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雑記

EUフィルムデイズ 『ブレンダンとケルズの書』感想

EUフィルムデイズ 『ブレンダンとケルズの書』

 

https://aoyama-theater.jp/feature/eufilmdays


『ケルズの書』は15年ほど前に展示されている実物を現地で見た。その時にはアイルランド版聖書の美しい装飾写本としか思わなかった。

 本作のキャラクターは可愛らしく、アニメーションは躍動的で、ちょっとユーモラスだ。森に住む異教徒(ケルト文化の中に生きる非キリスト教徒)の少女は、後に『ケルズの書』となる書物を執筆することになる主人公のブレンダンに力を貸す。彼女は幾年にもわたって「すべてを見てきた」存在で、様々な生き物に姿を変え、生き続ける。

 何より素晴らしかったのは、ケルト的でありながら、現代的なデザインをも違和感なく取り入れている、あまりにも美しい木々や花、動物や虫たちの描かれ方と映像だ。「森-自然」は単に人の心に癒しを与える優しい存在ではない。それは生き物たちを包みこむと同時に、善とも悪とも分かつことのできない未知の何ものかによって彼らを「飲み込んで」しまうのだが、本作ではアイルランドを象徴する「緑」がキリスト教徒たちも、ケルト文化を守る異教徒たちをも「守るもの」として描かれている印象が強い(もちろん人間を襲いもするし、畏怖すべき存在としても描かれてはいる)。

 また、本作ではあまり多用されていないのだが、音楽の効果も素晴らしい。アイルランドと音楽とは切っても切り離すことができない。メロディが、時にユーモアや皮肉をこめて、時に詩的に、書物に記された文字でも、対話でも議論でも伝えきることのできない心を、曲に込められた言葉の力を手渡してくる。

 キリスト教文化を守り、バイキングからの襲撃を防ぐため、砦を作ることに力を注ぐ修道院長と、闇に光を与える「書物」の執筆を最優先し、守り続けようとするエイダンは最初対立するのだが、本質的な考え方は同じだ。彼らの「守り方」の方法が違うだけで、最後には和解する。ケルト文化とキリスト教文化の融合が簡単なものではなかったということがよく分かる。

 確かにバイキングはアイルランドを侵略し、多くの修道院を襲って彼らの貴重な宝物や聖遺物などを奪ったのだが、それで帰ってしまったわけではない。彼らの多くは侵略地に定住するようになり、土着のアイルランド人に同化していったという歴史がある。また、古代アイルランドには地方ごとに100人を超える「王」が存在し(アイルランドは最初から一つの島国として一人の王が統一していた国ではない)、自らの領土拡大と覇権のための戦いも生じた。特に、ブライアン・ボルが活躍したクロンターフの戦いでは、戦力としてバイキングの力を借りた王もいたという点で、必ずしも「アイルランド人vsバイキング」の構図が常に確立されていたとは言えないのだが、アイルランド各地(主に沿岸部)の修道院がバイキングによって壊滅的な被害を受けたことは確かだし、本作の主題はケルト文化・自然・アイルランドでのキリスト教との融合と、それに象徴されるケルズの書の制作にあると思われるので、このアニメーションにそこまでの詳細を盛り込む必要はないだろう。

 今の時代、映画をDVDにすることはお金がかかるし色々な点で難しいだろうけど、ぜひどこかのサイトで有料配信のレンタルができるようになってほしい作品だった。恥ずかしながら、映像の美しさと両文化の対立と融合の過程に心を打たれ、泣いてしまった…