Ball'n'Chain

雑記

ニーヴ・マッケイブ「シー・イーグル・ソナタ」

シー・イーグル・ソナタ
ニーヴ・マッケイブ

 


おかわりがいるかどうか訊いてきなさいよ

お客さんは普通紅茶のおかわりをしないもんだ、おかわりするのはコーヒーだけ、
 そんなの常識だろう、紅茶ってのは一杯限り、
 初めがあって、真ん中があって、終わりのある飲み物なんだって、
 いつものカップで、カップには限界というか、ここまでっていうラインみたいなものがあって、
それを超えてカップには決して、いや、どうしても――

いいから/はやく行って訊いてきなさいよ/あの人ずいぶん参ってるように見えるわ/
いつもよりずっと

 

初老のパン屋が喫茶室と厨房を分けるビーズののれんから顔を突き出す。早朝の店内には、窓際のテーブルに座り、スマホをスクロールしている青年以外誰もいない。
「あんた、紅茶のおかわりはいるかい?」
「えっ、えーと、大丈夫です。どうも」
「そうだろうと思ったよ。おかわりってお湯を注ぎ足すのか? お湯とティーバッグを持ってくるのか? それとも新しく淹れなおした紅茶をそのカップに注ぐのか? ははっ! そんな具合で、いつになったら最初のカップは新しいカップになるんだろうね? 『紅茶のカップ一杯』ってのは紅茶のことなのか、カップのことなのか? ははっ! 考え出すときりがない」
「はあ、僕は大丈夫なんで、ありがとう、ほんとに」

この人おしゃべりはしたくないのよ/ほら様子をよく見てごらんなさい/しゃべりすぎは禁物

「じゃ、俺は向こうに行ってるからさ、ごゆっくり。俺はなんせ喋りだすと止まらなくなる男でね、ってあんたにはもう分かってるか!」
「気にしなくていいっすよ、おじさん」
「もしおかわりがいれば、大声で呼んでくれ。俺はその辺をばたばた動き回ってるけど、いつもみたいに、花柄のでかいエプロンつけて、ちっちゃな折り紙なんぞを折りながらね、ははっ!」
「そうします」

もう厨房にもどって/エクレアを作らなきゃ

「それか、厨房でエクレアだのなんだのを作ったりしてるから。気が変わっておかわりがほしくなったら呼んでくれよな」

おかわりの話はもういいから/エクレアがオーブンの中で丸く膨らんできたわ

「まあとにかくだ、おかわりについてはそういうことで、っと。じゃあ俺は行くから、お兄ちゃん(サン)、また来るよ」

頼むからこの人のことをお兄ちゃん(サン)って呼ばないで

 

青年は椅子を引いてテーブルに近づけ、再びスマホを見る。パン屋は窓のない厨房に戻り、温かいオーブンの傍のスツールに腰かけ、折り紙でできた小さな鳥の並ぶ正面の棚に向かって話しかける。


いやはや、あいつの顔を見たかい、かわいそうに、目なんか真っ赤になって落ちくぼんで

ええ

あいつはそっとしておいたほうがよかったな、そっとしておいてほしいからうちに来たんだな

あと折り紙のレクチャーするのやめなさいよ

はいはい、まああいつもガキじゃあるまいし、折り紙の鳥なんて確かにくだらんけどさ……
 でもあいつ、鳥を折るの上手くなってきてるぞ、
ほら、昨日の朝なんてかなりいい線いってたんだ、
ただ白鳥の羽のところがうまくいか
なかった、今日は二人であそこを何とかうまく乗り越えてみるんだ、
さて菓子パンは焼けたかな

エクレアよ/あれは

ああ

ねえちゃんと聞いてよ/あの若い人には何か困ったことが起こってるのよ

いつだって聞いてるよ、そろそろエクレアのパンを出したほうがいいかね

聞いてるわよね/エクレアは出していいわ

お前が黙らんからこっちは聞くしかないんだよ、クリームを挟むんだな

生地が冷めるまで待って/まずクリームを泡立てて/チョコレートをチンして

ここにいたときはいつも喋りっぱなしだったな、今だってそうだ、
こいつが冷めるまで待って、で、クリームをどっぷり挟んで、チョコをペタペタ塗ればいいんだな、
よし、よしと、できるよ、分からなくなったらユーチューブだ

あなたならできる/あなたよくやってるわ

そうか、俺、うまくやってるか、こういう仕事を見事にやってのけるお前の美しい手が目に浮かぶよ

やめて/しょうもないこと

お前の両腕は小麦粉で真っ白になって、
朝、開いたドアから入りこむ冷気で腕のうぶ毛が逆立って、
お前は本当に立派で魅力的な女だった

思い出してもしょうがない

たまに犬や子供を連れた人や、自転車を押して通りかかる人が見とれるように中をのぞきこんで、
ほかほかと立ちこめる甘い匂いを嗅いで――

何が言いたいの

――それから、何事もなかったかのように、お前はケーキに飾りつけをして、何をするにしても――

何事もなかったわよ

――トレーの上にかがみこんで、口の端から舌の先をちろりと出して、
あの何だかゴムみたいな三角形のやつから甘いクリームを絞り出して

絞り袋よ

膨らんだりしぼんだりするやつ、小型のイーリアン・パイプス*1についてるみたいな袋だよ、
先っぽについてるプラスチックの口からクリームがケーキやら菓子パンやら、いろんなものの上に渦を巻いて

何言ってるの今更/さよならしたのに

お前は実に素晴らしかった

ええ

俺たちはしっかり手を握り合って一つになって床の上をくるくる回って、
狂ったみたいに、まるで回転儀か何かみたいに――

回転儀って

――シャッターをおろして店じまいしたら、二人とも床にぶっ倒れるまで握った手を離さずに

私たちの後ろで部屋が渦巻いて

俺たちの頭の中で目がリール*2を踊ってるみたいに

目の回る目まぐるしさで

俺たち二人で、二人と何か、少し

二人と、ささやかな何かがあったわね

一から一と二分の一が引かれてしまった

そうね

まだ実感がわかない、まだ無理なんだよ、お前、どこへ行ったんだ

どこって

菓子パン作りに使うあの人工呼吸の袋みたいなのはどこだ

ナイフやフォークの入ってる引き出しよ

お前に会いたい

ええ

もう七か月と十一日、二二六日間

誰かに話したほうがいいわ

そうだな

現実世界の人に

うん

あの悩んでる様子の若い人はどう/自分のことコンテンツ・モデレーター*3って言ってたけど

ああ

心を開いて

ああ

泣き言はなしで

分かった

彼も求めてるかもしれない

そうかもな

ほんの少し/いたわりのぬくもりを

しかしお前がいたわりやらクリームやらとピーチクパーチク話してるのしか
聞こえないってのにまともに他人と話なんてできるかね

オーブンのスイッチを切るのを忘れないで

分かった

クリームに砂糖を入れて泡立てて

かしこまりましたよ、と

そっとね/瀕死のポニーに棹打つみたいな力は入れないで

それを言うなら「死に馬に鞭打つ」だろ

チョコをダークチョコとミルクチョコに分けて/若い人はダークチョコのほうが好きよ

はいよ

あと、あの人のことお兄ちゃん(サン)って呼ぶのやめて/あの人は誰かのお兄ちゃん(サン)で/私たちのお兄ちゃん(サン)じゃない

確かにそうだな

ええ

俺たちのお兄ちゃん(サン)、ちっちゃな、ぺったんこの肺がちっちゃなあばらのかごの中に、
お前の中に、棺桶の中に、土の中に――

その話は絶対出さないで/気候変動とか/オルタナ右翼なんてものがでてきたとかそんな話をしなさいよ

折り紙とかな、その起源は――

あの人の仕事のこととか/何か困ったことがあるのよ

何かがうまくいってないんだな

彼と話してみて/あなた人づきあいがうまかったじゃない

そうかね

エクレアをもっていって/ダークチョコのと、ミルクチョコのと一つずつ


パン屋は皿に白い敷き紙をしき、エクレアを二つ並べる。小さな折り紙の白鳥のコレクションから一つを取り、それをトレーに置かれた皿の横に載せ、喫茶室へ入る。青年は窓の外を眺め、厨房に背を向けている。どこかのフットボールクラブの名前が、ジャンパーの薄い肩甲骨の間に金色で書かれている。
「はいお待たせ! オーブンから直行! 友よ、うちのおごりだ!」
「えっ、ありがとうございます、こんなにサービスしてくれて」

ほらもたもたしてないで/皿をテーブルに置いて

「いやはや、あんたここんとこ働きすぎじゃないか! 十時間のシフトで、夜通し――」

まあそんなこと言ったらストーカーだと思われちゃうわ

「――いや誤解しないでくれよ、ストーカーなんかじゃないからな! 俺はただあんたが道を渡ってビルの中に入っていって……」

結局ストーカーよね

「……照明のタイマースイッチが切れる前に階段を上がっていくのを見たってだけで…… というのもだな、俺は次の日の朝使うオーブンを温めなきゃならんから、夜も何時間か店にいるんだよ」
「ああ、なるほど、そうなんですか。それじゃ僕と同じくらいきついっすね」
天然酵母パン、チャバタ、雑穀パン、何でもござれだ。どの生地にもかぼちゃの種をひとつかみ入れる。パン作りに関しちゃみっちり経験を積んであっという間に腕をあげたもんさ! うちのかみさんが……」

私のことは話さないでよ

「……えーと、うちのかみさんが昔は全部やってくれてたんだがな」
 青年は椅子に背をもたれ、ジャンパーのファスナーを顎まで上げ、ポリエステルの生地の中に口を埋め、両手をポケットに突っ込む。パン屋が続ける。
「そうなんだよ、ははっ! 昔はかみさんがいたんだ、信じられんかもしれないが…… それで、ほら、朝になって俺が戻ってくると、道の向こうからあんたが疲れきって、真っ赤な目で出てくるのをいつも見るんだ。あんたよく頑張ってるよ。ほんと、よくやってるよ」
「そんな大したことないですから、まじで。大丈夫っす」
「そうだ、今新しい紅茶持ってくるよ、すぐだから。そんで、待ってる間にほら、あの白鳥だ。真似して作れるか、もう一回挑戦してみなよ。あんたなかなかすじがいい。コツはだな、これがどうできているのかを解き明かすことだ。まず、こいつを広げてみる。でき上がりから折り始めへ戻っていく。それから作り直す。そしたらエクレアにかぶりつくんだ、そのやせっぽちの体にたっぷり肉をつけなきゃな!」
「そうですね、ありがとう、やってみます」
 青年は前かがみになり、テーブルに肘をつく。パン屋が厨房へ戻ると、青年のスマホのピン、と鳴る音が聞こえる。パン屋はビーズののれん越しに振り返る。青年はスマホをチェックし、顔をしかめるとスマホをポケットに入れ、ジャンパーのファスナーを半分開け、折り紙の白鳥を手に取る。しばらくそれを見つめ、手のひらの上で転がしてから、テーブルに置く。背筋を伸ばし、子供のように、力なく口を開けたままこぶしで両目をこすると、もう一度白鳥を手に取る。パン屋ははっと息をのみ、さっと厨房のほうを向いて、再びオーブンの傍に腰かける。

 

 


「やせっぽちの体に肉をつける」なんて言っちゃだめよ

あいつを困らせちゃいないし、ちょっとくらい世話を焼かれても悪い気はしてないと思うが

そうかもしれないけど

ほら、ご覧よ、あの白鳥にぐっと顔を近づけてる

あの人、仕事で疲れてるのよ

想像してみろよ、一晩中オフィスの中で、それもだだっ広い大部屋みたいなところらしいんだが、
みんなコンピュータの画面の前に何列にも並んで座らされて

一晩中

他人に代わって、何が正しくて何が間違っているのかを決めなきゃならない、
こりゃ一人の若者、何とか一人前って奴にとっちゃとんでもないプレッシャーだ、
背負わにゃならん難題が多すぎる

そうね

あいつが目にしなきゃならなかった、ぞっとするようなもののこと、 俺にほんの少し漏らしてくれたんだが、
ああまったく、ああなんてこった…… 思い出すんだよ

やめたほうがいいわ

そういった話が色々と頭から離れないんだ

それはまずいわね

黒い旗の前まで追い詰められた若い捕虜が、有刺鉄線で後ろ手に縛られて、
カメラに向かって目を大きく見開いて、
自分の理解できない言葉でひざまずくように命令されて

そういうことを延々と考え続けるのは体に毒よ

誰かのお兄ちゃん(サン)

私たち二人のことを考えましょう/私たち二人と、ほんのささやかな出来事のことを

俺たち二人がすやすや眠ってる間に、あいつは道の向こう側で一晩中働いてる、
少なくとも俺は眠ってて、お前は、お前はぼんやりゆらりと、
俺の夢の半ばあたりで丸くなって

今もあなたの夢の中よ

お前、夢を見てるのか、お前も眠って夢を見るのか

とにかくあなたはよくやってるわ

そうだろうか

ほら紅茶/紅茶をもっていかないと
 

パン屋は青年のもとへ戻る。彼は今テキストメッセージを打っている。エクレアはもうない。
「友よ、待たせたね、あんたに紅茶のおかわりだ。注文あるなしは関係なし! 俺はこういう性質(たち)なんだよ! お客さんのカップが冷えたままでいるのを見てられなくてね。さて、あの鳥を広げてはみた、でもこれじゃまだ元に戻せたとはいえないようだな、どうだい! ははっ! 手間取ってるね、あんた賢い人だってのに! 紙の鳥に振り回されてるね!」
「その通りですよ、おじさん、僕、ちょっと頭足りないんじゃないかってよく思うんですよ。こんがらがっちゃって。でも、この紅茶はうまい、最高。ありがとう」

ミルクはいるかしら

「ミルクもピッチャーにたっぷり持ってくるよ。なあ、あんたちっともバカなんかじゃない。さあぐいっと飲みほして! ゆっくりしていきなさい。外は朝の人通りが増えてきたな、みんなそんなに急いでどこへ行く? で、夜になると今度はみんなどっと帰ってくる。仕事、仕事、また仕事だ」
「仕事、仕事、また仕事で、それでもまだ仕事はやってくる。でも、マジで最悪の、クソみたいなコンテンツばっかですよ、ほんとのところ。口が悪くてすんません。かなり参っちゃってて」

休暇のことを訊いてみて

「ちゃんと休みはとってるかい? あんたにたまってるインターネットのひどい情報をきれいさっぱり、頭から洗い流すための休みは? どこかいいとこにでもでかけないのかい? 奥さんと……」

奥さんがいて当たり前なんて思っちゃだめ

「……とか、一人旅なんかさ? 俺はスカイ島で何日か過ごしてきたよ、あれは確か七か月前だったな。ぜーんぶ一人で、カモメ(シーガルズ)をよけながら、海岸沿いの丘や谷間を歩いたんだ。美しいのなんのってもうチビりそうなほど、おっと汚い言葉で失礼。俺とカモメたちしかいない。『カモメたちと俺』か、俺の言葉遣いを直してくれた人ならこう言うだろうな、昔のことだが。そういや帰ってきたとき写真をたくさん現像したんだった。きっとあんたも見てみたいんじゃないかな、ちょっと待っててくれ、あれは店のどこかに、確か厨房にあるはずなんだが、ちょっと探してくるから待っててくれないか」

 

――――――――――――

 

初老のパン屋の休暇の写真の何か、紙は粗悪で、褪色が進んで、時折片隅にふっくらとした親指を立てているのが写っていたり、飛んでいるカモメがぼやけたりしている、といったこと。傾き、偏った下手な自撮りや、体が見切れた写真に残った頭部の何か、くたびれ、色褪せたこのスカイ島の写真がおまえにとって何がしか意義あるものになるだろうという、パン屋の強い確信の何か。そしてとりわけ、海に突き出た岬の上、黒々とそびえたつ巨岩の写真の何か、下に赤いペンで書かれたTHE BLACK ROCKという文字には同じく赤いペンで下線が引いてあり、写真の端にはいびつなハートマークがいくつかぞんざいに描かれている、といったこと。


 その朝、おまえは街の中心部にあるアパートに帰らなかった。路面電車(ルアス)*4でコノリー駅へ行き、ベルファスト行きの切符を買った。電車の中で眠った。熱々の甘い紅茶をストランラー行きのフェリーで飲み、グラスゴー行きの電車でミルク入りコーヒーを飲んだ。インヴァネスへ向かう電車に拾われ、運ばれて行く間、スマホにざっと目を通しているとバッテリーが切れたので、ストロボライトを浴びているみたいに現れては消えを繰り返しながら窓ガラスに映る自分の姿の向こう側の、どこまでも深く沈んでいく夜の闇に目を凝らした。普段から、財布に入れた職場のIDカードの後ろに、いざというときのため使う英貨をほんの少しだけ折り畳んで隠してあったのだが、夜明けのカイル・オブ・ロカルシュにたどり着くころにはそれも使い尽くしていた。
 春のこぬか雨の降るなか、背を丸め、スカイ島へかかる橋を歩いて渡った。よく太ったカモメたちが待ち構えていたかのように、低い声で鳴きながら、十字を描いておまえの前を飛んだ。朝の湿気を避けるため、スライゴー・GAA*5のジャンパーのフードをかぶり、しっかりと紐で結んだ。この天気には覚えがあった。背中をアーチ状に横切る州の標語を読む人は辺りに誰もいなかった。「憧れの地」*6、かつて金色だったその文字は薄れ、白黒ストライプ柄のポリエステル生地のなかに消え入りつつあり、貝の模様の金色も剝がれかけていた。「憧れが呼びかける、我が友よ、民よ」、おまえはカモメたちに語りかけた。
 タクシーが一台停まっているのを見つけた。おまえはパン屋の写真で見た黒い岩の説明をした。
「ああ、スコーリーブレック」、運転手は言い、差し出された二十ユーロを受け取ると、おまえをポートリーベイの駐車場まで連れていき、岬への道順を教えた。
 上り坂の小道を歩いていくと、右手に岩だらけの海岸が見え、朝日が顔をのぞかせた。おまえは仕事のことを考えた。他のコンテンツ・モデレーターたちは昨夜おまえの仕事を穴埋めしてくれたのだろう。職場の離職率の高さを考えると、おまえの名前すら知らないスタッフもいるのだが。おまえはスタッフ用冷蔵庫の、レッドブルエナジーバーの隣にある、自分のミルク半リットルのことを考えた。スタッフが自由に食べていいポロミントのこと、いつもオフィス内で手渡されていくその包みの二つ、三つについて考えた。小さな休憩室のことを考えた。休憩室の電子レンジ、小型冷蔵庫、テーブル、数脚の椅子。おまえはそこで話し合ったことを考えた。何を画面で見たか、何を適切な内容と認め、何をアウトと判定したか。自分たちがまるで神であるかのように感じてしまうこと、話し合いが悪質なコンテンツに耐えるのを支えてくれること、自分の目にしたものを軽くいなし、すべて頭から払いのけてしまうことについて考えた。そしておまえは孤独なパン屋について考えた。あのおじさんは、今朝おまえの姿が見えないともう気づいているのだろうか。
 ようやく、パン屋を魅了した黒い岩が自分の前にぬっと姿を現すのを目にすると、おまえは湿ったヘザーの上に座って、ジャンパーを膝に置いた。ポケットの溶けかけたチョコレートバーを取り出して食べ、べたつくチョコから銀のホイルを細く剝がし、剥がしたかけらを一つずつ、風が運び去るにまかせた。紫の包装紙で小さな白鳥を折った。完ぺきとはいえないが、かなり近い形になっていた。上を向いた小さな紙の翼にひだをつけると、それを断崖の向こうへ指でぽんと弾き飛ばし、くるくる旋回しながら波間へゆっくり落ちていくのを見つめた。その姿が見えなくなると、おまえは海を眺め、朝日に目をまたたいた。


――――――――――――


彼女は爪を胴体にたくしこんで舞い上がると、暖かい上昇気流に乗る。連れが後ろから、呼びかける。彼女の大きく広げた黒い翼の両端にある、つややかな風切羽が、柔らかな風を受け震え、逆立つ。その下で大西洋が輝いている。
 彼女は首を曲げ、連れに目くばせする。彼は戯れに爪をのばし、白い尾羽を扇形に広げて速度を落とす。幅のある翼を二度打ってから、再び滑空する。彼女は片翼をたたみ、素早く彼のほうへ翻る。向かいあい、彼らは互いの爪を組みあわせ、一つになって横向きにスピンしながら空を降下していく。回転の勢いに翼が激しくはためき、薄黄色の目が見つめあい、背後で海と空が転がり回る。
 ちょうど水面にぶつかりそうなところではなればなれに舞い降り、彼らの翼は揺れ動く水をさっとかすめる。波の上で四度浅く羽ばたくと、彼らは互いのほうへ背を傾ける。彼がくるりと彼女の下へもぐりこみ、爪で彼女の爪に触れ、すうっと翔け昇る。彼女は追い、呼びかける。
 断崖の岩肌が正面に迫る。ヘザーやネズ、流木でできた彼らの巣は、内側を昔孵った卵のかけらで覆われ、岩肌のくぼみにおさまり、長いこと持ちこたえている。
 彼女は岬に動くものを見つけると、翼を鋭く傾け、それに向かって急転回する。渦を巻いて風に運ばれていくいくつもの細長い切れ端を日光が照らす。彼女はそばへ、そばへと近づき、輝いてはいるが生気の感じられない細片を宙に放っている男に注意を向ける。彼女の目は細長く裂かれた銀のホイルを追う。興味をなくし、彼女は翼をはためかせ空を翔け、再び暖かな気流に身を落ち着ける。連れは黙ったまま、後を追う。
 ひとりぼっちの男に視線を戻すと、彼女は男が小さな紫色の何かを弾き飛ばすのを見る。片翼を半ば閉じ、落下していくその何かに向かって急降下する。目標に近づくと、それが自力では動けない、つまらないものだとはっきり分かるが、くちばしで捕まえずにはいられない。そして彼女は体をひねり、上空へ飛び去る。彼女の舌が甘い、ひだのついた紙を丹念に探る。庇のように張り出した骨の下でぎょろりと後ろへ回した目玉を、彼らの巣のある岬に姿をさらしている男へ向けると、男が口を開け、彼女のほうを見上げ、腕をだらりと垂らして立ちあがるのを、黒、白、金の素材でできたもつれた海藻のような、生き物ではない何かがその足元にあるのを目にする。男は彼女に向かって大声で叫び、ゆっくり両腕を伸ばし、鳴き声をあげる。呼びかけ、呼びかける男の体は無防備で、無害だ。彼女を待っている連れが警戒の合図を送ると、彼女はぐるりと弧を描き、太陽を背に空中でとどまっている彼の、翼を広げた黒い姿のほうへ戻っていく。連れの周りを回る彼女には、下にいる背を丸めた男の、徐々に薄れていくセレナーデがまだ聞こえているが、さっと翻って上空へ舞い、連れが後を追う。海の大気が彼らの翼を運んでいく。

 

訳:芳野 舞

 

*著者紹介:ニーヴ・マッケイブ(Niamh Mac Cabe)…アイルランドの作家。過去に受賞歴があり、フィクション、ノンフィクション、詩作品をNarrative Magazine、The Stinging Fly、Mslexia、Southword、The London Magazine、No Alibis Press、The Irish Independent、Aesthetica、Lighthouse、The Forge、Structoなど、様々な国の雑誌・選集等に多数発表している。

http://niamhmaccabe.com/

https://twitter.com/NiamhMacCabe

 

*この作品は、The Stinging Fly Issue 41, Volume2, Winter 2019-20に所収のSea Eagle Sonataの改訂版を底本としています。こちらの翻訳の提案に対し改訂版を送ってくださったニーヴさんに心より御礼申し上げます。

©2023 by Niamh Mac Cabe
translated by Mai YOSHINO

*1:イーリアン・パイプス(Uilleann Pipes)はバグパイプに似たアイルランドの伝統的な楽器。右腕脇に挟んだふいごから左腕脇の革袋へ空気を送り、革袋からパイプに送られる空気とパイプの指穴を調節・操作しながら演奏する。革袋とパイプの接合部分の先にリードがついている。http://uilleannpipesjapan.web.fc2.com/Profile.htmlhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%B9参照。

*2:リールはスコットランドアイルランドのダンス・曲の一種。アイリッシュ・ダンスでは、リール・タイム(手をつないでぐるぐる回るダンスステップの一種)で踊られるダンスを指す。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9)https://juna9.seesaa.net/article/a39818333.htmlhttps://en.wikipedia.org/wiki/Reel_(dance)参照。

*3:コンテンツ・モデレーターはインターネット上の不適切なコンテンツを監視する業務に携わる人。wired.jpのこちらの記事を参照したが、いかに苛酷な仕事かが分かる。

*4:ルアス(Luas)はダブリン市街地と郊外を結ぶ路面電車。‟Luas”はアイルランド語「スピード」の意味。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%82%B9参照。

*5:スライゴー・GAAはGAAのスライゴー支部の名前。GAA(ゲーリック体育協会)はゲーリックフットボールハーリングなど、伝統的なアイルランドのスポーツ等の活動を統括・支援し、その振興と推進を目的とする団体。本作品のパート1で「フットボールクラブのジャンパー」と出てくるが、作者のニーヴさんによると「スライゴー州には26のスポーツチームがあり、この青年が来ているスライゴー・GAAのジャンパーはどこか特定のチームのものではない」とのこと。

*6:「憧れの地」(Land of Heart’s Desire)はスライゴー州のモットー。スライゴーはイェイツ(ウィリアム・バトラー・イェイツ、詩人・劇作家、1865-1939)の生地でもあり、彼の戯曲集の中には「心願の国」(The Land of Heart’s Desire)という作品がある。新婚の妻メアリーは夫ショーンを愛しているが、つらい労働を厭うあまり、なくしてしまった自由を取り戻したい、働きたいとき働いて、遊びたいとき遊びたい、この退屈な世界から連れ出してくれ、と五月祭の前の晩に妖精に呼びかける。いたずらな妖精は子供の姿でメアリーたちの家に入り、メアリーの夢見るような「憧れの国……美しいものはいつまでも美しく、衰えの波が寄せて来ない国。喜びが知恵であり、時が果てしなく喜びの歌を奏でる国」(p. 33)へ連れて行こうとする。妖精の甘い言葉と神父の説教、夫への愛の間でメアリーは最初ためらうが、結局行く、と返事をし、その場で息果て、妖精は消える、というお話。イェイツのこの作品と本作品との間には、スライゴーの州のモットー、またイェイツの作品名の一部でもある‟Heart’s Desire”しか完全に一致する言葉は見当たらず、構成も内容も共通点は少ないが、きつい労働からの逃避の欲望、誘われ、連れていかれるというテーマにおいて、間接的にイェイツの作品を下敷きにしたものとも考えられる(引用・参考文献は『イェイツ戯曲集』佐野哲郎、風呂本武敏、平田康、田中雅男、松田誠思共訳、山口書店、昭和55年)。

検分と放出するテキストーー第17挿話についての一考察

www.stephens-workshop.com

 

――・この考察は絶対的に正しいものであるか、相対的に間違っているものであるか?

