訳のほうが適切であると考えられる。「あらゆる意味において角を矯めて牛を殺す(文字どおり牡牛の角を引っ捕え)」だが、「角を矯めて牛を殺す」は「(牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとして、かえって牛を死なせてしまうことから)小さな欠点を直そうとして、かえって全体を駄目にしてしまうこと」の意味。“take the bull by horns”は勇敢に難局に当たる(U-Δ注では「「自ら国難に立ち向かう」の意味に使う慣用句であり、ここでは牛の疫病予防の話だから、「文字通り」(In every sense of the word)となる、とある」)という意味なので、このU-Yの訳は原文と少し意味が離れているのではないだろうか。ここではU-Δのほうがニュアンスはまだ近いように思われる。

・U-Y 64「それにこれは治療できる。現に治っている」

 U-Δ 87「それに、これは治せる。現に治っている」

 “And it can be cured. It is cured”

 →前述の通り口蹄疫については当時有効なワクチンはまだできておらず、薬やワクチンによる治療や予防は不可能だった。

・U-Y 64「人差指を突き立てて年寄っぽく空を打ってから声がつづく」

 U-Δ 88「彼は人差指を立てると、言葉が出てこないのをもどかしがるように振りつづけた」

 “He raised his forefinger and beat the air oldly before his voice speak”

 →“beat the air”は「空を打つ(鳥などが羽ばたく際にも使われる)、むだ骨を折る」の意で、聖書のコリント人への手紙一に由来するらしい。“Therefore I do not run like someone running like aimlessly; I do not fight like a boxer beating the air”(だからわたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません)(コリント人への手紙一 9:26)コリント人への手紙一は使徒パウロからコリントの教会の共同体へ送られたもの。「信仰によって一致せよ」ということを主に説いている。該当部分では、福音に与るため節制せよという忠告を競技になぞらえ、競技をする人は無駄なことをしない、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしない、と言っている。話をする前に人差指を振る仕草はoldlyなものなのだろうか? と思った。言葉が出てこなくて、それを思い出そうとして人差指を振るなら老人風かもしれないが、何かを教え諭そうとする前の仕草なら、老人でなくてもすることはあるのでは、と感じた。しかし原文にoldlyと書いてあるので、それは老人らしい仕草でU-Δに補足するように書かれている訳が正しいのだろう。ただ、厳密に考えると、ディージーは「指を打ってから言葉を話し始める」ので、話し始めたあとも指を振りつづけていたのではない。そこはU-Yの表現のほうが的確で、二つを合わせると、「年寄っぽく、言葉が出てこないのをもどかしがるように人差指を何度か振ると、やっと話し始めた」などの訳がいいのかもしれない。

<U-Y 64-69 ~陰謀論・ブレイク・ユダヤ人・悪夢・新聞・ディージーの謎なぞ~>

・U-Y 64「それにあの輩は国家の衰亡の徴候ですぞ」

 U-Δ 88「これは国家衰亡の兆しですよ」

 “And they are the signs of a nation’s decay”

 →「ユダヤ人嫌い」は中世キリスト教ヨーロッパ世界にまで遡るが、19世紀後半には悪意を持ったイデオロギー的形態をもってそれが表面化した。この19世紀後半のユダヤ人嫌悪はドイツに始まり、フランス、ロシア、オーストリア=ハンガリー帝国へと広がっていく、と言われている。「反ユダヤ主義」(anti-Semite)という言葉がつくられたのは、1879年のジャーナリストWilhelm Marr(ヴィルヘルム・マー)による。フランスでは1894~1906年のドレフュス裁判事件で世論は二分された。この「反ユダヤ主義」のテーマは作品の中でこの後も頻出する。アイルランドにも当時は既にこの「ユダヤ人嫌い」が独自の形で入りこんできていた、との説がある。ディージーはこの反ユダヤ主義的発言をしている場面で、「英国」のことしか口にしていない。アイルランドは結局「連合王国」の一部だから、英国の問題を話すことはアイルランドにもつながる、という考えだろうか。

・U-Y 65「そういって小足に二、三歩、歩き出す。幅広の日差しに入ると両の目が青い生気に色づいた。もう一度、くるりと向き直る」

 U-Δ 88「彼がつとその場を離れて明るい日の光のなかにはいると、目の青さが生き生きとよみがえった。彼は横を向いてから、また顔をもとに戻した」

 “He stepped swiftly off, his eyes coming to blue life as they passed a broad sunbeam. He faced about and back again”

 →「後出のユダヤ人に対比するために、光と目の青とを強調して。前段の真紺(ゆるがぬ青)にも結びつくか」(U-Δ注)。「小足に」は小刻みで歩くこと。「つと」は「①そのまま。ずっと。じっと。②急に、さっと」の意。原文はswiftlyなので、U-Δのほうが適切かと思われる。この部分では、ディージーがどこを向いているかで二つの訳は分かれている。U-Y 63でディージーは原稿を手にテーブルの方へやってきて、スティーヴンは立ち上がる。その後スティーヴンが原稿を読み、ディージーは自分の意見を世論に訴えたい、英国はユダヤ人の手に握られている、と話しかけている。この時点では、ディージーはスティーヴンのほうを向いて話していると思う。「そう言って小足に二、三歩歩き出す」のだから、ディージーはスティーヴンから離れていく。離れていく以上、どちらへ行くにしても彼はスティーヴンに背中を向けていることになる。歩いていく中で、日差しの中にディージーの姿は入る。そして“He faced about and back again”となるのだ。“face about”は「回れ右をする、向き直る、方向転換する」の意味がある。U-Yでは“face about”と“back”をひと固まりとしてとらえ、スティーヴンに背を向けていたディージーが、先程話をしていたときと同じように、完全にスティーヴンのほうへ再び「向き直る」という解釈を取っているように思える。一方、U-Δでは“face about”と“back”を完全に分け、“face about”を“turn about”の意でとり、顔だけ振り向いて一瞬スティーヴンのほうを見てから、再び元へ戻した(=前を向いた)という意味にとっている。どちらが正しいのかはまだ判断できないが、この訳の差異は後にもつながってくる。