  ・絶対的に正しいと言えるのは、作品に書かれている文章そのものである。それをどう解釈するかは読み手によって異なるので、相対的に間違っている、との指摘を受けるのはやむを得ないことである。――

 

 ブルームとスティーヴンがココアを飲みながら対話を交わす、物語の最終部分であるこの挿話が、教理問答文体(カテキズム文体)で書かれていることを知って、「なぜ…」と思われた方も少なくないのではないだろうか。というのも私がそうで、せっかくやっとブルームとスティーヴンとが最終的にどのような関係性にいたるのかの局面にたどり着いたのだから、そこは普通に小説らしく書いてほしかった。その一方でこれまで散々苦労/楽しんできた文体パロディの連続が、ここで途切れるわけはないともうすうす感じていた。ここにきてジョイスがいわゆる「普通の小説の文体」を選ぶわけがないのだ。ではこの教理問答文体で描かれた第17挿話から、何を「発見」し、何を語れるだろうか? 

(※ページ数表記は集英社文庫版『ユリシーズ』第4巻のものです)

 

 前述したように、教理問答パロディ文体で書かれているこの挿話は、問いと答えによって話が進んでいく。ブルームが鍵を持っていないことに気づき、どのようにして家に入ったか、ブルームの話を聞いてスティーヴンがどのようなことを思い出したかなど、登場人物(最初はブルームとスティーヴン、最後のほうで猫やモリーが出てくる)の行動や意識・思索などのすべてが問答体で書かれている。これまでの挿話を追ってきた読者なら、頭のなかで「ブルームは今こんな風に話しかけているんじゃないかな」などとこの問答を脳内翻訳して理解し、楽しむことも可能だ。

 そもそも教理問答とは幼児や非キリスト者などがキリスト者になるため必要な教会儀式を受ける前に、キリスト教の教義を分かりやすく教えるための入門教育の意義を持つものである。つまり教義を説き、伝えるための問答であらかじめ答えは用意されている。答えられないような斜め上からの問いは出てこない。ここでの問いは答えありきの問いである*1

 実際の教理問答集をすべて読んだわけではないので正確な比較にはならないのだが、この挿話での答えは問われている以上のことを答えている印象がある。それは書く必要はないのでは、といった不必要な記述が答えの中に散見される。

 

例:「スティーヴンは彼の合図に応じたか?/応じた。彼は静かになかにはいりドアをしめ鎖をかけるのを手伝い、男の背中とスリッパをはいた足と点火した蠟燭のあとについて静かにホールを歩き、明りの洩れる左手のドアの前を通過し、五段以上の曲り階段を用心深くおりてブルーム家の台所にはいった」(p.138)

「水は出たか?/出た。ウィックロー州にある立方容積二十四億ガロンのラウンドロック貯水池からダーグル川、ラスダウン、ダウンズ峡谷、キャローヒルを経て、スティローガンにある二十六エーカーの貯水池までは、二十二法廷マイルの距離を距離一ヤードにつき五ポンドの契約敷設費で構築された単複線パイプラインの濾過装置本管による地下水道を通過し、そこから調節タンク・システムを経て、二百五十フィートの傾斜路を経由し上リーソン通りユースタス橋にて市の境界線に達するが、長びいた夏の旱魃と一日千二百五十万ガロンの給水のため水位が量水ダムの基底部以下に落ちていた。このため市監察官兼水道技官である土木技師ミスタ・スペンサー・ハーティは水道委員会の指示にもとづき(一八九三年のごとくグランドおよびロイヤル両運河の飲用不適の水に頼る可能性も考慮に入れて)市の水道を飲用以外の目的に使用することを禁止した。特に南ダブリン貧民保護委員会は、六インチの計量器を経て供給される定量が貧困者一日一人あたり十五ガロンとされているにもかかわらず、同市の法律顧問である事務弁護士ミスタ・イグネイシャス・ライス立会いのもとに計量器を調べて発見したところによると、一夜に二万ガロンを浪費し、それによって他の社会層、すなわち支払能力のある自立し健康な納税者層に損害をおよぼしていたのであるから」(p.141‐142)

「なぜ彼はそのような立ち番にそこまで辛抱づよく耐えることができたか?/なぜなら彼は青年時代中期にしばしば室内で腰かけたまま多彩色球面ガラスの丸窓ごしに絶え間なく変化する戸外の人通りを、歩行者たち、四足獣たち、自転車たち、乗物たちがゆっくり、急速に、等速度で、丸い垂直な球面の縁に沿ってぐるりぐるりと旋回するのを観察したから」(p.161)

「歌われたその物語詩」(p.181)の歌の楽譜

 

 答えの中に書く必要のないことまで書かれている、というのは、一つには前述したように話を先に進めるためというのが主要因だと思うのだが、例えば上の例にあげたブルームがなぜ立ち番に辛抱強く耐えることができたか、という問いに対し、「歩行者たち……旋回するのを」までは、問いの答えとしては不必要である(不必要なのだが、どこかで意味を持っているのだろうと思わせるような記述である)。逆に、問いに対する答えが本当に答えになっているのか、問いそのものが不明瞭かつ答えの意味が分からない部分も多くある。

 

例:「これらの相互に両立不可能な諸提案をブルームが実現困難と感じた理由は何か?/過去の恢復不可能性。かつてダブリン市ラットランド広場のロータンダにおけるアルバート/ヘングラーのサーカス興行に際して、一人の直観的な多彩色衣装の道化が父親を求めてリングから観客席へ侵入し、一人で坐っていたブルームのところへ来て、彼(ブルーム)が彼(その道化)のパパであると公言して公衆を哄笑させた」(p.194)

「スティーヴンはこの断念に同意したか?/彼は既知の世界から未知の世界へ三段論法的に前進する意識的理性的動物としての彼の意義、不確定性という空無の上に不可抗力的に構築された小宇宙と大宇宙のあいだにおける意識的理性的被験者としての彼の意義を強調した」(p.196)

「事実を考量し錯誤の可能性を考慮した上での彼の(ブルームの)論理的結論は?/それが天の樹でも天の穴でも天の獣でも天の人でもないこと。それは一つのユートピアであり、既知から未知にいたる既知の道はどこにも存在しない。それは一つの無限であり、そこには諸天体の蓋然的併置を仮定することによって有限と見なし得るが、天体の数は一個でも一個以上でも差し支えなく、大きさは同一でも不同でも差し支えない。それは可動性の錯覚的形態の一団であり、空間において不動性を得たものが空気中において再び可動性を帯びる。それは一つの過去であり、未来の観察者たちが現存在として実在しはじめる前にすでに一つの過去として存在しなくなるかもしれない」(p.203‐204)

「ただ独りで、ブルームは何を聞いたか?/天に生れた地球の上を遠く去り行く足音の二重の響きを、鳴りわたる小路にユダヤ人の琴の二重の震えを」(p.210)

「なぜ(他人との関係においては)変りやすいか?/幼児期から成熟期まで彼は母系の肉親に似ていた。成熟期から老衰期まで彼は次第に父系の肉親に似るであろう」(p.217)

「この失踪者はどんな時でもどんな場所にもどんな形でも再出現しないか?/彼は自分自身に強いられて彼の彗星的軌道の極限へと永遠に流浪するであろう。恒星たちを、変光する太陽たちを、望遠鏡的遊星たちを、天文学的浮浪者たち迷子たちを越えて、空間の極限の境界線へと、国から国へと、多くの民族や多くの出来事のなかを。どこかで彼はかすかに彼を呼び戻す声を聞き、太陽星に強いられて、心ならずもその声に従うであろう。そこで北の冠座から姿を消してカシオペイア座のデルタ星の上空に生れかわった形で再出現し、無限の世紀にわたる遍歴の果に異邦帰りの復讐者として、不正のやからの膺懲者として、黒髪の十字軍騎士として、目覚めた睡眠者として、ロスチャイルドや銀の王者のそれを(仮定において)凌駕する財力を持って帰還するであろう」(p.256‐257)

「いつまでも決着のつかないことを恐れて決着をつけるべく立ちあがろうとしたとき、ブルームはみずからに課したいかなる謎を無意識に感知したか?/歪み木目のテーブルの無感覚な木材が発した短い鋭い意外な高い寂しい音の原因」(p.259)

「旺盛な精力、肉体的均斉、商業的手腕のほかになぜ特に印象の強烈性が考察されたか?/なぜなら彼が近年ますます頻繁に観察しつつあるところによると、前述の連続項の先行者たちはみんな同一の色欲の炎を漸次旺盛に伝達し、相手の反応は最初に不安、次いで理解、やがて欲望、最後には疲労であるが、その過程で交互にあらわれる徴候は男女とも理解と懸念とであるから」(p.265)

 

 このような、問いと答えとのすべてが完全とは言えない対応関係や難解さがあると同時に、このテキストの大きな特徴として、科学(特に物理)的・数学的な記述が大量に現れる。登場人物の行動やその結果生じた事象は物理法則に基づいて説明され、ブルームとスティーヴンの年齢差は比率の観点からも語られる。

 

例:「水を入れた容器のなかでは火の作用によっていかなる付随現象が発生したか?/沸騰現象。台所から煙道へと絶えず上昇しつつある通風に煽られて、燃焼は、予燃燃料である薪束から、熱(輻射性)の根源である太陽に発し遍在的発光性透熱性エーテルを通して伝達されたエネルギーにより植物的生命を得た太古の原始林の葉状化石状脱落膜を凝縮した鉱物質形体のうちに含有している多面体瀝青炭の塊へと移って行った。その燃焼から発生する運動の一形態である熱(伝導性)は、不断にそして加速度的に熱源体から容器中の液体へと伝達され、凸凹のある不研磨黒色の鉄金属面が一部は反射、一部は吸収、一部は伝導して水温を常温から徐々に沸騰点まで高めたが、この温度上昇は水一ポンドを華氏五十度から二百十二度に加熱するに要する七十二熱量単位の消費の結果として表示される」(p.146)

「彼らの年齢のあいだにいかなる関係があるか?/十六年前の一八八八年にブルームが現在のスティーヴンの年齢であったときスティーヴンは六歳であった。十六年後の一九二〇年にスティーヴンが現在のブルームの年齢になるときブルームは五十四歳になる。一九三六年にブルームが七十歳スティーヴンが五十四歳になると最初は十六対〇であった彼らの年齢比率は一七か二分の一対十三か二分の一となり、将来任意の年数が加わるにつれてますます比率は大きく格差は小さくなるであろう。なぜなら一八八三年に存在した比率が不変のまま存続するという事態がもしあり得るとすれば、一九〇四年当時スティーヴンは二十二歳だからブルームは三百七十四歳、一九二〇年にスティーヴンが三十八歳つまり当時のブルームの年齢に達するときブルームは六百四十六歳、一九五二年にスティーヴンがノアの洪水以後の最高年齢七十歳に達するときブルームはすでに千百九十歳であるからその生年は紀元七一四年、ノアの洪水以前の最高年齢すなわちメトセラの九百六十九歳を二百二十一歳も凌駕することになるし、スティーヴンがもし長生きして紀元後三〇七二年にその年齢に達したときブルームはすでに八万三千三百の齢を重ね、したがって彼の生年は紀元前八一三九六年のはずであるから」(p.158)

 

 それと類似し、関連した特徴が、あまりに長すぎる答えの中の「列挙」とテキスト上に現れる数字の多さだ。

 

例:「水を愛し、水を汲み、水を運ぶ者ブルームは暖炉レンジへ引き返しながら水のいかなる属性を賛美したか?/その普遍性。その民主的な平等性と、みずからの水平を保とうとする本性への忠実さ。メルカトル投影図の海洋におけるその広大さ。太平洋スンダ海溝において八千尋を越えるその測り知れぬ深さ。海岸のあらゆる地点をつぎつぎに訪れる波と表面微粒子との不断の動揺。その単位分子の独立性。海の状態の多彩な変化。凪におけるその流体静力学的静止。小潮および大潮時におけるその流体動力学的膨張。時化のあとのその沈静。南極および北極周辺の冠水地帯におけるその不毛性。気候および貿易におよぼすその影響。地球上の陸地に比して三対一のその優越。亜赤道帯南回帰線以南の全地域に広がるその平方リーグの明白な支配。原始的海盆におけるその積年の不変性。暗赤黄色のその海底。数百万トンの貴金属を含む可溶解物質を溶解し溶解状態に保つその能力。半島や島におよぼすその緩慢な浸蝕作用と、相似的な島と半島や沈下傾向の岬を絶えず形成する作用。その沖積層。その重量と容積と濃度。潟湖や環礁や高原湖におけるその静謐。熱帯、温帯、寒帯におけるその色調移行。大陸内の湖水に注ぐ渓流、諸流をあわせて海洋にそそぐ河川、さらには海洋横断の潮流、湾流、赤道の南北を走る海流などによるその分枝状運搬組織。海震、竜巻、噴き井戸、噴泉、激流、渦巻、増水、出水、大うねり、分水嶺、分水界、間歇泉、瀑布、渦流、海旋、洪水、氾濫、豪雨などにおけるその猛威。陸地をめぐるその長大な水平線上の曲線。棒占いの棒や湿度計によって明示され、アッシュタウン門の壁穴そばにある井戸、空気の飽和度、露の形成などによって例証される泉および潜在的湿気の秘密。水素二、酸素一の成分によるその構造の単純さ、その治療的効能。死海の水におけるその浮力。細流、岩溝、不完全なダム、船体の裂孔などにおけるその執拗な浸透性。洗いきよめ、渇をいやし、火を消し、植物を養うその属性。範例および模範となるその無謬性。霧、靄、雲、雨、霙、雪、霰となるその変容。堅固な給水栓におけるその圧力、湖、浦、湾、入江、海峡、潟、環礁、多島海、瀬戸、フィヨルド、狭水道、河口、内海におけるその形態の多様性。氷河、氷山、浮動氷原におけるその固体性。水車、タービン、ダイナモ発電所、漂白工場、なめし革工場、打麻工場を動かすその従応性。運河、遡行可能な河川、浮ドックおよび乾ドックにおけるその有用性。潮流の制御および水路の落差利用によって引出し得るその潜在エネルギー。実体はともかく数においては地球上の生物の大半を占めるその(無聴覚、嫌光)海底動物群および植物群。人体の九〇パーセントを占めるその遍在性。沼沢地、悪疫性湿地、饐えたフラワーウォーター、月のかける時期の澱んだ水溜り等におけるその瘴気の有毒性」(p.142‐144)

ブルーム宅の台所の調理台下に置かれている食器・食料の一覧(p.148‐150)

ブルームとスティーヴンの年齢の関係(p.158‐159)

「その連想でブルームはいかなる情景を再構成したか?/クレア州エニスのクイーンズ・ホテルにて、ルドルフ・ブルーム(ルドルフ・ヴィラーグ)が一八八六年六月二十七日の夕方未詳の時刻に死亡、原因はトリカブト(アコナイト)の服用過度。アコナイト塗剤二に対してクロロフォルム塗剤一の割合で調合した神経痛用塗剤(一八八六年六月二十七日午前十時二十分エニスのチャーチ通り十七番地フランシス・デネヒー薬局で購入)を彼は自己投与した。その行為の原因ではないが、その行為の前、一八八六年六月二十七日午後三時十五分に、彼はエニスの大通り四番地ジェイムズ・カレン一般衣類販売店で新品の超スマートかんかん帽を購入した(その行為の原因ではないが、その行為の前に、彼は前述の時刻と場所において前述の毒薬を購入していた)」(p.169‐170)

「なぜ彼はそうした計算をもっと正確な数字に到達するまで追求しなかったか?/なぜなら何年かまえ一八八六年に円と等積な正方形を作る問題に没頭していて彼は或る数値の存在を知ったが、或る程度まで正確に計算するとその数値はたとえば九の九乗の九乗などという厖大さと桁数に達し、その得られた数字は各巻千ページ、細字でびっしり印刷して三十三冊、そのためには幾折幾連ともしれぬインディア・ペーパーを購入して、最後まで全部印刷すれば整数値の桁は、一、十、百、千、万、十万、百万、千万、億、十億と、すべての級数のすべての数字が星雲の中核として、簡潔化した形で包含している累乗の可能性は極度に動的に展開するあらゆる冪のあらゆる累乗におよぶ」(p.200)

ブルーム宅の書棚にある本の一覧(p.218‐220)

「田園住宅のために彼はいかなる金額をいかなる方法で支払うつもりであったか?/勤労外国人同化帰化友好促進国家補助建築協会(一八七四年設立)の説明書に従って、年額は最大限六十ポンド、ただし一流の証券から得られる確実な年収の六分の一を超えないことを条件とするが、これは千二百ポンド(二十年の年賦による家屋の概算価格)の元金に対する五分の単利に相当する金額である。価格の三分の一は取得と同時に支払い、残額すなわち八百ポンドプラスその二分五厘の利子は毎年同額の四季払いで二十か年以内に皆済するように償還するものとし、その年額は元利を合計すれば六十四ポンドの借家料に当る。不動産権利書には上記金額滞納の場合の強制売却、抵当権執行、相互賠償に関する但書をつけて、一人もしくは二人以上の債権者がこれを保持するが、滞納がなければ期間満了とともに家屋は借家人の絶対所有財産となる」(p.235)

「ただちに購入できる財力を獲得するにはいかなる急速ただし不安全な方法があり得たか?/私設無線電信機の利用、すなわち全国ハンディキャップ競馬(平地または障害)一マイルないし数マイル数ヤードのレースの結果、午後三時八分(グリニッジ標準時)にアスコットで不人気馬が勝ち五十倍の割戻しがあることをトン、トン、ツーの信号で打電し、二時五十九分(ダンシング標準時)にダブリンで受信したその情報にもとづく賭博行為。多大の金銭的価値を有する物件、宝石、糊付きまたは既にスタンプが押してある貴重な郵便切手(七シリング切手、藤いろ、孔線なし、ハンブルク、一八六六。四ペンス切手、薔薇、青地、孔線入り、大英帝国、一八五五。一フラン切手、黒褐色、官製、点孔入り、斜めに料金の添刷、ルクセンブルク、一八七八)、古代王朝の指環、かけがえのない遺跡の思いもかけぬ発見、しかも異常な場所、異常なかたちで。たとえば空中から(飛んでいる鷲が落す)、火事の後(焼失した建物の炭化した焼跡のなか)、海で(漂流物、浮荷、浮標つき投荷、遺棄物の中)、地上で(食用禽の砂嚢のなか)など。スペインの囚人からの遺産贈与、すなわち遠方から持って来た財宝や正貨や金銀塊を百年前に有力銀行に年五分の複利で預けたその総額が£5,000,000,stg(英貨五百万ポンド)。軽率な人物との商業契約、すなわち三十二個の委託商品の配達料金に関して最初の一個はわずか四分の一ペニー、二個目から順次二の幾何級数で増加して行く(四分の一ペニー、二分の一ペニー、一ペニー、ニペンス、四ペンス、八ペンス、一シリング四ペンス、二シリング八ペンスと第三十二項まで)。蓋然性法則の研究にもとづく周到な賭博技術、それを駆使してモンテ・カルロの胴元を破産させる。円と等積の正方形の作図という古代以来の難問題の解決、それによって政府からの賞金英貨百万ポンドをせしめる」(p.235‐237)

 

「列挙されるものたち」はすでに第12挿話に出てきており、読者はそのすべてが必ずしも正しくないこと(仲間外れ的な間違いが含まれていること)を確認している。また、第16挿話に頻出するevidently、apparently、seeminglyといった「明らかに~」「見たところ~」「どうやら~」といった副詞の頻出は深夜の馭者溜りという怪しげな舞台を背景とした挿話のなかで語りそのものの信頼性を揺るがす効果を生み出していると考えられる。この「明らかなものと一見不確かなもの」のテーマを第17挿話では引継ぎ、発展させているのではないだろうか。

 文体パロディはおそらく第12挿話から続いており、その特徴はさまざまであるが、今まで読んできた中で一貫しているのは、パロディによって「テキストの意味内容が信用できなくなる」効果ではないかと思われる。それを踏まえると、今回の教理問答文体パロディにおける問いと答えの「ずれ」や不明瞭さといった特徴は、逆に文体パロディを非常に効果的に使って書かれた結果、とも言えるのではないだろうか。初心者の入門のための文章の文体が、人物の一挙手一投足、世界のマクロからミクロまで、そこまで書かなくてもいいと思わせるほど細かく、科学的に、あるいは注釈や説明書のように書かれすぎることで、かえって難解になったり、簡単には信じがたくなったりしてしまうというのはこの教理問答文体パロディの「パロディらしい」面であろう。