・U-Y 65「娼婦の叫びは街から街へ/古き英国の網衣を織らん」

 U-Δ 88「通りから通りへと伝わる娼婦の叫びが/古いイギリスの死衣を織り上げよう」

 “The harlot’s cry from street to street / Shall wave old England’s windingsheet”

 →ブレイクの有名な詩『無垢の予兆』の中の一節。その前にあるディージーの「古き英国は死にかけておる」という言葉から連想されただけかもしれないが、この挿話には冒頭部分でもブレイクの詩が引用されている。『無垢の予兆』の内容は、作品冒頭部分の内容に凝縮されており「宇宙の全ては存在の全ての細部に包含されている。残忍さや暴力、虐待、悪意などの全ての形体は、それ自身に対する一つの「暴行」となる」という解釈がある。つまり、個別(particular)の中に全体(Universe)が存在すると考えられる。一人の娼婦が通りで叫び声をあげるなら、それはその娼婦の生きる英国・世界の「死衣」を織ることに他ならない。小さな存在から大きな存在への視点の転換は、歴史認識に通じるものとも考えられる。異民族が英国の生気を吸い上げているというディージーの主張に対して、スティーヴンは広まりつつある民族の憎悪もまた、ディージーの歎きや怒りと同様、一つの国の、宇宙を構成する「組織の一部」なのだ、と考えているという意見もある。また、このブレイクの思想はU-Y 56(U-Δ 76)に出てきた「この世の(曚昧な)魂(世界霊魂)」にも通じるのではないだろうか。プラトン哲学及びネオプラトニズムにおける枢要な思想の一つである宇宙霊魂(世界霊魂)は、この世の全ての存在の本質的な繋がりを認め、魂は人の体と、宇宙の魂・生命は宇宙と繋がっている、身体のなかに魂があるのではなく、魂のなかに身体があるのだと考える。

・U-Y 65「差し込む光の中に足をとめたまま大きく見開いて夢想する目がきっと見つめてくる」

 U-Δ 89「ヴィジョンを追い求めて大きく見開いた目が、自分の立っている日差しの向うをいかめしくみつめた」

 “His eyes open wide in vision stared sternly across the sunbeam in which he halted”

 →“eyes open wide in vision”の部分なのだが、U-Yでは「大きく見開いて夢想する目」、U-Δでは「ヴィジョンを追い求めて大きく見開いた目」となっている。このinは状態を指すのか、動作の方向を指しているのか? U-Yだと状態のほうになると思うのだが、U-Δでは動作の方向で「ヴィジョンの中へと大きく見開いた目」→「ヴィジョンを追い求める目」と解釈したと考えていいのだろうか。そしてU-Yの「夢想する目」とは何か? ディージーは古き良き時代、英国が「純粋」であった時代を夢想しているのだろうか? U-Δの「ヴィジョン」はブレイクを想起させる。ブレイクは「幻視者」(visionary)の異名を持っていた。もしかしたらそれまでのブレイクとの関連に寄せる形で「ヴィジョン」としたのかもしれないが、「ヴィジョン」を抱いているのはスティーヴンのほうである。ディージーにブレイク的なイメージを与えるのはそぐわない。U-Δのほうでも、U-Yと同じような意味で「ヴィジョン」という語を使っているのかもしれない。

 そしてまた、スティーヴンとディージーの体勢の不明瞭さが問題になってくる。どちらの訳も前段階で指摘した姿勢と繋がるような訳文になっている。U-Yでは「きっと見つめてくる」ので、これはやはりスティーヴンを見つめてくるのだろう。“across the sunbeam”は、差し込む光の中にいるディージーが、その光の向う側にいるスティーヴンを見つめているように解釈されている。一方で、U-Δは「自分の立っている日差しの向うをいかめしくみつめた」なので、その視線の先にスティーヴンがいるかどうかは分からない。前の部分でディージーはいったん振り向き、また顔を戻したのだから、この訳だと光の差し込んでくる窓の向こうを見つめているような印象を受ける。この後、「どういう意味かね?」とディージーがスティーヴンに問うまでは、比較的短い発言の応酬なので、背を向けたまま会話していたとしても然程不自然とは思われない。U-Yでは自分に向けられる「夢想する目」とスティーヴンは対峙している。U-Δでは、具体的に何のことだか分からない「ヴィジョンを追い求める」ディージーの背中をスティーヴンは(恐らく)見つめていることになる。また、visionという言葉はスティーヴンの母の死のvisionをも連想させる言葉でもある。

・U-Y 65「なにせ光に背いた輩だからして」

 U-Δ 89「やつらは光に背いて罪を犯したのです」

 “They sinned against the light”

 →ここでもまたヨハネ福音書との繋がりの言及がある。再掲すると「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった……言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」(ヨハネによる福音書、1:1-5)。「差し込む光に包まれた」ディージーは、光をキリスト教の象徴とし、暗闇をユダヤ人の象徴としているように思われる(e.g. 「だからあのとおり目が暗闇だ」)。そしてU-Yでは「罪を犯した」の部分が省略されている。「光に対して罪を犯すこと」を「光に背く」とまとめ、それが罪であることは自明である、という意味を持たせているのだろうか。

・U-Y 65「パリ株式取引所」→この段落から恐らくスティーヴンはパリにいた頃目にしたユダヤ人たちの様子を思い出している。ここではユダヤ人と金との繋がりを思わせる言葉が頻出している(e.g.「パリ株式取引所」「金無垢肌」「宝石ごてごての五本指」「鵞鳥」「財宝」)。この段落の「鵞鳥」について、古代ケルト人は“wild goose”を聖霊としてみなしていたと言われている。しかしここではユダヤ人の様子を形容した言葉として使われているので、古代ケルト人との関連はないだろう。それよりもグリム童話の「金の鵞鳥」が連想される。

・U-Y 65「据わりの悪いシルクハット」

 U-Δ 89「ぶざまなシルクハット」

 “maladroit silk hats”

 →このmaladroitという言葉は「不器用な、拙い」という意味が主なのだが、類語としてineptが挙げられており、こちらの意味は「不適切な、下手な、場違いの、not elegant or graceful in expression」という意味が出てくる。「下手に」シルクハットをかぶっている、という意味でも二つの訳につなげることはできるが、下手なだけでなく、みっともない、違和感がある、などの訳語の意味を考えると、ここではこのineptの意味に近いと思われる。そして、U-Yにはこの「据わりの悪い(座りの悪い)」という言葉が既に二度出てきている。一つはU-Y 56の「座りの悪い記号」(unsteady symbols)、もう一つは第一挿話の「座りの悪い目つき」(U-Y ep.1 30)(unsteady eyes)だ。この二つはどちらもunsteadyなので、「座りの悪い」とし、このシルクハットの形容ではmaladroitが使われているので、「据わりの悪い」としているのかもしれない。「座りが悪い」とは、置いた者がうまく安定せずぐらぐらする、尻に違和感があってうまく座っても落ち着かない、という意味で、「座り」はここでは「ものの落ち着き具合」を指すものであろう。なぜU-Yでここまで「すわりの悪い」という訳語を反復するのかということは、ジョイスの「押韻」に繋がるのかもしれない。

・U-Y 65「どれも己らのものではないのだ」

 U-Δ 89「彼らのではない」

 “Not theirs:”

 →コロン以下が「服装、言葉、身ぶり手ぶり」を指しているので、ユダヤ人たちが今そこにいるフランスのフランス人たちに適応させようとしているが、それらはどれもユダヤ人自身に固有のものではない、ということだろうか。

・U-Y 65「どう見ても鈍重そのものの目にはそぐわない言葉をしゃべり、熱っぽくそつなくふるまう身ぶり手ぶりをしてはいたけれど」

 U-Δ 89「彼らの強くて重々しい眼差しは、その言葉や、ひたむきで控えめな身振りにそぐわないのだ」

 “Their full slow eyes belied the words, the gestures eager and unoffending”

 →また二つの訳でだいぶ印象が違う状態になっている。まず、“full slow eyes1”だが、U-Yの場合fullがslowを修飾する副詞「全く、非常に」という意味にとらえて、「全く鈍重な目」→「どう見ても鈍重な目」という訳にしていると思われる。一方で、U-Δのほうはfullとslowをそれぞれ別個の形容詞と考え、full「強烈な」→力強く、slow→“not easily aroused”→重々しい、という風にそれぞれ意訳しているのではないかと考えられる。そして次の“gestures eager and unoffending”だが、U-Yの「そつなく」は要領よく、という意味で、unoffendingは「目障りでない、苛立ちを起こさせない」という意味なので、少し意味が離れているように思えるが、これは世間に流布したユダヤ人の要領の良さを反映したものだろうか。一方でU-Δの「控えめな」はunoffendingの意味に近い気はするが、その前に描かれているユダヤ人の騒々しさ、派手さや違和感とは矛盾した表現のように思える。また、動詞のbeliedがどこまでかかるか、についても違っている。U-Yではユダヤ人の「言葉」が「目」にそぐわないとし、その後のgestureを分離しているが、U-Δでは「言葉」も「身振り」も彼らの「目」にそぐわないとして、beliedの目的語をwordsとgesturesの両方とする解釈をとっている。全体的に、この部分だけ見ればU-Δのほうが、ユダヤ人に対する好意的な印象を抱かせる。当時の一般的なユダヤ人の表象がどういったものか分からないので、どちらの訳がよりふさわしいのかの判断はつきがたいが、どちらの訳にも適切なところがあり、不適切なところがあるという感じがする。これだけ表現に差異があるということは、この文章とコンテクストの難しさを示すものと思われる。

・U-Y 65「むなしい辛抱」

 “Vain patience”

 →vain→hollow→futile、と、虚しさや空ろさを表す語がこの挿話にはやはり多い。

・U-Y 65「必ずや時がすべてをばらばらにしてしまう」

 U-Δ 89「時がすべてを蹴散らすに決ってる」

 “Time surely would scatter all”