 そして、内容面についての大きな特徴としての科学的・数学的な記述、大量に列挙されるもの・数字についても、読者は「そう書かれているからそうなのだ」と鵜呑みにはしないほうがいいのではないかと思われる。私は物理も計算ももともと苦手なので、一つ一つの正誤を検証するのが難しいのだが、この問答にはブルームの意識に置き換えられるような部分もあるので(そしてブルームといえば「間違えることもある人」というのはすでに第5挿話あたりから確認できる)、恐らく間違っている部分もあるだろうことが予測される。

 一方で、それが「正しいか間違いか」より「この《一見》科学的・数学的な記述、文体パロディによって、作者が何を表現しようとしているのか」を考えることのほうが私にとっては興味深く思える。

 ブルームが家のなかにはいり、スティーヴンを中に入れ、火をおこし、お湯を沸かす、といった一連の動作や、スティーヴンがブルーム宅を出るときの二人の外での放尿と握手といった行動が主に物理学的な法則を用いて説明・詳述され、二人の年齢差が未来と過去における差と比の計算を用いて記述されている点などは、二人の特徴や関係性をこれまでとは違う基準でもって検めることである*2。この「別の視点から見直すこと」はブルームとスティーヴンという対照的な人物のやり取りを一つの挿話のなかで描くに際し、必要かつ有効な措置であったのかもしれない。これまでの挿話を読んできた読者には、「ブルームはこんな人、スティーヴンはこんな人」といった先入観がある。そして実際二人は一見真逆の特徴を備えているのが読者の意識のなかで強調されがちかと思うのだが、今までの挿話でそれとなく示唆されてきたように、二人には共通点もあるのだ(そういった意味で二人はやはり「鏡像的」であるともいえる。映し出されるものは一見同じだが、一方が左手をあげているとき他方は右手をあげているのだ)。そういった相違点・共通点をこの科学的記述と教理問答文体パロディでは、どちらの側にも肩入れすることなしに、客観的に「検めなおす」ことができる。

 そしてカタログ的列挙*3、大量の数字の記述は、問いという刺激によって生じた答えの放出という側面を有しているのではないだろうか。たくさんの人や生き物・無生物たちが、挿話の進行につれて色々なものを「放出」していく、というのは読書会主催者の方々の言であるが、実際にこの挿話のなかでも「放出する/されるもの」は多く描かれる。実際に「放出している」とはっきりわかるものもあると同時に、例えばスティーヴンがマーテロ塔を出るのも、ブルームの家を出るのも、一つの旅立ちであり放出だ。誕生は此岸への放出、死は彼岸への放出であるとも考えられる。そう考えてしまうと何もかもが「放出している/されている」側面を持っていると思わずにはいられなくなる。それと同時に、比較的短い文章が多い問いに対する答えの内容の長さや、問いのなかには1、2程度の数字しか出てこないのに、答えの中では何億という巨大な桁の数字や、いくつもの年齢や日付、金額や数学的な計算結果から導かれた数字が並べ立てられることで、問いが答えを「発散」しているような印象を受ける。これは問いと答えによって進んでいく文体、テキストそのものが放出的な運動性を帯びている、と言えるのではないだろうか。そしてこの放出性こそが、物語を先へ進める推進力になっているのではないだろうか。

*1:教理問答については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%BA%E3%83%A0https://en.wikipedia.org/wiki/Catechism

*2:違う基準で読み直す、という点については読書会参加者のお一人三月うさぎ(兄)さんからのツイッター上でのコメントを受けたものです。

*3:列挙についてはジョイスの作品でよく言われる「意識の流れ」とはまた別の、人間の意識の描き方の一つなのではないかと考えているのですが、長くなるので割愛します。

10年前のギリシャ旅行記――オデュッセウスになりたくて

 旅に行きたいので。約10年以上前に某SNSで書いたギリシャ旅行記です。コピペしただけですが、誤字等は多少修正してます。長いです(笑)。偏見じゃないかという表現もありますが、10年以上前の自分が旅行をして感じたことを率直に書いたものなので、そのままにしておきます。今の私は旅行をしてももうこういう文章は書かないし、書けないので。

 

オデュッセウスになりたくて:出汁で済ます陸のクリスマスでした

2009年12月25日

 無理やり仕事を終わらせたことにして一人仕事納め。会社は普通に29日まで営業しているのだが。他の人は皆忙しいけれど、私は休みますよ。有給とって、かなり長く休みますよ。ああもう大分顰蹙買ってるだろうな、とか、気にしない。お前クビと言われるその日まで。しかし今月の給料明細も安かったな… 手取り6割ってどうよ。厚生年金とか入らんでもえーやん。あれなきゃなぁ、15,000円くらいプラスなんだがなあ。
 書を捨てよ、街に出ようではないが、ギリシャ行ってきます。2週間。夏の請求書起こしの嵐で逃げたい気持ちがピークになって、買ってしまったアテネ行きの航空券。船乗って、島へ行きます。オデュッセウスになりたくて。自分の体を帆柱に縛り、船員たちの耳を蝋で塞いで、セイレーンの誘惑を逃れたい。オフシーズンは観光客向けの店の大半は閉まっているらしいのだが、宿と食べ物が確保できればそれで良い。遺跡を見たい、船に乗りたい、海を見たいという気持ちは確かに強いけれども、とにもかくにも休みたい。誰もいないところで、非日常に浸りたい。ごみ捨てとか、ネットとか、ご近所とか、全部忘れて眠りたい。
 この数ヶ月かけて色々と準備をしていた。言葉と、持ち物。ギリシャ語勉強してたんすよー。ばっちりとはとても言えないし、本当に現地で使う勇気があるかどうかは分からないが、できる限りの努力はした。話してみて少しでも通じるといいな、程度の期待。あとは、持ち物、持ち物。何か旅行とかイベントってなると、今までいちいち使い捨てカメラを買っていた。デジカメに抵抗があるのと、毎日使うものでもない高価なものになかなか手を出せなかったため。カメラの何が好き、ってネガフィルムが好きなんですよ。間違って裏蓋開けたらすべてパーになるやつ。普通のカメラでフィルム使うやつって、今だったらデジカメより高いプロの使うようなのしか売ってないんじゃないだろうか。詳しくないからわかんないけど。画素なんて人工の単位がこの世界のありのままの存在を再現できるわけなどない!!、なんてな。でもやはり使い捨てだと、暗い場所や夜景は全く使い物にならないので、思い切って買ってみた。たしかビックカメラのネットショップでニコンCoolpix(だったかな)、11,000円。プラスメモリカード2,000円。ネットの口コミ見てたらあれがあーだとかこーだとか色々書いてあって、どれ買えばいいのか分からなくなってしまい、こればかりは現物に触れるしかないだろうと、長崎屋に入っている面白ベスト電器で置いてるカメラ片っ端から起動させてみたんだが、何がどう良くてどう悪いのかさっぱりわかんなかったので、結局見つけた中で一番安かったのを購入。こないだ井の頭公園まで行って使い方の練習がてら写真を撮ってみたけれど、これと言って不便もない。まあずぶの素人ですからね。買ってみて何よりも嬉しかったのは、液晶部分がタッチパネルになっていたことだ。うちで唯一のタッチパネル。
 外貨も買った。TCがめんどくさいので(と言うか最近ではあまり利便性に欠けるという話を聞いていたので)全部キャッシュ。体の色んなところに隠していこうかと思う。だってオフシーズンのギリシャの島なんて、TC両替できる銀行あるのかどうか不安だから。外貨を買ったのはいいが、移動と宿賃だけで当初の予算ぎりぎり気味なのが今二番目の不安。あんなに毎日請求書起こしているのに、自分の金の計算については苦手。ちなみに一番の不安は11時のフライトに間に合うように起きれるかどうか。2時までに眠れなければ徹夜の覚悟。
 というわけで、28日から1月12日まで日本にいません。皆様良いお年を。m(_ _)m

(タイトルは回文です)

オデュッセウスになりたくて:まだトランジット

 えろう遅なってすんまそん。帰国してからちょっと忙しすぎて… といってもほとんど家事だけど。洗濯して掃除して部屋片付けて、写真とお土産整理して、旅行中書いてた日記を今編集中。少しずつアップしていきます。長期戦の見込み。

12月28日 成田―ロンドン機内にて
 というわけで機上の人である。寝坊するのが怖くて徹夜。明け方の電車の中で、カバンを握り締めて座っている私の手の甲がひどく年をとっているのに気づいて今日は驚いた。東京駅からNEX(成田エクスプレス)で空港へ。NEXって…ペプシかよ。成田空港に入るの大変だった。空港自体に入るのにセキュリティチェックがあるのな。無事スト回避してくれたおかげでBA機に乗っているのですが、クルーはストしたいのにとか思いながら働いているのだろうか。眠くてしょうがなかったのがワイン飲んで急にしゃんとするとか私は廃人か? どうでもいいが全然英語が聞き取れない。さっきはトイレの圧力でドアが開きそうになって焦った。まだトイレ入っちゃ駄目なのかと思った。私はとりとめもなく現実と空想と、過去と未来とをごちゃ混ぜにして、まるで一貫しておらず、この先も全くこの通りであろうと予感される。西に向かって飛んでいる飛行機の窓の外はいつまでたっても明るくて、好奇心は膨らむけど多分体がついていかない。それにしても今何時? 日本時間で19時20分。つうことは8時間ほど乗ったと言うことか。あと4時間ほど? 突然ふと取り返しのつかないことをしてしまったような気分に襲われる。物凄い速度で、誰からも遠ざかっていきます。時速1000マイルの寂しさ。年をとった私の手の甲。私は見知らぬ土地を踏みたいと焦りながら、お守りのように会いたい人の顔を思い出している。雲の上でおそらく時間の流れ方は狂う。逆さにまわる時計の針に運ばれて、私はただ無性に何かが恋しい。

(ロンドン到着は3時ごろだったのだが、予約していたホテルに辿り着くまでに手間取って気がつけば夕闇。それでも意地でウェストミンスター駅へ行き、ビッグベンとウェストミンスター寺院テムズ川の夜景を撮って凍えながらホテルにもどる。アテネ行きのフライトは午前8時。なので5時起きで凍えながらヒースロー空港へ向かい、無事搭乗。)

12月29日 ロンドン―アテネ機内にて
 再び機上の人となる。予約したホテル中は快適だったけど失敗した。最寄のバス停はCompass centerってアクセス情報に書けよ。どこへ行くにもバス使わなきゃいけないってのは非常に不便。海外モードへのチューニングが上手くいかず、何をするにも10分は困った。シャワーのボタンは押すのではない、引くのだ! ウェストミンスター駅に向かう地下鉄ディストリクト線の、ミントと酒のにおいの充満する満員電車の車内ではおじさんたちの突き出た腹に四方から支えられてある意味快適。揺れてよろめいてもぼよん、ぼよん、って跳ね返してくれる。ビッグベン綺麗でした。ウェストミンスター寺院もな。中にはいってステンドグラスを見たかった。しかしイギリスの公共の建物内はどこも禁煙なので道がひどく汚い。店も飲み屋も駄目だからみんな外で吸ってる。空港行きのバス(423番)を待つ朝5時のバス停は寒くて死ぬかと思いました。423 or die…という言葉が頭の中で無限リフレイン(ちなみにバスは30分遅れでやってきた)。

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オデュッセウスになりたくて:友人の名前はバ

12月29日
 アテネ空港着後、バスでピレウス港へ直行。ギリシャ国内のすべての島への船が着港する拠点港である。そのままエギナ島へ。乗船時間1時間程で、とても近い。が、船のチケットを買うときに地球の歩き方を店に置き忘れる。辛うじて予約していたホテルの名前は覚えていたので、島に着いたらすぐにネットのできる店を探した。港の近くがそのままエギナ島の中心街で、沢山のカフェやタベルナが並んでいたので、幸いなことにすぐに見つけることができた。ホテルの場所は何とか確認することができたが、店の主人に「ホテルプラザってどこにあるか分かりますか?」と聞いてみた。「右側にずっと歩いていけば見つかると思うけど、ちょっと待って、俺の友達が案内してあげるよ」と、店の中にいたお客さんを連れてくる。道すがら色々と話す。
「どこから来たの?」
「日本です」
「僕は歌手でね、マンドリンも弾くんだ」
「プロの歌手ですか?」
「そうだよ。ホテルとか、教会とか、色んなところで歌ってる。君はバケーションで来たの?」
「はい」
「どのくらいいるの?」
「ここには1週間くらい。そのあとでクレタ島アテネを見て回ります」
「いいね。ここは暖かいし。特に今年は例年よりも暖かくて、みんなびっくりしてるよ。僕の名前はバ○○。君は?」
「マイです」
「よろしく。あの辺のカフェによくいるから、また会おうね」
「ええ、是非。また行きますね」
 と言った感じで(ちなみに英語です。ギリシャ語ではありません)。ホテルについてほっとして、日記でも書こうかと思った瞬間、何という恩知らず者か、今案内してくれた人の名前を忘れる。確か最初の文字はバだった… バルティス? バディス?… どうしても思い出せないまま、また今度会ったときに失礼だがもう一度聞いてみようと思いながら、疲れ果てて就寝。

<エギナ島ホテルでの日記>
 一時はどうなるかと思い… なくしたのが歩き方でまあある意味良かったが、替えがきかない… しかし、飛び込みで入ったカフェがよかった… しかも友達バの名前忘れた… 最低や。また行こう。明日はガイドブック探しから始まるだろう。今日は休息日と言うことでていうか休んだほうがいい。ていうか今から歩き回ってもまたバに迷惑をかけるし、休みに来たのであるから。

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12月30日
 朝はまずガイドブック探し。何とか本屋を見つけて、簡単なエギナ島マップとGeorgeなんとかという人の書いた「エギナ島ウォーキングガイド」というような名前の本を買う。この本、島内をハイキングする人のための本だから、中心街にどんな店があるかとか、どこがおいしいとか、どこの村まではバスで何時間とか、そういった情報は載っていない。どう見ても今回は使えないだろうなとは思ったが、ないよりはましと考えて購入し、ホテルに戻ってぱらぱらと読んでみた。
「小学校の前でバスを降り、右側に真っ直ぐ歩いていくと立派な松の木が二本生えているのが目印」
「このトレッキングコースは両側の木の枝が非常に低い位置に生えているので、葉が頭に刺さる。気をつけよ」
 ジョージ… 情報がある意味高度すぎるよ… 気ままに書きすぎだよ…
 あとは中心街のお店やカフェを覗いたり、1人浜辺で砂遊びをしたりしながらのんびりと過ごす。コロナ宮殿という小さな遺跡も近かったので訪れた。ギリシャの地酒ウゾも飲みました。

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オデュッセウスになりたくて:オデュッセウス、バスに置いてかれる

12月31日 
 アフェア神殿訪問。ある意味この小さな島で一番の見所とも言える。中心街からバスで30分ほど。真っ青な空に、真っ白い大理石の柱が見事に映える。保存状態も良い。

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 それほど大きな遺跡ではないので、1時間弱たっぷりと堪能してから、神殿の入り口の向かいにあるお土産屋兼カフェでコーヒー飲みながら帰りのバスを待っていた。…ら、のんびりしすぎてバスを逃す。周りには神殿とこのカフェしかない。ずっと待ってるのも退屈だ。ジョージの本によればアギア・マリナというリゾート地までここから歩いて30分。神殿はとても高い丘の上に立っていて、アギア・マリナの海岸も見える。街に出たほうがバスに乗りやすいのではないかと考えて、不安ではあったがジョージの本片手に歩き出した。目指すべき海岸を見失わないように、また、いつでも元の場所に戻れるように、何度も振り返っては丘の上にそびえ立つ神殿の位置を確認しつつ坂道を下る。眺めはいいが、人の気配ゼロ。車すら通らない。ここでもし盗賊が飛び出してきたら、と思うとどんどん恐怖が増してきて、自然と速足になる。右前方にぼろい木の板に手書きで「アギア・マリナまでのショートカット ここから500メートル」と書いた、いかにも頼りない手作りの看板が見えた。指し示す道は、両脇を乾いた木々の無造作に生える荒地に挟まれていて、舗装もされていない。かなり怪しかったが、見た感じ一本道のようではあるし、これ以上舗装された道を進んでもアギア・マリナの方向を示す標識が見あたらなかったので、募る恐怖を抑えつけながらショートカットへ。このショートカットがそれまで以上に急な坂道で、そこかしこにぼこぼこと丸い頭を出しているむき出しの石は磨り減ってつるつるだ。その上に乾いた砂が撒き散らかってるもんだから、滑る滑る… 小さい声で「ヒー」と言いながらほとんど駆け下りるようにして前へ進んでいくと、やっと小さな民家が見えた。ほっとしたのも束の間、民家の前をうごめく黒い影… 
 …ワンがいる… 
 吠えている。こっち見てる。犬は嫌いではない。が、ギリシャには野良犬が多い。しかも最近日本に多い小型犬なんて滅多にいない。ほとんどが小ぶりの羊くらいの大きさのやつだ。黒いワンと見つめあうこと数分。遠くから目視確認。奴の向こうには家がある。奴は尻尾を振っている。おぼろげながら鎖らしきものも見える(長さは分からない)。よくよく見ると右奥に犬小屋らしきものも見える… 
 これは… ゴーだろう… 
 そう思いながらゆっくりと、「君には残念ながら興味ありません」という素振りで、あくまで普通の人の歩く速度でワンの横を通り過ぎた。ジョージ… ショートカットには犬はいるけど飼い犬だから安心しなさいって書いといてくれよ… 
 犬を無事クリアし、海に向かって坂を下っていくとすぐに街の中心部らしきところに出た。らしきと言うのがミソである。タベルナもある。カフェもある。お土産屋もある。ホテルもある。が、開いてるのは2,3軒… それよりも何よりも、辺りにはバスのバの字すら見当たらない。あー…という気持ちで、とりあえず10分くらい砂浜に座り海を眺める。だがいくら眺めていてもバスには乗れないので、気を取り直してバス乗り場探し。最初に入ったのは商店のようなところ。店の主人の爺さんが暇そうにこっちを見ている。どう見ても英語通じなさそうだ。「シグノミ、アポプボロナパロトレオフォリオ?(すいません、バスはどこで乗れますか?)」爺さんは何かしらギリシャ語で答えてくれるのだが、全く意味分からない… 困った様子の私を見て、ヒア、ヒアと言うので、てっきりここで乗れるものだと思って一瞬喜んだのだが、爺さんすかさず「まあとりあえず中に入れ」見たいな仕草をする。ここで待ってろということなのかと思って素直に入ったら、中は普通の商店。商店というか、日用品店。洗剤とかトイレ掃除に使うようなタワシだとかが所狭しと並んでいる。
 この爺さん帰れなくて困り果てた私にタワシを買えと言うのか?… 
 意思疎通不可能と判断し外に出ようとしたが、目の前にチョコレートを手にした爺さんが立ちふさがる。「これすごくおいしい。これもおいしい。1.5ユーロ」ああそういうことかと思い、しょうがないからチョコを買うが、コインが1.35ユーロしかない。20ユーロ札を出したら、おつりがないか計算がめんどくさいのか爺さんは首を振る。「もういいよ、1.35ユーロで」ありがとうと言って外に出ようとしたら「バス停は左側に100メートル歩いたところにあるよ」 
 …なんだこのRPGみたいなやり取りは… 
 言われた方向に歩いてみたが、どうしてもバス的な何かが見つからない。そこで見つけた2軒目の商店。「すいません…」「ハッピーニューイヤー!!」突然立ち上がって握手してくる店主のおじさん。「ああ…(今日12月31日だよ) ハッピーニューイヤー… バスはどこで乗れますか?」「ああ、50メートル向こうだよ」と、さっきの爺さんと反対側の方向を指す。歩きすぎたのか。今度は何も買わされず、再び言われたとおり歩く。やはり見つからない。3軒目はカフェ。カリメラ(こんにちは)と言って入ろうとしたらエフハリスト(ありがとう)と言ってしまい、のっけから不審な視線を注がれる。「…すいません、バスはどこで乗れますか?」「ああ、あっち側に20メートル」さっきの店主と同じ方向。少し歩き足りなかったわけだ。高速のフクロウ並みにきょろきょろしながら歩いていたら、少し奥まったところにあるゲームセンター(当然閉まっている)の脇に「Bus ticket」と小さな看板を掲げたバラック小屋のようなものが見えた。シャッターは閉まっている。いわゆるバス停(時刻表のついた標識のようなもの)はない。時計を見ると2時過ぎ。夕暮れまでに来なかったらタクシーで帰ろうと思いつつ、誰もいない店の塀の上に一人寂しく座ってひたすら待つ。30分ほど待っただろうか。少し離れたところにタクシーが停まって、カップルが降りてきた。こっちに向かってゆっくりと歩いてくる。見た感じ地元の人じゃない。これはチャンス、というか藁にもすがる思いで塀を飛び降りて駆け寄る。「すいません、どこからバス乗ればいいかわかります?」「いやー、ここみたいなんだけど、僕たちもよくわかんないんだよね」心底ほっとした。やっぱカップルは幸せを呼ぶね。バス待つ間感謝の気持ちで色々と話した。ミュンヘンから来たカップルで、私と同じくアフェア神殿を見てきたところらしい。そして私と同じく暇そうな爺さんの商店でチョコレートを買わされたという。カップルは午後四時には島を発ち、アテネへ戻る。間に合いますかね…とか言っている間に、とうとうバスがやってきた。俺を乗せずに誰を乗せるといった勢いで親指を立てて合図をする私(ギリシャのバスも手をあげなければとまらない。そして手のひらを相手に向けて合図するのは失礼な合図であるらしい)。乗れなければ無情。乗れれば最高に幸せ。答えはバスです。

<アフェア神殿に向かう前に立ち寄ったカフェで書いた日記>
 年を越す気がしません。こんなに暖かくて明るいのであれば。ウゾは説明不可能な味がした。しいて言えば、すっきりとした? 辛口の? 甘みのない。ミントのような。酔っ払って小さな町を徘徊した。私はアフェア神殿まで行って、またここに帰ってこれるだろうか? 窓にぶつかる黒とオレンジ色の羽をした蝶(蛾?)はテオ・アンゲロプロス的です。

<アフェア神殿から帰ってきたのち、疲れ果てて戻ったホテルで書いた日記>
 オデュッセウスはバスに乗れなかった。Georgeの本を少しだけ参考にしてアギア・マリナへ。そっちのほうがバスに乗りやすいかと思ったので。それが誤算。人いやしねー。バス乗り場わかんねー。人に聞くこと3回。いらないチョコを買わされたり。人のいないシーズンオフの街並みが、そのまま心象風景。アフェア神殿からアギア・マリナまで歩く道のりも結構な恐怖。ショートカットは下り坂で滑る滑る。物盗りは年末はお休みだろうと思ったけど、目の前に犬の姿。吠えられたが、尻尾振ってるし、鎖を目視確認して何とか通り過ぎる。道のりはいい眺めだったが、写真撮る心の余裕がなかった。あまりの不安に近くに来たドイツ人カップルに話しかけたら、向こうもバス待ちで困っていたようでかなりほっとした。