 →ユダヤ人の貯めこんだ金や富がいずれ誰かに略奪される、奪われる、ということを示すのか。それならば「時」が蹴散らす、というより「人が」蹴散らすということになると思う。あるいはこの言葉はユダヤ人の流浪の運命のことをも含意したものだろうか。スティーヴンの歴史認識一般を指したものだろうか。よく考えなければいけない一文のように思える。このユダヤ人についての描写には、パリのユダヤ人のかまびすしさと、ステレオタイプ的な「金」のイメージ(だが実際にスティーヴンはそのような光景を目撃しているので、これは決してステレオタイプとして描かれたものではない)、さらにそこに適応しようとしているのに、彼らに感じるその場への「そぐわなさ」、違和感、そして彼らを取り巻く憎悪の念があり、そのことをユダヤ人自身も認識していることをスティーヴンが感じとっていることが表されていると思う。

・U-Y 66「誰しもそうでしょう」

 “Who has not?”

 →「ディージーの「光に背いた輩」云々に対して」(U-Δ注)。罪を一つも犯さぬものなどいない。

・U-Y 66「これが老人の知恵かな?」

 U-Δ 90「これが老年の知恵かしら?」

 “Is this old wisdom?”

 →「ディージーの「若い時分に知るならば」への返答」(U-Δ注)。この諺は結局、「若者には力はあるけれど、ものは知らない」ということを言っているので、ディージーがスティーヴンの「誰しもそうでしょう」という返答の意味を分からなかったことについての皮肉だろうか。

・U-Y 66「歴史は、とスティーヴンは言った。僕が目覚めようとしている悪夢なんです。運動場から少年たちの叫びが一つになって湧き上った。ピーッと鳴る笛、ゴールだ。その悪夢がお前を蹴り返してきたらどうなる?」

 U-Δ 90「歴史というのは、とスティーヴンが言った。僕がなんとか目を覚したいと思っている悪夢なんです。運動場で少年たちの喚声が湧いた。ホイッスルがピリピリと鳴った。ゴール。その悪夢がお前を蹴返したらどうなる?

 “History, Stephen said, is a nightmare from which I am trying to awake. From the playfield the boys raised a shout. A whirring whistle: goal. What if that nightmare gave you a back kick?”

 →ここも私の大好きな一節(訳はU-Yのほうが好きだ)。読書会でも言ったが、スティーヴンがまるでドストエフスキーの登場人物みたいなかっこいいことを言う。それに対して(実際には無関係だが)沸き起こる少年たちの喜びの叫びは「うまいこと言ったぞ、よくやった!」とスティーヴンを応援しているように感じられる。しかしその直後で、スティーヴンは「でもその悪夢がお前を蹴り返してきたらどうなる?」と自問している。これはスティーヴンの、自分の考えに対する不確かさや自信のなさを表しているように感じられる。nightmareだが、この単語の中のmareの語源は“evil spirit(眠っている間に人を苦しめる悪霊), incubus夢魔)”にあるらしい。しかしこのnightmareのmareで馬や海を連想させることは確かだ。また、kickという言葉は14世紀後期での用法が最も古いものとして確認されており、そこでこの単語は蹄のある動物が後ろ足で蹴る、という意味で使われている、と辞書に注記がある。

 読書会で、これはホッケーの「蹴り返す」では? との指摘があったが、ホッケーの場合では「打ち返す」(“shoot back”)という言葉を使う。しかし、戦い(ゲーム)において、ゴールしたと思ったら向こうからゴールされる、それがゲームの間中つづく、繰り返される、という考え方は、歴史の本質と繋がるところがあるように思える。ディージー的な歴史認識、世界は一つの目標に向かって進み続けるという直線的な歴史観が、まっすぐ走る馬に喩えられるとするならば、その馬が人間を蹴り返す、というのは、人間がまっすぐ走り抜ける馬(=歴史)に、思わぬ反撃(真っすぐではない、予想外の展開)を味わせられる、食らわされる、ということだろうか? 

 ちなみに、馬は必ずしもまっすぐ走るものではなく、あちこち方向を変えながら走るものでもあるのではないか、という読書会中の指摘もあった。確かに野生の馬がゆっくり歩いているときには、色々草を食べたり寄り道もすると思う。ただその馬(動物)に何らかの目標や目的があった場合(例えば他の馬に対し交尾の相手を巡って反撃しに行くときや、ゴールを目指す競馬場での馬など)は、やはり馬はまっすぐ直進していくものなのではないだろうか。この部分はまだよく自分でも分からない。もちろんmare=海が、スティーヴンの悪夢=母を連想させる、という指摘も的確だと思う。

・U-Y 66「創造主の道はわれらの道にあらず」

 “The ways of the Creator are not our ways”

 →よく考えるとどういうことだろうか? 創造主というのは、キリスト教的な神、主のことだと思う。“ways”とあるが、主の「道」は複数あるのか? 人間の愚かな歴史の辿っているような道すじと、主の道は違うということだろうか? 