オデュッセウスになりたくて:オデュッセウスの危機

12月31日の夜

 ホテルで一休みしてから晩飯を食べにカフェへ。ハンバーガーとビールを注文して座っていると、件の友人バがやってきた。「アフェア神殿行ってきたよ。すごく綺麗だったけど、バスに置いてかれて、アギア・マリナまで歩いた」「それはとんだアドベンチャーだったね」なんてことを話しながら、私はハンバーガーを、バはお茶を飲む。忘れないうちにと思って「帰ったらメールしたいから、メアドと名前教えて、あと住所も」とメモ用紙を差し出す。バはバノスという名前だった。全然ちゃうやん、と一人心の中で呟く。カフェの天井にかけられたテレビスクリーンにはサッカーやウィンタースポーツの映像が流れている。日本の選手、ナカタ? ナカムラ? 彼らはほんと足が速いよね。スキーもスノボもできないけど、見てるのは好きだよ。僕はお茶には絶対砂糖を入れないんだ。ヘルシーなものが好きだから。そんなことを聞きつつ、それに答えつつ話していると、歩くの好きだから、散歩でもしない? と言う。(港まで行ったら、人身売買の密航船に押し込められるのでは?…)私の心のガードがまた1段階ぶ厚くなる。バノスがフレンドリーで気さくな人間であることは分かっている。それでも、つい2,3日前にあったばかりの人だし、こっちは女一人旅だ。普段海外での危機管理の仕事にも携わっているせいか、どんなに親切にされても100%心をオープンにすることができない。でも断る理由もないので(怖いからいいとは言えない)、バノスとともに夜のエギナ港を散歩。
 12月31日だというのに街は至る所クリスマスのイルミネーションだらけだ。「このイルミネーションっていつまで続くの?」「うーん、イースターまでじゃないかな(!)。イースターになったら、みんなクリスマスのこと忘れるから」
 …のんきですね。エギナ港はさすがにそこまでイルミネーションが飾られてないので、結構暗い。楽しもうという気持ちと危機意識とを忙しく働かせる。暗いので夜空が綺麗だ。星がたくさん見えた。東京ではこんなにたくさん星は見れないよ。東京には空がないからね、なんて向こうが知らないのをいいことに智恵子のようなことを言ってみる。しばらく歩いて、またカフェへ。二人してお茶を飲んだ。バノスはグリーンティが好きだと言うが、その店でグリーンティを頼んでみたらどう考えてもハーブティーだった。向こうでは紅茶以外はハーブでもジャパニーズグリーンティでも同じ草扱いになるのだろうか。
「僕はトラディショナルなものが好きなんだ。日本にはニンジャがいるでしょ、あとハラキリもすごいよね。約束破ったら、ハラキリ」
「忍者はもういないよ」
「えっ、だってこないだTVで見たよ」
「多分…職業としての忍者はもうないけど、趣味でやってる人ならいると思う。ハラキリも今ではもうしないよ」
 日本におけるニンジャとハラキリのインパクトを改めて知る。
「あとは日本といえば車と電化製品がすごい。スズキ、トヨタ、ホンダ、ヤマハ…」
「最近は中国やインドのもすごいよ」
「いや、クオリティが違うんだ」
 日本製品崇拝の強さも改めて知る。そんなプチ国際交流をしていると、時間はいつの間にかもう11時過ぎ。「今日友人のホテルオーナーの家で新年を祝うんだけど、友達連れて来いって言うから、一緒に来ない?」心の壁がさらに高くなる。「この辺の人なの?」「うん、歩いてすぐ近くにあるホテル。もし嫌でなければ、一緒に行こうよ」警戒態勢レベルCに突入した心を抱えながらも、私はバノスに着いていく。ひとえに好奇心故。途中でお菓子屋さんによってお土産を買い、本当に歩いてすぐのところにあったホテルへ。庭にプールがあって、夏に来たらさぞ楽しいだろうなと思う。
 ホテルに客は泊まっているのだろうが、それらしき影はない。こっちだよ、とバノスに通されたのがラウンジのような薄暗い広間で、テーブルの上には遊び終わったトランプや飲みかけのペットボトル、プレゼントの包みが散乱している。そんなテーブルを前に、おじさんが一人どっしりと腰をかけて無表情にテレビを見ている。「この人がオーナー。この子が友達のマイ。連れてきたよ」オーナーさんと握手を交わす。彼の第一声「予想より良かった」
 …あんた一体何を予想していたんだね… そしてバノスよ、私についてどんな説明をしていたんだね… 多少失礼ではないかと思いながら得意の半笑いでありきたりな話をする。ラウンジの天井にはTVがついていて(ギリシャではTVは天井からぶら下げるものなのだろうか?)、ギリシャ紅白歌合戦みたいな番組が流れている。そのうちによろよろと疲れきった感じのおばさんが登場。「彼女はリザだよ。私のエクスワイフだ。リザの料理はとても美味い」リザはこれで精一杯といった感じで私ににこりと微笑みかけた。聞けばこのホテルでお客さんの世話やら食事やらの仕事をしているみたいなのだが、新年を一緒に迎える仲が何で別れたんだろうな、とか思いながらそのままにしておく。自分から話題を作る人間ではないので、話が途切れるとTVをみる。
「この歌手、いくつに見える?」
「うーん、20くらいでしょうか」
「20だってさ!! この人60なんだよ」
「まじっすか!!」
 なんて話もした。ある意味実家より実家っぽい。そのうちに、オーナーが「あんた運動はするのか」と訊くので、何もしませんと言うのも恥ずかしく、歩く程度ですが、と答えた。すると、ちょっとそこに立ってみて、と言う。頭の中の、遠くのほうでサイレンが鳴り出す。言われたとおりに立ち上がると、今度は首の後ろでしっかりと手を組んで、と言い出す。バノスのほうを見ても、ニヤニヤして見ているだけだ。頭の中の警報ブザーが止まらない。さっきまで私の隣に座っていたリザはいつの間にか姿を消し、部屋にいるのは私とバノスとオーナーだけである。オーナーは私の腕の部分を抱えて、いとも簡単に私の体を持ち上げた。密航船か…?! 売られるのか?!… end of 2009 ではなくend of my lifeか…?!

オデュッセウスになりたくて:ケーキは丸くていい

 オーナーは貯金箱の中にまだお金が入っていないかどうか調べるときみたいに、持ち上げた私の体をそのまま上下に2,3回揺すった。貯金箱でない私はそんなことされたことがないので、振られるたびに「うおぅっっ!! うううぅぅぅっっ!! うぅぅぅぅー…」と声が出る。そして、私の体を床に降ろすとこう言った。「あんた健康だよ」
 …まじっすか… 
「普通の人はね、背骨の間に塩がつまっていて、揺するときしむ音がするんだ。あんたは何の音もしない。プラスチックみたいに柔らかい。アメイジングだよ」
 杞憂だった私おつ… 
 席に戻るとリザが大きなケーキを手に戻ってきた。中にコインが入っていて、切り分けたときにコインの入ってるのを食べた人はこの1年ラッキー、というあれだ。どうでもいいがこのケーキ、妙にとげの多い星型をしていて、上にはたっぷりとチョコレートがかかっている。リザがケーキの周りに巻いてある紙(日本だったらセロハンですね)を剥がそうとしているのだが、紙がしっかりとケーキにくっついている上、この妙な星型とチョコレートのせいで、ひどく難儀している。少し剥がすたびに紙がちぎれ、手がべとべとになるのだ。「このケーキまじナメとんのか」といった表情で、紙がちぎれるごとに両の手のひらを上に向け、やってらんねーという風に大きなため息をつくリザ。手伝ってあげたかったのだが、見知らぬ客が新年のイベントに手を出すのは失礼に当たらないだろうかと思って、黙って見ていた。妙な星型のケーキの異常に剥きづらい紙を、やつれ果てた表情で剥き続けているという状況が自分のツボにはまっていたというのもあるが。見かねたバノスがリザを手伝って、ケーキひと段落。彼女すごく疲れてますね、とバノスに訊くと、オーナーが代わって答える。
「息子に晩飯作ってくれってたたき起こされたんだよ。あいつには友達と遊びに行くって言うから昼間50ユーロやったんだ。普通50ユーロもあったら外で十分に食ってこれるだろう。それを女の子のいるようなところで遊んで使い果たしたんだな。それで10時に電話がかかってきて、ママ晩飯作って、だよ。9時までならまだ許す。10時では遅すぎる。リザは息子に優しいから作ってやったけど、俺は違う。息子も俺のことは怖れている。とにかく、明日はガツンと説教してやらなきゃならん。まあ、ティーンエイジャーにはよくあることだがな」
 そんなことを話していると、噂の息子が友達と登場。息子は別のホテルで修行中で、いずれはおそらくオーナーの跡継ぎになるらしい。見た感じ素直そうな青年だった。そうこうしているうちにテレビでカウントダウンが始まり、ハッピーニューイヤー。みんなで立ち上がって握手とキスを交わした(両頬に唇はあまりつけずにチュッと音を立てるあれです)。さて苦労したケーキをやっと切り分けようと、ナイフを入れる。
 コインがポロリ… 
 …… 
 リザは何事もなかったようにコインを乗せたケーキを息子の友人にあげた。いい母ちゃんだ。私も一切れもらったが、おいしいけど甘いのなんのって。これじゃいくらバノスがお茶に砂糖入れんでも意味ないよな、と心の隅で思う。バノスが一緒に飲みに行こうよと言うので(正直に言うと割ともう帰りたかったが)オーナーさんも連れて街の洒落たバーのようなところに入る。ソファと普通の椅子で低いテーブルを囲む感じの席だったんですけどね、どういうわけか一つのソファにオーナー、私、バノスの順番で並ぶようにして座らされる。この座り方はおかしいと感じながらビールを飲む。3人して正面向いて黙っている。どうせならバノスが真ん中に座ったらよかったのにと思った。右側から私に話しかけるバノス。ふと気づくと、オーナーさんに物凄い凝視されていた。「あんたスフィンクスみたいだ」
 …どうやら話しているとき以外は全く無表情に前を見つめる私のことを言っているらしい。「いや、何も難しいことは考えてないんですけど、これが普通で… 典型的な日本人なんです」と言うと、そうなんだよな日本人はそうなんだ、という感じで納得したっぽい。何も言わなければいつまでたってもこのまま座り続けるのだろうと判断し、バノスに、疲れたから悪いけどもう帰る、と告げると、ホテルまで送ってくれた。バノスのおかげで本当に楽しい新年が送れたよ、また会おうね、といって別れ、ホテルの中に入ろうとする。
 …鍵がかかっている。2010年最初の試練やいかに。

オデュッセウスになりたくて:オデュッセウス、締め出される

 ホテルの鍵が開かない。部屋の鍵ではない。ホテルそのものに入れないのだ。部屋の鍵にはもう一つ鍵がついているから、それがホテルの入り口用なのだろうと分かってはいた。鍵口に差し込んで、かちりと回す。開錠された音がする。でもドアは開かない。何度カチカチ鳴らして鍵を回しても、ロックの外れた音はするのにドアが開かない。ドアノブは回らない。壁にインターホンでもついてないかときょろきょろしてみたけど、見当たらない。多少控えめにノックしてみたが、ドアの窓ガラスの向こうには誰もいない。隣のホテルを覗いてみても中は真っ暗で、人のいる気配がない。新年祝って飲んで帰ってきておそらくもう午前1時をまわっている。夫婦で経営しているホテルなので、もう二人とも寝ているのだろう。バノス、今こそ助けてくれ、と心の中で叫ぶが、周囲は真っ暗である。通り過ぎる人もいない。たまに車が猛スピードで走り去っていく。さっきまで飲んでた店の場所もはっきりと覚えていない。戻るにはあまりに危険であるし、戻ったところでバノスがまだ飲んでる保証もない。今ここで変な人につかまったら、車に引きずり込まれて拉致されてアフリカまで売り飛ばされたら、と思うと気が気でない。
 これは…逆脱出系だ… 
 と心に余裕もないのに妙なところに気づく自分が多少めんどくさい。落ち着いてよく考えよう。鍵をいくら回しても開かないのはわかった。でも、鍵が壊れているのではない。かちりかちりと施錠音がするのだから。ロックをはずした上で、何かする必要があるのだ。ドアに身を寄せながら、鍵を回しながらドアを押したり引いたり、試行錯誤は10分以上は続いたと思う。体感時間ではもう30分は超えているが。鍵をかなり強めに回すと、開錠された音のあと、バネの戻る手ごたえとともに、あっけなくドアが開いた。2010年でおそらく一番ほっとした瞬間。普通ドアノブを回すとバネで出たり入ったりするあの斜め色の金属部分の下に、ロックするための鍵部分がありますよね。あの二つが連結していたのだ。ロックを解除した上で、鍵を同じ方向に強く回すと、バネの金属部分が引っ込むのだ。いやー一時はホテルの前で誰にも見つからないように野宿or徹夜まで考えましたからね。疲れ果てて部屋に戻り、大変だった一日のことを書き留めて寝る。

<1月1日 深夜ホテルの部屋で書いた日記> 
 Two adventures in one day. 友人はバノスさんでした。ホテルオーナーがディミティスで、エクスワイフがリザ。どこまでも危機意識が強い私はバノスに連れられてどこへ行っても、どこを通っても殺されるのではないか、end of the yearではなくend of my lifeなのではないかと身を固くしていた。歓待されていたのにね。ホテルの鍵あけるのに10分ほどかかる。ほんとよく開いたね。2010年の運を使い果たしてしまったのではないかと思った。Good luck to me. リアル逆脱出系だった。波音を聞きながら格闘する。かちりと鍵を回した後で、同じ方向へ少し強く回すとドアのキーの上にあるバネ部分が開くのだ。

<1月1日夜 ホテルの部屋で書いた日記>
 今朝は大層風が強かった。波も荒い。元旦は何もせず、海を見たりしていた。色々と嫌な夢を見る。眠りが浅いのか。汽笛で目が覚める。シャワーカーテンのないシャワーに思い切って入ってみた。めためたになりましたよ。周りが。ちなみに元旦の第一声は「セロトハルティイギアス(トイレットペーパーください)」。すごく長く寝てるのになんだかいつまでも眠い。

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<2日 カフェで書いた日記>
 グリークサラダは食べると言うより制覇した。オリーブが巨峰みたいにでかくておいしい。エーゲ海の水はすぐ乾く。打ち寄せる波には少しだけ茶を混ぜる。浜辺の砂を含んでいるので。青すぎる海はなぜか自然すぎて、むしろ何とも思わない。絶え間ない波の音に汽笛が答える。アフェア神殿からアギア・マリナまで歩いたせいで、尻から足にかけてまだ筋肉痛。遠くを見晴らすとキリストのように海の上を歩いて行けそうにも思える。

オデュッセウスになりたくて:オデュッセウス、寒がる

1月3~4日 
 エギナ島最後の夜にフタポジ(蛸)の焼いたのを食べた。美味しかったのだが10ユーロぼられる。翌朝チェックアウトしようとしたら、ホテルのおかみさんが泊まった泊数ではなく日数で数えやがって、30ユーロぼられる。ご主人は英語話せるのだが、この人は話せない。このホテルでご主人の姿は見たことがない。電話で予約したときに話しただけだ。抗議してもよかったのだが、何だかめんどくさくて言われたとおり払う。

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 船でピレウス港へ戻り、エギナ島へ行くとき船のチケットを買ったチケット屋さんへ。もしかしたらここに地球の歩き方を忘れてきたのかもしれないと思っていたのだ。ここじゃないかもしれないし、ここだとしても捨てられてるだろうなと思いつつ、一か八か訊いてみたら…
 なんとあったのです。カウンターのお姉さんが「ああ、あの中国語のやつ?」と言って奥から私の歩き方を持ってきた。多分2010年最初で最後の奇跡だ。ピレウス港で年を越した歩き方とともに、クレタ島行きの船を待つ。…待つこと10時間。船が夜11時の出港だったのだ。ピレウス港に着いたのが昼だったので、その辺を散策しながら待っていようと思い、とりあえず大きな荷物を預けに地下鉄の駅を探す。が、歩き方に載ってる地図を見ながら同じ道3回往復しても見つからない。へとへとになって、なんとなく人の集まっている方向へ流れていったら、地図とは大分かけ離れた場所にあった。
 …お前、いつの間にギリシャ仕様に… やっぱりいらんかもしらん…
 個人用の船が多く停泊しているゼア港というオールドハーバーがいい雰囲気だった。町を歩いていたら日曜だったせいか、トルコ系の人々の開いている巨大なバザールに巻き込まれる。すごい熱気。思わず内容も分からずに2ユーロのギリシャっぽそうなCDを買ってしまった。

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<3日 船待ちの間に書いた日記>
エギナ島でフタポジ(蛸)代をぼられ、ピレウスにもどって何とか歩き方が見つかる。立ち寄ったカフェの兄ちゃんがやたらフレンドリーに話しかけてくる。メトロの駅が分からずに同じ道を3往復くらいする。地図とは全然違う場所にあったよ。そしてあと5時間どう潰せばいいか。バザールがすごかったです。トルコ系の人々の商魂と言うか。あのくらいの大声を出さなあきまへんよ。時間があるのでゼア港にも行った。道の名前が全然あってないのか、私が読み違えているのか、とにかく地図が当てにならん。辿り着いたゼア港は大変美しかった。ギリシャ語のハッピーニューイヤーがカリフォルニアみたいに聞こえる。魚市場は日曜のせいか午後だったせいか年始のせいかどこも閉まっていた。1日が長いなあ。どう考えても宿代もおかしいよな。なかなかうまくいっているような、いっていないような。

1月3日 船の中で出航待ちの間
 船に乗るまでが寒すぎて死ぬかと思った。船がすごい立派だ。心なしか乗り込んだ今もまだ寒い。駅のトイレに普通の紙ナフキンをつい流してしまったので、心の中で謝っています。クリスマスソングが流れっぱなしなんだが、本当にイースターまで続くのか? プールとかディスコとか色んな施設があるんですが、そうでもしないとやっていられないよと言うことを暗示しているのではないかと思うと今から具合が悪くなる思いだ。ああまだ寒い。セロナカノバーニョ(風呂に入りたい)。荷物預けて身軽になったのはいいが、ネロ(水)を忘れました。出港まであと2時間近くあります。京都の家の風呂に入りたい。うち(ムサコ)だと寒いので(笑)。

1月4日 クレタ島 港近くのカフェで街が動き始めるのを待ちながら。
 オデュッセウスは航海が順調なのを確認するとぐっすりと眠り込みました。そこそこ揺れたけど、大型船で良かったという感じだ。朝の6時前に起こされたが、まだ夜が明けていない。人が動き始めるまでここで待つことはできるだろうか。左のおっさんは何でずっと立ちっぱなしなんだろう。うっかりすると寝てしまいそうだ。変な寝方をしたから首と肩が痛い。船の中のインターネット遅すぎ。使わなければよかった。船が動き始めると頭の中で脳内艦長と船員が話し始めた。船の揺れに動揺する艦長を落ち着ける船員。
「船員! 船員! 相当揺れているぞ!」
「艦長落ち着いてください! トラベルミンがもうすぐ効いてくる頃です! どうか落ち着いてください!」
「外の様子はどうだ?」
「艦長! 異常に寒いであります! 吹きっさらしであります!」
「確かに寒い! しかし我々は航海の様子を見守らねばならぬ!」
「というより中のデッキ席が既に満席で我々には居場所がありません!」
「我々はここで眠るのだ!」
 しばらくうとうとと眠っていたが、寒さで起きる。もう一度寝ようとしても、何だか足がむずむずするような感じがして眠れない。
「…船員! 航海が順調であるのはもう分かった。とりあえず中に入ろう」
「しかし航海の様子は…」
「うるさい! バカ! マストに縛り上げるぞ! 航海は順調だ!」
 どうでもいいがお金のことばかり心配している。しかしあんなデッキでよく寝袋あっても寝られるよね(青天井の船の上で、寝袋に包まれて寝てる人がいたのです)。

 あっけなく日が昇り、目星をつけておいたホテルを探す。…が、ついてみたらクローズド。ドアの向こうのフロアに散乱しているチラシを見るに、一日や二日の休みではなさそうだ。
 歩き方… 通年オープン言うたやん… 
 さらに目星をつけておいた第二候補のホテルへ。第一候補より5ユーロ高くて、バストイレ別だけど、まあしゃあないか、と思って鍵を受け取り、部屋へ行こうとしたら、受付をしてくれたオーナーさんが「あ、ちょっと、やっぱり待って」という。「やっぱ同じ値段でバストイレつきの部屋でいいわ」…適当ですな。その日は船の中であまり眠れなかったのを補うようにして1日部屋で休んだ。

オデュッセウスになりたくて:オデュッセウス、道に迷いすぎ

1月5日
 バスでクノッソス宮殿へ。思っていたより小さくて、さくさく探検。小さいというのは面積が、ということで、宮殿自体は何階にも分かれていたらしいので、使われていた数千年前にはまさに迷宮だったのだろうと想像する。その時の名残か、沢山ある階段を昇ったり降りたりした。街に戻って、市場の中にあるスーパーで食費を浮かすためパンとオリーブペーストを買う。

クノッソス宮殿訪問後、街のカフェで書いた日記>
 クノッソス宮殿は王女の間のイルカの絵が可愛かった。こんな宮殿の中でなら迷ってもみたい。外のカフェで寄ってきた猫と一緒にピザパンを食べる。首と肩に始終何かを掛けているせいか頭と肩が痛い。水が常に50セントくらいなのがすごい。雨がほとんど降らないから、日本より貴重なのはずなのに日本より安いのはどうしてだろう。ドミノピザとスタバを見てほっとする。

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 逃げようとしてここまできたのに、新しい顔に出会うたびにむしろ蘇ることばかりでどうしようもない。

1月6日 夜、ホテルで。

 インターネットを使いたかったので街のはずれにあるネットカフェを探す。地図は全く当てにならず、相変わらず道に迷い、住宅地の細い路地を彷徨う。誘われるようにして聖ミナス教会の前へ辿り着く。鐘のなる方角へ歩いていったのは確かだが。街で一番でかい教会。人も多い。周りに人々の服装をチェックしていたら、ジーンズやズボン履いてる女の人もいたので、ドサクサに紛れて中に入る。ステンドグラスはパステル調が多い。ステンドグラスよりも、壁と言う壁から天井を隙間なく埋め尽くすイコンがすごかった。イコンの顔はあれですね、この地方の人の顔に似てますね。ゲルマン系とはやはり違う。少しTurkishな。教会を出ると、諦めて市街地中心を目指し(だって歩き方の地図の道が、道端に立ってる案内板の地図と全然違うのだ)別のネットカフェを探したがこれも見当たらず、もうネットいいやと諦めてよろよろ歩いていたら探していた道の名前にぶつかる。人間の意志がかくも達成し難い街… すべては神の御心と気まぐれに委ねられている。船の上でのこともあって(補足:確か船の中にもパソコンがあったのですが、全く使えなかったんだと思います(笑))、ネットカフェのパソコンは全然使えねーだろうなと思っていたら、うちのよりもさくさく動くPCで、日本語も読めた。1時間ほど遊んだ後、広場で見かけたクレープ屋さんが気になって、クレープを食べに行く。見かけていたところはなんだか狭かったので、別のところで食べた。クレペメパゴト(クレープアンドアイス)。この寒いのにアイス。選択肢がなかったので。チョコソースがあのヘーゼルナッツ味の私の大好きなヌテラ風だ。非常に美味しかったが例によって欲していたのは頭だけで胃が重くて後半ちょっときつかった。とにかく一日中風が強くて、20度くらいはあるのだがとても寒い。カラマリが食べたい。食欲ばかりだ。そういえば道に迷って途中街を囲む城壁の外に出てしまった。聞いてないよと思う。けど外には考古学博物館があって、でも祝日だから閉まっていた。そろそろ日本が相当恋しい。あんなにハードな日々なのに。買ったオリーブペーストは美味いんだが、バターがほしいです。迂闊でした。

1月7日 考古学博物館見学後
 考古学博物館を見に行く。だから道に迷いすぎだってば。何度も同じゴミが同じ配置で落ちているもの。疲れたけど何とか博物館には辿り着けた。全くアピールしてないから分からなかった。昨日の夜はあまり眠れず。夜に飲んだ紅茶のせいか。毎日風が強い。明日アテネに戻るための船の切符を買ったんだが、どうして29ユーロなんだ? どうして行きのより8ユーロも安いんだ? ギリシャ人の話す英語の、Rが全部ルになるのはたぶん伸ばす音がギリシャ語にないから?

1月7日 夜タベルナで食事後
 どうしてもカラマリ(イカ)が食べたくて、シーフードが売りのタベルナへ行く。物凄く混んでますが何か。評判の食堂。どうも魚屋と縁がない? お魚好きですよ。どうでもいいがトレーナーとスウェットパンツで来てしまいました。明日11時の船でピレウスにもどります。食費浮かすためにパンとオリーブを買ったはずなのだが… 食欲に負けました。足りなくなったらいずれまた銀行でおろします。食べ物の量は全体的に半分でいいやね。イカはすごく美味しかったが、食べ切れなかった… 

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1月8日 ピレウス港行きの船上で
 既に乗船してますよ。ホテルの主人は明朗会計でよかった。どうでもいいが今乗ってる船のクルーがどう見ても行きに乗った船の人たちと同じなんだが。人手不足? 出港のたびにどきどきする。親子連れはどれも微笑ましい。いろんな顔がある。テレビでギリシャ版3分クッキングみたいなのをやっている。

オデュッセウスになりたくて:家に帰るまでが遠足です

1月9日 アテネ パルテノン神殿見学後、カフェで
 カメラがバッテリーもメモリーもない。せめて昨晩充電しておけばよかった。ホテルネフェリは朝食込みで1泊40ユーロだが、おそらく銀行でおろさなくても明日まで間に合う。隣の部屋の人達が日本人の男の子だ。ホテルの朝食はあっさりとしていた。ジャムが美味しかったのだが、何のジャムなのかが分からない。Mythos(ギリシャ地ビール)飲んでます。トイレに行きたくてカフェに入ったのに、ビールなんて飲んだらまたトイレ行きたなるやん。パルテノン神殿は修復中だったのだが、ありゃおそらく永遠に修復中。隣にあるエレクティオン神殿が美しい。雄と雌のようで、しかも世紀を超えて向かい合ったまま、微動だにしない。見つめ続けるエレクティオン。美しい。大理石は固いスポンジのようです。昨日の晩はなんだか具合が悪くてすぐ寝た。腹がやばいかもしれない。せめて日本に帰るまでひどいことにならなければいい。アテネはさすがにアジア人が多いですね。

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1月10日 トランジットのため再びイギリスへ向かう機内で
 昨日がアテネの最終日。観光名所が冬季はどこも3時に閉まるから、古代アゴラなどは見れなかった。途中で食ったスズキ(ピタパンとソーセージ)がしょっぱいのなんのって。具合悪くなるくらいしょっぱかったが、老舗のタベルナらしい。ご信託のようにオーダーを叫ぶオールドボーイ。お土産も沢山買いました。夜は誰かの咳の音(たぶん吐いてる)と蚊の音で目が覚めた。頭まで毛布かぶってるのにどうして蚊の音が聞こえるんだろう? キャリーバックの様子が何だかおかしいので、よく見たらタイヤに釣り糸のようなものがきつく絡まっていた。道理で重いよ。多分クレタ島で挟まったのだ。アリアドネの糸か。空港に向かう道中、刃物がないのでポケットに入っていた家の鍵を駆使して糸を除去。電車の中でも、世界の車窓からみたいな状況の中でカートのタイヤと格闘する変なアジア人が一人で、なかなか笑えた。

「チャラッチャチャーチャチャーチャチャー チャーチャー … 
 シンタグマ広場から空港へと向かう車内。これから旅立つ人達が、アテネ郊外の風景に思いを巡らせています。 …おや? この人はカバンが壊れたのでしょうか。家の鍵でタイヤに絡んだ糸を取ろうとしてますね。誰か手伝ってよ、と言いたげな顔ですが、残念、無視されています。一人で頑張ってください。…」

 色々と計算したが、明日の朝、大英博物館は見られない。10時開館なので。日本行きの飛行機は12時35分発。空港からのアクセスが悪いのに懲りたのでピカデリー線のアールズコート付近に泊まり、チェルシーにワイルドの住んでいた家があるのでそれを今晩見に行って朝は空港へ直行か。イギリスがちょっと憂鬱です。イギリス―日本―NEX―中央線はもっと憂鬱。とてもお腹がすいていたので機内食はぺろりと平らげたのですが、胃がそろそろマイルドなサムシングを…と言っております。脳は美味しいと感じているけれど。

 イギリス到着。ホテルで酒飲みながら。
 やはり6年前の歩き方では駄目ですね(地球の歩き方のイギリス版は昔使ったのを持参していた)。目星をつけていたホテルがなく、気温は1度で雨が降っていたため、どこでもいいやと思って飛び込んだ。ホテル街だったのだ(なんていう名前だろうこのホテル)。表にVacancyのランプがついていたので。フロントの兄ちゃんの言っていることが相変わらず聞き取れなくて、British Englishは難しいと言ったら、British Englishなるものは存在しない、なぜならBritainはScotとWalesとEnglandに分かれていて、それぞれの英語が違うから、と説教をされる。イギリスは初めてかと聞くので、昔アイルランドに行ったときイギリスにちょっと寄ったと言ったら、俺はIrishだと言う。道理で聞き取れねーよ!! 明日の12時に発つと言ったら2時間前には出なければならない、オンラインチェックインはしたかと訊くので私のチケットはオンラインチェックインができないのだと言ったらそんなはずはない、もう一度やってみろ、と説教される。私のはBAから直接買ったチケットじゃないし安いチケットだからオンラインチェックインは無理なんだといくら言っても、俺のも安いチケットだったけどできた、BAだったら誰でもできるはずだからやってみろといってきかないので、I’ll try againと言っておく。(追記:この後このお兄さんとは映画The Commitmentsがいいという話で盛り上がり、「あの曲がいいんだよ…ほら、あの曲が…」と向こうがメロディを口ずさみながらなんとか思い出そうとしているのを待っていたら、「あ、やっぱり同じ料金でバス・トイレ付きの部屋にしてあげるわ」と鍵を渡され、鍵を渡した後もずっと何の曲だったか考えていたようでした(笑))

1月11日 ヒースロー空港
 昨晩はサイダー飲んで酔っ払ってましたが何か。ホテルに荷物を置いて、不安ではあったが大急ぎで自然史博物館とヴィクトリア&アルバータミュージアムの外観、ワイルドの住んでいた家を見に行く。小雨だし夜だしで道に迷う自身は満々だったが、ギリシャとは違って道の名前がそうそう違ったりしないので、それほど迷わず見れた。迷っちゃいないけど暗いし人通り少ないし、寒いし雨だし怖いから、すごい早足で歩いた。ワイルドの家は本当に「ここがオスカーワイルドの住んでた家」と書いてあるだけでした。ホテルの朝ごはんのトーストがやけにおいしかった。イギリスは乳製品が美味い。テーブルの上にたっぷりと用意されたミルクが見るからにおいしそうだったので、残ったコーヒーにどぼどぼと入れてみたらやはりおいしかった。どうでもいいが、トーストを取りに行こうとしたら丁度いいタイミングでベルトコンベアー式トースターからトーストが2枚出てきたのが謎。自分でパンを取って自分でトーストするタイプのトースターなのに。2回取りに行って2回とも。誰かのを取ったのか、誰かがとりあえず入れたのか。誰かが私のために? 私をからかって入れたのか。人がトーストしたパンを食べたのは確かだ。あとオレンジジュースもおいしかった。

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1月12日 日本行きの機内で
 トイレの近い自分であるのでどちらかと言うと通路側がいいんだが。残念ながら両隣を挟まれて座る。隣の人が明らかに日本語を勉強している。英語で話しかけてみたら困ったような顔をする。もしかして、と思ってフランス人かと聞いてみたらそうだという。日本語で話しかけてもほとんど通じない。日本語も英語も無理で日本に行くってすげーな。いろんな意味でさすがフランス人だ。ゆっくり、簡単な英語と日本語で色々訊いてみたら、フランスのホテルのシェフの人で、取引先の日本人のところに遊びに行くらしい。東京と、京都と熱海に行くといっていた。名刺もらったけど1st chefって書いてあったからすごい人なのだろうか。ホテルは資生堂の系列らしい。英語を喋れる日本人は多いけど、フランス語を喋れる日本人は少ないので、大変な旅になると思いますよ、と言ったら、半笑いを返された。余計なお世話だっただろうか。さて成田まで11時間。ワイン飲んで寝るしかないか。一日を半日で終えるのだ。家に帰るまでが遠足です。

追跡・逃亡とディフォーメーション――第15挿話冒頭部分を考える

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「人生の道の半ばで/正道を踏みはずした私が/目をさました時は暗い森の中にいた。/その苛烈で荒涼とした峻厳な森が/いかなるものであったか、口にするのも辛い。/思い返しただけでもぞっとする。/その苦しさにもう死なんばかりであった。/しかしそこでめぐりあった幸せを語るためには、/そこで目撃した二、三の事をまず話そうと思う。」

 上の引用はダンテの『神曲 地獄篇』の冒頭であるが、ユリシーズ第15挿話はこの文章をもとに書かれたのではないかと思われるほど、この二つの間には類似した印象を受ける。この挿話が「地獄」なのであれば、挿話冒頭は地獄の入り口だ。そこに描かれているのは、娼家や不法に営業している酒場のひしめく界隈に集う、最下層の貧しい人々、職業も身元もわからない人々、娼婦たち、子供たち(身寄りのない浮浪児だろうか?)であり、そういった人々のなかをスティーヴンとリンチは歩き、娼家へ向かい、それをブルームが追いかける。
 恐らく、ただでさえ貧しい国であったアイルランドのなかでも、特に貧しい人たちが集う界隈に、ここで描かれているような人々は実際にいたのだろうと推測される。しかし、ジョイスはここでも他挿話と同様、ただ当時の現実を書いているのではないのではないだろうか、と思われる。それは一つには、この挿話を読んでいく中で、実験的記述が散見され、アレンジャーの存在を感じずにはいられなかったというのと、また、鼎訳のあらすじにもあるように、この挿話はスティーヴンやブルームが実際に体験しているであろう現実と、どう考えても現実ではない何かしらの幻覚が錯綜する形で構成されているからだ。なぜジョイスはこの場面をこのような形で描いたのか、私にはわからないのだが、この挿話は単に現実と幻覚を織り交ぜて描いているだけとも言えないのではないか、と思った。
 今回は挿話冒頭の50ページほどしか精読できていないので、私の考えが挿話全体に適用できるとは言えないだろうが、この「地獄の入り口」を読んで気づいた点・考えたことを、ページ順にコメントしたのちに、冒頭部分の考察をまとめてみたい。

※この挿話冒頭部分には(他の挿話でもそうですが)身体的・精神的障害・疾病や欠損のある人々が多数描かれており、原文・訳文の中でも現代では差別表現となる言葉が含まれています。この記事では約100年前に書かれた作品の、アイルランドの人々、作者であるジョイスの表現、鼎訳の訳者の訳業を尊重した上で、そのような表現や言葉がこの挿話においていかなる意味を持つかについて考えたいという私の意思から、あえてそういった言葉や表現を避けたり改変したりする事は致しませんでした。私自身にそういった方々への差別意識があるわけではないことを何卒ご理解頂きたく存じます。

※柳瀬訳ユリシーズは「U-Ý ページ数」、ガブラー版ユリシーズは「U(挿話番号)(行番号)」、鼎訳についてはページ数のみでの記載です。注の必要な部分については後日追記いたします。

 

105「停止したラバイオッティのアイスクリーム売りゴンドラ屋台を囲んで、小さな男や女たちが騒がしく言い合う」(Round Rabaiotti’s halted ice gondola stunted men and  women squabble)
Stuntedは「発育を阻害された」の意。105~106だけでcobble, goggle, dribble, gobble, gurgle squabbleという単語群に視覚的・音声的類似が見られる。

105‐106「ぎょろ目で聾唖の阿呆がゆがんだ口からよだれを垂らし、舞踏病の体をぶるぶる震わせ、引きつった足で通り過ぎる。子供たちが手をつないで取り囲む」(A deafmute idiot with goggle eyes, his shapeless mouth dribbling, jerks past, shaken in Saint Vitus’ dance. A chain of children’s hands imprisons him)
→Deafmuteは第11挿話の調律師の盲人、難聴のパットを思い起こさせる。

107「阿呆はぎくしゃくと歩きつづける。小人の女が柵のあいだに張った綱の上で体をゆすり、数をかぞえる。ごみ箱に覆いかぶさった人影が、腕と帽子で顔を隠し、いびきをかき、うめき声をあげ、唸りながら歯ぎしりをして、またいびきをかく。階段の上ではしなびた爺いが屑の山からましなものを選り分け、身をかがめてぼろ布と骨の袋を担ごうとする。老婆が煤っぽい石油ランプを手にしてそばに立ち、最後の瓶を袋に押し込む。爺いは獲物を担ぎ上げ、庇つきの帽子をはすに引きおろし、何も言わずに足を引きずって去る」(He jerks on. A pigmy woman swings on a rope slung between two railings, counting. A form sprawled against a dustbin and muffled by its arm and hat snores, grinding growling teeth, and snores again. On a step a gnome totting among a rubbishtip crouches to shoulder a sack of rags and bones. A crone standing by with a smoky oillamp rams her last bottle in the maw of his sack. He heaves his booty, tugs askew his peaked cap and hobbles off mutely)
→Pigmyは「小人、無能な人」の意。Asquatはこれまでの挿話に頻出した「やぶにらみの」(asquint)という言葉を想起させ、Mutelyは先に出てきたdeafmuteへと戻る。

107「紙の羽根を持って戸口にしゃがんでいた鰐足の子供が、横ざまにぎくしゃくとにじり歩いて老婆を追い、スカートにしがみつき、よじ登る。酔っ払いの土方がぐらりとよろけ、両手で半地下エリアの柵をつかむ」(A bandy child, asquat on the doorstep with a paper shuttlecock, crawls sidling after her in spurts, clutches her skirt, scrambles up. A drunken navvy grips with both hands the railings of an area lurching heavily)
→Bandyは「脚が湾曲した」の意でU-Y p.225でブルームが「偏平足のがに股歩き」を子供たちに真似されていることを笑われていることを思い起こさせる。Paperは後に出てくるpaper lanternへ、railingsは後に出てくるrail(レール、軌道、鉄道)へつながり、sidlingは頻出するsideという単語に類似している。Area(地下勝手口、地下の台所前の舗装した空き地、商人などの出入り口)は第4挿話に出てくるブルームの家の台所、第10挿話で白い腕が硬貨を投げる場所を想起させる。

107-108「人影がさまよい歩き、身をひそめ、立て込んだ小路からあたりをうかがう。部屋のなかでは、瓶の口に押し込んだ蠟燭の光のそばで、娼婦が瘰癧病みの子供のもつれた髪をとかしている。まだ若いシシー・キャフリーの甲高い歌声が路地裏から聞える」(Figures wander, lurk, peer from warrens. In a room lit by a candle stuck in a bottleneck a slut combs out the tatts from the hair of a scrofulous child. Cissy Caffrey’s voice, still young, sings shrill from a lane)
→Wanderは第10挿話のテーマ、シシー・キャフリーは第13挿話でガーティとともに海辺での憩いを楽しんでいた人物だが、ここでは恐らく一人の娼婦に変わっている。シシーの歌の中の「鴨の足」(The leg of the duck)は後にブルームの買う豚足と羊の脚肉へとつながる。

111「客引き女/(二人の後ろ姿に毒を込めた唾を吐きかける。)トリニティの医学生めらが。ラッパ管だとて」(The Bawd / (spits in their trail her jet of venom) Trinity medicals. Fallopian tube)
→唾を吐く行為は第10挿話のコーニー・ケラハーを想起させ、ここでもJetという言葉が使われている(U-Y p.381, U.10 221)。「ラッパ管」という言葉は卵巣から出た卵を子宮まで運ぶ輸卵管、または中耳から咽頭につながる耳管を指すこともある。この言葉は後の蓄音機のラッパ部分へとつながる。第11挿話には、「金管は上向き鼻管でいななくロバ」(U-Y p.412)という記述もある。

115「トミー・キャフリーがガス灯ににじり寄り、しがみつき、遮二無二よじ登る。彼はてっぺんの支柱から滑り降りる。ジャッキー・キャフリーがよじ登ろうとしてしがみつく。土方がよろりと街灯にもたれる。双子は闇の中に逃げ去る。土方はふらつき、人差指を小鼻にあてがい、もう一方の鼻の穴から長い水っぱなをほとばしらせる。彼は街灯を肩でぐいと押すと、焔を吹く火壺を手に、人ごみをすり抜けてよろりと去る」(Tommy Caffrey scrambles to a gaslamp and, clasping, climbs in spasms. From the top spur he slides down. Jacky Caffrey clasps to climb. The navvy lurches against the lamp. The twins scuttle off in the dark. The navvy, swaying, presses a forefinger against a wing of his nose and ejects from the farther nostril a long liquid jet of snot. Shouldering the lamp he staggers away through the crowd with his flaring cresset)
→Scrambleには「はい回る、這い進む、這い上る、奪い合う」という意味があり、トミーとジャッキーは第13挿話でボールを奪い合っている。ここでも客引き女と同じように、手鼻で出した鼻水がjetと記述されている。

115「川霧が蛇の群のようにゆっくり忍び寄る。下水溝や、割目や、汚水溝や、塵芥の山からよどんだ臭気が立ち昇り、あたりにひろがる。南側、河口近くの向う岸で真っ赤な明りが躍り跳ねる。土方はよろめきながら人ごみをかき分け、ふらつく足で電車の側線のほうへ歩く」(Snakes of river fog creep slowly. From drains, clefts, cesspools, middens arise on all sides stagnant fumes. A glow leaps in the south beyond the seaward reaches of the river. The navvy, staggering forward, creaves the crowd and lurches towards the tramsiding)
→Cleft(割目)はcleave(かき分ける)の過去形・過去分詞形。使われている意味は違うが、元の単語は同じ。Tramsidingは既出。

117-118「(彼は用心深く呼吸をととのえ、ランプの光に照らし出された側線のほうへゆっくり歩く。真っ赤な明りがまた躍り跳ねる。)/ブルーム/あれはなんだろう? 点滅灯かな? サーチライトか。/(彼はコーマックの酒屋の角に立ち止ってみつめる。)/ブルーム/《北極光》か、ベガーズ・ブッシュあたりか。こっちは大丈夫。(浮れて鼻歌を口ずさむ。)ロンドンが燃える、ロンドンが燃える! 火事だよ、火事だ!(トールボット通りの向う側を、土方が人ごみを縫って、よろりと歩いて行くのを見かける。)見失うぞ。走れ。早く。ここを渡るほうがいい」((He takes breath with care and goes forward slowly towards the lampset siding. The glow leaps again.)/ Bloom/ What is that? A flasher? Search light. / (He stands at Cormack’s corner, watching.) Aurora borealis or a steel foundry? Ah, the brigade, of course. South aside anyhow. Big blaze. Might be his house. Beggar’s bush. We’re safe. (he hums cheerfully) London’s burning! On fire, on fire! (he catches sight of the navvy lurching through the crowd at the farther side of Talbot street) I’ll miss him. Run. Quick. Better cross here)
→Blazeは「炎、火炎、火事、地獄」の意で、Blazes Boylan(ボイラン)を想起させ、
Talbot Streetは第2挿話のトールボット(スティーヴンの教えている子供の一人)を思い出させる。(U-Y p.51)

119「立ちこめていく霧のなかを徐行していた大型砂撒き電車が、ぐいと向きを変えて、のしかかるように迫ってくる。巨大な赤いヘッドライトがぴかぴかまたたき、トロリーと架線がこすれ合ってしゅうしゅう鳴る」(Through rising fog a dragon sandstrewer, travelling at caution, slews heavily down upon him, its huge red headlight winking, its trolley hissing on the wire
→前出の真っ赤な明りと火事(glow, blaze)が巨大な赤いヘッドライトと重なる。Dragonは「徐行していた」と訳されているが(drag onで「のろのろ進む」の意)、そのまま読めば竜。架線とトロリーのこすれ合うhissingは蛇などがシューという音を立てる意味を持つ。

119「運転手は誘導輪の上につんのめり、ひしゃげた鼻を突き出し」(The motorman, thrown forward, pugnosed, on the guidewheel)
→ひしゃげた鼻(pugnosed)は第5挿話でブルームが女性を眺めているのを遮った電車の運転手(U-Y p.132  U.5 132)の「獅子っ鼻」と同じpugnose。

120-121「きっと密殺した牛なんだ。獣のしるし」(Probably lost cattle. Mark of the beast
→ギフォード注によると、密殺された牛(lost cattle)は不法に畜殺された牛、または牛肉の代替とされた馬の肉を意味するらしい。第14挿話での牛の様々な表象を想起させる。鼎訳注によれば、Mark of the beastは反キリストの獣の徽章。「ヨハネ黙示録」13.16‐17を踏まえている。この烙印を押されたものは天国へ行けない。

127「提灯袖のブラウス」(muttonleg sleeves)
 →ブルームは豚足と羊の脚肉を買っている

133「中年過ぎの客引き女が袖をつかむ。女の顎のほくろの剛毛がきらきら光る。/客引き女/初物が十シリングだよ。ぴちぴちの生娘がさ、まだ手つかずなんだよ。年は十五、へべれけ親父のほかには身寄りもないのがさ。(彼女は指さす。暗いねぐらの隙間に、雨に濡れたブライディ・ケリーがひっそりと立っている。)/ブライディ/ハッチ通りよ。お目あてがあるの?(一声きいっと叫ぶと、蝙蝠ショールをはばたかせて駈け去る。頑丈な体つきのならず者がブーツの足で大股に追いかける。彼は階段にけつまずき、体を立て直し、闇のなかに飛び込む。弱い甲高い笑いが聞えて、さらに弱まる。)」(The elderly bawd seizes his sleeve, the bristles of her chinmole glittering. / The Bawd / Ten shillings a maidenhead. Fresh thing was never touched. Fifteen. There’s no-one in it only her old father that’s dead drunk. / (She points. In the gap of her dark den furtive, rainbedraggled Bridie Kelly stands.) / Bridie / Hatch street. Any good in your mind? (With a squeak she flaps her bat shawl and runs. A burly rough pursues with booted strides. He stumbles on the steps, recovers, plunges into gloom. Weak squeaks of laughter are heard, weaker)
→Gapは前出の「割目」でもある。蝙蝠は第13挿話で教会から飛び立った蝙蝠、また第3挿話のスティーヴンの思索のなかに現れる、吸血蝙蝠をも想起させる。(U-Y p.90)

138-139「二人はさっと仮面を取って童顔の素面を見せる。それから、くすくす、けらけら笑い、弦をぼろんぼろんとはじき、腰をゆすってケークウォーク・ダンスを踊りながら、ひょいひょいと消える」(They whisk black masks from raw babby faces. Then, chuckling, chortling, trumming, twanging, they diddle diddle cakewalk dance away)
→Chuckleとchortle、trumとtwangに若干の視覚的・音声的類似があり、diddleは繰り返されると同時にそのあとにdanceという単語が現れる。Trumは前出のtramとも重なる。