・U-Y 66「すべて人間の歴史は一つの偉大な目標に向って動くのです、神の顕現に向って」

 U-Δ 90「すべての歴史は一つの大いなる目的に向って動いているのです、神の顕示に向って」

 “All human history moves towards one great goal, the manifestation of God”

 →ここでヘーゲルを思い出した。ヘーゲル(1770-1831 ドイツの哲学者)は「世界は主体的自我に対立する客体的自然ではなく、静的に神と同一視される自然でもなく、歴史的に発展する精神である。自然と歴史は絶対的な精神である神が、自らを具体的な客体へと対象化(外化:entfremdung)し、その中に精神の本質である自由を目覚めさせていく、必然的な自己展開の過程である」という目的論的世界観を説いている。また、彼は「絶対精神(世界理性)とは、神の哲学的表現である。すべての出来事は、神が自由を実現していく歴史の部分である。「世界史は自由の意識における進歩」(『歴史哲学』)であり、真の自由は歴史がそれにふさわしい段階に至らない限り実現しない。例を挙げると、①東洋では一人の専制君主だけが自由であった。②古代アテネの民主政治で、初めて精神の自由の意識が生じたが、市民だけの自由にとどまった。③すべての人の自由は、キリスト教聖霊観念として自覚された。この自覚を現実生活に具体化することが、今日の課題である」と主張している。これはディージー歴史認識・世界認識とかなり一致するのではないだろうか。

・U-Y 66「あれが神です。/行けーッ! やったーッ! ピッピーッ!/何がですと?……/街の叫び声です」

 U-Δ 90「あれが神です。/いいぞう! わあい! ピリピリィ!/何が?……/通りの叫びがです」

 “That is God. / Hooray! Ay! Whrrwhee! / What?...... / A shout in the street”

 →「前段のブレイクの詩を踏まえているが(無垢の占い)、「箴言」1.20「知恵外に呼ばわり、巷にその声をあげ……」を参照。ほかに8世紀イギリスの神学者・教育者アルクウィンの「民の声は神の声」vox populi, vox deiも考えられる」(U-Δ注)。注に述べられているように、前掲のブレイクの詩『無垢の兆候』に繋がる考えかと思われる。何か人智の及ばぬ、目には見えない偉大な存在、どこかで人間を左右する存在が神なのではなく、世界の個々の、小さな存在の中に、全ての世界そのものが、宇宙が包含され、それそのものとなっている、ということを考えると、街の叫び声、子供たちのゲームの喚声のような、取るに足りない事象が宇宙そのものであり、人間、世界を動かし導く神である、との考えだろうか。

・U-Y 66「指先につまんだ小鼻をしばしひっぱった」

 U-Δ 91「指先でちょっと小鼻をひねり」

 “held for awhile the wings of his nose tweaked between his fingers”

 →小鼻部分を“wings of nose”として英語の容貌・表情の描写に使われることは皆無に近いようだが、“held one’s nose”(鼻をつまむ)で「鼻持ちならないことを表すあてぶり」“pinch (at) one’s nose”(鼻をつまむ)で「心理的に不安なときの自己接触動作」、“pick at one’s nose”(鼻の上、わきを軽くかく、鼻を軽くつまむ)で「手持ちぶさたのしぐさ、考え込むしぐさ、落ち着きのないしぐさ」、“pull at one’s nose”(鼻をしきりに引っ張る)で「考え事をするとき、心理的に不安で落ち着かないときなど」等が類似表現として見つかることから、ディージーは返答を考えこむと同時に、スティーヴンの答えに対する多少の動揺を感じているのではないだろうか。

・U-Y 67「マクマラーの妻」→「マクマラーの妻(マクマローの妻):事実はその逆。12世紀レンスターの領主ダーモット・マクマローがオロークの妻ダーヴォーギラを奪い、オロークに攻められてイギリスに逃げ(1166)、ペンブルック伯リチャード・フィッツギルバート(第三挿話参照、綽名をストロングボウ「強弓」)やヘンリー2世らの軍隊を導き入れて、イギリスによるアイルランド支配のきっかけを作った。ケルトアイルランド人なら心に刻みつけているこの史実を、ディージーはうろ覚えにしか知らない(ジョイスの間違いではない。草稿にはジョイスが意識的に変改した痕跡が残っているという)」(U-Δ注)。このすぐ下に出てくるブレフニーはレンスターの隣国。

・U-Y 67「パーネル」→「チャールズ・スチュアート・パーネル(1846-91)。アイルランド議会党(これが正式名称で、別名は国民党)の党首(1880-90)として、自治権獲得のために奮闘、大衆の絶大の信頼を得たが、人妻キャサリン(キティ)・オシーとの恋愛事件が表ざたになり、離婚訴訟に巻き込まれて失脚した。イギリス側の策動や、お膝元のカトリック教会の断罪のゆえでもあった」(U-Δ注)。

・U-Y 67「その一つの罪」→「スティーヴンの「あれが神です」(U-Y 66)を受けて、神の存在の否定を指すか」(U-Δ注)。あるいは女性問題で社会的に失敗することだろうか?

・U-Y 67「アルスターは戦わん/アルスターは義しき道を」

 U-Δ 91「アルスターは戦うぞ。/アルスターは正しいぞ」

 “For Ulster will fight / And Ulster will be right”

 →「ランドルフチャーチル(1849‐95)が書簡の中で述べた言葉。北アイルランドの反カトリック、反自治体派のモットーとして広く用いられた」(U-Δ注)。と、注にはあるが、チャーチルグラッドストンアイルランド自治法案に反対して、北アイルランドへ赴き、自治反対の大規模集会で演説を行った。その際に調子よく響くフレーズ“Ulster will fight, and Ulster will be right”という言葉が聴衆の心をつかんだ。これはその時代の一つのスローガンとなり、国中で急速に広まった、との説もある。確かに、書簡で述べられただけではそれほど有名なフレーズにはならなかったのではないか、と思う。

・U-Y 68「テレグラフ」→「後出のスティーヴンの言葉にある『イブニング・テレグラフ』を指す。ダブリン発行の夕刊紙で、『フリーマンズ・ジャーナル』(1763年創刊)の姉妹紙。第7挿話でスティーヴンがその編集部を訪れる」(U-Δ注)。

・U-Y 68「アイリッシュ・ホームステッド」→「ジョージ・ラッセル(筆名Æ)たちの主催する農業協同組合の機関紙(1895創刊)。第9挿話でスティーヴンはラッセルに手紙の掲載を依頼する。ジョイス自身は初期の短編「姉妹」など三編を寄稿した」(U-Δ注)。ジョージ・ウィリアム・ラッセル(George William Russell、1867-1935)はアイルランド民族主義者、評論家、ジャーナリスト、詩人、画家。筆名Æはラテン語のaeon(アイオーン、グノーシス主義では永遠や、超霊的世界の意味などを持つ)に由来する。アイルランド文芸復興運動の中心的役割を果たし、神智学のまとめ役や相談役などを担った。アルスター地方アーマー州生まれ、神秘主義者として知られている。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際には加入しなかったが、後に参加。更に1898年にこの組織を抜けて自らヘルメス協会を立ち上げる。1902年にジョイスに会い、彼をイェイツを含むアイルランドの文学者に紹介した。神智学(theosophy)は神秘的直観・思弁、幻視、瞑想、啓示などを通じて神に結びついた神聖な知識の獲得や、高度な認識に達しようとする学問で、このような思想の背景には19世紀後半のアメリカ・ヨーロッパにおける既存の教会を批判する一種のリベラリズムとして出現した、「心霊主義」(spiritualism)の流行がある。1884-1886年まで活動したヘルメス協会は、ヴィクトリア朝後期の公開組織で、東洋系を主眼とする神智学協会に対抗する形で組織されたもの。

・U-Y 68「臥している獅子」

 U-Δ 93「腹這いになり頭をもたげている二頭の獅子像」

 “lions couchant”

 →「couchantは紋章学の用語。獅子は大英帝国の標章でもある」(U-Δ注)。この学校がイギリス式の教育を施していることがよく分かる。

・U-Y 68「歯牙無き脅威」

 U-Δ 93「歯なしの脅威」

 “toothless terrors”

 →「歯牙無き」はU-Y ep.1 43で「歯牙無きキンチ」(Toothless Kinch)として現れている。前回のブログでも書いたが、toothlessは「貧しい、つまらない、取るに足りない、みずぼらしい」などの意味を持つ。脅威にも牙が無ければあまり怖くない。この脅威とは、何のことを指しているのか。ディージーが手紙の中で記した口蹄疫やヨーロッパの大火などのことか。それともイギリスのことか、ディージー校長のことか。

・U-Y 68「親牡牛派詩人」

 U-Δ 93「去勢牛を助ける歌びと」

 “the bullockbefriending bard”

 →「ホメロスの枕詞めいた語法。たとえば、「指ばら色の曙の女神」Dawn with her rose-tinted hands(これはE. V. リュー訳でジョイスが手にしたはずはないが)などを模したか。ギリシア文化を礼賛するマリガンに当てつけて」(U-Δ注)。ホメロスの枕詞とは、エピテット(形容語句、あだ名、添え名)のことで、実在の人物、架空の人物、神々、物などにつけられた決まり文句を指す。他にも例として「足の速いアキレウス」(podas ôkus Achilleus)(ホメロスイーリアス』より)などがある。第一挿話の“the snotgreen sea”も“the wine-dark sea”(ワインの黒い海(ホメロスより))に由来しているという言及がある。ちなみに牡牛は雄の牛。雌の牛では「去勢」できないから、「牡牛」としたのだろうか。「去勢牛」とは何を指しているのだろう。口蹄疫にかかった牛のことか、ディージーのこと(恐らく去勢はされてないが、妻の尻に敷かれているか、老いていることを皮肉って)なのか。

・U-Y 69「スティーヴンは尋ね、笑顔になりかける」

 U-Δ 94「スティーヴンは微笑を洩らしながら聞いた」

 “Stephen asked, beginning to smile”

 →なぜスティーヴンは「笑顔になりかけた」のか? という問題が読書会の中でも提起された。私はディージーの鬱陶しさにスティーヴンが困惑して、「困った笑顔」になりかけたものだと思っていたが、ディージーに媚びを売ろうとしているなどの意見もあった。ちなみにU-Δでは、既に「微笑を洩らして」いる。完全に微笑んでいるわけではなく、「洩らして」いるのだから、“beginning to smile”と言えないこともないが、U-Yの訳のほうがここではふさわしく感じる。

・U-Y 69「断じてこの国へ入れてやらなかったからだよ」

 U-Δ 94「やつらを絶対に国に入れなかったからです」

 “Because she never let them in”

 →「これは事実とは異なる。少数ではあるが、アイルランドにもユダヤ人は居住していた。人数については諸説があるが、1900年頃に4000人程から6000人程度。ジョイスがこの小説の中で主人公ブルーム他のユダヤ人たちを登場させるのは、ディージー説の間接的な、しかし強力な否定」(U-Δ注)。アイルランドにおけるユダヤ人の人口推移は読書会中のスライドにある通り(注内での推定人口と差があるが、「諸説ある」と言っているのでU-Δで調べた限りではそうだったのだろう)。