141「アイルランドの国のため、家庭と美女を守るため」(I give you Ireland, home and beauty)
→鼎訳注にあるように第10挿話で一本足の水兵が通りで歌う歌をもじっている。第10挿話では、アイルランドのためではなく「イングランドのためなれば」と歌われている(U-Y p.382)

141「じつをいうとね、ぼくは、いま、誰かさんのどこかが少しはティーポットなんじゃないかと、知りたくって、知りたくって、ティーポットなんですよ」(I confess I’m teapot with curiosity to find out whether some person’s something is a little teapot at present)
→鼎訳注にあるように、「ティーポット」の箇所に何かの言葉を補うゲームだが、補うというより言葉を隠していると言えると思う。正解はburningだが、第4挿話のモリーの台詞「ティーポットは熱くしてね」から推測できる(U-Y p.112)。burningという言葉により、前出の火事へと意識が戻る。

143「デニス・ブリーンが白いシルクハットをかぶり、ウィズダム・ヒーリーのサンドウィッチマン用広告板をぶら下げ、さえない口ひげを突き出し、右や左にぶつぶつつぶやきながら、室内履きを引きずって二人の前を通り過ぎる。ちびのアルフ・バーガンがスペードのエースの柩覆いにくるまり、体を二つに折って笑いころげながら左や右にあとをつける」(Denis Breen, whitetallhatted, with Wisdom Hely’s sandwich-boards, shuffles past themin carpet slippers, his dull beard thrust out, muttering to right and left. Little Alf Bergan, cloaked in the pall of the ace of spades, dogs him to left and right, doubled in laughter)
サンドウィッチマンについては第8挿話に記載されている(U-Y p.267)。アルフ・バーガンは第12挿話に登場する人物。デニスが右や左に向かってつぶやくのに対し、アルフは「左や右に」彼のあとをつけている。

144-145「三つの婦人帽をピンで頭に留めたリチー・グールディングがコリス・アンド・ウォード弁護士事務所の黒い訴訟用鞄をぶら下げ、重みのため体を片側にかしげて現れる。鞄には消石灰水で書いた髑髏印。彼が鞄をあけると、なかは燻製ポークソーセージや、燻製鰊や、燻製鱈や、びっしり詰め込んだ錠剤などがいっぱい」(Richie Goulding, three ladies’ hats pinned on his head, appears weighted to one side by the black legal bag of Collis and Ward on which a skull and crossbones are painted in white lime wash. He opens it and shows it full of polonies, kippered herrings, Findon haddies and tightpacked pills)
→リッチーの鞄に詰め込まれている食べ物はすべて燻製(smoked)されている。鞄に髑髏印が書かれているということは、これらが危険物か、死をもたらすものであるということか。びっしり詰め込まれた錠剤は第3挿話のスティーヴンの思索のなかに出てくる腰痛の丸薬(U-Y p.77)を思い起こさせる。

146「リチー/ちくしょうめ。おれま、だ食った、ことない。/(彼は頭を垂れてかたくなに歩きつづける。ふらりと通りかかった土方が焔を吹く枝角の先で彼をつつく。)/リチー
/(苦痛の叫びをあげて、尻に手を当てる。)あちち! ブライト病だ! 明りだ!」(Richie / Goodgod. Inev erate inall… (With hanging head he marches doggedly forward. The navvy, lurching by, gores him with his flaming pronghorn.) / Richie / (with a cry of pain, his hand to his back) Ah! Brights! Lights!)
→Goodgod. Inev erate inallは第11挿話の冒頭部分の記述に対応するが、第11挿話ではGoodgod henev erheard inallとなっており、微妙に異なっている。土方の持つpronghorn(枝角)は鹿の枝のように分れた枝先の先端のすべてに炎が燃えている印象を与え、大変危険なもののように思える。リッチーの最後の台詞「ブライト病だ! 明りだ!」は「まぶしい! 明りだ」とも解釈でき、リッチーが光を恐れているようにもとれる。リッチーの持っている鞄も含めて、ここでのリッチーには悪魔的に思える。また、尻を枝角で突かれたリッチーの姿は、第12挿話で煙突掃除夫の箒の柄で目を刺されそうになった「俺」を想起させる。

151「(彼はくんくん鼻を鳴らす犬につきまとわれながら、地獄門のほうへ歩く。アーチの入り口で、女が立ったまま前にかがみ、両足をひろげ、牝牛のように小便をする。鎧戸をおろした酒場の前に浮浪者が集まり、ひしゃげっ鼻の親方が粗野なユーモアをまじえながらだみ声でしゃべる声に聞き入る。そのなかの腕のない二人が、ふざけ半分に、不様でおろかしい喧嘩をはじめ、取っ組み合い、うなり合い、どたばた跳ねる。)/親方/(しゃがんで、鼻からねじれ声を出す。)そんでケアンズがビーヴァー通りの足場から降りて来てやらかしちまったのが、なんとなんと、ダーワンとこの左官職人らが飲むってんでそばの鉋屑の上に置いてたポーターの桶んなかよ。/浮浪者たち/(兎唇の口で馬鹿笑いをする。)いやあ、まったくなあ!/(ペンキのしみに汚れた彼らの帽子が揺れる。小屋の膠糊や石灰の跳ねをくっつけたまま、腕のないみんなが親方のまわりを跳ねまわる。)」(Followed by the whining dog he walks on towards hellsgates. In an archway a standing woman, bent forward, her feet apart, pisses cowily. Outside a shuttered pub a bunch of loiterers listen to a tale which their broken snouted gaffer rasps out with raucous humour. An armless pair of them flop wrestling, growling, in maimed sodden playfight.) / The gaffer / (crouches, his voice twisted in his snout) And when Cairns came down from the scaffolding in Beaver street what was he after doing it into only into the bucket of porter that was there waiting on the shavings for Derwan’s plasterers. / The Loiterers / (guffaw with cleft palates) O jays! / (Their paintspeckled had wag. Spattered with size and lime of their lodges they frisk limblessly about him)
→うなりながら互いを傷つけることのない、ふざけ半分の喧嘩(playfight)をする二人はmaimed(不具)であり、sodden(びしょぬれ、酔っ払い)でもある。そのほか、バケツに小便をするケアンズ、鼻から声をひねり出す、鼻のつぶれた親方、ジョークで笑って帽子を揺らす(wag)ペンキの斑点のついた人々、小屋の膠糊や消石灰をまき散らされたまま、四肢のどこかに欠損のある状態で(limblessly)親方の周りを跳ね回る浮浪者たち(loiterers)はみな、汚れて体に傷を負った犬のような印象を与える。

153「窓のカーテンの膨らみから、蓄音器のでこぼこ傷だらけの真鍮ラッパが突き出ている」(From a bulge of window curtains a gramophone rears a battered brazen trunk)
→蓄音器のラッパは前出の「ラッパ管」を、brazenという単語はblaze(火事・ボイラン)を思い出させる。

156「ブルーム/これじゃ雲をつかむようなもんだ。曖昧宿が並んでいるし。あの二人がどこへはいったかわかりゃしない。酔っ払いの足はしらふの倍は速いからな。結構なごたごたに巻き込まれたよ。ウェストランド通り駅でひと騒動。それから三等切符で一等車に飛び乗る。おつぎは乗り越し。機関車が後ろについている汽車だ。へたするとマラハイドまで連れて行かれたな。さもなけりゃ待避線で夜を明すか、衝突事故にでも。二軒目の酒のせい。一軒でやめときゃ薬になるけど。おれはなぜ彼のあとをつける? でもな、やつらのなかではあれが一番ましなんだ。もしミセス・ボーフォイ・ピュアフォイのことを聞かなかったら、あそこに行きもしなかったし会いもしなかったろう。キスメットだよ。宿命ってやつ」(Bloom / Wildgoose chase this. Disorderly houses. Lord knows where they are gone. Drunks cover distance double quick. Nice mixup. Scene at Westland row. Then jump in first class with third ticket. Then too far. Train with engine behind. Might have taken me to Malahide or a siding for the night or collision. Second drink does it. Once is a dose. What am I following him for? Still, he’s the best of that lot, If I hadn’t heard about Mrs Beaufoy Purefoy I wouldn’t have gone and wouldn’t have met. Kismet)
→「雲をつかむようなもん」と訳されているが、wildgooseは「灰いろ雁」(U-Y p.80)。マラハイド(Malahide)のなかにhideが隠れている。ボーフォイ(Beaufoy)という言葉を頻繁に思い出すのは、Beau(しゃれ男、恋人、愛人)という言葉から無意識にあるボイランのことが口に出てしまうのではないだろうか。その他、disorderly-mixup、First-third-second、does it-doing it(前出のケアンズの小便)-dose、lot(連中、運命)-Kismet-metといった言葉のつながりが見られる。

 

まとめ:

 赤い炎、火事、竜、蛇、骨、割目、反キリストといった言葉の意味からは地獄の入口どころか、地獄そのものといった印象をうける。しかし、私が何より気になったのは、「健康・正常ではないように見える人々」「意図のわからない行動をとる人々」の描写の多さだ。記事冒頭でも述べたように、全体的な貧困のため、またいわゆる「いかがわしい」地区、不法営業をしている店のひしめく街に、そのような人々が多いだろう、ということは想像に難くない(健康で正常を自任している人々の社会から疎外され、行き場がないのだ)。単純に、ジョイスはこのような表現によって恐ろしい場面、恐ろしく見える場面を演出しようとしたのかもしれない。しかし、ユリシーズにはそもそもどこかしら体調に支障をきたしている人が多く描かれている。ブルームは腸の調子が悪く、スティーヴンは「歯牙無きキンチ」で(U-Y p.94)、ベン・ドラードは痛風もち、リッチーはブライト病だ。現代でも言えることだが、人がどのような身体的・精神的不調を抱えているかということは、本人の表現や発言によってしか知りようがなく、また、何をもって健康とするか、正常であるとするかということをそもそも他者が判断できるのか、判断してよいのか、という問題もある。意図のわからない行動についても同様で、例えばキャッシェル・ボイル・オコナー・フィッツモーリス・ティズダル・ファレル(ex. U-Y p.275)などは「おかしな人」として描かれているが、彼の行動にも彼なりの理由があるとジョイスは考えていたのではないか、と想像する。
 では、この挿話の冒頭部分において、これらのある意味「異常な人々」「異常な行動」が何を示そうとしているのか、と考えると、それは人々そのものではなく、それを描く言葉自体のディフォーメーション(変形・奇形)なのではないだろうか。微妙な差異を伴う反復のテーマ(言葉のre-visit)はすでに第11挿話に出てきているが、第11挿話のそれとは違い、ここではそのディフォーメーションによる差異が巧妙に隠されているように思われる。言葉が「変装」している(disguise)といってもいい。一つの言葉がかなり離れた場所で差異を伴って何度か出現しているが、それらの意味は必ずしも同じではなく、またそれぞれの意味がつながりを持っているのかどうかはよくわからない。水たまりに映った光がステッキに打たれて散らばるように、挿話全体、作品全体に一つの単語の意味、単語そのものの形が拡散しているのだ。
 そしてこの、意味を拡散する「変装した言葉たち」は互いに追い、追われる関係にあるのではないだろうか。一つの単語が姿かたちを変えて後に別の言葉として表現され(変装した「追われる言葉」)、またある言葉は先に現れていた同じ単語を何度も思い起こさせる(言葉による言葉の追跡)。もしかしたら、この変形・変装と追跡のテーマは、この挿話でブルームがスティーヴンたちを「追っている」ことがすでに私の頭に入っていることから導き出されたものかもしれない。しかし、実際に「追う」ブルームが様々に犬種を変える犬にあとをつけられていること、また幻覚的記述の中で、誰かの発言によりブルームや様々な人々が装いを変えていることを考えると、全くの恣意的な解釈ではないのではないだろうか、とも思う。それはまるで自分のしっぽを追ってぐるぐると回る犬の頭が、竜になり、蛇になり、電車になると同時に、しっぽのほうはスティーヴンになり、モリーになり、ブルームになり、ブライディ・ケリーへと変化していくようなものなのではないか、と私は考える。

ep.15を場面別に分けてみた

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 長いだけとナメておりましたが、私もep.14並みに苦戦しております。

 長すぎる(笑)。とても全部を網羅することができないので、最初に読んで作ってみた大体の場面の流れを公開します。この部分面白そう! と思った部分だけじっくり読んでみるのもいいのではないかと(というかそういう取り組み方じゃないと無理…orz)。

 私の主観が入っている部分、足りない部分、間違っているかもしれない部分も多々あると思いますが、「とても読み切れないよ!」とお感じの方々の、何らかの参考になれば幸いです。「私は誰にも頼らないぜ!」とお考えの方はスルーしてください(笑)。

 数字は集英社文庫ユリシーズ第15挿話のページ数です。「?」は私にも判然としないところです。あくまで、参考程度にどうぞ。

 

105‐115 夜の街を歩くスティーヴンとリンチ。怪しい人々が行きかう。小さな人々、子供。
115‐125 二人を追うブルーム。
125‐159 ブルームの前に現れる父、母、モリー、ガーティ、ブリーン夫人、リッチーなど。ブルームの回想的。
159‐166 ブルームの逮捕
167‐189 ブルームの法廷での弁解。弁護人はオモロイ。彼を責めるボーフォイ、昔の台所女中メアリ・ドリスコル、女たち。
189‐200 罰としてブルームの体を痛めつけたい女たち、ブルームは死刑判決を受ける。
200‐205 ブルームが自分の葬式に出ていたことを証言するディグナム。
205-212 ブルームはスティーヴンたちのいる娼家を突き止めた様子。
212―242 ブルームがダブリン市長に、アイルランドイスラエルの英雄としてあがめられる。皆がほめたたえる。アイルランドイスラエルの合体。裁判所が開廷され、皆がブルームに陳情を持ち掛け、ブルームが回答する。突然ブルームを非難する声が上がり、再びブルームの地位が危うくなる。ブルームはマリガンに不当な非難の根拠となる医学的証言を求める。
242-255 マリガンら医師・医学生が現れ、ブルームが女性的男性であると証言。ブルームは妊婦になる。八つ子を産み、子供たちはみな大物になる。別の者たちが彼の過去の過ちを問いただす。彼は皆から石を投げつけられる。ブルームは火刑にあう。
255-262 娼婦ゾーイーとの現実的?なやり取り。ブルームは幻覚のせいかやけになっている様子。二人は娼家の中へ入る(それまで路上でやり取りしていたのか?)階上の音楽室にリンチが見える(スティーヴンたちがここにいる)。
262-282 酔っぱらっても小難しい話をするスティーヴン。蓄音機、エリヤ、リスターたち、マナナーン・マクリールの言葉。
282-306 ブルームの祖父の登場。女に詳しい。何に何が効くかの講釈、実用的な博学っぷりはブルームと似ている。
306-315 スティーヴンは聖職に関係のあることを勘づかれる。スティーヴンが大司教になる。ゾーイーはリンチに飴をやる。ブルームにはチョコレートをやる。
315-351 娼家の女主人ベラの登場。ベラ(ベロー?)とブルームとがSM状態になる。ベラが男に? ブルームが女に? ほかの娼婦たちもブルームいじめに加わる。ミリーの登場。
351-360 男に戻るブルーム。自分の部屋に飾った女神像との会話
360‐375 10代の学生に戻るブルーム
375‐378 ブルームと娼婦たちの会話
378‐384 スティーヴンが金を払う。足りない分をブルームが払う。
384‐395 スティーヴンの金をブルームが返す。(スティーヴンの金では足りず、ブルームの足した分では多かったので、余りをスティーヴンに返した?)ブルームがやんわりとスティーヴンの金遣いを注意する。ブルームがスティーヴンにタバコはやめるよう言い、何か食べるよう促す。娼婦がスティーヴンとブルームの手相を見る。
395‐405 ボイランとモリー登場。ブルームは二人の召使のようになる。ボイランとモリーの情事をおそらくブルームがのぞき見している。(ボイランたちは彼に見させている)。
405-412 娼婦にせがまれてフランス語?でまくしたてるスティーヴン。
412‐417 スティーヴンをたしなめるブルーム。スティーヴンの「父よ!」の声に応じてサイモン登場。娼婦ゾーイーが場の流れを変えようとしてか、踊ろうと持ち掛ける。
417‐431 自動ピアノの音楽に合わせて、スティーヴンとゾーイーが踊りだす。時間たちも踊りだす。マギニの指導。スティーヴンとフロリーが踊る。ブルーム以外皆が踊り、(ベラは踊ってない?)スティーヴンは一人で踊る。
431‐437 疲れて踊りをやめるスティーヴン。スティーヴンの母登場。スティーヴンと母との会話。母はスティーヴンに悔い改めるよう諭すが、スティーヴンは母に訴えかけながらも、母を悪霊のように拒絶する。スティーヴンの態度がおかしくなる。
437‐439 スティーヴンが発作的にステッキでシャンデリアを打ち砕く。止めるブルーム。ベラは警察を呼ぼうとする。スティーヴンはステッキを放り出し、外へ逃げる。
439‐443 壊されたランプの弁償代を請求しようとするベラ。ブルームはその法外な金額がおかしいとベラに反論。スティーヴンのことをかばうような口ぶり。ベラは怒る。ゾーイーが外で喧嘩が始まったと告げる。ブルームは後を追う。
443‐447 追いかけるブルームの幻覚的な姿と、それを追う大量の人々のト書き。その人々はブルームを止めようとする。
447‐452 スティーヴンと兵隊の言い争い。兵隊の味方をする女の肩を持ち、スティーヴンに追いかけられているという女をかばって?スティーヴンを殴ろうとする兵隊。兵隊からスティーヴンを引き離そうとするブルーム。兵隊に対し、「僕の国を僕のために死なせろ」とナショナリズム的な発言をするスティーヴン。(兵隊はイギリス人?)→アイルランドアイルランド人のもの
452‐477 場をなだめようとするブルーム。両者いうことを聞かない。幻覚的な様々な人々がヤジを飛ばす。挑発を続けるブルーム。ダブリンが燃える、という「遠くの人声」。幻覚的な混沌のト書き。アンチキリスト的記述。Dog―God。兵隊がスティーヴンを殴り、スティーヴンは倒れる。
477‐482 巡査がやってくる。兵隊とブルームが互いの言い分を巡査に訴える。
482‐492 コーニー・ケラハーがやってくる。警察とコネがあるので、ブルームはケラハーに巡査を引き下がらせて、大ごとにならないよう暗に頼む。ケラハーのおかげで巡査はよくある諍いと何も訊かずにその場を去る。ケラハーはブルームたちを馬車で送ろうとするが、スティーヴンがサンディマウントあたりに住んでいるとブルームは知っていて、ケラハーの帰ろうとする方角と違うので、ケラハーは一人で帰る。ブルームは自分がスティーヴンを送っていくと言う。ブルームはスティーヴンの帽子とステッキを預かっている。
492‐495 スティーヴンの介抱をするブルーム。スティーヴンは起きない。ルーディの幻覚が現れ、ブルームが驚く。

読めぬなら 訳してしまえ ep.14

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 第14挿話の鼎訳と原文を突き合わせて、「大体こんなことを言ってますよ」と思われる部分をあらすじ的にまとめてみようと思ったのですが、いつものようにざっくりまとめることができず、かなり訳し直しのようになってしまいました… ほんの途中までです。また増えるかもしれませんが。
 何を言っているのか分からない、というのが鼎訳でも原文でも一番問題かと思ったので、丸谷さんには申し訳ないながら、古文の文体もニュアンスも全部取っています。ただ、解釈はほぼ丸谷さんに従っています。何をどう調べても本当に分からなかった部分については書いていません。また前置きだけで異常に長くなるので、本文へどうぞ。
(引用・参照はユリシーズの読書会と同様、集英社文庫版『ユリシーズ』に依拠しております。今回は第3巻にあたります。鼎訳はU-Δとして表記しています。)

 2021.10.13追記:大分私の解釈のほうが強くなってきました… あくまで参考程度に読んで頂けますと幸いです。

 

・p.13「南行保里為佐……ぐわんばれ!」

 →飛ばします(笑)。ep.11の冒頭みたいな感じで読むのがいいのではないかと。

・p.13~p.15「蓋し国運……功績にあらずや」
 

 →中世ラテン語散文年代記の翻訳文体の模倣(直訳的)。翻訳は漢文くずし(U-Δ注)。
  めちゃくちゃむずかしいので、かなり省いています。分かったところ、重要かな、

  とおもわれたところだけ。

 

 他の諸条件が等しいなら、国家の繁栄は外的な栄光によってより、繁殖の継続に対する心配りの証をいかに発展させ得るかを測ることによって、より有効に現れるものだ、ということを学識ある人々は断言している。
 繁殖の継続は根源的罪悪を持つが、それをないものとしたならば、幸運にも今は全能の自然の腐敗や不道徳とは無縁な善行の確かなしるしと見なされる。
 外的な輝きは濁った現実を隠すもの。どんな自然の賜物も、繁殖の賜物にはかなわない。それゆえ、市民たる者は同胞に忠告しなければならない。過去にすばらしく始められたことが、未来においては成し遂げられないのかもしれないのだ、と。
 恥ずべき慣習が徐々に父祖から受け継がれた栄光を深遠の彼方へ追いやったなら、すべての人類に豊かさの預言または減少への脅しとともに、取り消されることなく強いられてきた、何度も繰り返し子をもうける機能を賞揚してきた福音、命令と約束とを、次世代へ託すのを忘れ、無視するほど忌むべき罪はない、と立ち上がり、断言する者を過度に厚かましいとすることができようか。
 それゆえ、優秀な歴史家たちの語るように、本質的に尊ぶべきものでないものを尊ぶことはしないケルト人のあいだで、医術が大変重要視されるのはおかしなことではない。病院、らい病患者の治療施設、発汗治療室、疫病患者の埋葬場は言うまでもなく、ケルト人の名医の一族たちは舞踏病、皮膚の黄色くなる病気など疾病の如何にかかわらず、患者や病気の再発者が健康を取り戻せるよう、種々の療法を熱心に考案し、施してきた。
 重要な公共の事業はそれにふさわしい準備がなされるべきであるので、一つの計画が採用された(それが熟考の末か、経験知によるものかは明らかにしがたい)。その計画によって、母となるものはあらゆる偶発的な可能性から遠ざけられ、そういった女性が最も辛い時に必要とする配慮は、富裕な者だけでなく、十分な金のない者、そして十分に食べていくことすらできない、僅かな報酬で暮らしている者にも与えられた。
 その後、母になる者にとって何ものも、どのような形でも苦難とはなり得なかった。それは主に多くの市民が、多産の母がいなければ繁栄などあり得ないと感じ、そして彼らは永遠、神々、死すべき人間、出生を自らにふさわしいものとして受け止めていたからでもある。妊婦の状態が差し迫っていたとき、妊婦が乗り物に乗せられて運ばれていくのを見、妊婦がそういった施設に受け入れられてほしい、という計り知れない願いがそれぞれの人の心のうちに駆り立てられた。ああ、周囲の人々が彼女の母になることを予見して見まいに行き、また彼らによって突然自分が大切にされようとしていると彼女が感じ始めたということは、単にそのような場面を見られることにおいてのみらず、語られることのうちにおいても、称賛に値する、賢明な国民の一側面ではあるまいか。

・p.15~p.16「生れ出でに……安らけくすなり」

 

 アングロサクソン時代(ノルマン人の征服以前)のリズムと頭韻に富む文体。殊にエル

 フリック(10世紀末)あたりを模す。祝詞の文体を参照して訳す(U-Δ注)。

 

 生まれる前から赤ん坊は祝福されている。胎内で赤子は賛美されている。この事態(出産)において、有益になされることはすべてなされる。寝椅子には助産婦が付き添い、あたかも出産が既になされたかの如く、健康に良い食事、休息をもたらし、清潔な産着が、賢明な準備によってもたらされる。加えて、妊婦の状態に適切な妊婦の状態に適切な、必要とされ不足のない薬、外科器具、また、我々の住む地球の様々な地方の、妊婦にとって気晴らしになる光景(の写真・絵画)、神と人間の図像が提供される。大変日当たりの良い、しっかりとした造りの、素晴らしい「母の家」のなかで、(そのような環境と準備は)隔てられた女性たちによる不安に安らぎを与え、腹の膨れを導く。妊婦の腹の膨れが終りに近づき、出産可能になり、出産予定が近づいたとき、妊婦たちは横たわるためそこへ赴く。

・p.16~p.18「尓して夜の……いたはしく思ひき」

 アングロサクソン時代の哀歌「さすらい人」を連想させる。翻訳は『古事記』の文体

 を基調とした(U-Δ注)。

 

 夜になって、ピュアフォイ夫人の出産見舞いにブルームが病院の玄関前にやってくる。その病院は産婦人科(産院)。主はホーン(医師)である。この病院には70の寝台があり、出産間近の女性の入院を受け入れ、神の天使がマリアに言ったように健やかな子を産ませる。(今は)ホーンのかわりに、二人の看護婦が夜も眠らず病院の妊婦たちを見守っている。二人は痛みを鎮め、病を和らげる。彼女らは1年に300回もそういった仕事に携わっている。
 看護婦たちが病院で当直中、看護婦の一人はブルームがやってきたのを聞き、戸を開けた。そのとき、アイルランドの西の方の空に一瞬稲妻が走った。人間の邪な罪に怒れる神が水で全人類を滅ぼそうとしているのではないか、と彼女は非常に恐れた。胸にキリストの十字を切り、早く中へお入りください、と言ってブルームを誘った。ブルームは彼女の思いやり深さを感じ、ホーンの館へ入った。
 邪魔になってはいけないと、ブルームは帽子を持ったままこの産院の玄関ホールに立っていた。昔ブルームは、妻と娘と共に、この看護婦と同じところに住んでいたことがあった。その後9年間様々な土地を渡り歩いて暮らした。以前一度、町の波止場で彼女を見たとき、あいさつをしなかった。ブルームはそのときの無礼を許してほしいという思いで、あの時挨拶をしなかったのは、ちらっと見えたあなたの顔がとても若く見えたからなのだ、と言った。すると彼女の目は輝き、顔を花の色のようにパッと赤らめた。
 この時看護婦の目はブルームの黒い服に留まり、何か不幸があったのだろうと気遣った。初めは心を痛めたが、後になって喜んだ。ブルームは彼女に、オヘア医師から何か便りはあるかと訊くと、彼女は悲しみに満ちたため息とともに、オヘア医師は今天国にいらっしゃる、と答えた。それを聞いて、ブルームの心は悲しみでいっぱいになり、腸が悲しみでずっしりと重くなる感じがした。看護婦は若い医師の死を悲しんで、その詳細を話した。オヘア医師は司祭に告解して罪の許しを得、聖体を与えられ、聖油を塗られ、善き神の御心により汚れなく、苦しむことなくこの世を去った、と。
 ブルームはきわめて誠実に何の病だったのか、と訊いた。看護婦は牛の鳴くモーナの島で、腹のガンで亡くなった、3年前のこの幼子の日のことだった、と答え、慈悲深い神に、あの医師の魂が天国で不滅のものとなりますように、と祈った。彼はこの悲しい言葉を聞いて、持っていた帽子を悲しくみつめた。しばらく二人は互いに深い悲しみの中にありながら、そこに立ちつくしていた。

・p.18「諸人よ……去ぬる身なれば」

 中世英語の散文。最初のパラグラフは中世の寓話劇『エヴリマン』(1500年頃)の開幕

 の台詞を連想させる。『万葉集』の長歌を模して訳す(U-Δ注)

 

 それゆえ、皆の者よ、最期を見つめよ、それはお前自身の死であり、女から生まれた全ての人間を苦しめる死者の地である。というのも人は皆母親の子宮から裸で生まれ出で、そのようにしてこの世にやってきたのと同様、裸で去って行くものなのだから。

・p.18~p.19「この家に入りし……流れゆくなる」

 何のパロディか不明。『竹取物語』の調子で訳す(U-Δ注)

 

 この産院に入ったブルームは、看護婦に、分娩中で横たわっている女性はどうなっているのか、と訊いた。看護婦はその女性は丸三日間陣痛中で、難産のためかなり辛いお産になっているが、それももう間もなくで終わるだろう、今までたくさんの女性の出産を見てきたが、あの女性の出産ほど大変なケースは今まで見たことがない、と言った。看護婦はブルームが昔近くに住んでいた人だと知っていたので、そのようにすべてを隠すことなく話した。ブルームは痛切な思いで彼女の言葉を聞き、女たちが母として経験する陣痛の苦しみはどれほどのものだろう、と思いを馳せ、また、看護婦の顔を見て、どんな男が見ても非常に美しいのに、長い年月を経ても看護婦のままでいるのを不思議に思った。彼女の9年間の月経が、子供を産まないのを恨み嘆いているみたいだ。

・p.19~p.21「かくて語らひに……ほめまつらむ」

 ここからは15世紀の幻想的旅行物語『エンデヴィルの旅』の英訳の文体を模す。翻訳

 は『宇津保物語』その他の調子でゆく(U-Δ注)

 

 二人が話している間に、城の扉が開かれ、食卓についている大勢の人々のおびただしい話し声が二人に迫った。ディクソンという名の若い学生騎士が、そこに立っていた彼らのもとにやってきた。さすらい人ブルームのことを彼はよく知っていた。彼が慈善の館で働いていた頃、二人はある騒ぎで関わり合いになっていたのだ。このさすらい人ブルームは大変恐ろしいドラゴンに襲われ、その槍でもって胸を傷つけられたので、その傷を治してもらうため彼のいる病院へやってきて、それに対してディクソンは揮発性の塩でできた軟膏と聖油を十分に塗って処置したことがあったのだ。
 この時、ディクソンは中に入ってみんなと一緒に楽しまないか、と彼を誘った。ブルームは慎重な男なので、自分は他に用事があるので、と言った。看護婦もブルームと同じ意見で、(ブルームの言葉が)彼の鋭さから嘘を言ったのだとよく分かっていたが、学生騎士を咎めた。だが学生騎士は彼女の断りの言葉も彼女に命じられたことも聞かず、自分の欲することに反することは何であれ受け入れようとせず、本当に楽しい城ですよ、と言った。さすらい人ブルームは結局城の中へ入ることにした。様々な土地を長い間歩きつづけ、時には好色な行いもしたので、手足が痛んでいて、しばらくの間そこで休むことにしたのだ。
 城には、フィンランドの樺の木で作られた食卓があり、(その天板は)フィンランドの4人の小人によって支えられていたが、魔法にかかっているのでそれ以上動くことはなかった。食卓の上には、恐ろしい剣や刀があり、それらは巨大な洞窟のなかでよく働く悪魔たちの手によって白い炎から作り出されたものだった。それらの刀や剣は、そこに大量に棲んでいる水牛や雄鹿の角に固定されていた。また、幾つかの器はマホメッドの魔法によって、海の砂から作られたもので、泡を作るのと同じ要領で砂の中に魔術師の息を吹き込んで作られた。
 食卓の上には見事な食べ物と非常に貴重な食べ物が豊富に準備されていて、そういった食べ物はどんな人間でもより豊かで、より貴重なものを作り出せないような品々だった。
 また、開けるには技術が必要な銀の大おけがあり、その中には頭のない異様な魚が並べられていたのだが、見もせずにこんな魚があるわけはないと、簡単には信じられないのも無理はない。これらの魚はポルトガルの地から運んできた油の混じった水の中に入っていた。その水は油分の多さのため、オリーブしぼり機の抽出液によく似ていた。その城で更に驚いたのは、カルデア産の多く実をつける小麦の種から魔術で混合物を作り、それを何か怒った霊の助けによって手を加え、巨大な山のようにまで信じられないほど膨れ上がらせてしまったことだ。さらに彼らは、蛇に教え、土に刺した長い棒に自身を巻きつかせ、そのうろこから蜂蜜酒に似たうまい酒を醸造した。
 学生騎士はブルームに樽出しの酒を注がせ、同時にそこにいるすべての者たちにそれぞれ飲むよう勧めた。ブルームは自分でも楽しもうと思って兜の面頬を上げ、親睦のしるしとして幾分飲んだが、彼は(そのような)うまい酒を飲まない習慣なので、グラスを脇へ置き、そのうちこっそりと彼の隣人のグラスのなかへその大半を注いでしまったのだが、この企みは隣人に気づかれることがなかった。彼はそこでしばらく休もうと、その城の中で皆と一緒に座っていた。ああ、ありがたい。

・p.21~p.26「かかる程に……あらはれ給ひにぞかし」

 15世紀のマロリーの『アーサー王の死』(1485年の印刷)の文体を模す。『源氏物語

 『落窪物語』その他王朝文学の調子で訳す(U-Δ注)

 

 そうしている間に、先程の立派な看護婦がドアのそばに立って、私たち皆の君主たるイエスに敬意を表し、酒宴をやめてほしい、もうすぐ子供の産まれる高貴なご婦人が上階におり、その出産の(苦しみの)時間を(短くなるよう)何とか急がせているところなのだから、と頼んだ。ブルームは上からの高い叫び声を聞き、これは子供の叫び声か、母親の叫び声か、と不思議に思い、まだ生まれそうにないのか、いま生まれそうなのか、分からないのですが、随分ひどく長く続いているように思われますね、心配です、と言った。ブルームは用心深い人間で、食卓の向う側にレネハンと呼ばれる郷士がいるのを見、彼は他の同席者の中で最も年長で、ブルームもレネハンも勇壮な企てにおいては誉れ高い騎士であり、レネハンの方がブルームより年上であるので、ブルームは彼に大変穏やかに話しかけた。
 たとえ(出産にかかる時間が)長すぎるとしても、彼女は神の慈愛によっていつかは出産を済ませますでしょうし、子供を産む喜びを味わうことでしょう。こんなに恐ろしく長い時間待ったのだから。既に酔っぱらってしまっている郷士は、毎秒毎秒これが次の子の瞬間か、と思いながらね、と言う。そして彼は誰も頼みも勧めもしないのに欲している酒のグラスを取って、大変楽しそうに、さあ飲もう、と言い、母と子の健康を祈って痛飲した。彼は健康と好色にかけてはざっくばらんで優れた人物なのだ。
 ブルームは学生たちのいる客のなかでは最も立派でおとなしい男であり、雌鶏の腹の下に夫のように手を添える大変優しい人物で、女性に好感を持たれる奉仕をした者の中でも彼は世界で最も忠実な騎士だった。彼は恭しくグラスを掲げ、乾杯した。女性(ピュアフォイ夫人)の苦痛について、不思議に思うと同時にじっくり考えながら。
 さて、酔っぱらうことが目的でここに集まってきた人々のことを話そう。食卓の両側には学生たちが座っていた。聖慈愛マリア(病院)の若手の医師であるディクソン、医学生のリンチ、マッデン。郷士のレネハン、クロザーズという名のアルバ・ロンガ出身の者、そしてスティーヴンという若者は修道士のような風貌だったが、食卓の上座にいた。コステロという男はパンチ・コステロと呼ばれ、彼の勝者としての名声を示すこの名もだいぶ昔のものとなってしまった。コステロはスティーヴンを除く皆のなかで最も酔っていて、しかもまだ酒を欲しがっていた。コステロの隣にはおとなしいブルームが座っていた。
 皆がマラカイという若者を待っていたのは、マラカイが来ることを約束していたからで、(遅れてくることを)良くないと思っている人々は、どうしてあいつは自分で言ったことを守らないんだ、などと言った。ブルームが彼らと一緒にいるのは、彼がサイモンとその息子スティーヴンに親しみを覚えていたからで、大変長いさすらいの末、彼らがとても丁寧なやり方でもてなしてくれる限り、そこで自分の疲労感や思い悩みを静めよう、という心づもりだった。哀れみの心が彼を支配し、愛情は意志と手を取り更なるさすらいを導くのだが、出て行こうにも気が進まない。
 それに、彼らは全く知識豊かな学生たちだった。出産と道徳的正しさの観点におけるそれぞれの世代の(母と子の)評価についてブルームは耳にし、マッデンという若者はそのような事態が生じた場合、母のほうが死ぬのは辛い、と言った。というのも数年前にホーンの館で、今はもうこの世を去ったエブラナの女の一件があって、彼女の亡くなる前夜、あらゆる医師、薬剤師らが彼女の処置について相談した、ということがあったのだ。学生たちは、母が生きるのがずっといい、なぜなら創世記には女は苦しんで子を産む、とある。ゆえにこのようなことを考える者たちは、若きマッデンが母親を死なせたくない、という考えを持って、真実を言っている、と肯定した。
 少なからぬ人々、その中には若きリンチもいたが、この世は全く悪に統治されているではないか、俗世の人間はそう思っていなくても、法も判事も決して救ってはくれない、と疑念を表した。神よ、願わくば正し給わんことを。誰かがそう言うやいなや皆が声をあげ、われらが聖母マリアにかけて、母が生き、子が死ぬべきだ、と口をそろえた。そういった議論と酒のために、彼らの頭は熱くなったが、郷士レネハンはとにかく陽気さがどんどん減っていかないようにと、周りのものを促して酒を注がせた。
 若きマッデンは問題の一件のありのままを話した。いかにして彼女が亡くなり、彼女の夫が信心深かったため、聖地巡礼者や、金をもらって祈りを捧げる人の助言に従い、アルトブラッカンの聖ウルタンに誓いを立て、何とか妻を死なせまいとしたことなどを話した。それを聞いて皆ひどく悲しんだ。それに対し若きスティーヴンはこう言った。皆さん、不幸の嘆きというのは(僧ではない)俗人の中でもよくあることだ。今、赤子も親も両方とも自らの造り主を賛美している。一人はリンボの暗闇で、もう一人は浄めの火の中で。だが、ああ、神が力を与えた魂を我々が夜毎に力のないものにしていく、これは聖霊、真の神、生命を与える主に対する罪ではなかろうか? というのも皆さん、我々の情欲は束の間のものだ。我々は我々のうちに棲まう小さな生き物の道具にすぎず、自然は我々のとは違う目的を持つ。
 若い医師のディクソンは、それは何のことだ、とパンチ・コステロに訊ねたが、彼はあまりに酔い過ぎていて、彼から辛うじて聞くことのできたのは、自分の強い性欲の高まりを解放したいということが起これば、女ならだれでも、人妻だろうと乙女だろうと愛人だろうと、不貞を犯したいよ、ということだけだった。すると、アルバ・ロンガのクロザーズが若きマラキの1000年に一度、角を生やして現れるユニコーンを讃える歌を歌ったので、他の者たちは皆身を乗り出して嘲り、馬鹿にし、聖フォウティナスの道具にかけて、男のうちにあって、できて当然なことならお前には何でもできるというのは皆分かっている、と言う。そして皆は大変陽気に笑うが、スティーヴンとブルームはあからさまには笑えない。
 ブルームは自分では表に出そうとしないが、人とは違った気質の持ち主で、子を産む女は誰であれどこであれ悲しみを寄せるからなのだ。すると若きスティーヴンは尊大な様子で語り出した。その乳房から自分を放り投げた母なる教会、教会法、堕胎・流産の守護神リリト、光の種子の風のはたらきで、あるいは吸血鬼の口づけの力で、またはウェルギリウスの言うように、西風の影響で、ムーンフラワーのにおいで、または夫と寝た後の女と共に寝たせいで(一つの出来事が別の出来事の結果を生む)、またはアヴェロエスとモーゼズ・マイモニデスの説を挙げて、湯船に浸かっただけで起こる妊娠についての話だった。
 また彼は、(妊娠して)2ヶ月後には胎児に人間の魂が吹き込まれ、母なる教会は神の大いなる栄光のためにこれらの魂を永遠に包み、守る一方で、この世の母親は獣のように子を産む雌親にすぎず、彼女らが教会法に従って死ぬのが良い、というのは、漁師の指輪を持つ人も、その岩の上に何世代にもわたる神聖な教会の建てられた、神聖なる聖ペテロもそう言っているからだ、と言う。
 皆独身者であったので、彼らはブルームに、同じような事態に陥ったなら、あなたは子供の命を救うため母の体を危険にさらすだろうか? と訊ねた。彼は非常に用心深い人なので、周りの人の意見に合わせて答えようと、顎に手を当て、いつものように本心は隠してこう言った。自分は俗人としてふさわしいように、医術というものをいつも尊敬している。そのようにめったに経験しない出来事に私は直面したことがないが、このような不幸(子を産んだ母が死ぬこと)があった際には、母なる教会が、母親の葬儀代と子供の洗礼にかかる費用を募って、与えるのがいいのではないかな。そう言ってブルームは巧みに問いを避わした。
 まったくその通りだな、とディクソンは言った。自分に聞き間違いがなければ、それは示唆に富む言葉だ。それを聞いた若きスティーヴンはすっかり喜び、貧しき者より盗む者はエホバに貸すなり、と断言した。というのも彼は飲むと興奮しがちで、今彼がそのような状態にあるので興奮した性質が再び彼に現れているのだ。

・p.26~p.27「さるほどにレオポルド殿は……泣く泣く悲しみ給ひける」

アーサー王の死』の文体模写は続く。それゆえここは王朝物語の調子でゆくべきだ

 が、翻訳の都合上戦記物語とりわけ『平家物語』の文体で(U-Δ注)

 

 ブルームは自分で言った言葉に似つかわず、非常に重々しい様子だった。一つには今出産中で、大変恐ろしげな甲高い叫び声を上げる女たちに対し、今もなお憐れみを感じ、もう一つには、自分に唯一の男の子を産んだ妻マリオンのことを気にかけていたからだ。この男の子は生まれて11日目にしてこの世を去り、どんな医術をもってしてもその子を救うことができず、大変暗い宿命であるとしか言えなかった。彼の妻はこの思いがけない災いにひどく心を痛め、真冬のことだったので、その子が完全に滅びてしまったり、土の中で凍えてしまわないよう、子羊の毛で作った美しい産着を着せてやった。
 ブルームには自分の血を受け継ぐ後継ぎとしての男の子がいないので、友人の息子を眺め、過ぎ去った日々の幸せを思って悲しみの中に一人閉じこもった。また彼は、このような優しい心を持ち、皆が本当に才能があるとみなしているスティーヴンのような息子を失った父と同じような気持ちがして、それも悲しく思えた。さらに、同じくらい悲しかったのは、この若きスティーヴンが、このようなろくでもない連中と羽目を外し、娼婦のために金を使い尽くして暮らしていることだった。

・p.27~p.30「頃しもスティーヴンの……「静謐のあらまほし」とぞの給ひける」

 エリザベス朝の散文年代記の文体を模す。訳文は『平家物語』の文体をつづける

 (U-Δ注)

 

 ちょうどそのころ、若きスティーヴンは空のグラスすべてを酒で満たし、スティーヴンの勧めにより酒を注ごうとする人々が近づくことからグラスを隠そうとする、より賢く、慎重な人の妨げがなかったなら、もっと残りの酒は少なくなっていただろう。スティーヴンはそれでもしきりに周りの人々に酒を盛り、絶対君主的な教皇の究極の目的に祈りを捧げつつ、ブレイの牧師とも言えるキリストの代弁者である教皇のために乾杯しようと周囲に提案した。彼は言う。さあ飲もう、この大杯を。どんどん飲もう、この美酒を。これはぼくの肉体の一部ではないが、ぼくの魂が具現化したものである。パンのみで生きる者にはわずかなパンを残しておけばいい。パンが足りなくなるのを恐れるな。酒は人を元気づけるものだけれど、パンは人の心を惑わすものだからね。これを見るがいい。そして彼は自分に贈られたきらきら輝く硬貨と、金細工師の紙幣2ポンド19シリングをその場にいた人々に見せ、これは自分の書いた歌で手に入れたものだ、と言った。今までの彼のひどい金欠の状況を知っている者たちは皆、目の前に出された大金を感心して眺めた。
 彼は次のように言葉をつづけた。皆の者よ知られよ、時の廃墟は永遠の館を築く。これはどういう意味だ? 欲情の嵐は茨草を吹き枯らすが、その後に茨草は時の十字架の上に薔薇となって咲き誇る。注意して聞いてくれ。女の子宮の中で言葉は肉となるが、造物主の霊のなかですべての肉は変わることのない言葉へと変わる。これが後の創造だ。諸人こぞりて汝に来たらん。我らの贖い主、癒し人にして守り手の肉体を腹に宿した女、我らの強大なる母、最も尊い母の名が強力なものであることに疑いはないね。
 ベルナルドゥスは適切にもこう言っている。聖母マリアは神に生誕を贈る全能の力を持つと。それはつまり、請願の全能性であり、アウグスティヌスも言っているように、へその緒で連綿として我らと結びつけられている我々の女の祖先イヴは、安林檎一つで我々皆を、子孫、一族、一門、すべてを売り払ってしまった。でも第二のイヴであるマリアは、我々を勝ち得、救ったのだ。
 しかし、ここに問題がある。彼女、すなわち第二のイヴであるマリアは、彼を知っていて、彼女は彼女の創造物の創造物、処女なる母、汝の息子の娘であったのか、あるいは、彼女は彼を知らなかったのか、そうなるとこのとき彼女は否認あるいは無視という点において、ジャックの建てた家に住む漁師ペテロと、またあらゆる不幸せな結婚の幸せな終焉の守護聖人である大工ヨセフと同じということができるだろう。
 そもそも、ムッシュー・レオ・タクシルの言うように、彼女をあんなひどい窮地に陥れたのは聖なる鳩のあん畜生め、だからだ。全実体変化なのか実体共存なのかはともかく、動物合体でないことは確かだ。スティーヴンが話し終わると、人々は皆ひどく下劣な言葉だ、と叫んだ。スティーヴンは言う。性的な喜びなき懐胎、苦痛なき出産、傷なき肉体、膨らむことのない腹、そういったものは下層の民たちに信仰と情熱をもって敬愛させておけばいい。我々は、自分の意志でそういったものに逆らい、反対の意を示す。
 するとパンチ・コステロがこぶしを握り締めて食卓を打ち鳴らし、オールマニーの陽気なならず者に妊娠させられた乙女の歌「スタブー・スタベラ」という猥歌の一節を歌って返した。「はじめの三か月、彼女は具合が悪かった、スタブー」そのとき、クウィッグリー看護婦が怒った様子でドアから入って来て、こう言った。自分たちを恥じ、静かにしてくれないか。アンドルー先生がいらっしゃるのに備えて、全てをきちんとしておこうというのが私の意向だ。というのも私は(妊婦を見守る)看護婦としての名誉を、無駄な騒ぎで減じられたくはない、という強い願いがある。こういったことをあなたがたに思い起こさせるのが、適切でないということがあろうか。
 彼女は年長で真面目な看護婦長で、落ち着いた容貌をしており、歩きぶりは堂々としていて、赤褐色の衣服は沈んだ心としわの寄った顔によく似合うものだった。彼女の要請は不足なく影響を与え、パンチ・コステロは早速皆から咎められ、ある者たちは丁寧な荒っぽさでこの粗野な男を改心させようとし、またある者は甘言の脅しでもって彼を覚醒させようとした。それと同時に皆は彼を非難し、この間抜けは疫病にかかればいい、一体何様のつもりなのか、この失礼な奴め、新米野郎め、私生児め、ろくでなしめ、この豚の小腸め、反逆者の落とし子め、溝に産み落とされた奴め、月足らずで生まれた奴め、生まれながらの馬鹿者の口にする悪態のように、酔っぱらってたわごとを吐くのはやめろ、などと痛罵した。穏やかなるマジョラム、静けさの花薄荷を紋章とする、優しく立派なブルームもまた、諫めるように、今のこの分娩の行われている時は、非常に神聖で、非常に神聖であるに最も値する時としてふさわしい時だ。なので、ホーンの館には、平穏や平静さがそこを支配していることが望ましいね、と口を添えた。