(第三回読書会のスライドはhttps://www.stephens-workshop.com/stephens-s-notes/ に掲載。25ページに統計が載っています)

・U-Y 69「ゴホッと咳き込む笑いがその喉から跳ねるや、ぜいぜいいう痰の絡まりをひきずってくる。くるりと向きを変え、ごほごほ咳き込みながら、ぜいぜい笑いながら、両腕を虚空へ振り上げた/――断じて入れてやらなかった、と、高笑いの切れ目に大声で繰り返し、ゲートルを着けた足で道の砂利を踏みつけて行く。そういうわけだ。/その分別人の肩に木の葉の格子縞の合間から陽光がきらきらっと光るものを、踊る硬貨をばらまいた

 U-Δ 94-95「せきこむような笑いの球が喉から飛び出し、がらがら音を立てて痰の鎖を引きずり出した。彼はくるりと背を向け、せきこみ、笑い、両腕を高く上げて振った。/――絶対に入れなかった、と彼は笑いの発作の合間にまた叫ぶと、ゲートルを巻いた足で砂利道を踏みつけた。そういうわけさ。/木々の葉の格子縞から洩れ落ちる陽光が、賢者の肩の上に、金ぴかまだらを、踊り跳ねる金貨の数々をまき散らした」

 “A coughball of laughter leaped from his throat dragging after it a rattling chain of phlegm. He turned back quickly, coughing, laughing, his lifted arms waving to the air. / ---She never let them in, he cried again through his laughter as he stamped on gaitered feet over the gravel of the path. That’s why. / On his wise shoulders through the checkerwork of leaves the sun flung spangles, dancing coins”

→「分別人(賢者)、金ぴかまだら(きらきらっと光るもの)、金貨の数々(硬貨):ディージー老人の知恵や節約の戒めへの皮肉だが、踊り跳ねる陽光は彼に対する親愛と祝福のしるしでもある」(U-Δ注)。“A coughball of laughter”は、「笑いの咳球」と直訳してしまったほうがU-Yらしくなる気がする。その意味では、U-Δのほうが原文のニュアンスに近い。原文でcoughとlaughが何度も反復されているので、U-Yは冒頭部分で、後のごほごほ、ぜいぜいの繰り返しのために「ゴホッ」を使ったのではないかと思われる。“his lifted arms waving to the air”で、U-Yの「虚空」(air)は、挿話中に頻出する「虚しさ」を意識した訳だろうか。“cried again through his laughter”は直訳すると「笑いの間に再び叫んで」「笑いながら再び叫んで」となる。恐らくディージーは歩いている間、割と長く笑い続けていたのではないかと思う。「笑いの発作」としてしまうと、笑いの連続性が少し薄れてしまうように感じる。U-Yのようにすると、その叫び“She never let them in”を「何度も」繰り返している印象を与える。“cried again”だけでは何度も繰り返したのかどうかは分からない。もしかしたらU-Yでは、ディージーの間違いと反ユダヤ主義的な思想を、訳文の中でエコーさせたかったのかもしれない。「笑う」と「叫ぶ」を同時に行うことは、論理的には不可能だが、実際そういう事はあるし、笑いながら叫ぶ、という表現は全くおかしくない。二つの訳を合わせて、「高笑いの切れ目に大声でまた叫ぶと」「高笑いをあげながら再び叫び」などの訳のほうがいいように思う。“On his wise shoulder”の訳は、U-Yのほうは多少ディージーを小馬鹿にしているような感じがある(そういう解釈でも問題ないと思う)。“checkerwork”は、checkerだけで格子縞の意味を持つのだが、後につけられたworkは“patchwork”のような意味を持つものだろうか。“spangles”はぴかぴか光るものの意味だ。ここではU-Δの訳のほうがU-Yのような訳の「遊び」をしているように感じられるが、U-Yではここでもやはり擬音語を使いたかったのだろうか。この節は全体的に、硬貨のような小さくて丸いものが踊り跳ねているイメージを喚起させる(e.g. “coughball”、 “phlegm”(痰)、“gravel”(砂利)、“spangle”(ぴかぴか光るもの)、“coin”(硬貨))。

 ユダヤ人を国に入れなかったから、アイルランドユダヤ人を迫害していない、というディージーのジョークめいた最後の「謎なぞ」のあとで、ディージーはそのジョーク(事実だと信じている)に一人で笑う。その後で“coughball of laughter”が彼の喉から踊りだしてくるのだが、引きずってくるのは彼の老廃物である汚い痰だけだ。ほぼ自称「分別人」である彼に降り注ぐ光は木の葉のつくる「格子縞」の間から差し込んでくる。「格子縞」はスコットランドのキルトを思わせ、光はユダヤ人がそこから背いたと彼の考えるキリスト教の神の象徴に繋がる。その意味で「光」が「木の葉の格子縞」を通して「踊る硬貨」をまき散らす、というのは、キリスト教徒であるディージーが、自らのアイデンティティであるプロテスタントアイルランド人(スコットランドに由来を持つ親英派)であることを通して金を貯めこんでいることの風刺的な比喩のように思われる。

 U-Δ注では踊り跳ねる陽光がディージーに対する親愛と祝福のしるしか、とあるが、そのようには感じない。確かにスティーヴンはディージーに対して完全な敵意を持っているとは思わない。スコットランド系の年寄りだからそう考えるのも仕方ない、あるいは老人の戯言だ、くらいに思っているような印象をうける。その上ディージー歴史認識は多くの点で間違っており、自分の都合のいいように解釈されている。反ユダヤ主義に賛意を示し、女を嫌う、どちらかといえば差別主義的なディージーを、キリスト教の象徴である「光」は本当に祝福するだろうか? それともこれはジョイスの痛烈な皮肉なのか。人間愛を説くキリスト教はディージーのような差別主義者をも祝福するものなのだろうか?

 

私見:可能態としてのHollowness

 読書会でも取り上げられたように、この挿話には「虚ろなもの」が多数描かれている。例として挙げられたのが、「貝、蝸牛、(住人の出かけた)マーテロー塔、スティーヴンの空っぽの財布」などがあったと思う。この他にも、「虚ろさ」(Hollowness)を連想させるものや表現が、挿話中には頻出する。例えば、「空っぽの湾(U-Y 60)、“nutshell”(クルミの殻)(U-Y 63)、「むなしい辛抱」(U-Y 65)、「無益」(U-Y 69)」などがそうである。死んだ貝や蝸牛(の殻)は中身のないもの、空っぽなものとして「虚ろ」だ。挿話中でディージー校長の書斎に飾られている貝は、そこにある限り永遠に中身を満たされることがない。装飾物として手に取られ、埃をかぶるだけの存在である。蝸牛も生きている間は決して虚ろではないが、その殻の弱さのために、踏みつけてしまえばぐしゃりとつぶれてしまう。生きた中身を抜いてしまえば果敢ないことこの上ない。それとは別に、通貨としての「金」そのものも虚ろなものと言える。国家や政体が正しく機能している間は、通貨は生きている。しかし、一度政変が起きたり、国が敵に侵略・統合されてしまえば、それは価値を失い、ただの紙切れや金属の塊へと変わってしまう。これら「虚ろなもの」に共通するのは、「かつては虚ろではなかった」「虚ろなものにも虚ろではない瞬間がありうる」ということだ。財布にだって金の入っているときもあれば、空っぽの時もある。貝はそもそも人によって収集されるために存在するのではなく、純粋に海辺の生物である。辛抱が実を結ぶこともあれば、無益、と呼ばれた教育だって基本的には人間の知性の向上につながるものである。これらの「虚ろ」と呼ばれたものたちは、「何かのきっかけで」虚ろになってしまう。

 ここで、さんざん頭を絞らされたアリストテレスの哲学に戻ってみたい。すでに述べたように、アリストテレスの自然哲学の基本は、可能態(質料)から現実態(形相)への移行・同一化であり、その過程における「運動」の相を重視した点でアリストテレスは特異であると言われている。また、アリストテレスは質料(何ものでもないもの)から移行した形相(本質)そのものが、また別のものの質料にもなりうる、と説いている。例えば、種(質料)は草(形相)へと移行し、その形相である草は花という形相の質料にもなる、といった具合に。アリストテレスの自然哲学は、このような生成運動に重きを置いている。

 万物は時にさらされて変化する。生あるものは必ず死ぬ。死ねば土へ還り、地中の生物によって分解されていく。そしてまた新たな命が生み出される。滅びた都市の、破壊された建造物や虐殺された人々の上に、新たな侵略者たちが街をつくる。その街とて永遠に続く保証はない。どこかで生きのびた反逆者たちによって、自らもまた滅びる運命にあるかもしれない。それは子供たちのホッケーの試合と同じことだ。自分たちがゴールした後に、相手からゴールを決められることもある。

 永続性は何ものにも担保されない。それはペシミスティックな考えでもあるが、同時に新しい「何か」の生成の可能性をも含んでいる。つまり、今、この瞬間「虚ろ」なものですら、「何か別のもの」としてよみがえることができるかもしれない。言うなれば、先に「虚ろなもの」が過去の状態として「かつては虚ろではなかった」「虚ろなものにも虚ろではない瞬間がありうる」と述べたが、逆に言うと、今「虚ろなもの」が未来において「虚ろではなくなる」「虚ろではなくなる時が来る」可能性があるのだ。そういう意味で、あらゆる「虚ろなもの」は一つの「可能態」であると言える。アリストテレスのこの理論は基本的に自然物にしか適用されないものであるが、ジョイスはこの哲学思想を自然物という範疇を超えて認識していたのではないだろうかと私は思う。自然界において一つの質料に対する形相は一つしかないが、世界全体としての枠組みで捉えると、一つの「可能態」に対する「現実態」は無数にある。何ものになるか分からないものが「何か」になるという生成運動は、日常生活の至る所で、絶えず働いている。ダブリンの街においてもそうだ。それは長い時間をかけて観察しなければ分からないものであることが多いが、今この瞬間「虚ろ」と形容されたものも一つの可能態、「何ものでもないが何かになる可能性を潜在的に持ちうるもの」である。その「現実態」が一体何であるかは、後世になって、つまり歴史を振り返って見て初めて分かるものなのではないかと考える。

 

☆おすすめの本

 

アイルランド史 (世界歴史大系)

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 むちゃくちゃ詳しい。さすが山川。

 

しぐさの英語表現辞典 <新装版 日英比較索引・類別索引付き>

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 こちらはhead、eye、handなど人体の部位別に、人のしぐさの英語表現の意味を辞書にしたもの。読み物としても面白い。

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アリストテレスだけでこんな状態になってしまった。もはやアリストテレス御籤だ。結果はいつも中庸。