 

・p.30~p.34「約メテ之ヲ申サバ……円形劇場ニテ」

 以下しばらく、ジョン・ミルトン、リチャード・フッカー、サー・トマス・ブラウン

 など、16世紀後半及び17世紀のラテン語的文体の模倣。『太平記』の文体で訳

 す。(U-Δ注)

 

 このやりとりが終わるか終わらないかのうちに、エクルズ街マリア病院のディクソンが、にこやかに笑って、なぜ修道士としての誓いを立てることに決めなかったのか、と若きスティーヴンに訊いた。彼は、子宮の中では従順、墓の中では貞節、自分の日々の暮らしでは不本意ながら貧困の中に生きることにしたからだ、と答えた。レネハンはそれを聞いて、自分は邪な行いとその様子について聞いたのだが、その話によると、彼は自分に心を許した女性の百合のような貞節を汚したというではないか。これは若者の堕落ではないだろうか、と言うと、周りの者たちは皆互いにそれが事実であることを示し合い、大いに笑い興じ、スティーヴンが父であろうことを祝って乾杯した。
 しかしスティーヴンは、極めて純粋な思いで、皆の思うところとは逆だ、自分は永遠の息子であり、ずっと童貞のままである、と言う。すると周りの者たちは一層笑いさざめき、スティーヴン自身が前に話したマダガスカルの僧侶たちの執り行う奇妙な婚姻の風習を引き合いに出す。その風習では、配偶者たちの衣服を剥ぎ取り、処女(童貞)を喪失させる。新婦は白とサフラン色の衣装、新郎は白と臙脂色の衣装を身にまとい、甘松香を焚き、蝋燭に火を灯し、僧侶たちが祈りの言葉を唱え肉体的な性の秘密がくまなく明らかにされんことを、という祝歌を歌う中、初夜の床で新婦は処女を失うことになる。
 するとスティーヴンは、優れた詩人ジョン・フレッチャーとフランシス・ボーモントの書いた「乙女の悲劇」という劇のなかの大変見事な小祝婚歌を皆に紹介した。その劇は恋人たちの抱擁にふさわしいものとして書かれ、その小祝婚歌のなかの「床へ、床へ」という繰り返しの部分は小型の洋琴の伴奏と調和して歌われる。付添人たちが馥郁たる香りのともし火を持ち、婚姻の交わりに関わる、脚が四本の舞台へと二人を案内するという、愛しあう若者たちにとって大変心地よく言葉遣いの巧みな、甘美この上ない祝婚歌である。

 しかし彼ら二人はよく出会ったものだね、とディクソンは喜んで言う。でも君、彼らの名は美丘と好色漢のほうがもっとよかったのに。なぜって、その二人の交わりでもっと多くが生れただろうから。若きスティーヴンは、実際、記憶にある限りでは、二人は一人の娼婦を共有していた。その女は売春宿の女で、色欲の喜びに溺れてまわり番で男たちの相手をしていた。当時は精力が盛んで、国の慣習もそれを認めていたからね。自分の女を友達と寝かせるなんて、こんな素晴らしい愛はないよ。君も行って同じようにするのがいい。人類がそれ以上に恩義を受けるような男はかつて生きていたことがなかった、というような趣旨のことを、前に牛尾大学フレンチ・レターズ講座の、王によって認められた教授であるツァラトゥストラが言っていたな。
 他人をお前の塔の中に入れれば、お前は二番目にいいベッドを手に入れることになるという不幸が待っている。祈れ、兄弟よ、我がために。そうすれば人々は皆アーメンと言うだろう。忘れるな、アイルランドよ、お前の祖先を、お前の過去の日々を。お前は私も、私の言葉も尊ばず、異国の者たちを私の門の中に入れ、私の目の前で姦淫を行い、肥え太り、エシュルンのように蹴とばした。故にお前たちは私の光に背いて罪を犯し、私を、お前たちの主を、召使いの奴隷となしたのだ。戻れ、戻れ、ミリーの族よ。ああミレシアンよ、私を忘れるな。なぜお前たちはこのような忌まわしい行為を私の目の前で行ない、私を下剤売りへと追い払い、お前たちの娘らが淫らに床を共にしている、意味のよく分からない言葉を話すローマ人やインド人に対し私を否定するのか?
さあ我が民よ、約束の地を望み見るのだ。ホレブから、ネバから、ビスカから、ハテンの山々から、乳と金の流れる地を望み見るのだ。だがお前たちは私に苦い乳を飲ませた。私の月と日とをお前たちは永遠に消し去った。そして私を憤りや辛さの暗い道に一人置き去りにし、灰の口づけでもって私の口に口づけしたのだ。

 スティーヴンは続けて言った。この内面的な暗さは七十人訳聖書の知恵によって照らされることなく、言及されることもなかった。というのも、地獄の門を壊し、暗闇を訪れた、高みよりの東方の太陽は遠くかけ離れていたからだ。キケロがお気に入りのストア派について語っているように、慣れることは残虐行為を感じにくくさせ、父王ハムレットは息子に自らの火傷の火ぶくれを見せない。人生の真昼における不透明はエジプトの災いの一つであり、それがあるべき最も適切な場所と様式は、出生前と死後の夜である。

 あらゆるものの最終形態とは、何らかのかたちでその発端と原形(元の形)とに対応し、その多様な対応は出生から発育を導き出す。それは終局に向かう減少と削減をもたらす退化的な変容によって成し遂げられ、自然の理にも適うものであると同時に、天の日のもとにある我々の存在についても同じことが言える。年老いた姉妹たちは我々を生へと引きずり出す。我々は泣き叫び、食べて太り、遊び戯れ、抱きしめ、抱き合い、別れ、やせ衰え、死んでいく。
 我々の上に、その死の上に彼女らはかがみ込む。初めは古きナイル川のほとりから、パピルスの茂る中、枝を編んで作った寝床から救われ、最後には山の洞穴、山猫やミサゴの叫び声に囲まれた、人目につかない墓に入る。そしてその墳墓の場所は誰も知らず、我々が何者であるかの本質がその起源の場所や状態を引き出したのをどんな遠隔の地から振り返って見てみようとしても、どのような過程へと我々が導かれるか、トペテへ行くのかエデンの市へ行くのかも同様にすべて隠されている。
 そこでパンチ・コステロがスティーヴン、歌を、と荒々しく怒鳴るが、スティーヴンは皆に大声で告げる。見ろ、知恵は自らの家を建てた、この巨大で堂々たる、長きにわたって揺らぐことのないアーチ形天井を、創造主の水晶宮を、全てにおいて整然と建てたのだ。豆を見つけた者には一ペニーやろう。
 巧みなる工匠ジャックによって建てられた館を見よ
 たくさんの逆流する袋へと蓄えられたモルトを見よ
 ジャックジョンの野営地の、堂々たる円形劇場にて。

 

・p.34~p.35「まがまがしき……教へ給ひけれ」

 文体は依然として16世紀、17世紀のラテン語的散文だが、訳出の都合上、ここからし

 ばらく『義経記』あたりの調子でゆく。(U-Δ注)

 

 この通りで不吉なガラガラという騒音が、何ということだ、耳ざわりな音を返した。左のほうで雷神が大きな雷の音をとどろかせた。憤り、槌を投げる者は恐ろしい。そこへ嵐がやってきて、スティーヴンの心に黙れと警告した。リンチは彼に、神が君の無駄で馬鹿げた冗談と異教的な考えに怒っているのだ。だから侮蔑や不敬な考えにふけるのは慎めよ、と命じた。最初は臆病になるなと(周りの)気を奮い立たせていた彼も、皆が注目するほど青ざめ、縮みあがり、それまで偉そうに張り上げていた彼の声の調子が今になって唐突に、全く弱々しいものとなり、彼の胸の檻の中にある心はその嵐の不服の叫びを経験して震えあがった。
 するとある者は彼を嘲笑い、ある者はからかい、パンチ・コステロは再びぐいぐいとビールを飲みはじめ、レネハンは自分もそれに続こうと誓った。彼はどんな僅かな口実でも素早く(酒を飲むという)行動をとる、実に軽々しい人間なのだ。だがこの大言壮語の大口叩きは、老いぼれ親爺神は酔っぱらっていて、ぼくにはほとんど関係がない、ぼくは先達に遅れをとらないよ、と大声で言った。しかし彼はホーンの館で怯えて身を屈めていたため、この言葉は彼の自暴自棄の色を加えるにすぎなかった。そして天の一帯に雷がゴロゴロと長く鳴り響いたので、彼は自分の潔い態度を示す心を奮い立たせようと、全く一息でぐいと酒をあおった。
 その(世界の終わりを告げるような)運命の雷鳴を聞いて、マッデンはしばらくの間信心深い気持ちになり、自分の肋骨を叩き、ブルームは大口叩きのそばで、彼の非常な恐怖を眠らせようとして、彼を落ち着かせる言葉をかけ、君の聞いたのはただの騒音、入道雲からの液体の放出(の音)に過ぎないんだ、いいかい、それはもう起こってしまったことで、全くの自然現象の秩序によるものなんだよ、と教えた。

・p.35~p.38「されどわかき……ほろぼしたまはむ」

 17世紀のジョン・バニヤン天路歴程』の寓話的文体になる。翻訳は『恨の介』

 『竹斎』その他、仮名草子の文体で。(U-Δ注)

 

 だが若き思いたかぶる者の恐れは、なだめる者の言葉で消えたのか? いや、というのも彼は胸の内に悔やみという名の針があって、それは言葉によってなくすことのできないものだったからだ。では彼は一方のように穏やかに、他方のように信心深くはなかったのか? 彼はどちらのほうにしても自分がそうなりたいと思っていたのと同じ程度に、どちらでもなかった。だが彼は若い頃彼が共にしていた神聖な瓶を、当時のように再び見出そうと努力することはできなかったのか? まったくそれは無理だった、というのもその瓶を探すための恩寵がそこにはいなかったからだ。
 それでは彼はその雷鳴の響きのうちに、産みの神の声を、またはなだめる者の言う現象の騒音を聞いたのか? 聞いたのか? ああ、彼は理解の管を塞がない限り聞かざるを得なかった(彼はそれを塞いでいなかった)。というのも、この管を通して彼は自分が現象の地におり、そこで自分は他の者と同様、同時代の生命の見世物であるので、いつかきっと死ぬ身であることを見、知ったのだ。
 そして彼は他の者のように消え、死ぬことを受け入れようとしなかったのか? 決して受け入れなければならないとしても受け入れることはできなかった。また、掟の書によって、現象がそうすることを命じるところである、男が女と共にするようなことを尚更行なおうともしなかった。彼はその上、我を信じよと呼ばれる異なる国、永遠にあり、死も出生も、妻をめとることも子を産むこともなく、信じるものは皆そこへやってくるという、喜びを与える王にふさわしい約束の地についてもまったく知らなかったのか?
 いや、昔敬虔な者が彼にその地のことを教え、貞節な者がそこへ到る道を教えたが、その道の途中で、彼はある美しい外見の娼婦に出会った。その名は、彼女の言ったところによると、手のうちの一羽の鳥で、彼女は偽りの称賛で正しい道から悪い行いの未知へと彼をだました。彼女の言った甘言は、ねえ、かわいいお兄さん、道をそれてこちらへ来たら、素晴らしい場所を見せてあげるわ、といったもので、彼女は彼を大層喜ばせて欺き、藪の中の二羽という名の自分の小さい洞窟へ彼を中に入れた。そこは、ある学者たちによれば、肉体の強い性欲、と呼ばれている。
 母の館で食事を共にして座っている一座の者たち皆がもっとも心乱されるのがこれであり、彼らがこの娼婦、手のうちの一羽の鳥に会えば(それはあらゆる悪しき厄介なもの、化け物たち、邪悪な悪魔のうちにいた)、彼らは根性を精一杯はたらかせて彼女に近づき、彼女を知るのが習慣だった。というのも、彼らの言うには、我を信じよの国については観念にすぎず、それについての考えを心に抱くことができない、というのも、一つの理由には、彼女が自分たちをおびき寄せる藪のなかの二羽は大変良い洞窟で、その中には四つの枕があり、その枕には四つの札がついていて、腰乗りの者、逆さまの者、恥じ顔の者、密接の者と書いてあるというのと、二つ目の理由には、あの悪い疫病、全梅毒の者、そして化け物たちを自分たちは心配していないのだ、なぜなら保護の者が自分たちに牛の腸でできた丈夫な楯を与えているからだ、というのと、三つ目の理由には、自分たちは子殺しの者という名のこの楯の力により、あの邪悪な悪魔である子たる者から何の害も受けないからだ。
 そして彼ら、揚げ足取り氏、折々信心氏、猿がビール牛飲氏、偽郷士氏、洒落者ディクソン氏、若き大口叩きの者、慎重鎮静氏、すなわち皆が妄想にふけった。そのような座において、ああ情けない者たちよ、君たちは皆惑わされていたのだ。というのもそれは非常に激しい憤怒に駆られた神の声であり、君たちの悪態や、子を産むよう強く命じた神の言葉にとは反対に君たちのなした浪費ゆえに、神はやがて手を振りあげ、君たちの魂を滅ぼすだろう。

パロディと匿名性――『ユリシーズ』第12挿話の「丁寧な埋葬」に手向ける、柳瀬氏の解釈に対する一考察

パロディと匿名性――『ユリシーズ』第12挿話の「丁寧な埋葬」*1に手向ける、柳瀬氏の解釈に対する一考察

 

 私にとってキュクロプスと言えばルドンの描いた絵画、あの優しく悲しげな眼をした巨人を最初に思い浮かべるのだが、ユリシーズ第12挿話のキュクロプスからは、ルドンの描いたそれとは全く異なる印象を受ける。借金の取立屋ではあるらしいが、一体何者なのかよく分からない語り手である「俺」は、バーニー・キアナンの酒場で「市民」を中心に酒を飲みに来たダブリンの人々がナショナリズム的な会話を繰り広げるのを主に聞いている。マーティン・カニンガムとの待ち合わせのためやってきたブルームは、どうしても彼らの会話に半ば違う見方から口を挟まずにはいられない。その摩擦が高じた末、ブルームは店を出ると、迫害され続けてきたユダヤ人を擁護する叫びをあげ、市民は激昂し、馬車で去って行くブルームに向かって飼い犬ガリーオウエンの食べていたビスケット缶を投げつけるという見世物に近い騒ぎを起こす。
 柳瀬氏の興味深い解釈のため、語り手である「俺」は誰か? という問題に焦点を当てられがちであるが、私がこの挿話で非常に大きな意味を持つと思うのは、やはりアレンジャー的記述であるパロディの挿入と、匿名性の問題だ。そしてこの二つの問題について考察することで、翻って「俺」は誰なのか、という問いに戻ることができるのではないかと考える。
 この挿話のテキストを、①「俺」の聞いている会話と周辺の描写、②「俺」の内的独白、③パロディの三層に分けると、挿入される③の文体はその前後の①の記述を反復し、また①で書かれていないことを書くことで物語そのものを進行させる役割を担っている。このパロディの大きな特徴として「列挙、過剰性、誇張、名前・肩書の省略・改変」が挙げられ、その文体はアイルランド文芸復興運動の文章、神智学、使徒行伝、スポーツ記事など様々だ。つまり、これらは特定のコミュニティに向けられて書かれた文体である。いわゆる「業界」的な文書は、それを見慣れている人間、「業界」内の人間にとってはすぐ意味の取れるものだが、その「業界」の外の人間には個々の単語の意味を調べなければさっぱり意味が分からない。そういった意味でこのパロディは排他性というテーマを示唆していると考えられる。
 さらに、③では文体だけがパロディ化されるのではなく、作中に登場する人物・動物もパロディ化されている。ブルームや「市民」、ガリーオウエンのみならず、この挿話に登場しない人物までもが聖人や騎士など様々な別人として描かれ、名前の改変を受けている。また、③のなかでは本来そのパロディ内に入れるべきではない人物や、恐らく意図的な誤りが多数書き込まれている。パロディ内で描かれ、それぞれのパロディ文体に即した実在の人物とこのような物語中人物とが混交し、地名・人名などの過剰に詳しい記述、いかにも事実を描いたかのように見える記述の中に虚構や誤りを忍ばせることで、③は①を嘲笑し、皮肉り、茶化している印象を読者に与えると同時に、パロディそのもの、そしてそれを挟む①の記述の正確性を疑わしいものにしてしまう。 
 また、一見それぞれのパロディはばらばらであり、独立しているかのように見えるのだが、原文の単語を調べると①や②との連続性が多数存在する(e.g. “cause”、“race(/lace)”といった言葉が頻出している。それらの文脈上での意味は必ずしも①や②と同一のものではない)。前後の記述をただ嘲笑し、皮肉るだけであれば、挿話全体に共通する意味の「隠れた挿入」は不必要で、その前後の記述の言葉のみに言及すればいいのではないだろうか。この隠された意味の連続性を考慮すると、③は①や②から完全に独立した、外部からの「挿入」である、とは私には考え難い。この問題は③の語り手は誰か、という問いにも繋がるのではないかと思われる。
 この挿話には、名前の分からない人物が多数登場している。まず、「市民」「俺」の本当の名前は分からない。第8挿話で出てきた、ブリーン氏への中傷の手紙も差出人は分からない。これまでの挿話で、あれほど頻出していた固有名詞を考えると、やはりこの匿名性には何かしらの意味を持たせていると考えざるを得ない。匿名の存在は山のロリ―、月光隊長、署名のない新聞記事、略称、略号、という形でも登場している。これらは通り名であったり、調べれば誰であるかが分かる存在でもあるのだが、いずれもいわゆるペンネーム的な匿名性を有している(もちろん現代の日本の匿名性と当時のアイルランドでの匿名性には大きな違いがあると思われるので、現代的な文脈でこの挿話の匿名性を解釈することには危険がある)。そして①のなかでは、これら匿名の人々の話や新聞記事などをもとに会話をする様が描かれている。「市民」は署名のない新聞記事を見て憤りを示し、「俺」の嘲笑の根拠となる話の出所はほとんど不確かだ。さらに、挿話後半では一体ブルームは何者なのか、と「市民」を囲む仲間たちが彼のアイデンティティを問う。彼らにとって一番重要なのは、ブルームが何を信じ、どこで生まれ、親・先祖が何者か、つまり宗教と出自という大きな枠組みである(宗教的な点で言うと、これまでの挿話を読んだ限り、ブルームは確かプロテスタントカトリックの洗礼を受けており、彼の内的独白にはユダヤ教的な内容が多いので、ブルームが実際どの宗教を主として信仰しているのか判断するのは読者にとって難しいのだが)。その観点のため、彼らにとってブルームはユダヤ人である、という認識が強くなるのだが、この問いと③における様々なブルームのフィクショナルな描写によって、この挿話内ではブルームのアイデンティティに対し、これまでの挿話に見られる以上の揺らぎを生じさせているのでは、との印象を受ける。ブルームもまた、何者でもない、何者なのか判然としない存在であることを強調する形で描かれているのではないだろうか。
 この匿名性・アイデンティティの欠如によって、この挿話のあらゆる語りが胡乱なものとなる。誰の言葉にも、疑念を抱かずにはいられなくなってしまうのだ。イギリスに支配され、苛烈な暴力を受け、搾取され続けてきたアイルランド人である「市民」の怒りは当然だ。憎悪では何も解決しない、愛することが大切で、それはキリスト教の教えでもある、自らのルーツでもあるユダヤ人もまた迫害され続けてきた、というブルームの主張も正しい。その両者が「何者でもない」存在として描かれていること、さらにそれを挟む③の描写によって誇張され、また戯画化されることで、「本当にその言い分は正しいのか?」という問いをジョイスから突きつけられているのではないかという印象を否めない。少なくともジョイスは他者を大きな枠組みの代表者として認識することに対して反対の意を示しているのではないだろうか。また、文体パロディを「見知らぬ他者の声を借り、それを真似ること」としてとらえるならば、そこには文体パロディそのものと匿名性との繋がりも見出し得る。
 この挿話におけるパロディと匿名性の上記の性質を踏まえた上で、語り手である「俺」についてその特徴をあげるならば、まず「俺」は会話をしている周囲の人々、会話に出てくる人々をことごとく嘲笑し、過去を暴き、非難する。彼の言が真実なのかどうかは分からないのだが、それにしても「俺」はあまりに知りすぎている。人の気づかない間に、人の気づかないところを、人の気づかない視点から見ている存在として、「俺」は「野良犬的」ではある。しかし、「俺」が本物の犬であるとは私には思えない。「俺」を犬である、と解釈する柳瀬氏は『ユリシーズ航海記』の中で、その主な根拠を「俺」が犬であるガリーオウエンに対して人間を相手にしているような言葉を使っている点、「俺」が周りの人間から無視されている点においている。つまり、駄犬であるガリーオウエンと「俺」との強い同質性を見てとったがゆえに、柳瀬氏は語り手である「俺」を犬である、としている*2。確かに疥癬もちのガリーオウエンと淋病にかかっていると思われる「俺」は、どちらも病んだ存在であるという共通点がある。しかし、これまでの挿話で、第一義的に動物に用いるべき言葉を人間の動作に対し当てはめるということが何度も行われていることを考えると(e.g. “paw”、“trot”他)動物の動作を描く際に人間に当てはめるべき言葉を使うことが特別おかしいこととは思えない。第7挿話では、機械もものでさえも人間のように描かれ、人間は機械のように描かれている。何より、これまで一番「犬」と関連付けられ、犬のように表象されてきたのはスティーヴンだ。ここで敢えて、ガリーオウエンと「俺」との同質性にだけ特別な注意を払う必要はあるのだろうか。加えて、前半部分のパロディの中で描かれる巨人は恐らく「市民」の戯画化であると考えられるが、毛むくじゃらで革の衣服をまとい、腰に鎖をつけた巨人はガリーオウエンを巨大化した存在であるような印象を受ける。「犬」と同質性を有するのは、「俺」に限ったことではないのはないだろうか。「俺」が犬的である、という点には同意するが、やはりこの「俺」は「何者でもない」存在としての語り手であるのではないか、と私は思う。
 そして、この挿話の中で唯一嘲笑と批判を免れているのが「俺」である。その意味で「俺」と③の間には嘲笑・皮肉・「茶化し」の共通点があり、『オデュッセイア』のキュクロプスに即して言えば「俺」だけが目を刺されていない。誰もが時に巨人として、時にオデュッセウスとして描かれているように思われる。誰もが何者でもなく、目を刺される巨人に変わるのに、「俺」だけが終始「俺」のままなのだ。挿話全体を通してオデュッセウスに喩えられているのはブルームであるように見えるが、パロディのもつ意味と匿名性という観点から言えば、もしかしたら本当のオデュッセウスは「俺」であり、彼こそがパロディの語り手であるのかもしれない。

*1:この「丁寧な埋葬」という言葉はユリシーズ第12挿話の読書会の案内メールにて、主催者のお一人南谷奉良さんが用いられた表現を拝借しています。

*2:柳瀬尚紀ユリシーズ航海記』河出書房新社、 2017年、pp. 100-101